Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 6

    “ドタバタ肉球大作戦vv”C
 

 

          




 この大きな店舗は1階のフロアのみが全面を使っている“吹き抜け構造”であり、2階以上の各階層からは、テラスのように張り出した回廊からその“総合フロア”を見下ろせるような作りになっている。回廊の何カ所かには、エスカレーターや踊り場つきの小じゃれたステップがついており、上下への移動には、外の壁に接していて全面ガラス張り素通し状態になっているエレベーターを使うか、これらを駆け降り駆け上がるということになるのだが、
「そうは簡単に諦めねぇな。」
「だね。」
 相手の陰や気配を避けるように、だがだがあまり孤立しない範囲にて。ボンバーマンよろしく
(こらこら) 商品が陳列された通路を盲滅法に逃げ回ってみたが、相手も執拗で粘り強くついてくる。…ということは、

  ――― これって、そうまで重要なものだってこと?

 たかが小さなメモリーチップなのにね。
“まあ…関心がない人には全くのガラクタでも、マニアには生唾ものってケースもあるからなあ。”
 しかも、メモやカセットテープなんかではなく、こんな“基盤”なんてものに記憶させた代物なのだから、ある程度のレベルの知的財産には違いなかろう。
「電話も通じなくなったしな。」
 さっきあのアニメショップに掛けていたのを見られて警戒されたのだろう。ジャマーでも流されたか、圏外表示が出て通じなくなっている。そして、そんなことが手配できるなんて…やはり尋常ではないこと。それはそのまま、相手の手腕や手際のレベルと、
「個人的にも警察へも、応援を呼べなくなったってことか。」
 そうなったという現状を指し示しており。これをその筋の専門用語で“孤立無援”という。
(おいおい) 店員に助けを求めるか? 怪しい人が付け回してますってか? 俺らと、一応はスーツ姿のおっさんたちと、どっちが怪しいよ。…う〜ん。そんなこんなと相談しもって、それでも何とか2階まで降りて来た二人。
「とりあえず、このまま1階まで降りんぞ。」
 そこに総合エントランスがあるから、そのまま人込みに紛れて出て行こうとそう決めて降りて来た。何食わぬ顔で外へ出ようというのが二人の一致した方針だったからだが、坊やが不意に首を横に振る。
「ダメだ。」
 小さな手が指差した先、その1階のフロアに、一気に客数が増えたからで。
「え?」
 この時間にという何か催し物でもあるのだろうか。どちらかと言えば閑散としていたものが、連れ立っての若い客たちがぞろぞろと入ってくるではないか。
「何か新製品でも発売になるのかね。」
「それか…新曲のCDを今日発売する歌手が、奥のミニステージでお披露目サイン会でもやるとか。」
 そういうお軽いメジャーなことは生憎とチェックしてなかったな〜と しょっぱそうな顔をする、妙なところで気の合う二人であり、
「他の客を巻き込みたかねぇか。」
「そんなじゃねぇよ。人波が邪魔だっての。」
 こんな限られた中での鬼ごっこなんてのは、頭数が多い向こうに有利なばっかだからな。あっと言う間に外の人込みに紛れちまうのが最善だ。こちらは喧嘩慣れした葉柱と同様な、的確な判断の下、そう思って降りて来たのに、
「これじゃあ足止めされてる間に あっさり捕まっちまう。」
 深い吐息をついて見せた坊やは、
“桜庭が外へキャンペーンに来てるって騒いでも良いんだが。”
 館内放送用のマイクがある従業員詰め所やバックヤード付近とか、せめてさっきまで居たオーディオの階ならともかくも、こんな中途半端な場所からでは手の打ちようも限られており、
「しょうがねぇ、戻ることになるが3階の連絡橋のトコに出る出口に行こう。」
 せっかく降りて来たけれど、これではそっちの方が近道だ。しゃあないかと振り返り、中折れの階段を再び登ろうとした彼らの視野へ、

  「…っ!」

 忌ま忌ましい人影が音もなく現れて。しかも…真っ向から二人掛かりで突っ込んで来られた。そのまま…みぞおちをキツく突かれ、足を払われたらしく、

  「ルイっ!」

 結構足腰は鍛えている筈な葉柱が、あっと言う間にすぐ下の踊り場まで吹っ飛ぶほど勢いよく蹴落とされている。手の中にいた筈の坊やの重みはとうにない。
「なっ!」
 手際があまりに良すぎてゾッとした。先に攻守双方が一緒になって前以ての打ち合わせをしての段取りだったかのような見事さであり、しかも…突っ込んだ面々の側は、勢いがあったにもかかわらず体は其の段で止めており、軽快に踵を返すと、坊やを抱えた別口の男と共に上の階へとそのまま戻って行く。階を上がるほど専門のフロアになるがため、人の目がないからだろう。それともそのまま、連絡橋経由で出て行くつもりか。
「ちっ!」
 勿論、のんびりと呆気に取られてなんかいられない。カッと来つつも素早く立ち上がった葉柱だったが、

  「…っ!」

 子供抱きという恰好で抱えられたことでこっちを向いていて、それで視線が合った坊やが…何故だか小さく首を横に振り、視線を懸命にどこかへと向けて見せている。その方向を見やった葉柱がぎょっとして、

  “…それって、おいおい。”

 飲み込めはしたらしいが…それにしては。妙に渋い顔になったのだった。






            ◇



 おしゃれな空間造形というものを生かした作りになった館内は、階ごとに扱う商品のコンセプトが違うせいもあってか、さしてごてごてとした装飾はなされていないが。窓のない壁一面をすっかりと覆って。天井間近から1階の床まで、明るい青の1枚布が、大きなカーテン…というよりも緞帳や映画館の袖幕のような規模のそれとして下げられている。内装というかディスプレイの一部なのだろうが、こんなにも大きな布自体の重みにも負けないだけの、かなりの強度があると思われて。
「………。」
 それをじっと見やっていた坊や、自分を抱えた男が自分たちがそういう経路で姿をくらまそうと画策していた連絡橋へのルートを、無言のままに辿り掛かったそのタイミングへ合わせて…いきなり行動を起こしている。
「っ! 痛っ!」
 衛生的なことを思うとあんまり気は進まなかったが。抱えられてた武骨な手へ、カプッと思いっ切り咬みついてやり。うわっと驚いて拘束がわずかに緩んだ隙を衝き、思い切りもがいて足元へ飛び降りると、階段の方へダッシュで逆戻り。ずっと葉柱が抱えていたような小さな子供がそんな大胆な“抵抗”をするとは思わなかったか、例の“猫グッズ”装備はどれも奪われてはおらず。耳は黒いが金の毛並みをした“仔猫コスプレ”が駆けてく姿は、その愛らしさから人目を引いた。そんな中を追って来た連中から、
「待てっ!」
 とっさに伸ばした手で“お尻尾”を掴まれたが、そのくらいの予測はあって。駆け出したと同時にベルトフックを外しておいたので。先を掴んで引いた途端に素直に取れた尻尾ごと、
「わわっ!」
 男が一人、思わぬ手ごたえの空振りにつんのめり、そのままバランスを崩して どうっと前方の床へすっ転び、巻き添えを食って倒れた奴もいる模様。
「何してんだっ。」
 これは当然の運びだろう、他の仲間がそれを見ていたらしく。舌打ち混じりに駆け出した坊やを別な方向から追って来たのが数人いたが、今は確かめるために振り向く手間さえ惜しいとばかり、ただただフロアを階段まで駆けて駆けて。そのまま…テラスのようになった縁に置かれてあった観葉植物の鉢に足をかけ、手摺りを乗っけた胸高な壁の縁へと素早くよじ登ると、

  「…やっ!」

 掛け声一喝、そこから一気に、吹き抜けとなっている空間へとダイビングしたもんだから。たまたま間近で見かけてしまった女性がキャッと悲鳴を上げたが、それへも構ってなんかいられない。走りながら爪からカバーを外しておいた猫手ぶくろは、実は…その爪にカッター並みに切れ味のいい刃がついた代物なので。半ば落下しつつも辿り着けた先の、大きな大きな青い布を両手で“がっし”と鷲掴みにすると、掴みしめた布がそこからざくりと裂け、坊やの重みで縦方向へどんどんと裂けてゆく。
“やたっ!”
 ドレープができることや織り目から、縦に裂けることを見越してはいたものの、一か八かに近い賭け。それがまんまと当たってホッとしつつも、まだ緊張は解かないで。飛びついた勢いや重みで少しだけだが撓
(たわ)んだ分、バランスを取って掴まっていれば、布から身が離れて放り出される恐れはないから、これは丁度 一種の避難脱出用スライダーシュートのようなもの。ばりばりばりばり…とストッキングの伝染(この字でいいのかな?)よろしく、布を引き裂きながら結構なスピードに乗って、最下層フロアまで一気に降りて来た坊やへ、
「こっちだっ。」
 駆け寄ってくる声の気配が届いて。小さな肩越しに振り向けば、
「ルイっ。」
 先程、背広男らに蹴落とされた葉柱が、ちゃんと視線の動きでの示唆を把握してくれていたのだろう。きっちりと着地地点まで駆けつけてくれていた。とんでもない方法で降りて来た坊やを懐ろへ受け止め、
「なんて無茶しやがるっ。」
「いいからっ! 早くこれ外してよっ!」
 布に深々と食い込んだ爪は、坊やを守ってくれたと同時、なかなか簡単には外れそうもなく。だが、
「諦めな。」
 葉柱は手首を掴んで手ぶくろの中から手だけを抜こうとする。
「どうせ例のチップとやらは取り出してあんだろ?」
「それは…そうだけどさ。」
 だったら構わないだろうよと、葉柱はあっさり言うけれど。あまりに諦めがいいと、
“却って相手にそれを感づかせることになるのにな。”
 さっきはお尻尾も切り捨てた。渡すのをいやがっていたものが、やっぱり命には代えられないからと放り出しているのかも…とも、解釈は出来ることなれど。相手が真に何を狙っているのかにこっちが気づいていて、そのものをブツから既に外しているということへまで、あっさり深読みさせかねないから。
“そうなったら、それこそストレートに俺らそのものを攫ってくって方向に転換されかねないぞ。”
 こんな玩具ではなく、もっと物騒なものを欲しがっている輩たちだという仔細まで、こっちはとうに気づいているんだぞと教えることにもなる訳だから。ちょっとした産業上の機密事項程度ならともかくも、もしかして…軍事関係の機密だったら? アメリカじゃあるまいしと侮るなかれ、日本の場合、そこいらの小さな下町の工場でこそ、NASAから依頼があったような特殊機器やら先進の工具やらを開発製作している場合があるというから、技術立国の恐ろしさ。(
こらこら)軍事機密でないなら、そういう先進最新の技術やアイデアを記録させたプログラムかも。そしてそれを狙うような奴らともなれば…チンピラどころじゃない、玄人の中の玄人だってことになるし、もしかして…依頼だけ受けたアジア系シンジケートの、手管が極めて乱暴な連中かもしれないではないか。

  “だったら手段は選ばねぇぞ、きっと。”

 余計なことまで知ったからにはと断じられ、葉柱が都議の息子でも関係なく、二人揃って掻っ攫われて…何をされても誤魔化せるような海外の僻地にまで連れ出されてしまうかも。
「行くぜっ。」
 ぼんやりしていた間にも、坊やの手を手ぶくろから引き抜いてた葉柱であり、そのまま胸元へ抱え、人の流れに逆らいながら外へのコースを一直線する模様。さっき坊やを捕まえたことで、相手は3階のフロアに集中していたようだから、このフロアにはもういなかろう。それに自分たち自身の(というか、坊やが大胆にも)繰り広げた、派手で不審な行動を見とがめた目撃者も多々あって、人々の衆目を徒に集めてもいるようだから、

  “…しょうがないな。”

 今は脱出優先と、坊やの側からも葉柱の首っ玉にしがみつく。この土壇場で幼児誘拐と勘違いされては困るし、ぐちゃぐちゃと面倒なことを考え込むより、大好きな温みに頬をぎゅううと埋めていたかったから。ちょいと危ない手ぶくろは脱いだから、遠慮なくしっかと掴まれる。頼もしい懐ろはちょっぴり堅い肉づきだけれど、絶対に守るからと言わんばかり、抱いてくれてる腕がきゅうと窄
(すぼ)まって…胸がきゅんとする。自分の身は自分で守れること。それでこそ“子供じゃない”という啖呵を切れる基本であり、守りたいものへ“守りたい”という気持ちを持っていい最低条件だと、行方不明中の父から教わった。だから、少々頑なに、でも、坊やなりに頑張って来たのにね。それを解いてしまったほどに、この人はなんて優しくて、なんてお馬鹿…もとえ純朴で、そしてそして、なんて温かいんだろうか。不器用なのに坊やのこと、くるって易々と丸め込んでしまえる人。我儘ぶりに辟易もしたろうに、生意気さにムカっとしてもいるだろに、辛抱強く傍らに居てくれる。偉そうにも対等な口利きをする坊やへ、そのままの…自分なりの“子供”でいて良いんだよと接してくれて。坊やの側からも“仕方がないか”と擦り寄って、そのまま“肩の力を抜いて甘えていいんだ”と自分を許せる人になってたルイ。確かに…こういう修羅場には場慣れしている彼だから、任せ切っても良いのかな。大好きな匂いにくるまれて、そんなこんなと思ってたんだけど、


  ――― ところが。


 葉柱の足が不意に停まった。簡単に突っ切れない人の波が向かう先に現れたのかなと、顔を上げて小さな肩越しに進行方向へと目をやると…。
「…そこまでだよ、お二人さん。」
 ほんの数m。葉柱の反射が鋭かったからこそ、これほどの距離を保って相手に気がついたその間合いを挟んで。これもやはり地味なスーツ姿の男が正面に立っている。しかも、どんどんと…まるで古い聖書の映画の中に出て来た、海を割った場面みたいに。間にいた買い物客たちが見事なくらい次々といなくなるのは、

  「何なに?」
  「…で、あれっ!」
  「え? ピストル?」

 ざわざわとした囁きが緊急避難を促すための悲鳴へ塗り変わるのへ要した時間は結構あったが、それからの動きの速さと力強さはたいしたもの。そのままパニックが起こって、逃げ惑う人たちが将棋倒しだ何だという騒ぎになりはしないかと感じたほどに、先を争うように逃げ出した人達がいなくなって素通しになった間合いの向こう、鈍く光ったアイテムがその手に見て取れて。

  “…拳銃?”

 世界一安全な国とされ、銃刀剣を所持するのは許可が要る日本だが、何にだって違法な行為者は哀しいかな付きものであり、
「これ以上、手ぇ焼かせんじゃねぇ。」
 その銃口は、間違いなくこちらを向いている。悲鳴や喚声を上げて逃げ惑う人たちや、これだけの人数の足並みが一気に動いた異様さへ、警備員たちも駆けつけかけているのだろう、監視カメラで状況を把握した関係者は警察に連絡もしたのだろうが、この瞬間に此処へ駆けつけてくれなければ意味はなく。

  「もう渡せなんて悠長なことは言わない。お前らごと一緒に来な。」

 ああやはりそう来たかと、坊やが大きく息を引く。

  “くそっ!”

 やはりこんなちっぽけな基盤なんか、さっさと渡せば良かったのかな。俺はともかく、ルイは高見センセーへの義理とか無いんだし。ルイに何かあったら………。
“………。”
 懐ろからこそりと見上げた葉柱の横顔。緊迫に堅く引き締まっている、今まで見たことのないほど強ばった表情だったが、怖じけて竦んで動かないという種のそれではなく…威圧では負けないと静かな怒りをたたえている、それはそれは頼もしい、力強い表情なんだと判る。伊達に場数を踏んではいない彼であるし、多くの人間を束ねているが故の、覚悟というのか技量というのか、人の分厚さが同世代の連中とは断然違う。
“…ルイ。”
 そんな人物を。本人には何の縁も非もないこんなことへ、他でもない自分が巻き込んだのだという、その事実が胸に痛い。今だって、非力な自分の楯になってくれている。いくら気の強い坊やだといったって…ホントならもっともっと怖い事態なんだろうに、こんな風に悠長な分析なんか出来るのも、ルイが懐ろに守ってくれているという安心感があるからだ。そして、だからこそ、

  “…どうしよう。”

 窮地に立ったことを自覚し、そして。八方塞がりだという絶望に程近い感覚を、生まれて初めて感じた坊やでもある。これまでだって子供らしからぬ無茶苦茶はしょっちゅうやらかしていて、それでも何とか切り抜けて来られた。こうまでの…銃を凶器として手に出来るよな存在が相手という窮地なんてものは、さすがにそうそう体験するものではないからというのもあったけれど。
“ルイが怪我しちゃうよう…。”
 自分の身への脅威ではなく、誰かの身を案じることでこんな気持ちに襲われたことはない。無鉄砲が過ぎれば母が心配するという図式さえ、コトが収まった後から思い出すことだったのに。今の今、この人の身が猛烈に心配で、思考が凍ってしまっている坊やであり、そうだったから…。

  「…っ。」

 不意に。その葉柱の大きな手のひらが、横向きに自分の目許へと張りついて来たから、
「ルイっ?」
 何でだろう。大好きな手なのに、訳もなく“嫌だ”と思った。落ち着かせようと撫でてくれるのではなく、視界を塞ぐためにしたことだと判ったからで、そのままぐるりと上体をくるまれたのへも、何でだか…警戒の気持ちが強く沸いた。
「ルイっ。やだっ、離せよっ!」
 外させようとして暴れかかったのと、すうっと勢いよく身が沈んだ時に反作用として感じる“浮遊感”がしたのとがほぼ同時。上背がある葉柱がいきなり姿勢を低くしたのは判ったが、こんな急場にそんな大胆な動作を見せたら………。

  ――― …っ?!!

 パンッと。間近に乾いた炸裂音。映画やドラマで出てくる“ガウンっ”なんていう大きな音は、よほど口径が大きな銃が出す音だそうで。護身用などの22口径なら、こういう…タイヤのパンクを思わせる軽快な音止まりなのだとか。何もどこにも襲い掛かっては来なかったのに。頼もしい腕の中、梱包されているかのごとく、きっちりと守られていたのにね。無性に怖くて…飛び出したかった。何も見えないのが怖くて怖くて。頭の上で短い声が一瞬聞こえたせいもあった。当たったの? ねぇ、怪我したの? 何も判らないのが途轍もなく怖い。そんな坊やの耳に次に届いたのは、
「…っ、がっ!」
 何だか、動物の威嚇の声みたいな音。そして…ぶんと振り回された遠心力を、体に感じたような気も。一体何が起こっているやら、間近に居すぎて見えなくて判らないままな妖一坊やが、
「ルイっ!」
 不安を目一杯込めた声を放ったところが、
「…ああ、すまん。」
 落ち着いた声が返ってきて。やっとのこと、手を離してもらい、視界を取り戻したそこには。フロアの床に片膝つくようにして腰を落としていた葉柱と、顎を押さえて うんうん唸りながら床に引っ繰り返っている背広の男の姿。銃を持っていた利き手を押さえていて、その銃は少し遠いところへ転がっている。遠巻きにして何となく居残っていた赤の他人のやじ馬たちが…だが、そこだけ誰も近寄らぬ空間となっており、不慣れな銃器だったから触れただけでも危ないと思われたのかも? あ、でも…。

  「…何したんだ?」

 銃声は確かにした。だから、蓮っ葉な若者でさえ“本物のそれ”に触れられずにいるのかも。何も見えなかった不安が少しずつ解け始めてはいるけれど、でも。何も判らないのはやはり居心地が悪い。無事で良かったねじゃないだろうと むうとむくれた坊やに苦笑した葉柱だったが、そんなところへ周囲からの悲鳴が上がる。
「危ないっ。」
「逃げてっ!」
 一連の活劇を目撃したのだろう人たちが、二人へと向けてそんな声をかけて来て、はっとした彼らが肩越しに見やった先では。床に伸びていた筈の男が、往生際悪くもしゃにむに立ち上がって…問題の銃へと飛びついていた。周囲にいた人々が災禍を恐れて、再びなだれを打って逃げ惑ったのは勿論だったが、随分と近くに聞こえるパトカーのサイレンに破れかぶれになったのか、当の本人は脱出経路を作ろうとは考えなかったようで。その銃口は、出口へ殺到する人々の流れへではなく、忌ま忌ましい素人の二人へと向けられた…のだったが。

  「おぉっと、もうタイムリミットですよ〜。」
  「あがっ!!」

 バチィっという音が騒然としていた辺りに響き渡ったくらいだから、一体どのくらいの高電圧だったやら。スタンガンを片手に、猛牛を仕留めるマタドールさながら、往生際の悪い首領を今度こそそう簡単には起き上がれないようにと伸してしまった男性がいる。

  “この人込みをどうやって掻き分けて近づいたんだろ。”

 折り目正しそうな外見なれど、得体の知れないところは暴漢たちと引けを取ってないかもと、葉柱が胡散臭そうな顔になって目許を眇めてしまったものの、
「高見センセーだっ!」
「…へえ〜。」
 坊やが指さしたので…何となく。ああ成程〜と、一瞬で納得が行きもした。この坊やが…担任でもないのに一応は敬語で呼んでる唯一の大人。だったら癖があって当たり前だろうからで。
(こらこら) あまりの緊張状態が解けた反動で、突っ込む余力さえない葉柱なのか、それともそういう関係者しかいない坊やの周囲という環境や解釈へ、すっかり馴染んでしまったか。(おいおい)
「大丈夫ですか?」
 二人へと歩み寄って来た Prof.高見は、まずはそうと訊きながら…素早く大判のハンカチを取り出しており、それを葉柱の二の腕へと巻き付ける。坊やを抱えていた側の腕。白い制服に痛々しい赤い線が走っていたからで、
「…るい。」
 きゅうぅ〜んと。大きな瞳を潤ませて見上げて来る坊やへ、平気だからと苦笑する。生地の表面を掠めただけであり、ごついものを着ていたおかげで火傷を負っただけで済んでいる。
「大丈夫だって言ったろが。」
「でも…。」
 ごめんねごめんね、今回のはあまりに無謀なことだった。命を落としてたかも知れない危険なこと。それへ…関係なかったルイを巻き込んじゃったものね。人一倍賢い子だからこそ、行くか戻るかのどっちかだけでなく沢山の選択肢があったのだというのも重々判っているのだろうし、結果として大切な人を傷つけたのが、何より悔やまれてならないらしいが。
「駆けつけるまでの流れを全部を見てましたが、凄いもんでしたねぇ。」
 それは素早く姿勢を落とし、それに釣られて銃口が下がってついて来た…ついでに安定も緩くなった銃を、相手の手ごと蹴り飛ばして。返す脚で相手の脚を横に薙ぎ、それから下へと倒れ込んで来た相手の顎へ…狙いすまして鋭いトゥキック。白い制服がひるがえって、そりゃあ綺麗でしたよ♪
「あれで目が回らん人間はいません。」
 でも回復は驚くほど早かったから、男が起き上がった時は間に合うかと冷や冷やしましたがと。ドラマか映画、若しくはボクシングの試合でも観戦していたかのような感想を紡いでくださるセンセーへ、

  「…高見センセー。」

 坊やが…葉柱は初めて聞いた、陰に籠もって恨めしげな呼び方をし、
「大体っ、人の発注品に何を紛れ込ませてくれたんだよっ! どんだけ危険な相手だったかっ。」
「そうでしたね。こんな衆目の中でも関係なく、銃を取り出す向こう見ずな相手でしたもんね。」
「だからっ!」
 そんな奴らがそんな手で目をつけるような物騒なもんを、何の断りもなく何でと。はぐらかしてんじゃねぇよと睨む坊やへにっこりと微笑み、
「此処で話すと二度手間になっちゃいますし、正確なところというのは…実は私も知らないんでね。」
 しゃあしゃあとそう言って。やっとのこと駆けつけた、警備員たちと警察官とを目顔で指し示す…ちゃっかり者。のらりくらりとはぐらかす妙の何とも見事なことに、葉柱は言葉もなく坊やの方は、
「きぃ〜〜〜っ!」
 これまた珍しくも、言葉にならないお怒りのほどを隠しもせずに示して見せた、そんな結末でございました。(ちょん)














         
終章



【…で。結局、何だったの? そのチップって。】
「知らない。俺んトコまで辿り着いちったのは偶然が重なってのことらしくって、センセーは知らぬが花だよって言って教えてくれなかった。でも、有名どころの“特殊公務員”が勤務する部署の担当者ってのが呼ばれてたからさ、防衛関係の何かだと思う。」
【どひゃあ〜〜〜。それって、だったら相手は…。】
「さぁあ。俺、政治とか国際問題とか苦手だし〜。」

   ………嘘をつけ。
(笑)

【よくニュースになんなかったね、そんな大事。】
「そこは高見センセーが手を打ってくれたからな。こんな不手際、広く世間にバラされちゃあ困りますよねぇ、うんうんって笑っただけだったけど。」
【………相変わらずだね、先生も。】


 ベッドに寝転んでの携帯“長”電話。机の上には、大急ぎで新しく作り直してもらった“猫グッズ”一式が、紙袋に入って乗っかっている。

  “………。”

 平気だからと笑ってくれた。あんなに怖い想いさせたのに、自分を放り出して逃げても良かったのに。

  “…俺が子供だったから?”

 だから、放り出せなかったの?

  『なんて無茶しやがるっ。』

 奴らの手から逃げ出した手段のあまりの無謀さに、その場で叱ろうとしてくれたし。あの土壇場では…まだ子供な坊やに怖い想いをさせたくなくて、その目を塞いで一気に片付ける賭けに出た葉柱で。

  『確かに俺らを撃つことにためらいなんてなかったろうけどな。』

 まさか本気で撃ちはしなかろうなんて思ってたほどに、危機意識が薄い男ではない。葉柱もまた自慢しちゃいけないが修羅場は結構踏んでいて、相手のレベルや本気の度合い、ある程度までなら肌合いで感じることが出来るらしく。
『致命傷を負わせてチップをごそごそ探すより、本人の足で歩けるまま連れ出して、人目のないところで改めて取り上げた方が効率は良い。』
 自分が逃走する煙幕代わりのパニック状態を引き起こすためにって感覚で、発砲する覚悟はあったらしいが、こっちにきっちり当てようって気はなかったみたいだったからな。それで、と。あんな大胆不敵なことをやってのけた葉柱であり、

  『お前に怒る資格はねぇぞ。』

 似たような無鉄砲をしたくせにと、3階からのダイビングを暗に指摘され、ぐうの音も出なかった坊やだったのだけれども。

  “試合、あんのにな。”

 大事な大会中なのにね。腕に怪我をしてハンデを負ったルイ。それを思うと、布団の中で暴れたくなるほど“ムキィ〜〜〜ッ”と地団駄踏みたくなっちゃう坊やならしくて。

  【ヨウちゃん?】

 もう眠い? 電話の相手が訊いて来たのへ、平気だようと言い返し。…でもね、

  「ごめんな。桜庭、明日は仕事だろ?」
  【何言ってんの。】

 眠れない〜相手しろ〜なんて電話、初めてそっちから掛けて来てくれたんだもの。いつまでだって付き合うよ? 優しいお声が“いい子いい子”と撫でてくれるのへ、どうしてかな、お胸がきゅんってなる。葉柱が何か嬉しいことしてくれた時みたいに。

  “………何でだろ?”

 やさしいことへ胸が過敏に反応するよになったみたいで。これは困ったと思いつつ(こらこら)、秋の夜長を眠れぬままに過ごす坊やでございましたとさ。





  * 付け足り *


 昨夜、何度掛けてもつながらなかったぞと、夜更かししたのがあっさりばれて。

  「ガキは日付が変わる前には寝なっつってんだ。」
  「余計なお世話だよ〜だっ。」

 やっぱり相変わらず、総長さんへの生意気なタメグチは直らない坊やでもあったそうな。(ちょちょんっvv




  〜Fine〜  04.8.31.〜9.08.


  *子連れでの活劇って、やはりいろいろと無理がありますね。
(笑)
   研究の余地があり過ぎでございます。


  *またまた
九家九条やこ様
   萌え萌えイラストを描いていただきましたvv
   
是非ともあちらサマへもお運びをvv

ご感想はこちらへvv


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