アドニスたちの庭にて お点前は いかが?
 



          



 切っ掛けは桜庭さんの“お誘いのお言葉”からだった。桜庭邸のプールのお掃除が済んでから、お屋敷の中へ上げていただき、冷たいソーダとお抱えシェフの手作りというカシスムースのクールケーキをいただいていた時に、

  『そうそう、今度の週末、どっかに出掛けないか?』

 週末も何も、もう夏休みに入っている同じ学校の顔触れであり。時間的にはいつでも都合がつく身なのだから、むしろウィークデイの真ん中辺りに出掛けた方が、少しは人出も少なくて過ごしやすかろうに。そういった機微・機転へは行き届いた人なのに、妙なことを仰有るのなと、瀬那が小さな銀のデザートフォークの先っちょを咥えたままで ひょこりと小首を傾げて見せる。そんなセナの傍らから、
『またそんなことを言ってすっぽかそうというのですか?』
 やれやれというお顔になって窘めるような声を出されたのが高見さんだ。おやや? 何なに? こっそりと見回せば、高見さんだけじゃあない、蛭魔さんも、進さんまでもが仄かに苦笑なさっているご様子で。これって、皆さんでご存知だというほどの御用がホントはお有りなのにも関わらず、それをすっぽかしたがっている桜庭さんだ、ということなの?
“桜庭さんがお嫌だと敬遠なさることと言ったら…。”
 儀礼や体面を重用しなくてはならない堅苦しいことや、退屈なこと…というところだろうか。何しろ、世界に名だたる“桜花産業”という、それは大きなカンパニーの宗家の御曹司。資産家であり起業家でもいらした曾々祖父様から今世まで、順々に引き継がれて来た莫大な財産と壮大な事業とを、やはり先々で継がねばならないお立場にある方なので。それなりの…経営学やら市場把握の基礎知識といった特別な学問やら、人の上に立つための哲学やらも学んでいらっしゃるし、政財界の大人の方々とのお付き合いも始めていらっしゃる。日本だけに留まらない、所謂“グローバルな社交界”での評判というものも保たねばならずで、こうやって並べると…何かと大変でいらっしゃるのだろうな、と。自分には縁のない遠い遠い世界に、実際に立ってらっしゃる凄い方なんだと改めて思いもしたのだが。

 『別に僕が参加しようがしなかろうが、何がどう不具合を起こすってもんじゃなし。』

 それはそれは判りやすくも、唇を尖らせて“つ〜ん”と少々不機嫌そうなお顔になられる、子供っぽいところなぞを見ていると、そんな色々に辟易していなさることも簡単に伺い知れて。………でもね、後で進さんが話してくれたの。これって半分くらいはポーズなんだって。逆らったってどうにもならないって、理解してるし諦めてる桜庭さんなんだってことも、進さんたちには判ってるんだって。子供の振りが通る今だけ、こんな風に駄々をこねてるだけだよって。それと、諦めてるって言っても…唯々諾々と上の方々や大人たちから“定められた通り”をなぞるつもりはないらしいって。それって?って訊いたら、曖昧に微笑った進さんだった。ボクには難しいという意味なのか、あんまり他言するべきことじゃないという意味なのか、それとも…進さんには把握出来てることだけれど、誰かに説明するのは難しいということなのかしら。
こらこら

  『…なあ、チビ。』

 新参者で、まだあんまりそういうところまでを把握してはいないから。何となくお話が見えないまま、でも口を挟むなんていう蓮っ葉なことは出来ないで。それで黙っていたボクへ、不意に蛭魔さんが声をかけて来られたの。

  『お前、進の家へはもう行ってみたのか?』
  『え? …あ、えと、あの。//////

 唐突な話題の転換で、しかも…それは、あのその、まだちょっと甘い余韻に包まれてる記憶だったから。まだ固まってないゼリーの、やあらかいトコを摘まみ上げられたみたいにあたふたしちゃった。
『えと…試験休みに…。///////
 お宅までお伺いしたのは、期末考査が終わったばかりの翌日…ほんの数日前のことで。わざわざボクのお家までお迎えに来て下さった進さんに連れられて、それは大きなお屋敷へ足を運んだ。それをほやんと思い起こしていると、
『古くて何か珍しい家なんだってな。』
 蛭魔さんが小さく笑う。えと、そういえば、古めかしいお家ではあった。今時は、どうかすると畳敷きのお部屋がないくらいだっていうのに、進さんのお家はその逆で…ドアの数と同じだけ、襖で開け立てするお部屋があったほど。それを思い出してこくりと頷くと、蛭魔さんは進さんの方を向き、

  『俺も行ってみて良いか?』

 そんなことを仰有ったから…えっ? えっ? そんなぁ〜。蛭魔さんたら進さんのことに関心を持たれたのかしら。(…いや、それはないって。/笑)





            ◇



 道に沿った長い板塀が途切れると、瓦屋根が載った大きな門が現れる。仰々しくも観音開きになっている、がっつりとした大門の傍らに、前のお庭が透かして見える格子戸の引き戸になった戸口があって。
「へぇ。普通、こういう門だと、人だけが出入りする通用口はせいぜい“耳門
くぐり”になってる止まりだろうにな。」
 蛭魔さんが感心したような声を出したその大きな門には、流麗な筆書きで…こちらが某茶道の宗家であるという旨のことが墨で書かれた古い看板も下がっており、
「日頃から生徒さんたちが一杯、きちんと和装でお稽古にって通ってくるお家だからさ。ちいさな耳門じゃあ追っつかないんだよ。」
 先日セナもそうと聞いたことを、桜庭さんがさして面白いことでもないという口調で説明する。そこに付いていた呼び鈴を押し、応対に掛けられた女の人のお声へ来意を告げると、しばらくして…ここから玄関までを導く飛び石の上をやって来る人影が格子戸の向こうに見えた。Tシャツの上へ夏物の開襟シャツを重ねていらして、濃紺のワークパンツで長い脚がきりりと引き締まって見える、普段着姿の進さんだ。
「こんにちは。」
 まだ引き戸を開けていただいてもない内からペコリと頭を下げると、進さんは柔らかく眸を細め、微笑って会釈をして下さる。それへと、
「よお。」
 蛭魔さんは相変わらずな、ちょっと横柄な声を掛けただけであり。桜庭さんに至っては…、
「………。」
 ちょっとだけ複雑そうなお顔をして見せただけ。あやや…と、気まずくなりはしないかなとか思ったセナだったが、でもでも進さんには何の非もないことだし。それを言えば、誰にも“イケナイところ”はない。唐突にこのお屋敷へ来てみたいと言い出した蛭魔さんにしても、だったら僕も行くと、少しばかり渋々と言い出した桜庭さんにしても。

  「…わあぁ。」

 前庭には瑞々しいばかりの緑が、丁寧な手入れをされた上で整然と梢を差しかけて来ており、ところどころには竹を裂いて麻縄で組んだ囲いとか垣根とかが上品に配置されてある。奥向きが透かし見えないようにという工夫と共に、人が手を掛けたことをさりげなく表すアクセントにもなっていて。あまり人為的にいじらない古木の風流な味わいを愛でることもあれば、こんな風に人が剪定したり人造物をさりげなく配置して、絶妙な計算を加えた様式美というものを追及することもある。どちらかに徹底的に偏ってはいない、そういう意味では結構奔放な流派のお家なのだと、これは後から桜庭さんに教えていただいた。そういえば…お家の方だって、奥向きの家事にかかわる辺りなぞは最新式の“お水回り”に最近リフォームしたのよと、たまきさんが仰有ってたっけ。まだ青いカエデの葉が柔らかな枝の先で風に揺れるのを眺めつつ、間口の大きな玄関へと辿り着けば、
「いらっしゃいませ、皆様方。」
 大人しめの色彩でまとめられた和服姿の女性が、膝くらいの高さはある上がり框の上、大きな漆塗りの衝立
ついたての前にて、きちんと正座してお出迎えして下さって。
「あ、えと。こんにちはです、たまきさん。」
 これはフェイント、ちょっとびっくりしたセナがご挨拶するのへ、お顔を上げた女性はにっこりと眩しいまでの笑顔を向けて下さった。
「こんにちは、セナくん。春人さんも久し振りね。それと…。」
 唯一、初見の蛭魔さんへ…ちょこっと口が止まったが、
「蛭魔くん、だったわよね? ようこそ、お越し下さいました。」
 前以て聞いていらしたか、ちゃんとお名前を告げられる。屈託のない様子でいらっしゃるのへ気を呑まれたか、時には目上の方が相手でさえ別け隔てなく横柄な態度でいる蛭魔さんが、
「…お邪魔します。」
 少しばかり小さめのお声で、それでもきちんとご挨拶なさったくらいだから、さすがはたまきさん、お着物は清楚な拵えに押さえていらしても、たたえていらっしゃるオーラが違う。さあさ、どうぞと上がるように勧められ、磨きつやの出ている板張りの広いお廊下の取っ掛かり、框の上へと上がった来訪者たち。そこからは進さんが案内を務め、
「相変わらずだね、たまきさん。」
 桜庭さんがこそりと囁いたのへ、先を行く進さんの顎がかすかに動いたのは“さもありなん”と苦笑なさったからだろう。彼らを出迎えた和装の女性は、当家の長女で清十郎さんの姉にあたる たまきさんと仰有る方で。沢山のお弟子さんを抱えていなさるこの茶道の宗家の、次代家元にほぼ決まっていらっしゃる方だと伺った。とはいっても、気さくで屈託のない方でいらして。そんなにも古風でがちがちの礼儀作法にこだわる流派ではないとのお家柄を、自然にそのままに体言なさっておいでな方。先にお伺いした時にはあのように和装でいらっしゃらなかった たまきさんだが、そういえば…何となく、お家の中もさわさわと人が立ったり座ったりなさってらっしゃる慌ただしい気配がしないでもなく、

  “………あ。”

 もしかして。今日はこちらで“茶事
さじ”がある日ではないのかしらと、遅ればせながら気がついたセナくんだった。




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 *進さんのお家のことを少々。
  古風だけれど割とリベラルなお家です。
  ああ、それにしても茶道のお家って“数寄屋作り”よね?
  茶室だけでいいのかな、それって。
  こういう奴が書いてますので、
  あちこち不手際があっても、どかすいませんです。