風色疾風スキャンダル @
 

 

 ふわりと近づいて来た温かな存在感。そんな体温の気配に載って、仄かに華やかで、けれど本人よりは出しゃばらない、甘やかな花蜜の香がした。上背のある相手にすっぽりと包
くるみ込まれて、それから…触れた感触は。柔らかくて頼りない、思ってたよりも不確かなそれで。

   ――― ゴメンね。

 男にキスされるなんて、やっぱイヤだよね。言いながら小さく苦笑したその途端、いつも朗らかな印象の強い端正な顔が、ちょっとだけ寂しそうに見えた。

   ――― ………。

 ああ、やっぱりこういう方向から"好きだ"って懐いてたんだなとあらためて思ったけれど。不思議と…その"やっぱり"という感触は、ちっとも不快なものではなくて。

   ――― ウザイって思ったら、いつでも言ってよね。

 言ったらお前どうすんだ、あっさり諦めんのかと。腕の中から見上げて訊いたら。ちょっと眉を寄せて考えてから"判んない"と困ったように微笑って見せた。眉を下げた顔付きが、何故だかキングの困り顔によく似ていて。それをそのまま言ったら、酷いななんて呟いて、たちまち頬を膨らませた彼だった。



   ――― 気がつけば。もうあまり、鬱陶しいなと思わないでいて。
       そんな自分であることにこそ、微かにうろたえた。
       物のついでなどではなく、
       ちゃんと向かい合って考えるようになったのは、
       あの雨の日に、腑抜けになったあいつのこと、
       何とかしてやりたいって思った時から。



       誰かのことで頭が一杯になるのも、存外悪くはないなって。
       そんな風に苦笑したのもまた、久し振りなことだった。











          




 アメフトの秋季都大会が始まって忙しい、泥門高校2年生の小早川瀬那くんが、世間で飛び交っていたそのニュースを知ったのは、実は…学校に登校してからのこと。結構 朝早くから放送しているニュースワイドショーとやらは、部活の早朝トレーニングがあるのであんまり観たことはないし。それ以前に、スポーツの話題くらいにしか関心がないから、その他と言えば、せいぜい…大きな出来事や事件と天気予報に、ついつい目が行く"占いのコーナー"にしか注意も向かない。だから。身支度をして手早く朝食をとり、荷物の確認をザッとして。そんなこんなしているうち、こちらもお元気に迎えに来た雷門太郎くんの声を聞いて、勢いよくお家を飛び出してゆく…というのが毎朝のことだったから。テレビはおろか、新聞だって見ないで一日が始まるそんな自分が、いかに情報が遅い人間なのかを、期せずして思い知ることになった一大事でもあったのだ。



 「…っていやあ、ジャリプロだろ?」
 「事務所一緒だっけ?」
 「違うって。繚香ちゃんは"オレンジキャビン"から独立したばっか。」
 「そっか。でもサ、何かカラーが似てるしさ。」
 「天然系清純派だもんね。」
 「やめてよねっ。一緒にしないで。」
 「そうよっ。」
 「こっちこそ願い下げだってんだっ。」
 「そうだ、そうだ。あんなヘラヘラした野郎。」
 「言ったわねぇ〜っ!」


 まずは。さわさわと何やら騒がしい校内だと気がついた。もうすぐ10月、衣替え。とはいえ…まだ夏服の、白いシャツの色が目立つ校内や校庭のあちこちにて、全員が棘々しいばかりではないのだけれど、それでも。何だか、同じ話題にこそこそと沸いているみたいだなっていうのは感じられて。
"ジャリプロっていったら…。"
 知り合いの桜庭春人が、確かそこの看板タレントだったよなと。そのくらいしか今の芸能界って分かんないやって、いかに自分がアメフト馬鹿になっているのかへ苦笑したセナだったのだが。今回の騒動へはそれで十分だったと判明したのが、部室で対戦チームの戦力解析ビデオを検分していた時のこと。
"…えっと。"
 フィールダーである部員たちは、雷門キャプテンが率いてグラウンドでのシフト練習中。その間にと、部室で一年生の次期主務候補やマネージャーたちがあちこちのチームの練習試合を取材して来たビデオを、一つ一つ確認していたセナであったのだが、
「よく撮れてるよ。フォーメイションと主力選手の動きの他に、新人の注目のプレイまで収めてるなんて凄い。」
 今時はテープカセットではなくDVDディスクが媒体なハンディビデオ。それで収録して来た何枚かの資料ビデオを確認し、
「じゃあ、明日のミーティングでは、この2本を観るようにってキャプテンに言っておくからね。何かデータとかを加工して足すんなら、コピーしてだよ? 原本は残しておいてね?」
 次の相手と、その次の準決勝に恐らく勝ち進んで来るだろう強豪と。練習の様子と交流試合の模様の映像をきちんと収めて来た後輩くんたちに、穏やかそうな笑顔を向ける小早川先輩は、小さな努力や工夫をしている子によく気がついてくれる、優しくて懐ろの深いところが体育会系には珍しい人で。緻密で計算に強い人とは一味違う、そんな繊細なところが慕われている、ある意味"変わり種"の主務さんである。
「そろそろ筋力トレーニングと計測を始める頃だね。」
 壁際にはスロットマシンが並ぶ、一見どこぞのカジノバーのような内装と設備の部室内。それらが浮かび上がるよに ぱちぱちっと照明を灯しかかったタイミングへ、
「おい、糞チビ。」
 ガラリと表からの扉が開いて。まだ明るい外からの光を背に負った人物が、すらりと引き締まった肢体を逆シルエットにして戸口に立っている。
「…蛭魔さん?」
 脱色した金色の髪をぴんぴんに逆立てて、耳朶には幾つものピアス。眼光鋭く、口利きはもっと鋭くて。不機嫌そうな無表情か、攻撃的、且つ、威嚇的で不敵な笑顔、時にキレれば悪鬼の如く、冷たく恐ろしい形相になりもして。一体どこで情報を集めているのだか、細密なデータがてんこ盛りの、恐怖の『脅迫手帳』を開けば、震え上がらない生徒はいないという。どこを取っても"悪魔のような"先輩であり、このアメフト部の前主将でもあった人。現在の部員たちにもその恐ろしさは十分伝わっているらしく、室内にいた数人の執務系部員たちなぞは姿を見ただけで"あわあわ"と浮足立って見せたのだが、
「これ。まだ早いかも知れんが、神奈川と北海道、強豪をピックアップしたディスクだから。」
 ひゅんと投げられたのは1枚のケース入りディスク。相変わらずの絶妙なコントロールにて放って寄越して、セナが受け止めたのを見届けると。
「じゃあな。」
 ただそれだけの用事だったらしく、あっさりと背中を向けて立ち去った。その途端に、
「はぁあ〜〜〜。」
 後輩さんたちが一気に緊張を解いて、テーブル代わりのルーレット台へと顔やら上体やらを"へちょ〜〜っ"と伏せさせる。気持ちは判るけど、
「そんなに怖いかな。」
「怖いなんてもんじゃないですよ。」
 一年生のみならず二年三年と、怖がらない、警戒しない者はない人なのに。口々にそうと言い、平気だなんて、大人しそうに見えても先輩は違いますよねぇと、褒めているやらいないやら、微妙な言いようをされたセナが苦笑する。セナにしてみても、全然怖くないという訳ではない。突然何を思いつくやら、全く行動の読めない人で。それへの脅威は今だって抜けない。でも、本人の気性というのか人性というのか。本質は随分と優しい、暖かな人だと知っているから。
"…でも何か。元気なかったみたいだな。"
 気のせいだろうか、少しだけ。覇気が無かったようにも見えたけれど。逆光になってたし、言葉少なだったから、そう見えたってだけかしらん。受け取ったディスクをしばし見やっていたものの、ハッと我に返った主務さんは、
「さあ、トレーニングルームの準備と、計測用の備品を出す。」
「あ、はい。」
 後輩さんたちに"さあさ、お仕事"と声を掛けた。今日はこっちの仕事があったから、アイシールド21として練習には加われなかったな、ラストのランニングにだけこのまま加わって"上がり"にしとこう。そんなこんな考えながら、ビデオを観ていたプロジェクターが点けっ放しだったことに気づいて、
"おっと。"
 リモコンへ伸ばした手。触った途端に何かボタンを押してしまったらしくって、外部入力表示だった画面がどこぞのテレビ番組の映像に切り替わる。室内の照明を点けてしまったので画面は白々と霞んで見えにくかったが、

  【…ということで。
   今日も今日とて、桜庭くんのコメントは取れずに終わったようですが。】

   ――― え?

 丁度、お昼下がりから夕方にかけてのワイドショーの時間帯。奥様向けのプログラムなせいか、当然のように芸能関係の、それも熱愛だの不倫だの、女性週刊誌ネタが多い頃合い。そんな番組自体をあまり観ないセナだったから尚のこと、知人である"桜庭"というフレーズがアナウンサーの声に乗ってスピーカーから飛び出したことへ、少なからずドキッとした。
"ああ、まだ慣れないなぁ。"
 行く先々にて女の子たちが付きまとう、人気絶頂のアイドルタレント。モデル出身の抜群のスタイルと長身と、爽やかな笑顔、朗らかな気性が、ドラマやバラエティ番組でウケまくり、殊にドラマでは彼が出たというだけで視聴率が稼げる"ドル箱タレント"でもあるのだとかで。だがだが、セナにしてみれば、直接に接することも多く、自然なこととしてそこいらで逢っているお友達。確かに、二枚目でカッコいい人だと思うけど、それよりも。優しくて、よく気がついて、時々一緒に居る時は…気の利かない進さんのフォローとかしてくれてるほど、向こうからもこちらを重々把握してもらっている相手だから。こんな風にモニター越しに"芸能人"として扱われている彼の話題に接すると、別な人の話みたいに思えてしまう。そんなこんなと思っていたらば、
「ああ、これってアレでしょ?」
 後輩さんの一人が、テーブルに散らかしていた資料のファイルを重ねながら、画面に目をやってそんな声を掛けて来た。
「…アレ?」
「ええ。桜庭春人と繚香の熱愛騒動。」
 どうして"芸能人とスポーツ選手"は呼び捨てにされるんでしょうかね。セナにしても、お友達でしかも年上の桜庭だから、この彼が呼び捨てにしたのへは少なからずドキリとしたが、
"そかそか、それで当たり前な感覚なんだな。"
 自分だって他の俳優やアイドルタレントを呼び捨てにしている。それを思い出して、何とか落ち着き、
「熱愛って?」
 あらためて訊いてみた。すると、後輩さんは束ねた書類をとんとんと揃えて、
「今、凄い話題になってんですよね。」
 俺もそんなにゲーノーには関心はないんすけど、ワイドショーとかでは必ず触れてますしね、発端は週刊誌のスクープ記事だったのかな。そんな風に話してくれて、
「先輩らしいっすね。」
 今の今まで、まるきり知らなかったなんて。そう言ってにっこり笑い、きちんと重ねたファイルを棚に収めると、それじゃあ筋トレ室に行って来ますと。他の後輩さんたちと一緒に部室から出て行った。

  "…そんなに有名になってる話なのか?"

 さっきの蛭魔の…ちょっと気になった態度を思い出し、再び、プロジェクターのスクリーンの方を見やったセナである。






            ◇



 今更ながら調べたところ、何の前触れもなく突然持ち上がり、世間を大々的に揺るがせてしまっているのが、人気急上昇中の若手アイドル・桜庭春人と、癒し系グラビアアイドル・繚香との熱愛報道。今や日本中の妙齢のご婦人たちの間での知名度を NO.1のそれとし、出る番組がことごとく高視聴率を稼いでしまう、とんでもない人気タレントさんと。デビューしてまだ間がないです、でも、一生懸命頑張りますという印象がストレートに伝わって来るよな、制服姿の清純なイメージでじわじわと人気が出つつあった、繚香ちゃんという女子高生モデルさんと。所属事務所も違えば、キャリアも違う。活躍している畑もファン層も重ならない、今のところは全く接点などない二人だったのだが、それが…一体どうしたことやら。先週の末、とある写真週刊誌に一枚のスクープ写真が掲載された。宵の街角やどこやらの公園にて。仲睦まじく並んで歩いている桜庭くんと繚香ちゃんの様子の隠し撮り。手をつないだり、肩を抱いたり、腰に手を回したりと、すっかり"恋人同士"という親密な様相であり、どんな腕のいいカメラマンが撮ったやら、カメラ目線でこそないものの、はっきりくっきり彼らであると分かる、なかなか上等な激写もの。大学受験を理由に仕事の量を少なくし、露出を減らしたことで逆にラブコールが高まっていた桜庭だっただけに、このスクープは近来稀に見るほどセンセーショナルなものとして、あっと言う間に全国津々浦々へと広まってしまったのだそうな。
【事務所でも休暇中の桜庭くんの動向は把握し切ってなかったみたいですね。】
 この騒動が囁かれ出してからは学校にも足を向けていない桜庭くんであるようですしと、モザイクがかかっていても判る人にはよく判る、あの壮麗な王城高校の写真が画面には映し出されていて。

  【…では次に、○○区駐車ビル殺人事件の続報です。………。】

 普通のニュースはともかく、ワイドショーでは殺人事件をトップから引き摺り降ろすほどの勢いで、連日報じられている始末。
『俺の繚香ちゃんをっ』
と嘆く者、
『アタシの桜庭くんをっ』
と騒ぐ者も多数いて、
"ああ、それで…。"
 何となく校内のあちこちで棘々しい空気が張り詰めていた、その気配。本来ならばセナには直接には関係ない話題であり、届きもしなかった筈が…妙に身に迫って感じられたのは、彼らの声のところどころへ"桜庭"という、自分には耳慣れたお名前が挟まっていたからなのだろう。

 "………でも、さ。"

 繚香という子の方は、グラビア界でこそ話題になりつつあった人物ではあったらしいが、新人もいいところだったので。これまでのところ、芸能記者にでさえ、名前も顔もさして知られてはいなかったらしく、彼女、もしくは彼女のスタッフによる"宣伝行為"ではないかと、まずは勘ぐる者も多数いたのだが。日を追うごとに取材攻勢が激しくなった彼女の住まうマンションまで、選りにも選って…桜庭本人が訪ねて行って、窮地にあった姫君を救い出しに来た王子様よろしく、いやに鮮やかに彼女を連れて逃走したから、ますます話題的にはヒートアップ。そんなド派手な騒ぎがあったのが一昨日の話で。その後も…マスコミ対策か、妙に物々しい警備陣で周囲を固めての移動をする彼女に付きっ切りな彼だと来たから、話題はなかなか熱を鎮めない様子。

  "でも………。"

 この特ダネの詳細を遅ればせながら確認したセナには…世間様とは別な意味でギョッとした一大事。だって…、
"蛭魔さん…?"
 確か確か、桜庭春人といえば。当然のことながら内緒の話ではあるが…蛭魔と親しい仲だったのではなかったか? 誰にも別け隔てなく素っ気なく、鋭利なイメージも冴え冴えと、脅迫手帳を片手に人々を自在に屈服させる手腕も恐ろしく、悪魔のようなあいつ…と、一昔前のドラマのタイトルみたいな呼ばれようをしている、末恐ろしい高校生。そんな蛭魔に、どういう訳だかそれは親しげに懐いていた桜庭であり、しかも。蛭魔の側からも…まんざらではなさそうというのか、表向き、煙たそうな鬱陶しそうな顔を向けつつも、時々は。どこか和んだ、やさしい顔を見せてもいたのに。メールのやり取りもしているみたいだし、あのお家にも運んでいる桜庭だと聞いていたのに。だのに………?



   "蛭魔さん…。"






to be continued.(03.9.8.〜)


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 *さあ、変てこなお話がまた始まってしまいましたvv
  ちょびっとショックな"ゲンさん事件"があったんで、
  既に書き始めてたこれ、もしかして ぽしゃるのかしらと、
  震え上がったのはここだけの話です。
(笑)
  まだ余談を許さない本誌でございますが、
  こっちはこっちで見切り発車しちゃいます。
  大きく外してしまっていてたら、
  それこそ"捏造架空"のおバカな話と解釈して下さいまし。
(ぐすんぐすん)