Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “春暁夢行路(はるのあかつき ゆめのかよひじ)
 



          




 お正月も過ぎて、いよいよ間近い春を迎える風物詩というと、節分・立春。その次の行事と言えば、年が明けて最初の午の日を“初午”と言い、お稲荷さんを祀るお社ではにぎやかに太鼓を叩いてお祭りをする。今の暦での“初午”は、どうしても二月の初め頃となってしまい、真冬の最も寒い時期となるのだけれど。旧の暦だと年明けこそがこの頃となり、大きくずれ込んで“初午”は今の三月初め頃。陽光はずんと暖かくなりつつ、されど厳しい寒の戻りもくるという、まさに季節の変わり目の真っ只中にあたり。古来より、文芸のお題なんぞにも扱われているほどに、人々は初午のにぎわいを、時にアンニュイな眼差しで眺めやりながら、春の到来を感じていたりしたのだそうな。そういう散文的な話はともかく。
(こらこら) 初午という言葉がそうまで古くからあるほどに、平安時代の昔からもう既に、老若男女がこぞって“お稲荷さん”へとお参りしたということでもあって。赤い鳥居におキツネ様にと、もしかせずとも最も全国に広く知れ渡っており、お社も津々浦々に存在するよなこの信仰。縁起によればその始まりは“和銅四年(711)”というから物凄い。当時の天明天皇へと神様が降臨なされたことを創始とするのが、お稲荷さんの総本山に当たる京都の伏見稲荷の“始まり”なのだそうで。神階“正一位”を賜っているとされているほどに権威もあって、今昔物語や枕草子にも参詣や信仰についての描写が出て来るほど。そもそもは田の神様だったのだけれど、時代が下がるにつれて、農耕漁業だけに留まらず、商売の神様としても崇められ、殊に、世界最大の都市とまで成長肥大した江戸の町では、
『火事に喧嘩に中腹
ちゅうっぱら、伊勢屋・稲荷に犬の糞』
 江戸の名物、どこにでもあるものとまで言われるほど、どこの武家屋敷や商家の庭にも、長屋や辻ごとにまでもお稲荷さんのお社があった。そして“初午”の日には、商家でも武家でも、社をお参りにくる人たちを庭まで迎え入れては、お豆腐の田楽とかお赤飯にお煮染めなどなどを振る舞って。大きな町の社からは神輿も出たし、辻々の社務所ではお神酒も振る舞われ、なかなかに賑やかだったとか。今でこそ歴史ある信仰だが、当時はいわゆる“流行信仰”でもあったらしく、曰く、お使いのおキツネ様が子供に憑いただの、それを鎮める巫女様が霊験あらたかなお祓いに活躍しただの、そんなこんなの虚々実々が実
まことしやかに信奉されての、再伝播現象も甚だしかったらしい。そういう広がりを見せたのは主には東日本でのこと。西日本ではめいめいの家につく神様というのの方が断然多かったらしいのと、キツネもまた害獣と見なされての駆逐や狩猟の対象にあったらしいので、当初ほどの神聖視はされなかったらしいとかどうとか。………まま、そんな“後の時代”の話はともかくも。


   「はあ? 桜の宮が家出したってぇ?」


 何じゃそりゃと、呆れ半分な感慨を斟酌なく滲ませての素っ頓狂な声を上げたのは。東洋の端っこの“日出づる国”こと、此処 大和の国にはまず珍しき、金茶の眸に金髪痩躯の美麗なお姿も毎度お馴染みの、我らが頼もしき術師殿。京の都…の随分と僻地。荒れ放題のあばら家屋敷にお住まいの、神祗官補佐殿、蛭魔妖一その人であり。
「いやまあ、その…なんだ。」
 誰が相手のどんな話題に対してでも、歯に衣着せぬ物言いを通すこととか、かの聖徳太子の示しし名言“天上天下唯我独尊”をそのまんま、恐れもなく踏襲し実践している傍若無人さだとかは、父上の神祗官様にわざわざ訊かずとも重々知っていた筈な武者小路家の御曹司殿でも、
“同調して良いものやら…。”
 そういう方向で少々鼻白んでしまったほどに。あまりの大声だったのを誰ぞかに聞かれることをも憚らないでの驚嘆ぶりを見せた蛭魔であり。呆れたついでに体の力も抜けたのか、
「何〜にをやっとるんだ、あの東宮様はよ。」
 よほど脱力してしまってか、肘を預けていた脇息にその身ごと枝垂れ掛かって見せるに至って、
「あ〜…蛭魔殿。」
 面と向かった客人に対する態度や行儀が悪いのは、今更の話だから気にならないが。現在只今、交わしている話の内容に関しては…さすがに。もちっと遠慮して語らないかと言いたげな紫苑殿であったらしい。何しろ、自分たちが朝廷に少なからず関わっている身である以上、いやさ…今世の大和の民草たちなら誰しもが、敬愛やら崇拝の念をもって思うお相手。今世の帝と御正室の間に、ずんと遅くにお生まれになられた御子息にして、次の御代をお治めになる御方だろう、唯一無二の跡取りでもあらせられる東宮様。清涼殿から望めた桜の古木が、それは見事に咲き誇っていた春の麗らかな日にお生まれあそばしたことから、ついた愛称が“桜の宮”様といい。その御名に相応しくも、それはそれは麗しくも健やかな、輝かんばかりの容姿風貌と、奥行き深い智慧の豊かさ、物腰優しく、感受性にも富んだ、慈愛に満ちたるお人柄を育まれ。当世随一の美丈夫へと育たれし、最も尊い貴公子様…のことなのだからして。畏れ多くも、そこいらの市中の若旦那と同じような扱いにて、
『何〜にをやっとるんだ』
 なんてな言われようを向けるなぞ、本来それだけでも十分な“不敬罪”に問われかねない口の利きようだろう…というのにも関わらず。
「いくら“家出”と言ったって、最低限の連れはつけての出奔なのだろう?」
 世間一般の常識どころか、袷の衿の重ね方から沓の履き方に至るまで、てんで全く何にも知らない坊ちゃんなのだからなと。やっぱり遠慮のないお言いようを、つらつらと並べる蛭魔であり。そんな見解を気安く述べたところからして、所謂“お忍びのお出掛け”程度のことだろうと思っているらしかったが、
「…それがそうでもないらしいのだ。」
「お?」
 殿上の高貴な方々から見れば“下々”の、一般の民草の生活というものが。彼
の高貴な御方にしてみれば、その手で直に触れることなど許されぬ、遠い遠い世界のことなだけに。時に好奇の心を擽られ、間近にて見てみたい触れてみたいと熱烈に思われる東宮様であるらしく、
「実を言えば、既に“前科”もあるという話での。」
「…前科。」
 そりゃあまあ、それなりの身分の人間だからこそ、仰々しくも厳重に守護されるのは当然で。それを…その身に強いられる“窮屈”を煩いと思うのは、ある意味でそれこそ傲慢でもあり、逆の意味からそんな僭越はいけないと正されしことだ。よって、それらを振り払っての勝手な出奔は、成程…周囲の人々の担う様々な“責任”というものへの思慮を欠いた行動には違いなく。大内裏の奥の院、東宮からこっそり家出したとは、皇太子ともあろう人物が軽々しくやって良いことではなかろうが。それを指して“科
とが”とまで言われるとはねと、蛭魔が呆れたその胸中も判った上で。
「皇子なりの“勝手”の通じる範疇での行動だからと、慣れた身であればこその市中の範囲であるのなら、単独にての外出もこなされることが、これまでにもしばしばおありだとかで。」
 穏便な言い方で言い直した紫苑殿へ、
「…その事実はどっから漏れたものなんだ?」
 そんな一大事を知っている人物がいるからこそ、この場で話題になっているのであり。少なくともその誰かは、制止もしないで(出来ないで?)東宮様の“お忍びの街歩き”という秘やかなお楽しみを寛容にも看過してやっているということになる。自分の口利きが僭越ならば、そっちの誰かさんはどうなんのよと、早速にもじんわりと噛みついて来た蛭魔へと、
「まあ。王宮には様々な立場や、その立場に応じた色々な事情とやらがあるらしいからね。」
 他人との駆け引きは得手だが、他人との同調とか他人への思慮深慮というのもへは関心がない蛭魔よりは、社交というものとか人それぞれの世間体というものに練れていて理解もある紫苑殿が、どこか困ったような苦笑をして見せてから、
「それに、だ。貴公にも多少は関係があるのだよ。」
「??? 俺に?」
 唐突な方向からひょいと話をこちらへ振られて、今回は間違いなく、そんな下らぬお遊びに手を貸した覚えなんかねぇぞと、心からキョトンとした金髪の術師殿へ、

  「宮中へ上がった折々に、下々の話をたんとしておるだろうがよ。」
  「………あ。」

 余分な金も暇もない、その毎日毎日を、次の糧のため明日のためにと追われるように過ごすのが下々の人々の生活であり。贅沢なこしらえの道具や教本、芝居のようなお膳立て…なんぞに飽かせての、粋な遊びや学問への造詣なんてものには、全く縁もなく生涯を終える者どもだって少なくはなく。だってのに、まあ何とも楽しげに過ごす平民の皆様であることか。世間が引っ繰り返るほどもの、目を見張るような出来事なんて、そうそう起こりはしないのだけれど。それこそ“俗なこと”ではありながら、それでも色々と様々に面白可笑しい出来事が日々の間近にて起こるのへ、絶妙な機微を拾い合って交わされる軽妙な会話は、その間合いにだけのやりとりだからこそという飛び抜けた洒脱さにあふれ、それはそれは軽妙で。今日は実入りが良かったとか、良いお天気で仕事がはかどったとか、そういうささやかな出来事をこそ、新しい明日がやって来るのを待ったり、遠い夢を目指したりの、糧にしたり癒しとしたり。どんなことでも無為と潰さず、そりゃあ闊達に日を送る彼らであって。いつだって生活力や活力に満ちていて、何とも逞しく頼もしいことか。そんな人々の繰り広げる可笑しな話を、こそりと御簾へ招いた蛭魔から聞いては、退屈な談義・講義の暇つぶしとしていた東宮様であり、

  「殊に。先だっては、夢売りの話をしたそうではないか。」
  「…まあな。」

 自分が見たというありがたい夢を、だが、当人は忙しいから、若しくは明日の大金より今日の小銭が要りようだからと、よその人へと御利益ごと売って譲るという、何とも怪しい商売が、当時は本当にあったらしくって。まま、一種の気休めや話のタネにというような、娯楽に近い代物だったのだろうけれど。まずはこれこれこういう夢を見ましたという“概要”を聞かせてもらい、次に訪れる夢占い師にその内容を聞いてもらっての答え合わせをして、それは何とも素晴らしい吉夢でございますればと解説をしてもらえば、夢を見たのは自分だということになるのだとか。夢のあらすじの楽しさと、それがどういう解釈となるのかという機微と。それらを聞いて堪能し、どうかそれが正夢として叶いますようにと心躍らせて過ごすのが“夢買い”というお遊びだそうで。あらゆる遊びに飽いたよな、罰当たりな貴籍の若いのなんぞが、話のタネにと声をかけ、悩ましくも美しき女御との出会いやら、目もくらむような出世の正夢、本当だったら良いのになと、想像力やら空想の翼を広げるお助けや切っ掛けとして買い求めるという話だぞと、他愛もないこととして東宮様へと語ったのはつい最近。
「そのようなものが畏れ多くも清涼殿だの東宮だのへ寄れる筈もないからと、尚のこと、本物を見てみたいなんて思った桜の宮様だったとしたなら、それは誰が手引きしたことになるのかな?」
 ようもそこまでの詳細を掴んでおることよと歯軋りをしつつ、
「…この俺様を脅すか、貴様。」
「なんの。事実に最も間近い推量を呟いてみたまでのこと。心当たりがないのなら、もっと涼しきお顔をなされよ。」
 今のところは宮中にても、まだそれほど広まってはいないお話。だがだが、もしも、万が一。とんでもないことが起こったならば、殿上人たちは誰を責めるか、誰に責任を押し付けるのか。日頃が日頃な蛭魔を追い落とすには、これ以上はない理由にもなろう。彼としてはそれを案じて、むしろ味方の側に立っての進言をしに来てくれたのであるらしく、

  「早急に、何事もなく、戻って来て下されば問題はない。それだけの話だよ。」

 まだまだか弱い冬場の低い陽射しに、横合いから照らされて。品格あるお顔をほころばせ、大人しげに にこりと笑った、年若き同僚たる御曹司殿と向かい合ったそのまま。金髪痩躯のうら若きお館様、何とも言えぬ渋いお顔で…返すお言葉に珍しくも窮しておられたご様子でございましたそうな。






            ◇



 初午のお話を繰り出したものの。当時の暦で数えるならば、まだ新しい年は明けてない頃合い…の筈なんですが、このお話ではそういうややこしいタイムラグには目を瞑っていただくとして。年の瀬でも年明け後であっても、節季の行事が立て続いていて結構慌ただしいその上、まだまだ寒気の退かぬこの頃合いに、
「…ったく。ややこしいことを しでかしてくれおってよ。」
 冬の色を用いた襲
かさねも小粋な、厚手の袷あわせに身を包み。いつものそれとは違い、強制的な“義務”を負っての外歩きなのが面白くないのか、やたらとぶつくさ独り言にも近い愚痴をこぼしまくっている術師殿。京の都の中心にあたり、一般市民や地方からの旅の者など、人・人・人の波が一日中あふれている、大通りの雑踏の中へと身を置きながら、
「日頃のお目付役も兼任の、学識博士の高見ではなく、神祗官様の御曹司がお忍びの使者となって一件を伝えて来たということは、だ。まだまだ全然、宮中でもさほど気づかれてはおらぬ段階にあるって事だろうに。」
 鉦や太鼓を鳴らしもって、迷子の迷子の東宮様よいと大声張り上げて捜すわけにはいかないというのも重々理解はしているが。それにつけても何でまた。今回に限って、断りにくい相手を立てての面倒な難儀を押っ付けられたかのと、忌ま忌ましいとばかりのお顔を隠しもしないでぶうたれるのへ、
「たまにはこういう順番で騒がされるのも一興だと、当初は結構はしゃいでおったくせに。」
 何を今更、そうまで膨れておるかと…すぐの傍らから市女笠の垂衣
たれぎぬを掻き合わせてやる黒の侍従殿へ、その手をこちらからも伸ばした白い手で掴みしめ、
「こ・れ・が、鬱陶しいと言うておるのだ。」
 自分は、帝やら貴族やらというような、家名が大事だなんて立場でも無ければ、何事か起これば(起こせば?)自分だけではなく周辺にも塁が及ぶことを案じねばならぬような、か弱き係累やしがらみを持つよな身でもないのでと。そこいらの町角や市中にて正体が知れても差し障りなどなく、よってお忍びの身として何物かに身をやつす必要などないと、常日頃からも思っているお館様。だってのに、今日の外出にあたっては、この連れの進言から、滅多にはやらぬ“女装”を強いられたのが、何にも後ろめたくなんかないのにという方向での癇に障ったらしくって。お館様にあっては、ますますのこと、不本意の合わせ技になったのが収まらないでおいでならしい。衣紋の色柄が女物なのは、まま さしたる面倒でもなかったし、袷の下へ短袴を履いているので、半身が落ち着かぬという障りもないのだが。平らな形の市女笠と、その縁から下げたる垂衣の紗に透けたる陰になるというのに、そこへ重ねて、落とし結びの黒髪がそれはつややかな かもじ
(カツラ)までかぶらされてる仰々しさが堪らないと、それでの不機嫌さを増しておいでの彼であるらしい。…だが、でもね?
“………。”
 まま確かに、人質に取られて困るよな、放埒な行動への足枷になりかねぬ係累は一人として持っていない身であるらしいし、預かりっ子でまだまだ幼い、書生の瀬那くんには、それは頼もしき武神の憑神が常に傍らにくっついているので、やっぱり案じることもなく。と来れば、後は自分の身をさえ守ればいいだけ。大地の気脈や周辺の大気からの生気を借り受け、念によって練り上げて放つ、人呼んで“咒”という陰陽の術に長けているのみならず、この痩躯で剣の腕前も確かなら、どこで身につけたやら大陸渡りの体術の達人でもある彼だから、どんな無頼に襲われようと、はたまた何がしかの乱闘に巻き込まれようと一切怖じけることはないと来ては。仰せの通りでございますと、舎人
とねりあたりの身であれば従う他はなかったりもするのだが、
「前々から言うとろうがよ。」
 そこは葉柱も引いたりはしない。
「お前様もまた、朝廷を支える重鎮の一人なのだぞ?」
 ご本人様自身にそういう意識があろうとなかろうと関係なく、周囲からは…あの若さでそんな地位にあるとは、さぞや豊かな資産や肩書きや頼もしき伝手を持っておろうと断じられ、もしかせずとも妬みの的にもされる筈。何でまた、俺のような“邪妖”から、わざわざこんなことを諭されておるかのと、呆れ半分に説教してから、
「それでのうても、それだけの風貌をしておるのだし。」
 付け足すと…これまたいつもの伝で、
「??? 何だそりゃ?」
 妙齢の女御じゃあるまいに、そんなことが何の災いに関係するのだと、素から合点が行かぬというお顔になったのへ、
「…だから、だな。////////
 何でそうも妙なところが無防備な奴なのだかと、肩から力が抜けてしまった蜥蜴一門の総帥殿。人の世界でのみならず、人に仇なす邪妖たちからさえ、片っ端から目の敵にされているほどもの技量を持つ術師殿。そんな生業
なりわいについて回る気配がついついあふれてのことなのか、本人の気色にも仄かに匂うは…どこか妖しき艶やかさや、妖冶なまでの蠱惑の色香。彼くらいの年頃の貴公子であれば、これも貫禄の一端というものか、恰幅よくもふくよかに、鷹揚に構えてどっしり動かぬ体躯になってしまうものなのが。鷹揚さでは誰にも負けぬ自信家なお館様におかれては、何故だか関係のない話であるらしく。若木の如くにすらりとしたその肢体には、早乙女のそれのように色白な肌や、冴えて射通す金茶の眸が、それはそれはよく映えて麗しく。和国の民にはあり得ない金の髪も、その高貴妖冶な顔容かんばせにこそ相応しき、神秘の冠のようにただただ輝き煌めいており。敵ばかりが多い身ならこその、切迫した緊張感が漲みなぎる、鋭い気勢や意志力もまた、彼のその美貌に燦然たる冴えを与えているかのようで。女性はもとより男衆どもの眼差しさえも、苛烈に惹き寄せては受け流す罪な存在。そんな身であるとまでの自覚はないと来るから…葉柱あたりは時折気が気ではなくなるらしいが、
“言って理解すりゃあ世話はねぇしな。”
 理解したなら したで、面白がって要らんことをしでかしそうですしね。
“…だから言えねぇんだってのによ。”
 何を訳の判らない言いようをする奴だと言わんばかり、こっちが“妙な奴”扱いにされてしまうのを、今日も今日とて 何とか飲み下した総帥殿。ひ弱そうな頼りない奴だろうと勝手に軽んじられて、ふざけ半分に関わり合って来る下衆どもがいちいちまとわって煩いだろうがよと、適当なことを言い繕い、
「今日はとりわけ、自分らにかかって来る火の粉まで払ってる余裕はなかろうが。」
「…まあな。」
 いつもの単なる物見遊山の外出とは事情が違う。日頃のお出掛けだったなら、言い掛かりをつけられたり喧嘩を売られることもまた、胸のすくよな刺激と興奮…になるものが、今日ばかりはそんなことに構ってはいられぬと、さすがに蛭魔の方でも判ってはおり、せめてもの腹いせにか、
「何でまた今日は、こうも人出が多いかの。」
 辺りを埋め尽くす雑踏の込み具合にまで、ついのこととて愚痴がこぼれている彼へ。
“いつもなら、好奇心の旺盛な猫の仔のようにはしゃぐくせに。”
 こそりと浮かべた苦笑が絶えない葉柱であったりし。確かに、特に何の日ということもないのに、大通りの雑踏は凄まじいまでの人の波。もっと中央部の主幹の道路、大きな通りの方ならば、牛車が差し向かいにすれ違い合ってもまだまだ余裕の道幅でもあり。季節の折々に宮中にて催されるそれは大きな祭事の頃合い、貴籍の家々からも車を仕立ててやって来る見物が道の両側へ立ちまくりになるような折りでもない限り、そうそう立錐の余地なしというほどもの混みようにはならないほどなのだが。こちらは菩提講が開かれるという、お寺さんへと続いている道すじ。いわゆる“門前”に立った市場への、一過性集中的な人出であるものだから。そうまでは広くもない道に目一杯、行く人来る人が犇めき合っての混雑ぶり。この何日かは久々の好天が続いて気候もよく、お参りは二の次のお出掛けという輩も少なくはないらしいことからの賑わいが、そりゃあもうもう凄まじい。半端ではない人の流れのその中で、物売りの声が立ち、掛け合いの会話が明るい喧噪となり、田舎から出て来たばかりの者には、飛び込むだけでもなかなか度胸が必要だろう、言わば一種の“戦場”にも近いほど。そんなまで混み合っている中にあって、
“………お。”
 こちとら凡若な人間以上に敏感だからと、それゆえに気がついた何かに…ちょっとばかり不愉快な気分になったのが、今度は葉柱の方だったりし。先にも言ったが、単なる散策、目的なしに出ばっているよな人も多々いる中にあっては、見栄えの綺羅らかな存在はそれだけで、余計な人の目や注意を引きもして。ただでさえ、金髪で美形でと人の目を集める要素の多いお館様ゆえにと、なればこその隠れ装束、その艶やかな姿のほとんどを覆うべく、笠に垂衣というそこここにありふれた女御の恰好をさせたのに。それが今は…逆の効果になってるような。紗で透けて曖昧なところが、こういう場合は却って想像力を余計に掻き立てるものなのか。それともそれとも、垂衣の隙間から時折覗く、柳のような細腰や、白玉から刻み出したかのような小さくも綺麗な手の先。傍らに立つ屈強な侍従に守られし様子が、いかにもな箱入り娘の可憐さと映るのだろうか。どこぞかに仕える身らしき武装の侍者やら、出店の奥にて休憩中の商人なんぞが、嫋
たおやかな風情もいと麗しき、いずれの上臈でおわすのかと、勝手に想っての不躾な視線を送っても来ておったりし、
“て〜いっ、余計な気を送って寄越すな、紛らわしいっ!”
 探査の邪魔だ、見てんじゃねぇよと。ちょっぴり本心を誤魔化しての罵声を、その頼もしい胸の裡
うちにて上げてたりして………vv
「? どうした?」
 急に不機嫌になりおって。向こうの店先に居並ぶ“恋の妙薬、イモリの黒焼き”のノボリが、仲間の墓標のようで胸クソ悪いか? そんな見当違いの声を、選りにも選って蛭魔当人からかけられて、
「…何でもねぇよ。」
 やっぱり不機嫌なままにそっぽを向きかかった彼だったが、そんな彼が顔を背けた格好のその方向に、

  「………あ。もしかして、あれじゃあねぇのか?」

 一体誰がどうやって揃えた変装の一式なんだか、多少は顔が隠せる綾藺笠に地味な襲
かさねの狩衣という、貴族かはたまたそこへ仕えしかなり位が上の供の者、そういう拵えに整えられてはいるけれど、
「俺なんぞよりもよっぽどに、人目を引いてりゃいないかの。」
 自分から物慣れぬがゆえの奇異な言動をしているとかいうことはないものの。それでもさすがに…花王と称されし桜のお花にも負けはせぬ、華やかにも整いし、そのお顔や姿のみならず。匂い立たんばかりの気品というか、馥郁とした余情というかが、所作や動作の端々に、滲み出してはしたたるばかり。生まれてからのこの方を、最も洗練されたる環境にて、贅を尽くして育まれし、貴公子の中の貴公子様だからこそのこと。よくよくじっと見ていれば、どこかしら格が数段ほど上の御方だということが、判る人にはすぐに判る。用事があっての来訪者たちは店やら寺やらをこそ見つめているから例外になるとして、ほんの間際をすれ違いたる娘や女御たちは、例外なく全てが振り返るほどもの威力を発揮し。されど、本人には邪心がないせいだろうか、きっぱり振り切る潔い態度がまた、あれはどちらの殿方だろかと、女性の視線にての“矢印”が雑踏の中、それは芳しき香での水脈の尾を引いているかのような案配。今のところは互いへの牽制のせいでか、それとも はしたないからと身を謹んでのことか、彼を巡っての静謐の緊張感が、微妙に保たれているけれど。何かしらが弾みになって突々かれたなら、一斉に黄色いお声が上がっての懸想騒ぎにだって発展しかねず、
「回収するぞ。」
 これでお役御免だわいと、溜息混じりに踏み出しかかった術師であったが、
「待て。」
 すかさずという間合いにて、葉柱が低めた声を鋭く発して蛭魔を制す。
「何だ。」
「気づかぬか? 何だか様子が訝
おかしいぞ。」
 たったの独りでいるにも関わらず、どっこも不安げでないところは、怖いものを全く知らない世間知らずのせいだとしても。
「…そうさな。何も視野には入っておらぬような足取りだ。」
 夢心地ゆえの覚束無さや不安定というのではなく。何物かに強く引かれておっての視野狭窄。何にも意識の中に入って来ないからこその、きっぱりとした揺るぎない所作なのかも知れず。これはこれはもしかして…。
「声をかけても気づかれず、周囲の者らの注意をこちらへも集めるだけかも知れぬ。」
 追うのが手間になるだけぞと、そうと言われて“ふぬぬ”と眉をしかめ、
「…ったく。手のかかる野郎だぜ。」
 怖いもの知らずにも程があると、憤懣やる方なしというお顔になった蛭魔であったが。
“俺は邪妖だから関係ないけど。”
 今世の都のド真ん中にあり、畏れ多くも東宮様を捕まえて、そんな不敬な物言いが出来る術師殿もまた、以下同文なんじゃあなかろうかと。ついつい思ってしまった蜥蜴の総帥様であったらしい。






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