それが かりそめの恋ならば…
 



          




 初夏どころか、そのまま真夏になってしまうのではなかろうかという、それはそれは暑い数日の後、今度は打って変わって"梅雨の走り"という奴が律義にやって来て。朝晩の気温が急に肌寒いほどまで低下したのと向き合わされたせいで、軽い風邪でも引いたのか、頭がぼうとなり、集中しにくい取り留めがないような感覚に襲われた。
『ずっと切れ目なく忙しかったからね。それが何とか落ち着いたんで、一気に気が抜けたのかもしれないよ?』
 この春からの新しいチームの基礎作りに一緒に取り組んでくれていた、お呑気な巨漢の相棒がそんな風に指摘してくれて、ああそうかと思い当たった辺り。自らもプレイをするのなら一番に優先せねばならない"健康管理"まで疎かになるほど、勢いに任せて突っ走っていたらしいと実感した。文字通りの0からのスタートで、しかも一番肝心な"人材"に不安定要素は山盛りというとんでもない船出。大変なのだという覚悟はあったし、そうまで壮絶に構えなくともと、むしろ楽観してかかっているほどの余裕でもって挑んだつもりでいたのだが。幾つか本格的なゲームをこなして実質的な手ごたえを得るまでは、自分でもそうと思うほど柄にないことながら…心のどこかでそれなりに緊張していたのかも。幸いにも…というか、公式戦や何やには間のあるタイミングでもあったので、やっとそれなりの形が出来てきたポジション別のチームリーダーたちに日課のトレーニングノルマを授け、休み明けに出来をテストするからと意味深に笑って見せて"自主トレ"モードへ突入させた。いくら何でもいちいち付きっきりという指導を、それも年少さんである一回生から授かるというのは、彼らの側にも鬱憤が溜まることだろうし、こちらも正直言ってうざったい。どうでも良い奴は厳しさに音を上げて去ればよし、こいつはと目をつけて引っ張って来た手合いには、それぞれにそれなりの弱みを握らせていただいてあるので、まま頑張ってもらおうかいと。相変わらずのそういう見切りをつけての手放しモードに入ってみて、さて。柄にない緊張感とやらを解きほぐすべく、だらだら寝腐ってみたものの、もともとそんな格好でリフレッシュするタイプではなく。とっととメンテナンス終了のランプが点くようにと、日頃からめりはりよく調整して来たので、必要な睡眠や休養は積極的に構えれば体も戸惑う事なく効率よく吸収してくれるため、特に苦もなく快復出来て。なのに…何だか、気が晴れないものだからと、

  『………あ、俺だ。明日、空いてるな?』

 相手のスケジュールのチェックなんて容易いもの。向こうも自分に負けず劣らず、多忙な身の人物だと判ってはいるけれど、我儘や強引さも甘えの一種と解釈させてしまうよな、そんな間柄に望んでなったのだから今更文句はなかろうと。夜中の電話、俺も体が空いてて暇なんだ、どこかで逢おうやと持ちかければ、

  【えっ? ホント? ホントにいいのっ?】

 妖一ってばチームの運営で大変そうだって思ってて、実は連絡するの遠慮してたんだ。嬉しいな、うん、判った。直前までDVDの販促発表会とインタビューがあるけど大丈夫、速めに切り上げちゃうからと。文字通り弾むような、それは嬉しそうなお声になった本人からの約束も取りつけた。久々に聞いた声だけで、こちらも随分と気持ちが浮き上がって来たようだから、実際に本人と向き合えばもっと充填出来ようなと、知らず表情が緩みかかったものの。いかんいかん、相手を必要以上に喜ばせてどうするかと、いつもの擽ったい緊張感を思い出しながら、口許に浮かんだ笑みを消す間もなく…速やかに寝つけた昨夜だった。






            ◇



  「…あ、桜庭くんだ。」

 背後で不意にそんな声が上がったものだから、内心でドキッと心臓が跳ね上がった。あの馬鹿、こんな早くに顔を指されてんじゃねぇよと思いながらも、表向きにそんな素振りは欠片ほども見せず。淡い色のついた度の軽い眼鏡の縁を、指先でちょいと持ち上げる仕草に紛らせながら、声がした方向を素早く盗み見れば。

  【…というストーリーでしたが、どうでしたか?
   この映画の後では、役柄の幅もだいぶ広がったんじゃないですか?】

  【え〜? そうですかぁ? 本人、あんまり変わってないんですけれどもね。】

 何本かのマイクを突きつけられて、その不躾さにも辟易せず にこやかに笑う青年が、壁に掛けられていた薄型の大型モニターに映し出されている。今日は平日だから、昼間のワイドショーだな。そういえばDVDの販促発表会とインタビューがあるって言ってたな。今はもう終わってこっちへ向かってる筈だから、なんだそれの録画か、驚かすんじゃねぇっての。映画ってことは、昨年暮れから正月にかけてロードショーされてたあの映画か。もうDVDになんのか、早いな…と。本人が現れたのを見つけての声ではなかったことに安堵したそのまま、何ということもなく、モニター画面に目を据えたままになる。Q街のショッピングモールの駅に近い、メインストリート沿いの喫茶店。それほど小じゃれた作りではなく、カウンター主体のセルフサービスの店で、通勤通学途中にちょっと息抜きという客層を主に相手にしているスタンドカフェ。テーブル席もあるにはあるが、小さいテーブルの2人掛けばかりだし、すぐ真横の通りから丸見えになっている全面ガラス張りという明けっ広げな店構えなので、あまり落ち着いて座ってはいられない。目的地へ急ぐ通行人は、いちいち店の中まで見ないものだと判ってはいるが、外からもよくよく見える大きなテレビなんぞを設置してもいる店なので、映っているものによっては人だかりだって出来よう。冗談抜きに、ペナントレースの終盤や、某球技のAマッチ、W杯最終予選などの中継放送があった日は、この店の前に黒山の人だかりが出来たそうだというから、推して知るべし。とはいえ、こんな中途半端な時間帯では、主婦か大学生くらいしか街にもおらずで、店も駅前の通りも閑散としたもの。夕方辺りならミュージックビデオクリップの番組を流している筈が、こんなベタなものを映しているのも、有線利用料がもったいないからだろう。

  【大学生活も始まってますよね? どうですか? お忙しいのでは?】
  【う〜ん、どうですかね。授業に追いつくので精一杯ってトコでしょうか。】

 まだ専門教科まで進んでませんが、高校の時にサボってたツケが時々出ちゃって、それが痛いですね。暗幕を背景に、初夏向けの明るい衣裳がよく映えていて、一応はスーツっぽいいで立ちなのがバランスのいい長身によって無理なく引き立てられている。作品への感想云々といったリップサービス部分は、他の共演者や監督さんが語ったのか、彼へのインタビューはプライヴェートに関してのものが多いらしくて。当たり障りのないことを答えては、たはは…なんて空笑いをして見せて、お軽い雰囲気にまとめようと努めている模様。俳優としてはまだまだ"駆け出し"で、ムードを作って寡黙ぶるなんて十年早いと、ちゃんとわきまえているのだろうが、

  "一丁前に頑張ってるじゃんか。"

 ブラウン管の向こうの彼。グラビア誌や写真集の中で笑ってる彼。モデル出身のぽっと出のタレントにすぎなかった、有象無象の中の一人に過ぎなかったものが、今や全国区のアイドルになって。テレビや雑誌により多く取り上げられて、毎日のようにどこかで名前や顔を出すほどの身の上になったその分、多くのファンたちに満遍なく公平な存在でいるために…彼女たちが手を伸ばしたくらいではそうそう届かないほど、随分と遠い人になってしまった"桜庭春人"。

  "………。"

 そんな彼が、向こうから"好きだよ"と擦り寄ってくることとか、会いたいと呼べば当たり前なことのように飛んで来てくれることとか。そんな自分の立場への優越感なんて感じたことは一度もない。妙に有名になっちまったもんだから外で会う時は顔が指すのがうざったいと、そう思うのがせいぜいで。

  『アイドルなんて文字通り"偶像"なんだよね』

 名前やイメージや何やが勝手に一人歩きしていて、ホントの自分はなかなか見てもらえない。カッコいいばかりじゃないのに…爽やかに笑ってるばかりじゃない、コンプレックス一杯抱えてる、つまんない奴なのにね。理解してもらえないばかりか、そんなでいちゃダメって、そんなのは"桜庭春人"じゃないなんて。向こうから型を押しつけられることだってある。そういう世界だって判ってた筈なのにね…なんて。生身の彼が時々こぼすのを、懐ろへ抱いてやりつつ聞いた夜もあったなと、そんなこんなをふと思い出したのは。モニター近くに陣取っていた少女たちが、憧れの眼差しとやらを遠い人へと注いでいる様子に少しばかり錯覚しかかったから。自分が知っている彼と、このモニターの向こうで卒なく振る舞っている"桜庭春人"とは、実はどこも重ならない丸きり別な人物なのではなかろうか…。

  "………。"

 馬鹿なことをと苦笑しながら、ゆっくりとかぶりを振り、やや体をよじっていた姿勢を戻しかけた…丁度そのタイミングに。

  【この作品の中では○○ちゃんとの共演も話題になりましたよね。】
  【え? そうだったんですか?】

 撮影現場ではあんまり一緒してないんですよ、実は。彼女も忙しい人ですしね。さして抑揚の変わらない声で述べられたコメント。どこかで聞いた覚えのある、所謂"新進女優"というか、こちらも半分アイドルっぽい少女の名前に、あれ? そんな子が出ていたかなと、こちらの表情も止まってしまった。そういえば紅一点という役どころで女の子が出ていたが、誰がやってもいいような役だったせいか印象が薄くて思い出せない。確か、主役だった男優さんの娘という役柄ではなかったか。
"………。"
 こんな質問が出るということはと、その少女への印象ではなく…インタビューの方の展開への予測が立って、その細い眉根がかすかに寄った。

  【桜庭くんて、ホントに"カノジョ"の噂を聞きませんよね。】
  【そうですね。(あははvv)】
  【他人事みたいに言って。どうなんです? 意中の人とか、いないんですか?】

 会場に集まっている取材陣や観衆の代表という口調で尋ねかかるレポーターであり、

  【どうなんです?】

 重ねて訊かれた彼がどう答えるのかへ。何故だか…無視しきれず、耳を澄ましてしまったことからして、平生の自分ではなかったのかも知れない。だったから、


   【好きな人なんて いませんて、まだ。】


 さしてトーンの変わらぬまま あっけらかんと答えた彼の声に、

  「………。」

 何故だか…表情が堅く止まってしまった。すぐ外を行き交う人々のまとう、初夏向きのいで立ちの鮮やかな色合い。半分ほど庇の代わりになっている頭上の高架が、通りのデザインブロックの路面へ落とす陰。店内のざわめきや緩やかな曲調のストリングスがかけられているBGM。感覚を満たすそんなこんなをするりと掻いくぐって耳へと届いた一言に、何故だろうか、胸の奥で何かが小さな塊になったような気がした。さっきまで、寸前まで、別の何かだったもの。凍って固まってしまって、今は何だったのかが判らない。
【〜〜〜〜で、〜〜じゃないんでしょうか。】
【〜ですって。】
 まだインタビューは続いているらしかったが、言葉の輪郭がどうしてだかぼやけてしまい、先程までほどきちんと聞き取れなくなっていて。軽やかな笑い声が元気そうだな、さすがは体力馬鹿だよなと、ペットボトルより頼りないプラスチックのカップの中、ぬるくなったコーヒーの残りをあおって、席から立ち上がる。ポケットで携帯が鳴ったが触れもせず、機敏な足取りで広い目の通路を出口まで運ぶ。料金は先に支払ってあるから、そのままの歩調で大きな観葉植物の鉢が脇に置かれたドアから外へと出かかった彼が、よくよく見ればミリタリー柄の、濃色のストレートタイプのワークパンツに包まれた撓やかな脚を止めたのは、通りの向こうに待ち合わせていた相手の姿を見つけたから。幅の狭い、されど一応は車が行き来する道に描かれた横断歩道の向こう岸。駅舎の改札口前のエントランスホールから出かかったばかりならしきその青年は、ついさっきまで見ていた大型モニターに映し出されていた時の、洒落た流行の服装ではなく。この初夏の気候だというのに一応の上着としてか、デニム地のジャケットを羽織っており、頭には一か所だけツバの飛び出したスポーツキャップを後ろ向きにかぶっていて、打って変わってなかなか活動的ないで立ち。浅い水色のサングラスを掛けようとしかかった手がふと止まり、

  "………。"

 彼へそそっと近づいた人影があって、信号待ちの間、何やらささやかに問答しているのが見える。彼を見つけたことへ興奮して、ついつい周囲に吹聴して大騒ぎするよな蓮っ葉なことはしない、至って控えめで行儀のいいファンであるらしく。それでも…その少女が離れ際に渡したものがあって、困ったように眉を落とした彼が上着のポケットへ封筒をねじ込んだのが視野に入って、

  "………。"

 そんなに遠くにいる訳ではない桜庭が、何故だろうか、今までで一番遠いところにいるかのように見えた妖一だった。






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  *………すみません。
   またしても、ちょぉっとヲトメ入ってる蛭魔さんになるかもです。
   そう言うのは苦手な方は、どうか自己判断にてご遠慮下さいませ。