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蛭魔が向かった先、五行博士の高見のところへと。樒の玉串などへの御幣に使う純白の半紙を、小鳥の形に切り取って。なむなむとお祈りをし、窓から放して…伝信の“式神”を飛ばしたセナであり。紙の小鳥に託したは、短い短い一行だけの言伝てで。
――― 葉柱さんが、思い出したものがあるそうです。
程なくして…牛車を無理から かっ飛ばさしたか、それとも駒でも借りたのか。思っていたより数倍も早くに、結構遠かった筈のお屋敷から駆け戻って来た金髪痩躯のお館様へ。黒髪の邪妖の総帥さんは、さっきのお饅頭から思い出したという“コトの次第”を語ってくれて。
「茶の匂い?」
「ああ。」
やっとのこと意識が戻ったその間合いに、丁度出掛けようとしていた蛭魔だったので。他のことだって全く全然話してはいない。どうせ何にも覚えちゃいなかろう、心当たりだってないに違いないと決めつけてか、それとも…たかが侍従の、それも式神の身を案じてやっている自分だということ、当の本人へ気づかれるのが癪だったのか。どっちにしたって…調べる上での無駄足を踏まないためにも、事情聴取は基本のこととて、しておくべきでしたね、お館様。(苦笑)
「此処の敷地の近くへと“遠歩(えんぽ)”の跳躍から出て来たその折に、誰かの睨みつけみたいな強い気配とそれから、嗅いだことのねぇ匂いを感じてな。」
彼の言う“遠歩”というのは、遠い場所から別な次界経由で一足飛びに目的地にまで移動する術のことで、今風に言うなら“瞬間移動”というところか。此処の空間へとその身を現したとほぼ同時、誰かからの念と一緒にそんなお初なものの香りも感じたのらしく。
「いやな匂いじゃなかったが、妙に癖があるというのか、微かなもんだったのに際立ってた匂いだったから。」
それへも気を取られてしまったその隙を、まんまと衝かれた自分だと思うと、それはそれは正直に語った総帥さんへ、
「…ったく。隙だらけなんだな、お前はよ。」
だってのに、さすがは蟲だ、匂いだの湿気だのには敏感だってかよと。こちらさんもまた相変わらずの憎まれ口を利いたものの、
「茶ってのは、いくら都でも そうそう何処んでもあるもんじゃねぇ。」
だからして、相手の素性の鍵には違いないわなと。浅い青の単ひとえに包まれし腕を、胸の前にて組んで見せた蛭魔であり。お茶といえば、この時代からはもっと後世にあたる鎌倉時代のお坊さん、栄西という人が宋から種を持ち込んだものが、宇治や駿河に伝えられ、そこから日本のお茶の歴史が始まったとされているものの、
“それはあくまでも、茶道の習慣がどう広まったかとかいう次元の話だろ?”
お茶自体は何と、最澄が平安時代の初めに唐から伝えており、あくまでも薬用としてながら、畿内で栽培してもいたとかで。ありはしたけど、そんな特殊で希少なものだけに、貴族であってもかなり位が上の存在にしか、実物どころか名前も広まってはいないはず。セナが匂いから“お茶だ”と言い当てられたのも、
「ボクは、桜の宮様が催されてた、藤の花見の宴でいただいたのを思い出しました。」
その時もやはり、これより小さめのお饅頭に風味として練り込んであったのだとか。
「東宮様の宴と来たか。」
そのくらいに高貴な御方でもない限り、ほいほいと“お菓子ですよ”として出せるものではないということであり。だからして、葉柱には引っ繰り返る寸前に嗅いだのが初めての接点だったのでもあって。
「けどなぁ…。」
問題の咒を唱えていた誰かさん。そやつの念じの気配に茶の匂いが乗っかっていたということは、まだまだ希少な“茶”を、匂い立つほどの大量か、若しくは日常の常として扱うほどに、身近に置いてる存在だということになるのだが。
「そういう階層ってのは、俺への恨みがあってお前に八つ当たりしそうな連中との条件づけが、大して変わりゃあしねぇんだがな。」
いくら今帝からの覚えあっての抜擢だとはいえ、素性もはっきり判らぬその上に、権門の看板をひけらかす古株の面々へ全くおもねらないという、礼儀知らずで生意気な若造。ただの成り上がりだってだけなら、洟も引っかけないでいれば済む。だがだが、こやつはそうはいかない。天帝の和子であらせられる帝の催されし“国事的神事”に携わる“神祗官補佐”なんていう最高位の役職にいたりするわ。今帝の治政が安泰だとする関係上、正式な場では公認されていないものの、貴賎を問わずに人々を脅かす、凶悪な邪妖や悪霊の出没へは必ず乗り出し、それを滅殺封印する術に長けている…と来た日には。権威へも能力へも、ぐうの音も出ないほどに勝ち目のない相手だったりするもんだからということで。位の高き権門へほど、山ほど海ほど敵の多い術師の青年。よって、高価なもの希少なものへのつながりがある相手という条件は、あんまり調査の進展へ関係しそうな項目じゃあないってばよと、すっぱり断じた蛭魔であり。
「そっか…。」
さしたる役には立たんかと、力なく項垂れた蜥蜴の総帥。そんな仕草に合わせるように。いつもはきちんと整えて立てている前髪が、はらり一条だけ額へと零れた。
「………。」
野趣に富んで男臭い、いかにも精悍な顔立ちが今は。すっかりと覇気を無くしてしまっており。大きな肩やら背中やら、力なく萎えたそのまま、がっくりと落としてしまっているその姿。寝間に座ったままでいるせいもあってか、何とも悄然として見えて。
「………。」
執り成すなんて柄じゃあないが、それでも…それでも。何か言いたくなってのことか、枕元へと座していた、蛭魔の薄い口唇が一瞬震えて、それから…あのね?
「ちび。」
「はい?」
「昨夜はお前もあんまり眠ってはおらんのだろう。」
「あ、はい…。」
でもでも平気ですようと、小さく笑って見せたのは。ご心配は要りませんと言いたかったらしい坊やだったが、
「今のうち、少し休んでおれ。」
「え〜?」
大丈夫ですってと、今度は子供扱いへ抵抗するように言い返しかかった、そんな坊やの頭越し。蛭魔からの目配せを投げられた進が頷き、小さな主人をひょいと抱えて、障壁結界の境目でもある、几帳のお外へ連れ出してくれて。
「………。」
まさかにそれも結界の効果ではなかろうが、身動きしないと衣擦れの音も立ちはしなくて。たちまち しんと物音がやんでしまった空間に。そういえば…昨日の今頃に一旦 塒ねぐらへ戻った自分だったので。そこから数えれば丸一日越しの今やっと、彼らだけで向き合えたのだと、今頃になって気がついた葉柱だったりし。
「…具合はもういいのか?」
「ああ。」
ついと。流れるような動作でもって、術師の腕が伸べられる。こっちへと突き出したそのまま、とんっと後ろへまで突き飛ばそうというのかと思ったほど、勢いがあった所作だったものの。額へふわりと触れた手のひらは、思いの外に優しくて。感触もやわらかく、さらりと乾いて心地いい。視線を上げれば、こっちを向いてた視線とかち合う。出来のいい玻璃のような金茶色の瞳を冴え冴えと据えた、細おもての華やかな造作の面差しは、神妙な顔…には見えないものの。おもしろがって笑うでなし、強いて言うなら迷惑そうに怒っているような顔でいる彼であり。
「すまんな。」
「ん?」
「役に立てて初めて“式神”なんだってのにな。」
それがこんな…迷惑かけて負担をかけてりゃ世話はないよなと、口許だけをほころばせながら、やっぱり覇気の無い声を出す葉柱で。
「………。」
項垂れてしまうと、その途端。日頃はただただ雄々しく頼もしい姿が、何ともしょんぼり情けなくもしぼんでしまう。そんな姿を人目に晒せるところ、自分には真似が出来ないことであり。本性は蟲の邪妖で、人間とは微妙に…何かと価値観が違うかも知れないが、彼ほどの格の者ともなれば矜持や誇りがないって訳でもないだろし。
“時と場合と相手によっちゃあ、物の役にも立たないもんではあるけどな。”
いくら弱みを見せたくないからといったって、人を寄せないほど片意地張ってもしょうがないから。こいつであればと許せる相手へだけ、肩の力を素直に緩めることが出来る彼なのかも。誰かが差し向けてくれる優しさを、いたずらに疑うこともないまま、素直に受け入れられる。そんな朴訥さは、だが、そのまま懐ろの深さでもあって。そんな男であるからこそ、強いからと頼りアテにされるばかりではなく、困っていれば案じてもらえ、小さな者らからも慕われ好かれる総帥様なのかも知れなくて。とはいえ、
「…式神、式神とうるせぇよ。」
それこそ怒ってでもいるかのような、苛立たしさの滲んだ声をかけられて。はっとした葉柱が顔を上げると、
「俺は別に…日頃からだって、お前なんざ頼ってないんだからな。」
小さめの顎をほんの少し引いての、下から睨みあげるような格好で。真っ直ぐこっちを見やったそのまま、淡々とした言いようを紡ぐ蛭魔であり、
“大体。今度のこれって、お前のせいじゃねぇだろうが。”
陰陽師としての技量や知識、どこまで本物かと疑われてのこと。雨を降らせよ、若しくは長雨を止めよだなんていう、神にも等しき“自然”を屈服させるよな。それはそれは大変な祈祷を、上達部の大臣たちなどなどから“やれるもんならやってみぃ”と強いられたことも かつてはあって。言ってみりゃあ、衆目の只中にて恥をかかせんというのが目的な、いかにも底の浅い喧嘩のようなもの、大人げなくも売られたこともありゃあ、はたまた…誰を失脚させたくてのものか、禁忌とされてる呪いの咒とか性根タチの悪い邪妖がらみの悪巧み。こっそり構えられたる、いかにも危ない謀議の場へと、公安機関にあたる検非違使なんぞに成り代わり、乗り込んでってぶち壊してやったこともある。どんな騒ぎや難儀へも、それは堂々と顔を上げ胸を張り、颯爽と振る舞っては…思う存分暴れ回ったその末に。見事なまでの鮮やかさにて、あっさりこんと収拾してしまう若造を。よく言って可愛げがないと、思いのままにあしらえないのが忌々しいと、憎々しく思う古狸も少なくなかろう。そうまで“怖いものなし”の彼でも、何かの拍子、手数が足りずに覗く隙…なんてものが、千度に万度に一回くらいは、あったりしたりもするのだけれど。
『ホンットに身勝手で強情な奴だよな、お前はよっ。』
そんなところをこれまたきっちり支えてる、黙って出て来てもちゃんと追いつき、窮地から助け出してくれる凄腕の侍従の存在を、知ったる者にしてみれば。腹立ちもなお増しての八つ当たり。本人へは歯が立たぬなら、そっちをせめて困らせてやろうと、狙いをつけるも道理というものかも知れずで。
「お前が何かやらかして、それで俺に余燼が飛んで来たって代物じゃあねぇだろが。」
自分の言動や行状を改める気なんて、今更さらさら全くない蛭魔だけれど。それが彼なりの帳尻合わせに符合するなら、どんな理不尽な理屈であれ、誰かのせいにしちゃって憚らないよな、豪胆で無茶苦茶な彼だったりもするけれど。
「覚えのないこと闇雲に庇われるのは、却って腹が立つんだよ。」
言うだけ言って、ぷいっとそっぽを向いてしまう、やっぱり我儘な“俺様”さん。ホントはこんな、欠片みたいな言いようだって、零してしまいたくはなかったのにね。倒れたことまで自分の非だと引き取ったその上で、そんなまでしょげちゃうんだもの、君ってば。これって君のせいなんかじゃないのにさ。むしろ、ボクが嫉まれてのとばっちりなのにさ。そうやって何でもかんでも引き取るなっての。何様だよ、お前…なんてこと、その胸の裡うちにて ぶつぶつとぶうたれていた術師殿。とはいえ、あんまり省略し過ぎたもんだから、
「庇うって…?」
却って何にも伝わらず、素のお顔のまんまでキョトンとしちゃった葉柱さんだったりするのだが。ぐりりとした三白眼の眸を見開いての、ともすれば怖いかもしれないそんなお顔でも、しょげてた顔より何倍もいいと。膨れながらも…ついつい見蕩れた蛭魔さんだったりしたのだけれど、
「…そんなことよか。」
あ、誤魔化した。(苦笑)
「本人からの訊き込みってのも しとくもんだな。」
茶に縁がある奴は、確かにそんなに数は居ねぇ。何となりゃ、薬師か蔵部あたりを片っ端から当たってみるって手もあるしなと、にんまり笑ったお館様。着いてすぐにぶっ倒れた奴なんだ、何にも覚えてなかろう、頼りアテにはなんねぇだろうだなんて、決めつけてて悪かったな…だなんて。謝っているのだか、ますますの侮蔑をしているのだか、相変わらずによく判らないお言いようをしたお館様へ。へいへい、そうですかいと目許を眇めて。こちらさんもやっぱり、いつもの調子に戻った総帥殿が、
「俺への名指しの咒だってのは、何を指してそうと判ったんだ? お前。」
怪我ではなく咒による攻勢を受けて引っ繰り返った葉柱だと、一瞥しただけで…周囲の気配を嗅いだだけで断じた彼だってのはまま判るが、
「俺への目印でも付けたところへ目がけてって格好で、仕掛けられてたもんなのか?」
だとしたら、何でまたこの屋敷に着いた途端に発動したのか。昨日の一日、塒ねぐらに帰ってからだって発動されても良かったはずだ。
「良かったはずだ?」
そうかいそうかい、俺の気づかんところで引っ繰り返りたかったってかい。いや、そうじゃなくってだ。下手な物言いをすりゃあ、すぐにも突っ掛かってくるところまで復活したお館様へ、
「塒は此処より無防備だからって言ってんだろうが。」
自分たちの一族を恐れた村人たちから、祟りがありませんようにとそこへ祀られていた訳ではなく。むしろ…ずっとずっと昔に近在の住人がいなくなったことから見放されたよな古い祠。よって、継続的な信心による護りガードもないままに、邪妖である自分たちが寝起きしていたような、完全に無防備な場所である。なのに、そっちにいた昼の間は何ともなくて、蛭魔が色々な用心のために張った結界が山とあるだろう此処へと来てから、その“名指しの咒”とやらに搦め捕られたのは何でだろうかと。
「名指しってことは、場所に向かって仕掛けられてた咒じゃないんだろ?」
それって理屈がおかしいと、素直な見方をした上での質問を投げかけられて、
「いや…だからだな。」
そうだった、こいつは学問的なところじゃあ素人と変わらないのだったと、蛭魔の方でも思い出す。陰体で邪妖だから、一般の人間よりかは感応力もあるけれど、知識という点では、どうかするとセナと変わらないくらいなのかも知れなくて。
「名指しったって、左京区どこそこにお住まいの、神祗官補佐 蛭魔様方 葉柱さんへっていうよな名指しじゃあない。」
そういうのもあるにはあるけど、そこまで…名前までって詳つまびらかに素性が割れてるお前じゃなかろうからよ。蛭魔はまずはそうと言い、
「今回の場合は、どこで得たやら、お前の髪だか持ち物だかを媒介にしているらしくてな。」
「髪?」
相手が肌身につけていたものや、いっそ身体そのものの一部とか。そもそもの“主あるじ”と共鳴出来るような何物かに、一心に祈るなり念じるなりすることで、その思惑を伝えんとする“名指しの咒”。
「だからこそ、弱々しい念波でも他へ紛れることなく届いているのだ。」
現に、自分もセナも、その予兆のようなものは全く拾えなかったからな。此処の近辺には人が住まう屋敷もないから、誰ぞが潜んでいたならすぐにも判る。そんな気配もなかったってほど、ある程度は距離があった遠隔地から放たれたもんで、しかもそうまで弱くとも確実にお前へと届いたことが、何よりの証拠なんだよと、順序だてての説明をしてやれば、
「…じゃあ、そいつの住まいはここの近所だってことだろか。」
「単純に考えりゃ、そういうこったな。」
つか、あの塒は本当に山深い野辺にあっから、人の出入り自体も そうはなかろうと付け足してやれば、
「で、そいつと俺はどっかで逢ってるってことか?」
「逢ってるってか…まま同席くらいはしたのかもな。」
身につけていたもの、手に入れられたほどには。だからこその直接に、お前目がけての咒を仕掛けて来れた訳だっつうのと。そうまで過酷な条件付けの発信元を探る方法を、あーでもないこーでもないと、一晩かかって検索していた蛭魔が忌々しそうにぶうたれたのだが、
「けどなあ…。」
「何だよっ。」
何も出なかったってのにまだ訊くかと、ややもすれば強い語調で声を返せば。
「おや、肩に髪の毛が…なんてな雰囲気を持ち合えるような、そんなのほほんとした場で、しかも俺もが同席していてお前が逢うよな相手ってのは、敵方に回りそうな顔触れじゃあなかろうよ。」
「それはそうだが…じゃあこういうのはどうだ。」
丁々発止と斬り合うような、戦いの最中であるならば。相手の攻勢を躱すおり、髪でも衣紋でも端っこが裂かれるようなことは往々にしてあろうから。いくらお前が実は邪妖で、直接に姿を見るのもホントは難しい存在だとはいえ。絶対に手に入れられないというよなものではなくなろう。そんなとんでもない“例えば”を繰り出したその揚げ句、
「そっちの格好での機縁ある間柄になった相手だってのなら。」
今んところは負け知らずの俺らだからよ、恨みもきっと骨髄で、仕返しの咒を構えたくもなろうってもんだろよ。そんな恐れを知らない言いようをした上で、
「それでもないなら…後は。俺の知らねぇところで誰ぞかと、髪を拾われるような、衣紋をいじられるような出会いをしとるってことにしか、頼れねぇんだがなぁ。」
「………いきなり声を低めてんじゃねぇっての。」
今になって…葉柱本人と向かい合ってて、不意にむくむくと思いついたことだろに。いやに気持ちの重々しくも込もったお声やお顔へと、その様子が変貌した蛭魔へ。おいおいと宥めるような声をかけた葉柱だったりしたのだが、
「…それって、今 巷で流行ってる、恋愛系統のおまじないみたいですよねぇ。」
背後から唐突にかけられたお声に、二人揃って肩を跳ね上げてたりして。
「な、なんだ、お前っ。/////////」
セナくんだったら確かさっき進に連れ出させたはずで。そんなセナや進以外に、現在ただ今の彼らの苦境を知っていて、尚且つ、警戒を抱かせぬまま、こうまで接近出来たりするなんて人はと言えば、
「何でお前が、陰の結界障壁を擦り抜けられたんだ、高見。」
五行の教えには詳しいものの、実践には縁のない人。陰陽師でもなければ神官でもない立場のくせに。いつから其処に居たのよ、あなたと。几帳のすぐ手前にちょこりと正座して座ってる、直衣姿のやたら背の高いお兄様を振り返った、お館様と総帥殿。
「ついさっきですよ。進さん、でしたか。セナくんを抱えて此処から出て来られたのへ、案内を請いました。」
「それって…。///////」
もしかしたらば…痴話ゲンカと紙一重なやりとりになりかかってた会話を思い出し、もしかしなくとも全部を聞かれてたのかしらんと、赤くなったり青くなったりしているお二人へ、
「いえね。相手の髪とか、筆や扇なんていう持ち物へお祈りするおまじない。確か○○寺の門前町の、お給仕役やら下働きやら、若い女性たちの間で流行ってるって聞いたことがあるんですよ。」
にこにこと笑いながら、話の続き、そんなことを言い出した高見さんであり、
「……………え?」×2
コトの当事者のお二人が…キョトンとお揃いのお顔になってしまう。本当は、頼まれていた風水の書を見つけたのでと届けに来た彼だったのだけれど。仲がいいからこその庇い合いとか、それが落ち着いての甘え合い。果ては、痴話ゲンカもどきな言い合いになりかかってたお二人を見ていて、ふっと…そんな番外というか例外的なことへまで、想いが至った彼だったそうで、
「陽の咒だっていうのが、セナくん同様、ボクにも何だか引っ掛かってましてね。」
葉柱への効き目がすこぶるあって、けれど追跡は難しい陽の咒を発動させた誰か。もしもそれが…葉柱のことを“陰体”だってちゃんと見抜いてる方がやってる策謀なのだというのならば。
「こんなこっそりとではなくて、沢山の衆目を集めた場とか、蛭魔の助けにと現れたところでやって見せた方が、こちらがそれはそれは困る様を見られて、溜飲も下げられるはずでしょうに。」
ころころとそりゃあ穏やかなお顔で笑っている、至って温厚そうなお兄様ではあるけれど。言ってることは十分に、物騒だったし凶悪だったりもしたりして。
「…こいつってば、相変わらずに読めん奴だよなぁ。」
「つか、こいつに俺の正体バラしてたのか? お前はよ。」
訊いた葉柱がムッとしたのは、自分の連れが邪妖だということ、面倒だからでも詮索されたかないからでも 理由はどうでもいいことながら、蛭魔の口からわざわざという形では、誰にも言ってはいないものと思っていたからに他ならず。言わば“秘密”であろうことが、そのまま…自分と彼との間にだけ存在するもの、特別な絆みたいに思えてもいたのに。そういう優越を易々と覆すほど、自分なんかよりも信頼を置くような特別な奴なのかという方向からの“ムッ”であり。そんな喧嘩腰の責めるような声へと、今度は蛭魔がカチンと来てか、
「わざわざ言った覚えなんざねぇけどよ。」
今さっきの会話を聴かれていたのなら、今知ったばかりなのかもしれませんしね。(苦笑) それは無しにしたっても、今回の事態で、蛭魔が何を躍起になって調べていたのか、片っ端からあさった書の山を片付けがてらに追跡したらば…輪郭くらいは判るってものかも知れないし。
「そういうんじゃなっくてだな。」
「あぁ? 何だってんだよ、うっせぇな。」
お前が人ならぬ存在らしいってのは、他にだって薄々気づいてる奴くらい一杯いらぁな。乗り込んだ先へと後から追っかけて来た時なんざ、人の技とは思われねぇような現れ方だってしてやがる奴が、普通一般の人間だと思われてるはずがなかろうが。そういうとっから話が漏れて、正体なんざとっくにバレバレだったんじゃあねぇのかよ。そんな事情じゃあ、俺がいくら黙ってたって無駄だわな。それに、
「秘密にしとくなんてのは、疚しいことだからじゃねぇのかよ。」
「………っ!」
大威張りで言い切ったということは。
“バレたとしても、弱みになるなんて欠片ほどだって思っちゃあいない…ということですよね。”
高見さん、それだと曲解し過ぎです。(苦笑) 厳密なことを言うならば、真実が必ずしも正しいとは言い切れず、嘘以上に人を傷つける凶器にもなることがあるのだ…とか。秘密を持つこと、秘密にしておくことへの肯定理由や酌量ってのは結構いっぱいあるもんですが、
――― そんなややこしいロジックなんか要らない。
あの蛭魔が…方便や詭弁で丸め込みたくないとする、無垢な気持ちと体温で接したいとする、相手であり場合であるということが。説法や学問という畑でのお友達な高見さんにも、それはそれは微笑ましくって、それはそれは嬉しいことだと思えたそうで。
「さっき葉柱さんが、なんでご実家に戻ってた昼間は無事だったんだろうかと仰有ってましたが。」
どうか落ち着いて下さいませと言う代わり、差し障りがないところだけ、説明して差し上げましょうということか。
「そのご実家…塒ねぐらというのは、普通の家屋ですか? それとも、術者に縁があるとか祈祷の痕跡やまじないの匂いが強いとか、そういうお屋敷ですか?」
相手へ間違いなく届きますようにという“指針”の代わり、相手の匂いや気持ちの一端が染みている何か、用意されたる媒体経由なら、場所なんて選ばずに届くはずではないかいなと、そこを不審がってた葉柱だったが、
「善意の信心が多少なりとも染み付いているようなお屋敷ならば。熱心な祈祷なんかが飛んで来たなら、ああ懐かしい暖かさだ、久し振りの滋養だとばかり、飢かつえていた本来の主様に吸収されてしまいましょうし。」
うふふと笑って何ともお暢気そうな例え話をなさって、それから、
「もしかして…そんな種の、悪気のない咒だったのなら。
害意とか悪意は籠もっていないからこそ、
蛭魔ほどの術使いでも追えないでいるのではありませんか?」
日頃の何でもない時だって、なかなかに挑発的で血気盛んなこちらのお館様を前にして。思いも拠らぬところに盲点があったんじゃあありませんかと。至極あっさりと。言ってのけてしまわれた、高見さんだったそうでございます。
◇
結構ドキドキした幕開けだったのに、顛末は本当に呆気なくって。葉柱の着ていた衣紋の端っこ、それは大事そうに神棚や神前へとお供えして。恋が成就するおまじないだからと、知り合いの女官から教わった咒を朝な夕なに唱えていたのは。朝廷の奥向きにまで出入りを許されていた、薬師の家のお嬢さんであり。
『薬師か…。』
それも、お茶を専門に扱っていたお家筋だったそうなので、それで咒に乗っかっての茶の芳しい香りが届いたのでしょうね。
『それに、殿中へ上がれる階級のお家なら、清めのしきたりも きちんきちんとこなしておわす筈。』
術というものへはまるきりの素人だった娘さんの、だからこその邪心のなさと一途さと。そんな清浄さが却って、咒の効果までもを高めていたのではないでしょかというのが高見の見立てで、
『けど、衣紋の端っこって…そんなもん、どうやって手に入れたんだろ。』
時折 大手門くらいまでなら迎えにと来ることもある葉柱ではあるが、逆に殿中までなんて出入りは…さすがに本格的な魔除けの結界が厳重に張り巡らされていることもあって。たった一度、今帝と直接掛け合うと言って聞かなかった蛭魔を帝のおわす清涼殿の奥向きまで、埃ひとつつけずに運んだ時を最初で最後に、立ち入ったことなぞ全くなくて。よって、そんな女性と出会うような機会の方だって、あったとは到底思えないのだがと。しきりと小首を傾げてた総帥殿だったりしたのだけれど。
『そこが、人の恨みの恐ろしさでの。』
陰陽師が陰の咒を間接的に使うため、契約を結びし式神を操るってことは、相手も同じ術師だったから重々知っていたらしく。あの修羅場へと乗り込んで来た蛭魔の補佐を見事にしおおせていた葉柱を、彼の式神だと見抜いた彼らは、市中に恋のまじないとやらを流行らせてから、次にはそれに必要なもの、意中の殿御の衣紋の切れっ端を手に入れて来てやるからと、丸め込んだる下男や雑仕に言わせて…それから、
『用意してあった誰かさんのを、適当にばらまいたらしくてな。』
『………ちょっと待て。』
じゃあ何か、他にもそれと知らず、俺へ向けての特殊な邪妖封じのまじないを念じてる奴がいるってのかよ。らしいぜ〜? モテモテ男よ、どうする。どうするって、お前………。んん? また引っ繰り返らにゃならんのか? 俺は。
『つか、あの修羅場ってのは何だ、あの修羅場ってのはよ。』
『だから…春頃だったか、佳山坂下の小早川の分家へ乗り込んだ時の修羅場だよ。』
選りにも選ってウチのセナ坊を掻っ攫い、坊主を餌に何かしらワケの判らん邪妖を式神にと招いて、跡取りの咒力・妖力、上げてやろうなんてな馬鹿げたことを本気で企んでた、耄碌しかけの爺さんがいたろうがよ。
『ああ、あれなぁ。』
そんな無体を、こちら様のお館様が看過したまま放っておく筈もなく。そんなに邪妖と縁よしみを結びたくばと、例の蛇の邪妖の一門の総帥殿を、わざわざ招いて差し上げた。冷酷な筈の蛇である阿含にしては、目一杯優しい対処。そこに居合わせた分家筋の人間たち全員から、持ち得る咒力を底をつくまでの全てを、きっちり奪って去ってった…という騒ぎがあったのだが。そんな仕打ちを受けてしまった者共は、術による報復も侭ならず。陰陽の世界での名家・小早川の一門の中、何たる恥さらしな連中かと、さんざん笑い者になってたらしくての。
「それでと仕組まれた、ささやかなる意趣返しだったって訳ですか。」
「はい。」
梅雨が明けたとほぼ同時、今度は連日、体温並みの気温が続く、灼熱の真昼が来た京の都ではあったものの。こちらのお屋敷は手入れとそれから、季節に合わせた建具やお道具の入れ替えがきちんと行われているそのせいか、余計な陽を入れないようにと軒端や濡れ縁の先へと立て掛けられたる よしずやすだれを通っての風通しもよくって。なかなかに涼しくて居心地がいいことこの上もなく。
“ウチも、せめて建具の入れ替えくらいは、しないといけないんだろうにね。”
とはいうものの。どうしようもないあばら家だから、今更 取り繕ったってしょうがあんめぇと、お館様が胸張って豪語したりするようなお屋敷だもんねと。今から諦め半分な、苦笑を浮かべてしまってたりし。
「? どうかしたかい?」
「あ、いえあの…何でもないです。/////////」
いけないいけない、お話の途中だってのに。それも…こちらから請うての対面の場を設けていただいたのに。ついついうっかり、気持ちが逸れちゃってたと。カァ〜ッと頬っぺが真っ赤になったセナであり。
“せっかくの“代参”なんてお役目なのに。”
そう。今日のセナはこれでも一応、あのお館様の“代理”である。何とも尻すぼみな一件で、しかも…内容が内容だっただけに。そうそうあんまり、誰にも彼にも口外しちゃあいけないし、したくもないよな種類のことなれど。自分の憑神様のことのみならず、葉柱さんの素性へも、何となくながら察しがついてらっしゃるらしき、現・神祗官様の跡取り殿、紫苑さんにだけは話しておいてもよかろうと。…いえ、わざわざお喋りしようと構えてやって来たセナくんだった訳ではないのですが。
“こっちだって、重い口を開いて下さいと、無理強いしてはいませんよ?”
紫苑さんてば、そっちも判ってますってば。(苦笑) 個人的なものながら、咒を巡ってのドタバタをやらかしたとあって。ある意味“関係筋だから”と、ご挨拶がてらに武者小路家まで、ご訪問していたセナであり。ああいった騒ぎの折に生じる気脈の乱れには、殊の外 敏感な方々なので。訊かれるより、探られるより先に、こちらから“お騒がせしました”と言っとけという、蛭魔の相変わらずな“先手作戦”によるものだったりし。恐らくは…そんな下心あっての訪問だと、彼の側とて察していように、代理人の愛らしさに絆ほだされたか、それともご本人のそもそものご気性がこうなのか。小さい子相手の世間話という拵えにして、それは気さくに言葉を交わしてくださっており。
「でも、それじゃあ。薬師のお家のお嬢さんにはどう言ってやめてもらったんだい?」
それに、他のお嬢さん方へもおまじないは広まっているのだろうに。仰々しい冠こそかぶっておいでではなかったが、それでもきちんと直衣姿にて、小さなお客様と向かい合ってくださっている紫苑様。砕けた口調なのはセナを必要以上に緊張させぬためであり、気さくにお訊きくださったのへと、
「薬師のお家には、高見さんが向かって下さいました。」
誰に託された供物とおまじないなのかは知らないが、あなたが唱えているそれは、呪文の一部が間違っていて。愛しいお方は不運が続いて困っておられるかも知れないと。流行りのものの伝え聞きにはよくあること、そのお祈りのせいでとは言えずとも、恋しい殿御が難儀をするなんて本意ではないでしょう?と。やんわり説いて下さって、衣紋の切れ端も返してもらえたそうですと。嬉しそうに笑った坊や、
「他のところへ ばら蒔かれた方は、手に入れてからもう半年近く経っているので、葉柱さんが身につけていたという名残りも消えてしまうから、案ずることはないでしょうよと。」
何とか収集できたのが、我がことのように嬉しいらしいセナの笑顔へこそ、
“可愛いねぇ。”
微笑ましいことよと笑って下さった紫苑さんだったりし、
「蛭魔を相手にって意趣返しなんだから、慎重になったのは判らんでもないけれど。流行りごとという自然なものにしたかったせいで、時間が掛かり過ぎちゃったんだろうね。」
疚しいことでないならば、そんな及び腰でかかる必要もなかっただろうにね。この小さな坊やを掻っ攫うという非道な仕儀は、数に任せたものだったとはいえ、堂々の力技でこなせたものが。おまじないのお祈りをしてくれないかという ほんの悪戯への呼びかけは、追跡を恐れるあまりのことだろう、こうまでビクビクもので構えていたその差異がまた何とも滑稽で。
「高見さんはやっぱり凄いお人なんだねぇ。」
他人事だったからこそ、一歩離れての冷静さで分析出来たんですってと、終始 御謙遜しておいでだったものの。当事者なればこそ、蛭魔の方がよっぽどに、数々の鍵の間近にいたはずなのに。こんなにもあっさりと…事情・詳細を半分も知らなかった高見さんに、先に謎を解かれてしまって。
「…そうなんですよね。」
誰の仕掛けた悪さなんだろかとか、一体何でこいつが狙われたのかとか、そういった様々な何やかやを見通すために必要だった、思考の切り替えのようなもの。蛭魔の誇る勘のよさやら鋭さ、途轍もない思いつきをする機転の利きようなどという、彼の彼たる真骨頂と、それから。日頃からも尋常じゃないほど研ぎ澄ましてる、油断のなさをもってすれば。葉柱があのあばら家屋敷の庭先にて嗅いだという茶の匂いにだって気づけていたろうし、その発信源にしても…無防備極まりない素人さんであったのだから、もっとあっさり辿り着けたろう、至って次元の低い仕儀であったのに。今回の彼は、そのところどころで…思うところが凍ったり滞ったりと、なかなか要領を得ない様子でもあって。
「高見さんが凄かっただけじゃあなかったと思うんですよう。」
あの窮地からお助けいただいたのはありがたい。でも、何でだかちょっぴり不満であるらしく、頬を膨らませ気味に言いつのるセナへ、
「そりゃあ…蛭魔にしてみりゃ、そんだけ気が気じゃなかったから、思うように立ち回れなかったってところなんじゃあないのかな?」
冷静に合理的に…なんていう、通り一遍な割り切りで断じることの出来ない何か。そういう何かを、ずっとずっと胸に閊えさせていたから それで。
「いくらあの蛭魔だって言ったって、一応は人の子なんだしね。」
「そですか、やっぱり。」
最初のあの、庭先での葉柱の昏倒を目の当たりにした時点で既に、実は少々凍ってしまってた蛭魔であり。それでの不手際、彼には珍しくも効率の悪い…不器用な対処を取ってしまっていたのではと。大人の方の同意を得たことで、やっとこ納得できたらしい可愛らしい“ご使者様”であり。やっとのことでほっと肩の力を抜いて、ふにゃんと何とも屈託なく柔らかに笑ってくれたのを。こちらでもしみじみ、甘くて美味しい眺めをありがとねと堪能させていただいてから。
――― そうそう、陸が新しい操紐術を覚えたらしくてね。
あやや、ホントですか?
よかったら寄ってって披露してもらいなさいな。
きっと見せたくってウズウズしていることだろうしと、こちらのお宅の小さな書生くんのことを持ち出して、席から立ちやすいようにともってって差し上げる。あばら家屋敷のお館様とはまるきり反対、それはよく気の回る、さりげない気遣いをこなせる紫苑様であり、それではとぴょこりと頭を下げたセナを見送り、ついと視線を逸らした外には、もうすっかりと夏の空。今年も暑くなるのかな、やれやれうんざりするよね鉄馬と。音も気配もないままに、何時の間にか控えていた侍従の青年へと声をかけ。こちら様はこちら様での、昨日と変わらぬ静かな夏の昼下がりが、ゆっくりと過ぎてゆこうとしておりました。
おまけ 
「おい、あの薬師の娘の想い人ってのが知れたぞ?」
「ま〜た そんな無粋な真似をしおって…。」
「わざわざ調べた訳じゃあないさ。
父上の側侍として殿中に参内していたのを見かけての、
途中の渡殿で近従の男子おのこへ、ぽうとなって見惚れておったのだ。」
「ほほぉ。」
「それがな、その男子、お前にどことなく似ておるのだ。」
「はい?」
「まちっと腰の低い、大人しそうな奴だったがの。
まさかお前、誰ぞの風貌を盗んでのその姿なのか?」
「いや そんなことはないが。」
「本当か〜〜〜?」
「写し変化へんげはその場しのぎの術だからの。
もちっと腕前の追っつかぬ等級の邪妖がやることでな。
ただ、下級者がやると表情を変えられないのが難点なのだが。
………何だよ、妙な睨み方をしおってよ。」
「まあ…わざわざ写すなら、もそっと男ぶりのいい奴を選ぼうからの。」
「へいへい、お前の好みじゃあない不細工野郎で残念だったな。」
「………そんなことはないぞ?////////」
「え………?////////」
――― お後がよろしいようでvv
〜Fine〜 06.07.31.〜08.06.
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*この暑いのに、ややこしいお話で申し訳ありませんでした。(苦笑)
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