それが かりそめの恋ならば… C
 



          




 顎をしゃくるような仕草にて、マンションの中へと入るよう促し、桜庭にはお馴染みな筈の蛭魔の部屋までを誘導した。ついさっき降り出したばかりだったことと、梅雨の本格的な雨というよりは、春の霧のような雨に近い細やかなそれだったせいでか、ジャケットの肩や背中もさして…染み通るまでというほどひどくは濡れておらず。それでも一応は温かいシャワーを浴びろと、戻るなり支度へとてきぱきと動き、リビングに待たせた相手へタオルを差し出しながら言った妖一さんを、そのままきゅううと長い腕が抱きすくめた。
「…はあ。」
 この方がよほど暖かいと言いたげな、大きな溜息が一つ。肩の上を向こうへ抜けた。相変わらずの長身は、妖一より頭半分ほども高くて。ふかふかでやわらかな髪は、少しだけ湿った後れ毛が頬や額に張りついているらしく、だが。そんなことなぞ厭
いといもせずに、いつもの濃色のカットソーにスリムなパンツという恰好の、妖一の細い肢体を宝物のように抱き締めている桜庭であり。しゃにむな強さはないものの"もう二度と離すものか"という一途な気勢は、その両腕をぐるりとからませるほどの勢いで、懐ろの深みへ相手をがっちりと抱え込んだ姿勢から感じられて。その広い懐ろへ、こちらも実は…望んでいたそのまま封じ込められて、金髪痩躯の我儘な悪魔さんがこっそりと溜息をつく。逃げ損ねて捕まってしまったな。逃げるなんて慣れないことだったから仕方ないのかな。ああ、でも、これって"弱くなった"ってことなのかな。こうしてもらうと凄く落ち着くのは事実なんだしな。さらさらした木綿のシャツからは、これもいつもの…花蜜のような華やかで甘い匂いが暖かく自分をくるみ込む。ぐるぐると堂々巡りなことを考え込んでた苛立ちも、よしよしと宥めてくれるような気がしたものの、
"けどなぁ。こいつのことで考え込んでたんだしなぁ。"
 それを感謝するのは何だか理不尽だよなと、口許が拗ねたようにやや曲がる。やり場に困ってた手をふと見下ろして、まださっきの手紙を持ったままなのを思い出し、

  「…ったく、今を時めく二枚目アイドルのするこっちゃねぇな。」

 視線を合わせるのは何となく気まずくて。ぽふと、頬を相手の胸板へとくっつけたままで、そんな言いようをする。親に叱られた小さい子供の"ごめんなさい"じゃあるまいに。そんな言いようをする妖一へ、まあ確かにあまり格好のいいものではなかったのは事実で、少々口ごもってしまう桜庭であり、
「だってさ。電話にも出てくれないし、メールもナシのつぶてだったし。」
「………。」
 そりゃ無理な相談だ。だって蛭魔さんたら帰ったそのまま寝てましたからね。しかも ふて寝。
(苦笑)
"うっせぇなっ。///////"
 癪なことばかりが襲いくるものだから尚更に、お顔が上げられないでいる恋人さんの、綺麗なうなじを間近に見下ろしている桜庭くんの側はというと、
"……………。"
 やっと逢ってくれたし口も利いてはくれたけど。こうして抱きすくめても、暴れたり殴り掛かって来たりというよな抵抗をしないでいてくれるけれど。やっぱり何かに怒ったままでいる妖一らしいなというのは、その肌合いから感じられて。
"…これ。外したら、そのまま持って帰れって言われちゃいそうだな。"
 整髪料で逆立てられた金の髪の下。なめらかな肌に包まれてすんなりと伸びる白いうなじには、見慣れた銀のチェーンが掛かっている。大好きだよという気持ちを込めて、昨年のクリスマスに頑張って作ったお手製の指輪が下がっている筈のチェーン。此処に来ると儀式みたいに外してあげて、白い指へと捧げるそれなのだが、今日はさすがに何だか怖くて触れない春人くんであり。…でもね、
"ずっとこのままでも いられないよな。"
 どうにも引き返せない方へ…終焉へと話が進むのは怖いけど、すっかりと諦めるのはまだ早いのかも。腕の中にくるみ込んだ大切な人、柔らかな温もりへ、そぉっと声をかけてみる。

  「…ねえ。なんであんなことしたの?」

 途端に。細い肩が僅かながら びくりと動いた。こうやって間近に導き入れた以上、訊かれるだろうという覚悟はあったが、それでも…何というのか。自身にもはっきりとした理由は分からないことだから。

  「……………。」

 どう言っていいやらと戸惑うあまり、薄い口唇を軽く噛みしめて妖一が口ごもる。何故だか無性に苛立って、自分の感情が制御できなくて。今にして思えば"何かへ"ではなくそんな自分にこそ慌ててしまい、ただただその場から逃げ出したくなったのだろうけれど。そんな風に狼狽してしまったのは…あまりに慣れのない"隠し事"のせいだったから。
「僕のこと、鬱陶しくなった?」
「…そうかもな。」
 言を左右するのが何だか面倒になってしまい、彼がそうと感じたなら そうなんだろうなと、あっさりと"そうだ"なんて…正直なところのように吐露すれば、
「嘘。」
 自分から言い出しておきながら、桜庭は昂然と否定してくる。
「…なんでだよ。」
「だって、あんなやり方は妖一らしくないもの。もしもそんな風にホントに思ったとしても。その場は何とか取り繕ってさ。きっちりとした段取り組んで、僕が気づいた時にはもう引き返せないっていうような、そんな策を構えちゃう筈だ。」
 その場を取り繕うのは、体裁を考えてっていうんじゃなくて。ちょっとだけ我慢して、後から何倍も取り返すための言わば"フェイク"。理性的で意志の強い彼ならではの巧妙な演技で…なんて続けられたものだから、
「お前な…。」
 買いかぶりも過ぎれば立派な"貶
おとしめ"で。
「人んコト、どういう人間だと思ってんだよ。」
「違うの?」
「何から何までそうそう計算高く構えちゃいねぇよ。」
 むっと来た直情に弾かれて、こちらも昂然とした態度で顔を上げたものの、
「その…たまには感情に弾かれて衝動的にだってなるんだかんな。」
 真正面から見つめて来ていた春人の、随分と生真面目な顔のその真摯さに気圧
けおされて、語勢が萎えかかった。こんな場合だというのに、やっぱりいい顔してるなとしみじみと思った。深色の瞳を据えたすっきりとした目許に、少しばかり頬骨が立って精悍になって来た印象のある、彫りの深い顔立ち。射通すような眼差しの勢いに怯んだその間合いへ、
「じゃあ尚のこと、そんな気持ちから突っ撥ねられたって聞けないよ。」
 ぴしゃりと言われてしまったものだから、
「………。」
 そりゃそうだろなと、珍しくもグウの音も出ない妖一で。気持ちの昂ぶりからだろう、うっすらと緋色に染めていた目許や頬に、ついのこととて…桜庭がじっと見とれていると、少しばかり尖った表情を浮かべていたそのお顔を再びこちらの胸元へと伏せてしまう。
「妖一?」
 こんなにも落ち着きのない彼だというのは本当に珍しく、そこが相変わらずに気になって…心配にもなっている桜庭なのだが、

  "………うう。"

 実を言えば他でもない…ただ単に蛭魔の往生際が悪いだけの話なのだ。名にし負う"策士"であれ得手不得手はあるもの。冷静を保てなかったほどの感情のうねり。それを本人を前にして取り繕い切れなかったから、そんな失態に慌てふためいたまでのこと。だから。何のひねりも手管も持たない、純白無垢な正攻法による強さには敵わなくて。様子見をしようと距離を置いたり伺ったりせず、真っ直ぐ追っかけて来てくれたのに、やっぱり素直になれなくて…ますます追い詰められているこの状態を、その筋の専門用語で"自業自得"と言ったりする。そしてそして、
「???」
 もしかすると初めてかもしれないこと。自分の側が断然優勢になっているとは、全然気がついておらず。気づいていないがために、相手の微妙な煩悶を珍しくも慮
おもんばかってやれずにいる困った桜庭くんだったりしたのだが、おいおい

  「…インタビュー、見た。」
  「え?」

 そうと言われても…この春の大学合格からこっち、インタビューはコトの節々、いつでもどこでも受けているから。愛しい人にこうまでのお怒りを抱かせた元凶になっただなんて、一体どのインタビューなのかなと必死で思い出そうとしかかったところへ、

  「好きな人なんて、まだ いませんって。お前、言ってた。」
  「あ、え…と。」

 そこまで言われれば、今朝の話だ、桜庭本人も覚えている。ただ、この妖一がそんな下世話なものにまで目を通すとは思っても見なかったので、そんなにも早く聞きつけていたとはと、正直、少し面食らった。
「あれは…。」
 何か言いかかった桜庭を、
「判ってる。」
 強めた語調で遮って。
「さんざん可愛げなく突っ張ってたしな。なのに怒るなんて虫が良すぎる。それに、女でも話題になるところを、男と付き合ってますだなんて、当然 言えやしないだろうし。」
 冗談にでも"います"と言えば"どこの誰だ"と責め立てるように追及される。言わなくたって態度や何やでほのめかせば、その途端に痛くもない腹を探られよう。そういう浅ましい世界だってことは重々判ってる。…ただ、

  「ただ…何となく。
   これまで色々あったこと、全部ウソだよって言われたような気がしてな。」

 さんざん振り回しても懲りずについて来てくれた人だ。身の危険さえ厭わずに、ずっとずっと傍にいるよと誓ってもくれた。今やすっかりと信じてる人。こんなもん、単なる保身上の出まかせだろうと、冷静な部分はちゃんと断じていた。なのに…何故だろうね、心が騒いで落ち着かなかった。色んなことを乗り越えて来たのに、いつもいつもすぐ傍らにいなくとも、互いのこと判り合えてるって、向き合えてるって、揺るがぬ自信があった筈なのに。こんな分かりやすいことへ、あっさりと動揺してしまったなんて…。

  ――― ガキだよな、勝手に腹立てて。

 妙に神妙な声で紡いでから、小さく小さく苦笑った妖一に、

  「…それって、何か嬉しいな。」

 桜庭が、これも小さな声で応じてくれた。んん?と、少しだけ視線を上げると、
「だってさ。それって、妖一がそうまで動揺したってことはさ、それだけ僕のこと、想ってくれてるってことでしょう?」
 それこそあからさまにすっぱり言い表されてしまって、

  「………っ☆ ///////

 たちまち、頬が熱くなる。間違ってはいないのだけれど、されど…想われたそちらはともかく、こちらは到底喜べることではないものだから、

  「……………馬鹿。」

 少々恨めしげに目線をキツクして、小さな声で"このバカ春人"と繰り返し罵
ののしる美人さんであり。恥ずかしくてしょうがないのだろう蛭魔だと、恐らくは…判っていながら惚気て甘えたそのままのお声で、僕って懲りないヒトだからサ。暖かな懐ろの中、見下ろして来て。ふにゃっと笑った桜庭に、

  「そっか…。///////

 頼もしい胸板へシャツ越しに頬を寄せたまま、短く応じた妖一だった。何で自分の前では しまりのない情けない顔ばかりするかななんて、ついつい悪く言っちゃうけれど。本当は大好きな やあらかいお顔。あんなに酷いことをしたのに、それでも…怒ってないよと やわらかく受け止めてくれる人。大きな手がゆっくりと肩や背中を撫でてくれる。撫で下ろされるごとに、詰まらない意地で張り詰めてた力みが一枚ずつ剥がされてゆくような気がする。

  "……………。"

 いつぞや、自分の可愛がっている小さな後輩さんが同じようなことで思い込み過ぎて倒れたのとはちょこっと違って。女の子から手紙を受け取るのどうのというのが、こうまでのむっかりに繋がったのではない。その後の彼の言葉にこそ、何だかぐらぐらと来た妖一で。

  『さっき預かっちゃったの。』
  『だってこれは"芸能人の桜庭春人"さんへってお手紙らしいもの。』

 春人はそう言った。芸能人という部分にだけしか関心のない人には、こちらからもその部分でしか対応しないって決めているのだと。そして…。

  "………。"

 それを聞いて。きっと、自分は"全てが欲しい"という我儘な気分になったのだと思う。自分と一緒ではない時に彼が身を置き、あまり話したがらない"芸能人"という部分の彼も、きらびやかだからとかそんなじゃなくて、ただ…例外なんて許さず全部欲しいと、そんな風に思ったから。手渡しで封筒を差し出した少女や、あっと言う間に彼を押し包んでしまった山のようなファンの子たちに、たとえ少しでもこの彼を分け与えるのが癪だったから。

  "………。"

 そしてそんな自分の気持ち…の輪郭の不安定さが、自分の"らしさ"の枠をはみ出しそうになったのがもっともっと不快で居たたまれなくて。それで振り切るみたいにして…逃げ出すみたいにして、帰って来てしまったのだと。今になってやっと素直に"全容"を見通し切れた妖一であり、

  "…ダセェよな。"

 アメフトに関わることを唯一の例外に。そこへと偏らせ過ぎていたがために、他の方面には今までずっと寡欲だったから。人との付き合いなんて要らないと、そうでいるのが辛くて寂しくて堪らなかった子供の頃でさえ、我慢して我慢して乗り越えて来たのにね。今じゃあ"それで平気"になってた筈だったのにね。誰にも頼らない、独りでだって生きてけるって、お友達なんて甘いものは要らないって、依存も信用とやらも要らないって、それでフツーなんだという感覚を自然とまとえるまでになってたのにね。選りにも選って、こんなにも優しくて、こんなにも甘やかし上手で。こんなにも気が利いてて、こんなにも頼もしい…かどうかはちょこっと主観的な物差しになるのだけれど、それでもね。何も要らなかった筈が、この存在や温みに触れないでいると餓
かつえを覚えてしまうほど。誰にも触らせたくはないと思うほど、大切な人だと思うようになっている。強い執着や何やはたいそう危険な感情で、なりふり構わぬ"強欲さ"でのし上がる人も少なくはないけれど、一転して自分の急所にだってなりやすい。そんな判断が働いて、振り払った自分だったのかな。何かが欲しいとあからさまになるのってみっともないとか、そんな風に思ったのかな。

  『もう独りで泣かなくても良いんだよ?』
  『泣いてなんかない。』
  『じゃあ…もう泣いたって良いんだよ?』

 頑なだった心をやわらかく解
ほどいてくれて、ぎゅって抱いてくれた、ずっと傍らにいてくれるって約束してくれた彼なのに。こんなひねくれ者のことを"欲しい"と言ってくれた人なのに。
『僕は全部妖一のものだよ』
 そうまで言ってくれた人なのに。まだどこかで見えっ張りな自分なのかな。そんなもん要らないって、まだどこかで片意地を張っているのかな。こんなじゃ嫌われたって仕方がない。自分で自分にそうまで思ったのにね。ちゃんと追って来てくれた人。あんな仕打ちに遭ったのに、

  『お前なんか知らない奴だって、縁を切られちゃう方が怖いもの。』

 温かく笑って…懐ろへと抱きとめてくれた人。

  "元の"独り"へ戻るだけだったのにな。"

 怖かったのは むしろ自分の方だ。自分の感覚に相容れられない不整合を感じたのに。そんな因子は、きっと先々でも自分の判断を迷わせる原因になり得るだろうから、これまでの自分であったなら…どんなに興味深くて面白いものであっても、思い入れが生じるより先に容赦なく切り離して来れたはずなのに。

  ――― 今もしも失ったなら…。

 きっと単なる"軌道修正"では済まないくらい、自分から引き剥がすことがそのまま半身をもぎ取られるくらいの痛みを齎すだろうほどの存在になっていた人。彼に関してだけは、正確で冷酷がモットーだった筈の判断も甘くなってたし、自分の中の感情的なものもそのゲインを上げるようになっていて。それでこんなにも…おろおろするほど動揺してしまったのだろう。


  「…あのね、妖一。」


 柔らかな声が頭上から そおと降って来る。頬をつけてる胸からも、柔らかな響きが伝わって来る。なに? と言う代わり、少しだけ頭を動かしたら、身を縮めるみたいにして…背中のかいがら骨のところと頭の後ろとへ、大きな手のひらが そおと当てられて。背中の残りと肩口とが、長い腕にくるまれて、埋もれるみたいになった。


  「僕はこれからも"好きな人はいません"って言い続ける。」

   …うん。

  「でも、それって"ウソ"だからね?」

   うん。

  「そう言うたびに、ホントは"妖一だけが好きです"って言ってるんだ。」

   うん。

  「僕は嘘をつき続けるけど、ごめんね、我慢してね。」


 何だか、場末のジゴロの口説き文句みたいだったけど。相手は俳優さんなんだから、口先だけの甘い睦言に騙されちゃあいけないのだけれど。何だかもうもう、どうでも良いやと。ただただ頷くばかりな妖一であり。


 ごめんね、心細くさせちゃったね。

 いや、う…ん。どうなのかな。思い入れを否定される痛さってのは、アメフト以外のことでは味わったことがなかったからな。

 あは。強い人だもんね、妖一って。

 そういや、お前が俺にちょっかい出し始めた頃。 去年の…今頃だったかな?

 うん?

 あの頃は容赦なく突っぱねてたよな。誰が相手でも同じことをしたんだろうけど、あん時のお前って、こういう気持ちでいたのかなって思った。

 …うん。全然落ち込まなかった訳じゃないけど、でもね。ひしゃげてる場合じゃないって、今度こそって、日々頑張ってたからね。

 結構"ヘタレ"てたくせに、そっからは卒業してたんだな。

 えへへvv これでも王城ホワイトナイツのレギュラーだったんだもの♪


 しょってらぁ、と。肩を震わせてくすくすと笑い、そのまま顔を上げて来た妖一で。弱音とは微妙に違うのだろうけれど、こうまで正直なところというものを、さらさらと吐露する彼というのも珍しい。陶器みたいになめらかで真っ白な、でも触れると柔らかで吸いついてくるほどキメの細かい肌。それがするんと弓形
ゆみなりになってる頬や賢そうな額、細い鼻梁。僅かに降ろされた前髪の影を映す淡灰色の瞳は、興奮しちゃったせいか少しだけ潤んでいて、相変わらずに妖冶で綺麗…なのだけれど。
"ん〜。"
 見上げてくる視線はちゃんと真っ直ぐだし、もう、曖昧な戸惑いはない妖一だと判るのだけれど。
「…ね、キスしてもいい?」
 訊くと、ん、と短く頷いて、素直に眸を閉じるから。唾むようなキスをしてから、そのままおでこへも唇をもってゆくと、

  「あ、やっぱり熱あるよ、妖一。」
  「…そっか?」

 もうもう、何か無理したんでしょ、と。やあらかく叱るような口調になりながら体を屈め、ひょいと。膝の下と背中とへ腕を回して、軽々と腕の中へ抱き上げて。寝室までゆっくりと運んでゆく。だから気が弱くなってたんだよ? お説教しながらベッドへそぉっと降ろし、慣れた様子で壁にはめ込まれたクロゼットからパジャマを取り出すと、着替えて下さいなと差し出した。勝手知ったる何とやら。着替えている隙にと、ベッドサイドの脇卓の上から優雅なフォルムの水差しとグラスの載ったトレイを持ち上げてキッチンへと向かい、ミネラルウォーターを新たに汲み直して戻ってくる手際のよさよ。
「ほら、ちゃんと横になる。」
 戻って来るのを待ってたように、ベッドの端に座ったままで戸口の方ばかりを見やってたお顔へ、にっこり微笑って近づいて。トレイを戻すと、やはり流れるような手際でもって、掛け布を剥いでそこへと主を横たえ、あっと言う間に寝かしつけてしまう。
「風邪か疲労か、どっちか分からないから、お薬はやめとこうね。」
 ん、と。素直に頷く白いお顔が、とってもとっても愛しくて。さんざん振り回されたのにな。ああもう、この人がいないと ボクもうダメなんだきっと…なんて。情けないぞと本人様から殴られそうな、腑抜けたことを思ってしまった桜庭くんで。
「何か食べられそう?」
 おじやでも作ろっか、おうどんとか そうめんの方が良いかな? ベッドの傍らに膝立ちになって訊けば、
「…んと、あれがいい。」
 こないだ食べた、チーズが入ってたリゾット。判りました、ちょこっと待っててね。立ち上がったこちらを…じ〜っと見つめて来る妖一さんへ、きれいな仕草で小首を傾げてから、

  「…これ、寒いなら掛けててよ。」

 襟元に広げられたのは、さっきまで彼が来ていたジャケットだ。ふわりとくるまれた柔らかな匂いが心地いい。じゃあね、すぐだからねとキッチンへ去った大きな背中を見送って。

  "………何で判ったのかな。"

 もう少しだけ、傍らにいてほしいと思ったって。癪だから言い出せなかったのに。いい匂いだよな。ああ、俺、まだ謝ってねぇや。…いっか、飯ん時でも。あんなに苛立ってて不安だった気分はどこへやら、ついついほころぶ口許なのが癪で、掛けられた上着ごと、掛け布を引っ張り上げてお顔を隠した妖一さんである。片や、

  "………なんか、なんか凄っごく嬉しいなvv"

 ほんの小一時間ほど前までは、どうなるんだろうかと激しく怯えていたのが嘘のよう。一転、嬉しくて嬉しくてしようがない桜庭くんで。

  "僕なんかのことで、こんなにも動揺してくれたんだな。"

 いつだって怜悧なまでに平然としてる人なのにね。どんな窮地に立とうとも、昂然と胸を張り、強気な眼差しの乗った顔を上げ、誰に対してだって毅然としている強い人なのに。どうしようもなく心が揺れてしまい、後先考えない言動を取ってしまっただなんて。それもこれも、僕なんかの態度のせいでだなんて…vv ////// ごめんね、ごめんね、苦しめたねと…反省しつつも、お顔が目一杯ゆるんどるぞ、君。
(苦笑)

  "うん。勿論、こんな想いは二度とさせないようにしないとね。"

 もっともっと頑張って、頼りがいのある男にならなきゃねと、強く決意を固めつつ。冷蔵庫からチーズとバターとオリーブオイルと…と、食材発掘に勤しむ春人くんであったのだった。早く元気になるように、飛び切り美味しいのを作ってあげて下さいね?




  〜Fine〜  04.5.24.〜6.10.


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  *途中からしっかりと"笑える話"になってしまいましたな。
   長編で魂が抜かれたか、
   シリアスが書けない体質になっております。
こらこら
   私が書く蛭魔さんて、どうしてこうも"ヲトメ"なんでしょうか。
   もっとこう、機関銃構えて"ファッキン!"と雄叫び上げるよな、
   堂々と乱暴者な彼を一度で良いから………無理だろうな、うんうん。
しくしく

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