Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編W

    “かりそめのままで いいから…”A
 

 


          




 蛭魔の側からの企みの第一歩。まずはの接触として一番最初に葉柱を訪ねたところの、それは荒れ放題だった古い祠こそは、一門の代々の総領を務めて来た血統の末裔だった彼がその地位とともに引き継いだ塒
(ねぐら)でもあったらしく。当時はそこをこそ主たる居場所、普段の根城にしていた葉柱であったらしい。都大路を騒がせた邪妖がらみの大事件を見事収めたその後は、わざわざそこまで出向かずとも、胸の裡(うち)にて念じれば好きに召喚出来るようになっていた蛭魔ではあったが、

  「…遅い。」
  「悪かったな。」

 取り込み中だったんでなと、尊大に言い捨てて太々しくも睨みつけて来る。呼ばれりゃ来もするが、決して本意からの恭順ではないのだと。せめて態度で示したいというのが見え見えで。ムキになる辺りが餓鬼のようだと、こちらは嘲笑しかけていた蛭魔の表情が、ふと、
「………。」
 不機嫌そうに止まって、苦々しげにそっぽを向く。こっちが“人外”で、しかも…眞の名前を教えたほどの絶対のそれではないとは言え、それなりの誓いを結んだ“奴隷”が相手だからだろうか。分かりやすいほど挑発的な、こちらを見下げるような顔ばかりをし、ある意味で胸の奥へと隠しごとをしない態度を通していた彼が、あからさまに機嫌を損ねたらしいのに、その理由を口にしないのがちょいと意外で。
「どうしたよ。」
「…うるせぇな。」
 段取りが狂っちまったから、それを案じたまでのこと。お前なんぞには理解出来ないだろう小難しい手筈なのだ、黙っておれと。吐き捨てるように言い返し、宵の迫っていた庭先、濡れ縁から薄暗い板張りの広間の奥へと引っ込むと、咒法に使うものなのだろう、巻物を何本かと鹿革の袋を持って来て、投げるように従者へと寄越した。
「…っと、乱暴な奴だな。」
 一応は難無く受け止めたが、何だか八つ当たりのような所作だったことへますます小首を傾げていると、うら若きご主人様はつんと尖った顔容
(かんばせ)をますますのこと険しく尖らせて、
「今宵の相手は、元は女性
(にょしょう)の魂魄なのだ。」
 吐き捨てるような言いようのまま、濡れ縁から機敏な足取りにて降りて来た。葉柱が常時まとっているところの、狩袴を見せる隋身用の型のそれではなく、略礼式服としての指貫に狩衣をまとった姿は、さすがに凛として麗しく。だって言うのに、

  「トカゲのメスも、紅おしろいを塗るのだな。」
  「………っ☆」

 沓
(くつ)をつっかけ、すぐ間近を擦り抜けたその拍子、そんな一言を言い置いた蛭魔であり。やっとのことで察しがついて、自分の腕やら衣やらをついつい鼻先で嗅いでみる。そう、自分が脂粉の香りをまとっていたこと…つまりは彼の言った“取り込み”というのが、術師に呼ばれる寸前まで女と居たことを指していたことへの不機嫌だったらしいのだと、今やっと判った葉柱だったりする。………だが、
“誰と居ようがこっちの勝手だろうがよ。”
 こちとら、陰体とはいえ現世に属す生身の存在。なればこそ、子孫だって残さにゃならんのだと胸の裡にてぶうたれて、
「悪かったな。人間のメスよりはずっと、気立ても器量もいいからの。」
 だから、離れ際に情が残ってもしようがなかろうと、せめてもの意趣返しに強がっての一言を言い返せば、
「………勝手に乳繰り合っていれば良いさ。」
 夜陰の帳
(とばり)がその厚みを増しかけていた宵の中。羽織った装束の輪郭を滲ませて佇む細い背中が、
“………?”
 心なしか小さく見えたのは…果たして葉柱の気のせいだったのだろうか。





            ◇



 ぶっちゃけた言い方をするならば、陽は“個”であり“存在”を指し、それへと対する陰は“混沌”。個々の存在が確立されているのが陽世界であり、殊に生命の灯という生気を保つ“生き物”という存在たちは、それぞれなりの意志というものを確立されてもいる。一寸の虫にも五分の魂。
“…それはちょっと違うかも。”
 根性論への良い回しだって言いたいんでしょう? でもでも、根幹的には同じことだしサvv
“おいおい、強引だぞ。”
(苦笑)
 一方で、滅びにより“虚無”という大きな1つの混沌と戻ろうとすることを悦びとするのが、負世界を支配する絶対の“理
(ことわり)”であり。無念のうちに無くなった者の魂などは、深い怨呪により重くなるので“虚無”に吸われて一体化しやすいという。その塊りへと呑まれることを条件に、べらぼうな大きな力を借り受けて、恨みの対象への復讐を成さんと現世で徘徊している執念の塊りが、葉柱たちのような邪妖とは別口、魂魄型の所謂“邪霊・悪霊”である。燠火(おきび)は真っ赤に燠こされると炎より熱いの伝で、根気よくも執拗なこと この上なく、
「そやつは例えば人に近しい存在だから、気力の弱い者へは影響を与えもする。そうすることによって負世界へ新たな存在や魂を引き摺り込んでくれるから、混沌の親玉“虚無”も急かすことはないままに、思うがまま恨みを晴らしやと亡霊の好き勝手を許しやがるそうでな。」
 厳密な現実とやらはそれこそ本人ではないから伝え聞きでしか知らないがと前置いて、そんな風に語ってくれた彼なりの“現世に於ける陰と陽”論は、陰体本人である葉柱の知り得る以上に詳細にまで迫っていて、
『昔、物好きな年寄りの話相手をしていたのサ。』
 その若さから逆上る“昔”って、一体何年ほど前のことだろうかと。怪訝に思いはしたが、詰まらぬ揚げ足取りをするほどには関心もなく。
“やっぱ、風変わりな奴には違いない。”
 そう思った止まりで詳細までは訊いてない。能力は最強だったが、相性が最悪。そんな二人は、だが、目に余る災いやら、自分たちでなければ何ともし難い騒ぎには、誰に言われるでもないままに、それの収拾にと腰を上げている、結構 働き者でもあって。
『放って置けば“厄介ごと”に膨れ上がってから、何とかせよとのお達しが飛んで来ようからの。』
 命じられて動くのは億劫だし、何より手間の少ないうちに方をつけた方が効率的だしと、可愛げのない言いようをしていた蛭魔だったが、

 《 判りやすい手柄を消化して、あからさまに褒められるのが鬱陶しいんだろな。》

 これは後から判ったこと。善人だと思われるのがけったくそ悪いから、晴れやかに讃えられるのが柄じゃないからと、気まま気まぐれから方をつけといたとして良しとする。やっぱりちょっぴり臍曲がりな、そんな彼らしい仕儀であり、

  「…斎宮ってのを知っているか?」

 随分と場末の河原辺り。細い月が雲間に顔を出したことで、ところどころに波打つ草むらの波頭が青く光っているのが何とか見て取れ、こちらも細い川の流れがかすかにちょろちょろ音を立てているのが聞こえて来る。粗末な橋が架かってはいたが、使われることは滅多にないような晒されようだったし、周囲に人気も人家もない、そりゃあ寂れた砂利だらけの河川敷だったのだが。蛭魔は物慣れた足取りで、胸を張ったままにざかざかと足元の砂利を踏みしめて進み、それから…唐突にそんなことを訊いて来た。
「確か…帝の祖神を祀る巫女のことではなかったか?」
 詳しいところまでは知らないが、天照大神をその祖先とする帝なので、そのご神体は厳重に、且つ、手篤く祀られなければならなくて。仏教が流入する以前は、冗談抜きに朝廷の唯一絶対の信仰であったもの。だもんだから。清らかな身のままに生涯を通して祈りを捧げ続け、傍らにおわす“巫女”が代々選ばれ、出雲に送られた。その巫女姫のことを“斎宮”と呼んだはずで、皇女の中から選ばれたそうだが、

  「次期斎宮候補たちがの、片っ端から大病に伏したり事故に遭ったり、
   原因不明の奇禍に見舞われ倒しておるそうで、
   内宮ではそりゃあ大変な騒ぎになっているのだと。」

 蛭魔は淡々とした口調でそうと言い、河原の一隅に立ち止まると、従者の手元から巻物を1本手に取った。こういった道具や何や、邪妖の身の葉柱には…物によっては本来触れられないものである筈なのだが、
『咒をかけてあっからな。』
 蕩けてしまわずに済んでおるのだ、感謝しろ。偉そうに告げられたのは随分と後日になってからのことで。それまでそういう事実に気が回らなんだ総領殿も、大概お幸せな存在だと思う。…それはともかく、
「調べてみたところ、数代前に権力争いの犠牲になった斎宮候補の皇女がいらしたそうでな。」
 しゅるりと広げて足元へと放り捨て、揃えて伸ばした指先にて何かしらの咒印を切る。素早く冴えた身ごなしはいつものことだが、
「それは見目麗しき皇女だったが、帝からの縁で言えばかなり遠いお血筋で。だから、関係のないものと思っておったのが、急にその代の斎宮がお倒れになったとかでな。いち早く、しかも出来るだけ華やかにして典雅な姫をと誰もが競った。」
 さして縁続きでもないような間柄の当時の大臣に、金で売られるような連れ去られ方をされ、しかも都へ参るその途中、敵方の刺客に暗殺されたというから凄まじいじゃねぇかと、それこそ吐き捨てるように言ってのけた術師殿。弱々しい月光に照らされた白い横顔が、陽の光のような明るい金の髪に縁取られているにもかかわらず、淑やかに打ち沈んで見えたよな気がした葉柱であり、革の袋の中に差し込まれていた笹の枝を砂利の上へと差し込み、咒符を提げた縄を張っての陣を築いて、
「恨んでのことか、それとも道が見えぬからか。現世で迷っておられる魂を、何とか送らねばこの障りは終わらぬ。」
 ただの難儀や面倒と思っているにしては、どこか物寂しい顔をする蛭魔だったものだから。日頃、どっちが人なのかと思うほどに、こういった調伏へ情を見せない彼しか知らなかった葉柱が、意外に思って声を失う。どちらもが言葉少なく作業を続け、負の魔界への扉が開く、深夜の頃合いを待つこととなり。

  「………来た。」

 それは、さわりと揺れた枯れておかれた茅の囁きの陰から飛び出して来た疾風。簡単な御魂棚を作って神酒と封咒を並べた陣へと向かい、姿のない矢のような鋭さにて斬りつけてくる疾風たちが、野良犬さえ見えないほどに生気のなかった河原の夜気を、一気に蹴立てて掻き回す。それへと向けて、
「榊葉宮の皇女様、サクヤ様っ。」
 蛭魔の凛と張られた声が飛ぶ。

  ――― その一瞬。

 躊躇の気配があってのことか、疾風がひたりと緩んだものの。ひゅうるるると風鳴りはその鋭さを増し、しかも今度は一点集中、笹による簡易祈弊によって設営されたる陣へ、次々と飛び込んでゆくではないか。
「…っ。」
 人の子である蛭魔と違い、こちらは邪妖でしかも蜥蜴。そこいらに居たとて自然の気配とやらへ溶け込める身なのでと、少し離れて待機していたが、
“…不味くねぇか?”
 数代前の、しかも純粋無垢な…まだ子供だったろう存在の魂にしては、随分と途轍もなき力を帯びてはいまいかと、惨状から視線を離さぬまま眉を顰める。自慢の咒力にて一応の結界を張ってもおろうが、今回は相手を説き伏せなければならない調伏だけに、意志の疎通も多少は必要であろう。それがためにと、障壁も頑健な密閉型のそれを張ってはおらぬ筈。夜陰に飛び交う見えない矢は、陣の四方に立てられた笹を揺らし、封咒を掠めて削り裂き、徐々に凶暴になってゆくようにさえ見えて、

  「…っ!」

 とうとう笹の一本が倒れ込み、周囲に有り余るほど殺到していた…敵意を満たした妖かしの“気”が、堰を切ったかのようになだれ込む。
「哈っ!」
 素早くも鋭い印を切ったことで、中にいた術師の身はすんでのところで守られたように見えたものの、
“…不味いっ!”
 足元の巻物の端がひらんと撥ねたのを、葉柱が見逃さず、
「蛭魔っ!」
 中空に大きな手のひらをかざしつつ、月光に晒され、骨のような乾いた白に光る砂利を蹴立てて、一気に彼の主人の元へと駆け寄った。だが、
「…なっ!」
 風もないのにめくれ上がった巻物は、彼がこさえた陣の基盤になっていた筈が、その裏側から…白い手を侵入させており、すぐ傍らに立っていた青年術師の細い足首をがっしと掴んで、そのまま引っ張り込もうとするではないか。その先にある世界というと、
“亜空か、悪くすれば負の次界か。”
 次元を隔てる壁は、陽世界にのみ存在し個を隔てている“殻”を通しはしないから。魂魄だけが攫われて、やがてはそこに巣食う…巨大で強欲な“虚無”に意志を食われてしまうのがオチ。
「そんな使いにされてんじゃねぇよっ。」
 自分がどれだけ理不尽なことをされたのかが判っていての妨害だろうか。蛭魔が今回の話を聞いて、真っ先に着目したのはその点だ。根深い恨みがあって、しかもそれを自覚していての、現代の斎宮候補たちへの八つ当たりなのか、それとも。
「何を餌にされたんだ? 母上に逢えるとでも言われたか?」

  ――― 訊いた途端に、

 こちらの足首を掴みしめていた手の力がひどく強まり、引きに負けた蛭魔が、とうとうその場に座り込んでしまったほど。そんな彼の元へと駆けつけた葉柱、頭上に開いてかざしていた手を“ぶんっ”と一気に足元まで振り下ろすと、周囲に垂れ込めていた見えない圧迫感がすうっと薄れた。
「なにを…。」
 怪訝そうな顔で見上げて来た蛭魔へ、
「同族、陰体にのみ効力を発揮する、暗黒の剣だ。」
 手短に説明し、
「陣の結界を解け。そいつはこれで、俺が送ってやるからよ。」
 恐らくきっと、陽界に根深い未練だか執着だかが残っていることから、陰界とこちらとの間を行き来出来る身であり続けているのを良いことに。虚無に力を分け与えられ、こうやって自分に気づいた存在の魂を、手当たり次第に虚無まで引き摺り込むことを覚えつつあるに違いない。
「そんなことを見境なくやってるような手合いには、もう自我は無い。」
 だから説得は不可能。昇華で抹消する他はないぞと、そうと言いたいらしき葉柱へ、

  「………決めるのは俺だ。黙ってな、糞奴隷。」

 真っ直ぐに振り仰いで来た眼差しが、それは強い眼光を放った。巻物の下へ爪先が今にも引っ張り込まれようとしていてのお言葉だったが、手ぇ出したら只じゃおかねぇ…と恫喝しているような、背条も凍るような迫力があったのと、
“…弊を剥がしてくれないと。”
 冗談抜きにこっちから中への手出しは出来ない。あったく、こんな時にどういう意地を張りやがるかなと。ただのトカゲから“敵”と見なされ、こっちへも飛んで来始めた“かまいたち”のような矢の攻撃を、手元に招いた刃で左右に打ち払いつつ、命令通り、口を噤んで見守れば。

  「…吽っ。」

 その綺麗な白い手を宙に振り、薄い口許に咒を幾つも唱えては、夜陰の中へと様々な印を切って。最後の強い封咒を唱えたと同時、倒れ込んだ笹の一角から飛び込み始めていた真空の矢が、月光に煌めく金の髪を舞い上げたその瞬間に…。

  “…蛭魔っ!”

 彼の髪の裾を跳ね上げついでに、細い髪を削り取っていった凶悪な一太刀は、だが。何物をも見逃すまいと睨みつけていた葉柱の視野を、ほんの刹那、周囲の夜陰すべてに滲んで白く濁らせるほどの量があったのだと告げるかのように、靄のようになり、凍りついてから。音もなく大人しく、消えて行ってくれて。
「…何をしたんだ?」
 呆気ない終焉へ、放心に近い声でもって訊いてみれば、
「話しかけただけだ。」
 もとの静寂が戻った中で、術師はいともあっさりと答えて笑う。
「母者も父者もお前様が先んじて待っていると信じておる浄土へと、とうに旅立っておる、傀儡になってる場合ではないぞとな。」
 そうと言い聞かせたらば、あら、いけないと屈託のない声がして。誰も教えてくれなんだ、急ぎますので、ではと消えたと、どこまでを信じて良いのやらな、芝居がかった言いようをしてくれて。
「…傀儡?」
 気になった一言をあらためて聞き返す。もう動かない巻物を拾い上げ、簡単に砂や埃を払ってくるくると巻き上げつつ、
「ああ。虚無の側の者。負世界の誰ぞにな、良いように使われておったのだよ。」
 自我さえ さして発達していないほどの年頃に、恐らくは即死という殺され方をしたから。彼女は自分が“どういう状態”にあるのかが判ってはいなかった。そんな無垢なところに付け込んで、陽世界への橋渡し、生気に満ちた“個”を引き摺り込んだり、手先を負界からこちらへ送り込んだり。そういったことの“媒体”に使われておったのだ。忌ま忌ましいという、彼には珍しくもくっきりとした感情を滲ませた顔になっている蛭魔であり。元は問いえば、大人同士の私欲にまみれた醜い争いに巻き込まれて潰えた、稚
(いとけな)くも真っ新(さら)だった命が、彼にも辛く口惜しいほど無念なのだろうか。
「魂という身になってからは尚のこと、自分が何をしていたんだか、全く判っておらんかったのだろうよの。」
 口調だけは淡々としていたが、余程のこと、臓腑
(はらわた)が煮えるほどに腹立たしいのだろう。日頃よりも口数が多い。それでも…手際よく後片付けをと手元をてきぱき動かしていた術師だったものだから。襲い来た“それ”に気づくのが一瞬遅れた。葉柱の足元へ、いつの間にやら転がっていた小さな匂玉(まがだま)。おたまじゃくしのような独特の形をし、その頭の部分へ紐を通す穴を穿たれた緑色の宝珠は、つややかな表面を月光の濡れた光で舐められて…自らも強い光を外へと放ち始めた。そんな…不穏な気配へ、はっとした蛭魔が正確に視線を向けたその時にはもう遅く、


   ――― 人間ごときに従う、式神になど成り下がりおってっ!


 辺り一帯のあらゆるものを、陰さえ呑んで…目映い閃光が一瞬にして覆ったのだった。






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