聖蒼のルミナリエ 
孤高の天狼宮 A
 


          




 耳鳴りがしそうなくらいに静かな空間へ。きゅきゅきゅ…っという、Pタイルの廊下をスニーカーで駆けてくる慌ただしい足音が遠くから響いて来た。学園のマドンナにして風紀委員で、日頃はお行儀のいい彼女でも、コトが"セナの一大事"ともなれば、緊急避難…已を得ない"不法行為"をも顧みない人になる。

  「セナっ!」

 同じ校内にいる筈の人物からメールで呼ばれた まもりであり、がらんとした集中治療室の中、診察用の簡易ベッドの傍らの丸椅子にその発信者が腰を下ろしているのを見て、
「…蛭魔くんっ!」
 きりりとその眦
まなじりが吊り上がる。何しろ、彼は"泥門始まって以来"と名にし負うほどの問題児。銃器マニアで危険物を当然顔で隠し持ち、突飛な行動は暴力的で、尚且つ、大胆にして傲慢。そんな素行も問題だが、それ以上に問題なのが…彼と在学期間を同じくした在校生&卒業生たちの殆どが、何かしらの形で彼を恐れていることで。噂では…様々なコネクションを生かして集めた情報をネタに、有ること無いこと振りかざしては、大概の相手を屈服させているとかどうとか。そんな"俺様"で"悪魔"な彼に、入学した途端に目をつけられた幼なじみの身を、この2年間ずっと案じて来た彼女であり、関心さえなかっただろうアメフト部のマネージャーになってまで…というから、それはもう、半端な思い入れではない代物で。身を呈してでも守ると決めていたその幼なじみが倒れ、しかも救急車で病院へ運ばれたと聞き、午後の授業を放り出して駆けつけたのだ。
「どういうことなのっ!」
 こんな一大事に際しているのに、普段と変わらない…冷然とした落ち着き払った蛭魔の顔が、こちらの焦燥を尚のことに煽る。いつまでも小さくて、ともすれば可憐なくらいに幼
いとけないセナは、まもりにとっては懐ろに入れてでも庇い守らねばならない対象であるらしく。それが…救急車で運ばれ、細い腕へと点滴の投与を受けているのだから、こんな痛々しい姿を見て逆上するなという方が難しい。
「あなたが何かしたのっ?!」
 蛭魔が何かした、その結果なのかと詰め寄るまもりへ、
「違うよっ。」
「セナ?」
 騒ぎに気づいて目を覚ましたらしきセナは、当然否定して見せる。
「ボク…いきなり気持ち悪くなっちゃって。そしたら蛭魔さんが救急車呼んでくれて、それで、ボクのこと、此処まで運んでくれたんだもの。」
 ついでに言うと、ここは緊急救急設備のあるような公立の総合病院ではなく、こんなところにあったのを まもりも知らなかった、どこか荘厳な作りの大きな個人病院だった。だからこそ、待たされることもなく、迅速な処置をしてもらえもしたのだろうことは想像に易く、
「でも…。」
 この人と一緒だとロクなことがなかったのも、ある意味で事実ではある。普通の高校生は体験しなかろう様々な試合やらお膳立てやらに巻き込まれて来たのだし、これまでは見事蹴倒して来れたから難儀にも攫われず助かっていたものの。大事なセナに何かあったらと思うと、そこはやはり気が気ではない まもりであるらしく、そして。
「おい…。」
 そんな意が通じたか、細い顎をしゃくって見せて、立ち上がりながら目顔でまもりを呼んだ蛭魔は、

  「あいつ、昨夜あたりから何も食ってなかったらしいぞ。」

 戸口まで離れるとそこで簡単に事態を説明した。いきなり胸元を押さえて倒れ込み、昏倒する直前にちょっとだけ吐いたセナだったのだが、昼食後、さして時間も経っていないにもかかわらず胃液しか出てはおらず、
「センセーが言うには、何かしらのストレスから来る胃の収縮だろうって話だ。」
 精神的なことが肉体へ影響を覗かせるということはよくある。あまりの悲しさや緊張から食欲がなくなるとか、胃が痛むとか。それが嵩じれば胃酸が出過ぎてその結果、胃に穴だって開くというもので。
「物を食べないってのはな、思ってるより危険な信号なんだよ。過ぎれば胃袋が縮んだままんなって、そのまま"拒食症"にだってなりかねない。…付いててやってくれ。」
 ぼそりと告げて、
「今日は部に出なくていいから、その点滴が済んだらさっさと帰って養生しな。」
 肩越しに見やったセナ本人へも声をかける。支払いは済んでいるらしく、診断書と内服薬とを まもりの手に渡して、そのまま蛭魔は人の姿のまるで見えない、整然と静かな廊下へと出て行った。

  "…ったくよ。"

 昏倒していた間、傍らについていた蛭魔だけが目撃したものがある。

  『…進さん…。』

 小さな声での呟きと、目許にふわりと盛り上がった透明な一粒の涙。あまりにも健気なそれらこそが、全ての答えだと感じた蛭魔である。
"………。"
 切なそうな声と涙。楽しい夢での逢瀬とは到底思えなかった。まさかまだ、あの封筒にこだわっている彼だとも思えないのだけれど。進の名前が出たということは、
"あそこから何かが尾を引いてるってことかもな。"
 何しろ"あれ"からまだ日が浅い。あれは誤解であり、セナの側からの勝手な思い込みによるもの…だった。ということは、相手へと感じた不審なんぞが原因ではなかろう。鈍感そうな進のことだから、そんな事態があったということにさえ気づいてはいないのだろうし、隠し通せているセナだろうし。
"だが…。"
 昏倒するほど思い詰めるまでのものを抱えているのは紛れもなく。そこに連なる何かを、余計な方向へ憂慮している彼なのではなかろうかと。そういう"察し"は容易に出来て。セナが抱いた不安は、もしかすると…自分たちの先行きという種の不安なのかも。ラブレターの受け渡しなんていう形によって、男女による交際、所謂"モラル"に則った正当な間柄からは少々ズレている自分たちなのだと、今更に思い知らされて…。
"いやいや、あいつのこったから…。"
 もしかしたら。進に負けない暢気さから、これまでは"物凄い人がお友達になってくれたvv"という認識しかなかったセナなのかも知れない。
"…ありえるよな、それ。"
 だが、頭や理屈ではそう把握していたものでも、心の方は正直なもの。逢うだけで胸が切なく締めつけられるような、相手を思うだけで頬に熱が集まってしまうような、ただのお友達以上の愛おしさや執着を1年以上という歳月の積み重ねによって育んで来た愛しい人。心の中での"一番"という特等席にいつも据えていた存在が、だが向こうからはそうでなくなるという寂しさは計り知れないものがあろうし、彼が感じた衝撃がそれだとすれば…そうそう簡単に払拭出来たとも思えない。

  「〜〜〜〜〜。」 

 繊細なのも考えものだと、困惑の頭痛を感じた蛭魔であり。………で、やはり人の気配の少ない通用口から外へと出ると、おもむろにポケットから取り出した携帯電話を操作して、


  「………あ、俺だ。今、空いてるか?
   そか。だったら今から迎えを寄越すから、こっちまで来てくれないか。
   ちょっと手伝って欲しいことがあるんだが………。」


 見上げた空は既に茜に染まりかかっていて、晩秋の夕暮れが始まりかかっている頃合い。どこか物寂しくて人恋しくなる、寂寥感の滲み出すような つるんとした風の中、強かそうな長身痩躯をそびやかせ、制服姿の悪魔さんは…何やら企んでいる気配であった。





 


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  *いきなり急転直下な話運びですみません。
   続きも頑張って書いております。
   どうかどうかお待ちあれ〜〜〜っ!