アドニスたちの庭にて “緑風、颯はやて

 


          




 誰もが寒さに身を縮めていた冬が去り、いよいよの春に可憐にほころぶ緋白の花たち。陽が長くなるのへ添うように膨らむ花の手鞠は、幾重にも輻輳した枝々にまといつき。意外なほどの厚みで奥行きある世界が見事に織り成された暁に、人々は揃ってその存在感に圧倒される。絢爛壮麗に咲き誇り、人々を春の到来に甘く酔わせたそののちに、風に揺れる梢の裾から ほろほろとほどけては壮絶凄艶なまでに潔く散ってしまう桜ばな。その儚さの余韻さえ蹴散らすように、季節は移ってとめどなく。次の風は早くも届いて、小さき者たちの心をさわさわと擽り続ける…。





 目映いほどの陽射しが降りそそぐ、それはそれは心地いい陽気の中。たかたかと速足で進んでいた石畳の道なりには、勢いを増しつつある若葉を盛った茂みが結構長く沿っていて。何の気なしに見やったそのまま、視線が戻せぬほど心惹かれてしまったのは、

  “あ、もう咲いてるやvv

 惜別や旅立ちへの餞
はなむけに、そして新しい風への歓迎や祝福にと、それは壮麗に咲き誇っていた桜と入れ替わり、徐々に深みを増してゆく緑と拮抗し合って咲いている、正に“今時”の花々の萌えに気がついたから。鮮やかな赤紫や白、やわらかな緋。まだ少し浅い緑の茂みのあちこちで、カラフルなツツジが咲き始める頃合いとなった。別な木陰ではユキヤナギの花の真っ白な房がやはり翠の茂みの中で揺れており、濃色の緑に沈まぬ純白が、いかにも“躍動的な季節がやって来るぞ”と謳っているかのような弾けっぷり。さすがにそろそろ寒さは遠のき、陽の中にいるだけでも上着の袖をまくりたくなる“暑さ”を感じる日もあるほどの気候になって来て。
“急がなきゃ。”
 こちらも冬場よりずんと色濃くなってきた自分の陰を追いかけるようにしながら、ぱたぱたと軽やかに駆けてゆく彼こそは、ここ、白騎士学園高等部二年の小早川瀬那くん、16歳。幼稚舎、初等科から大学院までという一貫教育を謡ったミッション系の男子校で、その創設は戦前というから、なかなかの歴史を誇る由緒正しき名門校でもあり、セナくんも幼稚舎から此処に通っている筋金入りの“白騎士生”。初等科や中等部までとはちょっぴり違う、どこか奔放ですっかり大人なお兄様たちがいらっしゃる、この高等部の一員になれるのを、ドキドキと待ってたクチの、ごくごく一般家庭の組の男の子である。
“そんなの、特に珍しいことじゃありませんよう。//////
 学園全ての学舎の中でも一番歴史が古い高等部には、古風蒼然と趣き深い、レトロな建物や何やが多くあり。聖堂と第二温室は高名な建築家の手になるものだという話だし、文化財としての指定を受けてもいるのだそうで。アイビーやマロニエの蔓が這う野外音楽堂は創立の頃からある年代もので、茶室の庵は某有名な茶道宗家の監修の下、周辺を取り巻く庭園から含めた総合芸術を誇って“名園百選”に選ばれているとかいう話。まま、そんなお庭自慢はともかくとして。
“ボクは旧校舎の第二図書室が好きですvv
 左右にスライドさせる型ではなく、上へと押し上げるタイプの古風な木枠の窓が何とも印象的ですものね。………って、だからそれはさておいて。義務教育ではなくなるからか、それともこれこそが歴史ある“白騎士生”本来のそれなのか。幼稚舎から中等部まではブレザースーツにネクタイというデザインで統一されている制服が、高等部だけは濃紺の詰襟へと切り替わる。同じ白騎士学園の生徒でありながらも、中学生と高校生の間に引かれた、それはそれは判りやすい“区別”というか差異の証しであり、どんなに大柄で大人っぽい風貌の生徒でも、ブレザー姿だとここいらでは“子供扱い”されても文句は言えない…ということで。此処に通う男の子たちは、一番最初の“大人への入り口”にあたる高等部に憧れるし、詰襟制服の持つステイタスもまた、半端なそれではない。
“ホントだったら18歳以上じゃないと発行してもらえない、駅前商店街のICカード会員になれますし、大学部の生協さんや学食のテラス・ダイニングへも、先生の許可証なしで入れますしねvv”
 ………ちょいとミーハーで局地的でしたが、判りやすい“ステイタス
(?)”をどうもです。(苦笑) そんなこんなな大人っぽいお兄様が佇んでいて絵になるような、様々な施設があちこちひょんなところに散りばめられた、広大な敷地のその奥向き。椿の茂みが衝立ついたてみたいになっている境目を越えると、丁度セナくんの背丈ほどの壁がぐるりと取り囲む空間に出る。正面に屋根つきの舞台があって、それへと向かい合う雨ざらしの石の座席が扇形に並んだ此処は、先にちらりとご紹介致しました“野外音楽堂”で。昔は様々なイベントにとしばしば使っていたのだろうけれど、今ではせいぜい文化祭の時にだけ、アンプやスピーカーを設置して演奏会に活用しているという程度。それ以外の平生は、生徒たちが待ち合わせや打ち合わせに使う解放区と化しており。校舎から離れた たいそう奥まった場所なので、余程に酔狂な子でもないと思い出しもしない場所になりつつあるほどの寂れよう。そんな場所だというのにね、
「あ。」
 先に来ていた人影へ、思わずのこと口許がほころんだセナくんであり。手を振って見せながら駆け寄れば、向こうも気づいて会釈をし、
「こんにちは。」
 相手の側から先にご挨拶されてしまったりして。雨ざらしの音楽堂は、校舎からちょっぴり遠い上、食堂にしても談話室にしてももっと便利で小ぎれいな施設もあることだしと、あんまり人はやっては来ない場所。でもね、此処ってそりゃあ静かだし、陽あたりもいいし。風にそよぐマロニエの木葉擦れの音とかが何とも心地良いからって、お昼寝好きの某金髪痩躯の先輩さんからお墨付きが出てるほどの“仮眠室”であり、
『あ、知ってるよ。』
 初めて此処を探検しに来たあの日にサ、奥の方まで覗いたからねと。屈託なく笑ってた水町くんのお友達、筧くんの方だけが先に来ていて待っていて。
「あ、えと…こんにちは。」
 そんな彼から向けられる柔らかな微笑みにあうたび、恥ずかしそうになりつつもついつい頬が緩んでしまうのが、
“………どうしてなのかなぁ。”
 水町くんと同じ年で、自分より年下の子なのにねと、実はセナにも戸惑いの材料だったりして。すっきりしていて凛然とした意志に力んだ涼やかなその目許を、自分にはやんわりと細めて笑ってくれる。すると…妙にドキドキしてしまうセナなのは、一体どうしてなのかしら。
“進さんみたいな雰囲気がする人だからかなぁ。”
 大好きなお兄様と、印象がどこか似てる人。見上げるほどにも背が高くって、寡黙だとか無愛想だとかいうのではないのだが、極端には動かない深色の眸をしていて。何事へも落ち着いて対峙しているっていう貫禄みたいなものを感じる人で。いつも一緒にいる相棒の水町くんが無邪気でお元気で、表情もころころとよく動く子なもんだから。それで余計に彼の静謐そうなところが強調されてしまうのかも。
「あのあの、えっと。…水町くんは?」
 確か同じクラスなのに、どうしたの?と。間が保
たないって訳ではないのだけれど、ついつい訊いてしまったセナくんへ、
「さあ。」
 くすくすと笑って…そんなお返事。
「さっきの授業で隠れもしないで堂々と寝てましたからね。それでセンセに呼ばれているのかもしれない。」
 俺は当番だったんで、黒板に掛けてた大地図を畳んで教材室に持ってってから此処へ直行して来ましたし。そんな風に説明すると、
「ありゃりゃ…。」
 小さな先輩さんもまた、呆気に取られてしまった模様。こうまでお行儀の良いガッコには、成程 向かないんじゃないかってほどに天真爛漫な相棒は、古巣だったせいか顔見知りも結構いて、クラスが違うお顔からも何かとお声がかかるほど、その昔、仲間外れにされかけてただなんて何処の誰のお話だろうかと思えるほどに忙しそう。この先輩さんにしても、1年も逢えないでいたのを埋めたいのかと思うほど、何かにつけて彼を気遣って構って下さっており。気がつけば…此処でお昼を一緒に過ごすのが、当たり前な日常になりつつあるほど。そんな彼が、いつもお弁当を入れてるバッグと別に、手提げタイプの紙袋を持って来ていることに気がついた。
「それは?」
「あ、これ?」
 指さされた荷物を見下ろし、
「水町くんがよく読んでた本の続編なんだ。」
 彼がアメリカへと帰っていってしまってからのこの1年の間にも、続きが何冊か出たらしいとのことで。
「昨夜電話で話してて、持ってるよって言ったら読みたいって言ってたの。」
「電話で…。」
 そんな話は一切聞いていなかったものだから。あのヤロ、ちゃっかり直通会話もこなしてやがってよと…自分のためには機敏で腰の軽い彼の、機動力とお調子の良さに呆れてしまった筧くん。そんな彼の鼻先で、陽に暖められたつややかな癖っ毛が揺れて、
「…あ、来た。」
 音楽堂の入口の方へと向いたセナが見やったその先には、彼が先程やって来た同じ方向から たかたか駆けて来た大きな生徒が約一名。額や目許まで覆いそうな長いめの茶髪が、今は風に流されて全開になっているものの、その裾をゆさゆさ・はさはさ揺らしているのが、やっぱり大型犬みたいに見えたりし。お〜いっと頭上で大きく手を振れば、

  「小早川さんっ。」

 こちらを確認したことで勢いをつけたか、駆けてくる足元にも加速が増して。ひょいって。颯爽と車止めの柵を飛び越そうとした、その踏み切りは…高さもタイミングも申し分なかったのだが、
「あ…。」
 長い脚で逆さU字の柵を鮮やかに跨いだその直後。未整備の足元の砂にでも滑ったか“おっとっとっ”とたちまちたたらを踏んだ。勢いがついていたから尚のこと、踏みとどまれずに…どさりと、倒れ込んだ地面へ手をつく格好にてやっとの停止。転んだというよりパタッと倒れ込んだという感じだったし、運動神経が良いからこその受け身が取れてて怪我はなさそうだったのだけれど。
「あ、そんなこと、しないでいいってば。」
 駆け寄って来ていたセナが、放り出された紙袋を拾ってくれてから、起き上がった彼の、砂に白くなってた制服のお膝を払ってくれて。思わぬ凡ミスに驚いたり、セナの前での失態に恥ずかしいと思ったりしたことが吹っ飛んだくらいに、それが一番に恐縮だったらしい。自分が汚れるのを厭わない、小さな世話者の手を“もう良いよう”と捕まえると、
「もうもう、危ないことしてっ!」
 そのままむうと怒って見上げて来るお顔に睨まれて、お元気者の眉が“はやや…”とたちまち下がったのが、離れたところにいた筧くんにもしっかり見えて。
“形無しなんだな、相変わらず。”
 日頃は何をやらせても語らせても、挑発的に見えかねないほど自信満々な彼なのにね。睨まれただけでおろおろするほど、この可愛らしい先輩さんには すっかりと骨抜きの相棒らしいと、そんな認識をまざまざと新たにさせられて。ついの苦笑がこぼれて止まないお兄さんだったりするのであった。





 ばたばたしたのも何とか落ち着き、近くの水飲み場で手も洗って………さてとて。
「これ何ぁ〜んだ。」
 それぞれに腰掛けて、さあ食べましょうと調理パンやお弁当を広げた彼らだったが、そんなところへ…手提げからセナが取り出したものがあり。お顔のすぐ前へと捧げるようにかざされたタッパウェアに、やっぱりワンちゃんみたいに小首を傾げて見せた健悟くんだったのも一瞬のこと。
「あっ」
 閃いたと同時にお顔がほころび、
「玉子焼きだっ!」
「ぴんぽ〜ん♪」
 な、何だか不思議なテンションになってませんか? あんたたち…と。屈託のない人間を一遍に二人も見守ることとなってしまった筧くんが、彼らの思わぬノリへ目を点にしかけている間にも、
「ウチの母さんも、駿トコのお母さんも、この巻き巻き玉子はあんまり作ってくれないもんな。」
 すぐ手前へ“はいどうぞvv”と置かれたタッパに、わくわくと手をかけているお友達。じっと見やれば、ぱかっと開いた蓋の下、ぎっしり詰まってた黄色のお料理へますます目許が緩んだのが………。
“こらこら、なんてまた無防備な。”
 なにが“こらこら”なのかが不明ですが。
(笑) 筧くんがたじろいだほどの心からの笑顔になって、わ〜いと手を伸ばした彼が摘まんだのは、

  「………玉子焼き、か。」
  「言ってるじゃん、さっきから。」

 一体どんな特別なものが出て来るのかと思ったら…と。現れたおかずの平凡さへついつい気が抜けて、それで口走ってしまったのだろうにね。馬鹿か、お前と言いたげな言いようをされたのへ、むむっと眉を寄せかけた筧くんだったものの、

  「美味めぇ〜〜〜vv

 いくらアメリカンな彼だからっても、それはちょっと大仰すぎるのではなかろうかと。ほぼ同じ環境で過ごして育った相棒が再びたじろいだほどの感動を示したアフガンくん。
こらこら
「ミルクレープみたいで美味しいんだぞ?」
 ほれほれと勧められたので、セナへも会釈をしつつ、一切れ摘まんで食べてみると、
「…あ。」
 だし巻きとも違う味付けなのがちょっと意外。お味噌汁やすき焼き、カレーに並ぶほど、この玉子焼きも家庭によって味が違うとは言うけれど、甘辛い煮物風の味付けだったのは筧くんにも初めてのお味だったらしい。
「ウチの母は九州の人なんで、味付けがいつも濃いめなんだ。」
「それだけじゃないってvv
 このご対面がよっぽど嬉しかったのか、妙に盛り上がってる水町くん。
「バームクーヘンみたいに丁寧に巻いて焼いてるじゃんか。初めて分けて貰った時はサ、小早川さんチってお料理屋さんなのかって思ったほどだもんね。」
 またまた大仰なと思いかけたものの、そういえば。お弁当のおかずとしては定番なお総菜だが、
「…そういえば、普段のおかずにはあんまり登場しませんよね。」
 水町くんが感動したのは、美味しさへだけでなく、冗談抜きに初めて食べたからなんだろうなと、やっとのことで理解が追いついた筧くん。彼と彼のお母さんは、日本生まれで何年かは日本で生活もしていたからね、駿くんにだって食べた覚えはあったし、お母さんだって言えば作ってくれただろうけれど。お弁当を作る機会がないとなかなか食卓には上らないメニューだったから、アメリカでの生活の中ではご対面する機会もないままだった訳で。
“向こうの弁当はジャムかバターピーナツのサンドイッチだもんな。”
 ハイキングででもない限り、カラフルで豪勢なサンドイッチやハンバーガーをいつもいつも作ってもらって持たされてはいない。昼を跨ぐほどの授業を受ける年頃へは、早い時期から学食が完備されてもいるからで、荷物もスリムになるし、朝の忙しいお母さんには大助かりだし、暑い盛りに持ち歩くよりは食中毒の危険性も低くなるしと、一応合理的ではある。そういや“保幼一元化”のお話でも、調理室にこだわってた厚生省のセンセー方がいらして笑かしていただきましたが、そっちは論が別なので今は置いとくとして。
(剣呑剣呑…。)

  “食いものでも釣られたか。”

 ホントにもうもう子供なんだからな、お前はよ…と。あっさり陥落させられた経緯が見えるようで、尚のこと苦笑が止まらない筧くんであったりしたそうである。



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