assailant... U(襲撃者) A
 

 

          




進家前に到着すると、車を入れる為に大きな門がゆるゆると開かれていて。細かい石が敷かれた前庭へなめらかにすべり込んだ白っぽい車の傍らへ、早く停まってよと焦れていたらしき人影が、玄関先から飛びつくように駆け寄った。
「セナくんっ!」
 後部ドアから出て来た小さな少年へ、矢も盾もたまらずという勢いできゅうっと抱きついたのは、
「あ、たまきさん?」
 さらさらな黒髪をボブに揃えて、いかにもシャープな印象のする、されどめっきりと今風な、清十郎さんのお姉さん。このお家へお邪魔するようになってからこっち、いつだって"いい子、いい子"と構って下さる、熱烈な瀬那くんのファンであり。いつもそれはお元気で溌剌としている筈が、だが、
「ごめんね、ごめん…。怖かったよね。」
 まるで自分の手が彼を傷つけたかのように、涙ぐみながら"ごめんね"を繰り返す彼女であり。
「…たまきちゃん。」
 気持ちは分かるけれどと、やはり…どこか打ち沈んだお顔になった和服姿のお母様がそぉっと彼女をセナから引き離す。
「そんないきなり言われても、セナくんだって戸惑うばかりでしょう?」
「…うん。でもネ?」
 悔しいやら歯痒いやら。どうしてこの子がそんな目にと、何とも言い難い苦しさに胸を貫かれ、その気性の潔癖さから…どうしても。謝らずにはおれない たまきだったのだろう。いつもの明るい雰囲気が影もないたまきを、痛々しいと思う間もなく、
「セナくん。」
 こちらへどうぞと、お母様が改めて促して下さった玄関へと向かい、ガラス格子の向こう、広い三和土
たたきと高い上がり框の見慣れた土間へ入る。コートを預かっていただき、そこから上がってつややかに磨かれた廊下を通り、いつもならすぐに上がり口のある階段へと曲がって、そのままお二階の清十郎さんのお部屋へと向かうところだが、
「こちらへ。」
 さらに奥へと促された。団欒の間である居間を通り過ぎ、お勝手が見えて来たその途中。裏勝手のお外の様子が望める廊下の小窓に背を向けて向かい合う格好にて、随分と間口の広いお部屋がある。4枚の襖が立つ戸口にお母様がお膝をついて屈み込み、そのうちの1枚をすらりと音もなく開いた途端に視野に飛び込んで来たお部屋。奥まった縁側障子から差し込む冬の陽光が満ちた室内が ぱあっと目映く思われて、
「…っ。」
 一瞬、あっと目許を眇めてしまったセナの肩へ、大きな手が優しく載せられた。
「…あ。」
 見上げるとすぐ傍らには清十郎さんがいて、それで落ち着けた少年が再び視線を戻した室内は、20畳くらいはあろうかという広々とした和室であり。そこには…何だか背条のピンとした大人の方々が、お部屋の両側に分かれるようになって向かい合い、整然と座っていらっしゃって。
"えと…。"
 このお家は何かと…古くからのしきたりだとか決まり事だとかがあるのだそうだとか、抱えていらっしゃる道場の関係の やはり古風な親戚筋の方々も多数いらっしゃるのだとか。ちょっとだけ今時には珍しい、古めかしい要素を抱えていらっしゃるお宅なのだと、セナも一応、知識としては知っていたけれど。こうやってその片鱗のような場面に直に接すると、やっぱり何故だか身が竦む。目には見えない重みのある、重厚な静謐さとでもいうのだろうか。侵し難い厳粛な雰囲気に、室内の空気が張り詰めているような感触があって。自分が通されても良い場所なのかな、何かの間違いではないのかなと。足元が動かないセナの小さな背中をポンポンと、清十郎さんが優しく促し、見覚えのない方が大半という顔触れの大人の方々の中を導かれてゆく。床の間近くの上座へ導かれて、何が何だか…ますます訳が分からないという、不安そうなお顔になったセナくんをともかく着座させ、

  「大丈夫だから。」

 こそりと耳元へ声をかけたそのまま、清十郎さんは"後見"という格好にてすぐ背後にやはり腰を下ろした。そうは言われても…自分へと集まる視線に、ドキドキと緊張が増したセナくんへ、

  「そんなに堅くならないでおくれな。」

 やんわりと目許を細めてお声を掛けて下さったのは、この方だけは知っている、この家で一番年上の師範様、進さんのお爺様だ。もう結構なお歳の筈なのに、武道に携わっていらっしゃるせいでか まだまだ矍鑠
かくしゃくとなさっていて。気さくでおおらかな、気ざっぱりとした明るい人。本当に時々ながらお顔を合わせると、孫の一人のように"いい子、いい子"と構って下さっていたので、こちらからも勿論のこと、よ〜く覚えていて。そのお爺様がいつものざっかけない笑顔をセナへと向けて下さったので、勧められたお座布団の上で しゃちほこ張ってた肩からも、やっとのことで少しほど力が抜けた。そんな様子さえ微笑ましい、何とも無邪気そうな素直そうな少年へ………だが、
「本当だったなら まずはお家へお送りせねばならないところ。それから、ご両親様にもご同席いただけるようにとご連絡をし、こちらからお宅までまかり越してご挨拶するのが、本来通すべき筋なのだけれど。」
 まずはと。そうと仰有ってから、そのまま畳につくほど深々と頭を下げて見せた大師範様であり、

  「この度はウチの身内の大馬鹿者が、本当に申し訳ないことをしでかしました。
   小早川くんには、さぞや恐ろしい想いをなさったことだろうに。
   それを思うと、この爺、どんな言葉もありません。」

 小さな瀬那へと、真摯な態度での深い謝意を示して下さる。それに続いて、他の大人の方々も次々に、平伏すように頭を下げてしまわれる。時々、清十郎さんを訪ねて遊びに来ては、その愛らしさからお母様やお姉様をはしゃがせ、素直でちょっぴり幼い言動に、お父様やお爺様のお顔をも ついつい綻
ほころばせさせている可愛らしい少年。当然のことながら、全く何の非も落ち度もなく、ただ清十郎くんとお友達であったというだけで、あんなにも恐ろしい目に遭ってしまった彼であり。あのような愚かなことをしでかした男は、この家の住人ではないものの、今回の不祥事は紛れもなく宗家の責任。ましてやこの家との親しさをこそ着目されたのだからと、どんなに詫びても足りないこと。誠にもって申し訳ないと、子供を相手に何人もの大人の人たちが深々と頭を下げて下さって。そしてそして、

  「あの、えっと…。」

 こんな仰々しい謝意を示されて、その大仰さ加減にこそ、ついのこととて恐れおののいてしまったセナであり、

  「あの…あの、どうかお手を、お顔を上げて下さい。」

 却って恐縮したように慌てて見せる。
「僕は、大丈夫でしたから。あの、えっと。えと…。////////
 どうしたら良いんだろうかと、おろおろしつつ、肩越し、背後に座している清十郎さんを振り返る。とはいえ、この状態ばかりは彼にも何ともし難いものなのか、その深色の瞳を…やはり困ったように僅かばかり細めて見せるだけと来て。

  「あの、本当にどうかお顔を上げて下さい。そうして下さらないと、ボク…。」

 うっとえっとと、おろおろしつつも、セナくん、一生懸命に訴えた。

  「ボク、恥ずかしくて…次からこのお家に遊びに来られなくなります。」






            ◇



 そんなのもっと困りますという可愛らしい"お願い"に、お爺様方、おやおやと苦笑を浮かべてしまわれ。本当に心根の優しい子だと、ますますのこと、感じ入ってしまわれて。ともかく、今回の不祥事は何がどうあっても取り返しのつかぬ愚行の極みであり、当然のことながら二度とあってはならぬもの。問題の人物とその周囲の人たちへは、たとえ裁判の結果として"執行猶予"がついたとしても、セナくんの行動範囲の近辺はもとより、この家の周辺にでさえ近寄らぬようにという"禁足処分"を厳重に言い渡したとのこと。この一族の皆様にとって、大師範であられるお爺様の下された命令は法律以上に逆らってはならぬもの。

  『お達しを無視出来るほどに良くも悪くも器の大きな人物だったなら、
   そもそもこんな馬鹿なこと、しでかしちゃいないわよ。』

 そいでもって、清ちゃんと直接の大喧嘩か何かで決着つけりゃ良いのよ、ああもうっ忌ま忌ましいったらと。たまきさんが なかなか冷めやらぬお怒りに膨れながらそんな風に付け足してくれて、セナくんが困ったように、でも、ホッとしながら微笑ったのは後日のお話。


  「…あの。ボク、怖い目に遭ったんだっていう実感がなくって。」

 大人の方々から"けじめ"という形で取り急ぎの謝意を授けていただき、改めてご両親へもご挨拶にお伺いしますからということにて何とか解放していただいて。一番落ち着く清十郎さんのお部屋へとやっとのことで上げていただき、ほうと小さな吐息をついたセナくんは。蛭魔さんたちへも ついのものとして口にした感慨を、こちらの彼へも…やはりついつい告げていた。何も覚えてはいないから大丈夫です、と。蛭魔さんには、

  『こういう時は特にな、平気だなんて嘘を軽々しくつくな』

 一番に傷ついた本人が余計な気を回すんじゃないと、あっさり見抜かれ、そんな風に叱られてしまったこと。つい今朝のやりとりをもう忘れてしまったセナではないのだけれど、それでもやはり。責任感の強い進さんだから、彼には非のないことだのに、とっても辛い想いをしているのではなかろうかと思ってしまったセナであり。やっぱりこんな言いようをつい、口にしてしまったのだけれど。

  「………。」

 窓辺近くは寒いだろうからと、襖や壁沿いの隅っこに行きたがる少年を座布団ごと引き寄せて。部屋の大きさには合っていない、小さな電気ストーブを傍らまで寄せてくれたこの部屋の主はというと、

  「…お前を心配することも許されないのか?」

 ぽつりとそんなことを呟き、だが、ハッとして。
「すまない…。」
 引き寄せたそのままに、セナをその懐ろへと抱きすくめる。
「…進さん?」
「俺はどうかしている。すまない…。」
 絞り出されたのは苦しげな声。何とも歯痒くてしようがない進なのだ。どんなに正しかろうと、毅然と揺るがぬほどに自負が強かろうと、現実問題として彼を守ることが適わなかった自分の不甲斐さへの腹立たしさと、愛しい彼への切ないまでの罪悪感と。それらが勢い余って、何と本人へ八つ当たりするとはと、ますますの不甲斐なさに情けなくなる。自分のまったく及び知らぬ処
ところで…この手も声も届かぬ処で、この少年が害されたという今回の一件は、本人の自覚以上にこんなにも手痛いことだったということか。

  "…進さん。"

 頼もしい筈の両腕
かいなに、大好きな匂いと温みに包み込まれるようにして抱かれているのに。だというのに、まるで。小さな子供みたいだと、ふと、セナは思った。いつだったか、あの、自信の塊りのような蛭魔にも感じたことがある感触。侭ならぬことに焦れて、窮して、でも。助けてなんて言えなくて。意地を張って言えないのではなく、それさえ思いつけなくて。どうしよう、どうしよう。五里霧中のままに、まるで…小さな子供が宝物にしている縫いぐるみにすがりつくように、きゅううと抱き締められたのを思い出す。長い腕で広く深い懐ろへ、封じるかのように取り込まれているのはこちらなのに。こんなに大きな人の温もりが…何だかとっても切なくて、途轍もなく愛惜しい。

  「…進さん。」

 そぉっと胸元へ頬を寄せて、間近からその名を囁く。愛しい人。大切な人。ボクなんかが励ますなんて、とっても滸
おこがましいことかも知れないけれど、どうかどうかお顔を上げて。いつもボクを導いてくれる、雄々しいあなたでいて欲しいから。だから…ボクも頑張ってお顔を上げるの。
「ボク、強くなりたいんです。」
 だって男の子だもの。それに、
「進さんの傍に居たいから。」
 何だか間が微妙に繋がっていない、どこか唐突な理由。これじゃあ判りませんよねと、小さく肩を竦めて見せて、
「ボクは、高校生になってからアメフトを始めて、それで"いじめられっ子"ではなくなりました。それから進さんに出会って、アメフトもっと頑張ろうって、この人に勝ちたいって心から思いました。誰かに"勝ちたい"って思ったの、生まれて初めてのことだったんですよ?」
 そんなにも尻腰のなかった自分。でも、少しずつ自信がついて、ちゃんと前を向いていられるようになった。怖いのや痛いの、我慢して立ち向かえるようになった。

  「それから…あの、男の子なのに"好きだよ"って言ってもらえて。////////

 これはちょこっと余談だったかな。…ううん、そんなことない。あんなに辛かったの、吹き飛ばしてもらえたもの。だから、
「ボク、随分強くなりました。」
 自分で言うのも何ですけれど。少しだけ恥ずかしそうに"えへへvv"と笑って見せてから、

  「これからも進さんの傍らに居たいから、
   もっともっと強くならなきゃいけないなって。」

 それは…こんなことがあったからではなく、と。眉根が翳りかかった愛しい人の頬へ両手で触れて、その眸を真下から深々と覗き込んで。
「あのですね。ボクは、」
 こくんと。小さく喉を鳴らして息をつき、

  「守ってもらってとか、庇ってもらってとか、
   そんな形で気遣われて居させてもらうんじゃなくて、
   自分の意志と力で進さんの傍に居たいんです。」

 だって か弱い女の子じゃないんだから、と。ふふと、どこか照れたように笑うセナであり、


  「進さんの支えになれるくらいに。頑張って頑張って、強くなりたいんです。」






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  *セナくんも少しはね、強くなりました。
   だって男の子ですものと、
   むんと胸を張っているものとご想像くださると嬉しいです。

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