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人出の多い繁華街でも、さすが夜陰のベールに包まれた時刻ともなれば、そこここにひんやりとした空気が満ちている。裏口側には…それを計算しての立地ながら、今夜も人気は全くなくて。今はマスターのそれだろうローバーが1台だけ停めてある、数台分の小さめの駐車スペースを抜けると、駅前まで一本道で通じている、住宅地内の私道に出られるのだが、
「だ〜、こら。へたり込むんじゃねぇよ。」
「ん〜〜〜?」
肩を貸されて…というよりも、腰にも回した腕とで支えられての、半ば抱え上げられたような格好のまま。なのに偉そうにも面倒そうな声を返して来る蛭魔であって。よほど人の目のない個室や何や。そういう空間以外では滅多に萎えることはなく、気を許しもしない、隙なんてない彼だのにね。どうかすると痛々しいほど、きりきり尖ってる奴なのに、そんな蛭魔の、今夜のこの酩酊状態へは不審さえ抱いたが、
『今時分はネ、いつも何かしら暴発しちゃうヨウちゃんだからサ。』
マスターの一言には、こちらもついつい表情を引き締めてしまった、ある意味で事情が通じている十文字でもあって。
“クラブに入った頃、か。”
当時の自分はタッチフットの組にいた、あのアメフトのクラブチームへ蛭魔が入って来たのが丁度この頃だ。今より幼く、その分、お人形さんのような姿でありながら。スポーツを楽しむためというような空気ではなく、何にか挑むような切迫した雰囲気をまとっていた中学1年生であり。大会には出ると負けという弱小チームの欠点や弱点をあっさり見抜いて、そのまま的確に叩き直した手腕は素晴らしかったが、あまりに性急で、しかも手段も選ばぬというやり方には、当初かなりの不満や非難を買ってもいた。新参者が偉そうにと直接突っ掛かった奴らは、完璧な武装理論と本人の卓越したプレイの数々に腰砕けにされ、闇討ちもどきの私刑を企んだ輩は…再起不能とまでは行かないものの、1シーズンほど棒に振らざるを得ない程度の故障という“返り討ち”に遭い。大会が終わって初の全国優勝という華々しい結果が出た頃には、部員たちはおろか監督もコーチたちも、トップチームの指導者の皆さんまでもが、彼の天才児ぶりに舌を巻き、そこから現在までに至る彼の“天下”が始まったようなもの。実際に指示を出すのは大人である監督やコーチだったけれど、練習メニューやゲームごとのレギュラーの選定などには必ず彼の見解が反映されており。これらがまた、怖いくらいに的確なんだそうで。
“俺が引っ張られたのも、こいつに目ぇ付けられたからだったらしいし。”
地域の活動の一環。近所の子供らが必ず所属していたクラブだったから、子供会みたいなものという感覚で加わっていたタッチフットの組から、十文字を是非にと引っこ抜いたのも、あれは見込みがあるからという蛭魔の“お墨付き”があってのこと。そんな風に“アメフト一筋”な彼が、それでは何故、それまではまるきり…どこのクラブにも所属せず、名前さえ知られていなかったのか。あの年の秋に いきなり思い立ったかのように動き出し、周囲から憎まれようが孤立しようが一切構わず、馬車馬のように働いて働いて、最弱チームを常勝クラブへと一気に叩き上げて見せた。責任のある監督やコーチ、順当なキャリアの末に抜擢されたキャプテンではない、新参者の、しかもまだ中学生が。自分のテクニックや何やを磨くだけなら、チーム内での格を上げるための努力ならいざ知らず、チームごとのレベルアップをなんて大事業に、何もかもを費やしてのめり込むものだろうか。
“……………。”
それへの“答え”を知ってしまったことを、実を言うと時々後悔することがある。確かに頼りにはなるが普段のあいつは鉄面皮の悪魔だと、他の面々と同じように あげつらうことが出来なくなったから。誰とも馴染まず、相変わらず嫌われ者で居ようとするほど頑なで。こんな風に正体を失ってしまうような酔い方をするほど…というのは ちと珍しいことだが、何につけ投げやりな冷めたところがあって。そういった可愛げのない彼が、そうでいなければ毅然と立っていられなかったのだとするほどの、根深い理由があるということを知ってしまって以来。闇色をまとっても冴え映える存在として、颯爽としていて強かで、たった独りでいる細い背中の何と凛然としていることよと、隙のないほど孤高が似合う彼だと、そんな額面通りの見方をしにくくなった十文字だったりするのである。
“こんなに軽いのにな。”
彼なりに十分すぎるほど鍛えてもいようが、それでも。体質的な限界なのか、あまり肉や脂肪はつきにくい痩躯の、何とも頼りないことか。彼を知る者は例外なく彼を恐れるが、それは全て、巧妙に彼自身が繰り出した策に搦め捕られているが故のこと。どれほどの権力を持つ奴なのか、どんな残酷な奴なのかという風評を聞き、勝手にイメージを固めて遠巻きにしている者の方が多い今となっては、あらためて何かを企まずとも良くなっている彼だけれど、一体どれほどのものが、この青年の寂しそうにしている横顔に気づいてやれているものやら。
“ま。ガッコの近しい顔触れたちには、大事にされてるようだけど。”
あの、亜麻色の髪をしたお綺麗な坊ちゃんしかり、おもちゃみたいに小さくて怖がりで、なのに妙に一途でこいつを怖がってないらしい一年生しかり。
「…お。」
肩の先、もうすっかりと“睡眠”態勢に入ったらしい寝息に気がついて。やれやれと苦笑すると、おんぶに切り替えるため、手近な段差を見つけてそこへと足を運ぶ。体格は ずんと違うが身長にはそんなにも差がないので、相手がぐねぐねと正体がない状態な今、ひょいっと背負うための弾みにしようと思ったのだが、
「何だ何だ? 兄ちゃん、えらい別嬪さんつれてないか?」
「酔わせて悪さでもしようってのかよ。」
下卑た笑いを混じえて掛けられた声があり、面倒なことだよなと溜息をつく。ちろりと目線をやると、自分より微妙に年嵩らしい、何人かの若い男どもらしいと判る。こんな時間帯の、しかも店々の裏手の路地でたむろしていたらしく、大方、マスターが言ってた“学園祭流れの大学生”とかいう手合いだろう。ここいらに慣れがなく、頭数がいるし気分も高揚しているからと、妙に気が大きくなってる酔っ払い。この辺に詳しい者なら、高校生でも気がつくことな筈だから。このクラブ『R』の界隈で騒ぎを起こしちゃあいけないってことくらい。
「おい。何とか言えよ。」
相手にならないでおこうと、返事もなく歩き出そうとした十文字へ、手前に立っていた一人が数歩ほどの間合いを詰めて歩み寄る。
「ビビって逃げようってのか、ゴラァ。」
凄んで怒鳴って見せたところからして、一応は相手を怯ませる口調というのを心得ているらしいが、背後のお仲間たちがクスクスと笑っているところを見ると、どうにもやっぱり偽者臭い。言わせてもらうとこっちだってもっと場慣れしている身だ。こんなエセのチーマーになんぞ構ってられないんだがなと辟易し、
「通してくれねぇかな。」
穏便な言いようで声を返した十文字へ、ああん?と いかにも鈍そうな顔をしゃくって見せた最初の青年は、今の口調から、こっちが下手に出たと誤解したらしい。
「だからサ、この子、置いてけや。」
言いながら無作法にも顔を近づけて来て、十文字が背負っている蛭魔の顔を覗き込もうとする。裏路地なせいでか、あまり明るくはなく。しかも相手は酔っ払いだ。こりゃあ不味いなと、ムクムクと沸いて来た嫌な予感を裏切らず、
「へへぇ〜、可愛いお姉ちゃんじゃねぇかよvv」
蛭魔が素面の時に言ったら最後、実弾ぶち込まれて東京湾に沈められかねないような爆弾発言をした男であり、
“まぁな〜。きっと凄い無防備な顔になってるんだろうからな〜。”
ただでさえ なめらかな線で構成されている繊細な造作が、力むことなく…アルコールに負けてむしろ緩んでいるのなら。常の険しさや挑発的な冴えがすっかり消えて、それはもうもう優しくも綺麗なばかりなお顔になっているんだろうなというのは見なくとも分かる。
「ほら、後は俺らが介抱してやっからサ。」
魂胆や下心が見え見えな態度でこっちの体に触ろうとしたため、その手を払い飛ばした十文字は、そのまま自分の体を盾にするように割り込ませ、姿勢を入れ替える。
「余計な世話だってんだよ。」
調子くれてんじゃねぇよと、あまりの図々しさにムッとした。直前まで胸の裡うちで転がしていた、ちょいと切ない純な想いに、汚くも酒臭い息を吹きかけられて穢されたような気がしたからだったが。どっちにしたって、このくらいの挑発に易々と反応してしまったのは…まだまだ青い彼だったからある意味で仕方がなく。
「んだとぉ〜?」
妙なイントネーションで跳ね上がった語尾を聞きつけてか、少し離れたところでたむろしていた仲間らしき面々も、こっちへと向けていた注意にスイッチが入ったか、そのまま“何だ何だ”と近づいて来る。店をハシゴするほどには金も無く、だが、まだ何か騒ぎ足りなくてと暇を持て余していたような輩たちだから。どんな切っ掛けでも構わない、隙を与えればすかさず突っ掛かって来るんだろうと、十文字の側としても分かってはいたのだけれど。
“しゃあねぇな。”
自分が迂闊でございましたということで。せめて蛭魔にだけは手が及ばないように、背負いかけてたその背中へ後ろ手に、短く刈った自分の頭の上から手を伸ばすと。蛭魔の着ているジャケットの後ろ襟をぐっと掴み、カッコは悪いが襟を立ててやって せめての防御。それから…当然両腕は塞がったままというハンデたっぷりの対峙に向けて、背中のお姫様の前へ専守防衛の覚悟と姿勢にて完全と立ちはだかった十文字であったのだけれども。そんな彼の背後から、
「…そこまでだよ、坊ちゃんたち。」
伸びやかながらも凛と張った、よく通る撓やかな声が放たれて、
「えっ?」「な…っ。」「何だっ?」
それと同時にカカッと灯された幾条もの明かりがある。照明灯ほどにも高い位置からではないが、そうかと言って乗用車のヘッドライトほど低くもないそれらの光源は、灯ったと同時に迫力のある低い咆哮を上げた、大型バイクの一団が正面へ据えているライトのものだったもんだから。数に任せて威勢よく、たった一人を相手のこちらへ掴み掛かって来かけていた連中に、程よい冷水をぶっかけて酔いを吹き払うには十分な光景であったらしい。何しろそれぞれのマシンに一人以上の搭乗者付きであり、シートにまたがり、ハンドルが開いた両翼の支点、ぶっとい腕を引っかけてこちらを睥睨しているお兄さんたちの、刺繍も細かい特攻服姿は何とも勇ましく。低いところから力んで睨め上げる視線も鋭い、どれほどの実績を持つ、恐持てのする方々たちであることか。様々なイグゾートノイズが渦巻く中では話もしづらいということか、そんなに広くもない路地を埋めんばかりに詰め掛けていたバイクの間を縫うように出て来た人影が手を挙げると、後方のバイクはエンジンを切ったため、多少は声も通るようになった模様。きびきびとした身ごなしでこちらへ出て来たのは、茶褐色に染められた長い髪の女性が一人に男性陣が四人ほど。彼ら側の手前にいた十文字へちらりと会釈を下さったお姉様は、先程の“鶴の一声”を下さった方であり、
「あたしらに一言の断りもなく、
ここいらで騒ぎを起こそうとは、良い料簡だねぇ、あんたたち。」
いわゆる“トランジスタ・グラマー”というのだろう、さして背も高くはなく、肉惑的でもないながら、それでもメリハリはくっきりしている艶やかな肢体を。オイルコーティングのつやも利いた黒素材、ダーツやタックを利かせて吸いつくような型に仕上げたセミタイトのスカートに胸の深々と開いたジャケットというツーピースでまとめた、シンプルながらも…羽織った“素材”ご本人のボディのパンチを前面に惜しげもなく押し出した、そんないで立ちをしたロングヘアのご婦人が。妙に凄みのある妖艶な笑みを口許に浮かべて、堂々とそんな啖呵を切ったものだから。
「お、おい。何だよ、あいつら。」
「ナンカ、ヤバくねぇ?」
「もしかしてホンモノみてぇだぜ?」
さっきまでの勢いはどこへやら。時間にして1分経ってもいないんじゃないかという間合いしか挟まっていないというのに、無頼の輩たち、あっさりと戦意喪失してしまったらしい口調や物腰になっており。そんな様子へ…別に期待はしていなかったものの、結果としては守られた十文字が、肩をすくめて苦笑する。
“分かりやすい“やっちゃん”が出入りしてないってだけで、実際はそれよか怖い…親衛隊みたいな警邏組織が、がっつり守ってる店だからな。”
どこの組織にも正式には所属していないが、その人性や腕っ節を様々な親分筋や幹部さんたちに買われていて。そんなせいで、ここぞという時に顔やコネなら何ぼでも利くぞという、考えようによってはその方が…枷がない分 制止の難しい一大軍団が、仲裁から牽制、制裁、場合によっては関係筋への報復までというアフターケア抜群の“仕置き”をして下さるという界隈なのにね。
「…っ!」
何の応答もないものだから。進み出て来た女性が“ずいっ”と雄々しく、尚の一歩を進めたところが、
「あわわっっ!」
「い、行こうぜっ、皆っ。」
「す…すんませんっ!」
一気に浮足立って飛び上がり、クモの子を散らすようにとは正にこのこと、路地の奥向きの方やら、よく飛び込めたなというような店と店の間の隙間などへ、散り散りバラバラに逃げ出した。あまりのみっともなさが却って哀れだったほどであり、これだから気が大きくなっただけの素人はと、絶えない苦笑に苦慮していると、
「久し振りだね。」
今回は追う必要も無しと断じたか、あっさり看過し関心もそこまで。さっさとこちらへ振り返ったお姉様が、お仲間らしき男衆に目配せをしてから十文字の方へと声をかけて来た。
「怪我はなかったかい? こんな厄介なお荷物を背負ってちゃあ、何も出来なかっただろうにね。」
笑顔にも力の籠もった冴えが滲む、いかにも気の強そうな、鉄火肌の姐さんという雰囲気のする女性であり。それでいて…十文字の背中、“お荷物”と呼んだ蛭魔の寝顔を覗き込む表情は何とも柔らかい。自分の弟でもそうまで優しいお顔は向けまいというほどに、まろやかな眼差しで見つめて数刻。
「あんたには感謝しているよ。ちゃんとこの子の傍に居てやってくれてるし、見ててくれてもいるし。」
先程の啖呵とは全く違う、少々沈んだ声を出す彼女には、
「………。」
十文字も返す言葉に少々困った。彼女らもまた、さっきまでいたクラブのマスターと同様に、この美麗な青年のある意味で“保護者”のような存在だからで。だが、
「あたしらと顔を合わせたら、あいつのことまで思い出させてしまうんだろうからね。」
寂しそうに笑って…ちょっぴり化粧の濃い目許をうつむかせる。
「あたしらだって傍に居てやりたい。でもサ…こんな言い方をしちゃあいけないんだろうけどね。あんまり一途なもんだから、見てらんなくなる、居たたまれなくなるんだよ。」
偉そうで強気な、鋭利な刃物みたいなという日頃の印象さえ、彼女らには小さな子供の利かん気の延長。気張っている姿が痛々しいと、そんな風にしかみえないらしくて、
「突っ張っていても強がっていても、
中身は頑ななくらい 一途ピュアなままなんだものね。」
「………。」
それは…何となく判る気がする。何かへ復讐しているかのように、自分を省みず、自分を苛めて傷めつけて。負った傷よりもっと深くて痛い傷を求めているかのように、自分の身を掻き毟っているかのようで。事情を知る者には…途方に暮れた子供がそれでも歯を食いしばって何とか立っているという姿にしか見えず、居たたまれないまでの光景で。
“…そんなにも手痛いことだったんだろうな。”
つるんとした夜陰が立ち込める中、車の用意が出来たと声を掛けて来た別の青年に頷いたお姉さんに促され。自分よりもずっと体格のいい、レスラーばりのお兄さんへと眠ったままの蛭魔を任せると、居並ぶバイクの隙間を縫うようにして、そちらへと向かうことにした十文字で。彼らの頭上では、青い月が無言のまま。何事もなかったかのように、人々の葛藤を素っ気なくも見下ろしているばかり…。
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*思わせ振りなことばっかり出て来てすいません。
はは〜んと思った方もいらっしゃるかもしれない、
とある人物が、過去にはいたりする、ウチの蛭魔さんです。 |