風色疾風スキャンダル A
 

 
          




  ――― 人気急上昇中の若手アイドル・桜庭春人と、
      癒し系グラビアアイドル・繚香との極秘熱愛報道。


 久々の話題性とインパクトに縁取られ、先週から大々的に世間様を駆け巡っていたという突発的大ニュース。とっても身近な人が渦中にいるのに、瀬那がそれへと気づいたのがこうまで遅れたのは、単にワイドショー系の話題に関心が薄かったからというだけではない。まず、当事者の桜庭春人と幼なじみである進清十郎が、今日の今日までセナに何にも語ってくれなかったから。毎日のようにメールをやり取りし、2、3日に一度は逢ってもいるのに。
『今日はこんなことがあったんですよ』
 セナの持ち出す他愛のない話、全部きちんと聞いてくれる彼だのに。先週末からこっちの騒動ということは、その間、既に数回逢っていて。なのに…これが話題に上ったことは一度もなかった。態度だって何ら変わるところはなくて、それで全く気がつかなかったのだ…とはいうものの。
"でも…進さんは、こういうこと言い触らしたり取り沙汰するような人じゃないし。"
 たとえセナが"何で話してくれなかったのか"と訊いたところで、それこそ、
『訊かれなかったから話さなかっただけだ。』
 単調な声でそんな風に応じて来そうな人だから、いかにも彼らしい"何も言わない"という対処を取ったまでなのだろうと、そちらは判る。むしろ、こういうことにはセナ以上に不慣れな人だから、彼もまた呆気に取られているのかも。実直にして融通が利かず、ついでに言えば要領が悪い人だから、こんな微妙な状況へどうやって棹を差せば良いのやらと、実のところ、困惑し切っているのかもしれない。
"それよりも…。"
 セナにしてみれば、もう一人の…ある意味で"渦中の人"蛭魔妖一が、問題の数日を何の変化も見せないままに、彼なりの超自然体にて振る舞っていたことの方が、妙に…気になってしようがない。

  『お待たせ〜vv
  『…お前ね。』

 一体どういう切っ掛けがあってのことなのか、そして何でまた…ああまで素っ気ない人に果敢にも懐いている桜庭だったのか。双方をそれなりに知っているセナにもまだ、その接点に関しては…何とも理解しきれない部分が沢山あるにはあるのだけれど。それはそれこそ"恋の不思議"とか"恋の不条理"とかいうやつで。本人たちにしか判らない、何かしら…心の琴線へビビットに触れたものがあってのことに違いなく。そしてそれは、桜庭の側からだけの一方通行的なものではなくって。

  『奴と一緒してる野郎からメールがあったんだよ。』
  『判ったから…何でも食べに行こうじゃねぇかよ。』

 あの蛭魔の側からも。慣れないからか、それとも照れ臭くてか、無愛想極まりない形でありながらも、ちゃんと向かい合っての気持ちが差し伸べられていた筈なのに。
"こんなこと、部外者のボクが口出しして良いことじゃないのかも知れないけれど。"
 でも。何でだか、気になって仕方がない。何でなのかが、うまく言えない、形にならないのが自分でも焦れったく。理論武装はお任せというタイプの先輩さんに、そんな中途半端な心持ちにて立ち向かっても返り討ちに遭うだけではなかろうかと思いつつ、それでも…何かしら、彼にすがりつかねば居られないような気がしたセナである。そして………。






            ◇



  「そんなもん、俺が知るかよ。」


 当人からの開口一番のお返事は、やはり。一際つれない一言だった。部活の方は…こんな時期ではあったけれど、今日はグラウンドも野球部が優先的に使う日で、よって基礎トレ&ミーティングとする予定でもあったしということで、主将を拝み倒してお休みさせてもらって。それからそれから。住宅街の方へさっさと帰ろうとしていた蛭魔に追いつき、辺りに人通りがないことを一応確かめてから訊いたのが。

  『桜庭さん、どうしちゃったんですか?』

 そんな聞き方が悪かったのだろうか。確かに"知るか"なことかも知れないが、でも、ちらって眉が動いたから、意味は通じてない訳ではないと思う。桜庭が置かれている状況とか…熱愛だなんて囁かれている交際説へ、蛭魔の見解を訊いているセナだということ。でもでも、

   誤解だとか何だとか、何か聞いていませんか? でもないし、
   あんな風で良いんですか? も、ちょっと違うし。

   ――― あの人に奪
られても構わないんですか?

 これも何だか…微妙に違うような。
"う〜〜〜、何て訊けば良いんだろう。"
 いまだに弱腰なので、つい。ずばりそのもの…の周囲をぐるぐる回って、曖昧な言いようをしちゃうクセが、なかなか抜けないセナではあるけれど。今回の場合はそういうんじゃない。はっきり言って、不思議と怖じけてはいない。この蛭魔を相手にこうまで構えられるようになったとは。昨日、後輩さんに凄いと感心されたみたいに、なかなかの成長ぶりなのか、それとも。何とかしなくちゃという想いが妙に強く働いていて、ちょいと舞い上がってしまっているのかも。そして…気持ちばかりが先走り、一体"何を""どう"何とかしなくちゃとすれば良いのか、具体的に立ち上がっていなかった自分に今頃になって気がついていたりする。
「あの、だから…。」
 一旦は歩みを止めて向かい合ってくれた蛭魔だったが、こちらが しどもどし出すと、肩を下げるほど分かりやすい溜息を洩らしつつ再び歩き始める。部活から離れたその証しのような、ぺたんこの学生鞄を肩口にかつぎ上げ、もう一方の手ではメールでも打っているのか携帯を操作中。セナの存在は置き去りにするつもりらしく見えたのだが、
「あ…。」
 慌ててぱたぱた、後から追って来る彼を、怒鳴ったり脅したりして追いやろうとはしないでいる辺り、
「………。」
 黙して語らずの構えに切り替えたのだろうか。とはいえ、こちらからにしても…そうそう声を張って聞けることでなし。何をどう訊いたものかが曖昧なセナとしては、
"う〜〜〜。"
 後を追いつつ、ただ やきもきする外
ほかはない状態。時折、どこからか子供たちが何か言い合う声が聞こえるが、二人が前後に並んで進む この道には人通りはなく。少し遠い大通りを行くのだろう車の走行音や、スクーターが走りだす音が思い出したようなタイミングでちらほらと届くだけ。これから天候が崩れるのか、弱くなった陽射しの下、まだ微かに夏の匂いがする温気うんきが、風のない昼下がりの空間に立ち込めている。何を話しかければ良いやらと、ぐるぐるしながら見やった先輩さんの背中。
"………。"
 夏服の白いシャツに包まれた背中も、腰の位置が随分と高い、長い脚も。アメフト用の防具をつけていないと随分と、
"………細いんだ。"
 ということに、今、気がついた。ずっとずっと見て来た背中なのに。試合で、練習で、ポジションの関係からいつもセナの前に立っていた蛭魔なのに。彼をばかり見ていた訳ではないからか、それとも。ゲーム中のみならず、防具のない練習中であっても。それなりの大きさ強さの、そして自分と同じ温度の"気魄"が彼から放たれていたからか。どんな展開にあっても、頼もしいとばかり思っていたのだが、
"こんな細いのに…。"
 体格だけではない。繊細で端正な面差しは、キレて怒ればその鋭利さに尚の険が増し、凄みのある、それは峻烈な迫力を帯び。彼の素性をよく知らない、初見の者にさえ、ただならぬ人物である威容を伝えるほどなのに…打って変わって。何かしら軽く企んで笑ったならば、いかにもやんちゃな悪戯っぽい顔になる人でもあって。そんな風に案外と表情豊かな彼であると同時、何事かに集中没頭して無心になっている横顔は、塑像のように静謐にして端麗。そしてそして、滅多にないことながら、素直に静かに微笑んだなら、数多の貴婦人たちが裸足で逃げ出すほど、透き通った美麗さをまとった佳人の顔となる青年なのだ。そして…そんな彼を掴まえて、

  『あ、でも。
   僕は、不意を突かれてキョトンとしてたり、
   呆気に取られてるポカンとした顔も好きだな。』

 ちょっと間が抜けてるトコが何か可愛くてサ、と。彼らの事情を知っている数少ない"理解者"だからと、そんな大胆なことを自分へ惚気てくれた桜庭ではなかったか? そんなこんなを思い出し、やっぱり気が収まらないままに歩みを進めていたところ、

  「他人のことなんか どうだって良いんだよ。」

 不意に単調な声がした。さっきセナが訊いたところの、

  『桜庭さん、どうしちゃったんですか?』

 これへの蛭魔なりの、もっと噛み砕いた答えだということだろうか。投げつけるようでもなく、吐き捨てるようでもなく。そうかと言って、悲しげでも寂しげでもない、あえて言えば棒読みのような言いようであり。感情が乗っていない分、本当に"どうでも良いこと"への感慨にも聞こえたが、

  「そんなの嘘です。」

 セナはすかさず、言い切った。すると、
「?」
 整髪料でつんつんに立たせた蛭魔の金髪が微かに動いた。立ち止まった訳ではないが。振り向きかけたか、それとも顔を上げたか。そんなくらいの小さな動きではあったけれど、意表を突かれたという感が確かにあって。そこへと、
「蛭魔さん、ホントはやさしい人だもの。」
 セナは思ったままをつれない背中へとぶつけ続けた。
「何の話だよ。」
「もう引退したのに、部に居残ってくれてるじゃないですか。」

   ――― 勝ちてえのか? 進に。

 ぎりぎり粘ってとうとう勝算がなくなった試合。そんな値打ちのないもんに、いつまでも関わってられるかなんて言いながら。進に勝ちたいと言い出したセナの心情を酌んで、大量点差のあった試合、最後まで司令塔を務めてくれたような人。今だって、もう試合には出られないのに、情報集めや後輩たちの指導に力を尽くしてくれているではないかと、そうと言いたいセナだったが、
「ありゃあ、自分のトレーニングを兼ねてのことだ。」
 鼻先で笑って、
「それに、お前が聞きたいらしいことと次元が違い過ぎるぜ。一緒にしてどうするよ。」
「…っ。」
 鮮やかなまでの作戦を繰り出せる司令塔にして、学生としても全国屈指の優等生。そんな範囲で語られるような、単なる"聡明"で収まる人ではなく、この人の口先三寸…所謂"ディベート"には、そう簡単に勝てる筈がないことを思い出す。他でもない、自分があの"アイシールド21"であることを、正式な大会でさえ ずっと隠し通せて来れたのも、この彼が 手を変え品を変え、協会関係者たちへの素性説明に誤魔化しを並べ立て、その一方で…試合中は不在になるセナの"アリバイ"をやはりあの手この手で糊塗してくれたからなのだし。その他、様々な場面場面でそれは見事な知略を張って来た人だということも、実地の肌身で良く良く知ってはいる。
「いい子だから、秋季大会に集中しな。」
 どうあっても取り合ってくれない彼だったが、それでも、食い下がらずには…言わずにおれない。だって、

  「だって、蛭魔さん、元気ないじゃないですかっ。」

 陽射しが秋めいて来たからだとか、フィールドに立たなくなったからだとか。ましてやセナの"気のせい"なんかじゃあない。ついさっき、まだ追いつかなかったその間、見えてはいたが遠かったその背中が随分と力なく見えた。パス・コントロールが命のクォーターバックで手が大切だったからか、いつだって口より先に足が出た人が、何でもなさそうなことへでも、腹に据えかねればマシンガンやバズーカ砲がどこからともなく飛び出した人が。こんなにも執拗に喰い下がっているセナに、ウザイと一喝、怒鳴りもしない。
「………。」
 ほら、今だって。声高に怒鳴りつけることもなく、肩越しに振り返って睨みつけるでもなく、ただただ…彼にしてはゆっくりと歩き続けているだけだ。例えば まもりとの間に絶えなかった口喧嘩のように、相手が正しい言い分をかざしても"それがどうした"と堂々と開き直っていたような蛭魔なのに。相手がセナであるのなら、アメフトに関わらないこんな話題、こちらの都合や心情なんぞ知ったことかと、大概はぎろりと睨んで終しまいという"問答無用"で押し通していた筈なのに。
「あ…。」
 ふっと。小径の真ん中で曲がった彼が入っていった敷地に気がついて顔を上げると、小さな駐車場くらいのエントランス・スペースが開けたその奥に、5階建ての…小さいが瀟洒な作りの小じゃれたマンションがある。
「此処って…。」
「日頃、寝起きしてる家だよ。」
 少し先、玄関ホールへの短い石段を上り掛けていた蛭魔が、こちらを振り返ってそうと声を掛けて来た。
「此処の方が使い勝手が良いからな。」
 そのままそこに立ち止まり、くいっと顎をしゃくって見せた。ここまで来てしまったものは仕方がない、きっちり話をつけようじゃないかと…そういう意味からの"ついて来い"という仕草だろうか。
「………。」
 手に提げたスポーツバッグの提げ手を掴み直して。セナは意を決すると、ぱたぱたと足早になり、蛭魔の傍らまでの距離を詰めたのだった。





            ◇



 今時のものにしては階数が低いだけでなく、部屋の数も何だか少ないマンションで。どうやらフラットごとの占有面積がかなり広い代物であるらしい。その最上階のエレベーターホール脇の部屋が蛭魔の住居であるらしく。
「…ん?」
 鍵を開けてドアを引くと、防犯用のバーがガツンとかかっている。これは…中に誰かが居るということではなかろうか。しかも、
「…ど、どちら様ですか?」
 玄関先まで出て来たらしき女の子の声が中からしたから、
"???"
 無言のままな蛭魔の背中の後ろ、何事だろうかとセナが小首を傾げてしまう。だが、

  「繚香ちゃん、ダメだよ。部屋にいないと。」

 続いた声には聞き覚えがあって、
"あ…。"
 弾かれたように顔を上げたと同時、
「おい、ジャリプロ。」
 蛭魔が低い声を掛けている。すると、
「あ、ごめん。妖一だったのか。」
 がちゃんと一旦ドアが閉じられ、今度は大きく外へと開かれる。
「ごめんね、一時的な足場にさせてもらってた。」
「こんなとこでまでマスコミに追われてんのか?」
 呆れたように笑った蛭魔のその向こう。相変わらずの上背を誇る青年の姿がセナにも見えて、
「あ…。」
 あまりの不意打ちに固まりかかったところへ、蛭魔が肩越しに背後を振り返り、軽く顎をしゃくってセナに続くようにという仕草。中にいた人は慣れた様子でさっさと先に引っ込んでいて、その代わり、
"うわぁ…。"
 入ってみると、マンションとは思えない眺望がいきなり広がる。そこは…単なるセカンドハウス風のワンルームなどではない、小人数の家族向けらしき3DKのフラットで。外国仕様なのか、部屋ではない玄関やらリビング、廊下までもが広々としていて明るく、天井も ずんと高い。しかも、きちんと片付いているのがまた意外。物が何もなくて片付いているのではなく、若い青年の一人暮らしに要りような一通りの家具だの電化製品だのが揃った上で整頓がなされていて、埃や汚れや、換気の要りそうな匂いもない。
"…そうだった。蛭魔さんの実家って。"
 日頃、そんなお育ちであるような素振り・言動を微塵も見せない先輩さんなものだから、いつもついつい忘れてしまうのだが。彼の本宅…実家はあの公民館のような大邸宅。だからと言って、必ずしも…息子の独立先がこんな豪奢なセカンドハウスでなきゃならないということはないのだが、あれを思い出せばこちらの豪勢さも釣り合うかなと…何とか自分を納得させたところへ、
「冷たいものでも どうぞ。」
 グラスを並べたトレイを手に、キッチンの方からあらためて出て来たのは、渦中の桜庭春人と…愛らしい少女の二人である。初めてお伺いした蛭魔の家にドキドキしている場合ではない。選りにも選って、例の騒動の当事者たちと鉢合わせしてしまったらしいと、勧められたソファーに居住まいを正して座り直したセナだったのだが、
「セナくん、久し振り。」
「え? あ・えっと、はい。」
 あのその、こんにちはと。あまりにあっけらかんとした声を掛けられたものだから、何だか気勢を削がれてしまい、
「この子は繚香ちゃん。可愛いでしょ?」
 紹介された少女が、小さく微笑んで会釈を見せたのへ、
「あ、えと…こんにちは。」
 慌ててご挨拶を返したほど、すっかりペースを崩されてしまった様子。思っていたよりも かなりのレベルで、状況に翻弄されているようで。そんな自分へも ぐるぐると困惑しちゃいそうになったセナだったものの、
"この子が…。"
 実を言うとセナもまた、繚香というお名前だけでは"どんな子だったか"を咄嗟には思い出せないほど、馴染みのない人だったのだが。間近に見ると、同世代の生身の子であると信じられないような、飛び切りの愛らしさをまとっているのがよく分かる。カメラや印刷の技術の何と遅れていることかと、そっちの畑の人達には失礼ながら、そうとまで思った。雑誌のつるつるしたページに刷られた写真、グラビアとは段違いな印象がある。そこいらの女の子とそう大差ないか、ちょっと可愛いかな…くらいの感覚でしか見てはいなかったが、これが"選ばれた人間"なのだなという際立ったものが、その"感覚"へと伝わってくる。透き通るような肌に、背中まで流れるさらさらな髪。ほっそりとした肢体はあまりに可憐で、繊細な面立ちには、軽やかながらも印象的な、深みのある表情が鮮やかに浮かぶ。存在感は重々あるのに、なんて言うのか…そう。生活臭がしない。ほっそりとした腕も脚も均等な筋肉のつき方をしていて、好きなスポーツに勝手が良いような偏った発達はしていないのだろうし、今さっき 名のある芸術家によって彫り込まれた大理石から抜け出したばかりのような なめらかな指先は、例えば鉛筆やシャープペンを握り続けてついた独特な爪の形だとか、そういう"身近な個性"は全く見受けられないでいる。テーマごとに何を着ても何を演じても良いようにと偏りを均されて、肌は言うに及ばず、指先や爪先、髪の先にまで神経の行き届いた手入れをし、尚且つ、それが基本の"標準"であるというレベル。モデルさんというのは優れた見栄えのする肢体そのもののみならず、この雰囲気や存在感もふくめた"姿態"もまた、価値のある立派な商品なのだなと、その肌で感じたセナである。そんな感慨に飲まれて、何だか呆然としている横で、
「つくづくと要領が悪い奴だな、お前。」
 蛭魔に容赦なく突っ込まれて、
「ボクもそう思うよ。」
 苦笑する桜庭であり。あんまりしつこい尾行が続くものだから、途中で立ち寄った店でこっそりと護衛の人たちと別れて、此処までをタクシーで乗りつけて。此処から別な車を乗り換えることにしたんだと、そんな段取りを語っている。身振りの合間に笑顔も存分に挟まった、何とも屈託のないやり取りではあるけれど。蛭魔もまた、繚香ちゃんにまで"大変だな"と声を掛けるほど、親しげに振る舞って見せているけれど。
"………。"
 袖にされても懲りないで、蛭魔へ甘えかかっていた桜庭を見慣れていたせいだろうか。何だかちょっとよそよそしいかもと思えたセナであり、

  『今、付き合ってる人が飼ってる子なんだよ。/////

 じゃあもう今は、キングの飼い主さんと"お付き合い"してはいないのかと。この際だから桜庭に直接訊いてみようかと、顔を上げかかったタイミング。誰のものだか、携帯の着メロが軽やかに鳴って、
「ああ、ごめん。」
 桜庭がポケットに手を突っ込む。スリムな携帯を掴み出し、
「はい。…あ、ええ。………そうですか。じゃあ、今から降ります。」
 手短なやり取りの後、
「車の用意が出来たって。」
 まずは繚香へ、そして、
「あ、またお部屋借りるかも。鍵、借りたままでゴメンね。」
 後半は蛭魔へと桜庭が言葉を掛けている。
「ああ、構わんさ。」
 やはりあっさりした会話を交わす彼らであり、妙に急いでバタバタと、玄関の方へ駆けてゆくのを、半ば呆気に取られたままに見送って。

  「見たろ? 奴は彼女とよろしくやってるんだ。」

 リビングまで戻って来た蛭魔から掛けられた声に、セナはやっと我に返った。
「でもっ。」
 確かに…彼の言う通りだったけれど、でも。少しずつ片鱗を拾い上げ、気配を察し。あれれと その輪郭に小首を傾げていたら、バレちゃったねと照れ笑いとともに真相を告げられた、そんな愛らしい間柄。それを…そうそういきなり"無かったこと"になんて、やっぱり出来なくて。
「〜〜〜〜〜。」
 やっぱり…具体的な言いようは見つからず。さりとて、こればっかりは言い負かされたくはないと、強い視線で睨み返してくる大きな瞳。それに対して…何をそんなに意固地
ムキになる必要があるのだと。大きな溜息を一つつくと、刳り貫きになっている戸口の枠に背中を預けるように凭れて、
「…あのな、チビ。」
 蛭魔はあらためての言葉を、強情な後輩さんへとかけてやる。
「俺と奴は、ただの知り合い同士ってだけなんだよ。お前と誰かさんがそうなのを冷やかしたり否定したりするつもりはないが、ささやかながら気持ちを通じ合わせてどうのこうのっていうような間柄じゃねぇんだ。」
 その表情も冷然としたまま。理路整然、きっちりと言い切った蛭魔だったが、だが、それでも。

  『あ、でも。
   僕は、不意を突かれてキョトンとしてたり、
   呆気に取られてるポカンとした顔も好きだな。』

 以前の。蛭魔のこと、それは嬉しそうに…幸せそうに語っていた桜庭を思い出すと、そんなことはないという強烈な否定しか、セナの心には浮かんでは来なくって。
「奴は芸能人なんだぜ? どんなに愛想がよくても、人気商売だからやってることだ。話半分に見てなきゃいけねぇんだよ。」
 こうまで言い出した蛭魔には、
「桜庭さんはそんな人じゃありませんっ。」
 つい、大きな声で言い返してしまったが、
「現に。女連れだったぞ?」
「う…っ。」
 すかさず理詰めで切り返された。どうあっても聞き入れてはくれない彼であり、
「彌明後日(しあさって)には また試合があるんだぞ? 判ってんのか? お前。」
 戸口から身を起こし、ソファーの傍らまで歩み寄って来る。
「俺や栗田が居なくなって。自分たちなりのフォーメイションなり呼吸なり、組み立て直してる真っ最中な筈だろうに、こんなとこで何してんだよ、お前。」
 低い声で言い放ち、そのまま…長い指、いきなり伸ばして来て。…セナの前髪を思い切り、力任せに掴み上げた蛭魔である。
「痛っ!」
 突然の痛さに吊り上げられるように立ち上がったセナの、今度は肩口をどんと押し、ソファーの上へ突き飛ばす。
「俺のことなんざどうでも良いから、とっとと帰んな。」
「あ…。」
 噛みつくような凄みをもって、更なる宣告を受けたものの、
「〜〜〜っ。」
 それでも嫌だと、歯を食いしばり、言葉も出ぬまま かぶりを振って見せると………。





  「いい加減に、しとけよなっ。」

 こんなにも細い体の、どこにこうまで力があるやら。半ばずるずると引き摺るような格好ではあったものの…セナを何とか小脇に抱え、玄関まで引き摺って来たそのまま、ドアの向こうへ荷物ごと力づくで放り出す。
「わっ!」
 どんと突き飛ばされたセナだったが、こちらも広い廊下には絨毯が敷いてあったのでさしたる衝撃はなく。そんなことよりと慌てて振り返ると、
「蛭魔さんっ!」
 冷たく閉ざされた扉、咄嗟に手のひらで叩いて呼んだが、返ってくる声はない。そこへと掛けられた声があって。

  「…小早川?」

 え? と。耳に馴染みの良いお声だと聞き取りつつも、咄嗟のこと、誰なのかには辿り着けなくて。だって、今日は会う予定になってはいなかった人。蛭魔さんのことで頭が一杯になっていたから、昨夜はメールを送るのさえうっかりと忘れてしまった人。

  「進、さん?」

   どうして?
   自分だって"此処"へは今日初めて来たのに?
   どうして此処が分かったの?
   どうして此処にボクがいるって分かったの?

 沢山の"どうして"が一杯になって。頭の中、占拠してる。そこへと告げられたのが、
「蛭魔がメールで…。」
 メールを寄越されて呼ばれたと。進は、彼自身も何が何やら状況が判らないまま、自分のこと、驚いて見つめやるセナを…今にもそのまま倒れるのではなかろうかと危ぶむように覗き込む。

   ――― めーる?

 そういえば、此処への道々、どこへかメールを打っていた蛭魔ではなかったか?
「あ…。」
 何でも容易く"操れる"人。彼にとっての自分たちは、こんな形であっさりいなせる、手も触れずに簡単に遠ざけることが可能な、彼とは到底"対等"ではない人間なのだろうか。
"…蛭魔さん?"
 すとんと。彼との間に重たい扉が、突然、音も無く落ちて来たみたいな、そんな気がして…。ほんのついさっき見ていた筈の蛭魔のお顔、どんな表情を浮かべていたのか、思い出せなくなっているセナであった。








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 *な、なんだか鬱陶しい展開になってまいりましたです。
  せっかくの連休に、どうも済みませんことです。
  一体何があった彼らなのか、
  どうかもうちっと、お付き合い下さいますように。