聖蒼のルミナリエ 
孤高の天狼宮
 


          




 彼
の人の存在感は、冬の碇星みたいに それは冴えた深色の眼差しに象徴されている。凛々しくも清冽なれど、鋭利に尖っているのではなくて。剛の雄々しさを芯に、荘厳な熱情を秘やかに呑んで力強く。曠野の中にあっても悠然と佇む、頼もしい余裕をはらんだ孤高の人。己に厳しくストイックで、極めて真面目。どうかすると古風なタイプで、その重厚さや融通の利かなさそうなところが、何となく敬遠されそうな人でもあるのだけれど。頑迷さを匂わせるばかりだったそんな印象も、この1年の間に随分と払拭されつつあって。
『当然、瀬那くんからの影響あってのことだよ、それ。』
 彼とは正反対なタイプだろう、華やかで気の利く、それは社交的な親友さんが"これまでどれほど手を焼かされたか"と肩をすくめながら苦笑してたっけ。

  "…ボクとしては、元のままの進さんでいてほしかった気もするのだけれど。"

 見ず知らずの女の子からラブレターの橋渡しを頼まれるほどに、その印象が随分と柔らかくなった彼
の人は、進清十郎さんといって、只今 高校3年の受験生。周囲の皆様が揃って仰有るように、随分と気安い印象になって来た…とはいえど。相変わらずに表情のバリエーションも乏しければ、それを補うべく感情を表現するための言葉も足りず。でもでも、そういう寡黙なところも、今の彼と同世代の女性たちには、立派な魅力の1つとして数え上げられる要素になり得ることで。視線が高く、どこか大人びていたがため、群衆から離れた先にて孤高でいた彼であったものが。これまでは"面白みのない人"と思われていたものが、今や十分過ぎるほど"頼もしい人"として注目を集めつつあるのは事実だ。
「どうしたんだ?」
「…はい?」
 何となく。すっきりとした男臭い横顔に見とれていると、その持ち主さんがこちらを向いて、そのまま真っ直ぐな視線を向けてくる。あんまり不躾に見つめ過ぎたかなと、あやや…と肩を窄
すぼめて誤魔化しながら、小首を傾げて"何がですか?"と応じる小柄な少年は、小早川瀬那といって、進さんとは一つ年下の後輩さん。喫茶店の小さな白いテーブルの上、無造作に置かれた進の大きな手の甲が、弱いめの晩秋の陽射しを受けて暖められている。通りに面した側の壁がそのまま大きな格子窓みたいになっている、小さな珈琲専門店のいつもの席。11月2回目の連休の、その二日目のQ街は。今年流行の型のだろう、ブーツを履いた女の子たちが、白いお膝を堂々と見せつつ、笑いさざめきながら元気に闊歩してる姿が目立つ。特に目当てもなく、だが、何となくでもなく。きちんと前日に時間と場所を定めて駅前にて待ち合わせ、いつものコースである書店や雑貨屋、ステーショナリィのお店にスポーツ店などを眺めて回り、いつもの喫茶店で一休み。セナが初めて見る焦げ茶色のジャケットに浅い芝色のタートルネックのセーターを合わせていて、ボトムは黒っぽいGパン。真っ黒な髪をざっくりと刈った短髪の映える、頬骨の少し立った鋭角的な顔立ちに、上背があって肩も胸板も厚く、がっちりと充実した体躯をした彼は、とてもではないが高校生には見えなくて。さっきまで歩いていた街路でも、

 『…え?』
 『きゃっvv
 『ねっねっ、カッコよくない?』
 『ステキステキvv

 通りすがりの女の子同士の一群をこそこそと沸かせるほど魅了していたようだったが、そんな彼本人の意識はといえば、連れである小さな少年にばかり向いていて。
「何だか…様子が。」
 短い一言で、通じてしまうセナくんなのも大したもの。こちらの雰囲気を感じ取って、気を遣ってくれている進さんだと、瞬時に判って、

  "あ…。"

 いつもと変わりなく振る舞っているつもりでいたのに。演技とか取り繕いというのではなくて。精一杯楽しまなきゃって、勢い込んでさえいる自分な筈なのにって、そうと思って。だからこそ、そんな風なことに気を留めた進さんだというのが、物凄く意外で…どきりとしたセナで。
「試合に集中したいのだろうな。呼び立ててしまって済まなかった。」
「あ、いえ。そんなじゃないです。」
 誰にもそうそう易々とは与
くみせぬ、孤高の瞳を持つこの人は…ホントは懐ろの深い優しい人だと、ずっと前から知っていた。ただ、それまでは必要ではなかっただけ。ただ、不器用な人なだっただけ。小さな手をした、ちょっぴり気の弱い怖がりな少年を相手に、壊さぬよう怯えさせぬようにと、慣れぬことだろうに懸命に、それこそ健気なくらいに気を遣ってくれる人。柔らかな髪に、ふかふかの頬に。そぉっと手を伸べ、指で触れ、大切なものとして慈しむように撫でてくれる優しさに。どうしてかな…胸の奥がきゅうとなって、そのままじわじわと泣きたくなる。

  "ああ、こんなだから。進さんが気がついちゃうんだ。"

 ダメだな、もっと上手に嘘がつける子だったら良かったのにね。つい先日、ひょんなことからささくれ立ってしまった心の奥のほころびに。忘れよう、気にすまいと、思えば思うほど捕らわれてしまっている、こちらも切り替えの下手な、不器用なセナくんだったりするのである。








            ◇



 来週には師走を迎えるとあって、季節は暦と共に急速に冬へと向かっており、だが。今年の気候は何故だかまだ何となく暖かい。木々の梢の彩りにも、言われなければそれと気づかないくらいであり、マフラー姿は良く見るが、まだまだコートの出番は早すぎるという観のある、ちょっとばかり勝手の違う晩秋である。そんな中にあって、
"………。"
 ついついこぼれかかる溜息を飲み込んでは、胸の下、みぞおちの辺りを押さえてしまうセナであり。
"…ダメだなぁ。"
 気にしないって決めたのにねと、それでまた溜息が出そうになる悪循環。それ自体は、何の憂慮も要らない…はっきり言ってセナの誤解に過ぎない、所謂"杞憂"という代物だったのだけれど。一度体感してしまった"身の凍るような想い"というやつは、例えば…夜中に寝つけないままでいる布団の中で、じわじわと思い出されては居たたまれなくなって身を起こしてしまうような、そんな冷たい欠片
かけらのまま、セナの胸の奥深くにいつまでもいつまでも居座り続けていた。忘れたいのに忘れられない。毎日パタパタと忙しくて、その中には楽しいことも一杯起こるのに、それでも…塗り替えられることも薄まることもないまま、一向に出て行ってはくれない冷ややかな想い。進さんと並んでいる構図が、それはお似合いで自然に見えた可憐な少女。その子自身は、どうやら桜庭さんがお目当てだったらしいのだそうで。だから本当に杞憂というのか、セナの勝手な思い過ごし、勘違いだったのに、でも。
"………。"
 お昼下がりの校内の、通りかかった階段の踊り場にて。セナとも同じクラスの男子と女子とが、向かい合って仲良さそうに何か話している。そういえば、いつも一緒に帰ってるの見るよな。ああ、そうか。お付き合いしてるんだね。二人とも幸せそうに笑ってる。いいなぁ、なんて思いつつ、昇り切った二階の廊下で、
「おい、糞チビ。」
 聞き慣れたお声に呼び止められた。
「は、ははははいっ。」
 今だに背条がびしって、反り返りそうなくらいに立ってしまう条件反射が抜けない この声の主様は、
「どこウロウロしてやがったんだ。」
 何やら急
いてたらしきご様子にて、整髪料でピンピンに立てた金の髪も威嚇的に、切れ上がった鋭い眼差しをぎろりと小さな主務くんへと向けてくる。廊下を見渡した…こっち端と向こう端までの間に誰の姿もなくなったほど、他の生徒たちにも恐れられまくっている彼は、蛭魔妖一という3年生で。恐ろしげなお名前にそぐうだけの実績(?)を持つ"悪魔のような人物"として、校内のみに留まらず、その行動範囲の及ぶ限りのどこででも、誰かから何かしら恐れられているという、底の見えない凄い人。でもでも、セナの俊足を見いだして、そんなお前が必要なのだと、生まれて初めての"自信"をつけさせてくれた人でもあって。怒りっぽくて威嚇的なところは相変わらず怖いけど、それでもね、根は優しい人だって知ってるから。
「えと…。」
 何か御用でしょうか? と。ちょっぴり暢気にも、ひょこりと小首を傾げて見せる。そんな いかにも幼
いとけない様子に、ふんと息をついて見せ、
「水曜の放課後にな、練習試合を組んどいた。春も都大会の決勝でも、ホワイトナイツの北村の馬力に手ぇ焼いただろうが。あれを克服するためにだな…。」
 そうと説明をしかかった、頼もしきご隠居様だったが、

  「…?」

 何だかしゃんとしないながらも、懸命に普段通りでいようと構えるセナには、日頃からも"目立たないでいよう"としているような大人しさがあったから。特に気に留まるような不審なところもなく見えてか…まもりや雷門くんなどという、たいそう間近にいる周囲の人たちもなかなか気がつかなかったのだが、

  「何〜んか変だぞ、お前。」

 覇気の足りなさや、空元気。日頃、きっちり見守ってる人にはちゃんと判るものならしい。かくんと小首を傾げて見せてから…まるで目の前に捧げられた供物を検分する魔神様のように。きゅううと目許をきつく眇め、鼻の先がくっつくほど近づいては、後輩さんのあちこちをジロジロと眺め回す蛭魔であって。
「や、やだなぁ。何にも変なことなんて無いですってば。」
 お顔の表情から、ワキワキと落ち着かない手元や指先、キョトキョト震えてる視線などなど。何か訝
おかしいと言わんばかりに、まじっと見つめて…何十秒か。
「…ホントに何も隠してないのか?」
 再びお顔の真ん前に、視線の高さをわざわざ合わせて、蛭魔さんのお顔がぴたりと止まった。意地悪そうで威嚇的な、いつもの挑発のお顔ではなくて。
"…あ。"
 細い眉を立ててもいない、淡い虹彩の瞳を真っ直ぐに…こちらの瞳の中へと射通すように振り向けた、とっても静かで真摯なお顔。少しだけ垂らされた前髪に透ける賢そうな額に、白い頬や細い鼻梁、薄めの緋色をした口許で構成されたお顔が、それは端正だと思い知らされる静かな真顔。
「お前、何でも独りで抱え込むとこがあるだろうが。」
 いつもは張りがあって伸びやかな声が、静かに響いて優しく甘く。話してご覧なと やわらかく心に届く。ああこの人も、桜庭さんとのお付き合いから、随分と人が丸くなったんだなぁと、何だか ほこりと嬉しい気持ちになって来て。…でも、
「ホントに。何でもないんですってば。」
 誰かに話せるようなことではない。自分の中でも未消化なこと。いくら…例の件を唯一知っている蛭魔さんが相手であれ、微妙に複雑に絡まってるままなややこしいこと、打ち明ける訳にはいかなくて。それでじりじりと後ずさりを始めると、
「………嘘をつけ。」
 何にも無いから 何でもない、へ。微妙ながらも言いようが変わった。そんな微妙なことを、きっちりと聞きとがめていた…こちらもおサスガな先輩さん。
「事情に一番通じてる俺に話せなくて、誰に相談出来るってんだ。」
 こつんと。こちらのおでこへ額をくっつけて来て、
「進になんぞ相談出来る問題じゃあないんだろ?」
 ついつい。思い当たりかかっていた名前をひょろっと口から出した途端に、
「………っ☆」
 セナ自身からして、何かに驚いたような顔になり、それから………。

  「………つっ。」

 膝から崩れ落ちるように廊下へと座り込むと、辛そうに眉を寄せ、みぞおち辺りを押さえて。体を前へと折り曲げて、そのまま…倒れてしまったセナだったのだ。







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  *先のお話『北天迷宮図』の続きでございます。
   何やら引っかかるものを胸に抱えたままになってたセナくんでしたが、
   はてさて、一体どんな展開を見せるのか。
   師走のお忙しい時期ではございましょうが、お付き合いいただければ幸いです。