Rain, rain A
 


          



 泥門町の少しばかり町外れ。ここいらが新興住宅地として開拓されるべく、JRの線路がやって来た頃より少しだけ古い時代に既にあった、旧市街のお屋敷町。その真ん中に位置する瀟洒な邸宅を本家とする、某有名商社の総帥の主家の末っ子として生を受けた彼は、その名を"蛭魔妖一"と名乗っており。日頃はその真の素性や肩書きも出来るだけ隠して過ごしている…割に、髪を金色に染めて立て、耳朶にはピアス。モデルガンやら爆竹やら、火薬系危険物をいつもどこにか常備していて、脅迫手帳を片手に人の弱みに付け込むのが得意技という、奇天烈で強引な個性の強さをこれでもかと発揮し倒している高校生である。その素性から特別視されたり、逆に思わぬ災禍を招きやすかったりするのが面倒なのと、先々で独り立ちする時のことを考えて、時に乱暴狡猾なほど奔放に振る舞っては人を寄せつけず、身辺涼しく保つクセがついている彼なのだが。そんな事情は元より、本人からの限りなくつれない素振りにも、全くお構いなしに果敢なくらい懐いてくれているのが、他校に通う"桜庭春人"という同い年の青年で。幼い頃から雑誌や広告のモデルとして芸能界に籍を置き、思春期を迎えてテレビというメディアに踏み入ったところが、朗らかで爽やかな気性と、優しい容姿、小顔とのバランスが整った、すらりとした肢体が同世代の女性層に受けまくり。歌っても踊っても演技をしても、そこそこに光るものがあるとかでどれもが当たって、今や全国規模の人気者。いわゆる"アイドル"としての知名度が高い彼であるのだが、妖一との接点は意外にも"アメリカン・フットボール"というスポーツつながり。片や、その伝統と実力を"常勝の王者"とまで謳われている、王城ホワイトナイツのワイドレシーバーであり、対する片やは…正式部員は何と二人しかいなかったほどの弱小チーム、泥門デビルバッツのクォーターバック。試合でしか顔を合わせることもなく、しかもレベルが違うことから互いへの関心だって片側からの一方通行、片思いのようなものだった筈なのに。ひょんな切っ掛けから、もう片側の彼の方からも関心度がぐぐっと増して。しかも、微妙に…ライバルチームの人間としての関心ではなかったことから、何となくオホホな間柄になりつつあると、このシリーズ内でもぽつぽつとご披露して来た彼と彼なのだが…。




 その場から動かなかった…というよりも、やはり何も聞こえてはいなかったらしい。激しく降りしきる雨の中、凍りついたような無表情のまま、魂が抜けたような様相でいた桜庭の。冷たくなりかかっていた手を取って、自分よりも図体の大きな身体をぐいぐいと引っ張って引っ張って、何とか屋敷内にまで引き入れて。
「加藤さんっ。」
 どこか焦りもって声を掛ければ、
「はい。」
 玄関から入ってすぐのホールで待ち構えていた、よく気の回る執事さんは、意を得たりというお顔で頷いて、既に準備していた…ヨウイチ坊っちゃまよりも体格の良い彼への着替え一式を、だが、すぐには渡さないで。自分で抱えたそのまま、腕の中に示しつつ、
「まずはシャワーで温まっていただいた方が。」
「…そうだな。」
 さすがは場慣れしている加藤さんの冷静な采配を聞いて、こちらもちょっとは落ち着けた。手を放すとたちまちその場から動かなくなる春人であり、さりとて、あまり腕ばかりをぐいぐいと引くのも痛いだろうからと。途中からは後ろに回って背を押す格好にて、重い足取りなのを励まし励まし、何とかバスルームまで促して、
「ほら、分かるか? 風呂だ。お前、冷えきってるから、温かいシャワーを浴びろ。」
 8畳はありそうな明るく広々とした脱衣所から、内扉を開けて風呂場の中を見せ、何度も声をかけてみるのだが…やはり何も聞こえてはいないらしき顔は動かないまま。反応が無さすぎることへとうとう業を煮やした妖一は、
「…このヤロがっ。」
 春人と向かい合うと…自分の手のひらを上背のある相手の顔の両側へと持ち上げて、

   ――― ぱんっ、と。

 頬を勢い良く挟み込むような格好で軽く叩いた。痛みよりも唐突な衝撃が弾けたことが刺激になったのだろう。こうまでされるとさすがに、

  「…あれ?」

 キョトンとした顔になって声を出したところを見ると、わずかながら正気と生気とが戻ったらしい様子。優しげな造作ながら、青年としての男らしさも滲み始めた年頃に相応しい、どこか彫の深い顔立ちが…ゆっくりと下がって、
「…なんで妖一が此処にいるの?」
 真正面に立つ相手をまじまじと眺めやり、そんなことを言い出すものだから、
「あほう、此処は俺んチだよ。」
「え?」
 言われて初めて、周囲を見回す。ガラスブロックが埋められた壁やら高い天窓のある、モダンで豪奢で明るい脱衣所には確かに見覚えがなく、
「ボク、家にいた筈なんだのに…?」
 とろんとした口調といい、まだどこか…心ここにあらずという顔だなと、妖一は細い眉をやや寄せたままで、この大きな子供を見守っていたが、
「とにかく、だ。そのままじゃ風邪をひくからな。シャワーを浴びろ。良いな? 温まるまで出てくんなよ?」
 人差し指を宙に立てて振り振り、学校の教師が何かしらの規則を重々注意するかのように言い置いてから、くるりと踵を返して外へと出てゆく彼であり。

  "………。"

 何をプリプリと怒っているのだろうかと、春人はゆっくりと首を傾げた。ああ、でも、彼はいつもどこか不機嫌そうなんだっけな。よほどのことでなきゃあ、和んだ顔とか簡単には見せてくれない。こちらが元気な時はそれでも構わないけど。微妙な機微の駆け引きに、なにくそ頑張るぞなんて気持ちにもなるけれど。今日はそれってちょっとキツイかな。のろのろと、冷たく濡れて重くなったカーディガンを脱いで。どこか機械的にシャツのボタンに手をかけて…。


  "でも…なんでボク、此処に来ちゃったんだろう。"






            ◇



"…ったくよ。"
 手のかかる坊やをようやっと風呂場に押し込んで。一旦は居間に戻ったものの、キングも…加藤さんがどこかの居室へ引き取ったのか姿が見えず。それでと、一人でぼんやりと待っているのが何とも落ち着けず。結局はバスルームの前、ちょっとしたフロアになっている廊下まで戻って来てしまった妖一だ。ここの廊下も天井の高い作りで、片側が大きなガラスの窓になっていて、さっきキングを追った中庭の緑が広々と望める。肘掛けのついたシンプルなソファーに腰をかけると、ゆるく握った手の上へ白い頬を載せ、頬杖をついて。庭へとぼんやりとした視線を投げた。しとしとと降り続く雨が木立ちの梢を揺らし、茂みの輪郭をぼかし、ざあざあという間断のない雨脚の音が尚の気鬱を誘う。

  『ボク、家にいた筈なんだのに…?』

 時々、俺とボクとを使い分けている彼だというのには気がついていた。自分に余裕があって態度を繕える時は"僕"で、そんな余裕がないとか、若しくは肩を張ってない時は"俺"。だが今は、余裕がある彼だとは到底思えない。よくもまあ大事ないままにいられたもんだと感心するほど、呆然自失という体のまま、ふらふらと土砂降りの中を歩いていたらしき彼であり。とてもではないが、外聞や何かへと神経を払っているようには見えなかったのに。なのに…?
「…っ。」
 不意にポケットの中で携帯電話が震えた。幾つかを併用している中、一番使用頻度の高いそれ。こんな時に誰だろうかと、むっとしたまま細い眉を顰める。掛けてきた相手は覚えのない番号であり、
「はい。」
【蛭魔か?】
 声には聞き覚えがあったし、確かに知己ではあったが、この男に番号を教えた覚えはない。後で分かったことだが、自分の後輩、俊足のランニングバッカーくんに問い合わせた彼であったらしい。相手は日頃の…何にも怖じけぬぶっきらぼうな態度をそのままに、挨拶も何もすっ飛ばして、
【桜庭を知らないか?】
 要件をのみ、ストレートに訊いてきた。これが平生だったなら、気のない返事ではぐらかすか、知っているさジャリプロ所属の芸能人だろうと、詰まらない からかいようをしていたところだが、
「…此処に来てる。」
 何だか切羽詰まっているらしいのは、こっちの彼の様子からだけでも重々察しがついたので。はぐらかすことなく応じると、電話越しに"ほうっ"と安堵の吐息をつく気配がして、
【すまないが、そこに引き留めておいてもらえないか。】
 そんな風に続けた。この屋敷の場所は知っている彼だから、此処まで迎えに来るつもりなのだろうか?
「それは構わんが。」
 一応のこととして自分が何処に居るのかを告げて、普段ならここで終しまいとなるところだが………つい。

  「一体、何があったんだ?」

 妖一の側から訊いていた。あまりに尋常ではない様相なのが気になった。いつだって明るくて、いつだって当たりも柔らかなまま優しくて。必要以上に人との関わりを持ちたがらないがため、時に辛辣な態度ばかり見せる自分に、辛抱強くも接近して来てくれていた彼だったのに。いつだって意識を逸らさず、こっちを向いていてくれる彼が、今日は全くの無反応。自分にだけでなく、周囲全部をシャットアウトして。目も耳も、心にさえも蓋をしたまま、雨に打たれてふらふらと歩いていただなんて。日頃との落差が大きすぎて、あんまりにも痛々しすぎる。だが、
【………。】
 高校最強を謳われた男は、電話の向こうで黙りこくってしまった。これがあの小さなランニングバッカーくんを相手にならば、まだ少しは口もほどけやすかったことだろうが。微妙な事項の手触りを察して、デリケートなそのまま拾えるようにこそなったものの、それを繊細なままに言い表すのは相変わらずに苦手な男。だが、それを言うならば、
「………。」
 扱う対象によりはするが…こっちもなかなか、以前に比べれば随分と、我慢強くもなったから。
「刺激しない方が良いことなのなら触れないでいるさ。そのためにも教えてもらえないかな。」
 言葉を選んでそうと訊くと、
【…判った。】
 進はようやっと、重い口を開いて彼が知り得るところを話してくれた。それは、昨夜からこっちの彼らの置かれていた状況についての端的な説明であり、
【俺としても、何が原因なのかという点までは判らない。】
 そうと結んだ相手に、
「ああ…それはそうだろうな。」
 皮肉でも何でもなく、確かに本人にしか判らないことだろうというポイントだったから。事情は判ったと伝えて、それから。
「そちらの連絡先を教えてもらえないか。」
 改めて、そうとこちらから訊いていた妖一である。
【…?】
「様子を見て。うん、こっちから連絡するよ。迎えに来るのはそれからにしてくれないかな。」
 随分と微妙なことであるのだと。その場に居なかったにも関わらず、事態の輪郭を正確に拾えた妖一には、そういう順番で当たった方がいいと、そう思えたらしかった。
【…分かった。】
 進は自分の携帯のものと春人の母親のと、2つの番号を伝えてくれて。
【世話をかける。】
 こんなことへ同席するほどに、親しい間柄の幼なじみだからだろう。身内のような言い方をする進へ小さく息をつき、分かったよと短く応じて電話を切った。手の中の小さなモバイルツールを、彼自身の代理か何かのように見下ろして、
"…ったく。"
 見た目からして剛の者。武骨だが礼は尽くす、いかにも彼らしい…堅苦しいほど折り目正しき話しように、だが。あれでも瀬那との付き合いから、昔に比すれば相当なレベルにて気を回せるようになった方なのだろうなと、察することも出来。………さて。

  "そっか。だから、制服のズボン履いてたんだな。"

 地味な濃色のカーディガンに綿サテンのシャツとシルバーグレイのストレートスラックス。カーディガン以外は王城の夏の制服ではないかと、今になって気がついた。これで事情とやらは何とか把握したものの、

  "………ちっ。"

 やはり、何故だか苛ついてしようがない。自分にとっての…アメフトにも先々の予定にも、直接的には何の関わりもない筈な人物だのに。お互いの接点への呼称を探すなら、せいぜい"知己"か"友人"というところ。目的を見切りやすい利害関係というものが成立しない、そんな誰かに関心を持つ自分にも苛ついたが、それ以上に。日頃の屈託のなさを、こんな時にこそ発揮しない、甘えてくれない彼にこそ、何だかよそよそしさを覚えてそれで…。

  "………。"

 ざあざあと続く雨音の中、頬杖から顔を浮かせて、ふうと零
こぼれた溜息が一つ。

  "…勝手な言いようではある、か。"

 何が嬉しくてか、暇を見ちゃあメールや電話を寄越し、時間が合えば逢いたいと懐かれて。そんな彼からのちょっかいを、だが…3度に2度はすげなく振り切るほど、偉そうにも鬱陶しがっていた自分だのに。それが"頼り
アテにしてくれないとは水臭い"だなんて。今更そんな言いようをするのは、それこそあまりにも身勝手なことではなかろうか。こちらからのキツい物言いに、だが、ちっとも懲りないお人良しで。大きな体つきには似合わない、どこか甘えたな喋り方で、いつだって"構っておくれよ♪"と笑顔を向けてくれていた。

  『逢おうよ』 『逢いたいな』 『ねぇねぇ、今から逢えないかな』

 本当は。甘やかされていたのは自分の方なのかもしれない。どんなに非情なことをしても見放さないで、いつもいつでも自分へと双腕を広げてくれていた優しい人。だから今、こんなに動揺しているのではなかろうか。あんなにも打ちひしがれていた彼の姿に、そして、何でもないと装って見せようとしかけた彼の態度に。

  "………。"

 では。此処に来た彼だったのはどうしてなのだろうか? 無意識の行動だろうに、此処を選んで足を向けてくれたのは何故?







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