小春日和 U
 


        



 秋も深まったなと、ふと思う時。もう夕刻だなという意識をしたらもう、あっと言う間に陽の落ちるその素早さ。昼間はまだ何とか陽射しも暖かだったのに、朝晩は ともすれば、薄ら寒いほどのつんとした空気に満ちていて。草むらに寄ればコオロギや鈴虫の声が涼しげに聞こえていた筈が、それさえもどこかに立ち消えて。周りの風景たちが何だか素っ気ないオレンジ色に照り映える黄昏時や、夜も更けて一人になった静謐
しじまの中、気がつけば…灯火の温かさの中に人恋しさを覚えて、無性に誰かに逢いたくなる。愛しい誰かの声を聞きたくなる。
"こんなに明るい昼間にも実感しちゃうなんてね。"
 頭上に振り仰いだ空の色。夏場のような濃色は欠片もなく、絹綿を梳いたような雲を高みに浮かべて、それはクリアに澄んだ青が高く高くどこまでもどこまでも見通せて。ああこれが"天が高い"ということなんだなと、今更ながらに体感する。
"去年までは何かと忙しかったからな…。"
 秋なんていう良い季節にこんなにのんびり出来るのも、思えば久々なことだ。少年モデル時代は、季節毎に"次のシーズン"の衣料や雑貨、キャンペーン向けの撮影が沢山あって。季節感なんて、一体どこの世界の話やらという感じだったし。高校に上がれば上がったで、アメフトの秋季大会がすぐさま始まり、学業と仕事プラスそっちに夢中で、とてもではないが"秋の風情"どころではなかったと思う。そういった生活も、今は受験を前に小休止状態。後輩たちの奮闘を横目に見つつ、大学受験のためのお勉強に集中…している身の筈なのだが、どういう加減か。週末の昼下がり、閑静な住宅街の中、手入れの行き届いた街路をのんびりと歩んでいたりする、桜庭春人くんだったりするのである。
"…去年まで、か。"
 目まぐるしいとはこういうことかと実感するほど、それはそれは忙しくて大変だったのに。不思議とね、仕事は元よりアメフトの方も、切り捨てようとは一度も思わなかった。自分なんかっていうコンプレックスをどうしても感じてしまうよな、名実ともに全国レベルのエース・プレイヤーが間近にいて、練習の苛酷さだけでなく精神的にもプレッシャーは大きかった筈なのに。どんなに苦しくてもどんなに辛くても、辞めようとは思えなかった、それはそれは大事なこと。受験を前に それらからふっと解放された当初はね、正直な話、身の置きどころに困っちゃったほどだったのに。
"………。"
 ハロウィン目前の、10月の末。来週からは全国大会の1回戦がいよいよ始まる11月に入る。とはいえ、まずは関西大会が先にスタートするらしく、彼の在籍校である王城ホワイトナイツや、こちらも気に留めておきたいチームである、秋季都大会1位の泥門デビルバッツが登場する"関東大会"の方は、翌週の9日からなので。頼もしき後輩さんたちも、意気軒高なれど調整状態、まだまだスタートまでには間があるものだから、応援する側も小休止のアイドリング状態中。それで…という訳でもないのだが、今日は本宅である"こちら"に戻っているからというメールを受けて、とある人物に逢いに…と。住宅街の中をのんびり歩んでいるという次第。


   ――― 回りくどさが白々しいですかね。
(笑)


 引っ張りだこの芸能活動の方まで"お休み状態"にしての受験体制…を取ったことにしているものの、これで案外とまずまずの席次をキープして来た彼でもあって。芸能活動やアメフトのせいで成績に響いたなんて思われたくはなかったから。例え"一夜漬け"とか点数だけを取るためだけの勉強であれ、全ての定期試験に対してきっちりこなして来たのは、彼ほどの忙しい高校生には奇跡なほどの頑張りよう。そして、そういう蓄積のお陰様で、出席日数はギリギリなれど、授業にもしっかりとついて来ている卒のなさだし、
"勉強自体は苦手じゃないもんね。"
 だからこそ、

  『しゃあねぇな。じゃあ、数学と化学だけで良きゃあ、見てやるよ。』

 なんていう嬉しいこと、彼から言ってもらえたのだし♪
"あれで実は、面倒見は良いんだよね。"
 ふと思い浮かべた愛しい人の、知的に冴えて端正美麗な面影に。ついつい"くふふvv"と口許からこぼれるのは、何とも幸せそうな甘ぁ〜い微笑み。もともと優しげな印象の甘いマスクで売っているとはいえ、今のそのお顔を彼のファンたちが見たならば、
『こんな笑い方もするなんて ちょっと酷い』
 …なぞとショックを受ける子たちが続出かもしれないほどの緩みよう。そう。今日の桜庭くんは、恋しい愛しいあの人のお家まで、お勉強をしにと向かっていたりするのである。

  "♪♪♪"

 ……………桜庭くん。スキップはやめなさい、スキップは。






 やがて辿り着いたるは、それはそれはご立派な門口。自然石をごつんと置いたような、貫禄ある門柱に据えられたインターフォンに向かい合い、ぽちっとスイッチを押すと、
【はい。どちら様でしょうか。】
 耳に覚えのある折り目正しいお声が誰何するのへ、
「こんにちは、桜庭です。」
 心なしか居住まいを正してからのお返事をすると、
【いらっしゃいませ、桜庭様。ただ今、門をお開け致しますね。】
 いつものように執事さんの加藤さんの優しいお声が応対してくれて。一応はこの家の坊っちゃまへの来客だからと、まだ子供に過ぎないような相手へもわざわざ表まで出て来て下さるのが、何だか毎回心苦しい。
"自動で開閉出来るって言ってたのにな。"
 見上げたのはオートマチックの大きな門扉。防犯のため、家人が直接出なくても良いような、そういう機能は基本のものとして装備されているらしいというのに、手篤
てあついおもてなしの一環として、ちゃんと手づから構って下さる丁寧さよ。
"………。"
 お行儀よく待っていた桜庭だったが、ふと、
"……………?"
 何かが訝
おかしいなと、沈黙の中、気がついた。秋の小春日和に和んだムードの、静かな住宅街のど真ん中。この邸宅の敷地の大きさがそのまま人口密度を低める格好になり、ここいらが静かなのだという順番かも知れないのではあるが。それでも。この静寂はちょっとおかしいな、何かが足りてないよなと。気がついたとほぼ同時、
"あ………。"
 その"原因"が…見渡した庭の茂みの随分と向こうにて、お元気な声を上げているのが遠く聞こえて。風の音だの通りすがりのスクーターの走行音だの、意味をなさない ただの環境音としてではなく、意識して拾った"それ"がこちらの彼の耳にまで届いたとほぼ同時、
「すまんな。お出迎えが足らなくて。」
「…え? あっ!」
 そっちの方向、知らず知らず気を取られるままに見据えていたらしい桜庭に。玄関から出て来たらしきお出迎え、今日は何と当家の坊っちゃまが直々に出て来て下さってのお声がかけられて。ハッと我に返ったアイドルさんへ、
「キングはお前へと同じくらいに“奴”にも懐いているもんでな。」
 かすかに苦笑をして見せる。胸元の開いたVネックの黒いカットソーに濃色のスリムなパンツ。シンプル極まりないいで立ちが、きりりと無駄なく引き締まったスリムな姿態に相変わらず似合っているそんな彼の、分かりやすいほど穏やかな表情は…自分へ? それとも、先に来ていたもう一人の“誰か”を思い浮かべてのもの?
「…来てるんだ。」
「ああ。あちこち手を入れんといかん箇所があってな。普段からも定期的に直してもらってるんだが。今日は手が空いてたからって、下見に来たんだと。」
 桜庭からの短い訊きように、それは即妙に応じた蛭魔の口調は平生のものだったが、その穏やかさまで…根底にあるのだろう"親しさ加減"を何となく勘ぐってしまいそうになる。
"…ヤだな。こんなの。"
 蛭魔にしてみれば、仲のいい、気の合うお友達が来ているだけのこと。あいつにしたって、仕事のついでに仲のいい友達に会ってるってだけだろう。男らしくて気ざっぱりした、頼もしくって良い人だってちゃんと知ってる。誰も何にも悪くないのにね。強いて言えば、自分の心の…卑屈で疑り深くて我が儘な、独占欲で塗り潰されて真っ暗なところが陽の下に晒されて明からさまになったようで。状況よりも何よりも、そんな醜い自分が一番にイヤだ。
「ほら、入れや。」
 きぃっと。小さな音をさせ、大きな鉄扉を開いて身を譲る妖一さんだと気がついて、
「うん。お邪魔しま〜す。」
 殊更ご陽気に、にっこり笑って踏み出した春人くんであった。




            ◇



 暦の上で、だけでなく、しっかりすっかり秋に入ったというのに、庭に広がる緑の絨毯が眸に優しい。目の詰んだビロウドみたいに見える芝や、様々な緑をバランスよく配された茂みや木立ち。手入れのいい広大な庭園には沢山の緑が据えてあり、そのまま空気を浄化してくれているようで心地がいい。落葉樹は少ないのかと訊くと、坊っちゃまは けろりと答えてくれた。
「裏手の茶室の横にでっかいカエデがあるぜ。まだ全然 赤くなってないが。」
 あああ、そんなもんまであるんですか。
(苦笑) それはともかく。広々とした庭が望める居間に通された春人の視野の中、ポーチの向こうに開けた芝の上で、毛足の長い仔犬がじゃれつくのへ、少々手古摺っているような声音で、それでも根気よく相手になってやっている人物がいる。いかにも職人然とした、力仕事や何やで効率よくがっちり完成された頼もしい肢体に、
「ほら、いい加減にしな。お前の家を作ってやろうってんだろが。」
 渋くて響きの良い、それはそれは大人びた声。板やら木材やらと大工道具とが広げられている傍らにて、何やら作業中であるその人物の周りで そわそわと。遊んで遊んで♪と言わんばかりに、ふさふさ尻尾をパタパタと振りながら構って欲しがっている、お鼻の尖ったキツネ顔のシェルティくんは、キングという名前で当家の坊っちゃまの愛犬であり。コリーを小さくしたような、小柄な愛らしい容姿に重々見合っているほどに それはそれは人懐っこくて、来る人来る人へのお愛想を欠かさない子ではあるのだが…。

  「キ〜ン〜グ〜。」

 からりと開いた居間の窓辺から…少々恨めしげなお声をかけると、はたっとこっちに気がついて、顔を向け、
「………。」
 ううう? と小首を傾げて見せるポーズがまた、この野郎〜〜〜っと悔しくなるほど愛らしい。そのまま毛並みをなびかせながら、小さな足で軽やかに"たかたか"近づいて来て、
「くうぅ〜んvv
 忘れてなんかいないの、サクラバくんのことも好きなんだよ? 逢いに来てくれて嬉しいなぁ…vv そんな風な様子で、ぐりぐりとこちらのワークパンツの膝辺りに、頬擦りして見せる調子の良さよ。
"お水のお姉さんだったら、指名取りまくりだよな、こいつ。"
 思わず飼い主も呆れるほどの卒のなさであり、実際の話、二番目扱いされたからと少々機嫌が傾きかかっていた桜庭くんも、この愛らしい"すりすり攻撃"にあっては、
「こいつめぇ〜〜〜♪」
 すっかりと相好を崩してしまい、傍らへと屈み込んで、もしゃもしゃと嬉しそうに毛並みを撫でてやっているくらいだから………ある意味、末恐ろしい子なのかもしれない。
"まあ、良いんだけどよ。"
 一番立場がない"ご主人"である妖一が、こそりと肩をすくめて見せたのは、喧嘩腰のまま不貞腐れられるよりはマシだと思ったから。特に何という衝突があった訳でもなかろうに、この、誰へも気のいいアイドルさん、どういう相性なのだか、妖一の旧友であるこちらの職人さん…もとえ、一端
いっぱしの大工方である青年へ、何となくながら…いつもいつもそれは分かりやすい"敵対心"のような気配を示してくれるものだから。そういう機微には敏感な坊っちゃまとしては、面白いネタだと脅迫手帳に書き足して…じゃなくって。(笑) 一応、気に留めてはいるものの、
"こればっかりはな。"
 誰ぞが執り成したところで、その場しのぎ以上のことは出来ない。結局のところ、当人同士の問題だからで、しかも、
「よお。久し振りだな、二枚目。」
「…そだね、棟梁。」
 お相手がまた…何をどう、どこまで把握しているのやら。顔を合わせるたびに、どこか からかうように挑発的な物言いばかりするものだから、
"…まったく。"
 これは当分、収まりそうにないことだろう。この件へは見ない振りに限ると決めている妖一坊っちゃま、
「何だなんだ? キングの家だって?」
 さっきの彼の言葉を訊き返せば、
「ああ。あんなプラスチックの小屋じゃあ、可哀想だろうが。」
 家の中にも上げることが少なくはないシェルティくんだが、基本的には庭で飼っている子で、寝起きのためのお家も広い中庭の一角に据えられてある。確かに…素材的には"プラスチック"かも知れないが、
「あれって、断熱性や通気のいい、最新の特殊素材なんだぞ?」
 その辺はちゃんと考えて買い与えたのによと、少々口許を曲げた飼い主さんへ、
「いやいや、やっぱり家は自然素材でないとな。」
 こんなせせこましい街ん中に暮らしているんだ、せめてそのくらいはなと、引かない構えでいるらしい。事が家だの建造物だのという次元の話ともなれば、相手の方が専門家。多少は博識な方の妖一であれ、そうそう敵う筈もなくて…諦めたように苦笑する。
「…まあ、いいけどよ。」
 武蔵
ムサシと書いて"たけくら"と読む、フルネームを"武蔵 厳げん"という、この"いぶし銀"の大工さん。無精髭もそれは馴染んでよく似合う、ゴツゴツと骨張った顔立ちに、肉体労働にて鍛え上げたる肢体も筋骨隆々。咥え煙草が様さまになり、いかにも人生の酸いも甘いも味わい尽くしたかのような、年期の入った風貌をしているが、実は実は…自分たちと同い年の 17歳だというから驚きで。(煙草はやめようね、やっぱ。)しかも元・泥門デビルバッツの伝説のキッカーさん。とはいえ、1年の時の王城との練習試合で対戦した時には、既にその姿、チーム内には いなかったので、桜庭もまるきり知らないでいた存在で。何でも棟梁である父上が急な病に倒れたために、家業の工務店を継がねばならなくなったとか。そんなこんなという已を得ない事態のせいで、せっかく結成したばかりのアメフト部を去らねばならなかった話は、桜庭も随分と後から聞いたもの。そんな彼に冠せられた"幻の60ヤードキッカー"という伝説は…ちょいと怪しい代物らしいが、それでも。正確さと距離とを誇る、どこぞの弾道ミサイルばりのキックを得たデビルバッツは、秋になって ぐぐんと手ごわいチームになった。(という方向へ、本誌は進むんだろうなぁと…。)
"…知らなかった、か。"
 自分には新参な人物なのに、実は妖一さんの旧友で幼なじみな彼。あの栗田くんと同様に、中学生の頃からの知己同士で、しかも無類のアメフト馬鹿仲間だから。お互いのこと…何を見て来たか、どんな事態に向かい合って来たのか、一番の間近で見て来た存在でもあって。
"何だか落ち着けないのって…。"
 そう。桜庭が何となく、この男にピリピリしてしまうのは、詰まるところ"そこ"なのだろうなと思う。自分の知らない妖一を知っている彼だから、そしてそして…もしかして。妖一の側からも、自分よりもよっぽどのこと、色々と事情に通じているだろう彼の方を頼りにしているのではないのかなんて、勝手なことながら ついつい思ってしまうものだから。些細なことへもピリピリきりきり、要らない神経を遣ってはアラ捜しをしてしまう。
「…おっと。」
 ちょいと沈思黙考に入った桜庭の様子に小首を傾げ、もう撫でてくれないの?と こちらの手を ぴろりんと舐めてきたシェルティくん。その感触にハッとして、黒々とした つぶらな瞳が見上げてくるのへ向かい合う。さっきは自分よりもこの男へと懐いていたのへカチンと来たが、

  "セナくんにも もっと懐いてなかったか? こいつ。"

 妖一坊っちゃま以上に懐かれていたところが、そんな自分をうっちゃってまでという勢いで初対面のセナくんに"くん・きゅう〜んvv"と懐いて見せたこの坊やであり、
"…うう〜ん。"
 そういえば。あの小さなランニングバッカーくんにも、何だかとってもやさしい妖一だ、というのまで思い出す。最初の内は、幼なじみの朴念仁・進清十郎くんが、何といきなり…女の子との交際も飛び越えて、それは愛しいと感じて付き合い出した子だからと。これは自分が一肌脱いでやろうかい…なんて、そんな風に思って接するようになった子で。容姿、仕草、言動、どれを取っても確かに愛らしく、素直で一途で懐ろ深く…しかも。あの朴念仁の大魔神の一体どこに惚れたやら、なんと彼の側からもこれ以上はなかろう熱愛ぶりで。傍から見ているだけなのが口惜しくなっちゃうほどに、やさしい時を紡ぎ合っている間柄。そんな坊やが自分たちとの接点、アメリカンフットボールに関わることとなったその切っ掛けを作ったのが、他ならぬ。当時の主将さんだった蛭魔妖一さんであり。自分が見いだした俊足素材だから…というだけではなさそうだったほどに、何くれとなく構ったりフォローしてやったり、傍から見ていて…そちらへもまた、時々嫉妬を覚えたほどではなかったか。だが、

  "焼き餅はほどほどにしておかないとな。"

 大体、自分が惚れているのは、この子ではなく飼い主さんの方だ。セナくんへと手を貸してやりたくなるのだって、彼自身が本当に頑張り屋さんな良い子だからで、それは自分だって感じてたことじゃないか。
「? どした?」
 急に押し黙り、それから…屈んだ姿勢のまま、自分の方を肩越しに見やって来た桜庭へ、脱色させた金髪の美人さんが小首を傾げて見せる。それへと、
「…ううん。何でもない。」
 にひゃって笑って立ち上がり、
「お勉強しに来たんだしなって思い出しただけ。」
 遠くなった足元から見上げてくる小さなキングに"バイバイvv"と手を振った春人くんだった。





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