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日中はまだまだ“炎昼”と呼んで差し障りがないほどに暑かった、正に暦の上だけの秋も。さすがにこうまで日を経ると、風の匂いも陽の色合いも夏の激しさから秋のそれへ、どんどんと深まって塗り替わり。何のまだまだ暑いじゃねぇかと、短袴の上、夏の帷子(かたびら)や裏地のない単衣(ひとえ)一枚、ゆったりとくつろげて着ていた、利かん気で年若な当家の主人も、さすがに…ここ数日の朝や晩、涼風が立つのは気づいていたか。紗や絽のような透綾・軽羅では肌が泡立つ夕べもあって、黒の従者が着せかける狩衣や袷(あわせ)を“暑い”とうるさがることはなくなった。暦も重用する陰陽の術を操る身でありながら、季節や流行を先取りするよな“粋”だの“洒落っ気”だのには元から全く拘泥しない、そりゃあ立派な“臍曲がり”なお館様であり、
『せっかく綺麗な容姿をしておるにの。』
なのに一切、その身を構わない。出仕のない日は、垢抜けないにもほどがあるよな簡素な恰好でいるのが当たり前。綺麗、などとは、おなごへの追従だろうが。男に使えば十分な悪口ぞ…と、減らず口を叩いてむうと不貞腐れることさえあるが。
――― だが、その容姿・容貌。
確かに、神秘な蠱惑と清冽なる玲瓏に満ちて美しく。
いかにも毒々しくて怪しい名前の“蛭魔妖一”に合わせたものか、年経た老爺の銀髪でなく、生き物としての調和の偏った“あるびの”の白髪でもなく。世にも珍しき“金色”という、それは眩(mばゆ)き髪色をし。鋭く切れ上がった目許に息づく、瞳の虹彩も金茶という淡色で。肌の色も…それはそれは健やかに深みのあるものとはいえ、透けるようなと見惚れそうな白。そうまで色素が薄いなら、カゲロウのように脆弱短命、儚くも楚々とした存在かといえば、さにあらず。
『むしろ カゲロウに失礼だろ』
思わずこぼした蜥蜴の総帥が、たったの一蹴りで西のお空の宵星になりかかったほどに、実は勘気強くて逞しいお館様。(苦笑) つまりはその儚さ…を染ませた姿、決して生命力の嫋やかさが滲んでの容姿ではないらしく。遠い遠い外海の彼方の異国にはさして珍しくもない配色だと葉柱は言っていたが、それでも…この日之本・倭国の人間にはなかなか無かろう、奇跡の存在。こんなにも目立つ妖冶で特異な容姿にて、なのに よくもそこまで育つまで、誰の目にも留まらずにいたものよと、そんなことまで陰口の一つとして囁かれている彼なのは。ある日突然、唐突に人々の前へ現れて、そのまま…あまりにあっけないほどの段取りで“とんとんとん”と、生まれついての上位の貴籍の御方であれ就くことは難しいだろう、最高位の上達部の座の一つ“神祗官(補佐)”へと、どこの誰という出所素性も曖昧なまま、他でもなき帝からの推挙によって上り詰めた、およそ、この国の朝廷が始まって以来の例外中の大例外という存在だからに他ならず。しかもまた、本人がその特例の“破格さ”を自覚せぬのか、欠片ほどにも謙遜の姿勢を取ったことなぞないと来て、彼を立てた帝に逆らうつもりはないものの、彼本人には腹が立つやら妬ましいやら。鼻っ柱を折ってやらねば気持ちが収まらないままな、古ダヌキ若ダヌキ、公達とも呼ばれている筋の方々から買っているだろう“嫉み・妬み”は引きも切らずなことは明白で。
『考えてもみな。格別の例外、破格の扱い。いきなり自分らよりも階級が上っていう“頭上”に立っちまった若造だ。そんな奴がしおらしくも人性の慎ましい、よく出来た奴だったら、いっそ却って厭味だろうがよ。』
だからこそ、憎々しき若造がと素直に感情を吐露しやすいよう、可愛らしくも判りやすく、奔放自在の面憎い馬鹿者ぶっておるのだと、何処まで本気かそんなことをまで嘯(うそぶ)く青年であり。よって…要らざる敵も、裏に表にたんと多い身。
「もしかしてお前、本っ当に魔物の息子なんじゃなかろうな?」
「邪妖の総帥様からまじまじと訊かれようとは、身にあまる光栄だよなっ。」
容赦のない一蹴りが再び決まって、黒の従者殿、今度は東のお空の明け星に並びかかったのは言うまでもなかったりするのだが。(笑) はてさて、今日はどのような仕儀や騒動が、彼らの上へ持ち上がることやら。
◇
先にも述べたが、朝晩は油断をするとクシャミが出そうなほどにも涼しい頃合いになった。そろそろ重ね着を始めなきゃかな、気をつけなけりゃあなと、庭の鬱蒼とした茂みの何処やらから洩れ聞こえる虫の音を拾いつつ、とてとてと渡り廊下を進みゆくのは。この屋敷に住み込みの書生、術師見習いの瀬那という小柄な少年。広間座敷の手前で回り通廊になっている角を軽快な足取りのままで回った拍子、コツン・ころころと音がして、衣紋の何処やらの隙間から足元の板の間へ落ちたものがあり、
「ありゃりゃ。」
少々薄暗くなりつつあって見えにくい中、素早くしゃがみ込んだ小さな彼の手元を、上から不意にほわりと照らした明かりが一つ。
「どうかなさいましたか?」
「…あ。ありがとです。」
明かりの方を見上げれば、燭台を手にした舎利(とねり)の若者が神妙な顔になってこっちを見下ろしている。半月ほど前から、伝手のまた伝手の伝手ほども遠いところから手繰った縁からお声をかけていただきましてと来訪し、様々な雑用の助けにと来てくれている青年で。内裏勤務の上達部様の屋敷とはいえ、さして華やかでもなければ賑やかということもない、至って静かで侘しいほどに寂れてさえ見える館ゆえ。来客も殆どなければ節気の行事も適当な屋敷ゆえ、そうそう目が回るほど忙しい訳でもないながら、人の手は多くあった方が助かるからと。物腰やさしく、貴族の作法やお役所のお勤めについても多少は心得があるらしき彼を、雑仕(ぞうし)や小者といった下仕えたちは皆して歓迎しているとのこと。どちらかといえば主人寄りの“内弟子”にあたるセナへも、ずんと年上には違いなかろうに、腰の低い態度で通している青年であり、
「何か落とされましたか?」
小振りのお団子みたいになって、お廊下に這いつくばっての探し物を始めたセナを、手元暗がりでは見つけにくいだろうと気遣ってくれたらしい。ありゃりゃと恐縮して身を起こし、
「えとえと、大したものじゃないんですよう。////////」
そんな大層にお気遣いされるほどのものではありませんと、かぶりを振った。
「今朝方、葉柱様にいただいた、甘い栗の余りを懐ろに入れていたのを忘れていて。」
それが帯の隙間から脇や袖を通ってすべり落ちたらしく、殻の堅い音が床に当たってかつんと耳に響いたのでついつい、
「小さくて堅いものなので、知らずに踏んでしまうと転ぶかも知れませんので。」
危ないかもと探してみただけ。どうせそんなおドジを踏む者は自分以外にはいませんがと、恥ずかしそうに笑う稚(いとけな)いお顔が何とも愛らしい。
「甘い栗?」
確かに季節は秋に入ったが、栗が収穫されるにはまだ間があろうと、小首を傾げた舎利の青年へ、
「あ、えとえっと。葉柱様はそれは沢山のお知り合いがあちこちにいらっしゃるので、春は南の、秋は北の知己の方から、早穫りの色々を早々と分けてもらえるのだそうです。」
小さな書生くんが慌てたように説明を付け足した。実はこの屋敷には、住み込みではない“従者”がもう二人ほどおり。一人は…何故だか、このセナが力仕事や何やで難儀をしていたり、逆に暇で手持ち無沙汰になった頃合いを見事に見澄まして現れて、お手伝いをしたり、はたまた和んだ表情になっての話相手になったりをこなしている屈強な青年であり。セナも一応は陰陽諸派の中、有名な“小早川”一門の末席に名を連ねる立場の和子であり、此処に来たのはあくまでも、行儀見習いと咒のお勉強のためのご奉公。そんな彼へと付けられた、言ってみれば護衛を兼ねた従者なのだろうよとは、古株の賄い方から聞いたお話で。そしてもう一人が、セナが口にした“葉柱”という黒装束の謎の人物。この屋敷の主人である蛭魔の大内裏への出仕にさえも付き従うことがあるほどに、信頼厚く忠義にも厚い人物らしいのではあるが。どういう訳だか、家人の誰もが彼の素性をよくは知らない。まま、それを言えば、蛭魔自身の素性だって詳細まで知る者は一人もいないのだけれども。こちらもまた、上背のある屈強精悍な若者で、身ごなしの俊敏さや所作に切れがあるところ、型に嵌まった雅な作法からは ちと遠いものながら、それでも周囲への印象はすこぶるよくて。鮮烈であり且つ重厚な存在感には、妙齢の婦女子が視線を奪われ、そのまま見惚れることもザラなほど。普段は宵になってから訪れて、お館様と酒を酌み交わしたり、近所迷惑じゃなかろうかというほどもの悪口雑言を戦わせたり。それからそれから、咒を用いる任務や仕事に際しては主人が必ず現場へと連れてく、陰の世界に精通した凄腕の持ち主でもあるらしく。野暮天で気が利かないと腹を立て、そうかと言っておもねても尚のこと“馬鹿にするな”と怒るよな、短気で気まぐれ、癇気の強い主人の気性をよくよく心得ての、息のあった介添えぶりも見事だそうで。そんな黒の従者殿が、
「今朝方、お館様から呼ばれたとお越しになった折に、お土産にってお持ち下さったもので。」
何でも唐天竺の方での食べ方だそうで、細かい黒那智の砂利を大きな鉄ナベに満たしてかんかんに焼いた中に殻がついたままの栗をざらざらと入れて、根気よく掻き混ぜて掻き混ぜて煎って、中までじんわりと火を通せば。水気が絶妙に取れての、小粒のお菓子みたいな、ほくほくコロコロとした甘い焼き栗になるんですって。
「やっぱりカラカラになった殻は爪でぱきりと簡単に割れるんだそうですが、ボクはちょびっと握力が足りなくて。」
それでと、見かねた葉柱さんが片端から割っては剥いて下さったのだけれど、
『面白いことをしているのだな。』
呼び立てた主人を放っておいて、ガキと遊んでいるとはなかなかに余裕じゃねぇかと。お皿に剥いていただいたの、がばりと鷲掴みにして目一杯を横取りなさった、大人げないお師匠様だったのだけれども。水気の少ない実だったから、一気に沢山は食べられなくて、すぐにも噎(む)せてしまわれて…と。くすくすと愛らしく笑う小さな少年であり。
「あ…それでは、今日は葉柱様、朝早くにおいでになられたのですか?」
セナ以外の家臣である、舎利や雑仕たちには一切知らされぬままになっているのが、主人の予定の詳細と、不可思議な従者たちの動向であり。殊に此処へと居着いていない男衆たちの行動、本人が現れてからでしか把握のしようがなくて。当初のうちは、居れば“あら おいででらした”と驚かれ、居なければ“あら おいででない?”と、どっちでも意外そうな一言が掛けられた彼らであったりしたほどで。最近ではさすがに慣れても来て、主人や彼らに間近な従者たちからは、呼ばれて何かしら言いつけられない限りは放っておけばいい。自分らは日々の最低限の務めだけをこなせばいいのだと、コツを飲み込んだ家人の皆様、それは淡々と立ち働いておいでだが。この彼だけはその辺り、まだ少しほど慣れがないのだろう。主人に一番間近なところ、常にちょろちょろついて回っても唯一煙たがられないままなセナへと、色々訊いてはお仕事への気遣いの足しにしてもいる勉強家。
「朝においでというのはお珍しいですね。」
しかもそのまま居ずっぱりになるのではなく、家人のほとんどが気づかなかったほど、すぐにも帰った彼だというのは、もしかしたらば初めての運びではなかろうか?
「お館様がお召しになられたということは、何か御用を担ってそのままお出掛けになられたということでしょうか。」
「そうだと思います。」
あれで葉柱様は、多くのお仲間から慕われてもいる“総帥”様だそうだから。くすすと楽しげに笑ったセナの言いようへ、
「“総帥”様?」
なのに、蛭魔からは顎で使われているというのかと、仄かに細い眉を寄せた舎利の青年だったのだけれど、
「おいっ! チビはどこにいるっ!」
いつもの居処、荒れ果てた庭を向いた広間にいるお師様が、小さな弟子を名指しで呼んでいる。呼ばれたならばその時は、何をしていても放り出し、大急ぎで傍らまで運ばねばならないのが、この屋敷での絶対最優先事項。あわわと慌てて青年へ小さく会釈をし、行って来ますねと先へと進む。そんな少年の、秋の衣紋に包まれた小さな背中が、暮れ始めた仄暗い廊下の向こうへと吸い込まれてゆくのを。ひょろりとのっぽな新人舎利さん、穏やかな笑みのまま、見送ってくれたのだった。
あわあわと駆けつけた座敷広間は、夏からの常と同じくの明けっ広げ。蔀(しとみ)のみならず、格子も妻戸も開け放ったままでの風通しの良さは変わらぬが、濡れ縁に接して庭へと向いた御簾をも、すべて絡げ揚げてのなかなかの見通しの良さ。そろそろ陽も暮れようかという頃合いで、涼しい風もさわさわと立ち始めているというのに、これはまた何を狙っての次第だろうかと。小首を傾げつつ、その歩調を緩めた小さな書生くんへ、
「おお、来たな。」
今宵は小袖の上へ単(ひとえ)を羽織っておいでのお館様からのお声が掛かった。あまり凝ったことには気を向けない彼が、珍しくも褪めた白と浅い縹(はなだ)という青を重ねる“秋の色襲(かさね)”をまとっており、衿元に小袖の白が覗くのがご本人の白い肌へと溶け込みそうになっている。質感のまるきり違う白が混ざって見えるということは、それだけまだ自然の光明が、一応の量だけ満ちてはいるということで。広間の中に灯された燈台も奥向きにまだ二台。袴をはいた脚を投げ出すようにして、広間と濡れ縁の境目辺りに座していたお館様は、何にか楽しそうなお顔のまんま、
「今宵は中秋。よって月見をするぞ。」
唐突にそんなことを言い立て始めてしまわれる。
「…はい?」
思わず聞き返したセナだったほどだけど、そういえば今夜は月の暦での八月半ばで“十五夜”だ。すぐ傍らへと小さなお膝をついて控えかかったセナの不審げな声へ、何だなんだ、陰陽の術師ともあろうものが、暦も数えておらなんだのかと、いやに御機嫌そうな声を出して見せる蛭魔だったが、
「ですが、お館様…。」
確か確か、数日ほど前。桜の宮の東宮様から“十五夜を一緒に愛でませんか”という丁寧なお誘いがあったのを、せっかくの涼しい夜長だってのに、何でまた鬱陶しい貴族どもが寄り集まるよな詰まらん宴に出向かにゃならんのだと、けんもほろろという勢いですげなく断ってはいなかったか。なのに…同じお月見を結局するのだったら、清涼殿の方へ参内なされたって良かったのではと思ったらしい。お名前に冠されたお花の王様にも負けないほど、富貴な美しさをその身にまとわれた、次代の帝であらせられる東宮様は。この、いかにも風変わりで臍曲がりで、それ故に政敵も少なくはない毛色の変わった陰陽師を、なのに人柄ごと いたく買っておられる希少なお方でもあり。きっと彼の側も、退屈極まりない宴の席に、気の合う蛭魔がいれば少しは楽しかろうと思って下さっての、お誘いだったのかもしれないのに。そういった分け入ったり折り入った事情の機微まで知っているセナなればこその不審に、彼の側では果たして気づいているやらいないやら。
「春の花見じゃあるまいに、夜空を仰いでの月見というのはの、気心の知れたごくごく限った仲間内にて、静かに落ち着いて堪能するもの。」
なんでまた、下手くそな笛や琵琶の演奏なんぞをご披露されつつ、詰まらん宴に付き合わにゃならぬと。ああ、やっぱり、あちらに混ざるのは好みや気分の問題で断られたのだなと思われる発言を、斟酌なしに返して下さってから、
「それよりも。とっとと支度に取り掛かろうぜ。
月に供える芋は、賄い方に言っておいたから、直にも整うだろからの。
俺たちは月へのお飾り、縁台の準備でもしようや。」
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