critical situation 〜混迷の12月 C
 

 

          



 こいつから初めて"好きだよ"って言われたのっていつだったろう。夏の合宿…よりかは前だったよな。春の大会を最後に選手としては部から離れる運びとなって。でも何となく布陣やら何やらが気になるもんだからって、今みたいにちょっかい出し続けてて。春先のバタバタしてた時からその辺りにかけての時期のこととなると、何だか混沌としてて、順序だてては思い出しにくい。ということは、まだ部よりは比重が下だった頃なんだろな。だから思い出せないんだ、うん。こんなこと話したら きっと、ひっど〜いなんて言って怒るんだろな。俺よか背が高いくせに上目遣いになってさ。そうやって拗ねた顔もキングに似てるんだよな。

  『可愛いなぁ、此処の犬なのかな?』

 ああ、そうそう。そのキングと初めて逢った時、ぶつかり負けしたんだよな、こいつ。あれも夏休み前、ゴールデンウィークが済んだばっかくらいだったっけか? ウチの実家の庭に撮影に来てて、あんな小さいのに足元を払われて尻餅ついて。そいで撮影用の夏向けの衣装を汚されたのに、お構いなしにキング捕まえて撫で回してやってて。

  『桜庭くんてサ、好きな人居るの?』

 段取りを待つ間、そんな話をしてたよな、スタッフの人と。だいじょぶ、此処だけの話だから…なんて言ってたけど、なんか見え見えだったよな。聞き出せたらきっと雑誌記者に横流しするんだろなって思って聞いてたら、

  『居ますよ。』

 奴はそりゃあ無防備にケロリと言い放ち。え? 誰だれ、どんな人?と色めき立った相手へ、一般の人だから言ったって判りませんようなんて、くすくすと微笑いながら惚けた言い方をして、それから。

  『あ、でも…そういえば、ボクも名前くらいしか知らないや。』

 困ったような顔をして見せていた。それを聞いて、あれ…って思った。まさかまさかなと思いつつ、それでも…最後のNGポイントだったこと。もしかしたら俺の素性を知っていて、それで近づいて来てたんじゃなかろうかと、そんな浅ましいことを疑っていたものだから。………とはいえ。いや、ちょっと待て。その"好きな人"ってのが何も俺のこととは限らないじゃないか…と気を取り直していたら、

  『他所の学校の人だから、プロフィールみたいのはあんまり知らない。』

 誕生日も血液型も知らないやと言うのへ、何だそれと笑われてて。今時はマメじゃないと振られるぞなんて からかわれてた。そのスタッフさんが呼ばれて離れてった、ちょっとした隙、

  『だって しょうがないじゃんか。』

 キングを相手に、なあと、独り言っぽく呟いてた。

  『蛭魔の星座や好きな色を知ってても、
   よく知ってたねなんて 褒めてくれるよな人じゃないんだもんね。』

 きっと"だからどうした"なんてジロッて睨まれるだけなんだよなんて、自分の目尻に指を当てがって吊り上げて見せて、人の顔真似なんかしてくれたもんだから、このやろーと思って。そいで、脅かし半分、姿を見せることにしたんだっけ…。

  『…えっ?えっ? あ、じゃあ、此処って…?』



  ――― その見事なまでの"天然"ぶりに、何となく安心しちまったんだから、

      判んないもんだよな、まったく………。







            ◇



 蛭魔妖一くんの日頃の住まいは、高さも規模もちんまりして見える外観を裏切って、実質的にはかなりの高級マンションで。あまり目立ちはしないよう、住宅街の奥まったところに、常緑樹に囲まれて こそりと建っているのも、隠れ家的な効果を考えてのもの。1つの階に2、3軒しかフラットがないという、欧米仕様の広々とした贅沢な作りであり、防犯設備も万全だとか。高校生が一人で寝起きする場には少々贅沢かもしれないが、彼の場合はその防犯設備を重視せねばならない身なので、妙な言い回しになるが…贅沢は言ってられないのだそうだ。

  「お邪魔しま〜す。」

 家人はいないと知ってはいるが、ついついご挨拶の言葉を発してしまう桜庭で。もう何度も足を運んだせいでか、物の配置にも勝手にも随分と慣れた。最初の頃は いつ来ても、そりゃあ完璧なまでに整然と整理整頓された、清潔な、されど、人の住まいという匂いや生活感の薄いお宅だった。高い天井、しゃれた調度品。無駄を一切廃した、単調な装飾。モデルルームみたいだなと、失礼ながらそう思い、そして、そうである理由はすぐにも分かった。唯一の住人が、ここでは…定刻の食事と睡眠をとることと最低限の身だしなみを整えること以外の"生活"らしきことを、何ひとつやらないからだと。テレビやオーディオセットは置かれてあるだけで、それぞれのアンテナへのケーブルにはつながれておらず。掃除や洗濯は不在の間に係の人が来て片付けて下さるそうで、食事の支度もその時に…というのは、まあ仕方がないとしても。スナック菓子をつまんだり、ごろ寝をしながら雑誌を読むとかテレビを観るとか、友達との長電話&メールのやりとり、誰かを呼んでの馬鹿騒ぎなどなど、そういったことには全く関心が向かないらしくて。テレビがあるのはスカウティングで得たデータ分析のモニター代わりにするため、オーディオセットは…リビングでこなすトレーニングにリズムをつける必要がある時のBGM用だと聞いて、
『妖一って、もしかして…。』
 自分の知己のとある誰かさんに、物凄く似てやしないかと。失礼ながらそんな風に思いもしたものだった。一人になって落ち着くと、よくもここまでと呆れるくらいに淡白でストイックで。そして…寡黙な横顔が何となく寂しげで。それから、特に詮索した訳ではなく、彼自身が語ってくれたのが。

  ――― 後ろ暗い何かがある訳ではないものの、
       あまり世間へは公けにされてはいないこと。

 彼は某有名貿易商社コンツェルンの、主家筋の当主の末っ子だそうで。日本国内の民間レベルではあまり知れ渡ってはいない社名だが、海外の、それも公的機関関係の市場に於いては屈指という、途轍もないランクの規模と信頼を誇るところの、会社、事業所、事務所を各国に展開しており。物資のみならず様々な"情報"の流通の面へも、組織力を生かした探査・精通を怠らないグループであるが故、色々な意味合いでの敵も少なくはない。そして…そんなこんなから それなりのガードが必要な立場にあることが、彼をこうまでの"孤高の人"にしたのでもある。

  『幼稚舎に通ってた頃に誘拐されかかった騒動があってな。』

 上の兄弟たちとは少しばかり年が離れているがため、名家同士の社交界というような大人たちの交流の世界にあっても、まだ"子供"にすぎなかった彼の存在は、当時はあまり知られてはいなかった。よって、その時の誘拐は、単に…大邸宅から運転手つきの大きな自家用車で有名な私立名門校の付属という幼稚舎へ通うような坊ちゃんだから…と狙われた代物だったのだが、それでも。

  『大暴れして、自分から おん出てやった。』

 この先は桜庭の勝手な推量ではあるが、恐らくはそんなに違わないと思う。邪魔だからと暴漢に薙ぎ倒された、彼には大切だった小さなお友達のみんな。そんな光景を目の当たりにしたことが、彼には…自分が攫われかかったこと以上によほど衝撃であったらしい。それまでは無邪気な"腕白小僧"だったものが、いじめと紙一重なほどの乱暴者ぶりを発揮しつつも、何かしら…法則めいた、若しくは命題に沿ったような一律の行動を取るようになったらしく。当人の本意にかかわらず、災禍を招く素養を持ち合わせた身。そんな存在には、大切な人ほど近寄らせては…関わらせてはいけないのだということを、自分の行動や判断の根本に据えるようになってしまった哀しい人。世を拗ねて孤独に染まることで人から遠ざかるのではなく、嫌がることをかざして向こうから敬遠させる…などという、まずはそれと分かりにくい手段を選んだ狡智さは正に絶品であったのだが、

  ――― 世の中、いやいや、人というものをそうそう舐めていてはいけない。

 人や事物に対しては例外なく、ただただ寡欲に冷然と過ごしつつも。唯一の執着、アメフトへの熱の入れようだけは半端でなかった彼は、ひょんなことから…一人の"いじめられっ子"に出会った。あんまり脚が速かったのでと、自分の野望を完遂させるのに見いだした"素材"にすぎなかったのに。その子はあまりに一途で懸命で。それからそれから、実は…自分のことよりも他人の苦衷や痛みを何とかしたいと奔走するよな子で。俯
うつむいてちゃ思うように速く走れなかろうがと、励ますように背中を押してやったのを弾みにし、もう立ち止まらないと決心したその子の幼いとけない踏ん張りようには…ついつい。アメフト以外のところでも、何とかしてやろうかいとこちらの気持ちを動かされるようになってしまった妖一で。そんなほろ甘い温かさを得たことで、心の奥底に封じた筈の何かがゆるやかに解放されてしまった彼であるらしく。そしてそして、後輩想いな優しい気遣いから飛び出した言動が、春先のとある昼下がりに………桜庭春人くんという"想定外"な存在を、彼へと引き寄せてしまったのだ。

  "想定外ってのは何なんですよ。"

 あ、ごめ〜ん。
(笑) まま、回想するのはそのくらいにしてサ。

  「妖一んトコも自習が多いんだ。」
  「まあな。」

 そういう時期だからなとか何とか応じながら。小春日和の帰り道では邪魔だったからと、羽織らずカバンに引っかけていたウィンドブレーカーを、居間のソファーの背凭れへ ぽいと投げる。広々としたリビングに、定番の調度品として最初に置いてあった、かっちりとしたデザインの3人掛けのそれは。今では壁際の隅に追いやられ、今のようにポイと置かれたちょっとした荷物だの服だの雑貨だのを幾つか、背もたれや座面へ雑然と積み上げられた"物置き"と化していて。では、現在のリビングの主役はというと。巨大なお手玉を思わせるような…不定形なビーズクッションのソファーが でんとばかり。フローリングの床の上、大型液晶モニターテレビの前に"特等席"として据えられていて、

  "ありゃりゃ…。/////"

 その近辺には。昨夜観ていたDVDのケースだとか雑誌だとか、桜庭がお土産にと持ち込んだ、ラングドシャや何やという焼き菓子の詰め合わせのパッケージだとか、空になったペットボトルなどなど、陽が射してあっけらかんと明るい中に…結構ちらほら散らかったままになっている。
"………生活感、出て来たよなぁ。"
(笑)
 それが"だらしない"という種のものであり、しかも桜庭が出入りするようになったから現れ出したものだったなら、
"加藤さんに叱られたりしてな。"
 出入り禁止なんて言われないように気をつけないとと、頭をほりほりと掻いていると、
「? どうした?」
 寝室で素早く着替えて来た妖一に怪訝そうな顔を向けられた。色白でスリムな肢体に似合う、濃灰色のカットソーと黒っぽい細めのパンツ。いくら微暖房がかかっているとはいえ寒々しい格好だなと思っていたら、さっきのソファーの上からごそごそと引っ張り出したのが…。

  「………あ。」

 明るい生成り色の、丈の長いニットのカーディガンで。そんなにも体格に差があったとはと思い知らされるほど、肩幅やら身頃、袖丈やらと、全体的にあちこちが余り倒している模様。当然、こちらの視線に気づいて、にやっと笑いつつ羽織ったご本人のではなく、
「忘れてったまんまになってるから、ちょくちょく借りてるぞ。」
 そう。桜庭が先日うっかり置いて行ったおニューの代物。その時からも結構経っているのに、例えば昨夜なんぞに気がつかなかったのは、今まで彼が桜庭の前で、こんな風に着て見せなかったからだ。
「一目惚れして つい衝動買いしたなんて言ってたくせによ。うっかりしてんのな。」
「うう"、だってさ…。」
 てっきり撮影所か事務所に忘れて来たんだって思ってた。だって、
"妖一、ボクの私物って嫌がってなかったっけ。"
 忘れ物はないかって、帰り際にいつもチェックしてくれてた。どうせまたすぐに来るのにって言ったら、
『図に乗るんじゃない』
 なんて怒ったみたいに言い返してたくせに。………あれ? でも、それって随分前の話だよな。そういや、最近は適当になってるよな。
「どした?」
 ここに上がって来たそのまま、自分のスポーツバッグを肩に提げたままで考え込んでる桜庭に、間際まで寄って来た妖一が真下から顔を見上げて来る。ほとんどの髪をお見事にも立ち上げているものだから、首条やら項
うなじやらもすっきりとあらわになっていて。そこへ細い顎を上げると、鎖骨の合わせ辺りが こちらもあらわに覗け、ちょっとドキリとしかかったものの、

  "………あ。"

 すっきりとした おとがいの線の下、濃色のカットソーのV字に開いた襟の縁。鎖骨下の真白き素肌にちらりとばかり、緋紅色の何かが覗けてハッとする。昨夜、自分がやらかした"おいた"の跡だ。

  "えと…。/////"

 フロアライトと画面からの光芒だけという乏しい明かりの中、互いにくっつき合うよに凭れ合って映画を観てて。何かの拍子に随分と至近で眸と眸が合って。ねぇ良い?って眸で訊いたら、良いよって眸で頷いたそのまま、すんなり睫毛を伏せて応じてくれた妖一だったから。腕の中に抱えてた宝物、そぉっと引き寄せて。いつもみたいにワクワクって思いながらキスしたの。少し斜めに唇を重ねて、ふわふわって頼りない感触の唇の甘さにぱくついて。合わせをちょっとだけ舌先で舐めたら、擽ったかったのかな、自然と薄く開いたからそのまま すべり込んでいって。甘えたみたいな声を滲ませた吐息が とろりと零れて来たところまでは…何とか思い出せるんだけど、後はちょっと自信がない。間近に密着した、自分のじゃない誰かの温もりと匂い。すっかりと委ねられてた、しっかりした存在感。こうまで無防備な、それも大々々好きな人をこの腕に抱いてて、到底 正気でなんかいられなくって。………気がついたら、暗がりの中で自分の体の下へと組み敷いた妖一が困ったようにもがいてて。あ・やば…って思ったと同時にいつもの拳で"ごつん★"って殴られてたんだっけ。

  "…。////////"

 まずいな、すぐ目の前に昨夜のと同じ唇が、なんて無防備にさらされてるんだか。洋画なんかでさ、お互いに食いつくみたいなキスってのがあるでしょ? あれって何事?って思ってたんだけど、実際にやってみると分かる。段々そうなっちゃうんだってこと。そこから相手を取り込みたい、吐息まで全部食べちゃいたいって思うからなんだよ? 愛しい部分にはね、手や指先よりも唇で、そぉっと触れたいって思うもんなの。だから"愛撫"ってのは唇で触れるんだなって実感しちゃって……………えとえっと。//////////

  「???」

 外では絶対に拝めなかろう、無防備な棘のない顔でキョトンと見上げてくる愛しい人。ぼすんと。バッグが肩から床へ、足元へと滑り落ちたことで我に返って、
「あっと…。/////
 良からぬことばっか、ぼ・ぼ・ぼ…って連想しちゃったもんだから、何だか無性に落ち着けなくなった桜庭だ。昨夜の"おいた"への反省どころか、もっといやらしいことを思っちゃった罪悪感。何より誰より大切にしなきゃいけない人なのに、昨夜思わず組み敷いちゃった時の、じたじたともがいてた妖一の…身じろぎにうねった肩や腕や胸の肉感が、手や肌にざわって蘇って来ちゃって。唇では初めて触れた、首条や胸元の柔らかな肉づきや温もりとかも、それは鮮やかに蘇って来て…おおおっ! これはヤバいっ。

  「お、おおお、お茶なんか淹れてくるねっ。」
  「…なんかってのは何なんだ。」

 焦っていることを悟られぬよう、身を引き剥がすみたいにそそくさと離れ。わしゃわしゃ喧しい生地のジャケットをぎこちない動作で脱ぎながら、キッチンへ向かおうとした桜庭だったが、

  "…ぅえっ?"

 まだジャケットの袖を手首から抜いてないその腕を。あっさりと、綺麗なお手々に捕まえられたから。…い、一体何でございましょうか、妖一サマ。

  「茶は後で良いから、こっち。」

 口で言えば良いことなのに、何だか逃げ腰だったことを見抜かれたのか。まるで連行するよに手をつないだままで彼が向かったのは、窓辺に追いやられてた…こちらも元は応接セットの1つだった一人掛け用の肘掛け椅子の傍だ。大きいソファーと違って、こちらには何も置かれてはおらず、普通にすとんと座れる状態。一人掛け用といっても、四角く かっちりした重厚なデザインのそれなので、相当に貫禄ある体格の人でも余裕で座れるほどの大きさで。そこへまで引っ張って来られた桜庭くん。振り返った妖一さんに とんと肩を押されてしまい、そのまま素直にそこへと腰掛ける。
「…えと、妖一?」
 何が何やらと依然として困惑していると、そのお膝へと跨がるように、膝から…真正面から乗り上がって来た美人さんであり、

  "え? え? え? え?"

 これって、一体、何事なんですか〜〜〜っ?、と。桜庭の頭の中では、困惑と混乱が手を取り合って輪舞
ロンドを踊りそうになっている。脚の両脇に空いてた隙間へ膝立ちになり、こちらの腿の上へと軽く尻を乗せて腰掛けた格好になった妖一だったものだから、いつもぽそんと懐ろへ凭れかかって来ている時などとは目線の高さがしっかり逆になっていて。こうまで至近の真っ向から見下ろされては、何だか落ち着かないことこの上も無い。
"…何なんでしょう。"
 さっき胸の裡
うちにて"ぼ・ぼ・ぼっ"と想起してしまった良からぬことの色々を、きっちり読まれてしまったとか? 妖一さんたらいつの間にエスパーに? そんなこんなと想いを巡らせ、ドキドキハラハラしていると、

  「眸ぇ、つぶれ。」

  "は、はい?"

 やっぱり不意な声が掛けられて。落ち着いてそのお顔をじっと見やれば、いつの間にやら何だか無表情になってた妖一さんで。冷然とした顔といい、カーディガンを羽織っているとはいえ、細っこいその身に張り付くような黒っぽいパンツやカットソーといい、何だか…女王様みたいな雰囲気さえあって。
こらこら
"女王様はともかく、俺様ではあるからねぇ。"
 二人きりの時は随分と穏やかな雰囲気になってくれてた彼だけど、元来の彼は そりゃあもう、誰にも御せない、立派なまでの、天下無敵の傲慢王だった筈。昨夜のアレはやっぱり やりすぎだったのかな。ここんトコ、お調子に乗り過ぎてたからなぁ。
"…えと。"
 アレをまだ怒っててのお仕置きかな。それじゃあ何されても文句は言えないか。あ・でも、顔にマジックで落書きとかされたら困るんだけどもなと、くだくだ考えてたら、
「眸ぇ、つぶれって。」
 キツい語調で急かされてしまった。ああ、そういえば、肩脱ぎ状態のジャケットが、二の腕辺りで止まってて。これじゃあ まるで拘束服みたいじゃないか。

  「〜〜〜〜〜。」

 何だかとっても腑に落ちなかったけれど、お仕置きされてもしようがないかもという、引け目みたいなものも無い訳ではなく。

  「………。」

 仕方がないかと、そぉっと静かに。少し大きめに張った瞳を伏せて見せる。柔らかな印象の面差しが、瞳を伏せるだけで…なんだか精悍さを増した彫りの深いお顔になった。静謐で凛々しくて大人びた、すっかりと別人の顔になったような気がして、でも。暢気に見とれている場合ではない。

  「良いって言うまで、眸ぇ、開けんなよ?」

 無言のまま"うん"と頷いたのを確かめてから。そぉっと、手を伸ばす。鼻梁の通った端正な顔。柔らかい頬。あ、でも、やっぱり頬骨が少し立って来てる。睫毛が長いな。染めてるのに髪が柔らかい。そんなこんなと思いながら、胸のドキドキに追いつかれて脚が止まってしまう前に、早く早く、伝えなければ。

  「………。」

 耳のところまですべらせて、そこへと添えた両の手。そのまま前へと体を倒し込み、品の良い形をしてきゅって引き締まった…唇へ。吸い寄せられるように顔を近づける。物凄く近づいてから、ちょっとだけ躊躇して。自分の唇を クッて八重歯で噛みしめてから、小さく深呼吸をすると、もっともっと近づいて………。


   "……………っ!!"


 なにか。ふわんと やわらかくて、しっとりしたものが唇に触れたのへ。桜庭の全身が ひくりと震えた。それだけじゃない。顔や身に迫って来た温かいものの正体は…お膝の上での体重の移動から考えても、

  "…妖一?"

 え?え?え?え? そんな、だって。妖一の方からキスしてくれたことなんて、これまでに一回も無い。こっちからのだって"良いですか?"って訊かなきゃダメなのに?

  「よ…。」
  「良いって言うまで、眸ぇ、開けんな。」

 つい。一瞬の瞬きほどに薄目を開けかかったのへ。睫毛の震えで分かったのか、鋭いお声が…吐息が触れるほどのすぐ間近から上がった。は、はいっと答えかけた口が、再び…柔らかくて温かな唇で塞がれて。しかも今度は、やわく挟み込むように唇が動いてて。

  "うわぁあ〜〜〜っっ!!!!!"

 一体何事なんだろう。新手の復讐かな? ………はっ。まさか、写真に撮ってて週刊誌に高値で売るとか? ………いや、そこまでのお仕置きはしなかろう。でも、なんか………もう どうでも良いなぁって気がしてきた。こっちへと体を傾けてるその重みが、膝の上に暖かくて。頭を抱え込むみたいに耳元に添えてた両手が、するんと後ろへすべって。膝立ちになってたのが腿の上へと座り込み…首や肩口へとしがみつくみたいに、ぎゅううって細いめの腕が抱きついてくる。唇はいつの間にか離れてて、柔らかくて少し冷たい妖一の頬が、耳朶や首条に触れてくすぐったい。胸と胸とがくっついてて、ああ、この構図って、さっきクラブハウスで見た、セナくんを抱えてたのに似てる。………と、

  「…あのな?」

 妖一が、何か話し始めた。
「あの…な。その………絶対にイヤだっていう訳じゃないんだ。」

  ――― はい?

「他の奴が相手だったらこんな風に考えてみもしない。けど、桜庭が相手だってなると、どうしようかって、えいって思い切ってしまおうかとか色々と考え込んじまうってことはサ…。」
 その…と、ちょっと言い淀んだのへ、
「…うん。」
 桜庭の声が続いた。言いにくいこと、察してくれたような返事であり、ジャケットが二の腕の途中で止まってる分、ちょっと窮屈そうになってた腕をそれでも伸ばして来て、背中を抱いてくれた。カーディガン越しの大きめな手が暖かい。ジャケットの中からは、いつもの花蜜の匂いが届いて来て、慣れないことへドキドキしてる緊張を宥めてくれる。
「だから、その…。」
 頑張って続けようとした妖一の声を遮って、


  「ボクは、も少し待てば良いんだね?」


 はっきりとした声が、静かに響いた。桜庭の手が片方だけ、妖一の背中の真ん中を上から下まですぅって撫で降りて。言葉にはしなかった"何を"の部分を、分かったって言ってくれてるようだったから、
「えと、うん。」
 こくりと頷くと、もっときゅうって抱きしめてくれて。脱ぎかけのままで肩の下、背中へと降りかけてたジャケットの襟元が肩まで上がって来たくらい。
「…もう、眸、開けてもいい?」
「うん。」
 桜庭が瞼を上げると、視野の中へ再び現れたリビングを背景に、緊張が解けて ふにゃんと力が抜けちゃったせいか、こっちの胸元へいつもと同じ高さに収まってる白いお顔が真っ先に見えた。そのまま寝ちゃいそうなみたいに薄く眸を伏せて、こっちへと抱きついて来てる。…気がついてないのかな? もう少しほど、このままでいてほしいな。ああでも、こっちからも言わなきゃならないことがある。

  「ありがとね。」

 おでこの縁に少し吐息がかかって擽ったくて。それで、春人が囁いた言葉の意味が後から追いついて来た。
「? なんで"ありがとう"なんだ?」
 キョトンとして見上げると、深色の眸がやわらかく笑う。
「だって、ちゃんと考えてくれたんでしょ?」
 小さなセナくんにまで何か訊いた彼だったんだなと、今になって気がついた。拙くて、でも、暖かな恋をしている彼だから。春人も良く知る、それはそれは不器用な朴念仁くんへ、なのに過保護なくらいに懸命に優しい少年に。こういうことへ やっぱり慣れのない妖一は、もしかしたら励ましてもらってたのかもって、今になって合点がいった。
「性懲りもなく あんなことしちゃったボクなのにサ。知るかって放っとかないで。その時の気持ちで答えりゃいいやなんて、いいかげんに構えないで。昨日からこっち、ちゃんと考えててくれたんでしょ?」
「…うん。」
「それって凄く嬉しいから、ありがとう、なんだよ?」
 妖一を好きで好きで堪らない気持ちと、不器用で不慣れな彼を大切にしたいっていう気持ちと。同じところから発しているものな筈が、時々、真っ向からぶつかり合って相反してしまうこともある、二つの"好き"だけど。温度差では前者の方が勢いで勝っちゃってる状態だけど…とりあえず。妖一の方からも好きでいてくれる、前向きに考えてくれてるって思うと、何をおいても嬉しくて。もちょっと我慢してみようって、素直に思えた。不器用さんが一生懸命、ボクの気持ちとか考えてくれたんだしネvv こんなに甘酸っぱい"嬉しい"は久し振りだったから、何だかにやにやと、頬に口許に微笑いが浮かんで止まらない。

  「妖一のこと、好きになって良かったな。」

 長い腕で懐ろ深くへ抱え直してくれながら、
「ボクの"独り相撲"じゃないって判ったしサ。」
 やさしいアイドルさんは"くすすvv"と、それは やわらかく…幸せそうに微笑って見せる。
「報われてないのかな、届いてないのかなって。時々"なんだよう"って拗ねたくなるほど不安だったから。」
 でも、ちゃんと考えてくれてたから嬉しかったしと、えへへって今度は照れ臭そうに笑った桜庭であり、

  "…ちゃんと言ってみて、良かったな。"

 セナに言われた通りにしてみて良かったって、妖一の方でもホッとした。お前にだけ ここまで許してるんだから判れよなんて、ちょっと偉そうな仄めかしがせいぜいで、好きとか何とか、こっちがどう思ってるかをちゃんと言葉にして言ったことが一度もない。言葉にしちゃうのって、何か、こう。取り消せない形にしちゃうみたいで、絶対誤魔化せないっていうのか、そんな感じがして。それで、態度だけで"判れよな"って示してた。で…桜庭は優しくて、それにとっても敏感だから。戸惑ったようなお顔をしながら、若しくは"気が利かなくてゴメン"って謝りながら、一つ一つ拾ってくれてたからサ。それでちゃんと通じてて、判ってもらえてるって思ってて。

『報われてないのかな、届いてないのかなって。時々"なんだよう"って拗ねたくなるほど不安だったから。』

 判っててもらうのと、ちゃんと意志として伝えるのとは別なんだってこと、今まできちんと解ってなかった。これもまた、桜庭に甘えてたってことなんだろな。

  『相手が居ることなのに、勝手に自己完結してしまうのって、
   考えてみれば失礼なことですよね。』

 何と言うのか、相手の気持ちを優先するセナらしい言いようで。自分の判断を優先するのは、彼が言うほど"いけないこと"ではないけれど、でも。向かい合ってる当の相手の気持ちの存在を全く考えてないってのも、確かに良ろしくはなかろうこと。セナと自分は立場が逆で、こんなにやさしい桜庭をずっとずっと不安にさせてた。ちゃんと間に合ったぞって、言っとかないとな………。


   「…ねぇ。」
   「んん?」
   「妖一は?」
   「???」
   「だから、さ。」


 陽あたりのいい窓辺のソファー。広いリビングは空虚に静かで、でも。冬の午後の陽に暖められた明るい色合いの髪が、すぐ鼻先で甘く香ってる。…あ、形のいい耳してるのな。頼もしい肩に頬をくっつけて、すっかりと凭れ切ってる。抱かれてると落ち着ける、広くて深い懐ろ。温ったかいなぁ…。ねぇねぇって静かにねだる声がとろとろと柔らかく耳へ響いて、気持ちよくって………。


   「…うん。大好きだよ、お前のこと。」

   「………え?」

















    「え〜〜〜〜〜っ!!!!」
    「…んだよっ、びっくりするだろが、いきなりっ!」
    「だってさ…初めてだもん。ねえねえ、もっかい!」
    「………ヤダね。」
    「ねえ、もう一回だけ!」
    「い・や・だっ!//////////
    「そんな赤くなることないじゃん。
     ボクなんか毎日だって言えるのに。妖一のこと好きだよって。」
    「うるさいなっ! たまにしか聞けないから有り難いんだろうが!」
    「え"〜〜〜〜〜っっ!! ………じゃあ、ボクもたまにしか言わないもん。」
    「……………。」
    「うっそ。大好きだようvv だから、ね? ねぇねぇねぇvvv
    「だ〜〜〜っ! うるさいっ!!!!」
    「妖一ィ〜〜〜♪」









  ――― 恋愛とは、
       地上で味わうことの出来る最大の喜びを人間に与える
       狂気の沙汰である。
                    (スタンダール 仏・作家。1783~1842)




   〜Fine〜  03.12.10.〜12.16.



←BACKTOP***


   *あああ、やぁっと終わった。(笑)
    途中からいきなり"乙女路線"へ突っ走ってしまって、
    これがまた、悪魔さんには ちょぉっと似合わないもんだから、
    凄んごい"びみょー"なお話になっちゃって。
    ウチは他所様とは随分とテンションが違うって重々知ってましたが、
    それでも、それがウチのカラーだって思ってました。
    ………けど。
    こっちのお二人は
    セナくんたちと同じタッチで扱ってはいけない人たちだってのが
    今回、つくづくと身に染みて判りました。


   *…とか何とか言いながら、
    クリスマス辺りにも何か企んでるみたいです、この人。
    余程のこと、妖一さんで遊びたいのらしいです。
    こゆのでも平気という豪気な方、どか、お待ち下さいませね?

ご感想などはこちらへvv