Rain, rain B
 


          



 依然として緩まない雨音をBGMにしばらく待つと、シャワールームの扉がやっと開いた。そこからそぉっと出て来た桜庭は、ソファーに座ったまま顔を上げた妖一と視線が合って、
「あ…。」
 まさかこんなすぐのところで待っていたとは思わなかったのか、意外そうに眸を見張る。こんな反射を見せるところといい、先程よりも…冴えというのかピントというのか、表情に張りが戻ったのがありありと分かるから、どうやら湯を浴びて温まったことで何とか正気に返った模様。用意してやったスェットスーツは妖一の兄のもので、上背のある彼にはちょうど良いサイズであったらしく。明るい色合いは染めているせいか、少しほど赤みの強い生乾きの髪にタオルをかけており、
「ちょっと待ってろ。」
 出て来た彼をその場に引き留めると、擦れ違うように背後の脱衣所へと入ってゆく妖一で。そして、
「あ…。」
 少しして出て来た彼はドライヤーを手にしていた。




 居間までの廊下、先導されるように。細身の背中の後から大人しくついてく様は、まるで…びしょ濡れになって帰って来たところを取っ捕まって、風呂へと直行させられたキングよろしくという風情でもあって。スタジオ収録中心の、テレビへの露出が多いタレントには珍しい長身が、けれど、今は力なく項垂れている様子が…何となく。大好きな人から叱られた仔犬のような、情けなさと頼りなさとを感じさせる。ややあって辿り着いたのは、時にはこの屋敷で逢うこともなくはないせいで、春人にも見慣れた広い居間。吹き抜けかと思うほど天井も高く、普通の団地サイズの3DKなら此処に…玄関から風呂やトイレやキッチン、ベランダまでの全部が余裕で収まってしまいそうなほど広い空間であり、
「ほら、座れ。」
 その中央に据えられた大きなソファーに座るよう、腕を取って導かれ、それから、
「…わ。」
「じっとしてな。」
 長いコードを引っ張って来て、コンセントをつないだドライヤー。頭にかぶっていたタオルをむんずと掴んで退
けた手が、湿った髪に突っ込まれ。そこへと…有無をも言わせず、勢いのいい温風が吹きつけられる。
"…えっと。"
 これって何事だろうかと、仔犬…もとえ、春人には少々状況が分かりかねている様子。どのくらいか雨の中をふらふらと徘徊していて、どうやらこの屋敷の近所まで来てしまった自分であるらしく。それを見つけて拾ってくれたのが妖一であるらしく。………で。
"気持ちいい…のは良いんだけどさ。"
 長くて細い、躾けのいい器用な指が時々地肌に触れる。ドライヤーの風を吹きつけながら、手慣れた様子で前髪やサイドの髪を後ろへ流すようにと櫛代わりに梳いてくれていて。それが何だか…いい子いい子と頭を撫でてもらっているようで。
"………。/////"
 逆らわないままに、お膝を揃えてじっとしていたものの。こちらは手隙なままに、向かい合ったままでいるのが、何だかちょっと照れ臭いなと思っていたところへ、
「…っと。」
 即席理容師さん、興に乗って来たのか。ソファーに膝から乗り上がって来て、もっと丁寧にと細かいセットにかかったものだから、
"あ…。/////"
 手や顔のみならず、身体ごと。より間近に接近して来た存在に、あわわと顔が赤くなる。日頃、こちらから甘えるようにくっつこうとするのへ、煩せぇよと つれなく振り払ってばかりいる彼だのに。触るなんてとんでもない、こんなにも接近出来たことだって数える程もないものが、向こうからふわりと寄って来たものだから、
"えっと…。/////"
 やはりこれは只事ではないぞと、春人は焦ったようにうつむきかかる。頭をいじられているという位置関係のせいで、妖一の顔はよく見えず、ちらっと目線だけで見上げた視野に入ったのは、軽く引き結ばれた口許だけ。そこから続くは、細い顎とやはり細い首。桜庭は覚えていないようだが、先程の雨中での彼の"保護"に少々時間を取ったため、こちらも濡れた服を着替えた彼であり。急いでいたせいだろう、普段は黒っぽい格好の多い彼には珍しくも…水色だろうか淡い色合いのデザインシャツを着ているのだが。そんなシャツの少ぉし開いた襟元。生地の淡い色味にも余裕で勝る、肌目の白さや細かさや、鎖骨の合わせのくぼんだ辺りが腕の動きに合わせて浮き出したりする様が、ほんのすぐ間近の鼻先で目に入って…、
"………。/////"
 ますますのこと、頬が熱くなる春人だった。過激で乱暴な言動により巧妙にカモフラージュされているが、この"蛭魔妖一"という青年、実は実は恐ろしいまでに美麗な容姿・容貌をしているのだ。生まれつき色素が薄いのか、肌も瞳も日本人離れした淡い色合いのそれであり、冴え冴えとした目許や通った鼻梁、薄い唇…といった部位の鋭利さも、大人しく黙っていたならば"線が細い"という印象を放つだろう繊細なそれ。知らず吸収したものならしき洗練された仕草や、何かの拍子に覗かせるちょっとした自然な表情などの、ハッとするほどの小綺麗さが、だが"佳人"の嫋
たおやかさとして表立たないのは、そんな見かけに拠らず、油断して掛かると必ず手酷く足元を掬われるだろう油断も隙もない男だから…じゃなくって。(笑) 内面に蓄積されたる才知や闊達な気魄が存分に反映された、それはそれは強かで切れ味も冴えわたる、骨太でかっちりとした人格の上に乗っかっている代物だからなのだけれど。それにしたって…見る者が見れば感嘆を禁じ得ないレベルの美麗さだというのに、これもまた問題なのが、本人には全く自覚が無いらしく。あれだけ隙なく狡智であるくせに、そっち方面にはまるきり無防備なのが、いつものことだが危なっかしいやら気が揉めるやら。
"だから。綺麗だってことにちゃんと気がついた僕のものだって、周りに言っときたくもなるのにサ。"
 自分の側からこんなにも関心を持った人って、思えば久方振りだと思う。皆が皆そうだとは言わないが、それでも。何かにつけて…下心や本音をひた隠して近づく人間の多い立場や環境に長いこと居たものだから。幼なじみの進や、ごくごく間近い身内以外には、心から打ち解けることもなければ、こちらから近づきたいとも思ったことがないままに、今に至る春人だったのだけれど。

 『げーのーじんには関心ないが、強豪チームのレギュラーなら話が別だからな。』

 好かれるにしても敬遠されるにしても、桜庭春人に対しては誰もが"芸能人だから"が先に来て当たり前だったのに。彼にしてみれば、そんなのはただの看板にすぎないらしくて。
『押しが弱くてオーラが薄くてお人良しで。そんなんでよくもまあ、競争激しい"芸能界"なんてのに居られるよな。』
 斟酌ない言い方ですっぱりと。誰もが注意を奪われるだろう、きらびやかで分かりやすい看板には目もくれず、その向こうに居る"本人"の方をちゃんと見通した上で評してくれる、鋭い眼力を持ってる人。乱暴で自分勝手だと見せておいて、その実、ホントは優しくて。人との馴れ合いを好かない振りをしているところなど、昂然としていてぶっきらぼうな、アメフト以外のところではとことん不器用な進と同類かと思っていたらば、実は全然正反対で。きっちりと目端が利くその上で、自分と関わるとロクなことがないからと、それでの防壁を張っている彼だと気がついて。彼についてを知れば知るほど…奥の深さにますます惹かれた春人だったから。どんなにつれなくされても"負けないぞっ"て頑張れたんだけれど、今日の妖一は………何か変だよなぁ。

  「…よし。」

 そうこう思ううち、ようやくブロウが終わったらしく。ドライヤーのスイッチを切ると、完成品を満足そうに矯
ためつ眇めつ眺めてから、
「ん?」
 そろぉっと見上げて来ていた春人の視線に気づいて、
「何だよ。」
 きゅうっと口元を曲げ、半分は照れ隠しのように、こちらのおでこをパチンと指先で弾く。
「あたた…。」
 勝手な振る舞いは相変わらずで、だが。長いコードをくるくると巻きながらお片付けに入った細い背中の素っ気なさ、今日ばかりは少々…別な意味から気になった。
「…訊かないの?」
「何をだ。」
 こちらを向かないままに返って来た声も、いつもと変わらない淡々としたもの。…だけど、でも。呆然自失としていた自分を見かねて屋敷に引き入れ、無理から風呂場に追い立てたくらいだ。日頃の鋭さを持ち出さずとも、十分に…何か様子が訝
おかしかったと気がついた筈だろうに。
"関心ないから訊かないのかな?"
 部屋の隅の卓の上へ適当にドライヤーを載せ置いて。自分と向かい合うソファーへ戻って来た妖一へ、
「…なんか変だってこと、訊かないの?」
 どこかで おずおず。でも…どうしてだろうか、彼から見ない振りをされるのは何だか落ち着かなくて。それで誤魔化さず、重ねて問うと。

  「訊いてほしいのなら聞いてやってもいいぞ。」

 やはり…いつもの高飛車な口調であったが、
"…妖一?"
 その表情が随分と真摯なのが春人には意外なことだった。何でもない振りで髪を乾かしてくれたのも…いやその前に。屋敷の中へと招き入れ、風呂に入って正気に戻れと、手を尽くしてくれたのも、よくよく考えたなら順序がおかしい。自分には関係もないし関心もないからと、普段の素っ気なさを発揮して放っておくつもりであったなら、タクシーを呼ぶなりして"自分の家へ帰れ"という方向で、もっと手っ取り早い方法を取った彼ではなかろうか。
「どうしたよ。」
 静かな声で訊かれて、見やれば…優しいものではなかったが、さりとて、険しくもなく急かすでもない、穏やかな表情でいる妖一でもあって。それに絆(ほだ)されたのだろうか、

  「…一昨日の朝にさ、母方のお爺ちゃんが亡くなったんだ。」

 こんなこと、彼には全く関わり合いのないことだのに。何故だろうか、春人もまた、抵抗なく語り始めていた。
「去年から入院してたのが、容態が急変して。」
 もともと割と近所に住まわっていたから、小さい頃はよく進と連れ立って古めかしい屋敷へ遊びに行った。進の祖父とも囲碁友達だったとかで、二人一緒くたに孫扱いされていたものだった。けれど、
「ボクがモデルとか始めた頃からかな。そんな軟弱なことに足を突っ込んで、なんて言い出してさ。」
 小学校に上がってすぐくらいだったかな。まだそんなに"仕事"ってほど本格的に こなしてはなかったんだけれどもね。春人は小さく笑って見せて、
「面と向かって叱られた訳じゃないんだけどね。ただ、そんなちゃらちゃらしたことに引っ張り出してって母さんに言ってるのを聞いちゃって。それで何となく、ああお爺ちゃんはこういうの嫌いなんだなって思い込んじゃってね。」
 こんなことを誰かに話すの初めてだなと、言葉を紡ぎながら思い出す。隠してた訳じゃない。でも…なんてのか、ひょいって気軽に口にしにくいこと。家族や親戚から反対されてる子は自分以外にだって沢山いるのに、珍しい話じゃあないのに。どうしてだろうか、これまで誰にも…進にも言ってなかったなと思い出す。誰かに疎
うとまれてるだなんて、やっぱり言える事じゃなくて。臆病だったのかな、それとも見栄っ張りだったからかな。
「それから、何となく疎遠になって。段々と仕事が増えるし、アメフトまで始めたから、もっともっと足が遠のいちゃって。」
 気まずいのってイヤだったし、うん、やっぱり気が弱かったのかな。そんな風に自己確認しつつ、小さく小さく苦笑して、
「それでもさ。亡くなったって聞いた時はびっくりした。病院にも行ってお見舞いもしたけど、そんな様子じゃなかったのにって。お通夜に行って。直接お別れして。あんまり会わない間に小さくなっちゃったんだねって思って…さ。」
 淡々と話し続ける春人に、
"………。"
 妖一は怪訝そうに眉を顰
ひそめた。一昨日の朝、亡くなったという一報が入った彼の祖父。進からの電話でもその話は聞いていた。祖父同士が知己だったし、自分もお世話になったからと、礼服にあたるだろう制服姿で、双方の家族と共に一緒にお通夜に行った彼らであり。突然のことという衝撃や沈痛な趣きは確かにあったが、それでも…喪主の方々へのご挨拶やらお別れの対面やら、気丈にしっかりこなしていた彼だったという。だというのに、

  『家に戻ってしばらくして、
   誰にも何も言い置かないまま、姿が見えなくなってしまってな。』

 分刻みのスケジュールをこなすというお仕事を持っている関係上、何処にいるのか必ず明らかにしておく習慣がある彼なのに。誰もその行方を聞いてはおらず、携帯電話も部屋に置いたまま。連絡がないまま、半日経っても戻って来ないということで大騒ぎになってしまい、進まで協力してその行方を探していたという。
『俺としても、何が原因なのかという点までは判らない。』
 確かに。永遠のお別れとなる事態なのだから至上の悲劇ではあろうけれど、もう高校を卒業しようかという年頃の青年が、長く同居していた訳でもない祖父の死に際して、ああまで…激しい驟雨に打たれていることにさえ気づかぬままに町を徘徊し続けるほど、呆然自失となるものだろうか。彼自身が紡いだここまでの話にしても、演技をして何かを隠しているという風には見えなかったのだが…と、読めない部分をもどかしく思っていたところへ。


  「お別れの後でサ、お祖母ちゃんが、
   お爺ちゃんがこっそり作ってたスクラップブック見せてくれたんだ。」


 話しながら…うっすらと口許がほころんだ彼だったが、口許以外は全く動いてはいない。どこか虚ろな表情であり、
"………。"
 ここに至って、妖一にも真相とやらの断片がやっと見えて来た。
「全部、僕の記事ばっかりだった。芸能人としてのとか、アメフトの試合や取材のとか。こんな小さいのあったかなって、心当たりがないようなのまで、いっぱい。」
 そう。春人が嫌われたのかなと思い込んでいた祖父は、
「反対してた訳じゃなくてさ。ただ…無理強いしてないかって、まだ子供なのに大変なんじゃないのかって、それを母さんにいつも言ってたんだって。」
 大人たちの間での会話。それの端っこだけを聞いたそのまま、それが全てだと早とちりした自分。だって、面と向かうと人はついつい嘘をつく。相手に嫌われたくないとか、周囲から悪く思われたくはないから、本心は隠してしまうものだと、早い時期に思い知ってた春人だったし。それより何より、直接疎(うと)まれるのが怖かったから、本人へ確かめようだなんて思いもしなかった。だのに…こんな時に、こんな形で"ホント"を知るなんて。
「酷いことしちゃってたんだなって。すごく応援してくれてたのに、勝手に嫌われてるんだなんて思い込んで。親戚が集まる席にも、なんだか気が進まなくて顔出さなかったしサ。逢いたがってたよって言われて、凄い悲しかった。だって、もう謝れないんだもの。もう逢えないんだものって。」
 細い声が淡々と紡ぐ想い。単なる死別以上の哀惜に、押し潰されそうになった彼なのだろうか。だが、


  「……………だのにさ。」


 春人は。またしても…小さく笑って見せると、
「…泣いてないでしょ? ボク。」
 あれほどずぶ濡れだったにもかかわらず、そう言えば目許は赤くもなく乾いていたような。だからこそ、何が何やら、何が起こった彼なのかを察する材料がなかったのだと思い出す妖一へ、

  「自分でもさ、それがもっとショックでサ。」

 自分の中に確かに沸いてた筈の"哀しい"を見失った。もしかしたら単なるポーズだったのかもしれない、型通りの"哀しい"の上へ、もっと切ない、本当の"哀しい"が飛び込んで来て。それで…何だか途方に暮れてしまったみたいで。
「僕ってこんな薄情者だったのかな。ちゃんとホントに悲しいのに。目の奥とか鼻の奥とかがツキツキって痛くて、喉の奥が苦しくって、いつもなら間違いなく泣いてる筈なのに。なのにね。涙が出て来ない。顔だって歪まない。もしかしたらさ、挨拶されたら笑って見せかねないくらいで…。」
 そうと言って…本当にくっきりと苦笑して見せて。
「何に気兼ねしてるのかな、何に見栄張ってるんだろな。カメラもないし、人の目もなかったのにね。泣いたって良かった。ううん、泣くべきだったのにさ。」
 なのに、一粒の涙さえ出て来ない。そんな自分が怖くなった。どうして? 悲しいのに、辛いのに。大好きだったんだよ、ホントはね。そんな想いもごめんなさいも、もう届かないことが辛くて辛くて。なのに…どうして?
「そんなこんな思ってたら、お葬式が終わっちゃって。それで、家に帰ったトコまでは覚えているんだけどもね。」
 本人にもそこから後の記憶はないらしい。今も少しばかり…心のどこかが固まってるみたいで。こんなことを淡々と説明出来る自分が不思議だった。


  「………。」


 不意に。向かい側のソファーから立ち上がった妖一が、テーブルの縁を回ってこちらへと足を運んで来た。ついさっきのドライヤーかけの時と同じくらいに、間近までやって来た彼であり、
「?」
 情けないぞと叱られるのかな。こんな子供みたいなこと言って、呆れられて当然だよね。それでもまだ、心は全然波立たないまま、近づいて来た彼を穏やかな顔のままに見やっていると、
「………。」
 ソファーに腰掛けてたこちらの膝の間にその身を割り込ませ、ぎりぎりの真正面まで近づいて来た彼は。す…っと。その両腕を伸ばして来て、

  「………っ!」

 あろうことか、春人の上体をふわりと抱きしめてくれたのだ。
"え? …ええっ?"
 一体何が起こったのだろうかと、咄嗟には判断が出来なくて。だが、自分の頬が直に当たっているのは、間違いなく…さっきまで髪を梳いてくれていたその人の体温と匂いだ。ミントみたいな、でもベースはグリーン系の暖かい匂い。薄い木綿のシャツを挟んで、柔らかい感触が伝わって来る。………と、
「…俺は、お前が随分とヘタレな奴だって知ってる。」
「?」
 やさしくしてくれている態度と裏腹、その声が紡いだ言いようは何とも辛辣で、
「自分では打たれ強いつもりでいるのかもしれないが、まだまだ随分と甘いもんな。人の目を気にしがちな劣等感の強い奴で、打ちのめされたらなかなか立ち上がれないし。そんな奴には、何の期待も出来ないってもんだろう?」
 当たらずしも遠からじな部分が一杯あって、
「…。」
 何だか辛いなと黙っていると、妖一の声は容赦なく続いて。
「俺はお前なんか、まだまだガキんちょのジャリタレだと思ってるからな。」
 肩や背中へと回されて、ただ添えられていただけの手がスルリと動いて、
「だから。泣こうが喚
わめこうが、今更だ。みっともないなんて思わない。」
 肩先から背中や髪の中へと、すべり込んだ手が、もぐり込んだ指先が、


  「言葉だけじゃあ足りないか?
   もっとはっきり、切っ掛けになるように顔でも引っ叩いてやろうか?」

  「…っ。」


 そんなことを言いながら、だのに…髪を撫でてくれるから。そぉっとそぉっと、壊れやすいものを愛でるように、髪から背中から隈
くまなく触れてくれる彼だから。
「………。」
 こちらから恐る恐る、細い背中に回した手。きゅうってしがみついても振り払わないで。肩とか背中とか、柔らかい手で そぉっとそぉっと撫で続けてくれるから。とてもとても優しい彼だから、
"…変なの。"
 辛い時でも我慢して、どんなに むっとしても顔に出さないで。それが出来て当たり前な世界に長く居た。そんなせいで、どこも引きつらない完璧な作り笑顔が、辛い時ほど出ちゃうようになってたみたいで。あんなに哀しかったのにも関わらず、泣き方を思い出せなかったくらいなのに。
「どうした。」
 逆に。優しくされるのには、あんまり免疫がなかったみたいで。顔を押しつけたまんまな温もりが、自分をまるきり拒まないのがとっても不思議で…心地よくって。

  「うぐ…、ぐぅ…。」

 何だか変な声が、食いしばってた歯の隙間から洩れて来て。ぐいぐいって、舌の付け根を押し上げるみたいに、何かがあふれ出しそうになっていて。
「どうしたよ。此処には いつだって悪口を言う俺以外の誰もいないぞ? 他の誰にも聞こえない。気兼ねする必要なんか無かろうが。」
 耳元からうなじへと、温かで優しい手のひらの感触がすべり降りたその瞬間に、

  「………っ。」

 とうとう堪
こらえ切れなくなってしまって。最後の堰がぷっつり切れて。苦しげな嗚咽を洩らしつつ、がんぜない小さな子供が駄々捏ね半分に泣くように、言葉にならない声を立てながら…手放しで泣き出していた春人だった。






            ◇



  「…落ち着いたか?」
  「うん。…ゴメンね。」


 そんなにも長い間ではなかったけれど、こんなにも…声が震えてなかなか落ち着けないくらいに大泣きしたのは本当に久し振りで。しゃっくりみたいな震えが収まって、何とか話せるようになるまで、妖一は根気よく、ずっとじっとして待っていてくれた。情けなさ この上なかったろうに、上を向いた顔を両手で包んで、濡れた目許をごしごしと指の腹で擦ってくれる仕草には覚えがあって、
"ああ、そうだ。合宿で…。"
 夏の初めに参加したあの合宿で。迷子になった小さなセナくんが無事に戻って来た時に、しょうがない奴だなぁと涙の跡を拭ってやってた彼だったのを思い出す。ああ良いなぁ、お母さんみたいだなって、やさしいんだなって思ったから。それを自分にも注いでくれたのが、ほわりと嬉しい温かさになって伝わって来た。
"…ほら、やっぱり。"
 相手の窮状に付け込むことにかけては容赦ない、極めつけの狡智さがまるで悪魔みたいな奴だと恐れられてる妖一だけれど。本当はこんなにも優しい彼なのだと、誰にともなく言ってみたくなる。本当に辛い人、困っている人にはさりげなく優しくて。ただ、何でもしてやろう、手をかけてやろうっていう、とことん甘やかすような分かりやすい"優しさ"ではないものだから、
"セナくんみたいに敏感な子じゃないと、気づいてもらえないんだよね。"
 それより何より、本人としては"気づいてもらおう"だなんて、欠片(かけら)ほども思っていないのかも。気性も心も目一杯に強くて前向きな人だから、全てを見通し心得た上で、惰弱な奴にはとっとと見切りをつけるのも辞さないという、きっぱり非情なところも勿論ある彼で。そんな人からこうまで甘やかされるなんて、
"果報者だよな。"
 …おいおい、桜庭くんってば。
(笑)
「ゴメンね、いっぱい甘えちゃってサ。」
 思いっきり泣いたからか、ともすれば放心状態。まだどこかしら、力が入らないままでいる。凭れたまんまで、そうと…ごめんねと囁けば、
「いいさ、今日だけだかんな。」
 愛しい人は…やわらかく低めた声で囁き返してから"くくっ"と笑って、
「どっちかって言うと、俺も頼りになる奴の方が良いからな。だから、こんな甘やかすのは今日だけだ。」
 ふかふかで手入れの良い春人の髪を、手遊び半分に弄
いじりつつ。頭の上からそんなことを言い返すものだから、
「そか。今日だけか。」
 それはちょこっと残念かもと、抱え込まれた胸板に頬を擦りつけていると、


   「…たまになら、別に今日だけでなくても良いからな。」

   「?」(訳;それってどういう意味でしょうか?)

   「だから…。/////」(訳;判れよな、一遍で。)

   「あ。えと…。/////


 どもども、御馳走様なことですvv 何だか一気に気持ちまで近づいちゃった二人なようだが、
「でもサ、何か変なんだよな。」
 あらためて、怪訝そうな声を出すアイドルさんであり、
「? 何がだ?」
 腕の中を見下ろせば、いつにも増して子供っぽくなってるお顔が、いかにも不思議なことなんだよと、優しいお兄さんを見上げて来る。
「フツーはさ、好きな人にこそ、カッコ悪いとこ見せたくないもんだろうにサ。」
 ただでさえ斟酌なしに応対される、キツい相手だってこと、身に染みてるのに。
「どうして…こんな風に甘えたいって思ってかどうかはともかく、ふらふらって此処へ来ちゃったんだろ。」
 自分の行動なのに依然としてさっぱりと判らず、不思議だなぁと小首を傾げる彼であり。それへと、
「さあな。」
 俺に訊くことじゃなかろうよと、静かな声が返って来て、優しい手が髪をもしゃもしゃと掻き回してくれる。
"何だか勘が狂っちゃうよな。"
 いっそのこと、こっぴどく叱られたかったのかな。それとも…こんな時くらいは優しくしてくれるかもなんて、それこそ甘ったれた気持ちで期待していたのかも?
"………。"
 ひどく傷心しているそんな時。余計に傷つきたくないっていう打算が働いたなら避けたろう相手? そんな区別がある相手なんかじゃなかったから、どうしても逢いたいなって思ったから、自然と足が向いたんですよって。随分と後になってから彼へと教えてくれたのは、果たして誰だったのでしょうかしら。
(うふふvv)
「………。」
 窓の外にしとしとと響き続ける雨脚の音さえも忘れて、柔らかく寄り添い合ったままでいた二人であったが、
「…お。」
 ドアの方から"かしかしかし…"と、何かで引っ掻いているような音がして。少々心残りもあったが、不審だという思いの方が勝ってしまったから。示し合わせることもなく、視線を合わせて頷き合って、すんなりと身を離したところは、二人とっても気の合うことよ。何だろかと妖一が近づいてみると、ドア越しにもそんな気配を察してか、あんっあん…っというお元気な声が聞こえて来たから。
「お前を見つけてくれた、ホントの功労者だぞ。」
 にんまり笑って坊っちゃまが開いたドアから飛び込んで来たのは、こちらも毛並みを乾かしてもらったらしき、ふかふかになったキングである。勢い良く飛び込んで来たシェルティくんは、そのまま一直線にソファーへと向かって、
「あわっ!」
 そこにいた青年へと弾丸のように飛びついている。遊んで遊んでというオーラ満杯の仔犬にじゃれつかれた春人を見やって、
「お前ら、そうしてると兄弟みたいだな。」
 くつくつと喉を鳴らすようにして、さも愉快と笑った妖一であり、
「え〜?」
 何の話だようとこっちを見やったその顔を、
「あんっvv」
 真下から容赦なく、ペロペロと舐め回したキングちゃんだったということです。
(ちょんvv










   aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


 遅ればせながらやって来た真夏のような残暑の中で、いよいよの新学期が始まって。三年生たちは…自分たちは部外者となってしまった秋の都大会が始まったのを横目に、そろそろ本格的に構えねばならない進路に向けて歩き始める頃合い。雨の中を半日以上も行方をくらますほどに、メンタルな部分に深い傷を負ったらしいと、親しい周囲から危ぶまれていた友人も、結構あっさりと元気が復活したらしく。志望校への合格目指して、特別授業や補習にも地道に顔を出していたのだけれど。
「なあ、進。」
「?」
 吹き抜ける風が心地良いことから、時々足を運ぶ屋上にて。それぞれに弁当を広げて昼食を取っていたところへ、何だか神妙な声を出す桜庭で。食べ終わった"御馳走様"の合掌をしつつ、なんだ、という顔を向けると、どこか…気病みの疲弊が滲んでいるかのような、いかにも神妙な顔を見せるものだから。まだ尾を引いているのだろうかと心配になり、聞いてやるという意味合いでの"何だ"という顔をあらためて向けてやる。そんな彼へと、キョロキョロと辺りを見回してから、こそりと訊いて来たのが…。

  「あのさ、あのさ。進って、セナくんとキスしたことあるの?」
  「………☆」

 いきなり何を訊くやらと、思わず腰を浮かして退場しかかったが、
「からかってんじゃないってば。真剣な話っ。」
 慌てたように 腕へとすがりつかれた。まま、ある意味で…最も正確な理解というか把握というか、友情以上の交際であるらしいという認識はされている相手だと、進の側も気を取り直す。
「あるの?」
 真摯な声音で重ねて訊かれて、
「…まあな。」
 そうそう自慢することではないが、かといって恥じ入ることでもない。愛らしい恋人くんが真っ赤になって含羞
はにかみながらも応じてくれる様を思い出せば、恥ずかしいこととして照れ隠しっぽい振る舞いを見せるなんていっそ失礼極まりないと、むしろ胸を張りたくなった進だったらしいが、それはそれで…伝え聞いたらセナくんが恥ずかしがるだろうから辞めときたまい。(笑) そんな進の様子にどこまで気づいてくれたやら、
「そっか。あるのか。」
 そうだよな、付き合い出してから1年以上は経つんだもんなと、桜庭くんは"はふう"と物憂げに吐息をついてから、
「…上手なの?」
 更に重ねて訊いて来るものだから、
「いや、それは…。」
 希代のプレイボーイなぞでなし。何より比較対象のない身、どういうのが上手で下手かも知りようがなく。当然のことながら言葉を濁してしまった進へ、


   「妖一はさ、上手でも下手でも怒るんだよね。」

   ――― ……………はい?


 な、なんか突拍子もないお言葉が飛び出していませんか? 今。
「………。」
 進もまた、凛々しい眉を顰めつつ…何とも答えようがないからと黙っていると、桜庭くんの不満タラタラな独白はますます続いて、
「下手だとサ、乱暴だとかしつこいとか雰囲気ってもんを考えろとか、文句ブウブウだしさ。そうかと言って上手けりゃ上手いで、真っ赤になって"ドラマとかで経験積んでんだろな"なんて、焼き餅っぽいことばっか言い出すんだもんな。どうしろっていうんだよ、もう。」
「………。」
「そんな、キスシーンがあるほどの役なんてまだやった事ないって言ったら"そんなの知ってるよ"ってサ。どうよ、それ。」
 ホントに我儘なんだよなと、鹿爪らしい顔になって唇を尖らせて見せる桜庭だったが、それって…なんかサ。
「邪魔したな。」
 他人のノロケなんぞ聞いてなんかいられないとばかり、すっくと立ち上がる進に、
「あっ、ヤダ。ねぇってば、聞いてってば。」
 それでなくたって内緒の話なんだから、他に聞いてくれる人もいないんだよう、と。結構勝手なことを言い出すアイドルさんであり。味方のレシーバーさんに がっしと しがみつかれた進さんの苦労は、相変わらず絶えないようである。
(笑)





  〜Fine〜  03.8.25.〜9.1.


  *…という訳で、ラバヒル話でございました。
   先に謝っておこう。すいません。
こらこら
   進さんが変な役回りです。セナくん、名前しか出てません。
   ラバくんもヒル魔さんも、何か変でした。
   あんまり暑くて頭が回りませんでしたの、オホホホホ。
おいおい
   実は蛭魔さん以上に屈折してるかもという桜庭くんだってところを
   書いてみたかったんですが、
   何だか訳の判らないお話になってたらすみませんです。
とほほん。

  *冗談はさておき、いよいよの秋ですねぇ。
   9月に入ったらすぐ、秋大会が始まるんですよね、彼らって。
   それこそがクライマックスであり、だからこその引き伸ばしなのか、
   本誌は本当になかなか進んでくれないもんだから。
   どんどこ捏造は進んでおりますが…あまりに開き過ぎてもなぁ。
   本誌で展開されるエピソード如何では、
   そのうち"回想話"とかも増えるかも知れませんね、こりゃ。
(笑)


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