アドニスたちの庭にて “5年目の迷い子”
 

 


  ――― どうしてどうして ボクたちは
       出逢ってしまったのだろう
       壊れるほど抱き締めた………





          




 はらはらと視野の中を舞い散る何かに、無性に胸が痛むことがある。どうして桜に彼を思い出すのかと、いつも不思議でならなくて。あれって秋のことなのにな。確かに…あの悲しいことと一緒になって印象づけられている風景ではあるのだけれど。落ち葉にしては、妙に…小さめの大きさ形が揃っていた何かだったから、桜か雪のようだったものには違いなく。秋という季節にはまずは見ないものを、どうしてこうまで深々と覚えている自分なのかな。お陰で、情緒あふるる綺麗なものとしての代表格である雪や桜を、安んじて眺めていられなくなった自分である。





            ◇



 今日が何月何日何曜日かも判らなくなるほど、雑事に追われたり緊張が続いたりという忙しさや慌ただしさの中で、流動的に揉まれている方がいい。何もかも放り出して休みたいと思うほど、身も心もクタクタに疲れるまで忙殺されて日を過ごす方が気が休まるという、一種矛盾した難儀な身の上になって足掛け5年を数えるんだなと、感慨深げに噛みしめた夜が明けて。図らずしもそういう忙しい立場へと自分を誘
いざなってくれた、亜麻色の髪をしたそれは綺麗な青年は、ノーブルな香のする健やかさをたたえたお顔に満面の笑みを載せて、

  『昨日はよくもサボったな〜〜〜。』

 高等部主催の“白騎士祭”まで、いよいよの秒読み段階。生徒会は実行委員会や執行部と共にそりゃあもうもう忙しくなる。なのに、昨日は連絡もないままに姿をくらましていた蛭魔だったのへの恨み節。始業寸前の予鈴が鳴り響き、人の姿も殆どなくなっていた朝の昇降口にて、居並ぶスチール製の下駄箱の陰から姿を現し、それはそれは恨めしげなお言葉を下さった。
“俺は正式には生徒会の人間じゃあないってのにな。”
 そんなに人手がほしいなら、臨時の役員を集めるなり懇意にしている友人たちを呼ぶなりしなと言ったら、
『あの緑陰館には、そうそう気安く誰でも彼でも上げる訳には行かないのっ。』
 そりゃあ勢いよく言い返されて。十一月に突入したら寝てる暇も無くなるんだからね、昨日すっぽかした分も今日から覚悟しときなよ…と、本気で怒っているという訳ではないらしかったが、それでもそんなような言いようをして。人目を避けつつだったとはいえ、学校という場所で大胆にも…耳朶へのキスを贈ってくれた、お茶目な生徒会長さんで。

  “………何を覚悟しろってんだろ。”

 そうですよね。
(苦笑) 大方、直前の蜜夜の余韻から引き続いて甘く過ごせるものと思い込んでいたものを、何の知らせもないまま放っておかれて裏切られたもんだから。それへの不機嫌に任せての、意味のない言いようだったに違いない。本当に判りやすい坊っちゃんだよなと、声は出さぬまま擽ったげに苦笑する。こちらの姿に気がついて、最初は怒っていますというお顔で“のしのし”と近づいて来たくせして、
『…ガッコにして来ちゃダメだってば。』
 キスのついでか、若しくはキスの方がついでだったのか。甘い花蜜の香りに包まれ、頬と頬とが触れ合うほどにも顔を近づけられて。素早く耳打ちして来ながら…ちらりとそれはなめらかに、彼が視線を落とした先にあったのが、蛭魔の白い指に光っていた例の銀のリングであり。贈られたそのまま、ちゃんと彼自身が肌身離さずに持っていたのがよほどに嬉しかったのか、ご機嫌の方は何とか収まっていたようだったけれど。
“………。”
 それからも結局は まだ嵌めたままだった指環を、そっと外して指先に摘まむ。窓辺の席に降りそそぐ、秋の午後の陽を浴びて、細かい模様がきらきらと乱反射していてなかなか綺麗で。桜庭の手で嵌められたそのままになっていたので、今の今まで気がつかなかったが。よく見ると…内側に“To YOUICHI From HARUTO”などというメッセージも刻まれてあり。さすがにそれを見つけた瞬間は…気のないお顔で澄ましてた表情が、ちょこっと凍りそうにもなった蛭魔だったのだけれども。
“…どの面
つら下げてオーダーしたんだか。”
 ヨウイチだなんて、どう見ても男の名前だのにな。Yui-chanの間違いでは? とか、あなたが一番だよという“you ichi”なんでしょうか? とか。工房の人から何度も確認されてたりしてなと、そうと思えばやはり苦笑が止まらなくって。
“ガッコでは外しておけ、か。”
 さんざん眺めたその後で、陽光に温められた濃紺の詰襟制服の、胸元にある小さなポケットへとすべり込ませる。確かに入れたその上から、揃えた指の腹でそっと撫でてみたのは、全くの無意識の内の仕草だったのだが、そんなことをするほどのご執心ぶりなんて、この彼には本当に珍しいこと。同じ人物からステディな関係になった印として交換して贈られたもの、襟元に留まった校章にはこうまでの気持ちも沸かず、いつぞやなぞ“囮”の小道具に使おうとして、自分の手でとっとと外したほどだったのにと思えば。彼の中での桜庭の大きさ重さが、いかに大きくなったのかが知れるというもので。………問題はまだ自覚がないみたいな蛭魔さんだということでしょうか。
(苦笑) これは個人的な見解ですが、あと一押しかと思われるので、桜庭会長には是非とも頑張ってほしいものです。

  “………っと。”

 言い忘れておりましたが。広々とした教室内には担当教師の声のみが紡がれている、静かな静かな、只今は六時限目の授業中でございまして。自分はとうに理解把握を済ませているジャンル・段階を解説いただいているところの数学の授業に、欠伸を噛み殺しながらも付き合っていた蛭魔くんの、金色に染められツンツンと尖らせた髪がふるりと揺れたのは…制服のズボンのポケットへと突っ込んでいた携帯電話が、唐突にも“む〜〜〜ん”と静かに静かに震えたから。何だ何だと引っ張り出せば、メールの表示が液晶画面に浮かんでいて。まま、覗くくらいなら構わんかと、特に周囲への気を遣うこともないまま、ぱかりと開いて確かめれば………。


  【着信 from;十文字
   南の端の柵の前。早く出て来い。】


 何だこりゃ?という短い一文。十文字というと…あの十文字かな? 昨夜、こっちから呼び出しておきながら酔い潰れてしまった自分であり、どうやら彼が担いで帰ってくれたらしくって。あの後、アパートの扉は ちゃんと鍵は掛けて出て来た筈だけれどもな。これって本人が此処に来てるって事だろか、そういえば…ついさっき、ここいらには珍しくも大型オートバイのイグゾートノイズが聞こえて来ていたような。
“早くと言われてもな。”
 この授業が始まってから、まだ10数分しか経ってはおらず。最初からサボタージュを決め込んでいたのならともかくも、こうやって拝聴しましょうかと出ている以上、中途退場するのは…こっちの負けなような気がするらしい、ややこしい負けず嫌い。ちゃんと出ないといけませんよと、小さなセナくんと約束した手前もあるしな。どうしたもんかねぇと、机の下に開いたまんまの携帯と しばし睨めっこしていたところが、
“………う。”
 まるでそんな彼の反応へと地団駄を踏みながら急かすように、同じ送り主からの全く同じ文面の第二信が手のひらへと届いたその上。意識して聞けばそれに違いなかろう、空ぶかしされているイグゾートノイズが確かに聞こえて来たものだから。
“しょうがねぇな。”
 あの野郎、詰まらん用件だったらシメてやるからなと、溜息混じりに腹を括って。此処は先生の手を煩わすこともなかろうと。いつもの自分への評を逆手に取っての不良振り。わざとらしくも“がったん”と、聞こえよがしな音をさせて席から立ち上がり、
「ひ、蛭魔くん、どうしたのかね?」
 びくりと怯えた細っこい数学教師へにんまりと笑って見せる。
「野暮用を思い出しましたんで、早退しま〜す。」
 これでも彼にしてみれば、随分と譲歩した上でのサービス満タンな応対だったのだが、
「そそそそ、そう、そうですか。」
 何でまた そこまで一生徒の言動に怯むのかと、こちらが怪訝に思うほど、お顔も声も引きつらせてのお返事を下さったのへにんまり笑い、携帯だけを手に、後ろのドアから外へと出る。制止しないあたりが考えようによっては物凄い対応であり、もう少々ベテランの教師であったなら、そこはやはり叱られたり恫喝されているだろうにと、他でもない蛭魔自身が感じたほどで。
“若手のセンセーたちにどんな把握をされているやらだな。”
 これが耳に届いたら、またぞろ桜庭が怒るんだろうなと苦笑しながら、足早に廊下を進んだ“問題児”さんである。




 南の端という指定は恐らく、JR沿いの幹線道路をそのまま上がって来た駅前からこの学舎がある山の手へと向かって来て、最初にぶつかるだろう位置だから。敷地へ出入りする校門はもう少し先だが、そこへまで到達するのもまどろっこしいと、いかにも苛立った顔をしている彼であり、
「何だ、どしたよ。」
 校舎からは少しばかり離れた辺り。指定の場所へと駆けつけた蛭魔にも重々と見覚えのある、ご自慢の400ccバイク。そのタンデムシートへ、今にも発進させられるぞと言わんばかり、やや前傾姿勢になってまたがっている。そんな姿も何とも勇ましい彼こそは、JRの線路を挟んだお隣りさんの黒美嵯高校に通う、顔見知りの十文字一輝くんに間違いはなかったが、
「鍵なら掛けて出たぞ?」
 そんな仏頂面で呼び出されるような失態はしとらんぞ、と。こちらさんも怪訝そうに眉を顰めて見せれば、

  「…これ。」

 柵の隙間のちょいと手前。バイクから降りないままに手だけを伸ばして来たずぼらさに、この野郎めと金髪の先輩さんがムッとしかかったが、昨夜は…覚えてないけどお世話をかけたらしい相手だし。ここまではそれに免じてやろうじゃないかと、こっちもぶっきらぼうなお顔になって、柵の間へ手を通して差し出されたものを受け取った。光沢のある厚手の特殊紙へとプリントされた、それは一枚の写真であり、
「今朝方、ネットで見た写真だ。」
 あんまり鮮明ではないので、ちゃんとした撮り方をしたものではないらしい。中央に写っているのは、さすがは好きなことの筆頭、アメフトにまつわる人物だからと、蛭魔にもすぐに誰なのかは判ったらしく、
「Mr.ベイツじゃねぇか。日本に来てんだな。」
 背景がどう見ても日本語まるけの看板だったりしたから、これは来日しているという写真なんだろな、シーズン中なのになとひとしきり呟いていた彼が。

  「…っ。」

 ふと。息をひいて一点を見つめる。写真の中の少し奥。手前の中央に立つ、主人公たるアメリカ人の体でほとんどが隠れているものの、もう一人…日本人らしい男性が立っており。上体を軽く前へと倒してトランクを持ち上げかけている動作や体躯、横顔から、眸が離せないらしくって。思っていたまんまの反応をしたのを静かに見ていた十文字が、ややあって説明をするかのように口を開いた。
「俺は逢ったことがなかったからな。そいで、メグさんに見てもらったし、銀さんや影さんにも来てもらって確かめた。やっぱり間違いないってこった。」
 だから。あらためて自分へ、その事実を告げに来た彼だということであるらしくって。だが、そんな気遣いからの言葉も…蛭魔の耳にはほとんど届いてはいなかった。

  「………。」

 彼の中での“時間”が止まったかのように。いや、もしかしたら物凄い勢いで“ある地点”へ向けて逆流しているが故、その意識が現在位置から遥か彼方へ遠ざかっているのかもしれないと思わせるほどに。茫然自失という無表情でいたのだけれど。
「これ…今日のネットで拾ったのか?」
 いつもの彼を知っている者には信じられないほどに、力のない頼りない声で訊かれて。
「ああ。」
 しっかと頷いた十文字は。

  「今、都内のホテルに滞在中だ。」

 これを掲載していたスポーツ紙の担当者へ、顔の広い『R』のマスターが何とかして連絡を取ってみてくれて。判っている限りの詳細を訊いたところ、東京のテレビ局からの何かしらのオファーがあったとかで、それに応じる格好でゼネラルマネージャーが来てたらしくてな。問題の人物は、確かにその人の連れで、同行して来た通訳じゃないかってことだそうで。
「ホテルの名前も聞いた。アポイントメントまでは取れてないが、」
 此処で言葉を区切った十文字は。


   「今から行ってみるか?」


 手にした写真を食い入るように見つめている青年へ。何かを試すような心持ちで訊いてみた。この写真だけでも、今 来日中なのだという事実だけでも、彼には相当な衝撃であるに違いなく。此処まで全部を一気に並べてやるのは、いきなり過ぎて酷かも知れないとメグさんは言っていたが。黙っていたことが後で露見するのも、衝撃を受けるという結果としては同じではなかろうかとマスターさんが説き伏せた。この人へのこだわりが依然として抜けないながらも、随分と素直に怒ったり笑ったりするようになって来た彼には、どんな形であれ早く決着をつけさせてやりたい。だから、今こうまでお膳立てが揃っているのなら、それに乗じようと、彼の背中を押してやれと、そう言われた十文字であり。

  「……………。」

 すぐには返事も無理だろうなと。凍りついたようになって手元を見下ろしてばかりいる蛭魔を、こちらも黙って見守っていると。

  「今から…逢えるのか?」

 低い声。だが、先程の声よりは張りも戻ってしっかりしており、
「逢えるかどうかは判らない。今朝の今って話だし、何よりも“大物”さんだ。とてもじゃないがコンタクトは取れないし、スケジュールからして押さえてないからな。」
 逗留先が判っているだけ。そんな段階だとすっぱり言い、
「それでもいいなら、今からこれで送ってってやる。」
 すぐにも発進させるため、またがったままでいた彼であるらしく。それへと、
「………。」
 顔を上げた蛭魔は。薄い肩を震わせながら、大きく息を吸い込むと、

  「行く。………連れてけ。」

 それはくっきりとした声で応じていた。表情はまだどこか堅いそれだったが、さっきまでの呆然としていてのものではなく。きっぱりとした決意のほどの強さを滲ませてのものだと判るから。
「表へ…。」
 承知したと頷いてから、正門の近くまで回り込むと言いかけた十文字の表情が…止まる。槍のような黒塗りの鉄柵の傍から数メートルほど離れたその後、再びこちらへと向き直った蛭魔であり、
「…っ!」
 一直線に戻って来る。ザッと勢いよく駆け出したその加速を生かし、壁のように立ち塞がっている鉄柵に足を掛けたそのままに、垂直な鉄柵を何と真上へ駆け上がったから。
「なっ!」
 バイクのハンドルを握ったまま、十文字がその場に凍りついたように立ち尽くした。さすがに全部をそのままで駆け上がる訳には行かず、スニーカーのゴム底の吸着力と広いスタンスとで背丈ほどの高さまで駆け登ると、手を伸ばして上辺に走る横棒を両手で掴みしめ、
「…っ。」
 最後の一歩でそのまま鉄柵を蹴って、手を支点に体を振り上げる。鉄柵の上へ真っ直ぐ倒立状態になった痩躯は、一瞬そこで腕へとバネを溜めると、横柵を突き放すようにして宙へ高々とその身を躍らせて。秋の陽射しを遮ったのも一瞬。十文字が立っていた場所の間際になる“こっち側”へと跳んでいて。最初のダッシュから、片膝を突き、身を丸めるように姿勢を沈み込ませてのお見事な着地をするまでに要した時間は………恐らく“1分間”とさえ かかってはいなかったかも知れない鮮やかさ。
「何をぼーっとしてやがる。」
「あ、ああ。」
 何事もなかったかのように立ち上がり、駆け寄って来た彼が後部シートにまたがると、十文字の側も気を取り直して…ハンドルに通していたヘルメットの1つを渡してやる。
「ちょいと遠出だからな。停まらねぇで一気に行くぜ?」
「ああ。」
 望むところだと、メットを装着し、がっしり頼もしい背中へ張りつき、腰回りへと巡らせた手を自分で掴んで準備OK。低いイグゾートノイズの咆哮と共に動き出したバイクの振動に身を任せ、盾のように頑丈な後輩くんの背中に頬をつけて。どきどきと高鳴ったまま収まらない鼓動を、胸の奥へと必死で押さえ込む蛭魔である。


  ――― 日本にいるんだ。都心なんていう、すぐ真近にまで来てるんだ。


 足掛け5年。長いようで短い“学生時代”の内の4年もの間、自分の中で停まったままになっていた想い。いつまでもいつまでも大人になれないまま、合理主義者の筈が未練たらしく割り切れないまま。膝を抱えてうずくまってた、自分の中の“子供”の部分が、ずっとずっとこだわり続けていたことの、その基点にいる人が…この手が届くところに居る。現実世界ではもう逢えないのかと。思い出の中にしかいない人なのかと、諦念を馴染ませつつ心の奥底へ沈めかけていた想いが。今の今、あの時と同じ秋の空の下に、鮮やかに蘇ろうとしている。

  “……………。”

 鋭く尖ったままの苦い想いを、どうあっても飲み下せないまま、苦しみながら過ごして来た。そんなのを抱えた、これが最後の秋になるのかな。見えないままの行く末、唐突に開けたこの道が一体どこへ自分を運んでくれるのか。出来得ることなら、これでもう。何もかもに決着をつけたいと、金髪痩躯の青年は切れるほどにきつくきつく、その唇を噛みしめたのである。











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