assailant... (襲撃者) B
 

 

          




  瀬那の母親がようやっと病院に駆けつけたのは、立冬以降、少しほどは長くなった陽の入りが間近い、夕方になってからのことで、

  『妖一は夜中の方の付き添いに回ってもらうから、今は昼寝をしておいてね』

と、桜庭から半ば強引に決められて、病院側から用意してもらっていた控え室用の病室へと追いやられていた蛭魔が短い仮眠から覚めた頃合いに丁度重なり。警察関係者から事態の全容を…誰かに余計に罪を偏らせる事なく公正に聞かされたらしきお母さんは、現場に居合わせて事態の収拾に務めたという説明をなされた、ちょこっと色物な二人の上級生たちへ、それは丁寧に頭を下げて下さった。
「セナが大変なお世話をおかけしたそうで。」
 いえ、セナくんは被害者なんですし、ボクらはたまたま居合わせただけですよと、桜庭がそれはなめらかな応対をしたのへ、もう一度お辞儀をしてから、
「桜庭さん、と。蛭魔さん、ですよね?」
 自分の息子と同じ世代の高校生へ"さん"をつけて呼びかけたお母様。まだ名前までは名乗っても紹介されてもいなかったにもかかわらず、キチンと言い当てられたのがちょっと意外で。
"…?"
 桜庭の方は、何と言ったって全国レベルで名の売れた芸能人なのだから、名前と顔が一致するのに不思議もないが、蛭魔の方へもその名前をぴたりと言い当てられたのは…、

  「セナからいつもお話を聞いております。
   とっても怖いけれど、それは綺麗でよく気のつく、親切な先輩さんだと。」

 ああ、やっぱり。
(笑) にこりと笑うとその息子に雰囲気のよく似た、されど…雑誌の編集者として かなりのやり手だと聞いているお母様は、
「高校に上がってからのあの子は、まるで人が変わったみたいにそれは毎日楽しそうにしていて。学校での出来事まで何かと話してくれるようになって。」
 それもこれも先輩さんに恵まれたからでしょうね、二言目には"蛭魔さんが、栗田さんが"って、いつもいつも聞いていたお名前でしたものと。言われた側が面映ゆくなるようなこと、やわらかな声で話して下さって。
「後は私が付いていますから…。」
 お礼とご挨拶には、またあらためてお伺い致しますからと、まだ未成年者の二人に今日のところはお家へお帰りなさいと仰有って下さったのだが、

  「俺、いえ…僕はこの近くに住んでいますから。」

 それに一人暮らしなのでどうかお気を遣わないで下さいなと、それこそ このド派手な見栄えにはそぐわないほど丁寧な言いようをして、にこりと笑って見せた蛭魔であり。

  "セナくんが見たら、
   きっとこれは夢に違いないなんて もう一度眠ってしまいかねないよな。"

 こらこら、桜庭くん。なんてことを…。
(笑)








            ◇



 何度も"お家へお帰りなさい"と言われたが譲らなかった二人には、お母様も根負けしてか。それでは一緒に付き添いをお願いしますねと認めて下さって。院内にある食堂で順番に食事を取ってから、依然として昏々と眠り続ける小さな少年の傍らにて、その無事な回帰を見守り続けることとなった。環境の保全へと殊更に力を尽くしているらしき病院内は、他の入院患者さんたちの存在を伝えないほどに静かなまま、それでも冬の冷え冷えとした長い夜へとその空間を沈めていって。

  "………。"

 完全看護でしかも集中治療室なのだから、看護士の方が様々な計器の並ぶ監視室にてきっちりと容体を観察して下さってもいるのだが。身内としては心配だからというその心情を買って下さり、ベッドの横に付いていることを許可いただいた母上様。されど、お忙しい身の上でいらした点は、こんな時だからと言っても変わりがなかったらしくって。随分と夜も更けて来た夜陰の中で、ベッドの傍らへと引き寄せた椅子の上、息子を見つめていらしたその頭を前方へと傾けて。少しばかり窮屈そうに、うとうとと転寝を始めてしまわれる。肘掛けのついたしっかりした椅子だったので、不安定さから転げ落ちてしまうという心配はなかったし、室内にも適温の空調が効いてはいたが、それでもと。寄り掛かっていた壁から身を浮かすと傍らまで歩み寄り、空いていた隣りのベッドから毛布を剥がして、そぉっとその肩に掛けて差し上げる。消灯時間はとうに過ぎているせいか、室内には、患者である瀬那の様子を観察室で見守るのに必要なのだろう、淡い光度の枕灯がぽつんと灯っているだけで。医療に必要なもの以外は置かれていない、いかにも無気質なその趣きごと、薄闇の中に輪郭を没した室内は、冷ややかな空気を満たして尚のこと、どこもかしこも寒々として見える。

  "………。"

 ベッドから離れて、元居た場所。室内の一角の壁へと凭れ直しかかった蛭魔だったのだが。ちらと見やった枕の上、寝かしつけられたその時から全く変化のない幼いお顔に、ついつい視線と意識が捕らわれた。お母様がいらっしゃるのとは反対側のベッドの脇へと歩を戻し、無心に眠り続けるお顔へと、静かに静かにその視線をそそいでみる。枕の上に無造作に散らされた、ふかふかな黒い髪。薄闇の中に浮かび上がっている白い頬。今にも上下へ薄く剥がれそうな微妙さで合わさった柔らかな口許。いかにも頼りない線で描かれた細いめの鼻梁は、曖昧な明かりの中ではぼやけて見えて、その童顔の幼
いとけなさを際立たせてもいる。それを見下ろす蛭魔の静かな横顔は、冷たい玉石へと刻まれたような端正さを、僅かにさえ ほころばせることもないままであり。それでも…切れ上がった目許には、金色の前髪の下に睫毛を伏せた淡い陰が重なって落ちていて。それのみが、彼の胸中を満たしているのだろう、憂いの感情をわずかに表しているというところかと。


  『あの二人が互いに心配し合ったり、相手に会いたいと思うのを、
   妨げたり邪魔したりする資格や権利は、少なくとも僕らにはないんだよ?』


 桜庭に諭された理屈なぞ、言われるまでもなく重々 解っていたし、進に非がないことだって、もしかせずとも判ってはいた。だが、それらはあくまでも理屈としてのものであり、この少年が冷たい路上へその身を崩れ落とすように昏倒した姿を見たその瞬間からこっち、この胸をキツク掴んだまま離さない強烈な不快感は、今の今でも収まりを見せぬまま。息をつくのさえ億劫なくらいの負荷で、心臓の上に曖昧な重圧をかけ続けている。

  "………。"

 他の誰でもないこの子がこんな酷い目に遭ったという点だけが、どうあっても許せない蛭魔であり、その原因に大きく関わっている存在だと聞かされたから、進のことも…その立場はどう考えても"被害者側"の人間だというのに、ついつい、憎々しい人間だという把握しか出来なかった。

  "………。"

 自分だっていつぞやは。殺人犯をおびき出すというような、素人には無茶でしかないような策謀をこそりと立てて、この少年を心配させたくせに。ほんわりと仲が良かった筈の桜庭と不仲になってしまったのかと、その小さな胸中をさんざん騒がせた揚げ句に泣かせた前科もあるくせに。今頃になってそれらを思い出し、そんなにも…泣くほど心配してくれたことが、どれほど擽ったくも嬉しかったかを思い出し。肉薄な唇を八重歯でぎりと噛みしめると、

  "…なあ。"

 答える筈がない寝顔へ、心の中で囁きかける。

  "判ってんのか? お前。"

 次の春が来れば2年を過ぎることとなるお付き合い。合格発表の時に初めてお顔を合わせたんですよと言われたものの、実を言えば…最初の印象なんて殆ど残っていなくって。アメフトに関すること以外へはぞんざいな蛭魔からすれば、見るからに気の弱そうな、いかにも"いじめられっ子"という風情の、畑違いでてんで関心も湧かなかったろう存在だったのに。ひょんなことからその卓越した脚を見せつけられて、これは是が非でも捕まえなけりゃあと、この自分が躍起になった優良素材。そう、最初はその脚にだけ用向きがあった。これは見っけもんだったと喜んでいたら、そこへと…あの進と渡り合いたいなんて言い出すほどの度胸がついて来て。何にも持たない手のひらに少しずつ、明日へと続く何かを懸命に捕まえようとする力がつき始めて。倒れても倒れても立ち上がり、次へ次へと頑張る気概に、久々にこちらまでが…柄にない"闘志"とやらを掻き立てられた。

  "………。"

 強く望めば何だって叶うほど、現実世界は甘くない。ギリギリまで粘り続ける根性や簡単にはめげることのない前向き姿勢は、あるに越したことはないけれど。どうしたって引っ繰り返せないものには執着するだけ無駄だという切り替えも素早い、あくまでも合理主義者な筈だったこっちまでもを引き摺り込んで。ゲームには勝てなくとも、気概や何やでの勝利というものがあるのだということ。その価値と爽快感を久々に堪能させてもくれた小さなチームメイト。孤高の中に泰然と立ち、冷静怜悧を誇っていたこの自分の価値観さえも揺るがすとは、誰かが呼んでた"シューティング・スター"という呼称が正に打ってつけな奴だよなと、つくづくと思ったものだった。そんなにも印象的な子だったから。アメフトからは離れた場所でも、覚束無い、だが、懸命な行動にはついつい目が向き、気持ちが誘われ。要領が悪いくせして ややこしい恋をした身を、面倒ながらも こそりと案じてやるようになり、

  "要らない余波
おまけまで くれやがってよ。"

 同んなじ恋に、だが向こう側でもやはり不器用に当たっていた"武骨な君"のアドバイザーさんと、ひょんな弾みで鉢合わせをし。何が気に入ってか、煙たいほどの、鬱陶しいほどのちょっかいを出された末に、今や まんまとその彼の腕の中へと搦め捕られていたりする自分であるのも、元はと言えば…。

  "…っていうか。同じ接近のされ方をしてないか?"

 んんん? あれれ? …あら、ホントですわね。一歩間違えたらストーカーかも知れないっていうくらいに、連綿とした接近攻撃を敢行されていて。気がついたら…いないと気になるほどの存在になっていて? それってもしかして、王城ホワイトナイツの伝統の攻撃パターンなんでしょうか?
おいおい

  "…なあ、おい。"

 こちらのペースに強引に乗っけて、引っ張り回して撹乱し、揚げ句に意のままに操縦する。それこそが自分のセオリーだった、得意技だった筈なのに。そんな自分を…フィールドの外でとはいえ、ある意味 逆に、こんなにも引っ張り回してくれた初めての存在。

  "………。"

 長くて撓やかな腕をベッドの住人へと静かに伸ばして。時を止める魔法に呑まれてしまった、童話のお姫様じゃないんだからと。それでもそぉっと、触れるか触れないかというギリギリの空中で、その頬の輪郭を撫でてみる。残念ながら自分はこの子の"王子様"ではないけれど、あの武骨者にだって負けないくらい"大切だ"と思ってもいるのだしと、何かしらの呪文でも唱えるかのように、そぉっとそぉっと撫でていると、


  「……………。」


 すううと長い息をつく気配と共に。ふにゃんと、小さな声がして。そして、

  「………蛭魔、さん?」

 喉にからむような細い声は、間違いなくこちらの名前を呼んでくれたし、薄っすらと重たげに、だが、何とか持ち上がった睫毛の隙間に、眠気半分の瞳の潤みが確かに覗けて、

  「…っ。」

 その瞬間に感じたものは、あっと弾かれるような感覚ではなくて。果たして驚いていいものか喜んでいいものかと、妙なことへ躊躇してしまったちょっと間の抜けた感慨であり。ずっと胸を押し潰していた閊
つかえが解き放たれたのだという実感は、随分と後になって"ない"事へ気がつくという格好にて把握した蛭魔だった。一方で、

  「セナ…?」

 さすがはお母様で、こんなにも小さな声にハッと目を覚まして顔を上げ、

  「お母さん? あれ? どうして…?」

 先輩さんと母とが同席しているこの状況が良く判らないセナであるらしい。まだ少しだるそうに"あれれぇ?"と戸惑って見せるそんな息子の柔らかな髪を、黙って梳いてやるお母様の優しさや睦まじさ、暖かく細めた眼差しで見やりつつ。肩越しに見やった監視室から人が出て来る気配を感じた先輩さんは気を利かせ、そぉっとその場から離れることにしたのであった。











            ◇



 かちゃりと静かに開いたドアの気配にも気づくことなく、すうすうと健やかな寝息が続いている。ちょっとばかりグレイドの高い病人様への個室なのか、シティホテルの室内みたいな白木製の調度を並べた室内へ、足音や気配を殊更に忍ばせて そぉっとすべり込んで来た誰かさん。セミダブルのベッドの傍らまで近づくと、そこに眠る人物の胸板目がけて、どさぁっと倒れ込んだから…いやはや乱暴なことをなさること。当然、

  「…っ? えっ? えっ?」

 それまですやすやと眠っていた方は、弾かれたように目を覚まし、だが。自分の懐ろに、傍若無人にも ぱふんとお顔を伏せている…誰かさんの金色の髪を見下ろすと、
「…もう。ビックリするだろ、妖一ってば。」
 安堵の吐息をつくと、そのまま枕に頭を戻して天井を見上げた。予備のお部屋にて待機していた桜庭くんへ、ふかふかの布団越しにいきなり抱きついて来た悪戯っ子は、何だかとっても楽しそうであり。何度も甘い溜息をつくものだから、
「あ…じゃあ、セナくん。」
「ああ。意識が戻った。」
 だからこその茶目っ気であり、
「センセーがもう大丈夫ですよってさ。一応、明日の朝、一通りの検査をするが、意識もはっきりしているし、問題はないでしょうってよ。」
 まったく冷や冷やさせやがってよぉと、憤慨の台詞を、だが、たいそうまろやかなお顔にて紡ぐ彼であり、
「なんか、一気に気が抜けちまった。」
 ぱふんと飛び込んで来たままに。頼もしい桜庭くんの懐ろにて、このまま眠ってしまう算段でいる金髪の悪魔さんであるらしく。布団の中から何とか腕を伸ばして枕灯を灯した桜庭くんが、
「そっちのベッドに寝なよ。」
 これじゃあ狭いだろと声を掛けても、い〜や〜だと首を振るばかり。そんな態度の復活へ、
「…もう。」
 駄々っ子なんだからと苦笑をした、上背のあるお兄さん。
「ほら〜、一遍で良いからちょっと立ってよ。」
 お布団の中に入んないと風邪ひくよ?と、も一度のお声を掛けたものの、
「馬鹿力で何とかしろ。」
 眠くても口だけは回るらしい。こんの我儘野郎が〜〜〜と、ついつい胸中にて拳を握る真似をした桜庭くんだったけれど、

  「………。」

 ふと見下ろした懐ろの白いお顔。頬の縁へと淡い陰を落としている長い睫毛が、完全には伏せられていないことへと気がついて、

  「…ねぇ、妖一。」
  「ん〜?」
  「もう大丈夫なんだったらさ…。」
  「…。」

 立ち上げるためにと堅くセットされている髪は避けて。うなじや首条、薄い肩といった、それこそ無闇矢鱈に触れられはしなかろう切ない温みのこもる辺りを、そぉっと撫でてくれる大きめの手のひらへ。すっかりと脱力した悪魔さん、切れ長の目許をうっとりと細めると、


  「…連絡でも何でも、好きにしな。」


 誰へというところは省略して、面倒臭そうに ぼそりと呟いて。お互いの体の間に挟まっていた布団の縁を体の下で引っ張りめくりし、ごそごそもそもそ、大好きな温もりの中へともぐり込んで見せる。いやに要領を心得ている恋人さんへ、小さく小さく苦笑をした優しいアイドルさんは、細い背中をぽんぽんと軽く叩いてやってから。


  「おやすみね。」


 きゅうと。愛しい温もりを、意地っ張りな細い肩や我儘な横顔ごと、その腕の中に抱きしめたのだった。








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  *さて、後は晴れ晴れとした朝の模様をちょっとだけ。
   良ろしかったなら、お付き合い下さいませです。

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