assailant... U(襲撃者) D
 

 

          




 窓辺に立つ君の背中が、いつになく頼りなげに見えた。いつだって強気で、だから。時に威嚇的にそびやかした薄い肩のその細さを、冴えた鋭さへと無理なく擦り替えていた人だったのに。いつだって前だけを見据えていた泰然とした姿勢からは、どこまでも撓
しなう強かさばかりが止めどなく沸き立っていて。その苛烈な奔流の勢いと熱さが、彼が併せ持っていたところの、精緻なまでの聡明さや、人知れず張り詰めさせていた用心深さをまで覆い隠していたものが、今は。どこか…何かを見失ったかのような力ない横顔を隠しもしないで。繊細な儚さも脆さも剥き出しにしていて。今まで隠していたもの、隠していたことをさえ、隠していたものを容赦なく露あらわにされて、それを心のどこへ据えれば本当に隠し切れるのだろうかと。そんな風に最後の悪あがきをしているようにも見て取れて…。


  ――― ねぇ。もう、独りで泣かないでいいんだよ…?






            ◇



 降って沸いたように いきなり襲い来た危機を、だが、何とか…桜庭の機転でしのいだ二人は、程なく駆けつけた蛭魔家の警護班の寄越したお迎えの車に無事収容された。桜庭が発信した緊急連絡を受けてのものだということと、彼らに襲い掛かった連中は、主幹道路に入りかかっていた辺りで車ごときっちり確保したという報告を妖一へと告げた、警護班の責任者である高階さんへ、
『…そうですか。』
 まだどこか呆然としたような風情のまま、ぽつりと応じた妖一だったが、
『先に、桜庭様のお宅を回りますね。』
 何たって地元のご近所だから。まずは彼を自宅まで送り、それから屋敷まで帰りましょうと運転手へ指示を出しかかったところが、
『…あ。』
 ここでやっと我に返ったように、妖一が はっとして顔を上げる。すぐ傍らに同席している桜庭を見、それから。そんな態度ごと、少々うろたえ気味に視線をさまよわせる。混乱と…それから、待ってほしいという感情と。だが、何故だかそんな他愛のない一言を言い出せずにいるらしき逡巡が感じられて。
"…妖一?"
 あんな襲撃が突然かかった緊急事態へは、だが、たいそう物慣れていた彼だったのに。今は。…そう。先程の騒動の取っ掛かりでそうだった、とんでもないことへ遭遇して少なからず慌てかかった桜庭と同じような顔でいる。論理的には的確妥当な筈の"判断"が、されど"感情的な抵抗"にあって行動に馴染まず、ぎくしゃくしたところを見せている…というところか。そんな戸惑いに襲われている妖一の様子へ、
『………。』
 ほんの少しだけ、何故だか安堵したような顔で薄く苦笑した桜庭は、
『高階さん。』
 戸惑う彼の傍らから、
『ボク、もう少しだけ妖一と居たいです。』
 さして力みもない穏やかな声で、そんな風に告げていた。








 警備班の皆様に身柄を確保された先程の連中がどうなるのか、桜庭は知らない。二度と再び妖一を脅やかす存在にはならないと、そんな対処が取られるとだけ聞かされていたから、それ以上の詳細までを知りたいとも思わなかったし、もう関心さえない。泥門市内の閑静な住宅地までなめらかな走行を続けた車は、そのまま広々とした蛭魔邸へと乗り入れて。

  『お帰りなさいませ、坊っちゃま。いらっしゃいませ、桜庭様。』

 穏やかな笑顔を浮かべた執事の加藤さんに迎えられた二人の青年たちは、コートを脱ぐようにと勧められ、さしてあれこれと質問されることもないまま、現在の当家の主人である三男坊の広い私室へとその身を運んだ。壁一面の大窓越しに、大きく庭へと向けて開けた眺望が展開している二階の二間。折しも冬の黄昏がその終焉を結ぼうとしている頃合いで。一面グレーに塗り潰される曇天のような色合いが多い、冬の夕刻には珍しく、西空の縁にささやかに茜が滲んでいて。その甘いような寂しい紅の色合いが、この寒中にはますますの人懐っこい感傷を招いているかのよう。そして、

  「………。」

 そんな夕陽を見るでなく、真っ直ぐ向かって辿り着いたからと立ち止まった窓辺。今はまだ外の方が仄かに明るいから。一体どんな顔でいる妖一なのかは、こちらは戸口近くに立ち止まっていた桜庭には分からない。ただ。夕刻の覚束ない明るさを受け、少しほど逆光になった肢体の輪郭のその細さが、妙に目について…力なく痛々しく思えて。

  「…ああいうこと、珍しくないんだってね。」

 口を開かない彼に焦れた訳ではなく。自分からも彼へと言っておきたいことがあったから。桜庭の側からそんな風に口火を切っていた。
「妖一自身に遺恨があるものではないし、特に何時というセオリーもないから予測も出来ない。ただ、年に数回ほど、あんな風に…唐突ながらも綿密に下調べの行き届いた奇襲がかかる。」
 今日、彼が桜庭の家を訪れたのは前々からの予定があったことではなく、彼の不意な思いつきから出た行動であろうに。そんな突飛な行動範囲さえもきっちりと把握していて、しっかりと尾行をかけ、そうした上で"略取"という実行に移されたもの。力づくという荒っぽいことながら、無駄なくスムーズに運ぶよう、物慣れた手合いたちが一気に畳み掛ける襲撃。それに真っ向から相対しようというのなら、一瞬たりとも気の抜けない、冗談抜きに文字通りの真剣勝負になるのは必至であり、
「高階さんが言ってた。最近は妖一が手ごわくなった分、相手さんが送り込んで来る手合いもどんどんグレイドが上がってるって。だっていうのに、大人しく守られていてはくれない妖一だから、気が気じゃないって。」
 伸びやかな声ですらすらと語られる台詞は、まるで先程の路上パフォーマンスの続きのようで。
「顔も居場所も公けにさらして、堂々と振る舞っていて。銃やら格闘技にも長けてるし、自分で駆け回ったり立ち向かって戦ったりするのをちっとも厭わないし、助けを呼ばないなんてザラなんだってね。だから凄い大変だって。」
 小説や映画やドラマの中でしか接することの出来ないような、作り事めいた…どこか現実味の薄い内容にも聞こえかねないけれど。そんなじゃないってこと、その身に迫る現実の話だってこと、この二人には双方ともに重々判っている。だから、

  「………なんで。」

 空耳かと思ったのは、窓辺に立った背中が動かないままだったから。少しずつ明るさを失いつつある外の薄闇を吸って、彼が向かい合う大きな窓ガラスが濃灰色から濃紺へと沈んだ色に染まりつつある。白いうなじや耳朶をあらわにして立ち上げられた金色の髪も、黒っぽいカシミアのセーターに包まれた細い背中も、力なく降ろされた白い手も、室内と外の双方から忍び寄る夜陰の気配に呑まれようとして見えて。そんな中で、

  「なんでっ。あんな馬鹿なことをしたんだっ!」

 一気に吐き出した勢いで、持ち上がった肩が震えるほど。悄然として見えた後ろ姿を裏切るほどに、打って変わってそれは大きな声を張っての怒号を放った蛭魔である。体の両脇できゅうと強く握り締められた拳。長い指が綺麗なんだのに、そんなに堅く握ったら節が立っちゃうよ? ああ、そうだったね。今日は指輪、指に嵌めるの忘れていたね。あんなことがあったのに、何でだろうか、今日は桜庭の方がずんと冷静で。そういえば、

  "妖一がこんなにも感情的になったのって、滅多に見たことないなぁ。"

 あくまでも威嚇の効果として怒って見せたり怒鳴ったりするということはあっても、それらは芝居がかっているか、それか居丈高な余裕の高笑いという方向だしね。心からの怒号だなんて もしかしたら初めてかも…と、そんなことを他人事みたいに思い出している。先のクリスマス前。こちらの性急さに戸惑いつつも何とか頑張って、桜庭に面と向かい"まだ迷っている途中だから…"と懸命に告げてくれた時も。動揺とか照れはあったろうけれど、よし言うぞという決意の下、態度としては結構冷静だったような感じだったし。それから、これはついこの間。別に"同性愛者"ではないままなのに、同性の男と懇(ねんご)ろになった結果として、男に"抱かれる側"になることへの戸惑いはなかったのかと。ややもすると無粋なことを寝物語に訊いた時も。自分の懐ろの中で う"〜んと ちょこっと唸ってから、
『…よく判らなかったからな。』
 男とでも女とでも こういう気持ちを持って接したことは一度もなくて。こうまで擦り寄られて迫られたのも初めてだったし。そんなだったものだから、抱きたいという方向へ懐かれたのへ、そのまま真っ直ぐ ほだされたようなものだと、そんな風に割とけろりと答えてくれた彼であり。
『選りにも選ってお前が訊くか?』
 その後さすがに、ちらりと睨まれたんだった。…ああ、あの時の比じゃない眸をしてる。こちらから見えるように、そっちからも窓にボクが映ってるんだね。

  「…何で逃げなかったんだ。」
  「高階さんたちと打ち合わせしてあった。だから絶対大丈夫だって…。」
  「そんな話、俺は聞いてないっ。」
  「こんな段取り、使わないで済むならそれに越したことはないからだよ。
   それに…。」

 桜庭は手近な壁へと腕を伸ばす。わざわざ見なくとも、もうすっかりと覚えている場所。指先でぱちりとかすかに音がして、天井で壁沿いの間接照明がほのかな明るさで灯る。闇の中へするすると沈みかかっていた室内。こんな話、そんな雰囲気の中ではしたくない。

  「言ったら。妖一はその場でボクを突き放したろうからね。」
  「…っ。」

 息を呑む気配。ビンゴだったんでしょ?

  「それこそ、どんな手を使ってでもボクを遠ざけたんじゃないの?
   お前なんか嫌いだってことを見せつけるのに、
   そうだね、その場しのぎの美人な恋人でも作るのかな?
   芸能人としてやってけないくらいの恥をかかせるぞって、
   それもボクにじゃなく社長に、スポンサー経由で伝えるとか?
   その上で断りようのない大きな企画の仕事を背負わせたりして、
   手を抜けば周囲に迷惑がかかるからって格好でボクを拘束してしまうような、
   そんな込み入った手を打つんじゃないの?」
  「………。」

 返事がないのが肯定になってるよ。桜庭は小さく笑った。

  「そうだね。確かに馬鹿なことには違いないね。」

 普通の判断から言えば、何がどう間違ったって自分から近寄ってはいけない"危険"だ。それも玄人仕様の、一般人には次元が違う世界の代物の。
「恐らく相手は、遺恨があって襲い掛かって来た手合いじゃない。ホントに遺恨のある存在からただ依頼を受けただけな"実行犯"って輩だろうから、妖一へは何の感慨も持ってなかろうし。むしろ、任務遂行の邪魔をされて面子を潰されたって方向から私怨を呼んで、改めてボクのことをこそ狙うようになるのかもしれない。」
 サスペンスドラマに よくあるシナリオ。そういう展開って、これまでは怜悧なまでに理屈
スジが通ってるように思ってたけど、自分に振り向けられると物凄い理不尽なことだよなとつくづく思う。
「ボクはある意味で妖一よりも面が割れてる。住まいも仕事場も、その日の居場所だってあっさりと割り出せる。だから、もっと簡単に狙いをつけられることだろね。」
「そこまで判ってて…っ!」
 やっと、こっちを向いてくれたね。ああでも。そんな顔しないでよ。苦しそうな、哀しそうな、今にも息が詰まりそうなとっても切ない顔。まだ怒っててくれてた方がいい。元気があって、そっちの方がいい。切れ長の眸を吊り上げて、拳骨振り上げて"このサクラ馬鹿っ"て、怒鳴ってくれてるのが良い。そうだよ、そんな顔をさせたくて あんなことをしたボクじゃない。それを伝えたいから、まだ一緒にいたいって言ったんだしね。

 「うん。そうだよ。」

 深々と頷いて見せる。ボクの身が危険なだけじゃあない、もしかして妖一を困らせるかもしれない。そうとまで言われて、でも…だけど。

 「それでも妖一の傍に居たいかって訊かれて、ボクは"居たいです"って答えた。
  だからネ、あんな…無茶なことをしでかしたんだ。」

 強くて綺麗で、賢くて優しい。そんな君のことが好きで好きでたまらないから。そして。君を守りたいから…なんて偉そうなことは到底言えないけれど、それでもね。君の傍らに居たいから、独りにしたくはなかったから。だから決めたんだよ? こうしたいって。だから、そんな顔しないでよ。ね?




←BACKTOPNEXT→***