Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    忍ぶれど… A
 



          




 長らく降っては都の人々の気を塞いでいた今季の梅雨も、その出口とやらをようやく迎え。お湿りのせいでか蒸し蒸しと暑苦しい中、今宵もまた、昨日と変わらぬ平穏な晩を迎えるはずだった。それが、
『葉柱さんっ?!』
 これもやはり いつものこととて、黄昏を連れてのようにお訪ねになった蜥蜴一門の総帥殿が、こちらへ姿を見せたその途端という唐突さで人事不省となって倒れてしまい、
『邪妖に追われておいでなのでしょうか?』
 一応のこととて、心得のあるお館様がザッと見回したが、その体のどこにも傷や怪我はなかったそうだし。それより何より、
『進を呼べ。』
 真っ先にそうと命じた彼だったのは、これが…この事態が怪我という深手が原因ではないと、咒によるものだと素早く嗅ぎ取ったからに他ならず。
“そういえば、少し前にも。”
 まるで寝ぼけて寝間から這い出したかのように、朝っぱらから濡れ縁に引っ繰り返っていた彼を見つけたことがあったなと、思い出していた瀬那であり。
“あれは確か…。”
 何処の誰からだか知らないが、枝へと結んだいかにもな艶書に見せかけて、届けられたる文に仕込まれてあった悪戯な咒を、蛭魔に代わって真っ向から浴びてしまっての昏倒だったりし。あの時のそれは、時が経てば解けて、しかも後腐れなく消え去るといった、一時的な効果しかないささやかな咒でもあり。勝手に人んチへ来た手紙を開いたお前が悪いとばかり、身代わりになって下さった総帥殿を…実は心配したくせに、悪しざまに罵って、やっぱりからかっておいでだったお館様であったのだけれど。
“今度のは、そういった“悪戯”という等級の咒ではないみたいだ。”
 前のそれだって素人が手掛けるには結構なかなか難しい代物だったろうけど。何と言ってもこちらは、咒や祈祷、念じなどなどでもって強く集中して思うことにより、実際に人や物が弾かれて吹っ飛んだり倒れたりするほどもの、物理的な効果が出るほどの働きかけが出来る…といったことの“大家
エキスパート”だ。現に、問題の付け文の罠へは、開かれた書の残り香だけで、どんな種類の咒が籠めてあったのかをあっさりと断じてしまえた蛭魔だったし、放っておいても大事はないという対処までするすると想起出来てたほど。結果としては…総帥殿を力任せに揺さぶって叩き起こしてましたけれどもね。(苦笑) だがだが、今回のこれはあんな容易い代物ではないらしく、

  『あいつをこそと狙った、一点集中の咒だよ、これは。』

 目に見えないものだのに、それと判ってしまうところは やはり、とんでもない感知能力と解析力で。だが、今回のは…さしもの蛭魔でも、そこまでしか分析がかなわないでいるらしく、夕刻から宵を迎えてもう何時も経っているのに、未だ目を覚まされぬ葉柱の寝息を聞くのはセナに任せ、自分は奥向きの蔵の方へと向かったままだ。この広間の収納にしまっておいて、日頃の常用の手引きとして使っている書を一通り、引っ掻き回していた彼だったので、その中には資料がなかったからという“遠征”に違いなく。
“………。”
 言われた通り、彼
の人の寝息を数えてこそいるものの、几帳のお外にいるセナで。今回のはさほどに強い障壁ではないそうだけれど、それでも“陰”の気脈で構築されし結界。自分には異質なそれを、そうそう何度も意味なくくぐり抜けるのは、やっぱりあんまり良いことではないそうなので。すぐ傍らにこの結界を張った進を待たせておいての待機状態。心優しく、よく気のつく彼だと判っていればこそ、蛭魔もまた…病人の番という大役を、彼に任せ切ったのに違いなく。何かあったらすぐにも対処出来るよう、油断なく構えて控えている彼はあったが、今のところは良くも悪くも変化のない、安定状態が続いているばかり。
“…葉柱さん。”
 完全に意識がない状態だというのに、それでも人の姿を保っていられる彼であり、さすがは蜥蜴邪妖一門を束ねる総帥様だ…と、畏敬の念さえ浮かぶセナだけれど。そんな彼であれるのは、彼自身の能力値の他にも大きに機縁していることがあって。あの金髪痩躯の陰陽師へと結んだ“恭順の契り”が正にそれ。最初は誇りにかけた口約束程度のものだったものを、陽界での自分の存在を支える“眞の名前”まで彼の側から教えたというから半端ではなく。何をおいても、自身の身よりも盟主を優先するという、そういう気構えがあるがゆえ、本人の意志が断ち切られていても人の姿でいられる彼で。
“………。”
 日頃は孤高の身の強かさを発現してか、連れも供も少なくいる蛭魔が、大きな仕儀に関わる時と場合ほど常に連れ歩くまでの、つまりは補佐的能力へ絶大な信頼を置く侍従であることが、あちこちで結構知られている存在であったがために。将を射んと欲っすればまず馬を射よ…もとえ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しとばかり。蛭魔への意趣返しを構えた輩どもから、こういった格好にての悪さを仕掛けられ、言わば とばっちりを受けてしまった葉柱であるらしい…という構図が、こちらの陣営の誰の胸中にもそりゃあ判りやすくも浮かんだものの、
“それにしたって…。”
 そんな彼を狙った咒が“陽の咒”だというのが、実はセナにも少々腑に落ちないでいる点であり。
“陽の咒っていったら…。”
 人の日頃の日常生活の中でも用いられる“清めの咒”に始まって、疾病や奇禍が寄りませぬようにという“おまじない”から、果ては…森羅万象、天と地の全ての事象を司るとされている“八百よろずの神々”への感謝や畏敬の表明を紡いだ祝詞や奉納の歌舞音楽に至るまで。どちらかと言えば生産的なものが大半であり、攻撃の咒もないではないが、それは概ね、災厄の権化、邪妖に向けての絶大な効果があるという代物ばかり。術師は感覚の鋭敏な者が多く、大地の気脈を読み取り、念じることにて精気を借りたり、そうやって得た力を体内の経絡を巡らせることで練って増幅させ、一気に放って相手の陰気や負気を相殺させ、そのまま滅殺するというもので、
『…けど。葉柱さんほどの人が、人間の咒にああまで消耗するものなのでしょうか。』
『お前、俺らの生業を判ってて言ってんのかよ、それ。』
 いや、ですからと。どう言い回せばいいのかと、セナも焦ったその上で、

  『その術者には、
   葉柱さんが陰の存在だと判っているということなんでしょうか?』

 そう。そこのところがどうにも解せない。人間相手に咒を…それも呪いの念を込めた強烈な攻撃のそれを仕掛けたいなら、一番効果があるのはやはり“陰の咒”ではなかろうか。陽の咒での働きかけでは、励ましたり運気を寄せたりと、相手を助けこそすれ、挫かせる方向での攻撃をするのはなかなかに難しく。それこそ腕力の代わりの潜在咒力が途轍もなく強くなければ、こうまで目に見えての効果はそうそう発揮出来はしない。
“何も絶対に陰の咒を扱ってはならないという訳ではないのだし。”
 例えば…陽界には長く居られぬ小者の邪妖を何とか召喚し、自分の魂と同化することで生命の丈を分けてやるからとかいった契約を結んだ上で“式神”になってもらって頼めばいい。葉柱ほどもの大邪妖はさすがに容易くは召喚出来ないものの、そういう方式は特に奇異な仕儀ではなく、むしろ“式神召喚”とか“口寄せの術”として、術者たちの間では当たり前に修行する一般常識でもあるくらい。

  ――― 問題なのは、その使い方。

 陰陽五行を教え伝える正当な流派の家系などでは、最初の禁忌
タブーとして“呪いの怨咒”についての説明の中、陰の咒についての心得解説がある。やってはいけないことを教えられるその中の筆頭…ではあるけれど、人間ほど心根の脆くて頼りない生き物もいないから。その気になって意識を研ぎ澄ませれば、セナでも造作なく…あちこちに幾つも立ち上る“怨嗟の咒”の気配、造作なく嗅ぎ取れたりするくらいだし。そのくらいの普及が、こっそりとながら認められてもいる昨今だったりし。

  ――― なればこそ。

 人への攻撃を構えし時に、陽のまじないを選ぶなんて、あんまり得策ではない筈で。
『だが、現に奴に振りかけられてたのは陽の咒だぞ。』
 そして、だからこそ。ああまであっさりと昏倒した葉柱でもあって。それって…、

  “…葉柱さんが邪妖一門の総帥さんだってこと、知ってる人の企てだってこと?”

 それってでもでも、やっぱりおかしい。葉柱さんを頼もしい侍従として連れ歩き、隠しもしないお館様ではあるけれど、その真の素性までもを知ってる人なんて居ない筈。だってお館様は仮にも神祗官補佐役様だってのに、退治する対象の邪妖を、最も信頼している腹心として“連れ”にしていてどうするか。百歩譲って…飼い慣らした存在だから構わない、邪妖退治に必要な“飛び道具
アイテム”のようなものとの、申し開きが出来たとしても。
“…申し開き。”
 誰にそんなものが必要だろうか。今帝は…蛭魔にとっての“様々な始まり”のための最初の切っ掛けを得た相手でありこそすれ、そうそういつまでのその後光を頼り
アテには出来ぬことだし、蛭魔の側とて、そんな恩恵などもはや必要とは思ってもいないらしく。今は…内心での信頼関係はどうあれ、表向きには型通りの言葉しか交わさぬ間柄になっているし。東宮様は…繊細微妙な感受性の持ち主ゆえに、薄々何かしら感じ取ってはいるかもではあれど、こちらもまた面と向かってそんな野暮なことを話題にしたことは一度もなく。ということは、滅多なことでは口外してもいなかろう。それが伊達な男の小粋な信条というものだから…なんてややこしいことをセナへと説いて下さった、神祗官様の御嫡男、武者小路紫苑様に至っては。向こう様にも鉄馬さんという微妙な存在が間近にいらっしゃり、
“それこそ、暗黙の了解をお互いに取り付けあってるようなものだし。”
 そもそも、そういった釈明なんてもの、気が引けるからこそ展開する、言わば“言い訳”であり。そんなことを必要だとするような、気配り大事な御仁だったら…周囲にこうまで敵の思い当たりはなかろうて。
“でも、だったら…。”
 ほら、理屈が行き詰まる。葉柱さんが邪妖だと知らぬまま、陽の咒を放った誰かの仕業なの? でもでもお館様は、これは名指しの咒だと言ってた。たまたま間際に仕掛けてあったとか、行き当たりばったりなのが飛んで来たとかいう咒なんかじゃなく、葉柱さんをこそ狙ったものだと。

  「………ん。」

 ああでもないこうでもないと、彼なりの論理をその胸中にて転がしていたので、それへの反射が微妙に遅れたものの。ハッとすると身を起こし、傍らにいる進を見上げ、彼が張ってくれた障壁結界に隙間を空けてもらって、その中へとすべり込む。具合が悪くなっての昏倒からの回帰なら、眩しすぎても何かしら触るだろうからと。隅の方に一つだけを灯した燈台の明かりだけという、少々心許もとない明るさ。その大きな手をやわく丸めて、額と目許を覆うように持ち上げている彼だったのは、だが眩しさのせいではなさそうで。
「…あれ?」
 自分が何処にいるのかが、咄嗟の反射では判らなくって。こんな暗いってことはもう夜なのかな、あれあれ? でも俺、夕方には蛭魔んチへ着いてたはずなのに? 判らないことが多すぎて、ややもすると呆然としていたところへ、
「葉柱さん。」
 セナが小さく声を掛けてくる。寝間の傍らまで来てくれた、初夏向けの色襲
かさねも涼やかそうないでたちの少年の姿を見、ああ、そうだよ、やっぱり着いてたんだとやっとの確信。でも…何で俺、寝かされてたんだ? 此処へと着いたその瞬間からの記憶が、見事なくらいすっぽりと欠落している。着いていたことが曖昧になった、それほど勢いよく、意識が途絶えたということだろうか。横になったままにて周囲をもう一度見回せば、さすがは夜目の利く身で、几帳に張られた薄絹の向こうまでもが透かし見え、此処はいつもの広間だというのも見て取れて。
「…あ。」
 そんな視野の中、足音も立てぬ静かさで右から左、奥から表へ。それはなめらかに通過してゆく影がある。セナにも自分へも、視線の一つも振り向けぬまま。向かう先のみを真っ直ぐに見やった白い横顔の、何とも冷たく無機的であったことか。
「蛭…っ。」
 これから何処かへ出ようとする彼だと察しての、それはそれは自然な反応。自分もと起き上がり掛けた葉柱の身を、だが、
「いけません。」
 その身を半ば乗り出すようにして両腕で押さえ込み、小さな書生くんが引き留める。
「覚えておいでではないのですか? 葉柱さん、此処へ来るなり倒れてしまわれたのですよ?」
 そうと言って、それから…少々口ごもり、
「お館様から言われております。許可するまで目を離すな、此処から出すなと。」
「な…っ。」
 怒ってムッと来るよりも、意味が判らずの困惑に表情が引き攣れる。本人には科のないことながら、それが怒っているように見える恐持ての風貌だったから…だろうか。
「…。」
 セナの傍らにいた進が、おもむろにずいと身を乗り出して来て。寝間へ肘を突くようにして斜めに起き上がり掛けていた葉柱の上体を、セナよりも頼もしい腕にて…いとも簡単に とん…と着いてすっ転ばした。
「わっ☆」
 ついのこととて零れたその声へ、御簾の向こうへ今にも出ていかんとしていた術師殿の白い横顔が、一瞬、微妙に強ばったような気もしたが、それもあっと言う間に見えなくなって。

  “何なんだよ、これ。”

 意味合いや深さはそれぞれ違えど、言葉に訳せば皆して同じこと、思っていたりする初夏の宵。やっとのことにて吹き払われたる、重い群雲の封印から逃れた月光の目映さは、明日からの晴天を約束してもおり、それにあやかってこの謎もすっきりと解ければいいのですが…。






            ◇



 大邪妖にあるまじくも、蛭魔というたかだか“人間の若造”に傅
かしづいている彼だけど。その盟主本人もまた、見た目の若さや玲瓏可憐さを大きく裏切って、ただならぬ咒力と知識の持ち主であり。だからこそ葉柱も“自分ほどの存在でなければ補佐はこなせない”という事実を、心の何処かで かすかに…誇りとか優越としている節がある間柄であろうと思われて。

  ――― そう、単なる“主従”というのとは微妙に一味違ってて。

 だからこそということか。選りにも選って、自分がピンポイントで狙われてのことならしい今回の仕儀、そうだとあっさり見抜いた蛭魔が、事態が解決するまでは結界から出すなとセナに言い置いたのも判らんではなかったし、
「お館様は式神さんだからと懸命なんじゃありません。」
 セナとても、本人がいる前では言えないことだが、それでも何となく。常々察していたことをこそりと告げれば、
「…判ってる。」
 葉柱が少々力なく応じて見せた此処は、相変わらずの結界が張られたまんまな、蛭魔邸の広間の一角。辺りはすっかりと明るくなっており、長かった夜がじわじわと明けてゆくのを久々に独りで堪能した総帥殿は、ボクがお館様に叱られちゃいますからと懇願されて、やむなくの居続けを続行中だったが、
“〜〜〜〜。”
 その心中は…なかなかに複雑で。盟主を守るのが使命な筈だってのに、それとは真逆にも自分への魔手を案じていただいて、わざわざ奔走していただいてるだなんてね。思い返すは…昨夜の夕刻。物凄く至近から誰ぞに睨まれているかのような、そんな強い意識を感じ。それで、どこからだろうかと見回していたその途中、不意に頭の中の空気が薄まってゆくような感覚を覚え、そのままふっと意識が途絶えてしまった葉柱であり。そんな不甲斐ない自分が、情けないやら遣る瀬ないやら。しかも、
「名指し、か。」
 起き上がってはいたものの、寝間に胡座で座り込んだままというちょっぴり自堕落な姿勢にて。お膝へ突いた肘の先、大きな手のひらを頬杖に、ぽつりと呟いた独り言。コトの詳細は蛭魔が帰らないのでセナからしか訊けず。(進は自分と自分の御主に直接関わること以外には、小気味いいほどすっぱりと関心がない憑神なので。)彼にしても昨夜以降は蛭魔に逢っていないそうなので、持ち得る情報も葉柱とはあまり大差無く。
「はい。お館様はそうと仰有ってられました。」
 そしてそこから導き出せたのは、
「葉柱さんを知っている人の仕業…ということになりますが。」
 それにしてもどうして、陰体の葉柱には覿面に効果のある“陽の咒”を、的確に唱えている術者であるのだろうかということ。相性の問題でああまで見事に効いたのであり、
「咒の強さはさほどのものでもないらしいのです。」
 なので却って。どこから発しているものなのか、辿るのもなかなかに難しい。だってここは陽世界だ。陽の精気が当たり前のものとして…なくてはならぬものとして、常に満ちている、そんな世界だ。
「大方、名指しだったからこそ届いたっていう、コトの順番なんだろな。」
 途轍もない大物の唱えし、なかなかに歯が立たない呪咒だとか、太古の眠りから目覚めし大邪妖の紡ぐ、解咒に特殊な知恵の要る古い古い咒だとかいう、そういう苛酷なものとははっきりくっきりレベルや何やが大きに異なる難儀さであり。
“もしかしたら、たまたま対象の名が俺の眞の名前と重なる神様への祝詞だったりするんかも知れない訳だもんな。”
 いや、そんなことは まず有り得ないのですが。そのくらいに…もしかして、善意からの祈りが効いてのことかも知れなくて。

  「まさかとは思うが、どっかで誰ぞに思わぬ迷惑とかかけたんじゃねぇの?
   それで、その ぱりっぱりの素人さんが、
   後塵が襲い来ませんようにって必死でお祈り捧げているとかサ。」

  「………貴様が何で居る。」

 わあびっくりしたと。不意な第三者のお声へ、セナが立ち上がりかかったほど驚き、
「ご挨拶だねぇ。伝言と差し入れ、持って来てやったのに。」
 蛭魔は高見とかいう物知りのところにいる。そこでも収穫はなかったらしくてな。あんまり根を詰めたのを案じられたらしくって、どうしてもと勧められたんで仮眠取ってから帰るとよ。そうと言って包みをほれと差し出したのは、漆黒の髪を幾房もの縄のように綯
っている奇妙な頭をした、阿含とかいう蛇の総帥で、

  「たかが人間に顎で使われるとはな。」
  「それって、言ってて自分で空しくならない?」

 それに、別に“顎で使われてる”訳じゃあないしと、さしてムキにもならぬまま、鼻先にてふふんと笑って見せて、
「奴に与
くみしてるとサ、こないだの春の初めの騒ぎん時みたいに、美味しい想いも出来るみたいだし。」
 春の初めの…と言えば、セナにまつわる厄介ごとが持ち上がった話のことで。小早川の分家の能力者たちが多数集まっていた中へと召喚された彼は、その場にいた術師たちから思う存分、一般人よりかは格段に濃密な咒力をいただいたという顛末があったりし、
「またぞろ何か厄介ごとならしいけど、美味しい話だったら一声かけてくれよな。」
 用だけ言うとそのまんま、宙へとその身を溶かし込む。
「…結局 使われてんじゃねぇかよ。」
 呆れたように零した葉柱の背中側では、ああいう輩の侵入を封じたはずの、それなりの結界を張った進が…いかにも不機嫌そうな顔をしていたのへと、
「えとえっと、あのその。阿含さんには悪意がなかったから、入って来れたんですよう、きっと」
 セナが何とか執り成そうとしていたりもし。
(苦笑)
「………何か、進といいあいつといい、どんどんと威厳とか威容とかが剥がれてってないか?」
 俺も重々気をつけんとな〜なんて、今更遅い…いやその、げほごほ。そんな感慨に耽りつつ、手渡された包みとやらを開いてみれば、
「おや。これは…。」
 桧を薄く剥いだ経木
きょうぎの皮に包まれたそれは、まだあまり下々にまでは普及していなかろう、蒸した饅頭が幾つかというお土産で。
「おちびさんへの土産らしいぞ。」
「あややvv」
 夜食代わりにでも出されはしたが、甘いものが苦手な蛭魔は食べないでいたのだろう。砂糖もまだ正式には伝来していなかった時代ゆえ、甘いものは実は希少で、だが蛭魔がその蔵書を頼り
アテにしたらしき高見博士の家では、珍しいものもたんとあるから。
「柔らかいうちにお食べな。」
「は〜い。」
 あ〜んとお口を開いたそのまま、まずはと一口。中に包まれていた餡が甘くて美味しかったらしく、たちまち“ふにゃ〜vv”とお顔がほころんでしまったものの、

  「…んん?」

 不意に。葉柱が残りの饅頭へ鼻を寄せる。
「葉柱さん?」
 随分と焦燥なさっておいでだし、疲れているときは甘いものとも言うことだしね。1つお食べになられてはと、勧めかかったセナだったけれど、そういう関心がわいたというよな表情の彼ではなかったようであり、

  「この匂い、覚えがある。」
  「匂い、ですか?」

 そういえば。セナもたまにお相伴にあずかったことがあったからこそ、一見しただけで“お饅頭だ〜vv”と判ったくらいで、甘いものは希少な時代だ。ふわんと鼻先へ香った匂いへも、餡の糖みつのそれとしか思わなかったものの、言われてからよくよく確かめてみると、
「あ、ホントですね。何だか珍しい匂いがします。でもこれって…。」
 セナにも“覚えのある匂い”であったらしく。額の端っこに人差し指を当て、う〜んう〜んと考え込んで………、
「あっ、思い出しましたっ!」
 勇んで顔を上げてから、びしぃっと人差し指を立てて彼が言うには、


  「お茶です、お茶。」
  「………饅頭こわいか?」


 葉柱さん、そうじゃなくって。
(笑)







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  *久方ぶりの“陰陽師”話なもんだからか、いやに理屈に走っててすいません。
   でも何だか、今回のお話は、あんまりドカバキものにはなりそうにないです。