お手をどうぞ…vv
 

 

          




  ――― カツ…ッ、と。


 しんと静まり返った白っぽい室内に微かに響いた堅い靴音。それに気づいてか、窓辺の古風な書き物机の前から青年が立ち上がる。自然光のあふれる明るい部屋だ。淡いベージュのつややかな石を敷いた白っぽい床に、壁も純白。そこに待っていた青年のいで立ちも、白っぽいカーキのパンツに、木綿だろう白いシャツと来て。見ている視野の中のあちこちで、様々なものがその輪郭を白く弾けさせ、目映いハレーションを起こすほどに真白い、いかにも清楚な空間だった。そんな中に唯一の動く存在として立っている一人の青年。
「待ってたよ、ヨウイチ。」
 にこやかに口許がほころぶ。年の頃は、そう、少年の気配を残しつつ青年の域に入ったばかりというところだろうか。まだどこか柔らかな印象の強い、やさしい輪郭に縁取られた面差しに、かっちりとした均整の取れた肢体をした、古い言い方で なかなかの美丈夫である。この真白き部屋やお陽様が似合いそうな屈託のない笑顔には、何かしらの充実感が滲んでいて、
「全部終わった。これでもう帰れるよ。」
 弾むような、喜色の満ちた明るい声。だが、その笑顔を見やったもう一方の青年は、そのまま…冷たい石に彫り込まれた塑像ででもあるかのような、何の感情も浮かべないまま、どこか堅い無表情なままでいる。闇色のサングラスが映える白い頬も、肉薄な口唇も微動だにしない。
「? どうしたの?」
 怪訝そうに小首を傾げる青年の、そんな声と重なって、

   ――― …っ!?

 不吉な炸裂音がした。ほんの一瞬だけ電動ドリルを稼働させたような。察知した途端に消え去った、空気を絞ってぎりぎりと捩ったような音。消音器
サイレンサーを通した短い銃声。そして、

  「…あ。」

 青年のシャツの白に、鮮やかな紅の花が咲いている。じわじわと大きく開花してゆく紅蓮の牡丹。
「ど、して?」
 みぞおちの辺りを押さえつつ、膝を突き、その場に崩れ落ちる青年を、
「………。」
 闇色のレンズ越し、無表情なままに白い顔が見つめている。驚きにこわばっていた青年の顔が、やがて滲み出す苦痛に歪む。だが、それでもまだ、信じられないという想いの方が勝るのか。血で塗られた手が震えながら相手に向かって伸ばされて、中空にて敢えなく止まり…はたりと、床の上に投げ出され、その身もそこへと倒れ伏す。後に残るはしんと冷たい静寂ばかり…。


   ――― ……………。





  「よーし、カット。」

 良く響く男性の声がして、その途端に周囲に張り詰めていた空気が見る間に緩んだ。息を詰めて見守っていた人々が一斉に洩らした吐息で、室温が少しばかり上がったかも。
「お疲れさん。今日の撮りは此処までだ。」
 恰幅の良い初老の男性がディレクターチェアから立ち上がり、助監督だろう、傍らにいた若いめの男性が声を張る。数脚ものライトが照らしていたのは、白い室内のセット。その床に力なく倒れたまんまの青年へ、
「あ、桜庭くん。ちょっとそのままで居て。」
 人々のさざめきの中、そんな声がかかって、肩がひくりと起き上がりかかっていた青年の動きが止まる。そこへとフラッシュが何度か焚かれて、
「はい、オッケー。」
「何に使うんですよ、こんな格好。」
 むくっと起き上がった青年が、口の端から赤い血糊を顎近くまで垂らしつつ、不審げに訊くのへ、
「スチールに決まってるじゃないか。受けるぞ、こりゃ。」
 どこまで本気か、楽しげなカメラマンに苦笑を返し、
「今日はもう終わり?」
 近づいて来た、こちらはメイク担当の女性スタッフへと訊く。細かいレイヤーの髪を軽く束ねた、大きなメガネのよく似合うメイクさんは、にこりと笑い、
「ええ、終しまい。それより…血糊、飲まなかった?」
 一応は無害な成分なんだけどと、心配そうに眉を顰めた。そんな彼女へ、
「大丈夫、こんな不味いの飲まないって。」
 差し出されたタオルで顔や口の端を拭って、そのまますっくと立ち上がる。今日の撮影はこれでお開きらしいので、後はこのまま着替えて帰るだけだ。

  ………という訳で。

 いやに物々しい始まり方をしましたが、ご心配なく、此処は『アイシールド21』ファンサイトの"波の随に"に間違いございません。
(笑) このシーンの撮影は、他のシーン撮りが溜まっていた相手役の俳優さんとのスケジュールが合わなくて。それでそれぞれに撮る"別撮り"と運んだらしく、いかにも目の前に誰かがいて、その相手に撃たれたかのような演技になっていたが、実際は…誰もいないところへ向かっての一人芝居。こういうことが出来るのは、テレビや映画という編集可能な媒体によるドラマの利点でありはするが、やる方はなかなか…役に入り込むまでは恥ずかしかったりもして、結構大変である。その"役"から素の自分に戻った途端、視野の中に…周囲からは気づかれないまま、だが、自分には鮮やかな印象で収まっていた存在に気がついて、
"………あ。"
 ちらと。涼しげな瞳が見開かれる。じっと見とれていた訳でなく、楽屋の方へ向かいがてらの一瞬の一瞥。そんな瞬間的なものを、向こうも見て取ったらしく、かすかにかすかに顎を引いて見せた。






   ――― それから、小半時も経っただろうか。


 スタジオはとうに閉ざされて、その前の通路。壁に凭れて立つ青年がいる。ジャケットからパンツから、下に来たシャツまでもが黒っぽいいで立ちは、照明も落とされた薄暗い通廊にそのまま滲み込んで溶け入ってしまいそうな風情であり、しかも相変わらずに闇色のサングラスをかけていて。脱色された金色の髪といやに色白な頬の色合いが何とか、暗さの中へ没し切らずに浮かんでいるというところ。薄い肩を壁に押しつけるようにして立っていたそんな彼の前へ、
「お待ち遠さま。」
 ひょこりと。身をわずかばかり折るようにして倒し込み、相手のお顔を覗き込む人影がやっと現れた。こちらもサングラスを掛けた青年で、ついさっきまで目の前のスタジオにて、迫真の演技を頑張っていた若手の俳優さんだ。やわらかなウェーブのかかった明るい髪を、後ろ向きにかぶった つば付きのドラーバーズキャップの下に隠していて。随分な長身の闊達そうな体躯が映える、さっぱりとしたデザインのシャツにブルゾンを重ね、下はGパンという至って地味な恰好。だというのに、ちらとでもこの廊下に目がいった者には"あら"と何かしら印象づけるだけの華がある。芸能人としての成功者というのはこういうものなのだろう。
「ごめんネ、遅くなっちゃった。」
 そんな"成功者"である青年が、甘く響いて秘やかな声をかけた相手は、視線を闇色のレンズに遮られ、なかなか表情が動かないままなのが…背後の壁への堂に入った凭れ方と相俟って、どこか不貞腐れてでもいるかのような態度に見えたが、実のところはそうでもないらしく。
「いや、俺も早く来過ぎた。」
 やはりあまり表情は動かさないまま、それでも"謝られることではない"と、存外穏やかな声を返してくれる。
「都大会も終わったし、プレーオフまで3週間もあるからな。」
 練習の方も調整が主体だし、何より自分はそれを見てやってるだけという立場なので、疲れてもいないしと言いたいのだろう彼へ、
「あ、そうそう。都大会優勝おめでとうvv」
 遅ればせながらのお祝いのご挨拶を下さったのが、ドラマや映画に絶好調で進出中のマルチタレント、桜庭春人くん、17歳。そして、
「俺が祝われることじゃねぇよ。」
 そんな言いようをしながらも、その口許をやっと"にぃ"とほころばせた青年の方は、蛭魔妖一と名乗っている、やはり17歳の高校生だ。芸能人である桜庭くんが、どこか晴れ晴れとした存在感に満ちているのは分からないでもないのだけれど、こちらの青年の方もなかなかどうして負けてはいない。先程、スタジオの片隅に立っていた時はわざと気配を消していたが、そうでないなら…この細い身体の一体どこの潜めているのやらと驚くほどの途轍もない生気のオーラを放てる、凶悪クールなお元気者。マシンガンの連射にかけては、どこで訓練を積んだんだろうと思わせるほどの芸達者だ。…いや、本道はアメリカンフットボールなんですけれどもね。
(笑) どちらからともなく歩き出した人影の少ない通路は、そのまま通用口に通じていて。そこに立つ恰幅の良いガードマンさんが、二人の若者へ目礼での会釈を寄越してくれる。それへとにっこりご挨拶を返した春人は、だが、
「…そういや、妖一、パスもなしによく入れたね。」
 今日の撮影はシーンがシーンだったし、その前に昼から撮っていたのもずっと彼を一人だけ収録し続けていたがため、ファンに嗅ぎつかれないようにと極秘に運んだもの。よって警戒もいつもよりはしっかりと…と注意が回っていた筈なのに。芸能人でもスタッフでもない彼がそう簡単に入って来られはしないんだがと、どこか怪訝そうな声をかけられたものの、
「? 別に何もしちゃあいないぞ?」
 問われた本人さんが不本意そうに口許を動かしたのへ、
「あ、ああ。別に良いんだよ。きっと俳優さんだと思われたんだ、うん。」
 機嫌を損ねたくはないからと、春人は少々慌てつつ、そんな弁明解釈を自分から言い立てた。確かに…この細っこい青年には、生気というエネジー以外でもその存在感を際立たせるに足るほどの、飛び抜けて冴え映える容姿をしてもいて。日本人でありながら髪が金色なのは今時には珍しいことではない。だが、それが地のものではないかと思わせるほどに、頬や首元、見えている肌の奥深い白さが日本人離れしているし、今はサングラスに隠れているが、涼しげに切れ上がった瞳の虹彩もまるで淡い色合いの宝石のようで。
"………なんでサングラスなんか掛けてるんだよう。"
 彼の側は別に変装の必要はなかろうに、ただでさえ無愛想に見える表情を取っ付きにくくしている真っ黒なサングラスが、実は少々恨めしい春人だったりする。
"そんなの掛けてたりするから…。"
 ついつい視線が他へゆく。ボタンを2つほど外されたシャツの濃色に拮抗して、鎖骨の合わせまで見えているのがやけに挑発的な白い胸元だとか、表情の乏しいままな肉薄の口許に、リング状のピアスを幾つかつけている白い耳朶だとか。いつもなら、光の加減で淡いグレーになりもする瞳ばかりをうっとり見やるのに…そうでいられない自分だと分かれば、そんな様子を彼から怪訝に思われやしないかとか。それどころか、他の人間にもこの綺麗な想い人のそういった妖冶な姿を見られているのかと、少なからぬ憤懣の気色まで沸いて来かねない桜庭くんであり。………恋をするって大変なんだねぇ。
「それにしても…。」
 少々奥まったところにあったスタジオから少し歩いて。大通りに出たところで、道の左右を見渡してタクシーを探す。マネージャー社長は他のタレントの付き添いで今日は不在だ。この作品の製作は世間様には極秘に運んでいるため、同行して来たところで宣伝する場はなく。スタジオやスタッフたちにもすっかり慣れたことだろからと、事務所で随一の稼ぎ頭のスーパースターをたった一人で現場に通わせている、相変わらずどこか掴めない社長さんであるらしい。…いや、それはこの際、ともかくとして。
「お前、受験を前提にして仕事休んでたんじゃなかったのか?」
「うん。そうだったんだけどもね。」
 秋口の早い黄昏は、既に街路を薄闇の中に沈めていて、通り過ぎてゆく車のライトが煌々と明るい。なかなか通りすがらないタクシーであり、少し先の信号が赤になってしまったのへ肩を竦めて、春人はこちらへと向き直り、
「こないだの騒動で、もっとホサレて暇になるかって思っていたらその逆で。」
 苦笑して見せる。彼の言う"こないだの騒動"というのは、この彼ら二人が企んだちょいとした"茶番劇"のことで。当事者たちは"ちょいとした"と思っているらしいが、世間様の騒ぎようはただならぬものだったし、それでなくともネームバリューの高い、人気絶頂の桜庭くんへのラブコールも却って高まってしまい、
「話題性へだけ目当ての仕事は断ってたんだけどサ、この映画の監督さんは別。」
 楽しそうに笑って見せて、
「前から交渉したいって思ってたんだけど、学業優先にしたいって言うからって諦めてたんだって。だのにあんな事件が持ち上がって。そいで"そんな悪ふざけをするほど暇なんだったら、ばりばりとお仕事をさせてあげよう"って言って来たんだよね。」
 殺人のシーンが出て来るほどの、彼にはお初のサスペンス系の作品であるらしく、その監督さんというのも、あまり芸能界に関心のない妖一でもよく知っている有名な人だ。そんな人から、しっかりした作品への出演をと直々に抜擢されたというのは光栄なこと。それで、一も二もなく出演依頼にOKしてしまった彼であるらしい。
「…で。お前はあそこで殺されて終しまいなのか?」
 さっきのシーン。誰だか信頼していた人から、意外なことに銃で撃たれてしまった…という流れだったけれど、
「ううん。あれはラストの直前のカットなんだ。意外な人に殺されたかと思いきや…って展開になってるお話でね。」
 人の目を気にしてか、辺りをちょいと見回したのは、脚本も極秘になっている作品だからだろう。
「僕は主役じゃないんだけれど、でも最後まで生き残る役だよ。これは一番内緒になってる"鍵"なんだ。」
 そういうトリッキーな役回りなのも嬉しいらしい。子供みたいに無邪気に微笑う春人だったが、

  「…台詞が気にいらん。」

 ぼそっと落とされた一言へ、あやや…とばかり。ここまではご陽気でいた春人の肩がたちまちにして小さく萎
しぼんでしまう。さっきから表情が硬いのはそのせいかと、やっぱりなーと眉を下げる。アイドルさんが一番触れたくはなかったこと。これまでずっと、この彼にも…撮影所は教えてもそれだけは内緒にしていたこと。良いことづくめなお話だったが、台本をもらって真っ先に"げえっ☆"とびっくりしたのがその点であり、
「…うん。主役さんの名前が"ヨウイチ"さんなんだよね。」
 春人がドラマの間中のずっと、行動を共にし、信頼を置き、さっきのクライマックスシーンで裏切られて驚愕するその相手。演じるのは実力派として超有名な、名代の個性派俳優さんで、役柄では呼び捨てにしていたが随分と年長さんの渋い人。
「最初は凄っごく抵抗あったよ。だって、全然タイプ違う人なのに、ヨウイチって呼ばなきゃいけないんだもん。」
 それに関しては、自分だって苦労してるんだからねと言いたいのだろう桜庭くんへ、彼が一番好きな方の"ヨウイチ"さんは、
「じゃあこれからは、俺のことは"蛭魔"って呼ぶのに戻せば良いじゃねぇかよ。」
 こちらへは横顔を向けたまま、くくっと笑ってそんな意地の悪い言いようをしたりする、根っからのいじめっ子。
"そんなのヤダって分かってるクセにサ。"
 けれども言い返せないのが、これもまた"惚れた弱み"というやつなのだろうか。何とも言葉を返せぬままに上背のある図体を窄めて“ううう…”と唸っている春人の前で。涼しいお顔のまま、すいっと白い手を掲げた妖一さんは、魔法のようにタクシーを1台招き寄せると、

  「…冗談だ。気にするな。」

 ぽんっと傍らの大きな背中を叩いてやって、
「ただ…自分が観る時に何か照れるんじゃないかって、そう思っただけだ。」
 この青年の声で、信頼をもっての笑顔や裏切りへの怒号によって呼ばれ続けるのだろう、自分と同じ音の名前。演技ではあるけれど、だからこその様々な感情を載せた顔で声で呼ばれるのかと思うと、何だか擽ったい彼だったらしい。サングラスをやっとのことで外してくれたその面差しは、いつになく和んだ目許のせいでとても柔らかな表情をしているようにも見えて、
「あ…。/////
 思わぬご褒美をもらったみたいに、春人の胸元を温かく包む。ドアが開いたタクシーへと乗り込んで、まずはどこかで食事をしようと、行きつけの中華飯店の名を告げた頃合いには、さっき映画の説明をした時よりももっと、ワクワクと気持ちが弾んでいたアイドルさんだった。





  ――― あ。ところで泥門高校って今週末に文化祭じゃなかった?

       妙なことに詳しいな。進にでも訊いたか?

  ――― ううん。進は何にも。
       知ってても教えてくれたりはしないと思うけどね。
       セナくんとのデートの邪魔をされたくないからって。

       ………いや、待てよ。
       奴はホントに知らんのかもな。

  ――― ??? なんで?




   はてさて、何ででしょうか?




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   *長い長いこの章は、単なる前振りですので、念のため。
    だってウチは"進セナサイト"ですもの、オホホホホ…vv