さざんか咲く道 @


          


「わぁ〜っ。」
 その屋敷の第一印象は、何と言ってもこれに尽きた。
「…大っきいなぁ。」
 延々と続く板塀が途切れたその先にあったのは、一枚岩のポーチの上へ瓦の庇屋根を載せた堂々たる大門で。黒光りのする釘隠しの金具も今時の一般家屋には珍しく、なかなかの威厳や風格を醸し出している。くすんだ柱に掲げられてあるのは、剛太な筆で堂々と書き上げられた…達筆な草書なので読みにくいが"…流…道場"と書いてあるらしい、縦に長い看板だ。此処までの長い長い板塀がその敷地を取り囲むものだというのなら、その面積はいかばかりか。
"大きな道場と、門弟さんっていう人たちの住まいもあるって言ってたもんな。"
 古風蒼然。いかにも厳然とした、歴史ある"お屋敷"であることが偲ばれて、
"あやや…。"
 大きな門という段階で既に威圧されて立ち尽くす、小さな小さな人影は、それでも…息を呑むと"そろ〜っ"と手を伸ばし、門に据えられたドアチャイムだろうインターフォンのボタンを押した。
【はい。】
 ぷつっという小さな音に続いて、すぐさま聞こえた応対の声。お母さんだろうか、女の人の優しい声音へ、
「あ、ああ、あのあの…。」
 ドキドキと緊張したまま名乗ろうとしたところが、
「…え?」
 大きな門の傍の小さな扉、耳門
じもんというのが"すいっ"と開いた。そして、
「………。」
 そこから出て来た人影が、やさしい眸で訪問者を見やる。その相手へ、
「あ、と。あの、こんにちはです、進さん。」
 慌てたようにペコリと頭を下げたのは、アイボリーホワイトのダッフルコートに浅い藍のワークパンツ風ジーンズという恰好の、小早川瀬那という初訪問の男の子。そんな彼をお出迎えにと、実に素早く出て来たのが、カーキグリーンのセーターにスタンドカラーのシャツと黒っぽいボトムのぴしっと映える、すこぶるつきに大柄で貫禄もあるが…この家の長男坊、進清十郎という高校生。そして、
「…これ。」
 寡黙な長身の彼の頭を、後方からぺちっと叩いたらしい人物の声がした。進の体がすっぽりと盾になる格好で遮っていて見えなかったのだが、
「ちゃんとご挨拶なさい、お行儀の悪い。」
 進が少しばかり身を避けた隙間から見えたのは、きちんと和服を着つけた上へ割烹着を付けた女の人だ。届かなくはないだろうが、それでもかなり頭上になる進の頭を気安く叩いたということは、
「あ、あのあのっ。」
 どうやらお母さんであるらしい。どひゃあと、顔を赤くして口ごもるセナに構わずに、
「ようこそいらっしゃいました。清十郎がお世話になっております。」
 朗らかにすらすらと。そんなご挨拶を並べる彼女の傍らで、
「………。」
 どうしたもんかと、進が困ったように…少々居心地が悪そうな顔を見せている。冬には嬉しい、やわらかな陽射しが照らし出す陽溜まりの中、いつもの顔触れが立っていた場所は、何だかちょっと勝手が違う場所ならしい。



            ◇



 切っ掛けは些細なこと。とある金曜日の放課後。今日は逢えると前もっての連絡をしてあったため、待ち合わせにといつも使っている例のファミレスの喫茶コーナーにて、先に来て待っていたセナが、少々浮かない顔をして眺めていたプリントが一枚。連なっているのは殆どが英字であり、
『英語の宿題か?』
 ひょいと覗き込んだ進に"あわわ"と慌てたセナが言うには、それはLL教室のスキット問題のプリントなのだそうで、
『小さい設問は何とか判るんですけれど。』
 最後の25点問題。何か英語作品の映画かビデオを見て、その感想を英文で書きなさいというもの。何でも良いと言いつつ、参考作品というのが幾つが挙げてあり、だが、そのどれも近所のレンタル屋さんには姿がなかった。同じ課題を振られた皆が一度に殺到したからだろう。
『英語ってタダでも苦手なんですよね。』
 あ〜あと溜息をつく小さな少年の様子が…本人は目一杯に深刻だと構えているのだろうが、傍から見ている分には何とも愛らしい種の気鬱
きうつの様さま。それへと…判る者の限られる、小さな小さな苦笑を浮かべた進は、
『う"〜。』
 その、限られているところの"判別出来る人間"であるセナから。チロッとばかり、恨みがましげな目線を向けられて、
『………この作品なら、ウチに吹き替え版がある。』
 慌てて覗き込んだプリントの、課題作品名の内の一つを、大きな手の長い指にて指し示した。
『…吹き替え版?』
 どれもまだ新しい作品ばかりで、レンタル版のビデオも最近やっと出回ったところ。DVDですか?と訊くと、テープだと言い、(その区別の説明に、実は30分ほどかかったのだが、ここは割愛させていただくとして/笑)
『桜庭がな、テレビ用の吹き替えをしたんだと言って、先日置いてったんだ。』
 おおう、さすがは芸能人のお友達。
(笑)



            ◇



『それじゃあ明日、家まで観に来るか?』
と、急に話がそこまでひとっ飛び。昨日の今日のセナくんは、進さんのお家に初訪問と相成った次第である。最初は物凄く固辞したのだ。
『あ、あああ、あのあのっ。えと、あの、ビデオ、貸していただければ…。』
『早く観て感想を聞かせろと急っつかれている。』
 だがだが、日頃からもあまり"ドラマ"だの"映画"だのは観ない性分なので、そういう機会をわざわざ構えでもしない限り、どうにも観る気が起こらないのでちょうど良い。一緒に観ようと持ちかけられて、
『…何か用事でもあるのか?』
『いえ、何にもありませんが…。/////
 かぶりを振りつつ、顔から耳から、首条まで真っ赤になったセナである。だってそんな、進さんのお家、初めて行くことになっちゃったよ、どうしよう。どうしてだか判らないけど、何だか凄いドキドキして来た。お友達んチに行くだけなのに。まもりの家とか、そうそう、栗田先輩のお家にも寄せてもらったことあるのに。何でこんな、緊張しちゃうんだろう。
『じゃあ、駅に着いたら電話を。』
 どの駅で降りるのか、どの出口が近いのかと、一通りの説明をされてから、駅まで迎えに行くから電話を掛けてという"打ち合わせ
"をし。じゃあ明日と別れてこっち、何だか雲の上を歩いているような心地は消えず。そしてセナくん、うっかりと"電話"をするという最後の打ち合わせを忘れてしまい、教わっていた住所から案外と順調に目的地に辿り着いての、今話の冒頭に至った訳だが。


「さあさあ、お上がり下さいな。」
 にこにことそれは愛想の良い…進の血縁者だとは到底信じられないくらいに、物腰柔らかで表情豊かなお母様に誘
いざなわれて、錦木や山茶花が仕切り代わりに脇に並んだ前庭の飛び石を辿る。こちらも広い間口のガラス格子の玄関に到着すると、上がり框かまちのところに、
「ようこそ。小早川くんね? いらっしゃいませ。」
 きちんと正座した若い女性が待ち受けていたものだから、
「あ、ああ、はいっ、初めましてっ。」
 またまた撥ね上がって緊張のご挨拶。きっとこの人が、さっきインターフォンでの応対をしかかってくれた人なのだろう。お母さんに似た小柄で優しい面差しの女の人で、
「清十郎の姉です。よろしくね。」
 やはりにこにこと屈託がなく、さあさあとスリッパを出しの、高いめの框だけれど上がれる?と、そこまで気を配りのと、何だか異様に至れり尽くせり。そんな彼女らの歓待ぶりを遮って、
「こっちだ。」
 あやうく客間の方へと先導されかかっていたセナを、半ば抱えるような格好で、腕を取り肩にまで手を回しと横合いからタックルを仕掛けて奪って行った辺りは、
「ちっ、さすがはラインバック。」
 ぱちんと指を鳴らしたお姉さんがついつい残念そうに舌打ちをし、
「あらあら、たまきちゃん。女の子がお行儀が悪い。」
 お母様がやんわりと窘
たしなめていたようだった。



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 *初めてのお呼ばれですvv 後半へ続きます。