assailant... U(襲撃者) E
 

 

          




 あれは例の、繚香ちゃんの一件が片付いて間もなくのことだった。事件でお世話になった警護班の責任者だった高階さんから、妖一にも内密にと呼び出された。大変な騒動だったし、まだ何かと保護者の承諾が必要な"未成年者"の分際だというのに、ああまで危険極まりない破天荒な仕儀をやってのけた無謀さは、決して褒められたことではないと…関係者各位にさんざん叱られたこともあって、よくよく身に染みていて。だから、また叱られるのかなと、そんな風に感じていたところが。

  「桜庭さんは、妖一坊っちゃんを困らせたいですか?」

 指定されたのは地味なビジネスホテルの一室で。室内へと通されて椅子を勧められ、恐らくは持ち込みらしい上等なお茶を出してくれてから。唐突に、しかも単刀直入にそんなことを訊かれた。あの騒動は確かに、妖一と桜庭と、二人掛かりの共同正犯だったけれど、どちらかと言えば妖一の方が主犯格であり、桜庭は…補佐というか"共犯者止まり"の格だったような。お友達という対等な
立場から、あんな無謀なこと、是が非でも制めてほしかった高階さんだったのだろうか。でも、ならば桜庭以上に力強い"補佐"を担った彼こそが強く諌いさめて制めれば良かった筈で。いくら仕えている主人の子供からの指図であれ、命令よりも身の安全を重視したかったのなら、それを無視して圧し止めるような強硬な態度だって許されように。どうも何だか言葉の意味が図りかねた桜庭であり、ついのこととて"はい?"と訊き返すと、

  「今回のことに関しては、
   坊っちゃんはあくまでも自分の側から手をつけた立場です。
   凶悪な犯人から狙われていた彼女を庇い、助けたかった。
   …ですが。」

 そうではなく。向こうから勝手に降りかかって来る難儀も、哀しいかな、幾多抱えてらっしゃる人なのですよ。この道のスペシャリストである高階さんは、至って淡々とした態度と声音で、まだ青二才もいいところである"子供"な桜庭に色々と話をしてくれた。海外で活躍なさっている妖一の家族たちは、それぞれの国や地域でその実力や実績を高く評価されている商社や物流事務所を事業展開しているが、そういった業界では当然のことながら過当競争も激しい。どの国にしてみても経済状況がさほど安定しているとは言い難い昨今、その競争の度合いはかなりシビアなものと化しており、敗者の受けるダメージの大きさは計り知れなく。大きな組織同士の鬩
せめぎ合いにおいては、人が人として扱われない場合が出て来もする。それがために…本来はあってならないものながら、仕事からは逸脱した犯罪に近い手段を講じる者も出るのが今や当然視されている。自己の精励や努力によって飛び抜けて優れた業績を出してのし上がるのではなく、手近な弱者を食いつぶし吸収して太るのも一つの手段であるように。正義や正論は思想の数だけそれぞれにあるらしく、だからこそ要人には思わぬ飛礫つぶてや銃弾から身を守る"護衛"が必要とされる訳で、それは政治の世界のみならず、経済界でも同じこと。
「ましてや、大御所様や旦那様の事業所は、各国の公的な事業に多く参与しているものですからね。」
 動かす事業の大きさも、そして扱うことで生じる利益の質も桁も違うとあっては、上手く行かない側の立場のご当地の人たちから"他国者
よそもののくせに"と思わぬ逆恨みを受ける場合だって多かろう。それに、
「事業に必要だという情報網だって各国をまたぐ規模で大掛かりですからね。付け入ってあわよくば利用したいと企む者もおりましょう。」
 そんなこんなで、事業を運営している者たちの姿勢に関係なく、様々な種の良からぬ思惑に取り囲まれてもいる企業であり。そんなコンツェルンの総主家の息子で、しかもまだ未成年の子供と来れば…。思い詰めた連中から逆恨みを受けたり、取り引きの切り札代わりにと目をつけられたりという事態への警戒は当然必要なこと。日本の治安もそれほど万全とは言えなくなりつつある今日この頃だから、尚のこと。それはそれは厳重にお守り申し上げて来た坊っちゃんなのではあるけれど…。






            ◇



 以前にちらりと妖一本人から聞いた"幼稚舎時代の誘拐未遂事件"なんてのは、素人の思いつきからの代物で可愛いもの。自分が窮してではなくあくまでもビジネスとして、危害を加えよう、若しくは略取しようと襲い掛かって来る玄人の手になる"火の粉"を、何年もの間、実際にその身で掻いくぐって来た妖一であるということ。それを淡々と話してくれた高階さんは、改めて。桜庭にこうと告げた。

 「妖一の弱みに数えられるような対象になられるのは、はっきり言って困ると。」
 「…。」

 白い端正なお顔が、沈痛な翳りを帯びてかすかに引き歪む。桜庭はそれへと小さく微笑って見せる。青年らしい優しい造作に整った顔に浮かんだのは、いたわるような柔らかさに淡く和んだやさしい微笑み。
「…何か告げ口してるみたいだけれど、そうじゃないんだ。」
 確かに、彼に間近い身内のような人物から"傍へ近寄るな"と言われたのはショックであったけれど。それ以上に、
「だってね、高階さんの言いようは もっともだって、ボクも思ったもの。」
 自分だって彼と同じく、いやいやもっともっと。妖一さんを大切にしたいと思っているからこそ判る。
「妖一は本当は優しい人だからね。だから、親しくなればなるほどに、そんな相手が自分のせいで傷つきはしないか、危険な目に遭いはしないかって心配するようになるって。果ては困ってしまうだろうって。」
 どうでもいい奴は平気で踏みつけにするくせに、大切な対象へはいくらだって手を尽くしてやる彼だと知っている。だからこそ、その一方で"蛭魔妖一"という存在を、これ以上はない"危険人物"だと容赦なく断じてもいて、
「自分の傍らに寄ると危険だからって、今日みたいなことにでもなれば間違いなく巻き添えを食わせるだろうし、すぐ傍に一緒にいなくても、自分を引っ張り出す楯に取られて人質にされかねないからって。それで、妖一は親しい人っていうのを極力作らずに、誰も寄せないで過ごして来た。そうやってずっと独りでいたんでしょ?」
 ねえ知ってる? パントマイムではね、堅くて開かない引き戸を表現するのに、引っ張る真似をするんじゃなくて、実際は逆に…腕だけは押す方向へと力を込めるんだよ? 重たいものを持ち上げたいって振りならば、肩を引き上げるんじゃなく やっぱりね、下に構えた握った拳へ向けて力を込めるの。妖一のあの、強引で揮発性の高そうな日頃の言動も。あの脅迫手帳とやらも、そう。得意な情報収集力を生かして、突きつけられれば竦み上がるような恐喝用のネタをチクチクと集め、近づくとロクなことがないという恐ろしげで身勝手な人物に成り済まし、誰も寄っては来ない絶妙なキャラクターを見事に作り上げてしまった頭脳犯。そして…そんな手段を講じてまでして、独りでいるのに慣れてしまった哀しい人。………でもね、


  「でもね、ボクはそんなの知らない。」


 向かい合ったそのまま、敢然と言い放つ桜庭であり、
「ボクは妖一の傍に居たい。だからごめん。頼り
アテにされるどころか心配ばっかりかけるかもしれないけれど、それでも何とか…今日みたいに頑張るから。だから傍に居させてよ。」
 アメフトが好きで、一所懸命な人が好きで。だけど、自分は独りで居ないといけないんだなんて、間違った決心にずっと呪われていた哀しい人。
「だって…そんなの狡いよ。」
 辛くていたたまれなかった時に、嘲笑いもせず面倒がらず、真摯に優しく受け止めてくれたのは誰? 泣き方を忘れて立ち尽くしてたボクに、手を差し伸べてくれたのは誰だった? 甘えて擦り寄ったのを、慣れぬことだろうに突き放したりしないで。どう応じれば良いんだろうかって、誠意をもって一生懸命考えてくれたのは?
「妖一の方からばかり優しくて、妖一の方からばかり大切にしてくれてさ。なのに、好きになればなるほど近づくなだなんて。そんな勝手は聞けない。」
 嘘っこの牙を剥いたってダメ。もう知ってるんだから そんなの効かないよ。

  「これはボクの意志だから。誰にも曲げさせないよ。」

 決して引かない構えを見せる。すると、

  「…馬鹿なこと、言ってんじゃねぇよ。」

 それまで黙って聞いていた彼
の人が、静かな、まるで溜息のような声を落とす。
「余計な気ぃ遣うのは、願い下げだな。」
 だから。こっちが迷惑だから引いてくれと、今更言ったってそんなの聞けない。
「知らないって言ってるだろ? そんなのただの妖一の我儘じゃないか。他のは聞いてあげるけど、そればっかは聞いてやんない。」
 何でもかんでもに そうそう頷いてはやれないよと目許を眇めて、
「大切な人ほど不幸にしたくない? 怖い想いや怪我をさせるのは忍びない? そんなの全然思いやりなんかじゃない。ただ逃げてるのと一緒じゃないか。」
「な…っ!」
 つけつけと言い張る桜庭の語勢へ、妖一の気勢が ぐうと詰まりかかった。そこへとすかさず、
「だってそうでしょ? 妖一は、自分が守れなかった時のことを今から恐れてる。そこまで自惚れないでよね。自分は何でも出来ると思ってない?」
「…思ってないからっ、だから…っ。」
 言いつのろうとしかかった、その語勢をわざと遮って、

  「だから、先に敗北宣言出してる訳か。
   妖一は賢いから、無駄な気負いは一切したくないんだね。
   負ける確率が高い喧嘩は怖いから出来ないんだ。」
  「なにを…っ。」

 嘲笑を含んだような言い方をされて、それまではどこか悲痛だった妖一の表情が、わずかながら…むっかりとした怒気を孕み始める。
「だってそうじゃないか。相手を傷つけたくないんじゃなくて、自分が傷つきたくないんじゃないの? 妖一のせいで怪我をしたり襲われたりしたって、それをひどく責められたり詰
なじられるのが怖いんだ。好きな人から手のひらを返されるのは、確かにキツイもんね。手痛いよね。」
 滔々
とうとうと淀みのない言いようの、それがまた、理解し易い言い回しなものだから、

  「ああ、そうさっ。怖いさっ。それがいけないって言うのかよっ!?」

 ついつい。こちらからも喧嘩腰に言い返す。先程までの悲壮にも神妙だったお顔はどこへやらという勢いであり、
「嫌われるのは構わないけどな。大切な…大好きな人が、自分と親しかったからってだけで目をつけられて、余計な怪我をしたり怖い思いをしたりするだなんて。そんなことに耐えられるのかよ、お前はっ! それが避けられることなら、何としてでも避けた方がいいに決まってるだろうっ!?」
 がうっと。切れ長の眸を吊り上げ、八重歯を咬みつかんばかりの体で剥き出しにして、鋭い声にて一気にまくし立てた妖一だったが、

  「…妖一っっ!////////

 怒鳴った彼の首っ玉へ、間髪入れずというノリにて、思い切り飛びついて見せた温もりがあって。くるくるとそれは手際良く、自分を懐ろへとくるみ込んで抱きしめてくる、甘くて温かな花蜜の匂いに一瞬 目眩いがして、それから、

  「ねぇねぇ、その"大切な、大好きな人"ってボクのこと?」

 その温もりが…何だか調子の狂う言いようをしたものだから、

  「……………はあ?」

 さっきまでの剣幕はどこへやら。何だか調子の外れた声を出してしまった妖一さんへ、桜庭はすぐ間近からまたまた唐突に…こんなことを小声で訊いた。

  「ねえ、妖一はお父さんのこと恨んでる?」
  「? …いや?」

 いきなり、何を訊くやらと。怪訝なお顔でかぶりを振る。今日は いつにもまして振り回されっ放しな妖一であるようで、
「じゃあさ、お祖父さんのことは? 会社を立ち上げた人なんでしょう? しかも今も"大御所様"って呼ばれてる現役で。そんな人の孫だから、僕が襲撃受けたりするんだって、ことへ、怒ったことある?」
「…ない。」
 そういう"枝葉"を面倒だと思ったことがないではないが、裸一貫で、しかも何から何まで不自由で不利でしかなかったろう外国で、事業を立ち上げ、見事に成功させた胆力と才覚は凄いと思うし、人物的にも気さくで好きだ。いきなりの問いかけだったせいでか、ひねることなく素直に答えると、

  「だったらサ、ボクの気持ちだって少しは分かるんじゃないの?」
  「………え?」

 彼の身へと降りかかる災禍のほとんどは、自分への遺恨ではない、父や祖父という係累への恨みからのとばっちりだけれど。だからといってそんな父や祖父を恨んだり嫌ったりはしない。ある意味で"彼らのせい"ではあるのかも知れないのだけれど、彼らが"悪い"せいではないのだと判っているから、だから怒る筋合いではないと………。

  「……………あ。」

 問われたことの中の"筋道"をやっと見通した自分を、その広い懐ろへと抱いたまま。こしこしと、柔らかな頬をこちらの頬へ愛しげに擦りつけてくれる人。
「ねえ、妖一。」
 優しい声の響きが、抱かれた胸元からも直に伝わって来る。
「何でもかんでも独りで決めて、勝手に独りで背負わないでよね。」
 不平っぽく言って、
「自分のすることを自分で決めるのは当然だけど、例えば僕がやりたいことは僕が決めることでしょう? それが妖一の決めたことと真っ向からぶつかったとしても、間違ってないことならボクだって貫くからね。」
 おやや。何だかややこしいことを言う奴だなと、妖一の眉が妙な案配で吊り上がる。
「…なんだよ、そりゃ。」
「だから。どんなに疎まれたってついてくし、ずっと好きでいるってことvv」
「………???」
 ますます判らんと眉を寄せ、それでも…温かな懐ろは居心地がいいものだから。
"………。"
 こっそりと。腕を背中に回して、きゅうとしがみついてみる。すると、くすくすと悪戯っぽく笑いながら、向こうからも もっときゅうって抱きしめてくれる。

  "……………桜庭。"

 こんな風な甘ったるい触れ合いだけではなくて。

  「ねぇねぇ、妖一。」
  「んん?」
  「さっきので判ったでしょ?
   ボクはほら、幸いにして、顔と名前が誰にでも分かりやすい存在だからさ。
   そんなボクに掴み掛かるような奴がいたら、
   それはそのまま"桜庭春人に襲い掛かってる"って形で知れ渡っちゃう訳で。」
  「…うん。」
  「それってサ、使えると思わない?
   普通の人よりももっと、人目を引くしサ。
   こんなのが傍らに居たら、いっそ便利だと思わない?」
  「………。」

 何とも答えることの出来ない妖一へ、

  「ね? だからさ、妖一、もっとボクを利用してよ。
   日頃は目立ちたくないってこそこそしてたりするけどサ、
   桜庭春人だってこと、こんなに有効に使えるんだよ?」

 それってなんか気持ちいいじゃんと。ふふふvvと微笑う桜庭で。ただ盲目的に"好き好きvv"と まとわりついているだけな訳ではなくて。彼もまた、真摯に好きな人を守りたいとか、支えたいと思っているのだと。そういった何かがじんわりと、彼の身から温みと一緒に伝わってくる。…そうだったね、忘れてた。意地っ張りな自分へ、それはそれは根気よく"好きだよ"と囁き続けてくれた人だったよね。


    「ね? もう独りで泣かなくてもいいんだよ?」
    「泣いてなんかない。」
    「そう? じゃあ…。」
    「………。」
    「もう、泣いたっていいんだよ?」
    「………。」



  ………………………………………………………。


 微妙な沈黙が続いたのはどのくらいの間合いだったか。

  「桜庭春人にしちゃあ、カッコいいこと言うんだな。」
  「あ、それってどういう意味かな。」

 相変わらず、口が減らないんだからもうと。わざとらしく怒って見せて、子供みたいにぷくーっと頬を膨らませている桜庭だろうと、わざわざ見上げなくても分かるから。はは…と笑いながら、その顔を温かな懐ろへと揉み込んだ妖一だった。



   ――― ね? もう、独りで我慢しなくてもいいんだよ? 妖一。


  そんな、やさしい囁きに ほかほかと包まれながら…。














          




 出席を取り、注意事項やら連絡事項を告げられただけで終わった"HR"のみの登校日だったため、それ以上は特に学校にいる義務もなく。それでも黒髪の偉丈夫は、そのままトレーニングルームに寄ってから帰ると、この時期に ある意味で余裕なことを言っていて。それへと"頑張ってね"と微笑いつつ、
「じゃあ、ボクは帰るね。」
 恒常的にスポーツを続ける者ならば、どんな状況にあっても体力込みで身体をちゃんと保持するのがいかに大事かは知っているけれど、それは何も苛酷なトレーニングである必要はなく。進ほどの特殊な、若しくは格別なレベルのものに無理から合わせることはないと、自分なりの信条の下にちゃんと鍛えてもいるからねと、焦りはない桜庭で。にっこり笑って"じゃあね"と会釈し、学校からは離れた彼だったが。とはいえ、こちらも受験生にしては…ある意味で余裕というか、それともお気の毒というべきか。芸能人としてのお仕事が幾つか入っていたのでそちらへ直行。春向けのカジュアルな衣装でのグラビア撮影とインタビュー。それから、ケーブルテレビ用のミニ番組のコーナー撮りと、いよいよ2月の、何と聖バレンタインデーに売り出される、例の写真集の販売促進用ポスターやグッズへの最終チェック。お昼休みをまたいでまでの拘束は、まま、いつものこととて慣れたものだが、
"受験生なんだよね、今が一番大変だよねなんて聞くくらいならサ、も少しチャッチャと片付けてほしいよな。"
 ちょいと段取りが悪かった担当さんへ、心の中でちょこっとだけむっかり。でもでも、お顔では"営業用スマイル"を目一杯振り撒きもって、スタジオを後にして。
「じゃあ、ちゃんと真っ直ぐ帰って勉強するんだぞ。」
 社長 兼 マネージャーのミラクルさんから念を押されて、だけどでも。乗り込んだタクシーの運転手さんには、自宅よりも向こうの"泥門市"へと向かっていただく。児童公園の前で降りて慣れた道をゆき、渡されてた合い鍵でエントランスを入って、エレベーターで上って、さてとて。

  「…あれ?」

 チャイムを鳴らしたが反応がない。今日はお仕事の帰りによるからと、メールを打っておいたのにな。どこかへ出掛けているのかな。近場までなら良いけれど、そうじゃないなら…どうしようか。このドアの鍵も一応は渡されているけれど、
"妖一が居ないんじゃなぁ。"
 上がって待ってようかな? こんなところでグズグズしていたら、それこそ"不審者"扱いされるかも。そうと割り切り、キーホルダーから次の鍵を選んで差し込めば、ドアはすんなり開いたから、
"やっぱり出掛けてるんだ。"
 だって防犯用のセーフティ・バーを掛けていない。外出していればこその戸締まりだ。
"擦れ違っちゃったか。"
 しょうがないか、伝言のメモでも残して帰ろうと、中へと上がってすたすたと廊下を進んで行けば……………。

  "…お。"

 リビングのビーズ・ソファーに自堕落にも寝そべっている、人間大の もこもこのイモムシを1匹発見。新種かな?と、近づいてよくよく見やれば…それは、ふかふかのグレーの毛布に肩口や頭から、足の先までお見事にくるまって、少しほど丸まり加減のクロワッサンみたいな形になって、お昼寝の真っ最中だったらしき妖一さんであり、
「ダメじゃないか、妖一。」
 傍らまで寄って屈み込み、手をかけて ゆさゆさと揺さぶると、
「ん〜〜〜?」
 くぐもったような間延びした声が返って来たので。毛布の端から見えている、セットが崩れ掛かってた金の髪の先を、つんつんと軽く引っ張ってみつつ、
「玄関のセーフティ・バー、かかってなかったぞ?」
 いくら最新式のエントランスロックだって、警備員の人とかが詰めてるって言ったって、基本の戸締まりを怠ってたら意味ないでしょうが。そうと続けると、やっとこ、まだ眠たそうに歪めたお顔を毛布から出して見せ、
「お前、来るって言ってただろが。」
 だから開けてたんだよ、現にこうやって入って来れてるじゃんかと、相変わらずお口の達者なお人であることよ。
"もうっ。"
 だ・か・ら。何かあったら どうすんだよと、人差し指を立てもって言いつのれば、

  「そん時は、お前が全力で助け出してくれるんだろ?」
  「う…。」

 こうも即妙に言われては。このぉ〜〜〜と思いこそすれ、絶妙なフレーズが咄嗟には思いつけなくて。結局何も言い返せなかった桜庭だったが。ふいっと逸らした妖一さんのお顔の縁、横顔を縁取る頬の線が、あれれ? ちょっぴり赤くないか?
「妖一?」
「なんだよ。/////
 むうと曲げられた口許や、わざとらしくも眇められた目許が妙に…可愛くて。結局のところ、何でもないよと笑った桜庭だった。そんな彼のまだ少し冷たい頬へ、こちらはぬくぬくの白い手が…すっと伸ばされてひたりと触れる。

  「???」

 なぁに? と小首を傾げると、しばらくの間、そのままでいた妖一だったが。ぱたりと力なく腕を落っことしたから…寝ぼけてるのかな?

  「あ〜。なんか腹減ったぞ。昼飯食い損ねたしな。」
  「じゃあ、何か軽いものでも作ろうか?」
  「おお。…あ、こないだのレタスのチャーハンが食いたい。」
  「オーライvv

 了解しましたと立ち上がり、コートを脱ぎつつキッチンへと足を運ぶ。そんな途中でやっと気がついたこと。

  "あ…。"

 さっきの手。もしかして、一昨日の“瀬那くん襲撃騒動”の最中に、進に病院を教えたことで感情に任せて桜庭の頬を叩いたことを、ぼんやりと思い出してた妖一だったのかも。何の気負いもないままに、甘えたり甘えられたり、ふざけたり…手を上げるほどの喧嘩をしたり。
"なんか、サ。"
 日々どんどんと、昨日より一昨日より幸せになってくのなと思う。ささやかなことへも こんなに幸せなことってないって嬉しいって思って。これ以上はないのか、どうしようかって思って。でも、不思議だね。もっとの幸せがちゃんとやって来るんだよ?
"レタスは…あるのかなぁ。"
 今や彼のお城と言っても過言ではないほど、物の配置にも使い勝手にもすっかりと慣れた空間へと到着すると、椅子の背もたれへコートを引っかけ、代わりに大きなエプロンをつまみ上げる。腰にぐるぐるっと巻きつけるタイプの長いカフェ・エプロン。料理にはそもそも関心もあったけど、実際にこうやってそれを"得意"なこととしようとは思わなかった。好きな人のためなら何だって出来るもんなんだなって、こんな些細なことへまでしみじみと思う桜庭であり、


  『守ってもらってとか、庇ってもらってとか、
   そんな形で気遣われて居させてもらうんじゃなくて、
   自分の意志と力で進さんの傍に居たいんです。』


 セナくんが進に言ったというこのフレーズに、奇しくも自分の立場をなぞられたような気がして。今はまだ、この話題にはきっと落ち着けない彼だろうから、少しほど日を置いてからになるのだろうけれど。

  "いつかそのうち、妖一にも話してあげよう。"

 鼻歌混じりに冷蔵庫から玉子や野菜を取り出しつつ、そんな風に思った桜庭だった。そう、春になったら満開の桜なんか見ながら、何気なく話してあげようって…。







  〜Fine〜  04.1.31.〜04.2.7.


  *うひゃ〜〜〜。
   何だが長く引っ張り過ぎた観のあるお話ですが、
   いかがだったでしょうか。
   拙作『待ち合わせ』T、Uと
   日数の勘定が微妙に合わないかも知れませんが、
   どか、多めに見て下さいませです。
おいおい
   もうちょっと練ってから書いた方が良かったかなとか思いもしたのですが、
   プロットメモが山のように溜まって溜まって、
   これ以上引き伸ばしたらどこまで長い話になるやらと
   妙な危機感に迫られて書き始めてしまいまして。
   相変わらず、どっか変な蛭魔さんと桜庭くんで、
   こんな人たちでも愛着は深いです。よって、どうかご容赦くださいませです。


←BACKTOP***

ご感想は こちらへvv**