assailant... U(襲撃者)
 

 

          




  一月半ばのセンター試験を皮切りに、いよいよの受験本番ということで。上に大学部のない王城高校でも、三学期ともなると3年生はほとんど登校さえしなくなる。一応の登校日が週に一日設けられているものの、特に授業もなく、出席を取るだけの顔見せ程度の代物であり、経過報告が主といったところだろうか。
「おはよう。」
「おう。」
「ねえねえ、二次の出願のね…。」
「ああ、それは。まず、中の封筒とか確かめて…。」
 教室の中を満たすさわさわとした話し声に、けれどあまり切迫した響きはない。さすがは"お坊ちゃんお嬢さん学校"で、今更じたばた騒いでもなという、妙な余裕のようなものがこんなところにも出るのだろうか。お行儀がいいというか、のほほんと世離れしているというか。

  "…まあ、それには僕も随分と助けられてるんだけど。"

 ただ今売り出し中のアイドルだという肩書きを持つがために何かというと好奇の目で見られる…ということもなく、業界の話が聞きたいと騒ぎもって囲まれるということもなく。あくまでも普通のクラスメートとして接し、そっとしておいてくれているのも、そういう校風の恐らくは余波なのだろう。目線が合ったお友達へ会釈を向け、小さくこづき合うような応酬なんかもして。出席を取るためにだけ教室を見に来る担任教師が来るまでのざわめきの中、自分の座席へバッグを置いて…。ふと。視線に気づいて顔を上げれば、

  "…あ。"

 少し離れた席についていた、同じ詰襟制服姿のとある青年がこちらを見やっている。その冴えた表情に日頃との変わりは…なかなか読み取りにくいところだが、そこは付き合いの長さが物を言う。何かしらこちらへ話したいことがある彼ならしいなと感じ取り、
"後で、部室で。"
 声は出さずに唇だけを動かし、そうと伝えてにっこり笑う。こんな微妙な仕草では分からないかなと少々危惧したが、
「…。」
 こくりと。頷いて見せた進だったので…ちょっと安心。

  "さすがはセナくんのことだから、かな。"

 こんな風に小声で言ってみたり遠回しな言い方をしたり、細やかな気遣いから注意を払ってやっても、大声で"何だ、聞こえないぞ"と聞き返しそうな。そういう点ではあの豪放磊落だった大田原さんと変わりがないような、どこか大雑把なイメージがある男だが。コトがあの愛らしき恋人さんに関係することであるのなら、話は別ということなのか。そして、こちらからも彼の話を聞いてやりたいと思ったのは、ただ彼らを思いやってという気持ちからだけでなく、

  "妖一も気にしてたしな。"

 あのまま昨日も一緒に過ごした自分の愛しい人が、口には出さねど…やはりどこかで気に病んでいたらしき気配を拾っていたから。まあ無理はないんだろけどねと、こちらもついつい表情が複雑なそれとなる。世間様には大っぴらに公表されていないけれど、つい一昨日の昼日中に起きた、自分たちにとっての大事件。幸いにして大事には至らなかったけれど、渦中にあった少年の身を案じた同じ想いが、されど…妙な格好で交錯し合いもしたことで、小さな波が立ってしまいもした一件であり。
"同じ想いな筈、か。"
 それでもね、人それぞれ、体温も価値観も違うから。同じ対象を同じく大切にしたいという想い1つ取ったって随分違って、それがぶつかり合えば結果として咬みつき合うような事態にだってなる。そんな彼らを目の当たりにしたばかりだったものだから、

  "…ちょっと妬
けちゃったかな。"

 何とか無事に収まったからこそのお茶目な言い方、胸中にちらっとこぼしつつ、隣りの席のお友達から掛けられた声へと何食わぬ顔にて応じて見せた桜庭くんだったのだった。








            ◇



 彼らの知己である小早川瀬那という少年がとんでもない災禍に遭ってしまったのが、コトの起こりであり、それが一昨日の昼下がりの話。素性の分からぬ男から進の名を騙って呼び出され、卑怯にも薬品を嗅がされて昏倒してしまった小さな後輩さん。人事不省なままに連れ去られかけていたのだが、たまたま居合わせていた桜庭春人くんと、一緒にいた蛭魔妖一くんという頼もしき先輩さんたちの並外れて優れた手腕にて 事なきを得たものの、

  『奴は…お前の伝手の人間だったっていうじゃないか。』

 そんなとんでもないことをしでかした暴漢が、元はと言えば…進に対してこそ 含むところを持つ人間であったということが判明。セナが襲われたのはそのとばっちりだったとあって、猛烈に腹が立ったらしき蛭魔が、病院へと駆けつけた進へと激しく咬みつきもしたことを、

  "セナくん自身は知っているのかな?"

 今頃になって そんなことをふと思った桜庭だったり。後輩の部員たちはまだ授業中なため、誰の姿もないままにがらんとした空間。アメフト部専用のロッカールーム。来週には二月になろうかという時期の極寒に、部屋の隅にあったパネルタイプのオイルヒーターを引っ張って来て、さて。2脚のパイプ椅子を向かい合わせにし、1日振りに見る男臭いお顔を正面に見やる。…正確に言えば、桜庭と彼とは昨日も一昨日も直接逢ってはいないのだが、蛭魔の傍らにいたことは進の側でも承知だろうし、だからこそ。珍しくも彼の側から"話がしたい"と訴えて来たのでもあるのだろう。そんな彼へと、開口一番、

  「…セナくんとは、話とかしたの?」

 昨日の未明に意識が戻り、検査を受けてそのまま退院して行った彼を、病院まで迎えに来た進だと知っている。いくら寡黙な彼だといえど、今回ばかりは"何も語らず"では済まないだろうにと、思うところをそのまま訊けば、
「ああ。」
 無愛想な、されど、桜庭にはその内面に秘められた微かな憔悴が感じられもするお顔が、ゆっくりながら こくりと頷き、


  「昨日はウチへ来てもらって、爺さんが事の次第をあらためて全部説明した。」





          ***



 父が運転する車で迎えに出向いた病院から、まずは進の自宅まで彼に来てもらうこととなって。
「疲れているのでしょうに、済まないです。」
 優しい印象のするお父様から恐縮そうに言われて、セナの方でもその小さな肩を縮めてしまいつつ"いえ、そんな…"と恐縮そうなお顔になっていたようだった。車中ではずっと、自分の方へと凭れさせていた小さな少年。もともとそんなに賑やかな子ではなく、ましてや進の父上が同座している空間だとあって、口数少なく大人しい彼だったことから…いつになく重い雰囲気の車中となってしまった。
「…。」
 今回の事態は、無辜
むこの少年に対して薬物による一時的な中毒をもたらした傷害と、抵抗出来ない彼をその場から連れ去ろうとしかかった略取未遂という"刑事事件"であったがために、地元の警察がきっちりと対処をしており。そちらからの公式な連絡を受け、事情聴取を受けていた未熟者のしでかしたことの全容を知らされた大人の責任者たちもまた、何とも言い難い、苦々しい思いをさせられていて。その凶悪な牙を向けられた対象が、身内ではない非力な部外者であったということが、何よりも皆を驚かせた。進家の人々にはその人柄と稚いとけなさがすっかりと知られている愛らしい子。大きく武骨な長男坊の友人というのが信じ難い、小さくて繊細で優しい子。武道には一切関わりのない、非力そうな大人しい少年であり、これが女の子であったなら、清十郎とのせっかくの縁にも取り返しのつかないひびが入っているところだった…というほどの途轍もない一大事。
「…?」
 女の子でなくたって…そういうご縁がある状態の二人。押し黙っている清十郎さんのお顔をそろぉっと見上げて来た気配に気づき、大きな琥珀色の瞳に、無表情なまま、それでも精一杯の"…どうした?"という気遣いの気持ちを載せて見つめ返せば、

  「…。」

 くっついていた側の進のジャケットの袖。その陰で小さな手が、肘の辺りをきゅうっと握って来た。人目を憚る屋外で甘える時の…いつもの何げない仕草。セナにしてみれば、傍らにいるこの青年は、とってもとっても"逢いたかった人"でしかない。だからと出てしまった秘やかな甘え方。
「…。」
 お父さんがいらっしゃるから大仰には甘えません、でも…これくらいだけ許して下さいという、いかにも彼らしい控えめな仕草であるのが、何とも切なくて愛惜しい。その入院先を桜庭からのメールで知って、取り急ぎ駆けつけたところが。一体どのツラ下げて来たんだと、猛烈に怒っていたらしき蛭魔から咬みつかれた。それに恐れをなした訳ではないながらも…一旦は帰った進であり、

  『進さんっ。』

 今朝早くに再び桜庭から"瀬那くんの意識が戻ったから"という知らせをもらって。病院まで迎えにと出向いて、ようやっとその無事な姿を見た。溌剌とした足取りで、見慣れぬコート姿にて屈託なく駆け寄って来てくれたセナに、心からほっとし、いつものように安らかな気持ちが沸きもした。なのに、その小さな肩へと伸ばしかけた自分の手が…宙で止まった。

  『進さん?』
  『…うん。』

 わずかに逡巡してから…吐息をついて気を取り直し、やっとのことでその小さな身を傍らへと引き寄せられたのだけれど。一体 何に怯
ひるんだ自分なのか。それを思い知ったと同時、それへとこそ例えようのない羞恥を覚えた進だった。彼に怯えられないか、彼から拒絶されないか。前日に蛭魔から咬みつかれた時にも感じたこと。悪鬼のような形相になった彼から、鋭い言いようにてさんざん詰なじられたことへは、1つ1つへもっともなことだと冷静に向かい合えたのに。あの小さな少年からほんのわずかにでも。身をすくませるような態度を示されたら? 伸ばした手を払われたら? と。それを思うだけで…この頑健な体が堅く竦んで強ばった。ずっとずっとそれを恐れていた情けない自分。いつだって"正しいこと"ばかりを選んで来たし、そんな、何の非もない自身への絶対の自負が常にあった筈なのに。こんなに小さな、こんなに優しげな少年からの一瞥に怯えて竦んでいたとはと、我がことながら信じられず、だが、自分にとって そうまで大切な存在となっていたセナの重みをあらためて思い知りもした。

  「………。」

 こちらの二の腕へ、そぉっと凭れ掛かってきている小さな重みと、ぎりぎりで肩先に届いている柔らかそうな甘い髪。こんなにささやかなのに、いや、ささやかだからこそ、より一層に大切に守らねばならないのだと、重々と思い知った清十郎であったのだったが…。



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  *前話の後日談です。
   ある意味ではそんな深刻なお話にしないつもりですので、

   肩から力を抜いてお付き合いくださると幸いです。

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