3
ころころクルクル。よく動く表情。
何がこんなに彼を驚かせるのだろうか。
何がそんなに彼を喜ばせるのだろうか。
小さな手の小さな少年。
普段はあまり目立つ子ではないのに、
むしろ目立たないで居ようと構えているような子なのに。
あまり器用でない分を埋めようといつも懸命で、
ふにゃっと笑うと辺りが温かくなる、不思議な少年。
年齢トシは1つしか違わないのに。
同じ世界、同じ場所で、
同じ空気の中、同じ情景を見ている筈なのに。
何を見、何を感じているのかと、
時折、ひどく知りたくなる。
こんなにも鮮やかに、こんなにも溌剌と、
溢れんばかりの生気に満ち満ちている彼の、その、
一挙手一投足から眸が離せなくって。
………そして。
フィールドに立っていない時は、
気がつけば…彼をばかり想っている自分だと知ったばかり。
◇
試合中の彼を知っている。ランニングバックとして、一プレイヤーとして立ち向かって来る彼は、例えれば一陣の風だ。突破を阻まんと身構えた陣形の中、瞬視によって一条の道を見いだすと、その間隙を容赦なく擦り抜けてゆく鋭い疾風。闇を切り裂く霆いかづちのように、一瞬にして陣営を抉えぐり抜けて去る、奇跡の弾丸。充分に対等な…自分を久しくなかったほどまで意固地ムキにさせ、精一杯の"本気"を振り絞るほど苦しめたほどの対手であったのに、
「あ。ダメですよ。ここ、汗、拭いてない。」
タオルを掴んだ手の何と小さいことか。こめかみ辺りに伸ばされて来た手が届きやすいようにと、少し屈んでやって、やりたいように任せていると、
「………。」
傍らにいた桜庭がどこか怪訝そうな顔をした。
「? どうした?」
「…あ、いや。別に。」
ふいっと視線を逸らすから、妙な奴だなと進は小首を傾げた。妙といえば、今日、今、此処に居るのだって不審な行動である。自宅近くでの早朝のトレーニングには付き合ったくせに、
『ウチに寄ってくか?』
いつものことだ。祖父の構えている道場には、数人ほどの門弟さんたちが寝起きする寮がある。その食堂での、自分たちに負けず劣らずな猛者たちに混ざっての大人数での朝食に、丁度間に合う時間帯。朝の自主トレの後、そこで食事を取って、学校がある時などはそのまま登校へと運ぶという、これまでの当たり前なコースへと誘うと、今日に限っては…何だか用事があるからと大急ぎで帰って行った彼なのに。午前中に到着した此処の駅前、改札横のキオスク前へと向かったところ、先に着いていたセナと共にこの男も立っていたものだから。てっきり"仕事"が入っていて急いでいたのだろうと思っていたので、ちょっとばかり意外で。とはいえ、
『やあ。ちょっと時間が空いちゃってね。』
はんなりと柔らかに笑って言うものだから。遠ざける理由もなく、そのままこうして此処へと同行して来た彼なのだが。………セナか自分かへ何か用向きがあったんだろうか? それにしては深刻そうでなし、先程までそれは寛いで少年と何事か喋っていたようだったが。
"………。"
やっぱり依然として腑に落ちないが、まま、何かしらそれが"支障である"というまでのことではなくて。
「…はい。」
ごしごしと動いていたセナの小さな手が顔から退くと、進の注意も自然とそちらの方へ移った。初対戦の場で、冷静冷酷にぶつかって撥ね飛ばし、掴み掛かって引き倒し…と、さんざん手荒にしたことを、後悔させるほど小さくて。何だか胸のどこかがもぞもぞとするような、見やっているだけで切なくなるくらいに幼くて。それだのに…この胸には一杯に詰まってなお余りあるほどの、大きな感情を生み出す存在になりつつある少年。
「お腹、空きませんか?」
タオルやら額に巻いていた汗止めバンドやらをバッグへ仕舞いながら、セナが訊く。屈託のない声。穏やかな表情をした小さな横顔が、冬場の弱い陽射しの中に産毛を光らせて何とも幼(いとけ)ない。それへと、何となく視線を据えつつ、
「そうだな。」
単調な声で機械的に応じていた清十郎だった。
彼らにはいつものコースだ。軽い運動?の後、休憩を兼ねての昼食。向かうのは公苑近くのムードも何もないファミレスではあるが、昼下がりはがらがらで、グラウンドコートやらウィンドブレーカーやらというような、いかにも…どころじゃあない"立派なスポーツウェア"という恰好でもいつまでもいられるような長閑な店なのが、なんとなく居心地がいい。…店の経営陣としては大問題かもしれないが。(笑) 今日もやはり店内は閑散と空いていて、だが、
「あ、桜庭さん、窓の席はおイヤですか?」
セナが言い出したのは、彼が有名人なため、あまりに開けた場所だと顔が指すと困るのではなかろうかと気遣ってのこと。
「ああ、いや。構わないよ。」
確かに公的電波への露出が多い有名人ではあるが、老若男女、全ての層に超有名な"国民的なアイドル"というほどでもないせいか、そこまで神経質ではない。それに、まさかこんなところで芸能人が呑気にしていようとは思われてない。案外気づかれないもんなんだよと、桜庭はさばさばと笑って見せた。
"…ふ〜ん。セナくんの方がリードする場面もあるんだな。"
寡黙だとは言っても必要なことは口にする進だろうに、世話を焼くようにてきぱきパタパタ、よく動くセナで。どこかしら畏怖が勝まさってただただ従うのではなく、伸び伸びと自然体で振る舞う彼だと判る。サラダとスープのついたランチセットをお行儀よく片付けていて、だが、
「…また。」
「あ…と。/////」
ソテーのタマネギだけを残しているのへ、向かい側から注意する声が短く飛んだ。無意識に避けたものらしく、慌ててかき集めて口に運ぶ様が、まるで…父親から言葉少なに叱られた小学生のようにも見える。とはいえ、怖がるどころか ふふと小さく笑って視線を合わせ、相手の口許、薄く浮かんだ笑みを確認し合っている様子なんぞは、
"馴染みまくってるよな。"
例えば、先程の話に出て来た"街歩きの途中の脇見"といい。大事な存在だという"意識"を通り過ぎて、相手の一部になってでもいるかのような感覚でいればこその、これは一種の余裕ではなかろうか。
"…ふ〜ん。"
◇
人込みや黄昏の中へ簡単に紛れてしまえる小さな君を、
見失って取り残すのは嫌だと思った。
慣れぬうちはどこか萎縮していたものが、
関心を持ってくれたか、そのままするすると馴染んで。
幼いとけない笑顔を惜しみなく そそいでくれて。
そうなると今度は、
こちらの胸の裡うちを眸を通して覗き込めるのかもと思うほど、
射通すように真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
「…わっ☆」
レストランを出た瞬間。こちらに向かって吹きつけて来た冷たい強い風に、何かしらのキャンペーンをうたった、店の大きな幟のぼりが大きく波打ってはためいて。風の塊りを吐き出すように撥ねたその端っこに、ぺいっとばかり はたかれた格好になったセナが"とたた…"と足元をふらつかせる。一種の出合い頭のような、あまりに突拍子もなかった突発事。いくらスポーツマンでも、こうまで小さな体では押されて無理もない。思わぬ後ずさりを見せたセナであったが、
「…っと。」
後から続いていた進が、そんな身を事もなげに胸元で受け止めて。そのまま脇へ転げないよう、二の腕を両側から支えてやる。下げていた自分のバッグは、反射的だろう素早さで足元へと落とされていて。
「あ…。」
ぎりぎり、踵での後ろ向きの たたら踏み。支えがなければ、そのまま冷たいタイルのポーチに尻餅をつくところだった。カバンを放り出してまでして助けてもらった形になって、
『あ、えと。すみません。/////』
いつもの調子だと、そんな相変わらずな一言が自然とポロリとこぼれるかと。そういう"恐縮"の体を見せる、まだちょっと他人行儀な彼を、桜庭は当たり前なものとして想像していたのだが、
「…ふふ♪」
ぽふんとやわらかく受け止められた、頼もしい胸板、腕の中、懐ろから。驚きからやや強ばらせた表情のまま、ふわっと顔を上げたセナは。頭上から覗き込むように見下ろして来た視線がかち合った進に、そのまま"ふわっ"と笑って見せたのである。どこか含羞はにかみの滲んだ、だが、たいそう嬉しそうなお顔で。そして…それを見やった進もまた、仄かに口角をゆるませて微笑を返す。示し合わせての遊びだったか、否、示し合わせてなぞいなかったのに、ひたりと互いの呼吸が合ったことへ、やったねと喜び合うような。ちょっと誇らしげで満足に満ちた笑み。そんな彼らに、
"…なんだ。心配なんて要らないんじゃないか。"
ちょいと拍子抜けして、目許を眇め。だがまあ、幸いには違いないかと、こちらもまた小さく笑って見せた桜庭であった。………って、んんん? どういうことなのかな?
◇
今日は午後から部の買い物があるんです。商店街のスポーツ店に発注した備品や消耗品を受け取りに、栗田先輩と行かなくちゃならなくて。言ってる本人こそがたいそう名残り惜しそうな顔をして。それに反して。前以て聞いていたのか、進はさして意外そうな顔にはならず。その大きな手で、少年の撥ねっ毛の載っかった頭を軽くぽんぽんと叩いた。こちらへは気を遣うなという意味だろう。切符を買うところまでついて来た少年は、改札に入るまで見送ってくれて。大仰に手を振りまではしなかったが、ホームに降りる階段へと差しかかるまでのずっと、こちらを見送っていてくれた。
「………。」
いつもだったら…向かいのホームに至るべく、高架になった渡線橋とせんきょうへの階段へ向かった小さな背中を見送って。やがてあちらのホームにパタパタと駆け足で降りて来るのへ、あらためて別れの会釈を渡すのに。そんなささやかな"いつもの"がないのが少々詰まらなかったが、まま、仕方がない。こちらのホームには既に快速が入っていて。足早に乗り込むと、それを待っていたかのように発車を知らせるホイッスルが鳴り響き、シューッという音を立ててドアが閉まった。
「………。」
「………。」
加速がついて、一定の速さに達して。かたたん、かたたんとレールの上を鉄の轍がスキップを踏みつつ踊る響きが、BGMとして車内の空気に刻まれてゆく。窓の外を忙しなく、次々よぎってゆく照明灯やら電柱やらの柱の陰々が、床の上、窓の形に切り抜かれた陽溜まりをひゅんひゅんと駆け抜けて。
「………。」
「………。」
会話のネタがない訳ではない。よく言って"寡黙"な、実のところは"ずぼら"さから、切り出したものか止やめるべきかと…柄になく逡巡していると、何か訊きたげなこちらからの雰囲気を、そこはさすがに読み取ったらしくて、
「お前、言ってたよな。」
桜庭は、まるで電車に乗り込む前までの会話の続きででもあるかのような、自然な口調で話し始めた。
「セナくんがよく迷子になりかかるって。脇見をしてはぐれるって。」
いくら幸せボケしていても(おいおい) そうそう惚気を話すような奴ではない。だから…つい口に出すほど、何かしら心配になっているのではなかろうかと。まさかとは思うが、この男、自信がなくなっているのではなかろうかと感じた。何かしらへ臆しているのではなかろうかと。そうと読み取り、あまりの意外さに"う〜ん"と考えた末、ここは唯一の理解者として捨て置けず、いっちょ実地見学と洒落込むかと、今日の"様子見"を敢行した桜庭だったのだが、
"何のことはない。セナくんの側から、もうすっかりと"気の置けない人"扱いになってるってだけの事じゃないか。"
何へと脇見をするのだろうかと、視線の先ではなく彼本人ばかりを見やっているような。相変わらずに不慣れで拙い奴であるのが、何とも可愛い恋人たちへ。さて、どうやって安心させるか。いやいや、こういう切ないまでに甘酸い想いは。何物からも阻まれず、耽ることを許されている間くらい、しみじみと堪能した方が良いだろうから、いっそ黙っておこうかとか。
「…桜庭?」
こちらからの言葉を待って、慣れのない者には分かりにくかろうが…さりげなく真摯な顔になっているチームメイトに。
"…どう焦らしてやろうかな♪"
おいおい。ちょっとばかりの茶目っ気、悪戯心を催しつつある、アドバイザーさんであったりするのであった。
大切な人。
はぐれた時に取り残されるのは自分の方かも。
そんなことまで想う自分に、我に返って苦笑が洩れる。
気にならないとか苦ではないとか居心地がいいからとかいう以上の。
こちらから寄ってでも傍らに居たいと思う存在。
ほっと息をつけるような無垢な清涼感に満ちた、
幼いとけない笑顔が何とも温かくて。
それでいて健気なまでの一途さからは目が離せなくて。
その懸命さに水を差したい訳ではないけれど、
彼へと寄せる風からさえも守りたくて…。
〜Fine〜 02.12.27.〜03.1.5.
*う〜ん。清十郎さんの内面を書くには、まだ無理がありましたね。
今一つ掴み切れてないみたいです。
奥が深い人ですしね。少しずつ把握してゆきたいと思います。
馴染むまでの不安定さ。どか、ご容赦を。
←BACK/TOP***
|