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昼を境に降り出した雨は、時間を追うと共に激しさを増し。試験中は休みってことになってた部活は、冗談抜きに…柔軟やストレッチですら、この頭数ではやれる場所がないもんだからということで、顔見せだけで解散と相成った。
『こりゃあ、筋トレルームくらいはどっかに作らなきゃね。』
どっかに空き教室とかがないか、備品や道具に何を揃えりゃ良いのか、後日にでも坊やと検討しとくからと言ったメグさんは、
『そういや、今日は呼ばれてないのかい?』
いつものコールがなかったらしい総長さんへ、雨が降ると寂しいねぇなんて、からかうように言い残して、シックな花柄のワンタッチ傘をポンッと開いて颯爽と帰ってった。
“…珍しいな。”
こっちが試験中だってことは知ってる筈で、しかも雨。呼ぶほどの用事がないから、何の連絡もないのかな。
“…けどなぁ。”
そういう日は“今日は なんもなし”なんて、そんなふざけた電話を掛けて来る。携帯が鳴ってドキッとしたか? 面倒だな、もうって思ったか? 悪戯っぽく“うくくvv”なんて笑って、ちょっとだけ掛け合いになるよな会話をする。勢いがあって、油断も隙もなくって。テンポよく応じないと、
『さては、図星だな?』
すぐ直前の悪口を認めたことにされてしまうから。何だとーと、ついついムキになって言い返していると、こっちが言い負かされなくとも、キリの良いところで堪らなくなってか“きゃははvv”と軽やかに笑ってしまってから、
『じゃあな、明日な。』
愛らしくも明日の約束を告げてから、名残り惜しげに“今日はバイバイ”と相成るのがパターンだってのにな。
“……………。”
相手を子供だからと、何かの遊びに夢中になっててうっかりしてるのさなんて、甘く見ての把握なんかしていると、とんでもない見当違いへと迷い込みかねないから。殊に、大雑把なところがある自分はその大雑把で坊やを傷つけかねないと、メグからしょっちゅう説教を食らっているほどだから。ちょっとでも様子がおかしいなと思ったならば、そのまま注意してるのに越したことはないみたいで。でもまあ、こっちの“試験中”という状況を尊重してくれているのかも知れないかと、それこそ大人扱いでの納得を持って来て、ならば期待に応えましょうかと、明日の科目のテキストなぞを机に広げかかったところへ、
“pi pi pi pi pi pi pi pi ………。”
おやおや、噂をすれば影かと。手に取った携帯だったが、ちょっと待て。坊やからの電話なら、スターウォーズのテーマがかかる筈。近年にはベタなほどメジャー過ぎて恥ずいから変えろと再三言ったのに、
『こういうの羞恥プレイっていうんだろ?』
なんて、子供が口にして良いわけがないお言いようをし、恥ずかしいならイントロの一音だけで出れば良いと、譲ってくれなかったのがつい最近。他の知己へもそれぞれに、着メロだのジングルだのを設定してあるから、基本設定の呼び出しは滅多に鳴らない。固定電話からのお客様であり、今は実家の自分の部屋に戻っているのだから、親や執事の高階さんからでもなくて。
「はい、葉柱です。」
誰れからだろうかと思いつつ、それでも素早く出てみれば、
【あ、あの。こんな時間に恐れ入ります。ヒル魔ヨウイチの母です。】
おや。あまりに意外な方からの電話だ。母へと何か連絡だろうか。いやいや、今“ヒル魔ヨウイチの母です”と仰有ったのだから、間違いなく自分への用件だろう。
「どうかしましたか?」
出来るだけ、穏やかな声を意識して出したのは。もしかしてという嫌な予感があったから。だって窓の外は、雨のせいもあってもうすっかりと暗い。こんな時間に、保護者の方からのお電話だなんて、心配なさってのもの以外には考えられない。
【あの…ヨウイチからの何か連絡とか、お受けになられていらっしゃいませんか?
こんな時間ですのに、あの子、学校からまだ帰って来ていないんです。】
◇
あの、何から何まで子供離れした小悪魔小僧は、そりゃあ様々に大人顔負けの悪戯を思いつき、大胆なまでの行動力でもって実行へと移し。防衛関係のスパイの鼻面を引きずり回したり、別荘荒らしのこそ泥を手玉に取って捕まえちゃったり、そりゃあもうもう怖いものなしの、末恐ろしい破天荒坊やだが。これだけはやらないぞという、良い子なところが2つだけあって。無闇な弱いもの苛めをしないことと、お母さんには絶対に心配をかけないこと。この2つだけは何があっても守り通してた。だってのに、
『こんな時間ですのに、あの子、学校からまだ帰って来ていないんです』
そりゃあ心配そうなお声で、葉柱へと訊いたお母様。恐らくは、同級生のお友達への電話を掛けてから、次には知己の皆様方へ、それから…という最後くらいの順番で。そして、だからこそ一縷の望みをかけてという想いで、掛けていらしたに違いなく。
『いえ。今日は雨になりましたし』
こんな日にバイクに乗るのは危ないから、呼んでも行かないぞという約束をしてありますしと、出来るだけ突っ慳貪にはならないようにと話したら、
『そうですか…』
何とも力ないお声が返って来たので。どうか落ち着いて、お母さんはお家で待って下さいと強い目に言い置いた。自分にはバイク仲間がおりますし、威張っちゃいけないがこんな時間帯にも外にいる知り合いもいますから。片っ端から連絡してみます。目立つ容姿の坊やですから、知り合いで見かければ気がつく筈ですし、そうでなくとも何でこんな時間に子供がと記憶にも残りやすいでしょう。そうと告げてから、手早く身支度を整えると、同じメールを族の仲間たちへと片っ端から送信する。
【ウチのマスコットの坊主が、まだ家へ帰ってないらしい。
見かけたら保護して、すみやかな連絡を乞う。】
ハンズフリーのインカムを携帯から伸ばして、耳元まで持って来て装着する。篠突くような激しい雨だし、随分と宵も更けつつあるが、一刻も惜しいからと一番素早い足回りを選んだ。こちらも湿気に機嫌が悪げなゼファーだったのを、宥めるようにタイミングを読んでセルを踏み込み、エンジンを一発で起動させる。マシンをガレージから押し出せば、ヘッドライトの光芒が雨脚のシャワーを闇の中に浮かび上がらせる。
“暗いのも苦手なくせによ。”
何やってやがるかなと、あくまでも腹が立っているのだと自分へ言い聞かせる。ホントは心配。でも今は、気が萎えてしまうことを選ぶと、却って気が急いて危険だから。意識を奮い立たせるためにも、早く取っ捕まえてやらねばという方向へと気持ちを煽る。真っ向からの雨が進行方向からモロに当たって、たちまち…髪から顔から、ジャケットの襟元から覗いてたシャツの胸元から脚までと、ほぼ全身がぐっしょり濡れたが、いちいち厭っている場合ではない。まずは小学校から家へと帰る道筋を辿るべく、慣れた道を学校まで。途中で仲間たちからの連絡が入りはしたが、繁華街や駅前では見なかったという報告ばかりで、学校の輪郭が夜陰の中になお黒く浮かび上がって見えて来た頃合いに、
【ルイかい? あたし。】
メグからの連絡が入った。こっちが走行中と察してだろう、一方的に話し始める。
【あの子が一番仲よくしてる坊やがいるだろ。その子へ電話してみたんだ。おばさんからも電話があったって言ってたけれど、一緒に帰って途中で別れて、そこからは知らないって。そいで、もうちょっと突っ込んで聞いてみたらサ。】
気になることが帰り際にあったと、たどたどしくも説明してくれたと、メグはその内容をかい摘まんで話してくれた。
「…そっか。」
もしかしてそれが原因ならば、事故や連れ去りは心配しなくて良いのかも。そんなとこまで子供離れしたレベルで強情っ張りで。だからこそ、人前で弱みを見せない意地っ張り。だから、そんな彼が選ぶだろう身の置きどころは………。
◇
ふっと目が覚めて、自分がどこにいるのだかが、すぐには判らなかった。真っ暗だったし、妙な、かすかにかび臭い匂いがしたから、自分チじゃないってそれだけは判って。え?え?と慌てかかったが、しばらくすると目が慣れてきて、壁の上の方に横長の明かり取りと換気用の窓が連なっているのが見えたので、
“ああ、そうか。”
思い出した。誰とも顔を合わせたくなくて。でも、あんまりふらふら歩いてちゃあ、誰かに声を掛けられる。下手に警察関係者へも顔が広かったから尚のこと、名指しで“どうしたの?”と案じて下さる人もいるかも知れず。それでと…辿り着いた場所。歩いて来たからすっかりと擦れ違っていて、誰の姿もなかったのは幸いだったような。でもね、少し暗くなりかかってたお部屋の中ががらんとしてたの見回した時は、さすがに少しほど胸がきりりとしちゃったかな。顔を合わせたなら、そこで最後の意地を張り、頑張れたかも知れなくて。ほら、居ないっていうのが寂しくて、瞳の奥がまたぞろヒリヒリして来たじゃないか。懐ろに抱え込んでたのはベンチに出しっ放しになってたタオル。誰のかなって思いつつ手に取ったら、総長さんの匂いがしたから。顔を覆ったら逆効果で、涙が止まらなくなっちゃった。どうしようもない父上だってのは、いつだって他でもない自分が言って回ってること。お母さんを一人にして、どこで何をやっているんだかと。2年以上も音沙汰がないなんて、妻や子が待ってる大人のやることじゃないと。いつだって腐してたのにね。やっぱ他人から、それもあんな下らない奴からこき下ろされると、ムッとするし…情けなくもなる。ちょっとばかり気分がセンシティブになってたから尚のこと、ストレートに堪えてしまったみたいで…あのね? ちょっとの間だけ、誰にも見られないところに隠れてしまいちゃいたかったの。泣いちゃうところを見られたくなかった、泣いちゃうだろうなってそんな気がした。それでと潜り込んだのが、総長さんたちのアメフトの部室だったんだけど。
“…あ、どうしよ。”
真っ暗だ。照明点けても電源から切られているかも。何でも随分と前に、生徒が勝手に夜中に集まって、明かりを煌々と点けてラジカセ鳴らして騒いだのへ、周辺の住人の方々からの苦情が殺到したのだそうで。それ以降は夜中になると、大元から電源を落とされてしまうのだとメグさんが教えてくれた。やるせなくって泣きたくなってたのが二番目に押しやられ、暗いのが怖いと思うってことは。しゃにむに思い詰めてた気持ちが、随分と落ち着いて来たってことだけれど。こんな場所で独りきりでいるのはおっかないなって、急に現実の方が怖くなる。しかも、
“…あ。”
部室前には無骨な鉄骨の階段があるんだけれど、それを降りて来る足音がする。特に勿体つけたようなテンポじゃないが、早くもない。何たって夜中なんだから、その足音の主だって用心深く構えていてのことなのかも。カツンコツンと革靴らしい靴音で、遠くに聞こえる雨の音をそのまま まといつけたような水音もする。こんな時間にこんな場所へ、一体誰が来るものか。
“〜〜〜〜〜。”
どうしよどうしよと、胸がドキドキして来たが、
“……………あれ?”
雨に濡れたその足音に、だが、緊張の高まりがぴたりと止まる。間合いや靴音の高さに、聞き覚えがなくないか? 急いではいないが、特にためらいもなさそうなままに、足音は連綿と続き、やがて扉の前へと立って。南京錠は外して此処にあるから、そこにはない。それを確かめるような間があってから、おもむろに開かれた扉であり。そして、
「…ヨウイチ?」
ああ、やっぱりと。息をついたのとほぼ同時。かちりと堅い音がして、天井の蛍光灯がちかちかっと震えながら灯される。後で聞いたら、他の部屋や通路は大元からカットされているけれど、ここだけは…いざって時の緊急避難場所にと、電源が別コードで引っ張ってあるのだそうで。急な明かりの目映さに顔を背けると、
「こんな暗くて怖かったろうに…。」
そうと掛けかけてた声がふと止まり、
「…おい、どうしたっ?!」
いきなりテンションが跳ね上がる。頬が濡れているのがありありとしていたのが眸に入り、それが真っ先に葉柱のお兄さんの胸中へ、深々と突き立ったのらしい。
「どうしたよ、お母さんが心配してたんだぞ? ウチへも電話を掛けて来て、心当たりはないですかって。」
「…うっせぇな。」
「何だよ、その言いようは。お前がそんな、泣いてるなんて。放っておけることじゃないから…。」
「何でもないって言ってんだろっっ!」
叫ぶように言った弾み、喉が声が震えてそのまま突っ伏す。まだ気持ちは不安定だったからか、それとも…安心したのも多少はあってのことなのか。嗚咽が再び込み上げて来たらしく。
「…おい。」
ベンチに突っ伏した坊やの小さな背中が、嗚咽にあわせて震えている細い肩が、何とも痛々しくって。離れてなんか見てられない。けれど、息を殺して何かを必死に耐えてる様子が、あらゆるものを拒絶しているようにも見えて。振り払われるのではなかろうかと思うと、情けない話だがどうしても足がすくんでしまって近づけない。
“…不甲斐ねぇよな。”
なあ、なんで。そんなにも辛そうなのに、俺を頼ってくれないんだ。前にも似たようなシチュエーションでの泣き顔を見たことがある。半地下に閉じ込められて、一緒にいたお友達が泣いたのへ釣られてしまい、悔しそうにちょっぴり泣いてた意地っ張り。あの時はあまりにいじらしくって、何も聞かないまま、お顔を隠してあげようとそっと抱き締めたんだけど。今はそれさえも、しちゃあいけないのだろうか。こうまで辛そうな慟哭に、傍観者でしかいられないのかよ?
「………怪我をしたとか、頭や腹が痛いとか、そういうのは無いんだな?」
ぎりぎり、それだけを訊けば。少しだけ間があったが、しゃくり上げが少しほど収まって、こくりと頷いた坊やだったから。
「…判った。もう事情は訊かねえ。」
口にするのも嫌なこと。そんで泣いてんなら、もう訊かない。ただな、と。一言だけ付け足した。
「これからは。こういう時には俺んトコへ来い。」
弱いところをお袋さんにも見せたくないなら、自分にだけは甘えてくれても良いじゃないか。こんなところで独りきり。抱き締めるものが自分しかないみたいに。絶望にくるまれて、独りぼっちで泣くことはないじゃないか。
「誰にも言うなって、いつもみたいな勢いで命令しな。」
それだけは、どんなに理不尽でも無条件で聞いてやる。何からだって守るからと、そぉっと傍らまで足を運べば。
「………。」
ぐすっと、まだしゃくり上げながらも。顔を上げて…こちらを見やった。ああ、なんて顔をしてるかな。色白な頬や鼻条が真っ赤で痛々しい。淡い色合いの瞳が、長めの睫毛ごと涙に溺れそうになっており。細い眉は寝癖がついた前髪の下で、睨みつけるような角度に吊り上がっていたけれど…。腕を伸べればそこへとすがり、長い腕で抱き締めれば、素直に懐ろの深みへと引き込まれてくれた…愛しい子。水が垂れるほど濡れてたジャケットは一応脱いだものの、あんまり温かい懐ろじゃあないかもだなと。せめて手のひらでふわふわと柔らかな髪を梳いてやれば、こっちの胸板へ顔を埋めたまま、小さな声で呟きかけてくる。
――― あのな?
んん?
ルイな、俺んこと…ウザくないか?
いや。
ホントか? こんな生意気なのにか?
ああ。今日みたいに居ないと、詰まらんくらいだぞ?
………そか。///////
そうだ。
どんなに愛らしくても、作った笑顔より、素のままの膨れっ面の方が可愛いと思うし、お膝に跨がってその身をこちらへ擦り寄せて。安心し切って転寝してくれる無防備さとかに、理由(ワケ)もなく嬉しいなって気分になる辺り、終わってるなという自覚もないではない。
“それによ…。”
こいつ、きっと自覚してねぇ。実は時々、素の顔で凄げぇ可愛い素振りしてるっての。頭を撫でると仔猫みたいに首をすくめて、目許を細めてそりゃあ嬉しそうに笑うこととか。時々の不意打ち、仰向いて眸を閉じて“ちうしても良いよvv”なんて言い出して。でも、キスしたその後は…耳を真っ赤にしてしばらく顔を上げないところとか。油断したり調子に乗ったりして踏み込みすぎると、たちまちギャーギャー噛みついてくる警戒の強さも、このところは笑いながらの形だけになりつつあることとか。何より…バイクで迎えに来いって呼んどいて、以前は絶対に“遅いっ”て一言があったのに、最近は言わねぇんだぜ? お前。
――― お〜い。
……………。
寝ちまったのか?
……………。
このまま抱っこして帰っても良いのか?
……………。///////
そか。じゃあ帰るぞ。
具体的に“好き”って言わなくとも、あのね? ぎう…としがみついて来た時の、切ないほど頼りない腕の力とか。こっそりとシャツの裾、掴んでる、小さな手の温もりとかだけだって、十分に伝わってることは一杯あって。一緒に居たいなんて、大胆なことだって言ってくれたの、もう忘れたかよ。
――― 日頃のとんがりぶりも十分可愛いぞ?
そういうのはサ、ちゃんといなせてて言うと説得力があるんだっての。
悪ぁ〜るかったな。
〜Fine〜 05.6.25.〜7.03.
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*ルイヒルオンリーですね、皆様。
楽しんでらっしゃいましたでしょうか。
ううう、あまりに羨ましいもんだからと、
ベッタベタに甘い話を意識して書いてみましたが、
いつものとどう違うんだか、よく判らない出来になってしまいましたです。
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