assailant... (襲撃者) C
 

 

          




  静かな静かな朝だった。マンションで迎える朝も結構静かではあるけれど、垣根や柵の代わりの緑が多いからか 小鳥の囀
さえずりがどこやらから届くし、住宅街が近いから新聞配達のスクーターだの自転車だのの走行音とかブレーキの音とか、そういった朝の静謐しじまの中に息づく、いかにも朝だというそんな気配が必ずかすかに聞こえて来るのに。今朝に限っては限りなく無音なのが、何となく不思議で。雨かな。まさか雪かな。寒いのはかなわないなぁ。でも、総身を包み込む、柔らかな温みと甘やかな匂いには馴染みがあって、寒さや湿気への億劫さはまるきり感じない。

  ――― ああそうか、こいつ、泊まってったんだな。

 昨夜は何もしないで眠ったのかな? それにしちゃあ、何だか体が動かしにくいな。あれ? パジャマじゃねぇや。俺、服のまま寝たのか? そんなこんなと思ううち、だんだん意識がはっきりして来て、


  「…おはよう。」


 布団の中で背中を撫でてくれる大きな手の温もりと、低められたソフトな声。胸板の上に頬をくっつけたままで仰向くと、少しほど顎を引いてこちらを覗き込んで来る桜庭の顔が見て取れた。そのまま見回せば…寝具も室内も様子が違い、ああそうだ、此処は病院なんだと やっとこ妖一も思い出した模様。窓にはブラインドが降りたままだし、まだ少し早い時間なせいで朝の陽射しがまだまだ強くはないのだろう。室内は随分と明るいものの、眩しいというほどではない。やさしい温もりに くるまったまま、
「身体、窮屈じゃなかった?」
 こそりと訊かれて、
「ん〜〜〜、ちょっとな。」
 瀬那の意識が戻ったことで、安心して気が緩んで、そのまま"此処"へとダイビングして眠ってしまったから。下はGパンのままだったし、上もスタジャンを羽織ったままだった。それであちこちが強ばってるみたいな感触があるんだなと、首をコキンと倒したりしている妖一を、こちらも抱えたまんまで眠っていた桜庭の方はというと。ジャケットは当然脱いでいたし、
「あ、なんだ、お前。トレパンなんかどうしたんだよ。」
 手術や診察やガーゼ交換などのお手当てに便利な、患者さん用の前合わせの寝間着なぞでは勿論なく、どこぞの高校で使っていそうな あっさりしたライン入りのトレーニングパンツを履いている彼であり、
「看護婦さんが持って来てくれたよ? まさか患者さんの"お仕着せ"はまずいだろうから、これどうぞって。」
 そういうサービスもある病院なんじゃないの?と首を傾げている。正確には"看護士さん"ですよ、桜庭くん。でも、保母さんとか看護婦さんという呼称は絶対に使ってはいけないんでしょうかしらね、これからは。女の人だった場合はこの方が分かりやすいのにね…って、そうじゃなくって。
(笑) 大方、お洋服がシワになりますわと、個人的に気を利かせた人がいたのだろう。アイドルって得だよな。こらこら まあ良いけどよと さしてこだわらず、くぁ〜〜〜っと大きな欠伸をしてから、むにゃむにゃとこっちの胸板へ頬擦りなんかして甘えてくれる愛しい人だが、

  「ほら。のんびりしてる場合じゃないでしょうが。」
  「???」

 いくら病院の朝は早いと言ったって、自分たちは入院患者ではない。朝の検温だの点滴だのにと看護士さんが叩き起こしに来る筈もなく、こうやって1つ布団にくるまっているところを急襲されはしないと思うのだがと。いつもなら こういう風に"急げ"なんていう巻きを入れるのは自分の側なだけに、何を言い出したアイドルさんなのかが妖一さんには一向に判らなかったのだけれど。

  「髪をセットしなくちゃいけないでしょ?」
  「…髪?」

 どうやら妖一さんといえば…というトレードマークの逆立てた金髪頭のことを言いたい彼であるらしい。そういや、セットしてから丸一日経っているのだからして、ムースや何やも随分と強度が落ちているし、そのまま寝たりしたものだから…今や くしゃくしゃになってはいる。だがだが、
「そんなもん、どうだって良いだろが。」
 状況が平生レベルのそれへと落ち着いたからとはいえ、そんな些細なものに、しかもこんな場所でこだわるつもりはないらしきご本人様は、手櫛で簡単にわしわしと梳いて見せて"これで良し"としたのだが、
「ダ〜メっ。」
 何故だか強硬に譲らない桜庭くんであり。妖一さんをその懐ろに抱えたままで身を起こすと、自分の亜麻色のお髪
ぐしの方はどうでも良いのか…やっぱり手櫛で簡単に梳いて見せながら、

  「前にも言ったでしょ?
   妖一が髪を下ろしてるところはボク以外に見せちゃダメって。」

 ああ。そういや、そんな話をしたことがありましたな。あれは確か、そうそう。例のグラビアアイドルの繚香ちゃんとの競演となりました『風色疾風スキャンダル』の騒ぎの時の後日談だったのではないかと。
「この個室にはシャワーもついてるらしいから、ちゃんと頭を洗って来て下さい。」
 そうと言って指差した先、トイレにしては広い間口だな、バリアフリーだからかなと思ってた扉には、確かに…シャワーのマークもついている。しかも、部屋の中ほどに据えられてあるローテーブルの上には、整髪料各種まできっちりと取り揃えてあり、
「お前な…。」
 どういう方向へ用意周到なんだよと呆れた妖一さんだったが、懐ろの中から見上げた端正なお顔に乗っかってる自信は揺るぎない。微妙な傾向や方向ではあれ、こちらさんも悪魔さんに負けじと、かなりの強腰になりつつある アイドルさんな御様子です。









            ◇



 今回はある意味で自分に付き合わせた訳だしと、渋々ながらも言う通りにシャワーを浴びて、問題の髪もアイドルさんに手づからセットしていただいて。簡単な食事を取ってから、主治医のところへ経過を聞きに行ったお二人さん、
「…よお。」
「おはよう、セナくん。」
 集中治療室から個室へと移されていた後輩さんのところへ顔を出す。こちらさんも…食事を終えてからはすることもなく、所在なさげな様子で、寝間着姿にて大きな枕に身を埋めていたところだったらしく、
「あ、蛭魔さんっ、桜庭さんっ。」
 やっと顔見知りに逢えたと、素直に嬉しそうなお顔を見せてくれた。清潔な白を基調とした脇卓やらクロゼットロッカーやらといった調度を並べ、あまり殺風景ではない室内には彼しかおらず、
「お母様は?」
 桜庭が訊くと、その小さな肩をすくめて見せて、
「会社です。もう大丈夫らしいし、検査が終わり次第帰れそうだからって。」
 けろりと答える。大方、彼の側からそんな風に言って、背中を押すようにして会社へと向かわせたに違いない。脇卓の上にはお母様のものらしきカードが置いてあり、これで支払いを済ませなさいとせめて置いて行ったらしき慌ただしさが伺える。それとは別に、部屋の中央、こちらにも据えられてあったローテーブルの方の上には、セナが昨日着ていた服が一式と、それから…財布やパスケース、ハンカチなどといった、彼の所持品の一切合切が載せてあったのだが。所持品は1つずつ、密閉するためのチャックのついたビニール袋に入れられてあり、
"ああ…。"
 警察が届けに来たのだなと、蛭魔や桜庭にも悟らせた。ちらと見やっただけだのに、セナにもそんな感慨は伝わったらしい。
「なんか、テレビのドラマみたいでビックリしました。」
 母親がいる間に来た刑事さんに、これで全部かどうか間違いないかを確認させられたそうで、
「携帯電話だけは、あの、証拠物件なのでしばらく預からせて下さいって。」
 偽のメールで呼び出された彼だから、着信履歴やら交信記録やらを…起訴や送致の手続きに必要とされる"物的証拠"として使われるのだろう。しょげたように肩を縮めているセナへ、

  「ケータイくらい、なんてこた なかろ。」

 ベッドの縁に遠慮なく、どっかと腰掛けた蛭魔が小さく笑ってそんな言いようをする。無くて不便なら いっそ警察に代用を請求しちゃれなんて、無謀なことを言い、そんなこと出来るんですか? さあ、どうだろうねと、セナと桜庭が苦笑混じりに顔を見合わせる。クスクス・くつくつと軽やかな笑い声が室内に広がったものの、

  「お二人にはとってもお世話になったそうですね、ありがとうございました。」

 どうして、この二人がこんなところに前触れもなく姿を現したのか。昨夜だか未明だかに意識を取り戻したその一番最初、この特長あり過ぎなお人の姿を確認した時は何が何やらよく判らなかったセナだったそうで、だが、今はちゃんと全てを聞いて"判って"いるらしい。
「一度だけ瞬きしたら、Q街に居た筈だったのに此処に居たって感じだったんです。」
 それだけ容赦無いほど強引に、すとんと深い眠りに取り込まれた彼だったということだが、その勢いと深さが、ある意味、本人には幸いしている様子であり、自分に何が起こったのか、まるきり自覚がなかったらしい。
「朝になって、お母さんとそれから警察の人からお話を聞きました。」
 でも。何だか、どこか他人事みたいな感触しかなくて。

  「1日、半日かな? 損したかなって。」

 自分にはそんなくらいのことですようと。ふにゃんとお顔を緩ませて、小さく小さく笑ったセナだったが、

  「………。」

 ほんのすぐ間近に腰掛けていた蛭魔が、そんな少年の小さな頭に腕を回す。あまりに唐突なことだったから、こんな時だというのに…妙なプロレス技付きで"心配させやがって"とか何とか、ちょこっと痛い報酬を授けようとでもいうのかしらんと、傍らの、こちらは椅子に腰掛けていた桜庭がハッとして立ち上がりかけたものの。

  "…え?"

 どこか冷たく見えもする真顔なまま、後輩さんの頭を"ぐい"と自分の胸元へ引き寄せた蛭魔であり。一体どうするつもりだろうかと、ハラハラしかかった桜庭の耳へも届いたのが、

  「…気ィ遣うな、こんな時にまで。」

 こちらからも少ぉし倒した上体の、その陰へと取り込むように抱き寄せた小さな温もりへ、低められた声でぽそりと告げられた…そんな一言。途端に、

  「………。」

 息を呑んだような気配があって、それから。

  「…ふに…。」

 ちょっとばかり高く撥ねてから引きつけるようなお声が洩れる。そんなセナの小さな背中をそっと撫でてやり、

  「こういう時は特にな、平気だなんて嘘を軽々しくつくな。」

 柔らかな髪の中へとくぐもらせた吐息。それへと乗せるようにして、淑
しめやかな声で…判っているからというやさしい想いを伝えてやる。この子はそんなにまでも豪気な楽天家ではない。具体的に何があったのかは、成程 見聞き出来なかった身なのだから、覚えてなんかいなかろうが。意識が半日以上も寸断されていただなんて異常なことへ何の感慨もない筈がない。しかもその上、警察からの説明なんて仰々しいものまでされたのだ。一歩間違えたらどうなっていたのか、そんな怖い想いを後から追体験したに違いなく。

  「………
うっく。」

 いつの間にか。抱え込んでくれている先輩さんの二の腕あたりに、両手でしがみついていたセナであり。その小さな手が、かすかに震えているのが傍らにいた桜庭にもよくよく判った。周囲に心配をかけたくないから。そんな格好で負担になりたくはないからと、大丈夫とか平気だとか、そんな言葉が口癖になっている子。確かに昔に比べれば、気概や性根や何やかやが強くもなったのだろうけれど、それとこれとは別物だろう。そして、

  "妖一…。"

 こんな体験を、こんな想いをした当事者にしか判らない、とっても微妙なことだろうに、よくもあっさりと見抜けたなと、桜庭はそちらへも感じ入る。強気で自信家で、めげるということに縁がなく。だから…豪快で乱暴で、ともすれば がさつにさえ見えるような彼だのに。本当はね、優しい人だから。奥行きが深くて何でもちゃんと拾い上げることが出来る、そんな頼もしさも持ってる人だから。
"………。"
 そんな二人の会話に割り込むことなく、聞くだけの立場にいようとあらためて思って、口を閉ざしたアイドルさんであり、

  「怖いって思うのは防衛本能の働きだからな。
   自然なことだから、別に恥ずかしいこっちゃねえ。」

 懐ろへと抱えた小さな少年へ、蛭魔の静かに低められた声がそうと言う。

  「要は、怖いもんがあるって認めた上で、それをぶっ壊しゃあいいんだよ。」

 懐ろの中から顔を上げる気配がして、
「…ぶっ壊す、んですか?」
 恐る恐る訊いてくる。それへと、

  「そうだ。お前だって負けたまんまなのはイヤだろ?
   いつまでも怖いままじゃねぇぞって、顔を上げて平気でいられるようにって、
   自分の中の"怖い"をぶっ壊すんだよ。」

 まんま相手を"ぶっ壊して"も良いんだぜ? だなんて、それこそ物騒なことまで言い出してギョッとさせ、顔を上げたセナに ふふんとその切れ長の眸を細めつつ…それでも柔らかく笑って見せる蛭魔であり。綺麗なだけじゃない、性根の強かさでも何とも頼もしい先輩さんであることよ。勿論、無責任なこの場だけの励ましなんかじゃあない。

  "あの化物野郎の進にでさえ、
   初見の試合で負けるもんかなんて思ったような奴なんだ。"

 ボールの持ち方さえ知らないような、アメフト自体に初心者も良いところだったというのに。大学生がほとんどの"19歳以下"の全日本代表チームに、高校生でありながら選出され続けて来た超高校級プレイヤーであるあの進清十郎の、どんなデカブツでさえ薙ぎ倒す"鬼神の槍(スピアタックル)"にも怖じけることなく立ち向かった前向き少年。そんなセナだと知っているからこその、やさしく温かながらも 強気なお言葉であり励ましでもあって。とはいえ、
「えと…。」
 きゅう〜んという甘い鳴き声が聞こえて来そうな、そんな稚
いとけないお顔で見上げて来る小さなセナくんであることには…さすがに照れてか、
「そりゃっ。」
「…あややっ、痛いですよう〜。」
 サバ折りもどきの ぎゅっと力強い抱擁を仕掛けて"わははvv"とからかい、何とも彼らしいペースへ一気に戻った、蛭魔さんなのであった。


  "………一気に戻り過ぎだってば。"


 そだね。極端な人だ、うんうん。
(笑)















          



 それから、一通りの検査と診察を受けた瀬那だったが、薬物は全てすっきりと代謝されていたし、後遺症も見られず、何ら問題はないとのこと。それでももしも、何かしらの不可解な症状が出たり、万が一にも不安になったりしたならば、いつでも相談にいらっしゃいねと、主治医の医師
センセーからやんわりと念を押されて。それからそれから、自分の服に着替えてお会計の窓口に向かうと、もう支払いは済んでおりますよとのこと。おやや?と小首を傾げているところへ診断書というのを渡されて、お大事にねと事務員の方からにっこりされて…良いのかなぁと思いつつも ほてほてとエントランスへと向かう。お昼時に近い時間帯だったが、待ち合いの広々としたロビーにもあまり外来の方の姿は見受けられず、
"何だか特別な病院みたいだなぁ。"
 との認識も新たに、グレーの真新しいコート姿の少年がシートにちょこんと乗っかったことで、静かに開いた自動ドア。大理石の壁のお外は、冬場の乾いた晴天の陽光に満たされていて。暦に合わせて急に冷え込んだ外気に触れて、そこへと晒された頬が、一瞬、ひやって悲鳴を上げたような気がした。はややと肩をすぼめつつ、綺麗な一枚石を敷いたポーチを降りかかったその先には、

  「………あ。」

 イヌツゲだろうか、常緑の茂みの傍ら、とっても見覚えのある人が立っている。見覚えだけじゃあない。こんな風に姿を実際に目の当たりに見るまでもなく、お名前を思い浮かべただけで…胸の奥が"きゅううんvv"と温かくなってしまって、こちらのお顔や感覚が甘く蕩けて浮かれてしまう、どかすると困った対象でもある人。

  「進さんっ。」

 ぱたた…と短い段を駆け降りると、真っ直ぐにその勇姿の傍らまで駆け寄って。近づくとそれだけ落差が大きくなる上背を、それでも懸命に…顎まで持ち上げて見上げて来てくれる可愛い人。そう、いつもとまるで変わらない瀬那の反応であり、

  「…小早川。」

 元気そうな様子へと まずはホッとし、それからそれから。飛びつかんばかりに駆け寄って来てくれた屈託のない様子へと、何とも言えない、辛そうな切なそうなお顔になる進さんであり。そんな彼の視線が、ふと、ほんの一瞬だったが、彼が出て来た建物の一角へと逸れて。

  "………。"

 そこにいた人物へ、小さく、それでもくっきりと頭を下げての会釈を見せる。
「進さん?」
「ああ、いや。」
 何でもないよと伸ばしかけた手。いつもの仕草だったが、ふと…その手が宙で動きを止める。

  「………。」

 しばし、彼らしくない ためらいを覗かせて、大きな手のひらが宙で止まった。繊細で小さなその佇まいの儚さを、壊さぬように怯えさせぬようにと柔らかく接することが出来るようになっている筈の手だというのに。こちらからこそ何かに怯えてでもいるかのように、らしくもない躊躇を見せている模様。だが、

  「進さん?」

 再度の声を掛けられて。見下ろせば…大きな琥珀色の瞳が、一向 無垢なままに見上げて来るのとかち合った。稚
いとけないばかりな頼りない視線ではなく、強く澄んで瞬まじろがない、意志のこもった真っ直ぐな眼差し。そんな視線に眸の奥まで覗き込まれて、

  「…うん。」

 吐息を一つ、深々とついてから。その手をセナの肩へと置いて、自分からも彼を引き寄せて見せる。車を待たせているからと、そちらへ促す進であり、大きな背中と小さな背中が仲良く並んで、ゆっくりとした歩調で玄関前から離れてゆくのを、

  「………。」

 その窓に張りついてまではいなかったのに、先程きっちりと気配を読まれた一角。まだ少々怒っているのか、それとも常からの気勢のこれも現れか。ふんと鼻息をついてから、肩をそびやかすようにして室内へと振り返った人物があって、

  「気が済んだ?」

 振り返ったことで向かい合う形となった桜庭くんからのお声へ、直截な気持ちの表れ、まずは"むっ"と唇を曲げかけたが…それが力なく緩んでしまい、

  「俺もそうそう偉そうなことは言えんからな。」

 昨日はあれほどの気魄でもって、あの偉丈夫さんへ昂然と咬みついた蛭魔だったというのに。今は…というと、小さな溜息をつき、そんな殊勝なことを言い出すものだから。
"………。"
 そんな彼へと…今度は桜庭くんの眉がむっと顰められて、

  「俺だって、お前を同じ目に遭わせかねないんだし…。」

 そんな事を言い出す蛭魔の白い額へ。お行儀の良い手がすかさず伸びて来て、緩く握った拳の端っこで こつんとこづく。

  「…何だよ。」
  「おバカ。」

 少しほど上から見下ろす格好の、凛々しくも眇められた深色の眼差しが"これだけは譲れませんよ"とばかり、真っ直ぐこちらを見据えて来て、
「そんな言い方してると、高階さんに怒られちゃうんだからね。それに、」
 ずずいと踏み出し、上体を倒して。そのまま…妖一さんのおでこへ自分の額をこつんとくっつけると、

  「ボクに対してだって失礼だ。」

 大真面目なお顔にて、そんな一言をきっちりと言い放つ桜庭くん。揺るぎなき口調はともかくも、

  「そういう台詞は、もっと威厳を込めて言い放つもんなんじゃないのか?」

 これではまるで、小さい子供への"メッ"と同じではなかろうか。柄になく意気消沈しかかっていたものが素早くも復活してか、こちらもちょこっと…その切れ上がった目許を眇め、威嚇的な尖りも鋭く、真っ向からそんな憎まれを言い返す金髪の悪魔さん。でもね、くくっと吹き出すと、

  「…そうだな。」

 柔らかに和んだ表情へと頬を緩めて。肩から力を抜き切ってまでの大きな吐息を一つつき、それじゃあ帰るかと相手を促して扉へ向かった。

  "………。"

 もう頑
かたくなで居なくて良い。自分は誰かを不幸にする存在だからだなんて、そんな哀しい思い込みに心凍らせなくても良いんだよと。今のと同じ声で言ってくれたから。同んなじ笑顔で示してくれたから。だからもう、この人へは詰まらない意地は張らないと決めたのだ。胸を満たすそれはそれは温かな想いに、こっそりと甘く溜息をついて、傍らにある存在の温みへと知らず真白な頬をほころばせている妖一さんである。


    「そうそう。妖一ってば妙なツール持ってんだね。」
    「? ああ、あの投げ分銅のことか?」
    「あれって…電話としても使えるの?」
    「使えるさ。G−ショックばりに耐久性があるんでな。」
    「ふ〜ん。」
    「あと、横から栓抜きと缶切りが出てくるし、
     底にはコルク抜きが仕込んであるし、脇からはメジャーが…。」
    「…それは嘘でしょう。」



 今時のお嬢さん方には"十徳ナイフ"なんて言っても判らないだろうなぁ。
(笑)







  〜Fine〜  04.1.18.〜1.27.


  *何だか物騒なお話でしたが、これは実は"前段"でして。
   ここから…もちょっと ややこしいお話へと続きます。
   クリスマスからこっち、
   めっきり"ラバヒル"サイトと化しておりますが、
(まったくだ)
   良ろしかったらお付き合い下さいませvv

ご感想は こちらへvv**

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