アドニスたちの庭にて  〜 閑 話
 



          




  ――― まろやかな花霞の緋色から、緑したたる青葉の季節へと…。



 すったもんだがあっての末に、めでたくも8年間という長い長い片想いが実って、憧れの上級生と"お兄様と弟"という間柄になれた、小さな一年生の小早川瀬那くんは。そのお兄様が生徒会の副会長さんであったことから、高等部の誰もが憧れる、若しくは一目を置く、それは鎗々
そうそうたる顔触れの生徒会の首脳部の方々が集つどわれる、小さな古い洋館へも出入りを許された身となった。そこはこの総合学園の中でも最も古い建物の1つであり、緑陰館と呼ばれている 木造2階建ての小さな校舎。元は美術室とか教授の方々のお部屋だったのかな。二階に広いお部屋が1つと一階にはその半分くらいのお部屋が2つ。傍らには大きなポプラの樹があって、二階のお部屋に居並ぶ、上下に開閉する大きなフランス窓に ちらきらと木洩れ陽を落としたり、涼しい風に揺れてはさざ波のような音を届けたり。

  「おっす。」

 彼にはまだちょっとだけ丈が長い、真新しい濃紺の詰襟制服のその袖口に、白っぽくて細かい光が短い引っ掻き傷みたいに反射している。チリチリと涼やかな音を立てる小さな鈴をつけられた銀色の鍵を片手に、戸口のドアへと手をかけていたセナへ。歩み寄りながら気安いお声を掛けて来たのは、傍らのポプラの梢から落ちてくる木洩れ陽のモザイクを受けて、金の髪がきらきら綺麗に乱反射している、
「蛭魔さん。」
 脱色した髪に耳にはピアスという、いかにも掻っ飛んだ恰好の、この学園にはまず他にはいなかろう型破りなタイプの部類に入る、蛭魔妖一という二年生。
「こんにちはです。」
「ああ。」
 会釈半分に"くあ〜っ"と大欠伸をして見せて、セナが合鍵でドアを開けるのを待っている。下級生のセナには、今日は5時限までしかない曜日だったが、彼らは6時限目まである筈で。さてはまたサボったんですねと心の中で察しつつ、ドアを開くと"はいどうぞ"と先に入るよう身を譲る。彼は正式な生徒会の人間ではないのだけれど、隠れた肩書を持つせいで、執務担当者たちにはそのポジションも知られている身だし、外部的にも…生徒会長様に言い寄っているらしいという妙な噂の下に(実情はどっちかというと立場が反対なのだが…。/笑)、半分くらいは認可されているようなもの。濃色の制服のせいでますます細く見える長身痩躯にして、陽に透けそうなほどの色白で。凄艶という言葉は彼のためにあると思えてしまうほど、凄みがあるほどに整った鋭角的な面差しは、日頃は素っ気なく凍っていて怖いくらいなのだけれど。言動もどこか乱暴で揮発性が高い人だというのに、気を許した相手に限っては なかなか心安く接して下さる。セナにだって…例の"ストーカー?事件"の最中は随分と気を回して下さってらしたし、

  「何か、良い匂いがすんな。」
  「え?」

 ところどころで足元がぎしりと微かに軋む、中折れの木製の階段を上って二階の執務室へ。春の陽射しに明るく満たされたお部屋には、大きな窓が片側の長い辺に3つ、短い方の辺に1つあって。生徒会長専用の重々しい作りのデスクと書架、食卓用に使えそうな楕円形のテーブルと、木製の背もたれのついた椅子が数脚に、窓辺にはカウチタイプのソファーが置かれてあり、古めかしい雰囲気のする、けどでもそれは落ち着いた、とっても居心地のいい空間だ。そこへと入り、部屋の隅っこの脇卓の上にカバンを置いたセナは、蛭魔さんからの突然のお言葉へ、
「また ボクのことを"乳臭い"って言うんでしょ?」
 まずは むむうと唇を尖らせる。一番新しくて一番小さなこの部屋の住人。そんな下級生の言うことやることが いちいち可愛らしくてしようがないのか、今でも何かというとちょっかいをかけて下さり、しかもその大半が からかい半分のお言葉ばかりなものだから。そのお陰様でか、セナくんの側からも…こんな風に、馴染んだお返事を返せるようになって来た。自分からわざと煽ったくせに、
「おっ。言い返せるまでになったか、こいつ。」
 にやにやと笑ってお顔を覗き込んでくる蛭魔さん。鋭く切れ上がった目許に据えられた灰色の瞳は まるでガラス玉みたいに冷たく透き通っているし、細い鼻梁に薄い唇…と、凄艶にして華美な分、酷薄そうな印象をも与える面差しをした彼ではあるけれど。確かに ちょっと見は冷酷そうで怖いけど、あのね。ホントは とっても優しい人なんだよ?
「もしかしたら、これの匂いなのかなぁ。」
 セナがごそごそとカバンから取り出したのは、結構大きめに膨らんだ薄茶色のクラフト紙の袋。中に入っていたのは、
「…クッキーか。」
 そこへと使われたバニラやバターの香りが仄かにあふれていたのだろう。
「はい。調理実習で作ったんですけど。」
 男子校でも当たり前に家庭科の授業はある。まあ、調理実習とか手芸は、年に1品か2品ってとこだけど。今日の5時限目、ついさっき これを作ったセナたちだったが、
「ウチの班、砂糖の量を間違えちゃって。」
 そいで、砂糖や小麦粉の計量係だったボクの責任ってことで、6人のグループで分けられるほどあったのを全部押し付けられちゃったんですようと首をすくめた。だって丁度、二年生の体育の時間と重なっててね。調理実習室の窓から見えた校庭で、きれいなフォームで走ってた人についつい気を取られちゃったの。/////// だから自業自得なのは認めるけれど、失敗は失敗で、そこはやっぱり いい気持ちはしない。ふみみ…としょげてたら、

  「どら。」

 きれいな手がひょいって伸びて来て。セナの胸元に抱えられたまま、大きく開けてた袋の口へと入り、真ん中にアーモンドを埋めたのを1個、長い指先で摘まんで出て来てね。
「あ。」
「何だよ、食っちゃいかんのか?」
 毒でも仕込んであるのかよ。あ・いいえ いいえ、そんなことは。でも、あの、
「蛭魔さんて甘いもの…。」
 苦手そうに見えるんですけどと ごにょごにょ言うと、
「ああ、バクバクとは食わねぇが、多少ならな。」
 にやにやと笑いつつ、さくりと齧って、
「あれ?」
 手に残った半分を見やる。やっぱり美味しくなかったのでしょう? おどおどと見上げたら、綺麗なグレーの眸と視線がかち合い、
「これって教科書のレシピ通りだよな。」
「…はい。」
 ああ、そっか。蛭魔さんたちも去年作ったんだ。…ちょっと想像しにくいけど。(まったくだ/笑)

  「俺なら こんくらいのが丁度いいぞ。」

  ――― はい?

  「俺らの時は、あまりに甘すぎて食えたもんじゃなかったんだよ。」

  ――― え?

 にっかり笑って残りを頬張り、もう1個と紙袋へ手が伸びる。美味しいぞと、口に合うと仰有って下さって良かったけれど。でも、あのね。去年作ったのが食べられないほど甘かったって。その味を覚えていながらも、食べてみようってしてくれたんだよ? だから、ほらネ? さりげなく優しい人でしょう? 何だか嬉しくて"うふふvv"ってついつい微笑ってたんだけど、何だ?というお顔を向けられて、

  「あ、お茶、淹れますね。////////

 セナくん、慌てて…お部屋の隅っこのサイドボードへと足を運んだ。あんまり図に乗って馴れ馴れしくし過ぎると、そこはやっぱり叱られちゃうものね。サイドボードには、皆さんが持ち寄ったらしい電気ポットとかティーサーバーやコーヒーメーカー、茶器一式とコーヒー粉やらお茶の缶やらが置かれてある。
「紅茶なら、下 行って、水汲み直して来いよ?」
「は〜いっ。」
 ポットの沸かし置きじゃなく、空気がいっぱい入った汲みたてのお水から沸かした新しいお湯じゃないと、紅茶のお茶っ葉は開かないぞって、そう教えて下さったのも蛭魔さん。手を取り足を取りっていう優しい言い方じゃなかったけどね、こそっと教えて下さるのが…こっちの機転を考慮に入れた上で、言葉少なに言っても十分判る子だと把握して下さってるのが何か優しいなって。そういう気遣いが嬉しいなって思ってるセナくんです。

  「おや。お茶ですか?」

 やかんを片手にガスコンロを置いている階下に降りると、丁度、外から入って来られたばかりの高見さんがいらしたところと鉢合わせになった。
「あ、あ、こんにちは。」
 どうも何だか、ボクっていつもドタバタしちゃってて。お兄様方からは"誰も急かしはしないから、ほらほら落ち着いて"と言われているのだけれど。これはもう抜けない性質なのかなぁ。
「あ、えと、蛭魔さんがいらしてますよ。」
「そうで…すか? あれ?」
 僕のところは自習だったんですが、彼のクラスは…? 何だか小首を傾げていらっしゃる。ああやっぱり自主休講なさったんだなと思ったけれど、差し出がましいことを言っちゃあいけないから。黙ったまんま小さく微笑って、お二階へ上がられる高見さんを見送った。銀縁のメガネがとってもよく似合う、知的で冷静で人当たりの柔らかな高見さんは、生徒会執行部の部長さん。英語研究部の部長さんでもあって、それから何と、2年連続のチェスの高校生部門の世界チャンピオンなんだって。一年生のセナくんにまで丁寧な言葉遣いをして下さり、時々はお勉強も見て下さるし、チェスだって教えて下さる、とっても優しくて真面目な人です。



 火にかけた おやかんの傍らにじっと待つこと十数分。かたかたって蓋が躍ったのを見計らい、紅茶の葉を入れて来た陶器のティーポットへと、火傷しないように気をつけつつ そそぎ入れる。蓋をしてキルティングのポットウォーマーをかぶせて、お盆に載せて、そぉっとそぉっと給湯室から外に出て。そしたら、

  「………っ。」

 いきなりお盆が浮き上がったからびっくり。あやや…ってワタワタしたら、

  「…進、いきなり取り上げたら却って危ないって。」

 そんなお声がして、すぐ間近には進さんのお顔。あやや、二人でお盆の取り合いっこしてるみたいな構図になってた。危なっかしいのを見かねて"持ってあげよう"と思って下さったらしいのだが、何もお声をかけて下さらないままにだったから、何が起きたのか咄嗟には判らなかったセナであり。

  「ちゃんと喋んないと、そのうち言語中枢が退化しちゃうんだからね。」

 ねぇって こちらに同意を求めて、いかにも可笑しそうに、それは華やかな笑顔で笑って見せたのが生徒会長の桜庭春人さん。元は華族の財閥から発展した"桜花産業"っていう大きなカンパニーの宗家のご嫡男でいらっしゃり、系列会社のCMに出たのを切っ掛けに、ドラマや映画にも引っ張りだこという人気の若手俳優さんでもある多才な方で。蜜をくぐらせたみたいな明るい亜麻色の髪に、柔らかい微笑がそれはよく映えるソフトな面差しをしていらして。とっても背が高いのに威圧感はなくって、むしろ人懐っこいほど気立ての優しい明るい人。話題も豊富だし、人から気を逸らせないような独特な存在感も持っていて。女性に受けそうな要素ばかりを"これでもかっ"と抱えた人なのだけれども…。

  「そうそう。ねえセナくん、妖一、もう来てる?」
  「あ、はい。階上
うえに…。」

 もう いらしてますよと言い終わらないうち、ばたばたばた…っと階段を二段飛ばしで駆け上がってゆく素早さよ。そしてそして、
「妖一〜〜〜っvv
「挨拶もせんと いきなりサカッてんじゃねぇっ!」
 あ、なんか…怒号に重なって"バキッ☆"っていう音が。
(笑) いかにも女性受けする容貌をなさっていらっしゃる桜庭さんだのに、実は実は、あの蛭魔さんと両想いの恋仲だったりするのである。あれだけ強かそうに見えていても、こっちの方面へは淡白というのかストイックというのか。人前だと さすがにそこは…照れてしまわれる蛭魔さんであるにも構わずに。事情が通じている人たちの前では遠慮なくも強引に、べたべたと甘えて見せる桜庭さんなものだから。蛭魔さんがすげなく振り払ったり、容赦なく叩いたりと、一見すると漫才みたいなやり取りが交わされているのも、此処では もはや日常茶飯事で。
"あやや…。"
 これはまた…性懲りもなく いきなり抱きついたな、そいで叩かれるか蹴られるかしたらしいなと。頭上を見上げて、その上で繰り広げられたらしき"いつもの構図"をあっさりと想像した二人が、ほぼ同時に視線を相手へと戻して。

  「…あの。////////

 その凛々しくも精悍なお姿をこんなにも至近で直視するのは、実はまだまだ不慣れなことだから。真っ赤になった小さなセナくんが恥ずかしさのあまりに俯きかかったが、すかさずのように…大きな手が小さな顎の下へとすべり込んできて、そんな所作を中途で制止させてしまう。

  「………。」

 進さんは口数が少ない人なので、瑣末なことへは あまり事細かにはお話しして下さらないのだけれど。俯くのは良くないことだぞと、そう仰有りたいのだなというのが…真っ直ぐ見つめられたその眸から察せられたセナくんだったので。

  「はい………。////////

 判りましたと、頬を赤くした笑顔でお返事。


  「…あれで通じてるって、やっぱ驚異的なことだよな。」
  「そうですね。
   僕や桜庭くんだって同じ年数だけの付き合いがありますが、
   材料ほしさに、こっちからも あれこれ訊いちゃいますものね。」
  「以心伝心かぁ。妖一とだったら、それも嬉しいだろうなぁvv
  「俺には めーわくだ。」


 ………階段の中折れの踊り場で、手摺り柱の陰に重なるようになって覗いていた面々から、色んな意味から言いたい放題されとります。
(笑) ああ、そうそう。紹介するのを忘れておりました。幸せを目一杯に頬張った それはそれは稚いとけなくも愛らしいセナくんの笑顔を超至近から堪能しているところの、上背のある、それは男らしい容貌の二年生。彼こそが、セナくんの"お兄様"にして、

  "…あややvv"

 5時限目の調理実習中に窓から見えた校庭にて。颯爽とした走りっぷりで、セナくんにクッキーへの砂糖のサジ加減を混乱させた罪深き張本人。剣道部のエースにして生徒会の副会長、進清十郎さんでございます。





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