3
これまでにも何度かは、あのね? 思わないではなかったの。
――― こんなに鼻持ちならないヤな子でも、ねえ、構ってくれるの?
でも、そんな甘ったれた、すがるようなこと、言うのもするのも見せるのも癪だったから。バッカだななんて偉そうに笑った陰で、こっそりお洋服に掴まったり。眠い振りをしてから懐ろに寄り添ったり。そういう…身をゆだねるような、すがるような甘えるような仕草は、気心の知れた、よほど親しくなった相手にしか、見せたことはなかったのにね。いつ振り払われても良いように。な〜んてねって言って、自分らしくないことへ自分から冗談めかして笑えるように。凭れるくらい良いじゃんか、ケチって怒った振りして、こっちからも“反抗的に”そっぽ向けるようにって…そんな予防線を張るのが、知らないうちに癖になってたまんま、彼へも構えていた筈だのにね。振り払われる痛さから身を躱す必要が、そういえば一度もなかったから。
――― 気がつけば…当たり前みたいに、お膝に馬乗りが定位置になってた。
口喧嘩はいつだって真っ向から。駄々をこねれば襟首掴まれて、頭を冷やせって言いつつ睨めっこに持ってく。こっちは大人なんだからっていう“高み”に逃げたりしないで、いつもいつも同じ目線の間近にいてくれた。力持ちで何でも出来るルイの手のひらは、いつだって優しくって頼もしくって、温かだったから。あのね? ボーダー越えても良いの?って、聞きたくて、でも聞けなくて。だってコイビト同士だろ?…なんて、いつもいつも冗談で言ってたけども、それを“本気(マジ)”にしちゃったら。ルイは怒るのかな、笑うのかな。それとも、あのね、今更言ってももう遅くって、信じてなんてくれないのかな………。
◇
昨日の晴天をあっさりと塗り潰して、今日は朝からどんよりと、重々しい濃灰色の雲が空一面を覆ってた。よほどに高いところの雲なのか、地表近くは妙に明るくて。辺りの風景が暗い背景に白々と浮かび上がって、何だかお芝居の書き割りみたいに見えていた。風がなかったのか、朝の“最低気温”とやらはあんまり下がらなかったみたいであり、ねっとりした大気は“温気(うんき)”を孕んで生暖かく、いつ本降りの雨が落ちて来てもおかしくはない、そんな空模様。
“…こんな天気じゃあ、呼ばない方が良いかもな。”
今日から七月で、ルイの高校は期末試験に入った筈で。今日は確か、数学U-bと古典と選択社会科。ルイは地理Aを取ってたっけ。のっけに数学はキツイだろうなと思いつつ、とっくの昔に全部覚えた九九の七の段、他の子らと一緒に声に出してお稽古してる自分だったりし。
“あの漫画の名探偵な小学生も、こんな感じで授業受けてんだろうか。”
ああ、あの、実は高校生の名探偵さんですか? そうなんじゃないですか? そんで、算数や社会科や理科は目をつむってたって答えられても、小学生なりの国語とか、あと図画工作とか音楽で案外と手間取ってたりしてね。(笑)
“……………。”
昨日からずっと、気がつけば…ルイのこと、ルイと自分のこと、ちょいと分け入って考え込んでる坊やだったりし。今も、授業内容から手を放してても大丈夫と気が緩んだ途端に、カラフルなイラストで九九の練習問題が並んでる教科書の上、ちょこりと置かれた自分の小さな白い手を見下ろしながら、気持ちは離れて浮遊しており、所謂“上の空”状態。不毛にも一人で思いあぐねてるって訳じゃあない。実は昨夜、来年のカレンダー用夏素材の撮影のスケジュール確認ってことで、アイドルさんから電話があったもんだから、あのね? ちょこっとばっか、相談に乗ってもらった。お題は、男ってのは好きな子にはやっぱり可愛らしい振る舞いをしてほしいものかどうか。
【う〜ん。でもヨウちゃんの場合は、その…小悪魔みたいな、大人を容赦なく振り回すところも魅力だからねぇ。】
なのに、いきなり愛らしい振りとか大人しぶったりとかされたら、却って何かあったのかなって心配になっちゃうよなんて、スラスラッと言い出すもんだから、
『だ、誰が俺の話だなんて言ったよ。////////』
【え? 違うの?】
ああ、これはごめんごめんと笑ってから、
【でもサ。葉柱くんだってきっと同じコト言うと思うよ? 小生意気だって重々判ってる筈で、でも、ヨウちゃんはそんなでいてくれて構わないって。】
『う…。////////』
小生意気で悪かったなと思いつつ、でもサ、
『でもサ。あのくらいの年頃の男ってのは、誰もが羨むような可愛い子で、しかも扱いが難儀な、それこそ“小悪魔”タイプの悪女をサ。でも、自分だけは牛耳れるんだぜ、な〜んていうシチュに、妙なドリーム持たないか?』
【…ヨウちゃん、もしかして“ロ○ドンハーツ”とか観てるでしょ?】
おう、時々なって言ったら、携帯の向こうで“う〜ん”って唸られちった。(笑) 世の中舐めまくってるそんな小娘に躍らされてるようじゃ、きっと別なところでまた、クラブとかバーのホステスさんに上手く乗せられて入れ上げちゃうような“二の轍”を踏むに違いないのにな。そんなこと付け足したら“おいおい”って返されたんで、
『阿含とか桜庭みたいに、一歩引いて自分とか周りとかを冷静に見るってのを、いつでも心掛けられるよな奴には関係ないんだろけどさ。』
そんな付け足しをして間接的に褒めたらば、
【…葉柱くんは違うタイプだよね。】
『………うん。』
チッ、誤魔化されないんでやんの。
【不良ぶってるけど実は凄く誠実で。要領が良いって訳じゃないけどその分、物の道理ってのかな、ホントだったらどういう手間がかかることなのかっていうの、きっちり知っててサ。だから先々ではきっと、人の痛みがちゃんと判る、情に厚くて重厚な人になりそうだよね。】
どっちかって言うと古いタイプの“バンカラさん”だものね、男臭くて一本気って感じで、そうだな、ムサシさんみたいになったりして? そんな言われたんでつい、
『いや、ルイはもっと気が利いてるって。』
【…ふ〜〜〜ん?】
………なんか俺、桜庭相手に墓穴掘りまくってたような気がするんだけども。アイドルだからっていう見かけのソフト&マイルドな雰囲気に油断してっと、どんどん本心へ入って来られちまうから怖い奴なんだよな。(こらこら)
“でも…。”
癪なことではあるけれど、桜庭は俺んコトよ〜く知ってるからなァ。あまりの悪ガキぶりに“もう付き合ってられない”ってそっぽ向かれても良いやって、いつだって誰にだって、こっちからも思ってた。むしろ、中途半端に構われるのがうざくって、可愛いわねぇなんて、犬猫や人形相手みたいに、自己満足したいだけの奴から関心持たれるのがいやでいやで。それで、近づいてくる奴にはその関係上で発生する“損得”ってのを必ず考えるようになり、何処の誰が相手でも早めに見切りをつけられるようにしてた。俺には母ちゃんがいるもの。他にもいっぱい、頼もしくって話が合う、俺のこと、ちゃんと判ってて、素の顔への要領や勝手ってのを合わせてくれる、大人の友達も一杯いるもの。だから、今更 新しい知り合いなんてそんなにほしいとも思わないしね。判り合えてて気が楽で、優しいし親身になってくれはするけど、余計な踏み込みをしない。こっちの内心を先読みしてくれた上で、あくまでもクールな間柄を保っててくれる“理想的な”大人たちが周囲にはいっぱい居たからね。実は大人も顔負けなほど強かなのに“子供の振り”をたまにして見せるのが、性(たち)は悪いが面白くてしようがなかったよ。
――― だけど。
そんなドライな環境を居心地よしとしていたせいで、知らないうち、無理な背伸びってのも うんとしていたのかも知れない。だから。大人ぶるためには必要な緊張感なんて一切要らない、気がねなく、それこそ“子供らしく”傍若無人に振る舞ってもいい、すっかりと甘えて良いんだよって場所、実はいつだって探していたのかも。
“九九を半分だけ覚えていること、胸張れるような相手なんてサ。”
そういや今までには居なかったよな、と。いつだったか葉柱のお兄さんと交わした会話を思い出してる、随分と重症な坊やなようでございまして。
“………う〜ん。”
いつものように…ゴールというか目的のはっきりしている“悪巧み”を捏(こ)ねるのとは違って。答えの出ない、不毛な考え事をしているせいだろうか。煮え切らない想いはいつまでも、その小さな胸に閊(つか)えてすっきりしない。人の思惑なんてもん、気にするなんてらしくねぇよな。別に良いじゃん、ルイにどう思われてようが。これまでそうだったように、ゴーイング・マイ・ルール、俺の好きなようにしてればいいんだって。恐らくはこれが“正解”なんだろうと、判っちゃいるんだけれどもね。なのに…どうしてだか、そこへと決着すると収まりがつかない何かがあって、それがどうにも気になって気になってしようがない。一体何が、収まりが悪いと抵抗しているのだろうか。
『どうして葉柱さんへは良い子のお顔をいつもしてないの?』
『お前、ほんっとに子供らしい遊びってのには はしゃがねぇのな。』
セナからの一言が、それからね、ルイ本人からの一言が思い出される。
『男ってのは、好きな子にはやっぱり可愛らしい振る舞いをしてほしいものかも』
良いように振り回して悦に入ってばかりいると、そんな生意気だと、相手だってそのうち疲れてしまうんじゃなかろうか。ルイもね、そういう相手は嫌いかも。鼻先であしらうような生意気ばっか言ってると、いつかそのうち愛想を尽かされちゃうかも? そこんところが、どうやらあのね? 気になってるらしい自分であり、
“………これって何か。嫌われるのを怖がってるってシチュじゃねぇ?”
頭が良い子はこれだから困ると、自分へしみじみ思ったのは初めてのこと。だってそこから連動想起されたことは一つしかなくって。そやって引き出された、何へこだわってる自分なのかって結論へ、
“うっわ〜〜〜っ。//////”
あっと言う間にお顔が真っ赤になっちゃったほど。つまり、
“これってもしかして、俗に言う“ヲトメ”ってやつか?”
冗談はよせ〜、似合わねぇ〜〜〜/////// 大声で叫びながら、その場で地団駄踏みたくなったほど。若しくは、机の上のもの全部どっかへ投げ出して、そのまま思い切りの全速力で駆け出してみたくなったほど。だがだが、
“………うう。”
授業中です、落ち着きましょう。(苦笑) 転寝していたものが、はっと眼が覚めでもしたかのように。いきなりガバッと顔を上げた金髪の坊やには、姉崎センセもハッとしたらしかったけれど、
“な、なになに? 私、何か間違えた?”
何か大それた言い間違いでもしたかしらと、そっちへ心配したらしく。コトの真相に気づかれなかったこと、お互いに良かったですことと、場外からも胸を撫で下ろしてしまった、それはそれは長閑な(一部例外あり)授業中の風景でございました。
………いや、だって。
授業中に居眠りですか?とか問い詰めた揚げ句に、
こんな恋愛への葛藤に胸を傷めてるだなんて告白されても、
姉崎センセーには荷が重いのではなかろうかと。(…ねぇ?)
◇
お昼までの授業が終わって、それじゃあさようならと低学年の子供たちは一斉に帰る。10日くらいになったら給食も終しまいになって、全校での短縮授業になるのだろうが、今はまだ、高学年のお兄さんお姉さんたちは午後からの授業がある身なので。給食を食べ終わった子たちから、校庭でボールを投げ合って溌剌と遊んでいる模様。とはいえ、そろそろ本格的に湿気が増しても来たようで。こりゃあ傘出しといた方が良いなと、折り畳みのをランドセルから取り出していると、
「ヒユ魔くんvv」
昇降口から出ようとしかかったところで、たかたかって後から追いついて来たセナが声をかけてくる。
「さっきはありがとーvv」
「何がだ。」
「ノリがお洋服についたの、取ってくれたでしょ?」
「ああ、あれか。」
もしかして俺って、凄んげぇ世話焼きな奴の生まれ変わりで、しかも前世では、こいつの傍に仕えてた側近か何かだったのかも知れない。だって、そんな世話焼いたなんて、全然覚えてねぇもんよ。無意識にやったんだぜ、きっと。ノリってことは図工の時間か。ぼんやりと記憶の中を振り返る。4時間目の図画工作の授業は、先日の写生の絵の仕上げにあてられ、それが終わった子は間近い七夕にまつわる思い出を題材にしての“絵てがみ”っぽい貼り絵をした。ウチは小さいながらも庭やウッドデッキがあるんで、七夕の歌にあるよな“軒端”に笹を毎年立ててる。去年は、えっと、どんな短冊下げたんだっけ。そんなこんな思い出そうとしてたら、そうそう…このチビがブラウスの袖口、肘んところに折り紙張りつけてんのに気がついてなかったんで、取ってやったんだっけ。
「でも、ヒユ魔くんてサ。」
「何だ。」
「笹の貼り絵、凄っごく上手だったよねvv」
おうさ、考えごとしてたからな。殆ど機械的に、ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた…っと、玉子の殻で作るモザイク画みたいなノリで、黒一色のハガキ大の台紙の上、緑の折り紙を切ったの貼りまくっててよ。気がつけば…たいそう写実的な笹竹とたわわな笹の葉とを完成させてた。夜空に星を、笹に短冊を足したら、お見事な七夕の夜の出来上がりで、
「姉崎センセイが、ぷりんたで印刷して夏休みの宿題帳の表紙にさせてってvv」
言ってたらしいです、はい。さすがにそれはお断りした妖一くんであり、
『夏休みの間中、自分が作ったこれを見続けるのは何かヤだ。』
だって考えごとしてたしサ。それまで連動して思い出しちゃうから、絶対にイヤと。いつもの我儘っぷりを繰り出してお断りしたんだけど。
「へぇ〜、天才画家がお帰りだぜ。」
向かおうとしていた方向からのそんなお声に、おややと顔を上げたれば、
「いいな、チビたちは。もうお帰りか。」
懲りん奴だなぁとうんざり顔になった妖一くんへ、何でだか執拗にちょっかいをかけたがる、恰幅のいいお腹が目印の、六年生の室くんだった。これまでだって散々な目に遭ってるくせにネ?
“何で懲りないかなぁ。”
宿命のライバルか何かのつもりなのかな。いい加減、こっちこそうんざりしてたりして。そんなにもこのガッコでの“一番”になりたきゃ、いくらでも代わってやるのにね。先日も何かの折にそんな風に話していたらば、それを聞いてた周りの子たちが一斉に“それだけは思い直してっ”と言って来たけどサ。
『だって、ヒユ魔くんのお名前出すだけで、中学生のお兄さんでも逃げ出すもの♪』
それがムオさんに代わったらサ、御利益? それが無くなっちゃうじゃないと。最近頓(とみ)に、大人しいんだか実は強かなんだかな、判らなくなって来つつあるセナくんが、そんな風に言ってたような。
「知ってんだぜ? お前、綺麗な絵、描けるんだってな。」
「絵?」
覚えがないなと、あまりに唐突な話題に小首を傾げて見せれば、
「さっき、センセに褒められてたんだってな。」
――― あれれぇ?
何でそんな情報を、早々と知っているんだろか。こいつって、もしかして妖一坊やのストーカー?
“おいおい。”
だってサと、怪訝そうになってる筆者へこっそりと、呆れて眇目になったまんまの妖一くんが言うにはネ?
“さっきの4時間目、こいつら体育だったからだよ。”
………え?
“雨降りそうで、あんまり気温が上がらなくて。それで急遽って感じで水泳が取りやめになったもんだから、校舎周りのポーチんトコで、柔軟とかやってたんじゃねぇの?”
あ、そかそか。それでたまたま、坊やたちの教室が覗けたと。
“そんくらいで、鬼の首取ったみたいな顔してやがんだもんな〜。”
あんまりしつこいようならば。こいつのお兄さんってのにもう一回会うことにして、いい加減にさせてくんないと、俺も鬱憤晴らしをしたくなるかもしれないぞと。遠回しに脅しをかけても良いんだけれど。そんな恐ろしいことをその内心にて企んでいた坊やだったが、
「七夕の絵だってな。短冊にはなんて書いたんだ?
お父ちゃん、早くお家に帰って来てよう…ってか?」
………おや。それは何でも、軽々しく口にして囃し立ててはいけないことでは?
「知ってんだぜ? お前んチ、父ちゃんが2年半も帰って来ねぇんだってな。」
どこまで調べた執念深さか。何にしても、それだけは…楽しそうに言っていいネタじゃないのにね。すぐ傍らにいたセナくんも、ついつい表情を硬くする。触っちゃいけないこととして殊更に気を遣った覚えはないけど、それでもね? こういうお話じゃなくたって、他所様のお家のことを話題にするのは、しかもそれを蔑むなんてのは、やっちゃいけないっ最低限のマナーでしょうに。
“…ヒユ魔くん。”
そんなこと言ってはいけないよって飛び出してあげられない自分が、ちょっぴり辛くって。それで、おずおずとでしか見られなかったお友達。黙ってたのは、まま、最初っからなんだけど。もしかしてやっぱりショックな話題だったのかなって思っていたら、
「そうだよな。そんな長いこと帰って来ねぇなんて、サイテーの親父だよな。」
妙に低い声がして。けれど、お顔は………笑っていたの。
「皆して 気ぃ遣ってくれっけど、実は俺が一番腹立ててんだよな。こんな風に、それがこっちの弱みだと、勘違いする奴がいつかは出てくんじゃねぇかと思ってもいたしよ。」
口元をニヤリと少しほど歪めて見せて、
「いい加減、鬱陶しいって思ってたんだが、いい機会だ。きっちりカタぁつけようじゃねぇか。」
いかにも型に嵌まった言いようなのにね。一度も咬まず、そりゃあ流暢に言ってのけちゃうところが、現実離れしていてね。
「えっ?えっ?」
妙に落ち着き払った口調なのが、却って嘘寒い。顔を赤くして“口惜しぃ〜〜っ!”って顔をさせたかっただけなのに。それか、泣きそうな顔させたかっただけなのに。何でか この子、真顔になってる。しかもそれが………、
“………凄げぇ、怖い。”
キレて何するか判らない奴ってのは、こういう眸をするんだと。本能的にそう感じたくらいに、そこだけが凍ったような、微動だにしない眸だった。間近にいて、体格に差があったから、
「…っ!」
ザッて一瞬、自分の方へ手を伸ばして来たって察したものの、敏捷さには自信がなかったから、あまりの素早さに視線さえ追いつかず、何されたんだか判らなくって。ただ、腰あたりをグッて引っ張られたのは判った。恐る恐る見下ろせば、はちきれそうなサイズの短パンの、前ファスナーが下りている。え?と思いながらも手を伸ばして、つまみを指にし上げてみたが、布を咬んだかビクともしない。引き降ろしてから斜めに強く引いて、わざとに布を咬ませたらしく、ほんの一瞬でそんなことが出来てしまうとは。しかも…口元や頬を得意げに緩ませもしないままであるのが、何故だか無性に恐ろしい。
「構ってほしかったんだろ? これからは毎日だって構ってやろうか? 毎日毎日、手を変え品を変え、こういう思いを一杯いっぱいさせてやろうか?」
透き通った金茶の瞳を氷のように冴えさせもって、外国製のビスクドールとかいう人形みたいに冷たく整った顔を、ふふんと笑った形へと作り物っぽく動かして見せ、
「他の奴には俺から言っといてやるから、大人数で取り囲んでまではやんねぇ。一対一だ、あくまでもな。自慢のタッパで逆らえばいい。殴り返しや蹴り返しをしてもいい。」
ただただぼそぼそと、呟くように言ってやり、
「ただな? これだけは忘れんな。俺が本気んなったら、今までの構い方なんて比じゃなくなる。覚悟して掛かって来なよな。」
いつの間にやら間合いを詰めており、顔を真下から舐め上げるように見上げてやると、
「………ひっ!」
壊れた笛みたいな声を上げたので、本人を凍らせていた呪縛がやっと解けたらしい。足がもつれたか どんっと尻餅をついてから、焦ったように後ずさりをし、そのまま慌てて立ち上がると、後をも見ずという勢いで脱兎のように駆け出した上級生であり。
「………ヒユ魔くん?」
妖一くんが怖い雰囲気になっちゃったのは、喧嘩になっちゃったから。そんな展開へは、どこかで慣れもあったセナくんだけれども。相手が逃げるように駆けてったのをじっと見送ってた、見慣れてた筈のお友達の背中が、何だかちょっぴり他所他所しくって。お父さんのことを言われたのが、やっぱりヤだったのかなって、心配していたら。
「………雨だ。」
細い顎を空へと反らして。無表情な白い横顔が、切なげなお眸々になって。暗い雲をじっと見上げていたのが、薄い肩の向こう、少しだけ覗けて。あまりにも寂しそうなお顔をしていたの、とっても心配になったセナくんだった。
←BACK/TOP/NEXT→***
|