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意識の覚醒が先か、それともこの激痛の方が先か。頭の奥からこみかみに向けてガンガンと、鈍い痛みが沸き起こる。
「…ってぇ〜。」
うわぁしまったな、これは久々に二日酔いだと。目覚めと同時に自分の体の状態を結構冷静に診断したまでは良かったが、さて。
「…あれ?」
そろりと上げた瞼の向こう、一瞬、どこにいる自分なのかが判らなくてギョッとする。自分はベッドに横になっており、見上げた天井は一般的な家屋のそっけない木目のそれで。恐らく此処は…商売系の部屋ではなく、生活をするための居室なのだろうけれど。
“俺んチじゃねぇよな。”
記憶に強く刻みつけようという意識をしてまで眺めたことはなかったが、それでも…砂壁や畳のあるような、ここまで純和風の部屋ではなかった筈だってことくらいは覚えており。
“確か…俺は“R”にいたんだよなぁ。”
記憶の混乱というのはなく、見回した部屋と…ぎりぎりで何とか思い出せた、昨夜の自分のいた場所の記憶との間に接点を探す。何だかやるせない気分になったものだからと、憂さ晴らしを兼ねて夜の町に繰り出した。こんな時はアメフトのこと、佳境に入った秋季都大会のことなど話せば気が晴れるかなと、そっち関係の知人と待ち合わせたものの、待っている間が何となく落ち着けなくて。それでと、適当に見繕ったバーボンのミニチュアボトルを買い込んで“R”まで行ったんだっけ…。
“………あ。”
やっと思い出したと同時にひょこりと戸口から覗いたのが、この部屋の持ち主の顔。
「あ、起きたな。」
引き戸を開けっ放しにしてあったところから入って来たのは、自分と同じような色合いの髪を短く刈った、自分よりもずっと精悍にガッツリと鍛えた体躯も頼もしい、十文字という後輩くんで。
「…ったくよ。ほんの30分遅刻しただけで、あの様はないだろうがよ。」
出掛けに家人から用事を頼まれたので、約束した時間に遅れてしまった彼だったらしくって。気が短いってのは重々知ってたが、どういう腹いせだかあんな無様に酔い潰れてよと。マスターも困ってたぜと、朦朧としていた辺り以降の話を挙げては、しょうがない奴だなといったことをずばずばと容赦なく指摘してくる、相変わらずに生意気な奴で。
“この野郎〜〜〜。”
これが日頃なら、それがどうしたと居丈高になって、きっちりそれらしい理屈を並べての反駁をこなしてもいたろうところ。だがだが、今朝はそんな反撃どころか。
「…っ!」
しゃっと勢い良くカーテンを開かれた窓から、一気に飛び込んで来た朝の陽光に視野を射られて、
「………うるせぇよ。」
間近でぎゃんぎゃん喚くなと。声さえ響く重い頭痛にまたまた襲われ、髪に指を埋めるようにして頭を押さえるばかりの悪魔様であるご様子で。二日酔いという形できっちりと罰を受けてんだから、そこへの尚の説教は辞めろとでも言いたいのかも。甲羅に引っ込む亀のよに、身を縮こめるようにして布団へと潜り込んだ彼の、潜り損ねている金髪頭を見下ろして。やれやれと吐息を一つついた十文字は、
「俺、これからガッコに行くんだけどサ。」
言いながら、ベッドの傍ら、一応は置いてるパソコンデスクのためのものらしい椅子を引っ張ってくると、その背もたれへと引っかけてあった黒い上着を布団の襟元まで持ち上げてやる。そして、
「此処の鍵、持ってるか?」
顔を出した相手にポケットを確かめさせる。持ち回り品も極力少ない彼だが、カードか顔パスで済むせいでか随分と薄い財布と携帯電話、キーケースの3点セットは持っており。ポケットから掴み出したケースを開いて、そこに何本か下がってる鍵を確かめた蛭魔は、
「ん。」
此処のも持ってるという意味の声を出す。
「じゃあ、帰るならちゃんと閉めてってくれよ?」
こないだなんか、開けっ放しで帰ったろうが、何も盗まれたもんはなかったから良かったけど、あん時はホントにビックリしたんだかんなと。目許を眇めて並べる彼だが、そんなこんな言いつつも…水滴に曇り始めたミネラルウォーターのペットボトルを蛭魔の手元へと差し出して、
「消化薬ってのかな、胸焼けに効く小ビンの薬と、コンビニので悪いがサンドイッチとおにぎりと。台所のテーブルの上に置いてあるからよ。あと、冷蔵庫ん中のもんとか、好きに出して食ってって良いからな。」
ぶっきらぼうな印象にはそぐわない、気の回しようを発揮して。但し、戸締まりだけは忘れんなと、クドイほどに念を押してから、部屋の隅からスポーツバッグを手に取って。提げ手をひょいっと肩に掛けつつ、大きなストライドで部屋から出て行く。戸口で一度立ち止まり、そんじゃなと会釈して行くサービスぶりだったが、こちらはそれどころじゃあなかったらしい半病人。再び布団の中へと潜り込んで、返事もないのが…らしいというか。そんなにも頭痛がキツイのかと思えば苦笑も洩れて。しょーがねぇなと部屋から出たまま、フラットからも出てったらしきドアの音が遠くに響いた。
…………………………………………。
下着とシャツだけしか着てはいない自分に気づいて、部屋のあちこちを見回した。部屋の中を埋め尽くす、目映いばかりの朝の光。此処はあの後輩くんが、クラブの練習が遅くなった時などに使っているというアパートの一室で。実家に戻るより此処で寝ての方が学校には通い易いらしいからと、平日はほとんどこっちに帰るようにしているという。一種の独立先のようなものではあるが、そんな彼のためにとわざわざ買ったのではなく、親戚の叔父だか従兄弟だかが借りていたのを譲ってもらったとか言っていたっけ。そういう親戚筋のややこしい間柄、あんまり縁がないなと布団の中で苦笑する。両親はそれなりの規模の事業を展開させている、所謂“起業家”で、姉や兄たちもそれへと駆り出されているが、親戚筋の話はあまり聞いたことがない。何でも父が天涯孤独という身の上だったからと、結婚を反対されたカップルだったのだそうで。完全に孤立無援な状態で身一つから始めた事業を…今やアメリカに支社を出すほどのものにまで広げた父の手腕や才気は本物だった訳だけれど、そうなればなったで自分たちの眼力のなさを認めるのが腹立たしいのか、母方の実家は相変わらず、成り上がりだの何だのと悪態をついては無視を続けているのだそうだ。
“ま、それも爺様だけが、意地でやってることらしいが、”
会社の方へは、叔父だか叔母だかがこっそりと、取引先を紹介してほしいなんて虫のいいことを言って来ることもあるそうで。あんたはまだ生まれてなかったかしらね、あたしたちが小さい頃はサ、穀潰しの一家よ子供らよって偉そうに鼻で笑ってた人たちなのに、全く厚顔というか、いい気なもんよねぇなんて言って、姉が苦笑していたっけ。
“………。”
ごくごく普通の親戚付き合いなんてものもないままに、盆も正月もないほど、それはそれは忙しくもしゃかりきになって働いていた一家だったから。そしてそんな事業が軌道に乗ったばかりくらいの時期だったから。上の兄弟たちとは随分と年が離れて授かった子供だった自分には、残念ながらあまり構ってやれなかったねと残念がる両親や姉だったが、不思議と“寂しかった”という思いはどこを探しても出ては来ない。幼い頃からおマセで大人びた、冷めた子供だったからか? それも多少はあったけれど、それが全てではなくて。
“…………男臭ぇのな。”
潜り込んでた布団や枕に、整髪料のそれだろうか、いかにもな男臭さが染みついていて。それがまた…思い出させることがあって。大きく伸びをすると“…よしっ”と身を起こし、布団の上の足元に丸まり掛けていたスラックスに気づいて手を伸ばす。白い指に光る銀のリングにさえ意識を置けないくらいに、何に追われてか妙にしゃきしゃきと身支度にかかった彼であり、寝乱れてかいつもほどの張りのなくなった金髪を乱暴に手櫛で梳く。…と、
「…っ。」
何かが少しほど髪に絡まった感触があって。そこで初めて指輪を思い出して…陽を浴びた細い肩がすとんと落ちた。
“なあ、何でこんな時に…。”
思い出したその途端、理由わけもなく切なくて切なくて堪らなくなった。独りでいなくていいんだと、いつだって、ずっとずっと、僕ら一緒だからねと。たいそう幼稚な、けれどそれ以上はないストレートな言い方をし、その言葉を何の衒いもないままに実践してしまう彼の、そんなおおらかさに触れたくなって。包んでほしくなって、でも。
“そんな資格、あるのかな。”
人恋しい風が吹くこの時期は、空の色が木々の色が、あの別れを思い出させるから。空回りばかりしている自分が滑稽だと思ったり、断ち切れないものを持て余す未練の余熱にじりじりしていたり。そんな小さな自分なのが苦しくて…どうにかなってしまいそうになるから。だから、
“半分 自棄ヤケになってて身を任せたのかもしれないのにな。”
自分を傷つけるだけでは飽き足らず、近寄って来た人にまで牙を剥いた自分なのだろうか。心は堅く鎧ったままで、体だけを与えて。そんなことで繋ぎ留めておこうとしただけの、それは卑怯な自分だったのかも知れないと。自分の所業の真意さえ見通せなくなるほど、過去にがんじがらめにされてしまうから。
――― 秋という季節が大嫌いになっていた、蛭魔なのだった。
〜Fine〜 04.10.27.〜11.5.
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*ポルノグラフィティの『シスター』を聞いてて思いついたお話です。
もう一方のパラレルと、設定的には似ているのかも知れませんが、(こらこら)
こっちの蛭魔さんもまた、過去に事情ワケありの彼でございまして。
また時々お話を蒸し返すことになるやも知れませんが、
その時は“これの続きだな”と思い出してくださると幸いです。
次は『リフレインが叫んでる』でお送りすることとなりそうですが…
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