葛 湯 A

 

          



 同じ高校生とは到底思えないほどに小さくて軽い。なればこそ、一際丁寧に扱わねばならない脆そうな対象にも思える大切な相手をそれは軽々と、頼り甲斐のある腕の中、抱え直して。ついと階上を見上げた彼だったが、
「………。」
 ちょっとばかり考えてからまずは玄関に戻った。開けっ放しのドアを閉め、三和土
たたきに大きな靴を脱ぐ彼で。どういう風に家の中の気配を読んだのか自体が謎であるが(笑)、土足で踏み込むほどそんなだけ慌てて、反射に任せて体が動いた彼であったらしく。ドアを内側へと引く間、片腕だけという余裕で、コートで着膨れたセナを抱えてしまえる彼なのがとても頼もしくて、
"………。/////"
 ただ恐縮するだけでなく、別の感情までもが沸き立って来た。雄々しいばかりな胸板の、コート越しの頑丈そうな質感と、ほんの鼻の先という間近になったおとがいの引き締まった線や形のいい耳。動くたびにコートの襟元から彼の男臭い匂いがして、そんなこんなに煽られて、頬が…風邪のせい以外の熱を帯びて赤くなる。再び家の中へととって返し、階段から転がって来たセナだったからとそのまま二階へ。やはり開けっ放しのドアを見やってそこへと入り、窓辺のベッドへ本来の住人をそっと降ろしてやる。くっついていた体が離れた隙間へ、そしてごそごそと脱いだコートが離れた全身へ、一瞬だけ冷えた空気にさらされたような寒さを感じたが、手際よく布団を掛けてくれ、大きな手のひらで寝乱れた髪を撫でてくれたので、そんなささやかな寒さなぞあっと言う間に溶けていった。………とはいえ。
「…あの。」
 聞きたいことはやっぱりある。確かに進に会いたいと切実に思いはしたが、その望みがどうしてこうまであっさりと叶ったのか。もう既
とうに学校へ出掛けていたであろう彼に、あの伝言がどうやって届いたのだろうかと。少年が物問いたげな顔になったのが通じたか、
「今日は休みだ。」
 進はすっぱりと、そう言った。王城では付属の大学の入試準備に高等部の職員までが駆り出されるとか何とかで、今週一杯までが冬休みなのだそうだ。それをセナへと前以て言っておかなかったのは、例によって"聞かれなかったから"であり、それでも習慣になっているからと出掛けた朝のトレーニングから戻ってすぐ、電話の留守電メッセージにいち早く気がついた彼だという。
「でも、どうして家の方に?」
 待ち合わせ場所へ行けないという言い方をした筈だ。早く終わると思っていた部活が長引くからとか、そういう事情だとは考えなかったのだろうか? どうしていつもの、泥門高校の傍の駅前でなく、この家へ来た彼なのか。力が入らないらしい細い声で問われて、
「年賀状で住所は判ってたが。」
 はい。クリスマスにお会いした時に、進さんの住所を聞いたので出せました。いや、そうじゃなくって。
(笑) えっと…と、どういう言い回しをしたものかと瞳をキョロキョロさせるセナへ、
「出掛けられないって言っただろ?」
「…あ。」
 相変わらず、何てまあ端的な。えとえっと、つまり。セナが掛けた留守番電話へのメッセージの中に、こういう一節があった。

   『会いたかったけど、あの…なんかちょっと出掛けられなくて。』

 一旦は学校へ登校している人間が"出掛けられない"と口にするのは理屈が訝
おかしい。それで、自宅から外出出来なくなったのだなと思ったのだそうで。
「声も。」
 少し鼻声になっていたからと、それを統合して"これは家で寝込んでいるのだ"という解釈をしたのだそうな。冷静かつ客観的な分析は、さすが、名門・王城ホワイトナイツのラインバックである。
おいおい
「見舞いなんて却って気を遣わせるかとも思ったんだが。」
 だが。口は噤んだが、視線は真っ直ぐ動かない。ふっかりふくらんだ羽毛布団や毛布の端っこが重なった襟ぐりに、赤くなった頬を埋めている幼いお顔。熱に浮いて潤みを帯びた大きな眸が、どこかとろんと力なく見開かれていて…。

   「………。」

 元来、気の利いた何かが言える男ではない。そんな彼が。なお舌を凍らせ、ついつい見とれた。そして、
「………。」
 しばらくの間、ただただ黙りこくったままだった後、その表情も変えないままながら…ぽつりと呟いたのが、

   「…やはり、来て良かった。」

 よく響く声で紡がれた、そんな一言だったものだから。
「えと…。/////
 ああ、また熱が上がったのかも。セナは顔から火が出そうな想いを、だが、随分と幸せそうなお顔にて体感していた。






 エアコンが効いていて、早々にコートを脱いだ進は、勉強机の椅子をベッドの際まで引き寄せて、しばらくの間、どこかどぎまぎしているセナの様子を微笑ましげに眺めていた。…といっても、外見からそうと判断出来る者は相当に限られているのだが。
(笑) 眸の色を心持ち柔らかくゆるめた彼の、珍しくも"判りやすい"甘い表情へ、
"ふや…。/////"
 ますますと顔を赤くしたセナだ。だって、そういえば家に上がってもらったのは、いやいや、訪ねてもらった事自体が初めてだ。だというのに、部屋の中は脱いだ服とか床に一杯散らかっていて、しかも自分はパジャマなんか着て横になってて。顔は一応洗ったけど、髪は梳いてないし、何よりついさっきまで寝ていたし。何だか無性に恥ずかしくて仕方がない。どこか困ったようなお顔がいつもに輪を掛けて幼
いとけなく見える彼へ、
「もう昼だ。何か食べるか?」
 そんな声を掛けたのは、きっちり12時のこと。机の上、2つほど並べられてあった、医院付属の薬局の白い薬袋を見てのことだろう。
「あ、はい。あの…。」
 階下の台所に、母が用意して行ってくれてる筈です。あと、えっと。確か作り置きのグラタンライスが冷凍庫にあった筈。もし良かったら電子レンジで解凍して進さんのお昼に食べて下さい…と、頑張って言ってはみたのだが。身を起こしながらそう言い出すセナを易々と布団に押し返し、
「待ってろ。」
 やはり短くそう言って、椅子から立ち上がる進であった。
"えと…。"
 機敏な動作がちょっと素っ気なく見えたが、それはいつものこと。セナがお布団の中で少々小首を傾げたのは、

   "んと、電子レンジとか、進さんて…使えるのかな?"

 ………ん"〜ん、どうなんでしょうね、その辺。
(笑)



            ◇



   『会いたかったけど、あの…なんかちょっと出掛けられなくて。』


 他の家族に聞かれない前に、自分が最初に聞けた彼からの伝言。約束を反故
ほごにすることへ恐縮していた声は、それでもいつもならもう少しはきはきしている彼らしくないほど力なくて。何よりもこの一言の冒頭部分が、どうしても看過出来ず、部屋へと戻るとさっさと着替えていた。住所は年賀状で判っているからと、コートのポケットにそっと入れ。さて。再び出掛ける旨を、後から帰って来ていた母に告げるべく、台所へと顔を出すと、
『はい。』
 差し出されたそのままに、手渡されたのが風呂敷に包まれたタッパウェア、中身入りだった。
『多めに作っておいてよかったわ。お見舞いに行くのでしょう?』
 ………進家の電話は、玄関と台所をつなぐ幹線道路、もとえ、一階中央の廊下に置かれてある。再生した後、わざわざ消去しなかった伝言を、帰宅するたび確認する習慣のある彼女にも聞かれたらしい。
『五目いなりと、小さい方のは黄桃やフルーツだから。お風邪ならお稲荷さんの方は食べられないかもしれないけれど、それならあなたがお弁当になさい。』
 コンビニでレトルトのおかゆとか売っていますからね、いーい? お鍋にお湯を沸かして袋のままひたす"湯煎"で温めるだけだから、あなたでも大丈夫な筈よ? それと、と、もうひとつ渡されたのがステンレスのスリムな水筒。
『こっちは葛湯が入っているの。甘めにしてあるから、そうね、ご飯の前に湯飲みに注いで飲ませてあげて。食欲が出るから。』
 口が重くて何も言わない息子に、いつだってきっちりと先回り出来る母親だ。手際の良さは、さすが武道をたしなむ家に嫁に来ただけはある。階下に降りて、廊下の途中に放り出したままになっていたそれらの包みを手に取った。幸い、投げた訳ではなかったので、蓋が開くというようなアクシデントは起こっておらず、全部が無事なままでいる。それを奥向きの台所へと運び込み、あちこちを見回して………幾刻か。



「…あ。」
 二階へと戻って来た進は、横長のお盆へカレー皿やらガラス鉢やらマグカップやらと、いろいろ抱えている様子。机の上を片腕でずずずっと"整地"してからお盆を乗せて、ちょっと室内をキョロキョロ。そんな様子へ、
「あ、テーブルだったら。」
 朝ご飯で使った小さなテーブルをベッドの足元に立て掛けている。そちらを見やったセナの視線を辿り、テーブルを手に取ると脚を起こして。
「…えっと。」
 少々手間取って…と言うか、こういうことへの段取りにはさすがに不慣れなのだろう。一瞬、どうしたものかとテーブルを持ったままで立ち往生。その一方で。いつだって威風堂々と頼もしくて、何にだって胸を張って傲然と立ち向かえる彼だのに。こういうことへは太刀打ち出来ない進なのが、何だかちょっぴり可笑しくて。
「ふふ…vv」
 ついつい吹き出したセナは、
「あ、ごめんなさい。/////
 ちょっとだけ"むう"という顔になってこちらを見やった進に謝って。うんせ、うんせと身を起こそうとした。それを見て"ああ"と、進にも"事の順番"が見通せた様子。まずは、ガウン代わりに自分が椅子に掛けていたコートを小さな肩に掛けてやりながら、身を起こすのへ手を貸して。大きめな枕を立てて、背中に当てがってやる。それから、布団を整えた上へ、テーブルを膝辺りに置いてやり、これで"準備"は完了。運んで来たお盆から、お借りした皿やカップを大きな手が次々に載せてゆく。深さのあるカレー用のお皿には、ほわりと湯気の立つ白がゆ。いつもは父がご飯を食べている、少し厚手の瀬戸物のお茶椀には、缶詰の黄桃や白桃がたくさん盛られてあって。それから…。
「これは?」
 とろみのある、ほんのりと白っぽい飲み物がマグカップに注がれていて。訊いてみたのへ目顔で促され、頷くと小さな口許を尖らせて"ふうふう"と吹いてから。恐る恐る飲んでみた少年は、
「…あ。」
 思わぬ甘さに嬉しそうに ほこりと微笑った。もしかして…何か風邪に効く苦いお薬かなと思ったらしい。
「葛湯っていうんですか?」
 初めて飲みましたと嬉しそうな顔になる。聞けば、あめ湯も甘酒もしょうが湯も卵酒も飲んだことがないそうで、
「あ、でも。黄粉
きなこミルクは飲んだことありますよ?」
「黄粉?」
 今度は進の方が知らない飲み物。黄粉と暖かい牛乳に、砂糖をちょっとだけ入れて作るんですよ? 体が温まって眠りやすくなりますよと、にこぉっと笑って見せる。その笑顔だけで、
「………。」
 やはり…傍からは判りにくいかもしれないが、う"っと口ごもるほどに たじろいだ進だったらしい。






 ほこほこと温かな雰囲気の中、お粥をきちんと食べ切ったセナは、進が食べていた稲荷寿司も1つだけねだって貰うほどに元気になったらしくって。お薬を飲んで、しばらくは他愛のないことを話していたのだが、
『………小早川?』
 傍目には到底弾んでいたように見えなかったろう"恋人たちの会話"の
(笑)、その返事が不意に途絶えて。おやと覗き込めば、
『………
ふに…。』
 今にも開きそうな軽い閉じ方をした目許に、薄く開いた口許。どちらも同じくらいの微妙さで合わさっていて、軽くつつけばすぐさま起き出しそうな微妙な案配。けれど…、
"………。"
 先程も感じたこと。こんなにも脆そうな、微妙な、繊細なものを、思えば…こうまで間近に見たことがない。いや、実はちゃんと傍らに幾らでもあったのかもしれないが、視線が高いまま遠くばかりを見ていた自分にはこれまで到底気づくことが出来なかった。
"………。"
 こんなに小柄で、肩も手も小さくて。仕草も表情もまだまだ幼
いとけない少年。フィールドに立てば…打って変わってそりゃあもう手を焼いた相手なのに、そんな事を微塵も感じさせない、小さくて無邪気で丸ぁい子供。そんな存在を、この荒らくたく強引な自分が傍に居て守り保つことが出来るというのが、何だかくすぐったい。そうと感じてからのずっと。すやすやと寝入った幼い寝顔を。もうどのくらいになるか、ずっとずっと見つめていた。相変わらずに薄く開いた口許。額に貼りついた後れ毛を大きな手でぐいっと掻き上げてやると、丸ぁるい額があらわになって。幼い面差しが尚のこと子供々々したそれになる。その額へ。ふと。
「………。」
 身を起こすとゆっくりと覆いかぶさって。

   「………。」

 そっとそっと口づけた。
「………。」
 接吻なんてムードのあるものじゃあない。唇で触れてみたという程度のもの。仄かにまだ熱のある感触になんとなく心配にもなったが、顔を上げて見下ろすと、
「………うにゃい。」
 ほこりと。楽しそうに微笑って眠り続ける"愛しの君"だったから。こちらもつい、くすくすという笑みがこぼれて。



    「…さて。」









            ◇



 うたた寝から眸を覚ましたのは、部屋のドアをノックする音に気づいてのこと。
"…あれ?"
 だが、少し弱くなった冬の西陽が窓の外に見える室内には誰の姿もない。
"進さん?"
 寝ている間に帰ってしまったのかな? それとも、もしかして。あれって全部夢だったのかな? ぼんやりしたまま返事をしないでいると、
「セナ? 入るわよ?」
 まもりの声がしてドアが開いた。コートにマフラーという恰好の彼女であり、制服のスカートが裾から見えるところから察するに、自宅へ帰る前に立ち寄ったらしい。
「起きてたのね。熱は?」
 訊きながらベッドまで歩みを運び、額に白い手のひらを当てる。少しひやりとする手は、だが、とっても柔らかい。熱はもう無いみたいねとホッとして、
「偉いね、ご飯、ちゃんと食べたんだ。」
 机の上に、食器を載せたお盆があるのを見やり、お粥を食べたことを確認する。
「? あら? このカップ…葛湯?」
 マグカップに仄かに甘い香りが残っていたのへも気づいたらしく。そして、その一言へ、
「………あ。」
 夢なんかじゃないんだと、気がついたセナだ。甘い甘い葛湯と、こちらが横になっていたせいで、外で会う時よりお顔がとっても間近になって。恥ずかしかったけれど嬉しかった、楽しかった一時と。
"そか…夢じゃなかったんだ。"
 階段から落ち掛けたところを抱き上げてもらった。大きな手で沢山撫でてもらった。寝ちゃうまでのずっと、退屈だったろうに傍らにいてくれた。
「じゃあ、今からお雑炊作るからね。しっかり食べて、早く元気になんなきゃね。」
 まもりが掛けて来た声さえも耳に入っていないよな。ほややんと浮いたお顔になったものだから、
"変ねぇ。また熱が上がったのかしら?"
 もう一度おでこに手のひらを当ててみた彼女であったのは、言うまでもないことであった。
(笑)







   aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


「そうそう。ねぇ、どうして玄関のノブ、右に変わってたの?」
「…え?」
「だから、玄関のドアの。
 向かって左についてたのに、さっき見たら右になっていたのよ?
 開き方が逆になってたんだけれど、どうして?」
「そう、だっけ?」
 朝方にお医者に行って帰って来て。その時には気がつかなかったけれど。
「あと。下駄箱の上に、大工道具のツールセットが出しっ放しになってたわよ?」


   「???」


 ………まさか、もしかして。ドアを"外して"飛び込んだ誰かさんが、彼なりに頑張って、直して帰ったとか?
(う〜ん。)




   〜Fine〜  03.1.5.〜1.7.


  *コミックスのおまけページによれば、
   セナくんのお部屋にはベッドがありませんで。
   いちいちマットレスから押し入れにしまっていて、
   毎晩きちんと敷いているのだろうか?
   一人っ子ならもう1部屋、寝室として使っているのかもしれないのかな?
   (ウチの姫が、あまりに散らかした時なぞにやってます/笑)
   このお話では、普通のシングルベッドを据え置いているということで、
   進くんのお家やお母さんの設定同様、
   すみませんが大目に見てやって下さいませです。(う"うう)


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