迷子の仔犬たち
A

 

          



"え…っと。"
 進清十郎は相変わらず、どこを目指しているのやら。最初の電器店の店頭のディスプレイを見ては"いやいや違うな"と踵を返し、駅ビルのショーウィンドウに家電が並んでいるのへじっと目を据えたがそこにも目的のものはなかったのか、またまた何も言わないまま歩きだす。進んでは止まり、方向を定め直してはまた歩みを黙々と繰り返す進に、こちらも黙って従っている小早川瀬那はというと。
"………♪"
 気が済むまで好きにさせておこうと、まるで大型犬の奔放な散歩に付き合っているかのような心持ち。暖かな大きな手に掴まって、何だかほこほこと嬉しそうである。いくら小柄なセナでも、女の子…にはさすがに見えないが。目を離すと迷子になりやすい、どこか頼りない小さな弟か従兄弟を連れた大学生という二人連れに見えるらしいと、秋口のやはり街歩きの際に、街頭アンケートを取っていたお姉さんから言われたので。人目はあんまり気にならないし、大好きな進の大きな手を、ずっとずっと独占出来るのが嬉しくてしようがない。滅多に手袋は使わない彼で、でもセナにはちゃんと嵌めていなさいと目ざとく言う。それでなくとも部活で痛めつけている小さな手を気遣ってくれる。その手をそっと、最初のうちは加減が分からないらしい掴まえ方をしていた進も、さすがにそろそろ慣れて来たか、丁度いい強さでしっかと握ってくれるようになったのもまた嬉しい。
"大きい手だなぁ。"
 いつも感心する大きな手。温かで少ぉし節槫
ふしくれ立っていて、いかにも"男の人"の手だと思う。お父さんの、という意味ではなくて、何てのかな…うっとうっと。大きいだけじゃなくって、何だか頼もしいというのかな。男の子って何だか荒っぽくてがさつでと、そういう風に捉らえられるよな"男の子"っぽさではなく。確かに大きくて武骨なんだけど、機能的に動くのが綺麗でカッコいい、惚れ惚れする素敵な手。力強さの象徴みたいで、きっちりと守ってくれるのが嬉しい手。
「………♪」
 今は彼の注意もちょっとばかり"よそ"を向いているけれど、そんなのちっとも苦にならない。だって、不器用な人なのはもう知っているもの。一度にあれもこれもと こなせない人。だのに…お買い物に集中しつつ、自分の手を取ることにもちゃんと力加減してくれている。これは凄いことなのだと判るから、セナとしてはやっぱり嬉しくてしようがない。欲が薄いという訳ではなく、今はこれ以上を望むなんて思いもつかない、可愛らしい最初の絶頂期というところかと。
(笑)


 ――― そんな風な、何とも慎
つつましい道行きを堪能していた二人に、
     まさかの毒牙、魔の奔流が襲い掛かろうとは…っ!


 くどいようだが、街は年明け最初のクリアランスセール一色に染め上げられていて、人波も普段の週末より層が分厚い。冬の着膨れもあろうし、バーゲンが目的なのだろう、どこか熱気を孕んだ生気に満ち満ちた女性陣が多い。すぐ近場の駅から快速が着いたのか、天井が明かり取りを兼ねたガラス張りの"ガレリア"になっている、小洒落たモール街の道筋に、突然どっと勢いのある人の波が押し寄せた。乗り換えの連絡の関係で、JRから私鉄から公営地下鉄から市営のバスまで、一斉に到着したらしく、

   「え?」
   「…あ。」

 特に道の真ん中を歩んでいた彼らではなかったのだが、後から追従していたセナが少し遅れて引かれるようにして歩いていた位置関係が災いした。目的地しか見えてはいないのだろう、その大半が女性ばかりな人の波。上背がある頑丈な進は、当然ぶつかり負けもせず、びくともせぬまま立っていられた。向かって来るものに押され負けして流されるようでは、王城ホワイトナイツのレギュラーを張っている名が廃
すたるというもので。ただ…岩を洗う奔流という言葉のそのように、そのすぐ傍らに添っていた小さなセナはあっと言う間に浚われてしまい、
「あっ、進さんっ。」
 あれよあれよと言う間もなく連れて行かれてしまった、愛しい連れの子。
「………小早川?」
 せめて一緒に流されていれば…と後悔しても始まらない。高校アメフト界が誇る、最強のラインバックと非公認ながら最速のランニングバックとを引き裂いた、バーゲン客の奔流恐るべし、である。
おいおい


            ◇


 ほどなくして人の奔流からは無事に解放されたものの、随分と奥まった辺りにまで攫われてしまったようである。確かに"ランドマーク"級
クラスの上背を誇る進ではあるが、例えば…樹海の中から常に富士山は見えているだろうか? だったらああまで遭難者は出ない筈。変な例えで恐縮だが、つまりはその理屈で、いくら相手が身長のある進であれ、こちらのセナの身長が覚束無いのでは、視線が人の流れに埋没してしまい探すどころではない。
"うっと…。"
 ごそごそと手を突っ込んだコートのポケットの中には携帯電話。だが、進は相変わらず、携帯は持っていないという。彼らしいなと微笑ましく思う反面、こういう時にはちょっと困るかも。
"あ〜あ。"
 せめて、何を買いに来たのかを聞いてあれば。その店の前にて落ち合うということも出来たのに。これでは完全に指針を見失った遭難者である。
"どこか高いところに上ってみようか。"
 おいおい。本格的なアドベンチャーに突入ですか?
(笑)
"…あ、でも。"
 筆者の突っ込みへではなくて
(いやん)、思い出したことが一つ。よく言われている"迷子の心得"だ。誰かとはぐれてしまったなら、慌ててあちこち歩き回らないで相手が探してくれるのをその場でじっと待てとよく言うではないか。そうしないと行き違いになって倍以上のすれ違いになる。両方が待っていては洒落にならないが、
"進さんなら…。"
 きっと探してくれるのではなかろうか。こんな時だけれど、こんな時だからこそ、そんな風に自惚れてしまっても良いよねと。ちょっとドキドキする胸をコートの上からそっと押さえて決意を固め、道端の大きなガラス張りの雑貨屋さんの、入り口までのアプローチになってる段差の隅っこにちょこんと腰を下ろしたセナである。

   ………と。

"…あれ?"
 何だかさっきから、セナのすぐ間近を行ったり来たりしている女の子がいるのに気がついた。小さな仔ネコのぬいぐるみを抱っこした、幼稚園児くらいの子だろうか。フードのついたコート姿で、赤いタータンチェックのスカートに模様編みのタイツという暖かそうな格好だが、こんな小さい子供が一人でうろうろするような小規模な商店街ではない。しきりと人の流れを見やっていて、時々懸命に背伸びをしては小さな肩が力なくしょぼんと落ちるのが何とも寂しそう。
「…あの、ねえ。」
 何だか無性に気になって。
「そこの、仔猫抱っこしたお嬢ちゃん。」
 声をかけてみると、くるりと振り返った少女のお顔には…必死で我慢している涙の気配がありありしていて。
「あのあの、もしかして…。」
 全部訊くまでもなく。縫いぐるみを抱っこした女の子は"ひく…"と口許を震わせると、セナの方を向いたそのまま"ふえぇ…"と泣き出してしまったのである。


   ………迷子仲間をゲットしてどうするよ。










          



 女の子はお母さんと一緒にお買い物に来たのらしい。お年玉に何か好きなもの買ってあげようねと約束していて。それでこの仔猫ちゃんを買ってもらって、嬉しくてつい。お会計中のお母さんを待たずに、はしゃいで速足でお店から出て来て。そしたら何だか沢山の人がどんどんやって来て、彼女を押して押して…。気がついたら自分がどこにいるのだかも判らないところにまで、流されて来てしまったということで。
"きっとさっきの人波だ。"
 自分もそれに押し流されて迷子になった身。これは笑えないよなと、心から同情してしまう。とりあえず、傍らにあった自販機で温かいミルクティーを買ってやり、一緒にステップの端っこ、籐のカバー籠に入れられて並べられた観葉植物の鉢の手前に、仲良く二人、腰を下ろした。
「あのね、きっとお母さん、探してくれてると思うんだ。だから、しばらく此処にいよう。」
 もう少ししたら、バーゲン目的の人の波も一段落する。そうなってから、ショッピングモールの総合案内所に行ってみても良いかも。迷子のご案内として放送してくれる筈だ。ともかく今は、このとんでもない人の流れに下手に突っ込まない方が良かろうと…高校最速を進と競っているランニングバックとも思えないよな気弱なことを、こそっと決めた、泥門デビルバッツのホープ、アイシールド21くんである。
(笑)

   「………。」

 自分は正確には"迷子"ではないのかもしれない。頼る人がいなくって、心細さに押し潰されそうになって泣きそうになっているこの子と違い、このまま家へ帰るという選択だってあるし、それが出来る"大きいお兄さん"だ。
おいおい …だけれど。
"………。"
 えくえくと、時々引きつけるような声を出して、瞳の縁に涙をためているこの子と、今の自分はあまり変わらないような気がした。こんなにも人がいるのに独りぼっち。誰でも良いという訳ではない。あの人でなければ誰も居ないも同じ。そして、それが。そうであるのが何とも切なくて寂しくて。
"………進さん。"
 こんなにも好きなんだなと、離れていると尚のこと感じる。胸の奥、ちりちりと転げる甘い微熱が切なくて辛い。そんなこんなと考えに耽って、ついついぼんやりしていたら、

   ――― ふと。

 女の子がきょろきょろっと辺りを見回した。セナを見上げ、何か言いたそうな顔をする。その顔へ何かを読み取り、判ったと"うん"と頷いてやり、
「何てったっけ。お名前。」




 ただ目的のことだけ、若しくは連れのことだけを考えている分にはなんて事のないものな筈なのに、耳を澄ますにはざわざわと喧しくて煩わしい人込みの中、
「…
(おかあさ〜んっ!)
 か細くて小さいが、懸命な声がした。この人出の雑踏の中、空耳のようなそれを母親が聞き取れたのはさすがだが、進にもその方向が間違いなく察知出来たのは、その直後に、
「ミクちゃんのお母さ〜んっ、こっちですよ〜っ!」
 これを聞き逃してなるものか…な、愛しい伸びやかな声が続いたからだ。
「あ、あっちですっ。」
「ああ。」
 必死の形相、手に揉みくちゃにしたハンカチを握り締めた若い母親の示した方向を、ぎっと力強く睨み据えたその様は、正に…フィールド上で臨戦態勢に入った"最強のラインバッカー"モード。
「え? なに…、っ?!」
 すぐ傍らを通り過ぎかけたカップルが思わず“ひぇえっ”と怯えて足を速め、それに気づいて“何だ?”と何げなくこちらを見やる人々が連鎖的にギョッとする様が奇妙な萎縮の波となり、遠巻きになる輪が見る間にするするするっと広がるから、もしかしてこの人はモーゼの再来なのかもしれない。
おいおい そうやって"自然に"開かれた進路へと躊躇なく踏み出して、ずんずんと歩むその先には。
「あっ、ママぁ〜っ!」
 やっと出会えたお母さんの顔をいち早く確認したのだろう。そのすぐ前に立ち"露払い"よろしくこちらへ堂々と歩いて来る大男を怖いと思うほど、心の視野にゆとりはないらしく、小さなミクちゃんは懸命に腕を伸ばしながら、それまで一緒にいてくれたお兄ちゃんの腕の中から飛び出した。そして、
「………進さん。」
 お母さんへの呼びかけをしたのであって、この男の名は呼んでいないのに。だのに現れてくれた彼に、思わず…鼻の奥がつんと痛くなりかかったセナである。



            ◇



 打って変わってにこにこと。お兄ちゃんありがとうと手を振るミクちゃんと、お世話になりましたと何度も何度も頭を下げるお母さんとを見送って。周囲の人波も何事もなかったかのように元の流れを取り戻す。休日、週末、みんな忙しい。せっかくのお休み。有効に使わねばと、他人に関心を寄せる暇などないのだ。
「…あの、」
「すまなかった。」
 声が重なり、だが、響きの良さで進の声が勝った。え?と見上げるセナへ、
「つないだままでいたら、痛いのではないかと思ったんだが。」
 やはり短くそんな風に言う。軽く、指の先だけをつないでいた二人。その間を分断した、さっきの人の流れに遇った時のことだろう。ムキになってそのままでいたら、引っ張られて痛いのではないかと、そう思って離した進だと言う。とんだ"大岡裁判"だが、少し間を置いてから、

   「離れる方が辛かったな。」

 ぽそっと呟いた彼の声に。すぐ傍らに下げられたその大きな手を きゅうと掴んで。

   「はい。」

 セナも同感だったと大きく頷いて見せる。そして、
「あのですね。ミクちゃんと迷子の心得を守って待ってたでしょ?」
 そんなことを言い出す彼で。進は、相手の手袋越しの小さな手の感触を見下ろしつつ、
「………。」
 セナの話を黙って聞いている。
「ミクちゃんのお母さんの方が先に見つかったら、一人になるな、寂しいなって、そんなこと思ってたんですよね。」
 もう既
とうに、人の波に呑まれて見えなくなった母と子と。それが消えた方を見やって、
「結構、一人で居るのって平気だった筈だのに。ミクちゃんと同じくらい心細かったんだと思います。」
 そう言って、あらためて見上げて来たお顔。えへへと笑った頬が赤いのは、ちょっと感動的な場に居合わせたせいだろうが、目許がうっすら赤いのは本人が白状したその通り、心細かったからだろう。仔猫の縫いぐるみを不安そうに抱きしめていた小さな女の子。その子と同んなじだった小さなセナ。
「ホント、子供みたいですよね。」
 弱虫ですよねダメだなぁと、そんな自分を嗜め半分、ふふと微笑って見せるセナだったが、
「………。」
 小さな手、こちらからも"くっ"と握って。

   「それを、嬉しいと思うのは、間違ってるかな。」

 進の男らしい声が、珍しくも少しくぐもったから。
「あ…。/////
 微笑っていたセナが、不意を突かれて かぁ〜っと赤くなる。そんな殺し文句を言いながらも、まるきり表情は変わっていない進が、こういう時はちょっとだけ憎いかも。

   "………狡いんだ。"

 いつだってやさしくて。そいで時々、ぽそって凄いことを言ってくれる人。
「あと、えと、あのあの…。/////
 何をどうと答えれば良いんだろうかと、どきどきしている少年の、含羞(はにか)むお顔を見下ろして、
「行こうか。」
 大きなのっぽの恋人さんは、大きな手でくるみ込んだ小さな愛しい手を、そしてその持ち主さんを、今度こそは離すまいとの決意も新たに、ゆっくりと歩き始める。そんな彼に、
「はいっ。」
 いいお返事をしてついて行く。頼もしいだけじゃない、とてもやさしい人。大好きな人。つないだこの手を誰かに邪魔されたくないのなら、割り込まれないようにすれば良いのだと、少しは加減してくれている歩調に一生懸命、今度こそよそ見をしないで しっかりくっついてくぞと決めたセナである。










    aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


「…進さん。お買い物って"携帯電話"だったんですか。」
「ああ。」
 そのくらいのこと、なんで…強情張って言ってくれなかったのかなと、素直にひょこんと小首を傾げるセナと、そんな洒落たものを持つような、浮ついた奴だなんて思われるのはちょっと恥ずかしいらしい、今更何を言うんだか…な思いから黙っていたらしい進の眼前にて。

   《動画も転送出来る、キミとボクとの −ショット》

 …などというあおり文句を背景に、彼らの友人・桜庭春人が、ショップに何枚も貼られたポスターの中から等身大というサイズにて、にこやかに笑いかけて来ていたのであった。




   〜Fine〜


   *迷子の心得でいつも思うのが、
    両方ともが"待って"いたらどうなるんだろうかというオチ。
    まま、この二人の場合は、それはまずなかろうと思いましたけれど。
    ところで実は、Morlin.も携帯電話は持っていません。
    色んな機能があるんですってね。
    けれどでも、進さんはメールと通話が出来れば充分な人だと思います。
    自分、不器用ですから。
(笑)
    あ、だけど、セナくん側からの写真とかは送ってほしいのかも?

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