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葉柱のお兄さんに言わせると、バイクといえばやっぱ『kawasaki』なのだそうで、ボディのどっしりとした重厚感とか風格だとか、サスペンション・バランスの絶妙な繊細さ、一筋縄では行かない職人堅気なクセのある、駆動系のアクチュエイターやエンジン部分のいかにもコアな趣き、ハンドルの優美なラインまでもが玄人好みで“堪らない”んだって。………カタカナのところの専門用語の数々は、実は坊やには今ひとつよく分かってないんだけれど。いくら好奇心が旺盛で探求欲もあり、しかもその上、大好きなお兄さんを虜にしているジャンルのものに関しての知識であろうと、自分の関心が向かないことへは知的好奇心もなかなか発動されないようで。サスペンションというのは車体が走行中に受ける衝撃を吸収するよう取り付けられてるバネのことらしいというのは何とか覚えたが、それが限界。賊徒のお友達とのチューンナップの話とかが始まると、理解不能な専門用語が入り混ざって、まるで外国語を話してるように聞こえるので、途端に退屈になるのが困りものだったりする。でも、こういう系統の“分からない”は、あっても別に構わない。だって、逆に、坊やが繰り出す…PCの“マザーボードがどーのこーの”とか、モデルガンのPKM(プレメット・カラシニコバ・モデルニジロバニーというマシンガン)の“チェンバーがどーの、ラチェットがこーの”なんて話について来れてないお兄さんだったりするからお相子(あいこ)で。それに、こっちの専門用語を無理に覚えて欲しいとも思わない。だって、お兄さんと一緒に過ごす時にはあんまり関係のないジャンルの話だからね。その辺の“割り切り”はちゃんと出来てる坊やであり、
“男の趣味ってのは、究極を目指して極めようとし出すとキリがないからな。”
困ったもんだぜ、うんうんと、一丁前に腕組みをして感慨深げに頷いてみる坊やがいるのは、学校の教室の窓辺の席であり、ただ今は終礼を兼ねたHRの真っ最中。今週の目標である“廊下は走らないようにしましょう”が あんまり守れてはいませんでしたよ? それと、寒くなって来たので風邪やインフルエンザに気をつけましょう、お家に帰ったらうがいと手洗いを忘れずにね?と。姉崎先生が注意事項へ念を押し、日直が号令をかけての“起立、礼”が済めば、さあさ明日から週末の連休だぞと、皆がはしゃいで席を立つ。
「センセー、さよーならvv」
「はい、さようならvv 車に気をつけてね。」
最近は走ってる車だけでなく、停まってる車にも用心しなくちゃならないのが困りもので。まさかこんな小さな子供たちに、本来は痴漢撃退用だった筈の“防犯ブザー”を持たせなきゃならないご時勢になろうとは。
“それでなくたって、ウチのクラスには可愛い子が多いから…。”
小早川くんに鈴音ちゃんに若菜ちゃんに。雷門くんだって愛嬌があって人懐っこい子だから心配だし…と。紐綴じの出席簿をとんとんと教卓の上で揃えつつ、無邪気な子供たちがランドセルを背負いながら仲良しさんと数人ずつ次々に教室から出て行くのを、半ば案じるような眼差しで見守っていた姉崎先生の視線が ふと留まったのが。これまた格別に可愛らしい生徒の上。大きな窓から差し込むのは秋の昼下がりの透き通った陽射し。それを受けて…輪郭が淡くけぶるような金色の癖っ毛が、やわらかく縁取る色白なお顔。金茶の瞳は目尻がきゅうと吊り上がって力んだところが挑発的ながら、それでも今はまだ丸ぁるい大きな愛らしさで見張られており。するんとなめらかに小さな顎まで降りる頬の線や、ちょっとばかりツンとした小鼻、初々しい野ばらの蕾を思わせるような緋色の口許。手足も小さく、少し大きめのスタジャンを羽織った小さな肩や薄い胸、一丁前にストーンウォッシュのブランドジーンズをはいた細腰などが何とも頼りなく。腕脚も細っこい、繊細可憐な華奢な肢体…と来て。一体どこの外国大使のお子様なのかと思うほど、気品さえ滲ませた小綺麗な少年の姿が、色々と物騒な世の中になってと憂慮していた先生の目に留まったのだが、
“…蛭魔くんは大丈夫よね。”
これほどまでに可憐そうな風貌をしていながら、事実…実を言えば怪しいお兄さんなどに声をかけられた経験も、これまでに少なくはなかったそうなのだが。一体どこに隠し持っているやらという、特殊警棒やスタンガンで本人が“抵抗”して撃退したケースが数件。携帯で呼び出された色々な業種の頼もしき おじ様方に撃退された連中が数件。あとは、校門前までお迎えに来ていた長ランの高校生のお兄さんと鉢合わせし、8代先の子孫まで祟られそうな勢いで睨まれて退散した輩が数知れずだそうで。ここまで徹底して手ごわい子をわざわざマークする手合いはいなかろうし、たまたま目をつけたのだとしたら…運がなかったのは果たしてどっちやらという結末になりそうだしと。どの子だって心配には違いないながら、ちょっと不謹慎かもしれないけれど…この子は頼もしいからと思ってこその、そんな感慨がついつい浮かんだ姉崎先生であり。
「センセー、さよーならvv」
「あっ、はいはい。さようなら、気をつけてね。」
やはりランドセルを背にした女の子にご挨拶の声をかけられて、慌てたようにお返事を返した先生へ。ちょっとばかり苦笑するような大人びたお顔を向けて来た当の坊やもまた、その視線を挨拶代わりとするよな会釈を残し、教室を後にしたのであった。
まだ給食を食べたお昼休みが済んだばかりという時間帯だが、低学年生には帰宅のお時間。ちまっこいのが ぞろぞろ・ざわざわ、ランドセルとは別の、お道具や体操服、上履きなどを入れて手に提げる“お稽古バッグ”を振り回しながら、校舎から元気よく駆け出してくる中、
「ヒル魔くんvv」
ひゆまと聞こえそうな舌っ足らずな甘い声が飛んで来て。振り返れば…随分と先に出た筈の同級の男の子が、満面の笑みをふかふかの頬に頬張った笑顔でもって、昇降口から出て来た金髪の坊やへと駆け寄って来た。あ〜あ〜転ぶなよとついつい案じてしまう坊やの傍らまで、とてちてと懸命に駆けて来た小さな男の子は、小早川さんチの瀬那くんで。こんなまで小さいサイズのがあるんだとお姉様方が黄色い声を上げちゃいそうな、水兵さんブランドのトレーナーとタータンチェックの丸襟ブラウスを重ね着たその上、コーデュロイのオーバーオール姿なのがなんとも可愛らしい。
「あのねあのね、ボク、明日、すいぞっかんに行くのvv」
「“水族館”な?」
そう、その“すいぞっかんvv”と嬉しそうに繰り返し、
「あのね、進さんが連れてってくれるのvv ///////」
言ってすぐ“キャ〜ンvv”と真っ赤になったところを見ると、イルカさんたちのショーが観れる“すいぞっかん”も楽しみだけれど、進とのデートだというお題目の方がもっと楽しみなセナなのであるらしく。
「観れる、じゃなくて、観られる、だぞ?」
「はやや。///////」
「進はそういうのうるさいだろうに直されないのか?」
「うっと。」
訊かれて…ちょっと考える仕草を見せたセナくん。ん〜んとかぶりを振ると、
「いっつも“うんうん”って笑って、楽しいのか良かったねって撫で撫でしてくれるばっかだよ?」
「………。」
天然可憐な坊やと寡黙な“元”朴念仁の会話だから、きっと様々に特殊なんだろうと…それ以上深く言及するのは止めることにし、自己完結したヨウイチくん。彼らの恋仲を唯一知っている自分へご報告したかったらしきセナくんが“じゃあね、バイバイvv”と手を振って、とてちてと先に校門の方へ駆けて行くのを見送った。それにしても。セナくんに罪はないながら、今のお話でちょいと引っ掛かったのが、
“進の奴、余裕だな〜。”
高校アメフト界での東日本の雄を決める関東大会での優勝を決めたばかりな、王城ホワイトナイツのレギュラーLBのくせに。いよいよ日本一を決定する全国大会決勝の“クリスマスボウル”を前にしていて、練習サボっておデートとはねと、そこのところがちょこっとだけ引っ掛かった妖一坊やであり、
“俺らなんて、来季の参考にっていう“お勉強会”なのによ。”
不謹慎だよな、うんうんと。自分の胸の裡(うち)にてもっともらしく頷いた坊や。でもでもお顔は正直なもので、さっきのセナくんと変わらないくらいに“くふふvv”とばかり。唇の端っこがほころんじゃってて、いかにも嬉しそうにお見受けするんですけれど。それもその筈で、実はね? 今日の夕方からキックオフ予定の、Xリーグの“ファイナル”を観に行く予定になっているの。いつも仲良しさんな高校生のお兄さんが、知り合いの人からペアシートの招待券をもらったんだって。それで、じゃあ後学のためにも一緒に観に行こうってことになり、お兄さんの授業が終わり次第、ゲームが開催されるスタジアムまで出掛けることになっている。
“◇◇◇◇っていったら、俺もルイも好きなチームだしvv”
片やはオートバイ、片やはPCやモデルガン…と、趣味が微妙に畑違いなお兄さんと坊やだけれど、それでも困らないよっていう“共通の話題”がちゃんとあって。本場NFLの話題から日本のプロ・アマ、学生レベルのそれに至るまで、レモンの形のボールを取り合う“アメリカン・フットボール”のあれやこれやを持ち出せば、何時間だって喋っていられる二人だからね。その試合を観に行くだなんて、これはもう立派なデー…
“べ、勉強会だっ! ///////”
何ですよ、今更そんな、ムキになって赤くなったりして。(笑) さっきまで“にまにまvv”とそれは嬉しそうに笑ってたくせにvv 帰りは晩になっちゃうだろから、そうだルイにもらったあのベイトリオッツの手ぶくろをして行こうとか、思ってたくせにvv
“う〜〜〜っ。//////”
ランドセルの肩負いベルトを両手で握り、筆者からのからかいに白い頬を真っ赤に染めているところが何とも初々しいけれど、これ以上つついて痴漢相手同様の反撃に出られては怖いので。ここは一旦遠くに離れて、カメラをロングに引いてみましょう。(おいおい) 坊やが通う小さな小学校は、閑静な住宅地の中にある。高学年のお兄さんお姉さんたちは、まだ午後にも授業があるからと教室にいて。そんなせいか、小さな子ばかりがキャッキャとはしゃぎながら校門の方へと向かう模様は、何とも無邪気で屈託がない。そんな校庭を縁取るようにフェンス沿いに植えられた桜の木々の梢では、豊かに茂っていた葉が…夏の間の瑞々しさを経て、今や赤々と鮮やかに色づいており、
“色づくんならイチョウの方が好きだな。”
ギンナンが美味いしさと、至って育ち盛りなことを思いつつ、他の子たちと同様に、てとてとと校門へ向かった坊やだったが、
「よお。」
「………あ?」
校舎や校庭をぐるりと取り囲むフェンスからの、公式の出入り口。一応はご立派な門柱が立っている門構えのすぐ外側。舗道沿いのガードレール脇、いつもいつも坊やを迎えにと、白い長ランを翻し、高校生のお兄さんがゼファーを乗りつけているのと丁度同んなじポジションへ、今日はそれの数倍ほども嵩の大きなものが“持ち主込み”にて停まっている。日本では一般的に“オープンカー”と呼ばれている、正式英名“コンバーチブル”のスポーツタイプ。深みのある色合いが秋の午後の陽を美しく滲ませている、よ〜く磨かれた愛車のドアに凭れて。お年の頃は26、7歳くらいでしょうかしら。腰高な長い脚に吸いつくようなソフトレザーのパンツをはき、アロハ襟のプリントシャツと鈍い色合いの鋲つきレザージャケットといういで立ちのお兄さんが立っている。肩から力を抜きまくり、飄々としている態度のせいで、細っこい今時のお兄さん風に見えてしまうが。実は実は…背中にかかるほどまで伸ばされたドレッドヘアの陰になってる、肩や胸元がホントはね、鋼のように鍛え上げられた強靭さに満ちていることを…たまに遊びに行った折など、お風呂に入れてもらったりもするのでよくよく知っている坊やにしてみれば、
“あのヘラッとした態度って、絶対、ナンパしたお姉さんたちを油断させるためのフェイクだよな。”
常々、そんな風に思えてならないのだそうだけれど。そりゃあまあ、あんたの大好きな葉柱のお兄さんの、不良っぽい風体に似合わない純情さに比べたら、こっちのお兄さんは十分遊んでそうですが。
「何だよ、それっ!」
「おいおい、誰が遊び人だって?」
おおっと、本誌でもわざわざ“VS構図”を組まれていたほど、この世に怖いものなしとばかりに恐持てのする方々からダブル突っ込みに偶(あ)ってしまいました。(笑) ややっこしいので筆者はここいらで引っ込むとして。
「…こんなトコで何してんだ? 阿含。」
お声を掛けられはしたけれど…無視して通り過ぎちゃろうかとも思ったが。あまりに堂々と乗りつけていらっしゃる彼だったし、カジュアルな色つきメガネの向こうから、間違いなく自分を見やった上で にんまりと笑ってらしたお兄さんだったので。知らん顔するのは こそこそと逃げることに通じていそうで、そんなことは無論のこと、坊やのプライドが許さなくって。それでと…考えようによっては見事挑発に乗った格好にて、妖一坊やがわざわざのお声をかけたこのお人。金剛阿含というお堅い名前をした、これでも優秀な歯医者さんだ。
「歯科検診の打ち合わせか?」
歯医者さんが学校へ来る用事といったら そんくらいのもんだろがと、警戒心丸出しで尖った訊きようをする坊やへ、
「あのな。こんな遠い学校まで俺の担当じゃないって。」
ずっとずっと別な先生が専任で来てるだろうがよと言い足せば、
「営業に来たんじゃないのか?」
最近は少子化が問題になってるからな、検診で虫歯が見つかったって通知を出した子だけでは数を稼げないだろからさ…などと、なかなか穿ったことを言ってくださる、相変わらずにおマセな坊やで。一丁前に目元を眇めて“ちろん”と斜(ハス)に見上げて来るところなんか、何とも生意気だけれども。
“可愛いよな、こういう小生意気なトコ。”
これで人を見下してるつもりの高慢な大人ぶりっこが、愛らしいお顔に妙にハマって堂に入っていて。けれど…そこはやっぱり、世慣れしている立場から見りゃあ、あまりに芝居がかっているもんだから、おうおう大人ぶってまあと微笑ましい限り。どっしり余裕の大物さんにかかっては、悪魔っ子も生まれたばかりな仔猫と変わらないらしく、
「生憎だったが、俺はこれ以上忙しくなるつもりはねぇんだよ。」
お陰様で商売繁盛。掛かりつけ先としてご指名されてる方々だけで、毎日十分忙しいもんでなと、余裕のお言葉を下さってから、
「今日は暇なんでな。遊びに行かねぇかって誘いに来たんだが。」
あんまり見かけぬコンバーチブルのスポーツカーとあって、校門から次々出て来るチビさんたちも“わぁあvv”と憧れの眼差しをそそいでいるほどで。子供心を擽るには、効果抜群のアイテムではあったけれど、
「今日はダメだな。」
お目当ての坊やからのお返事はあっさりしたもの。思わずサングラスがずり落ちたのを、節の太い指先で鼻梁の奥へと押し込み直しつつ、
「なんで?」
訊けば、これまたすっぱり、
「予定があるからだ。」
にべもないお返事で。
「ルイとファイナルを観に行くからな。◇◇◇◇の第一戦なんだぞvv」
しかもチケットに打ってあった席っていうのが、正面のベストポジションっていう指定席なんだと、こればっかりは誰が相手でもお顔がほころぶらしく、それは嬉しそうに笑った坊やへ、
「◇◇◇◇戦だったら中止になったぞ。」
お爺ちゃんだったら銭湯に行っちゃったわよ。(おいおい) そんな感じでさして力むこともなく、あまりにさらりと告げられたものだから。
「だから、ルイと観に行くって………、え?」
真面目に相手になるもんかというよなノリでスルーしかけて、はい? と立ち止まり、あらためて…自分たちのやり取りを振り返る。
「…中止?」
だってそんな。チケットを見せてもらったのが月曜日のことで、それからのずっと、ネットでスタジアムを検索して座席の位置を確認したり、対決する2チームの実力分析に勤しんでみたりと、それは楽しく過ごして来たのに。
「そんなの…デタラメ言ったってダメなんだからな。」
今夜のプランだけは、そんな簡単に中止になんて出来ないんだからと、真摯なお顔になった坊やへ、ボトムの尻ポケットから取り出した携帯を操作し、
「ほれ。」
差し出された画面には、協会のサイトが呼び出されてあり、
【本日、▽▽▽スタジアムで予定されておりました、
◇◇◇◇ VS ○○○○のファイナル第一戦(17時 キックオフ)は、
スタジアムの施設事故のため、延期となりました。】
取り急ぎのお知らせなのだろう、詳細がないものの、公式サイトに記されたものなだけに“本日は中止”というのはホントのことであるらしく、
「…なんで?」
あまりに急に、否も応もなくという勢いでいきなり取り上げられちゃったのが信じられない。施設事故って何?と、打って変わって すがるようなお顔になった坊やから訊かれて、
「俺もな、ケーブルTVで観ようと思ってたからサ。何でなんだろってPCで調べたら、そっちには細かい事情も載ってたぞ。」
いくら坊やへの悪戯やちょっかい出しがお好きな阿含氏でも、そこは…相手が いかな思い入れを持っているのかまでを、よくよく知っているジャンルへのことなだけに。さっきまでのどこかお軽い口調を改めて、
「場内の芝生の散水器への水道管がな、改装工事用の重機が傾いたとか何とかで破断されて。それでピッチ全体が洪水状態になっちまったらしい。」
「え〜〜〜〜。」
多少の雨風や雪くらいなら敢行される、アメリカ生まれのスポーツにしては珍しくも全天候型のアメフトでも、
「あの広々としたところが、最高で脛までっていう深さの冠水状態になったらしいからな。」
「う〜〜〜。」
そうまでの惨状に偶(あ)っては、さすがに…無理してゲームを催すよりも、一刻も早い修復に取り掛かろうという方向へ、主催者たちの見解が一致したのも已(やむ)を得ないというところかと。
「…そっか。今日はないのか。」
携帯サイトへの速報によれば、別の日への振替という運びになるらしい。あんなに楽しみにしていたことなのにな。でも事故じゃあ仕方がないよなと、ふかふかなスタジャンにくるまれた小さな肩がしょぼぼんと落ちる。日頃から割とクールな坊やが、時折思い出しては気を取られて意識が舞い上がってしまうほど、それはそれは嬉しいお楽しみだったのに。指折り数えて、いよいよの当日がやって来て。ほんのついさっきまで、そりゃあもう。スキップさえ踏み出しかねないほど浮き浮きとしていたのに。
「………。」
ちょっぴり俯いて、その場に立ち尽くしてしまった小さな坊やへ、
「だからサ。今からこれで出掛けないか? ハマまでひとっ走りして、気分を変えようや。」
秋の港は綺麗だぞ? 中華街は混んでるかもだから、伊勢佐木の方まで足を延ばしてもいいしな。オデオンのフライドチキンが好きだったろうが。何とか口説き落とそうと、傍らまで寄って来て、上の空になってる坊やへ誘い文句を並べるお兄さんへ、
「…馬車道の方が好きだな。」
一応聞いてはいるらしいお返事を返した妖一くんだったが、しょぼぼんと落とした小さな肩が、ひょこりと立ち上がり、
「ルイはまだ知らないのかもしれない。」
だって、まだ高校の方は授業中だろうし。タルイからとサボったとしても、そんなことをしたならば…坊やから後々まで、何かしらの折に引き合いに出されること請け合いだろうから。早めにお迎えに…と姿を現す訳にもいかないでいる彼に違いなく。
「やっぱダメだ、阿含。」
ルイだって知ったらがっかりするだろからサ、まあまあって俺が慰めてやらないと。神妙な顔になってそんなことを言い出す殊勝な坊やへ、
「〜〜〜。」
ドレッドの後ろ頭へと手をやって、こりこりと頭を掻いてみたお兄さん。どうしたもんかねとばかり、う〜んと唸っていたのだが、
“こうなりゃ奥の手を出すしかないかな。”
な、何かあるのでしょうか? 坊やに“葉柱のお兄さん”へのそれよりも関心を持たせるような切り札が。
「シーサイド・サカエのフィッシュバーガーを奢るってのはどうだ?」
「あっ!」
言った途端に、たちまち…坊やの眸がきらりんと輝いたから、これは余程にツボだったのか。
「知ってるぞっ。ムサシんトコの現場でおやつで出たの、分けてもらったことあるっ!」
結構大きな白身魚のフリッターを、特製タルタルソースとキャベツの千切り、レタスで挟んだバーガーで、バンズが特別な小麦で焼いてあるのか、それは美味しいと巷でも秘かに評判だとか。
「あれって横浜のお店なのか?」
「ああ。あれの出来立てを食いたかないか?」
熱々のフリッターだぞ、ホクホクしてるところへソースがからまって、そりゃあ美味いぞ〜と。呪文を唱えるように囁けば、
「う〜ん。」
おおお、あんなに“ダメ”と渋っていたのが、さすがは食べ盛りだからか、それとも子供離れしてグルメな彼の、そのアンテナへお見事なまでにストライクしちゃった、まさに絶品なればこそ“切り札”だったのか。どうしよっかなと、初めて迷い始めている坊やじゃあござんせんか。
「な? ちゃーっと行ってすぐにも帰ってくりゃあいい。門限までには送ってくから。」
忘れちゃいけない。まだお子様なんだから、せめて10時までには帰すからというポイントも押さえてのお誘いへ、
「う〜〜〜ん。」
相当に心が揺らいでいるらしきご様子で。それが証拠に坊やってば、スタジャンのポケットから、いつの間にやら自分の携帯を取り出している。どうせ試合はダメになったんだしな。週末なんだから、ルイだってお友達との夜遊びで憂さ晴らしってなる方が楽しいのかもしんないし。…って、おいおい。自分とのデートよりそんな方を彼が選んだら、まずは間違いなく雷落とすのは何処のどどいつだい。(笑) どうしたものかと迷う子羊の手から、それは素早く携帯を攫った手があり、
「ほら。俺がメールを打っといてやるから。」
「あ…。」
日頃だったなら、そう簡単には奪われたりはしない反射の持ち主であるのにね。大きな手に攫われてからも、ムキになって取り返そうとしない辺り。流されてもいっかなと、誘惑に負けかけている妖一くん。一方、手慣れた様子でアドレスを呼び出して、随分と手際よくメッセージを入力し、
「ほれ、これで良いだろ?」
見せてくれたのは簡潔な事実の羅列だったから、良いよと頷いて送信を許可する。そうしてそして、
「ほ〜ら。」
両脇へと手を伸べられて、軽々宙へと抱え上げられると。そのままスポーツカーの助手席へ ぽそんと乗せられた坊やであり。金髪金眸の愛らしき王子様。ドレッドヘアの魔法使いにまんまと攫われてしまったのでありました。
――― その頃の白ランの騎士殿は、昼一番の授業中。
陽あたりのいい席でうとうとと居眠りしながら、
今夜観戦する予定の試合の夢など早々と堪能していたりする。
ほらほら、携帯がバッグの中で唸ってるってばさ。
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