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学生さんたちの長い長いバカンス“夏休み”が終わって九月に入ると、さすがに夏はいよいよ過ぎゆきて、秋の到来という感も強くなる。たとえ真夏日や熱帯夜が依然として続こうと、そろそろ朝晩は上着が要りようになるし、ちょっと動けば汗が滲んでも、化粧品もファッションにもブラウン系の気配が滲み始め、汗をかく“熱もの”はげんなりだけれど、そうめんや冷やし中華はちょっとなぁという感覚になる。テレビのニュースでも来年の年賀状の発売日や図案の話がもう出ているし、ファッション業界では来春の注目カラーが決定される頃。そして………。
「………はいっ、オッケーで〜す。」
レフ板が ぺかりと光って、足元の砂浜を四角い白い光が撫でてゆく。降りそそぐ陽射しはどこか透明度を増していて、あんまり真夏っぽくはないのだけれど。海の色合いにも藍の深みが心なしか増していて、あんまり真夏っぽくはないのだけれど。
「…しょうがないの。」
まったくもう、行き当たりばったりなんだからなと。砂浜に広げられたデッキチェアにて、大仰に腕を組み、大胡座をかいて。むむうと膨れている小さな坊やの金の髪をちょちょいと撫でてやり、桜庭がくすくすと苦笑って見せる。霧吹きで首条にまといつけた汗だか海水だかの代わりの“滴(しずく)”をスポーツタオルで拭っている彼であり、パーカーの下の半裸にまとった水着もからからに乾いたまんま。気温は高いし、案外と泳いでも支障はないのかもしれないが、そんなことをしてこんな時期に陽灼けしちゃうと他の仕事に障りが出るので、文字通り“格好だけ”の真夏のスナップ撮影中の彼らであり、
「急な話には違いないけど、お客さんには良心的じゃない。」
「どうだかな。」
だったら最初っからまともに夏の間に撮影してりゃあいいんじゃんかと、一丁前なことを言い。玩具みたいな小さくて細身のサングラスをかけたままにて、ぶうぶうと膨れている妖一くんで。こちらさんもパイル地のパーカーの下には…金髪の坊やだからか星条旗をアレンジしたボクサーパンツ型の海水パンツ姿。
「大体サ。桜庭のファンなら、写真がダブってもサイズが違うんだからって、同じブツのでも買ってくれんじゃねぇのか?」
季節外れな格好が彼なりに恥ずかしいのか、やけに文句を垂れまくってる、蛭魔さんチの妖一坊や。今日はジャリプロ・アイドルの桜庭春人お兄さんと一緒に、来年度版のカレンダー用の写真を撮影しにと湘南界隈の渚まで来ております。もう来年のカレンダーです、はい。夏が済んだばかり、今年のカレンダーだってやっと折り返したばかりに等しいのに。七月八月の頁がお気に入りキャラだったりした日には、めくれないままに残り半年過ごそうかという勢いになっているのにおいおい、もう来年の話です。でも、印刷や宣伝という日程を考えたら、今頃写真撮ってるなんて遅いくらいかもです。坊やが言うように、写真集を出したんなら ついでに撮っておくべきです。
“…いや、撮ってはいたんですがね。”
本来、表紙を入れて2カ月ずつの7頁という予定だったものが、毎月めくりの13頁へ変更となった。それというのも、夏に出した例の写真集がバカ売れし、増刷につぐ増刷となったからだというのが穿ってる。初版分が半分もはければオンの字かな…なんて見込みでいて、来年度版のカレンダーもそこから抜粋して適当に でっちあげちゃう予定でいたものが…こうまで売れたなんて予想外。となると、カレンダーの方も同じ素材ばかりでは、写真集を買った人の食指には訴えまいからということで頁が増え、増えた分だけ新しい設定下での写真が必要になった…ということならしく。そしてそして、桜庭春人の写真や映像といえばの小道具…もとえ、共演者として、妖一坊やも急遽 現場へと呼ばれたらしい。夏のドラマを春の内に撮るとかいうなら判る。昔は“今は冬場だけれど舞台は春だ”という場合、息が白くならないように氷を直前まで口に入れ、息を冷やして撮影したそうで。そういった“先撮り”ものならともかくも、まだ間に合うかもと慌てて直前の季節のものを撮ってるだなんて。
“だせ〜〜〜。”
昨夜はお母様自慢のホクホク美味しい栗ご飯を食べた。明日はバイク乗りのお兄さんたちと一緒に梨もぎに行く予定だった。なのに…なんでまた、プラスチックのサングラスかけてポップい水着着て、ネズミーランドのキャラの頭がついた大きな浮輪を抱えて。秋の海辺で…可笑しくもないのに笑いながら駆け回らなきゃなんねぇんだと、すっかり不貞腐れておいでのご様子。勿論、お仕事はきちんとこなした。天使のようなふんわりした笑顔で、カナリアみたいに軽やかな歓声を上げ、優しげなお兄さんに あどけなくもまとわりついては、楽しそうに遊んで見せた。波打ち際にもちょこっとだけ入ったし、お砂でお山も作って見せた。良い子でいたからそのご褒美にと、スタッフの皆様からホテイチや有名デリカのテイクアウトをお昼ご飯にといただき、(桜庭くんが甘いものは嫌いらしいと仄めかしておいたので、スィーツは取り下げられたとか。)見学に来ていたお姉さんたちからも“可愛〜いっvv”という黄色いお声を山ほど掛けていただいた。
“そっちは全然嬉しかねぇんだがな。”
ははは…。シビアな坊ちゃんだ、相変わらず。
「午後も長くかかるのかな。」
「いや…もう結構撮ったから、そろそろ上がりじゃないのかな。」
一応の予定表、イメージなどをまとめたコンテなどを渡されており、それに掲げられてあったお遊びは全部やり尽くしたのだが、出版元のプロデューサーさんと演出構成担当の監督さん、カメラマンさんという首脳陣が昼食をとりながら何事か楽しげに話しているので、もしかしたら…興に乗って予定外のカットも撮るのかも。
“…そろそろ歩合いのパーセンテージを上げてもらおっかな。”
それか、今度からは断ろうか。まだ14歳に満たない小学生なんだから、本当を言えば働くのはご法度なのだ。お家の事情がある場合とかタレント業は別枠らしいが、それでも自分がイヤだと愚図れば…なんていう恐ろしいことを企んでいたりする。無論、それだけで全てが丸く収まるはずはなく、保証人になっているだろう誰か大人が大変なんだろうけれど、それって自分のお母さんではないからね。だからどーでもいいやと、無責任というよりも むしろ“強い意志から”そんな決意を固め始めていたそこへ、
「やあ、お待たせ。もうお昼は食べたかな?」
保育士さん気取りの監督さんが被写体の二人へと寄って来て、可愛げのない愛想笑いを振り撒いた。腹の底では“ケッ☆”と思いつつも、
「は〜い、美味しかったで〜す♪」
天使の笑顔で にこにこと笑ってお返事すると、ますますのこと相手の笑顔の濃さも上がって、
「それは良かった。じゃあ、すまないけれど、あと1シーンほどお付き合いお願いしますね?」
――― げぇ〜〜〜。
こらこら。腹の中でなんて声を出してるかな、この二重人格さんは。(苦笑) まあ、思いつきの1シーンだけなら付き合ってやるかと、デッキチェアから立ち上がり、はいvvと伸ばされた春人お兄さんの手に掴まる。夏に出した写真集の中の夏向きシーンでは、シーサイドホテルのプールサイドで撮った写真ばかりを使ったので、此処でうんとこさ“渚”の撮りだめをしたいのらしく、
「じゃあ、まずは桜庭くん。そこの流木に凭れて転寝してくれる?」
指定されたのは、海岸を眺めるのに打ってつけなポジションの砂浜へ横たわる、ど太い丸太。………いくら何でも、ログハウスの大黒柱に使えそうなほどご立派な丸太が、湘南の浜にまで流れ着きっこなく。言うまでもなく、これは大道具としてスタッフが持ち込んだダミーである。ついでに言えば、漂流物で散らかり倒していた浜を、これもスタッフ総出でカメラアングルの中だけでもと大掃除をした、その結果という涙ぐましい背景つきの、綺麗な綺麗な渚の画面であるのだが。
「そう。そこへ妖一くんが通りかかって。そぉっと近づいてって…うんうん、いいねぇ、可愛いよvv」
特に芝居がかってもいない動作でちょこまかと駆けて来て、足を停め、桜庭がいる方へと方向転換。時折カメラのシャッターが下ろされていて、出来が良ければこのリハだけで終われるかもと、一応は真面目に取り組んでいた坊やだったのだが。
「はい。そこで、こそりと近づいて。桜庭くんの頬っぺにキスしてごらん?」
「……………あ?」
一瞬。何を言われたのかが理解出来なかった。動きと気持ちとが凍ったこちらの気配に気づいてか、少しばかり俯いて眸を伏せていた桜庭が そおと顔を上げ、こちらを見やったが。
“…ありゃりゃ。”
“だるまさんが転んだ”で完勝出来そうなほど、表情からして見事にフリーズしている坊やに苦笑し、綺麗な手を伸ばしてくると静かに頬を撫でてくれる。
「…あ。」
魔法が解けた小さな坊やを、手際よく自分のお隣りへと座らせて、
「こんな小さい子には無理ですよ。」
いくら芸達者だとはいえ、そして欧米人ぽい容姿をしているからといって、日頃やりつけていないことは やはり無理だろうと口を挟んだ。
「え〜?」
そうは言っても今時の子供だし…と続けたそうな顔になる監督さんへ、
「だからこそ、微妙なお年頃ですから。却って意識しちゃって恥ずかしいんですって。」
穏やかな口調で言い足して、
「これって僕の写真集なんですし、こっちからのキスで良いでしょ?」
くすすと笑う桜庭くん。いや、だからこそ桜庭くんがビックリっていうサプライズな構図にしたかったのにとぼそぼそと食い下がられて、
「「……………。」」
いい加減にしとけよな、こんのスケベ野郎がと。ムカッと思ったのは…妖一坊やだけではなかったらしく、
「こういうことを無理強いするのって、
セクハラとか…下手打つと“幼児虐待”に成りかねないんですよねぇ。」
「う…。」
冗談めかした言いようへ持ち出して良いことではなかったけれど。これ以上は聞く耳持ちませんよという徹底的なクギを刺してやった桜庭は、水着から着替えていた木綿のパンツについた砂を払いながら立ち上がると、今にも牙を剥き出して暴れ出しそうになっていた坊やをひょいと小脇に抱え、その場から一旦離れることとした。
「離せよ、桜庭。」
「ダ〜メ。そんな顔して、さては…人の目盗んでカメラや機材に悪戯する気だったろ。」
「………。」
「そんなことしたって撮影が長引くだけだよ? クールダウンしな。」
「…うん。」
判ったと頷いて顔を上げると。優しげな見かけによらない、結構力持ちなアイドルさんは、坊やをひょいと腕の中へ抱え直してくれて。それからそのまま、秋の昼下がりの光を吸い込み、ますます透明感を増している、坊やの金茶の瞳を覗き込む。
“綺麗なもんだよなぁ…。”
生意気な態度で大人びた口を利いたり、大人を小馬鹿にしたような顔をして見せたり。他にもいろいろ、愛らしい見かけを大きく裏切る中身をしている坊やだが、その本質は至ってピュアなのだと象徴しているのが、この宝石みたいな双眸で。自分に正直で、人に凭れるのが嫌い。この年齢で既に、矜持とか自負とか知っていて。そのくせ…世間や大人の社会というものは、正道だけでは回せない、妥協という潤滑油が必要なのだということも知っていて。偉そうにしてる割に大人だってダメじゃんと、この瞳で見通した上で小馬鹿にしている彼なのかも?
「桜庭?」
「あ、ごめん。」
ついつい見とれていたことを誤魔化すように くすすと笑い、
「あと ちょっとだからね? 頑張ろ?」
「おうっ。」
小さな坊やと綺麗なお兄さん。売りもののお顔と演技を存分に発揮しようねと、仲睦まじくも…商魂逞しく、エールの交換をし合ったのだった。………芸能人も大変だぁ。(苦笑)
*相変わらずな人たちなようですvv
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