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結構な所帯を誇る暴走族と、アメフトチーム“賊学カメレオンズ”と。双方を構成する いかついやんちゃたちという腕自慢の面子たちを一手に統率し、そんな彼らを、だがだが、威嚇の盾にはしないで。彼自身の拳のみという腕っ節で、数ある対立勢力を悠々と黙らせ続けて来た実力派の総長。それを余裕で可能としているほどの、今のこのご立派なガタイや精悍で荒々しい素振りからじゃあ信じられない話だが、実を言えば小さい頃は体が弱かった彼であり。家系的にも体だけは頑丈だという血筋だったので、毎年のように風邪をこじらせてはぜいぜいと苦しげな呼吸をし、ひどい時には気管支炎へまで至って伏せってしまう、そんなか弱い子供が生まれたのは葉柱の家では初めてのこと。幸いにもおおらかな性格の方々が多い家系でもあったため、嫁の血のせいだというよな陰惨な非難が集まる確執の図にはならず。こんな愛らしい子がそんな辛い目に遭おうとは可哀想にと同情を集めた末に、そうだ空気の良い土地で静養すれば良いという方向へと話が運び。春と夏の長いめの学校のお休みになると、当時はまだ ただの片田舎だったこの辺りへ、毎年のように送り出されていたルイ坊っちゃんで。
『なんだ、満足に泳ぎも出来ぬのか。』
病弱だと聞いてはいたが、去年の内にも海には入れるようになれたのだろうに。やれば出来る身でありながら、いつまでもそんなことでは女子扱いされても文句は言えぬぞと、やたら居丈高な物言いをしていたお友達がいたのを思い出す。数年かけての静養が効いたか、それとも成長期に入って体格もよくなり、それにつられて肺活量や抵抗力なども一気に盛り返せたのか。中学生に上がったと同時、体の方もすっかりと頑丈になったので。そうなると日頃からも間近い友達と過ごす方が楽しくなり、親がかりという印象が強かったこの別邸にも、遠いこともあってあまり運ばなくなっていて。久々に来ていて、連れの坊やが開いたアルバム。あんなに毎年逢っていたのにね? そりゃあ印象深くて、存在感のある人だったのにね? 写真に残る姿という形でそこに再び見つけるまでは、うっかりと忘れていたお顔でもあり。今頃どうしているのやら、何だか懐かしい想いがした、葉柱のお兄さんだったりしたそうな。
◇
とんだハプニングといいますか。主将と小悪魔坊やという、片やは崇拝してやまないところの、片やは機嫌を損ねたらどんな手立てが飛んで来るんだか判らないという恐ろしさに満ちたところの、所謂“お目付役”が二人とも、近間にいなかった気の緩みから、羽目を外した揚げ句の後遺症。未成年にはあるまじき“病状”から、他のメンバーの到着がほぼ一日遅れることとなり。今日からという予定だった夏季合宿が始められず、已なく1日余計に羽伸ばしにと過ごしていた、先乗り組のお二人さんで。
「お前、あんまり焼けないのな。」
「おう。その代わり、ちゃんと用心しとかないと、いつまでも真っ赤なまんまで痛いんだけどな。」
今日も良いお天気だからと、浜辺へ出て来て泳ぐ前の準備。水着に着替えて体を伸ばして、それからあのね? ジェリー素材とかいうビニールのポーチから、おもむろに…オレンジ色のチューブボトルを取り出した金髪金眸の坊やであり。鬱陶しいけど仕方がないと、小さなお鼻の天辺やするんとした頬っぺに小さな手のひら、薄い肩や白い背中へ、陽やけ止めのクリームを塗るのを欠かさない。肩の上へ肘まで上げて、愛らしい手がうんうんと頑張って見せるものの。いかんせん寸が足らず、自分の小さな背中を不器用そうにさまよっている様子が、何でも器用にこなせるこの坊やにしては妙に稚(いとけな)く。
「貸してみ。」
「ん。」
肩を押さえて固定してから、小さな背中の全面へ。べとつかない程度にとよ〜く伸ばして塗ってやれば、くすぐったげに身を捩り。そのくせ、
「ほれ、済んだ。」
言えば“もう終わり?”と肩越しに振り向いて来たお顔は、ややもすると不満げで。
「ルイの手、大っきいから。あっと言う間だよな。」
残ってた分を自分の手の甲へ、べたつかないよう伸ばしてたその手を、横手から覗き込んで来た小さな金髪頭。胡座をかいてたお膝に身を寄せてというほどものくっつきようへ、何だなんだ構ってほしいのかと解釈し。無防備に伸ばされてた上体を、上からわしっと抱え込むように腕の中へと拘束する。途端に“にゃ〜〜〜〜っvv”と暴れる肢体を余裕でホールドしたまんま、すっくと立ち上がると波打ち際までご案内。陽に灼けた熱い砂を裸足で踏まずに済んだはいいが、
「あ、浮輪忘れた。」
「あ。」
顔を見合わせ、しゃあないかと折れるのは、いつだって葉柱の方。いいか? 自分が戻るまで此処にいろ、絶対に先に入るなよと言い置いて。足早に浜茶屋風のデッキテラスまで駆け戻り、大きめのタイヤほどもあろうかという浮輪を手にして振り返れば、
「あの野郎〜〜〜。」
勝手に入るなと言い置いたのに。浅瀬とはいえどんどんと波間へ分け入る坊やの姿がよく見えて。小さな背中が波に揉まれ、さして高くない背丈が見る見る内にも小さくなってゆく。首に縄でも掛けとかんといかんのかいと、歯軋りしながら戻って見れば、
「ルーイ〜〜〜vv」
もうそろそろ足がつかない辺りなのだろうに、余裕で手を振る小さな悪魔。何日かの滞在中、毎日のように泳ぎに来ている渚でもあり、遠浅な砂浜、そうそう危険ということもないかなと、大きな肩を落とした総長さんが、小脇に抱えていた浮輪を頭上で振って見せれば、持って来いという意味か小さな手を振り返して見せた坊やだったが………。
“え………?”
少し大きな波が、そんな彼の背後に壁みたいに立っていた。浜の端から端までを隙間なく埋めるように、次々と押し寄せ続ける波の丘。風もないからさして荒れてはいなかったが、それでも時には大きめの“うねり”がやって来もする。そんなイレギュラーな波に、折悪しくも鉢合わせた格好になってしまったのだろう。波の上、肩先がやっと出ていたくらいだったその真後ろからたっぱんと、水の壁が叩きつけ、そのまま坊やの体を飲み込んで浜へ。結構な勢いにて打ち寄せて来た波だったが………。
「…ヨウイチっ!」
波の丘が通り過ぎた海面は、平坦さを取り戻していたにもかかわらず…さっきまでそこに浮いていた筈の小さな肢体が影もなく。ぎょっとした葉柱が浮輪を放り出して砂浜を駆け出したのとほぼ同時、
「アヌビス、ウェイトっ。」
そんな声だけを残し、自分よりも波打ち際に近い位置にいた誰かが同じ方向へと一直線で駆けてゆくのが視野に飛び込んで来た。見やれば、その人物が浜に置き忘れて行った自分の陰…のような漆黒のラブラドール・レトリバーが、白い浜辺でちょこりと姿勢よくお座りしており。沖へと視線を投げやれば、ざばざばと手際よく波を掻き分け、それはなめらかな泳ぎ方にて、あっと言う間に坊やが居た辺りへ到達している人がいて。どうしたものか、自分も行った方が良いのか。いや待て、水に入って体が重くなっては引き揚げる段階で手間取ると聞いたから。黒ラブくんとお揃いの…実は苦手な“待ち”の体勢で、じりじりしつつも浜で待てば。さして手間もないままに、淡い青の波間から坊やの白いお顔が引っ張り上げられる。びっくりして水を飲んだらしく、けんけんと短い咳を続けているのを、体を支えて収まるまで待ってやり、それからおもむろにこちらへと戻って来た…所要時間は、5分もあったかどうかというお見事さだったが。様子見もあって、ただ待っているしかなかった総長さんにしてみれば、一生の内で一番に長い5分間となってしまったほど。
「妖一っ。」
乾いた砂の上へ一旦降ろされると、そのまま座り込んでしまった坊やだったが、駆け寄った葉柱の視線を受けたくないのか、深く俯いたままでいるのが…却って妙に心配で。
「苦しいのか? 足がつったか?」
ついつい気遣いの声を掛けてやれば、俯いたままの無言で、ぶんぶんと首だけ振って見せるばかり。彼にしてみりゃ…言われた通りにしなかったがためのこの様なのが、何とも気まずいのだろうと、葉柱も後になって気がついたけれど。今の今ではこっちだって気が動転している。声が出せないほどに苦しい状態なのではないか。何にだって意地を張ってしまう子だからね。そんな見栄が邪魔をして、痛いとか苦しいとか言えないんではなかろうか。すぐ傍らへと膝をつき、横合いから覗き込むようにしてはおろおろとお顔を見ようとするのだが、もともとの体格の差もあるものだから、坊やが俯いてしまうとこっちは腹ばいにでもならないと見えやしなくて。
「よ…。」
もう一度、声を掛けようとしたその間合いへ、
「水は大して飲んではおらん。」
ぴしゃりと冴えた声がした。
「足もつったようではないようだし、きっと不意打ちで波に揉まれて上下が分からなくなり、パニック状態になったのだろう。」
すぐ間際からのお声であり、ああそうだった、自分に代わって彼を助けてくれた人が居たんだと、やっとのことで思いが及ぶ。気持ちは分かるが、しっかりしなさい、総長さん。(苦笑)
「どうもすいません…。」
咄嗟のこととはいえ、服が濡れるのさえ厭わずに、素晴らしいまでの瞬発力にて飛び出してくれた人。自分の管理不行き届きでとんだことにと、心からの謝意を込めて、間近に同じように片膝ついてた相手を見やった葉柱だったが、
「あ………。」
小さな坊やを間に挟んで、同じ高さの目線にて。向かい合った相手のお顔に、何だかとっても見覚えがあって。呆気に取られて見とれていれば、
「久しいの、ルイ。」
擽ったそうに笑ったお声が、ちょっぴり掠れて大人のそれではあったものの。つややかな漆黒の直毛に切れ長の鋭い目許と、役者のように、はたまたお人形さんのように整った端正な面差し。間違いなくこちらが誰であるのかを把握しての真っ直ぐな眼差しに、葉柱の脳裏で…幼いお顔の誰かさんが、同じ口調で自分を呼んだ。
『今年こそは泳げるようになるのだぞ? ルイ。』
偉そうな口調と、折れない視線と。威容さえ満ちていた小さな太守。親同士の知り合いだというご縁で引き合わされた、同い年のお友達。
「…キミちゃんか?」
ついつい、こちらも元の呼び方で呼んでみれば、途端に…眉間に雲が出て、
「………こっちも“坊”をつけての昔の呼び方で合わせてやろうか。」
「すいません、王成(きみなり)さん。」
こらこら。総長さんともあろうお方が、一瞥だけで形無しなんかい。(笑)
◇
アルバムに貼られていた写真の中では、カメラ係の大人さえ射竦めるような、ツンと澄ましたお顔ばかりでいた子供だったけれど。久し振りに出会った彼は、今ではやんわりと眸を細め、そりゃあ優雅に笑えるようにもなっており、
「元気になったのは何よりだがな。その途端に何の便りも寄越さんようになる薄情者だったとは思わなんだぞ?」
「あー、いやその、えっと…。」
全くもって仰有る通りに違いなく、何と言い返せば良いのやら。言葉を探しつつ、大ぶりの手でわしわしと、乾いて来つつある髪を掻き回せば、
「本当に。見かけは育ったが中身は変わっておらんのだな。」
適当な社交辞令さえ出て来ない、葉柱のそんな不器用さへと楽しげな苦笑を見せる。坊やを助けようとして、頭から足元まで、すっかりと濡れてしまった彼だったので。とりあえずはウッドデッキまでお誘いし、素早くそれだけを放った携帯電話で自分のお屋敷へと連絡を取るのを待ってから、バスタオルをお出しする。それまでずっと、波打ち際で辛抱強くも待ってた黒ラブくんを口笛で呼ぶと、いい子だと何度も撫でてやり。すっかりと和んだ表情をこうまで見せてくれる彼は、昔のその身へまとってた…それはそれは冷たく冴えてすげないばかりだった、正に“孤高”という雰囲気を、随分と暖かみのある柔らかさへと転じさせているようだった。
“まあ、あの頃って言ったら、俺も立派なガキだったからな。”
思い出すのはあまりに屈託がなかった自分の幼さと、今になって気がついた…彼のたいそう大人びたそれだった何やかや。
――― その只中にいる時は気づきもしなかったものは結構あって。
子供は感性が豊かだとか、定番という型に嵌める習慣がついていて感覚がスレている大人では思いもつかない見方をするとか言うけれど。それでも…経験値は低いし、それ故に物の見方、解釈の仕方ってものへの間口も狭いから。応用というものが利かず、直接聞いた言葉そのものしか理解出来ず、間近に見たものの形や色合いしか把握が出来ず。
『なんだ、満足に泳ぎも出来ぬのか。』
直截な口利きばかりする意地悪な彼のこと、最初はあんまり好きではなかったよ。自分も周囲の大人たちから猫可愛がりされている方だったが、彼もまた大きな企業の社長だか会長だかの御曹司だとかで。それでなのだろうか、子供とは思えないような、随分と高いところから見下ろすような、やたら偉そうな物言いの多い子だった。口調も冷たい紋切り調が多かったから、てっきり嫌われているのかなと思えば、ますます接するのが億劫になりもして。それでも…何故だか。春休みや夏休みになって、この別荘へやって来ると、まずは親御さんと一緒にご挨拶に来てくれる。それがドキドキと待ち遠しかった。
『何とか“泳ぎ”のカッコには、なって来たではないか。』
二年目の夏、お顔を水に浸けて、やっとのことでバタ足で進めるようになったら、素っ気ないながらも褒めてくれた。真っ直ぐな眼差しがそれは綺麗で、それから…そうだ。
“笑わないのは、俺へだけじゃあなかったんだ。”
何も不機嫌だからと冷たい表情ばかりしていた彼ではなく、
『どうでしょうね、可愛げのないったら…。』
『本当に。ルイ坊っちゃまの半分でも愛想がよければ。』
大人たちがこそこそと交わしていた会話。でもね、楽しいからってだけじゃあ笑えないんだよ? 笑ったのを見てくれる人、そうなの楽しかったの良かったわねぇと、同じくらいの笑顔で“答え合わせ”をしてくれる人がいなきゃあ、伸び盛りな時期の子供の感情はある意味で成立しない。幼い子供にとって、自然にあふれ出た笑みを享受されない空気の、どれほどに冷たく痛いことか。
――― ねぇ、もしかして。笑い方を忘れたの?
おどけて見せて笑わせてくれて。そんなして あやしてくれる人はいなかったのかな。甘やかされて守られて育った、普通の子供に過ぎなかった自分は、大人びた彼の揺るがぬままに堂々とした、毅然とした眼差しを、興味津々、見てたくて堪らない対象にしていたのかもしれない。そしてそれから、彼の境遇というのが判って来て。
――― 大企業の若き理事長である父上と、病弱な母上とを別れさせよう、
勢力のある資産家の、もしくは政治家の娘との縁組を組み直させようと。
自分と繋がりの強い資産家やら実業家、そこのお嬢さんをと臆面もなく勧める親戚筋の伯父や伯母が引きも切らず訪れていた時期があり。物騒で破廉恥でしかもあからさまで、何とも情けない、そんな空気が彼の周囲には常に垂れ込めていたのだそうで。両親の意志は揺るぎなきものと重々知ってはいたとても、それでも子供には不安な雲行き。しかもしかも、子供だからと、抵抗出来まいと、八つ当たり半分のキツイ物言いや態度が理不尽にも降ってくることだってあっただろう。そう、子供に何が出来ようか。せめて自分が原因にならぬよう、両親を誰にも追い詰めさせないよう、彼は彼なりに戦っていた。どんなことでも出来て当然、こなせて当たり前。冷静でお行儀よくて、隙を見せず、気を緩めずに。重圧ばかりが張り詰める、そんな生活の中にあって、どうやって屈託のない笑顔なぞ見せられようか。いつだってつれないお顔をしていた原尾さんチのキミちゃんは、でもね? 毎年のように遊んでくれた。ちょっぴりおミソで動作のとろいルイ坊やのこと、他の子が詰まらないからと敬遠して離れていっても、彼だけは根気よくいつまでも構ってくれた、ホントはそんな優しい子だったの…。
「実を言えば。中学からは、東京の方の総合学園に通っておってな。」
だから、葉柱が来なくなった春から実は、自分も此処には居なかったと正直なところを語って聞かせる。黒ラブちゃんを堂々と上へ登らせるのは遠慮してのことか、デッキの端っこの上がり框(かまち)に浅く腰掛けたままの彼であり。昔のまんまなシャープな印象の肢体、すっきりと伸びやかな背条や、すらりと長くて膝の高い脚のラインが、何かスポーツでもやっているのか頼もしく映えて見え。彼も彼で“お坊ちゃま”ではないところ、大きに変わったなと実感した総長さんで。
「今年は久々に戻って来たのだが、このデッキが建っておったから、お前の家の誰ぞが来ているらしいなと気づいてはおった。」
「その割に、居そうな時間帯に、覗きには来なかったんだな。」
此処に来てもう何日も過ごして居るのに、そのどの時にもこの彼を見かけてはいない。そうと言い返せば、
「何で私がわざわざ覗きに来なければならんのだ。」
すっぱりと切り返された、あまりにつれないお言いようの、何とも凛々しいことだろか。清々しいまでの“天動説人間”なのは相変わらずで、自負に満ちあふれたご立派な気性の方は、さして変わっていないというか、
“まあな。いずれは“王”になる奴なんだしな。”
現在は彼の親が切り回している大きな企業は、これまでの長き歴史の中ずっと、本家の長子がそりゃあ整然とその後を継いでいる。そういう形で大きさと強さを存続して来た共同体であり、組織があまりに大きいと実力だけでは回せぬもの…縁とか しがらみ、数値や理論では描写出来ない、さりとて無視は出来ない“支え”というものが数々とあるのだと、如実に示していもする“旧家”であって。昔はあんなにも棘々しかったのにね。それを今は、余裕さえ見せているほどの自然体で受け止められる、何とも頼もしい青年に育ったお友達。
「可愛らしい子だの。」
少し奥まった、陽の射さない辺り。大急ぎで敷いた花ゴザとバスタオルの簡単な寝床。そこへと横たえさせた坊やを肩越しに振り返り、
「まさか弟、ではないよな。」
「ああ。」
自分を生んだ時点で既にかなりの高齢出産だった母であり、その下に更にあんな小さい子を生むというのは…政治家の妻としての忙しい毎日を思えば尚のこと、ちょっと無理な話であり。
「ウチのアメフトチームのマスコットをやってる子だ。」
いや、だからさ。まさか“そこそこ付き合ってるカレ氏です”とは言えんだろうがと。気のせいだろうか、背後からの空気の圧が鋭くなったのへ、こそこそと内心で言い訳をしていれば、
「審美眼は落ちてはおらぬようだな。」
……………はい?
どういう意味でしょうか、それってば。勝手に呟き、勝手にくすりと、意味深に苦笑ったお友達。もしかして彼もまた、あの小さな金髪の坊やの狸寝入りにしっかり気づいていらっさり、あっちを向いて居ながらもこっちへ意識を向けまくりの、異様な気配に気づいておいでだとか?
“やっぱ、似た者同士だよな。”
あのチビさんは、そうなると。大きくなったらこの彼のようになるのだろうかと、朝方の誰かさんの言いようのお返しのよなことを思ってからね? 綺麗なところはともかくも、気性が全然変わらないということは、
“………結局、尻に敷かれそうだよな。”
何 言ってんだかなぁな結論にますますと、不審な照れ方をご披露してしまった総長さんだったようでした。(笑)
◇
日頃そりゃあ偉そうなヨウイチ坊やにしてみれば、波に遊ばれ溺れかかるだなんて、とんだ醜態だったのだろう。間違ったって誰も笑ったりなんかしないこと。駆け寄った葉柱がただただ心配したのと同様、安静にと横にさせたのだって、腫れものに触るような…という放置ではなく。こんな小さい子供が溺れかかっただなんて状態にもみくちゃにされ、興奮状態にあるのではないか、怖かったろうにと慮っての対処であったのだが。
『…何だか寝ちまったみたいだな。』
あんまりにも動かない彼だったので。旧知の友とやらと懐かしそうに話していたお兄さんが、ひょいとこちらを伺い、そんな一言を呟いたのへ、
“ああ、そうかい。そんなに邪魔かい”
どういう訳なんだか、そんな風にお臍が曲がってしまった小悪魔坊や。だったらホントに寝ちゃうんだからとムキになった。次に声を掛けてくれるまではと、意地を張って眸を瞑っていたらば、夏の午後の生ぬるい潮風と単調な潮風の音に良いように飲まれてしまい、ホントの本当に、本格的な午睡モードに入ったらしく。
「……………はにゃ?」
気がつけば。居心地の良い風がさわさわと入る、青々とした梢から降って来る木葉擦れの音も涼しい、葉柱さんチの別邸の、寝室のベッドに寝かされている自分に気がつく。すっかりと熟睡していた坊やなもんだから、あのまま…いくら日蔭であれ暑い中に寝かせておくのは可哀想だとお兄さんが気を回したか、きっちりと着替えた上での普通のお昼寝。髪も乾いてパジャマまで着ていたものだから、浜でのアクシデントは夢だったのかなと思ったくらいだったのだけれど。
「それではな。母上にもよろしく。」
「ああ。」
テラスへ向いた窓の方から、誰かと総長さんとの会話が聞こえ、ああやっぱり夢じゃあなかったらしいなと。そこまでの判断力も見事復活するまでに目が覚めた坊やであり。
「………お。」
起きたのかと、こちらに気づいてすたすたと、歯切れのいい所作で長い脚を運んで来る見慣れたシルエット。タンクトップの上へ白いオーバーシャツを羽織った、こちらもすっかりと着替えていた葉柱が、すぐの間際に来るまでは…わざとらしくも微睡み半分な振りをする。だってやっぱり、バツが悪い。もっと深いところでだって、平気で潜ったり出来るのに。立ち泳ぎだって得意だし、ガッコのプールではもう、100mだってノンストップで泳げてたのにね。なのにあんな浅いところで溺れそうになっただなんて。キツイ目に遭った者へ“やーいやーい”と嘲笑うような、大変な想いをした者をからかうような冷酷さ、少なくともこの自分へと示すような、そんなルイではないって知ってるけれど。やっぱり何だかカッコが悪くて。このまま同情されっぱなしでいて流そうか。でも、それもなんか。可哀想って思われるばっかってのもこれからの威厳に関わるかもだしな…な〜んてこと。あれこれ胸の裡にて転がしている坊やの、気持ちが他所を向いたお顔は丁度。ぼんやりと寝ぼけている時のお顔と重なる、どこか取り留めのない表情だったから。
“…まだ本調子じゃあなさそうだな。”
ベッドの端に腰掛けるほど近づいても、体を横にしたままでいる。白いシーツへ散らされた金の髪が、どれほど手触りの良い柔らかさか。思い出すより前に手が伸びていて、そぉっと指を埋めるようにして梳いてやれば、
「ん…。」
まだ眠いのか、薄くだけ開いていた目許がますます すうっと細められ。さりとて振り払うでなくじっとしている様子は、もっと撫でてもいいよと言いたげ。そんな態度を可愛げだと解釈出来る自分へも、内心で苦笑が止まらない総長さんで。
“去年の今頃は、クソ生意気なばかりのガキでしかなかったのにな。”
口ばかり達者な生意気さには変わりがないが、何かの折々、そりゃあ愛らしい顔をする坊やだと知っている。今や当たり前なこととなっている“お泊まり”では、偉そうな割にお化けが怖いせいもあり、同じベッドに潜り込んで来ては猫の仔のように丸くなってくっついてくるまろやかな体温が、擽ったいやら暑いやら。ほのかな寝汗でしっとりなるからか、日中は勢いよく跳ね上がってる髪が、しおれたように くしゃくしゃ・しんなり下がっている様は、これもやはり仔猫の耳が垂れてるような趣きで。
「みゅ〜〜。」
何とか目が覚めて来たのか、ゆっくりと身を起こせば。パジャマにするからと葉柱から分捕った大きめの黒Tシャツが、小さな体ではあちこちが余りまくってしょうがなく。小さな肩が浮いた鎖骨の付け合わせ込みにて、斜めになった襟ぐりからはみ出すわ。細っこい脚の間に尻を落としての、正座を崩したような“萌え座り”なんぞをして見せている白いお膝が、何とも…何ともだわで。
“…可愛いじゃねぇか、この野郎。////////”
相手は小学生で、しかも男の子。これほど終わってる感覚もなかろうよと、泣いちゃうぞコラと自分への苦笑を噛みしめれば、
「さっきの人は?」
小さな手の甲で目許を擦りながら、それにしては滑舌の良い口調で訊いて来る。
「? ああ、原尾なら帰った。」
服を濡らさせたからな。着替えてもらって、少しは話もしたかなと。坊やが眠ってた間のことを口にして、それからね?
「…もしかして、お前。奴に妬いてたんじゃねぇの?」
今朝方、ここで写真を見ていた時の、妙にムキになってた彼を、今頃思い出すような“間”の悪い人。
「ば…っ、馬鹿ヤロっ、そんなんじゃねぇよっ!///////」
こうまで一気に真っ赤になってはね。さてはもうすっかりと目が覚めてたなと、そっちまでもがバレちゃって、
「離せったらっ! こらっ!」
「ヤダね。」
所詮は小さな坊やだからね? どんなにもがいたって暴れたって、効きゃしないってもんで。片手だけにてあっさりと懐ろへ、逃げられないよう押さえ込まれるのもまた、今朝方のやり取りとまるで同んなじで。葉柱が相手ならイヤじゃあない。大きな手の容赦のない拘束は、同時に程よい手加減が込められてもいて。離すものか逃がすものかという束縛が、痛いどころか憎いどころか…温ったかくって気持ちが良いほど。
「馬鹿ルイの馬鹿力。」
「何とでも言いな、くそガキ。」
憎まれに動じなくなっただけじゃない、キツいめな言いようで言い返して来るよになった彼なのも、どうしてだかそれがちょっぴりと嬉しい坊やだったりし。うりうりと髪をまさぐられ、どーだ逃げられまいとキツめに抱きしめてもらえる甘い温かさに、ようやっと大人しくなる。そっと手を放すと、んん?と見上げてくるのは。底まで見通せそうなほど、透き通った金茶の眸。昔ほど身構えたり警戒を見せない、突っ張ってはいない素直な眼差しへ見とれたまんま、総長さんは言葉を紡ぎ始めて。
「…ここいらではサ、泳げないと夏の遊びが半分以下に減るんだよな。」
今でこそ、スポーツは何でもござれという体躯であり、十分すぎるほどの体力・反射の持ち主にもなれたけど。少しばかり小柄で、体力もなかった幼少の砌(みぎ)りは、静養に来ていたとはいえ、多少は外の空気に触れねばならない坊やの遊び相手なんて、どんなに誘ったって本当に一人も居なくって。そんな中、親同士の伝手で何とか招けた同い年のお友達。
「あいつは…原尾はサ、人が全然泳げねーのを、容赦なくすっぱりと馬鹿にしてくれやがった、そりゃあ憎たらしい奴だったんだけどもな。」
歯に衣着せぬとか、斟酌なしにとか、そういう言葉を習うたび、ああこれってあいつのことかもとぼんやり思い出すほどに。そんな印象しか残っていなかった彼だったけど、
「そんでも…サ。自分の遊びや付き合いを随分と我慢してまで、付き合ってくれてたんだよな。」
言動が偉そうだったのは彼の資質ととある事情のせいでのことで。やっと小学生くらいの、遊び盛りな小さな子供。本来だったら近間のお友達との付き合いの方が、大切だし楽しいはずなのにね。どうにも鈍(とろ)臭い、遠来の小さなお友達と。それは根気よく一緒に居てくれて、仲良くしてくれていた。融通というものが備わった大人ならいざ知らず、まだまだ子供がそんなこと、自分のしたいことを二の次に我慢して…だなんてこと、やり通すのは大変だったろうにねと、
“今になってやっと気がついてる俺だもんよ。”
これじゃあ馬鹿にされても道理ってもんだなと。あの頃の誰かさんとそれはよく似た、賢くて真っ直ぐで隙がなく。でもね? 心根は至って優しい、坊やの眼差しを覗き込む。
「ルイ?」
「うん…お前見てて気がついたってんだから、遅い話だなって思ってな。」
「え? 俺?」
「ああ。あのおチビさんといつも一緒に居るだろが。」
大人さえ言い負かすほど、何でも知ってて はしこいこの子とは、どう見たってタイプが違う。他愛のない遊びであっさりと満足してしまうような、いかにも子供でまだまだ何にも知らないセナくんと。感性のカラーやサイクル、テンポだって大きに違う筈なのに。目線の高さをわざわざ合わせてやって、守るように大切にしてやっているから。
「ああ。それは、別に…。」
時々はイラって来てキレることだってあっし、傍へ寄んなと牙を剥くことも一度や二度じゃないけれど。全然懲りずに寄って来るセナの素直さには、やっぱ負けるから。あんまキツく突き放すと弱いもの苛めになっちまうから、そいで構ってやってるだけだと。
“………よく言うぜ。”
強いものの義務だとか、しょうことなしにとか。一生懸命理屈を並べて見せるが、とどのつまりは自分の意志から構っているのに他ならず。
“賢くてマセてんのと、ちょいとおニブの素直なのと。一体どっちが良いのやら。”
出来のいい玻璃(ガラス)のように、それは明るく濁りもないまま。何もかもが廉直で、そうでいることを拒まれず。包むことの、隠すことの、意味を知らぬまま、ある意味どこまでも見通せることが、遠慮を知らない物言いを出来ることが、物によっては残酷なくらい。あくまでも透き通っていた幼かった頃。最初から上手って訳にはいかない、後になってやり直しゃいいとか。子供のすること、罪はないなんて。今、自分が使うように年齢になった言い回しは、でもね? 失敗は失敗で、それで傷ついた子が居るのはやはり切ないと、ほろほろとした痛みで胸の底を擽るから。聡明でつれなくて、でも、本当は…辛かった頃なのに優しくしてくれたお友達のこと。そうだったのだと今頃理解出来て、それが切ない、総長さんだったようですよ。
「…なあ、ルイ。」
「んん?」
「あの兄ちゃんがルイのタイプの原型なんだったら、
俺、もっと女王様みたいに偉そうになんなきゃダメかな?」
「………っ☆」
お後がよろしいようで♪
〜Fine〜 05.8.11.〜8.14.
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*はい。原尾さん、登場の巻でございました。
都議の葉柱議員と親が懇意にしている、
南神奈川の社長だか名家だかの坊ちゃん。
………どういうコネだ、それって。(党派つながりかな?)
アニメ、不良殺法の特訓も出て来たら嬉しいですねvv
(でもなあ。ケルベロスとのお散歩特訓が出たからなぁ…。)
*………話変わって。
何がやるせないって、
こっちが全然覚えてない人からそりゃあもう親しげに懐かしがられると、
罪悪感まで感じちゃいますよね。
そこまで大切に覚えててくれたのに、ごめんなさい〜〜〜って。
私は折り紙付きの“鳥頭”なもんだから、
たまにそういうことがありまして。
自分の馬鹿さ加減で自分が困るのみならず、
人を傷つけまでするとは、ほんにサイテーな奴でございます。
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