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桜庭春人。テレビを中心に活躍している芸能人で、歌うし踊るし演技もしちゃえる、最近はバラエティ特番の司会だってやってるよという、所謂"マルチタレント"である。元はといえば、垢抜けたルックスと小顔でバランスの良い姿態を買われて、子供服や少年向け雑誌のモデルから入った世界だったのだが、このところ色々と挑戦してみたものが片っ端から大当たり。写真集やCDも再版続きという受けの良さだし、どこか人懐っこい気性と爽やかな笑顔とで"庶民派アイドル"として人気も赤丸急上昇中………と、オフィシャルにはそんな彼であるのだけれど。進にとっては幼なじみであり、チームメイトでもあるお友達。瀬那にとっても、気さくにお話ししてくれるやさしい人で。
「こんなところに何でまた。」
そうと訊いたのは…意外なことには桜庭の方。
「セナくんチはもっと西の方だろし、進の家ならあっちだろ? 何でこんな、休みの日なのにわざわざ学校の傍にいるのさ。」
組み紐タイプの引き綱リードを首輪の金具に留め直し、愛らしいシェルティくんの毛並みをわしわしと撫でてやりつつ、桜庭が訊く。まるでそのまま芸能雑誌のグラビアみたいな構図になったのがおサスガだったが、それへと、
「いえあの…。」
説明しかかったセナへと、小っちゃなキングくん、リードがピンと張るほどの勢いで"遊ぼう遊ぼう"と後足立ちでじゃれかかり、
「あやや…vv」
かわいいお顔や仕草には、セナくんの側でもすっかりと陥落させられている様子。再びしゃがみ込んで撫でてやれば、わんあんっとまだ子供の声で機嫌よく吠えて見せる。
「可愛いですね。この子、桜庭さんのお家の子ですか?」
「あ、いや…。」
逆に質問されてたりして。(笑) しかもそれに先んじて答えたのが、
「違うな。」
胸高に腕を組んで、セナとキングを見下ろしていた進さんだったりする。
「お前んトコには、番つがいのセキセイインコしかいなかった筈だ。」
「何で決めつけるんだよ。」
「おばさんが取材旅行に行く時は、ウチにいつも預けてくからだ。」
「う…。」
さ〜すがはご近所さんだ、うん。(笑) ちなみに、桜庭くんのお母様はフリーのルポライターで、結婚を機に引退なさったものの、その感性への評価は高く。最近になって復帰宣言したところ、こちらから選べるほどの仕事が入るようになったらしい。余談はともかく、
「まあな。この子はウチの子じゃあない。」
すっかりと。セナくんを対等なお友達だとでも思ったか、遊ぼう攻撃敢行中の小さなシェルティくんの頭を撫でてやりながら、
「その、なんだ。今、付き合ってる人が飼ってる子なんだよ。/////」
どこか含羞みの滲んだ声音でぽそりと言って、照れ臭そうに…今度は自分の髪を掻き回しつつ、そのまま俯いたアイドルさんへ、
「ダメですよう。」
そんな風な。妙な声をかけたのが…これまた意外な人物。選りにも選ってセナくんだったもんだから、
"…この子もとうとう進の影響を受けたのかな。"
妙に唐突だったり、一足飛びに分かりにくい言動をするようになってしまったのかな、可哀想にと。ちょいと失礼なことを思った桜庭だったが、そんな彼に見つめられつつ、
「こんな開けたところでそんなこと言っちゃいけません。」
こそこそと小声になったセナであり。そのココロは?と次なる言葉を待つと、
「どこで誰が聞いてるか。桜庭さんはアイドルさんなんですよ?」
桜庭自身を咎めるように眉を寄せ、掠れさせた声で言い足す彼に、
「…ああ。」
成程なと。進はともかく桜庭本人までもが、彼が何を警戒したのか、今ようやく分かったご様子だった。今をときめくアイドルの桜庭であり、そんな彼が"付き合ってる人"だなんて口にして。もしも週刊誌や写真誌の記者が聞いていたら"特ダネだ〜っ"と大騒ぎになりますよと、そう思って警戒したセナであるらしく。
"そっか。そうかもな。"
今頃気づいている辺り、恋心から腑抜けになったか、それともそれとも もしかして。進さんからの影響を受けているのは、あなたの方かもだぞ、桜庭さん。(笑) それはともかく、
「…じゃあ。」「ああ。」「それじゃあvv」
妙な巡り合わせにて顔を合わせた彼らであったが、それぞれに違う目的のある者たち同士。それじゃあここでと右と左に別れようとしたものの、
「…え?」
ピンと張ったリードの先で、小さなシェルティくん、立ち去ろうとしているセナへと前足を宙に浮かせてまでして、名残り惜しそうに"おいでおいで"と空中犬掻きをして見せる。
「こらこら、キング。」
しょうがないなと長い足を折り畳んだ桜庭くん。傍らへと屈み込み、その腕に抱きかかえようとしたものの、
「あ、こらって。」
じたじたと暴れる小さな仔犬くんはなかなかの元気者で。ふかふかと柔らかな身をよじって、そんなにもぎゅうぎゅう掴まえる訳にも行かないアイドルさんの腕を振り切り、ソフトアスファルトの道へとたんと飛び降りて、
「わんっvv」
再び"遊ぼうよう"とセナにじゃれつきかかる無邪気な坊や。
「えっと…。」
どうやらキングちゃん、セナくんにすっかり懐いてしまった模様である。
「お前、実はこの犬、苛めてたんじゃないのか?」
「そんなことしないってばっ!」
とんでもないとかぶりを振る桜庭くんに見向きもしないばかりか、
「キング、お家はそっちじゃないだろう。」
どうしてもセナについて行こうとするものだから。方角の違うらしい桜庭の進行方向には全く向いてくれなくて。
「あの。それじゃあ、お家の傍までご一緒します。」
「…うん。ごめんね。」
◇
こちらの二人にしても、彼のプライベートに干渉するつもりはさらさらないし、それは桜庭にも重々判っている。それどころか、
"そんな恨めしげな顔すんなよな。"
慣れのない人には日頃の無表情との違いが非常に分かりにくいのだが、せっかくのセナとの逢瀬の邪魔をしおってからにという不機嫌そうなお顔を隠さない進さんに、ううう"と苦しそうに背中を向けつつ、
「ホントにごめんね。こいつ、俺に一番懐いてたんだけど。」
桜庭くんはあくまでもセナに、ひたすらひたすら謝った。他人の恋路の邪魔をする気なんて、桜庭の側にだってさらさらない。臆病そうに見えるけど、怖いものや辛いことから目を逸らさずに懸命に頑張る、気立ての良い、かわいい子。朴念仁でアメフトのことしか頭になかった、感受性もデリカシーも皆無だった進には勿体ないくらいに、懐ろの深い優しい子。こんな良い子と付き合い始めた進のこと、とっても羨ましかったけれど。今はもう、そんなこと忘れた。そう、彼もまた自分の恋路の行方を追うのに忙しく、よそ見やちょっかいだなんてそんな暇も余裕もないったらない。例の"彼"には別の犬の匂いがついていて、そのせいか、このキングには最近ちょこっと嫌われているなんて言っていて。だから、散歩に連れてってくれないかと頼まれたのに。やっとそんなことを、自分へ頼んでくれるまでになったのに。
"ううう〜。恨むぞ、キング。"
ほてほてと、セナの傍らに寄り添う小さなワンコを、3人掛かりでエスコートするかのように歩き続けた一団は、やがて…すっきりと視界の開けた、何だか妙な雰囲気の町角にひょこりと出た。
「???」
何がこんなに違和感になっているのだろうかと、そうと思いつつセナが眺めやったのは、小ぎれいな道の横手、背の高いフェンスに囲まれた広い広い公園だ。住宅街の真ん中、それは閑静なところにいきなり広々と拓ひらけていた空間。鮮やかなまでに発色の良い緑を木々の梢や茂みや芝に様々に散りばめた、いかにも初夏の趣きのあるその公園には、きれいに刈り込まれたバラの茂みや、柔らかそうな芝生の敷かれた遊歩道が巡らされており。
"そういえば。"
こんなところに公園があったなんて知らなかったな、でも、遊んでる人はいないな、雨が続いていたからかな…などなどと、感慨を巡らせていたセナの視野に飛び込んで来たのが、
「………あ。」
露を含んだ梢の向こう、洋館風の建物が威風堂々、その姿を現したから。
"ここって、公園じゃない。"
どうやら個人のお屋敷であるらしく、だがだが、規模が半端ではない。ところどころに外灯の立つそのお庭を"公園"と勘違いしたほどで、お屋敷の方だって…迎賓館は大仰だが、それでもちょっとした図書館とか区立の児童館だと言われても違和感がないくらいに、でんと立派で風格がある。しかも、
「あ、こら。」
ずっとずっとセナの足元にまとわりついていたキングが、一転、鉄柵に沿って"たたたっ"と前方へ駆け始めた。自分のお家に戻って来たぞと、そっちの方が嬉しくなったのだろうか。
「え? じゃあ…。」
しゃれではないがピンと張ったリードにリードされながら、駆け足になった桜庭の背中を見送りつつ、
"桜庭さんの想い人って、この大きなお屋敷に住んでる人?"
うわあぁ〜〜〜っと。やっぱり芸能人は違うんだなぁ、格式あるお家のご令嬢との恋なのかと。セナくん、勝手に頬が赤くなる。何かしらドラマチックなものを想像していますね、この坊ちゃん。そのまま映画になっちゃいそうな、華やかで激動の燃ゆる恋とか、なさぬ仲の悲しくも切ない愛だとか。
『愛しています、××さんっ。』
『ああ、ワタクシもです、桜庭さまっ。ですが、ワタクシには父様の決めた許婚者が。』
『何と。』
『某建設会社のご次男様で、生んだ子の就職先まで決まっている、政略結婚なのです。』
とか。おいおい ………所詮はMorlin.が書くお話なのにね。
"…いやあの、そんな想像は。"
@@@
いわゆるヴィクトリア調とでもいうのだろうか。ただのっぺりと表情がないのではなく、壁際から数十センチの辺りへ装飾用の組木で縁取りのなされた高い天井。学校の講義室くらいはありそうな広々ゆったりした室内には、サイドボードやソファーにローテーブル。由緒ありそうな銀の茶器をセットした籐のワゴンに、スリムなチェスト…といった、優雅にして典雅な調度の数々が、実に品よく配されていて。とはいっても、格式だの何だの堅苦しいものの気配は微塵もなく、解放感あふれる寛ぎの空間だけがそこには広がっている。そんな中、優美な猫脚のカウチからひょいっと立ち上がった青年が一人、観葉植物の鉢が置かれた大きな窓辺に寄るとそのまま外を眺めやった。整然と手入れの行き届いた庭先のその向こう、柵の外の道を何かが通ったみたいな気がして。姉が誕生日にとプレゼントしてくれた腕白な仔犬のお散歩を、自分で良ければと買って出てくれた知人が、ようやっと帰って来たのかと思ったのだが。そちらへ何げなく視線を投げた彼は、
"………げっ☆"
こういうお屋敷に住まう方にしては、ちょこっとお行儀の悪かろう声をその胸中にて放ってしまった。
"な、なんであいつらが…。"
知人と共に歩いているのは…知らない顔ではない。それどころか、その知人の、そして自分の知己でもある青年と少年であり、
"…あいつらのことだ。大方、黒美嵯川の土手でランニングでもしてやがったか。"
お兄様、ビンゴ、でございます。(笑)
"う〜〜〜ん。"
どうしたものかと、窓辺近くにてうろうろ。あまり明かしたくはない自分の素性。後ろ暗いものはないのだが、何だか面倒なことになりそうで。たまたま実家に帰ってたその日に彼らと逢うことになろうとは、これもまた巡り合わせというものなのか。
「…坊っちゃま。」
困ったなと考えあぐねていた青年へ、きちんと地味なスーツを着付けた男の人が声をかけて来た。物腰穏やかな、控えめな気配の初老の男性であり、
「私が出ましょう。」
「そうしてくれるかな、加藤さん。」
様々な事への対処に長けた人。青年はホッとすると、再び窓の外へと視線を投げた。
"奴には悪気もないんだろうが…。"
その辺りは判っちゃいるが困ったことと。苛酷な世界にいる割にお人よしな知人へ、何ともしょっぱそうな苦笑をしてしまった、色白なお兄さんである。
@@@
"えっと…。"
いきおい元気になって、この小さな体のどこに隠していたやら、物凄い力でリードの引き手をぐいぐいと引っ張って"お家"へ向かうキングに引き摺られつつ、
"どうしたもんかな。"
自分にこの子を預けた人は、この"実家"をあまり知られたくは無さそうな素振りをしていたから。
"ボクに教えてくれたの、奇跡なくらいだもんな。"
それだけ打ち解けてくれたことがとっても嬉しかったのに。今回のポカで、またまた気持ちが遠ざかってしまうかも。なかなかに気難しい人なんだもんな。そうと思うと気が重いし、彼自身からの断りもなくこっちの彼らを連れてっても良いものか。ぐるぐると考え込んでる桜庭くんのそんな気持ちも知らないで、
「あんっ!」
お元気なキングちゃん、早く早くと肩越しに振り返って吠えて見せる。飼い主さんにそっぽを向いてたくせに、ホントはやっぱり彼やお家が好きなんだなと、そこに限っては微笑ましいのだが、
"どうしよう…。"
こちらの彼らを振り切るのもなんだか妙なもんだしと、進退窮まったそんな彼へ、
「桜庭様。」
いよいよ近づいた正門。それもまた豪奢な構えの門扉の前に、とある人影を見つけて、
「…あ。」
桜庭くん、瞳を見開くと、次には"ほぉ〜〜〜っ"と安堵の溜息をついた。地味なスーツを隙なく着付けた、穏やかそうな物腰の初老の男性。
「加藤さん。」
それまでは重かった足取りが途端に軽快なものへと変わり、キングが引っ張るのへ張り詰めていたリードが勢いをつけて緩んでしまったほど。うんしょうんしょと引っ張っていたものが急に軽くなったため、小さなキングはアスファルトの路面へ顔を擦りつけそうなほど のめりそうになる。そんな彼らの後方、
「あれがここの人らしいな。」
「はい…。」
その場で立ち止まったお連れさん二人。大きな門の前でリードを引き渡す桜庭を見やり、だが、ふと…進が何かに気づいた。
「この家。」
「はい?」
「いや…。」
詮索しても詮無いことと思いつつも、手前からぐりんと顔を上げて見上げてくるセナの視線に合うと、話途中で放り出す訳にも行かず、
「表札がない。」
「あ…。」
ここからも見える門柱の、左右どちらにもそれらしきものは掲げられていない。さぞかし豪華なプレートが掲げられているものと、思うところの石組みのがっしりした柱は、自然石の風合いを晒しているだけの無表情なままだ。
「???」
何か障りがあるのかなと、小首をかしげるセナくんの様子の方にだけ関心を向けていた進さんは、チームメイトさんが軽快な駆け足にて傍らまで戻って来たのに気づいて顔を上げた。
「どうした。」
「どうしたも何も。」
けろっとしたお顔になっていて、
「今日のところは帰るって伝えて来たんだよ。」
あっさり言う桜庭に、進はたちまち"むう"という顔に戻ってしまったが、
「安心しな。デートの邪魔もしない。用があるからホントに帰る。」
ある意味で分かりやすい奴だなという苦笑と共に、朝より昼より明るさを増した空に気づいて、桜庭くんは頭上を仰いだ。
「せっかくの晴れ間なのに、トレーニング三昧とはね。」
ご主人の代わりにと出て来たお人に、何か言伝てをされたらしくて、さっきまでの不安もすっきりと払拭されたらしきアイドルさんは、
「進には"らしい"ことだけど、セナくん、時々は我儘言い倒して引き摺り回してやんなきゃダメだよ? こいつは油断すると"亭主関白"に収まるタイプだからね。」
そんな忠告までして、
「余計な世話だ。」
またまた、大きなラインバッカーさんから睨まれている始末。それへと"あはは…"と笑ったアイドルさんに、何が何やら、依然として疑問が幾つか胸のそこここに転がったままな小さなランニングバックさんは、
"…ま・いっか。"
あんまり訊きほじくるのも何だしねと、こっそり肩をすくめて微笑い返して見せたのだった。
おまけ 
〜Fine〜 03.6.17.〜6.20.
*なんだか後半はダラダラしちゃいましたね。
真相をどこまで隠すかが難しゅうございました。
いえ、読まれてる皆さんにはバレバレなんでしょうけれど。(笑)
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