Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編W

    “かりそめのままで いいから…”
 

 

          




 森羅万象、世の全ての事象は、人も物も出来事も“陰と陽”2つの面をもって存在する。光ばかりでは輪郭が見えず、陰があってこそ物の存在は認知出来るのであり、悪意や悲劇があればこそ、人は善の尊さや幸いの有り難さを身に染みて知る。悪意や邪が世の中を構成するために“必要なもの”だとまでは言わないが、他者の幸いを喜べない者が居たり、努力精励によって自らを高めるのではなく、他者を引きずり落とすことで躍進するという間違ったものを近道だと選ぶ罰当たりな怠け者は、情けない話ながら いつの世にも絶えなくて。そんな輩たちの我欲による身勝手や悪意から陥れられたことから生じる、それは哀しい慟哭に送られた魂の怨嗟は、底がなく果てもなく。散々に苛まれた恨みから弾けた呪いは、あまりに深い悲しみと怒りから、我を忘れて暴走し、対象外の者へまで魔手を伸ばすことがあって。そこから更なる悲劇を招いて、際限のない増幅をしかねなく。
「そんな呪怨の淵へと堕ちないように。悪いことをすると落ちる“地獄”とはこういうところなんだよと怖さでもって解く説法があったり、善行を積めば来世はいい人生を送れるぞよと解く“救済信仰”が生まれたりしたのだよ。」
 まま、それはともかく。世界はその最初のそもそもの頃には混然混沌とした状態にあって、それを分断した最初の光明となった霆(いかづち)の鋭い光により、明と暗が分けられ、そこから“個々”という“存在”が生じた。
「そのような切っ掛けを、生んだか呼んだかしたのが、創世の神だったり天の子供たる帝や王だったりして、その偉大さを神話として後世へと語られていたりする訳だが。」


  ――― さて そうなると。
       それらの“神話”が語っていることは、
       果たして…この現実の世へまで地続きな事象であるのだろうか?


 民草へと広めるためにと編纂されたもの自体は、成程 単なる作り話であり、時代々々の帝や朝廷の権威を知らしめるため、若しくは先に並べたような、世の中の条理
(モラル)や物の理(ことわり)を諭すための説法に過ぎないのかもしれない。
“冗談抜きに、古代中国の群雄割拠時代に編纂された様々な王朝の記録というものには、今の帝が前代からその政権を力づくで簒奪
(さんだつ)したのではなく、時代がそうさせたと思わせるため、前の帝が滅ぼされて当然なほどいかに悪行を重ねたかを連ねたり、はたまた新帝が立ったことを天が祝った証しとして彗星が飛んだとか麒麟が現れたとか、瑞兆の数々が起こったという描写をこれでもかと連ねたりと、作為的な記述も結構多いからの。”
 時代が進むにつれて、人はどんどん豊かになってゆく。世の中が豊かに安定してくると、人はなおの時間を得、知恵を巡らせ、先人の残した記録から学んで練り上げ、学問を進める。月が満ち欠けするのも、暑くなったり寒くなったり、大水が出たり乾きの日々が続いたりといった“季節”が1年をかけてぐるりと巡るのも、人の手になる“計算”できっちり把握出来るようになった。牙も毛皮も持たぬ人間には時に相当に苛酷なものにもなる、それぞれの季節の特長ある気候現象。それらへの対抗策が“暦”によって前以て取れるようになったし、それを基にすることで、大地に蒔いた種から効率よく作物を育て、豊かに収穫する術にも長けて来た。

  ――― そうやって。

 人間の創意工夫により制覇出来るようになった“自然環境”は、例えば…何も見えず漠然としているばかりで、不用意に踏み出せば怪我だってしかねない夜の闇が、炎を灯すことによって生じる“明かり”によって克服出来たように、どんどんと 人にとって恐れるものではなくなってゆく。台風や大水、地震に旱魃。手で触れられないもの、人の意のままにはならぬもの。脅威だったから“神”として崇め奉っていた自然が、だが、ある程度の予測が立てられるようになり、恐れるに足りない存在になったなら? ある意味で“制覇”出来たなら?

  「それは…いけないことなのでしょうか?」

 先々の奇禍へと備えるのは決して悪いことではなく、これもまた“防衛本能”の延長にあるものには違いなく。八百よろづの神などという曖昧なものを大上段に据え、それを実際に“畏れよ”と構える考え方の、何と非現実的で古臭いことかと鼻先で嘲笑するような。学問という合理主義にのっとった先進の考え方が、徐々に徐々に民草の階層にまで広まったからといって、そのまま信仰心が完全に絶やされた訳でもない。苦境にある者は何かにすがらねば生きてはいけず、また、満悦優位にある者も、その幸いがこのまま永遠に続きますようにと祈ったりもするからで、だが、哲学の一種だとか“お守り”若しくは“気休めの神頼み”というものへ変わりつつあるのも事実。

  「いけないことかどうかは、それこそ個々人が判断して決めることさね。」

 神がホントにいたとして、でもな、他力本願は やっぱ良くないことだ。神自体がそう説いてもいらっしゃろう。あなたにだけという苦難に出会ったとしてもそれはきっと、あなたなら乗り越えられると思ってお授けになったものなんだよとするよな説法が、大陸の西の彼方にはあるらしいからな。
「大陸の西の彼方って…唐天竺よりも向こうですか?」
「さようさ。」
 まま、お前が言ったように、そもそも“信仰”というのは、例えば迫害を受けたり窮地にあったりした者の、何かにすがりたいとするような心の弱さが生んだものだから、人が人である限り、まず廃れはしまいよと。金髪痩躯、花のように美麗な顔容
(かんばせ)をした師匠は、それは妖冶にやんわりと笑って見せ、

  「そういった信仰は信仰として置いとくとして。」

 それとは別枠。机の上とか陽あたりのいい学問所で、思想や哲学として論を繰り広げるような悠長なもんではなく、現実のこの世界の実生活の隙間々々にひょこりと実在する、生気の歪みや妖しき気配を、
「闇に潜む“陰体”だの“邪妖”だのという存在は、我らにとっては現実に“在る”ものだ。どこの誰ぞが疑おうと嘲笑しようと関係ない。」
 世を元の“混沌”に戻そうとする、つまりは“滅び”を目指す 負の陰体の跳梁だけは、どうあっても見逃せない。なぜならそれらは、自然環境よりも直接的な奇禍を人々へともたらす“魔手”や“毒牙”であり、しかも特殊な能力や方術でしか対処出来ない困った代物でもあって。よって、それへと対抗する術や咒が編み出され、それを扱えるだけの強くて図太い、若しくは感性豊かな心の力を持つ血統が秘かに尊ばれても来た訳で。
「…尊ばれて来たのでしょうか。」
 ひょこりと小首を傾げる瀬那は後者の“感性豊か”型であり、そんな彼が師事している金髪痩躯のお師匠様は誰がどう見ても…前者の“強くて図太い”型だが
(おいおい)、どちらもあまりの力の物凄さゆえ、ともすれば疎まれてはいなかっただろうかと。卑屈になるでなく あくまでも率直に、素朴な事実として思い出した彼であるらしく。だが、
「何だよ。」
 異論があるなら聞いてやるぞと、目尻の吊り上がった金茶の瞳をうっすらと細めて、お顔をまじまじと覗き込まれたもんだから、
「あっ、やっ、いえあの…っ。」
 ごめんなさい、ただの独り言ですぅと、叱られちゃうの怖さに慌てて小さな肩をすぼめた、稚(いとけな)いお弟子さんだったりするのだ。
(苦笑)






            ◇



  「随分と偉そうなお説法だったな。」
  「うるせぇな。俺はこれでも奴の“師匠”だ。」

 暦の上での春ももうすぐ。だが、その前には結構な冷えをもたらす厳寒期が立ち塞がっている。大地の気脈や防衛のための要衝をと計算した結果の位置取りとして、四方を山地に囲まれたすり鉢状の盆地の底に置かれた京の都は、夏暑くて冬は寒いというそりゃあ判りやすい気候をしており、何でまたわざわざそんな苛酷な土地にと後の世から見れば怪訝にさえ思われそうな遷都をなされたのではあるが、
「風流だと思えば、いっそ趣きがあって楽しいもんだ。」
「嘘をつけ。寒いのはかなわんからと、いつぞやの雪の日なぞ、昼間っから広間中の蔀
(しとみ)を立て回し、あるだけの火鉢に炭を起こして、締め切った中をいきなり春のように夏のようにかんかんにしちまったのは何処のどいつだか。」
 周囲からも当人からも“侍従”という格にされている割には、主人相手に斟酌のない言いたい放題をする“黒の従者”が、自分こそ寒さにやや弱い身の筈だのに、どこか呆れたようにずばずばと言いつのって。…だが、

  “俺が寄りつかなくなるからって、屋敷や座敷を暖めてやがるのかな?”

 何につけてもひねくれたところのある面倒な奴で、簡単に言えば“臍曲がり”な天の邪鬼。殊更に構えての嫌がらせをすることはさすがに“大人だから”滅多にないものの、他者から褒められ重宝がられ、求めたがられ、有り難がられたがるのが普通の人間の存在意識に大きく関わる原初の根源欲求な筈だろうに、そんなことには全くのお構いなし。まずは攻撃的に構えて自分からは誰とも交わらず、敢然と孤高を保ちたがり。有り難がられて懐かれるよりも、一線引かれて恐れられる格好での一目を置かれたがる変わり者。過激で果敢で、そのくせ、怠惰にも時の流れを手放しで“呆…”と眺めて過ごす日中
(ひなか)もありと、結構付き合いも長くなって来たというのに、まだまだ掴めぬところが多い奴。だから、
“…たかだか下僕・奴隷を相手にそんな気を遣いはしまいか。”
 傲慢な主人へそんな可愛らしいところを思ってみた自分の甘さへこそ、口の端にて苦笑を咬み殺し、
「?」
 怪訝そうな…されど、先程までほど険はない眼差しを向けて来た麗しき青年へ、何でもないよとかぶりを振って見せる葉柱であったのだが。
「………。」
「? どうした?」
 それぞれの傍らに炭をくべた、この時代にはまだ新しい陶鉢の手あぶりを寄せ、底冷えのする宵闇を淡く照らす燈台の下でのいつもの語らいの場。脚の高い燈台に息づく小さな炎の揺らめきは、板張りの床の冷ややかな光沢の先を夜陰に霞ませ、周囲へと立て回された几帳の錦帯の金糸をちかちかと鈍く光らせている。煌々と明るい訳ではないまま…まるでこの世に二人きりなのではないかと思えてしまうほどの、冷え冷えとした静寂に満たされた夜の底にこうやって向き合っていると。話題が尽きれば どうしたって、相手のことをばかり深く思ってしまいもし。
「………。」
 ふと。口を噤んで真顔になってしまった差し向かいの相手の気配を、目尻の切れ上がった精悍な目許を薄く伏せつつ葉柱が透かし見やる。燈台の上、火皿に灯された小さな炎がちろりと震えては、淡い金という珍しい色合いの前髪の影を白い額に揺らして。ビワのような橙がかった明かりの中に浮かび上がるは、白い宝玉から丹念に刻んで磨き出したような、繊細そうな趣きの風貌をした青年だのにね。髪も肌も瞳の色も淡く、なめらかな弓形
(ゆみなり)の線に縁取られた頬も、袷(あわせ)の袖から覗く白い手や手首の細さもそれは優美な、それはそれは玲瓏な姿をした佳麗な存在なのだけれど。まるで一夜の夢幻のような、掴みどころのない儚げな人物だと思っていたらば…とんでもなくて。この痩躯のどこから出るのか、形あるもののように力強い気迫の乗った一喝を放っては、数多(あまた)の邪妖を叩き伏せて来た歴戦の強者(つわもの)でもあり。睥睨した全てを片っ端から焼き尽すような、峻烈な炎群を思わせるほどに冴えた眼差しをした、至って苛烈な男である筈なのに。打って変わってこうまで しんと黙りこくると、何となく…尻の辺りがむずむずして落ち着けない。
“まま、変わり者
(もん)だったのは最初っからだがな。”
 彼ら“人間”からすれば、何事かを仕掛ずとも忌まわしいからと調伏するほどの“異形の者”を相手に、美味い話に乗らないかとわざわざ持ちかけて来た変わり者。決して自身が力不足だったからという訳でなく、当時でも葉柱たちを一蹴出来るだけの咒力は十分備えていたろうに。ただ、
『もっと効果的な運びにしたかっただけのことよ。』
 頭は生きてるうちに使わにゃなと、片や邪妖たちの一団と 片や帝の抱える精鋭禁軍、途轍もない勢を構えて一触即発状態にあった両極双方を口先三寸で手玉に取って、たった一人で立ち回った末に事態を収めたその上に、一族の総領である自分にその生涯での忠誠を誓わせ、帝からは破格の地位を得て“愉快愉快”と笑ったとんでもない奴で。見栄えの端麗さに逆らって、そうまで豪気な男でありながら、

  「………。」

 図に乗ってもいいのだろうかと、これでも邪妖の一門の長である、この自分さえ惑わすようなことをしたりもする、掴めぬ青年。濃色の厚絹に冬柄を織った袙
(あこめ)を寒避けにと肩に掛け、袷と小袖に、足首を緩く絞った型の柔らかな絹だろう大袴。少しほど帯を緩めてしどけなく、ほっそりと嫋やかな姿も妖しいまま、円座の上に片膝立てて座していた彼だったのだが。指先にもてあそんでいた白磁の平たい杯を、高台の膳へと置いた手がそのままするりと。まとう衣の輪郭の上を指先にて辿ってから、胸の上まで ゆるりと這って到達した先。合わせの直線同士が交い合って、絖絹の肌をわずかに覗かせていた小袖の前へと意味深にすべり込む。深く差し込まれた白い甲にて、中から押されて僅かほどくつろげられた懐ろには、思わせ振りな淡い陰が内に向かって滲んでおり、
「来や…。」
 眸を細めてやんわりと。こちらも笑う形に曲げられた唇が、薄く開いて掠れた声を静かに零した。葉柱の深色の眸はまじろぎもしないまま、蛭魔の目許へと据えられている。相手の淡い金茶の虹彩へ、その視線を搦め捕られたままな彼なのは、本来とは真逆の現象…生身の人でしかない術師に邪妖の彼が見入られてしまったからなのか。やがて、
「………。」
 ゆるりと腰を上げ、黒い装束の案外と堅い音を微かに立てつつ、傍らにまで歩みを運べば。彼を誘導しているかのように対手を見上げた術師殿。なめらかな所作にて片膝を落とした葉柱が、その細い顎を大きな骨太の手で掴み取ってもまるで動じず。むしろ…愛でるように愛惜しむように、ますますのこと、その目許を細めて見せ。そんな表情に誘われて、いかにも男臭い葉柱の顔が静かに静かに寄せられる。花のように白い顔容
(かんばせ)へと落ちた陰の中、柔らかくついばまれては、僅かに離れて二度三度、緋色の唇を堪能していた男の…後頭部へと、

  ――― ごっつんと落ちて来た綺麗な拳。

 危ういところでお互いの額と前歯をぶつけかけ、
「…いきなり何をしやがるかな。」
 せっかく膨らみかかっていた艶な風情も一緒くたにぶち壊した乱暴な行為。ちょいと憤然としながら間近になった美形さんへと問えば、向こうもきついお顔のままにて、
「手ぇ抜いてんじゃねぇよ。」
 挑むような眸をして見せる。立て膝に肘の先を引っかけてという、嫋やかというよりは いっそお侠
(きゃん)な姿勢でいた人が、そんなことを言い立てたのへ、
「…へいへい。」
 苦笑混じりに、それでも“了解”の相槌。同じように片膝立ちという格好で向かい合っていたものが、その膝を揃えて床へとつくと、長い腕を伸ばしてするりと。厚絹の袙ごと抱きすくめ、愛しき痩躯をそろりと円座の上へ引き倒す。

  ――― チビさんは来ぬのか?
       ああ。妙なもので進の奴が来させん。
       そうか。

 間近になった眼差しを搦め合い、細い髪を指先でちょいちょいと掻き分け、現れた額に軽く口づける。冗談口を利きながらのそろそろとした施しに焦れてか、向こうからの手が伸びてこちらの狩衣の合わせを引っ掴むまでは、此処をこうしろ どうしろと、蛭魔の側が手綱を取っているのだが。やがて…誰ぞ奔放な女性
(にょしょう)でも引っ張り込んだかと誤解されるほど、それは甘い蜜声で誰かさんがあられもなく唏き始める頃には、そんな形勢もあっさりと逆転してしまい。日頃の傲岸さを剥ぎ取られ、傍若無人に組み伏せられて。闇に浮かぶは真白な肢体。一糸まとわぬ姿の上へ、それは頼もしい筋骨がのしかかるのへ、衒いなく…すがるようにしがみついて。何の実りもなく、正にその場限りの“契り”の儚い熱さに、だが、染み入るような凍夜の寒気をさえ難無く追いやりながら、ふたり、夢の世界へと昇華してゆくばかり…。










 人知を越えたる能力や命の緒脈の太さを誇りながら、なのに…殊勝というか律義というか、結んだ誓約にはとことん柔順な奴であり。こちらの寿命が途切れるまでは、その傍らに添って助けるという約束を、それこそその命を懸けてでもというノリにて守ろうとする、蜥蜴の一門の御大将。とはいえ、今のような…表面上の気安さと裏腹、手篤く奥深い恭順の様を示すようになったのは最近のことで、
“最初の頃は唯々諾々とは言い難い態度でいたもんだよな。”
 向かい合ったこちらへと俯くようになり、無心な表情で眠っている。やわく伏せられた目許の陰りが、何とも言えず…惚れ惚れと男臭くて。いつものように何処ぞから咒にて出したらしい真綿の布団の上、大きな狩衣にくるまれて暖かく掻い込まれた懐ろの中から、事後の余韻に浸りつつ、お気に入りのそんな風貌を飽かず見上げやり。ふと、少しだけ昔のことなぞ思い出していた、若き術師殿だったりするのである。









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