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このグラウンドに気がついたのは、まだ陽射しも暖かな時期であり。最初はなんとなく、人の気配のないフェンス沿いを歩いていただけだったのが、いつの間にやら歩調が早まり、気がつけば軽いジョギング状態に入っていた。………たまの週末、わざわざ電車を乗り継いでやって来て、待ち合わせて会っている最中に。いくら体育会系だとはいえ、こんな状態に入ってしまったなら、普通だったら呆れてしまうか、怒ってお付き合いも"それまで"になるところだが、
『凄いなぁ、体が自然に動くんだ。』
連れの少年は、それは素直に憧れの眼差しでこちらを見やり。さすがに迂闊だったと、謝ろうと、頭をがしがし掻いていた進を却ってたじろがせた辺り、こちらもある意味"大物"である。(ちょっと違うぞ/笑) 大柄で大人びた風貌の進は、だが、びっくりするほど何も知らなくて。携帯電話の使い方も、流行はやりの歌も歌手も、話題の映画もゲームセンターも、千葉幕張のウォーターフロントに展開しているあの有名な遊園地も知らない。でも、それでも困らない人だったらしくて、それもまた凄いなぁとセナは感嘆して見せた。
「いや、それは"凄く"はないと思うぞ。」
直じかに持つには少し熱いホットティーの缶を、傍らのベンチに脱いでおいたマフラーでくるむ。子供々々した小さな手は、皮膚がまだ薄いらしくて。手間取っているのを見かねてプルトップを開けてやると、すみませんと恐縮してぺこりと頭を下げた。腰が低いのはお行儀がいいからだろうか。謙虚なところがなかなか行き届いた子で、
"それにしては、時々抜けたことを言うんだけどね。"
こちらはカフェオレの缶コーヒーを口にしつつ、桜庭がふと思い出し笑いを頬に浮かべた。いつもこんな変わったデートをしているのかと、そういう話が逆上って、
『そもそもは。切っ掛けはどんなだったのさ?』
それはもしかすると"懸想"というものではないのかも。いや、逆に。惚れたの腫れたのとかいう浮いた話ではない、憎いの恨めしいのという沈んだ話でもない、もっと切なる"あなたが好き、あなたが大切"という想い。そんな何かを互いに感じ合っている彼ららしいが、ではその始まりはと訊いてみると、
『始め…は、よく覚えてなくって。』
セナはどこか申し訳なさそうに肩を縮めて、
『これ言うと、進さんも機嫌悪くなっちゃうんですよね。』
眉を下げつつ"あはは"と小さく笑うから、
"…いや、それはそうだろう。"
方向性は違うが何か似た者同士だよなこの二人…と、常識人・桜庭が感じるのはこんな時。だが、も少し聞いてみて、
『選手として、フィールドでじゃなくっての、初めて会った日はそりゃあ覚えていますよ?』
試合での初顔合わせのちょいと後。放課後の泥門高校校門前に、どうしてだか…進が立っていた。王城のシルバーグレイの詰め襟制服は結構目立ち、しかもあの体格、目鼻立ちである。クルーカットとまで言うほどには短くないがそれでもワイルドな短髪に、目許口許が鋭角的で男臭い、大人びた寡黙さの大層よく似合う重厚な二枚目で。頼もしいまでの上背と幅のある肩にかっちりした広い背中。凛と通った背条も真っ直ぐに、たださりげなく立っているだけのその姿が、何ともきりりと清冽でカッコいいなと、その日は練習が早じまいだったセナは、そんな彼に十数メートル以上も前から気がついて…足を止めてまで見とれてしまったものだ。………だが。
"あ、でも。"
別に"親の仇"というものでなし。対戦相手だからってフィールドの外でまで延長させていがみ合うことはないのだが。何だか顔を合わせるのは怖いかなと思ってしまった。試合中はアイシールドを装備していたし、プロテクターだってまとっていたから、まもりお姉ちゃんにだってバレてないこと。それに、自分に用向きがあるんじゃないのかも。泥門デビルバッツに用があるなら…蛭魔先輩に会いに来たのかなと、知らん顔して通り過ぎようとしかかったのだが。完全に行き過ぎたその瞬間。スポーツバッグを抱き締めながら"ほぉ〜〜〜っ"と安堵の息をつかんとしたタイミングに、
『…お前。』
呼び止められて"ドキィッ"と心臓が撥ね上がった。………後で訊いたら、こんな小さな子が"そう"だとは、と。そうだと割り出した"判断"をどうしても納得し難くて。それで声をかけるのも少々躊躇ためらった彼だったのだそうだが。
◇
「…何、話してる。」
結構なペースの走りだのに、やはり平然とした様子でベンチ前まで戻って来た進は、彼には珍しいくらいに判りやすく眉を顰しかめ、眸も眇めて、ベンチに並んで何やら話し込んでいる様子の二人へと声をかける。
「…あ、えと。」
すみませんと立ち上がりかけたセナの肩を横から押さえ込み、
「いーじゃん。内緒だよ。」
桜庭は殊更楽しそうに言った。
「この寒空にセナくんおっ放り出してるような奴には教えてやらん。」
「……………。」
むうと口を曲げた進の様子に、何だか剣呑な睨み合いになだれ込みそうになったと察して、
「あっ、あのっ!/////」
どうしようかと、わたわた双方を見やるセナを尻目に、
「…ふん。」
まだ走り足りないのか、そのままもう一周の旅へと発ってしまった進だったから。
「どうしましょう。進さん、怒ってますよ?」
「だな。」
桜庭は、だが、やはり殊更愉快そうに"くつくつ"と笑っただけである。
◇
信じられなかった。こんなにも小さな…失礼ながら中学生に上がったばかりみたいな子が、あの時の21番だって? ゲーム中にも確かに飛び抜けて小さいなとは思ったが、ここまで小柄で幼い相手だったとは思わなかった。その彼を探しに来た事自体、いつになく衝動的な思いつき。外からの声はあまり耳に入らない性分たちなので、自分へのレベル評価なんかはどうでも良いし、無名の新人にしてやられたのが引っ掛かっていた訳でもない。ただ純粋に"どんな奴なのか"というのが気になった。それにしたって他人への関心で、自分がそういった気持ちを抱くとは珍しいこと。そんな自分への戸惑いを何となく持て余していたものだから尚更に、目の前のお子様へ唖然とし、思考停止状態になった進だった。
『…あの。』
そんな…内面葛藤からオーバーショートして、その結果"フリーズ状態"になったとは気がつかず、蛇に睨まれた蛙のように射すくめられて、こちらも立ち尽くしてしまったセナだったが。
"………逃げた方が良いのかな。"
弱い者をきっちり嗅ぎ分け、逆らわないからと笠に着て、脅しもって顎で使うような。そんな小狡いタイプの"強い奴"や"勝ち組"な人ではないとは思うのだが。どうも何だか苦手なタイプな気がした。いや、苦手というか…分かりにくいというか、何てのか。
「今なら判るんですよね。」
凄い人だから、苦手だと思った。何でもお見通しで、誤魔化し切れないかなとか。今までそういう人と接したことがないから、凄いという部分だけが一人歩きしてしまい、同じ"人"とか"高校生"とかではないように思えてて。………その一方で、
『喰ってかかりに行った訳じゃないんだがな。』
この話になると、進はそんな風に言う。自分でも分からなかった行動の理由。速さでも力でも止められず抜かれた、小さくて素早かった一陣の風。その正体を、ちゃんと生身の人間であったのだと確かめたかったのかもしれない。そうと思えば、やはりいつもの自分らしい、機械的物理的な判断というか、理解欲求の現れであったのだが。あまりに小さく、あまりに幼いセナと面と向かってみて、何というのか…度肝を抜かれた。
『こんな幼いとけない子を、俺はポイポイと投げたのかと思ってな。』
あ、ひどいな。そう言って上目遣いになると、本当にわずかにわずかに目許を細めて、小さく笑ってくれる。………で、
「その時は、我に返った進さんはそのまま帰ってしまって。
それから…少しして。
時々、同じように校門前で待っててくれてる時があって。」
まるきり知らない仲ではないのだし。目礼が会釈になって、声を出しての"こんにちは"のご挨拶になって。そのまま駅までの道を一緒に歩くようにもなって。だが、そうなるとあまりに彼は目立つから。
「…そうだ。そうです、ボクから言い出したんでした。」
学校前ではどうしても。泥門の濃色ブレザー制服の奔流の中に、他校の彼が立っているのは相当に目立ち過ぎるからと。
『駅で待っててくれますか?』
あのあのと、何とか頑張ってそんな風に言ってみて。それから何となく始まった"待ち合わせ"だったのだ。それまでだって毎日だった訳でなし、週末に試合のある大会の時期に入ると、さすがに無為に待っている訳にもいかないのか、
『来週の金曜日は空いているのか?』
そんな風に"いつ"という指定がなされるようになり、
『水曜の祭日は試合なのだがな、翌日の放課後は調整だけだから早くしまう。』
でも、ウチは丁度その日が二回戦なんですけれど。そうか、それは残念だったな。淡々と言って、少し間をおいてから"頑張れよ"と付け足してくれて。
「そんなだったから。…何てのかな。
会ってて嬉しいなって思えるようになったのがいつからなのか、
はっきり"この時だ"って決められないんですよ。」
最初はどこか唐突で強引な面会だった。それから、やはりどこか一方的なセッティングの逢瀬となって続いて。ただ顔を見てそれだけで、そのまま進が帰ってしまうことさえあった、何とも風変わりな"逢瀬"だったけれど。それがいつの間にか…セナの側からも、逢うのが楽しみになった。相変わらず判らないところばかりな人だけれど、何となく判るものが増えて来て。動かない表情、端的な言いよう。でも、だけど、そういえば怖くなくなった。
「名前を確かめてくれたのも、つい最近ですし。」
「…え?」
ちょっと待って下さいな。もう何ヶ月かは経ってないか、君たちがそういう"逢瀬"を始めてから…と、怪訝そうな顔になる桜庭に、
「ええっと。特に名前で呼び合ってはいなかったですから。」
そう言って鼻の頭を掻いて見せるセナであり、
"う〜ん、目に浮かぶようだ。"
判らんでもないかなと、妙に納得する。
相手を見つけて駆け寄って、
『こんにちは。あのあの、待ちましたか?』
セナがそんな声をかければ、
『………。』
待ってはいないと首を横に振り、じゃあ行こうかと、とっとと先に歩きだす。
う〜ん、なんて分かりやすい人たち。(笑)
"まあ、二人きりで居るんなら、そんなもんだろうけどさ。"
アイコンタクトですか? どっちかというと"夫唱婦随"って気もしますがね。(笑) そんなことを思っている桜庭には気づかずに、セナは遠くを走る進の大きな背中を見やりながらぽつりと呟いた。
「もしかしたら、とっても不器用な人なんじゃないのかなって。」
ホントは朴訥で温かい人なのかも。進のこと、そんな風に感じ始めたのはいつからだったろうか。機械みたいにタフで精巧で。だけど。少年の仕草や言動を幼いと、子供みたいだと言いながら、時々眸を細める彼の方こそ、びっくりするくらいに何にも知らない。そんな彼と、いつしかこちらからも"逢いたい"と思うようになった。
――― 今頃、何してるんだろう。
あ、そっか。平日だもん、学校だよな。…それとも遠征かな。
理数系に強くて、身だしなみもキチンとしていて、案外と器用そうに見えるけれど。思わぬところが"ぼこぉっ"と抜けている、やっぱり不器用な人。お団子結びになった靴紐の、引っ張る方向を間違えて引き千切ってしまったり。電器店の店頭ディスプレイのMDプレイヤーのスリット部分を"こじ開け"ようとして、その縁を"みしっ"と裂きかけたり。舗道の縁でつまずいたセナを貧血でも起こしたのかと勘違いして、街中で"お姫様だっこ"してくれた人。………これはさすがに笑いごとではなくって、降ろして下さいと泣きそうになったが。
「それは…恥ずかしいよな。」
「ですよね? あのお顔が間近に寄っては、ドキドキが止まりませんもの。/////」
その時のことを思い出してか、ポッとなってしまったセナであり、
「………。」
おいおい、そっちかい。(苦笑)
「ま、奴のそういうトコは今更だがな。」
笑えるエピソードの数々に、遠慮斟酌なく声を上げて笑った桜庭は、進を不器用だと評した無邪気な少年へ、どこか…眩しそうなものでも見るかのような眸をして見せて。
「けど。ただの"不器用"ってんじゃあないだろ?」
そうと水を向けると、
「はいっ。」
素早いお返事がまた、何とも幼くてくすぐったい。
「ボクとは全然違ってて似てなくて。でも、似てるかなって思うこともあるんです。」
語調が弾んで来たせいか、口許からこぼれる吐息の白さが薄くなる。
「進さんの口数が少ないのは、旨く言い表せる言いように辿り着けないからで。曖昧なら いっそ言わないって人なんだなって判って来て。ボクは逆に、似てそうな言葉を探してみて、一杯一杯これでもかって投げてみるんですよね。」
えへへと笑って、
「桜庭さんだったら、きっとカッコいい"スパッ"てした言い方知ってるでしょうし、男がぴーぴー慌てて言いつのるのってみっともないから、ちょっとは落ち着きなさいって、まもりお姉ちゃんからも良く言われてて。あのあの、そういう不器用なとこは似てるかなって思うんです。………ただ、進さんの不器用の殆んどは"上手に出来ない"不器用ではなくて、"まだ知らない"不器用だから。」
"………おや。"
よく判ってんじゃん、と。聞いていた桜庭の表情が思わず弾かれる。………で? と促すと、
「んと、アメフトには必要なかったから、そうなったんだろうなって思います。だって、物凄く気を遣ってくれるようになりましたし。」
例えば街中を歩いていて。ふと、セナの方がショーウィンドウやら迷子になった子供やらに気をとられたりして立ち止まり、ついつい二人の間隔が物凄く開くことがある。そういう時、以前は…物凄く遠い先へと歩んでしまっている進の頭を目指して、セナの方が駆け寄って追いついていたのだが。このところはというと…黙って待っていてくれる。顔を上げると、ちゃんと視野の中にいる。どの辺で気がつくのか、逢瀬の最中に脇見をする困った人へ…ちょっとはムッとしている時もあるらしいが、それでもちゃんと待っていてくれる。迷子のお母さんを一緒に捜してもくれる。
「だから、えと…上手くは言えないんですけれど、何かそれって…小さな子供の不器用と一緒みたいで、かわいい温ったかい不器用なんだなって。」
知らないことを知らなかった。けれど、大好きなアメフトだけがあれば良かったから、一向に困らなかったものだから、ますます知らないままに過ごして。気がつけばああいう男になっていた。デカい図体のその中には、アメフトと、それを最高のレベルにて破綻なくこなすための環境への、必要最低限の適応知識だけしか詰まってなくって。これからにしたって、その高い目線のままに生きてゆくのならば…至高の目標だけを、ただそれだけを見据えて生きてゆくというのならば、さして困りはしなかろうが、
"…でも、奴は気がついちまった。"
幼いとけない両手で精一杯の生気を抱えて、それはころころと…笑ったりしょげたり、ほや〜んと惚けていたかと思えば、一気にもりもりと感動したり。小さな小さな少年の、早送りの映像を見ているような"一生懸命"に接してしまったから。
"………この坊やから"かわいい"なんて言われてやんの♪"
いや…坊やって、あなた。感じ入るポイントが違うでしょうが。(笑)
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*まだちょっとばかり続きます。
それにしても…私は進さんをどういう人間だと思っているのでしょうかしら。
ビクビクしつつ、ご感想、お待ちしております。

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