星祭りへの素描デッサン
 

 
          



 まだ梅雨明け宣言されてはいないが、天気図の上からは梅雨前線も消え失せ、ここ数日は かんかん照りの所謂"真夏日"とやらが続いた関東で。これこそ梅雨明けしていない証拠とでもいうのか、湿度は十分すぎるほど高いものだから。昼間は気温の上昇に合わせて不快指数もぐんぐんと上がって、蒸し蒸しとした空気が肌に引っつくのが居心地悪いばかり。思わず、
"…点心の気持ちが判るような。"
 せいろで蒸される中華のメニューに同情しつつ、スポーツキャップのつばの下、汗で貼りついた前髪ごと、形のいい額を畳んだハンカチでぐいと拭う。カモフラージュ用のサングラスや帽子が不自然ではない季節になったのは良いけれど、怠けずダラけず きっちり鍛えていても暑さは感じるし不快は不快だ。さっきまで乗っていたJRの冷房を懐かしく感じながら、単色でシックにまとめられたアロハ風シャツの背中やうなじへ容赦なく降りそそぐ太陽光線の攻撃に口許をへの字に曲げつつ、緑の多い構内を進む。日本の大学というものは、前期試験の時期にもよるが…おおむね六月の末か遅くとも七月には"夏休み"に突入している。ここU大学F学舎にしてもその辺りの事情は同じだろうから、閑散としているのは暑さに辟易してという理由だけでもないと思われ。真夏のリゾート地を思わせるような、タンクトップに足元はミュールという姿の女子のグループとすれ違ったりしながら、大小様々な通達やら発表やらのプリントや、催しのポスターが貼られた掲示板を横目に見つつ、校舎前の小径をゆく。相当に短くなった濃色の自分の陰を蹴飛ばすようにして てくてくと歩みを進めれば、擦り切れかかった芝草の広がりに挟まれたコンクリの小径は校舎から離れて、何もなく見える敷地の端へと彼を誘
いざなう。手足を洗うセメント打ちっ放しの流し場や運動部の部室らしき小さめの長屋が見えて来て、その向こうには2階建の頑健そうなクラブハウス。関東一部リーグの常連である、ここU大学のアメフト部の専有であるというのは前に練習試合で来た時に説明された。現在のリーグランクは違う学校同士なのに交流試合をする仲なのは、一昔ほど前までは同じリーグにいた名残りと学校同士が近いからで。そんな"試合"に付いて来はしたものの、ベンチで先輩レギュラーへの世話を焼く係だった桜庭は、既に準レギュラー扱いでフィールドに立ちもしていたお友達の相変わらずの勇姿にちょっぴり自嘲気味の苦笑をしたものだったが…それはさておき。

  "この炎天下で、よくもまあ走れるよな。"

 しかもハイペースだ。在学先が変わったとても…王城にいた頃となんら変わらぬ光景。疲れを知らない、気候の変化による疲労の荷重だってきっと知らない。まるで機械みたいに頑丈で環境に無頓着な、アナログなんだかデジタルなんだか…計り知れないタフな男。同じ年頃の者たちがバカンスだバイトだとはしゃいでいるこの時節に、トレーニングウェア姿で額に背中に汗して黙々とフィールドを駆けている偉丈夫へ、フェンスを兼ねた すり鉢状の観覧席の天辺から手を振って見せれば、遠目ながら相手がこちらを認識したらしき気配が届いた。ほんの数カ月ほど前までは同じチームにいた間柄で、しかも住まいが近い幼なじみ同士だけに、フィールドを離れての付き合いも長く、そのくらいの見分けは出来る。スニーカーをはいた足を軽快に弾ませて、階段状になった周縁を駆け降りると、桜庭はおざなりながらも一応は日陰になっているベンチへとその身を運んで、元チームメイトがフィールドの縁を辿るランニングからこちらへと進路を変えたのを待ち受けた。

  「凄い汗だな。」

 彼のものだろうスポーツタオルを取ってやれば、かすかに顎を引いて会釈を示した武骨な彼こそ、大学アメフトの世界でも注目を集めている期待の新星。進清十郎さん、その人であり。髪の生え際やら横鬢から流れて顎の先やおとがいまで滴る、正に"滝のような"汗をぐいぐいと拭う姿の何とも精悍なこと。そうまでの状態がそれでも苦にならないと言いたげな無表情が、何に対しても寡欲
ストイックなことが唯一ここでだけ盛り返す、自身を高めることへの執念がいかに強いかを示しているようで。

  "ちゃんと水分補給はしていてのものらしいけれど。"

 根拠のない"根性論"だけでこうまでの運動をする無茶はさすがにしないらしく、少しは風もあるベンチに腰掛け、もう温
ぬるいだろうスポーツ飲料をあおってやっと一息。そんな元チームメイトさん、あらためて…涼しげなお顔をしている桜庭くんへと視線を向けて、
「………。」
 この炎天下にわざわざ足を運ぶとは一体何のようだと言いたげに、剛い眉をかすかに寄せて見せる。相手が勤勉ではないとか怠け者だとまでは言わないが、それこそ時間がどれだけあっても足りないほどに忙しい身の彼であることを良く良く知っている。この時期と言えば、夏休み向けの特別な番組やドラマ、映画などの仕事は、そんなシーズンが来る前にこなすもんだという、彼の芸能人としての都合は何となく覚えていたものの、その次の秋の改編を前にしての、やはり…新しいドラマや特別企画作品なんぞという仕事がこれでもかと押し寄せてもいた筈で。そういった繁雑さに翻弄されていて、多少なりとも疲れてもいることだろうに。涼しげな風情だとはいえそれなりに辛いだろう猛暑の中、わざわざむくつけき友に逢いに来るほど酔狂な奴だとも思えない。自分なぞよりもよほどのこと焦がれている対象が彼にはいると知っている進だから、その金髪痩躯の恋人との逢瀬よりも自分が優先されるなんて…まずは有り得ないことだとそのくらいの道理は判る。なのに、だとしたら、何故に?
「………。」
 自分を凝視している彼の、どこか不審げでさえあるそんな気配へ苦笑をし、

  「最近、のんびり逢ってるの? 瀬那くんと。」

 アイドルさんはそんなことを訊いてきた。桜庭もよくよく知るところの、進の恋人である純情可憐な可愛い子。このむくつけき男が、柄になくも優しく、慣れぬことだろうに殊更に神経を遣って愛でている、それはそれは愛らしい想い人。あいにくと学校が離れてしまい、以前のように間近にいて見守ってやれなくなったので、この鈍感どんがらがったな無神経男が気の利かないことをしてやいないか、チェックを入れてやることも侭ならなくなり、
"妖一は何にも話してくれないしさ。"
 その可愛い子とは先輩・後輩の間柄で、自分のいる大学へと進学させる下心ありありにての受験用ゼミナールを開催し、セナにも勿論のこと参加させているところの、自分の愛しい想い人さんは。週に一度、きっちり逢ってるくせして…もしかして桜庭が嫉妬するとでも思ってか、ちっともあの子の話をしてくれないもんだから。
「僕だってセナくんにはお世話にもなってるしサ。逢いたいなって思いもするのにサ。」
 愛らしくて思いやりがあって。何につけ一途で優しい、癒しの女神の使いみたいな子。ついついちょっかいを…もとえ、助け舟を出したくなるような可憐なところと、なのに、前向きで挫けない一生懸命なところの同居する、この無粋な朴念仁には勿体ないほど良く出来た子で。あの…ちょっとばかり破天荒で乱暴者な麗しき恋人さんが、自分なんかよりも特別可愛がってもいたのがよくよく判るほどの存在でもあって。

  「…逢っている。」

 お前には関係ないだろうと突っぱねるには…あまりに世話をかけたという自覚があってか、進も已なくぼそりと応じた。以前と比べればむしろ…距離的にも近くなったし、セナも部の活動の方からは引退しており、自主トレモードに入っているため、自分の側さえ時間に折り合いをつけられるなら、いつだって逢ってもらえる環境になっている。余計な心配はせんでも良いぞと、この男には珍しくも暗に振り払いたげな想いの乗った素っ気なさで応じた進へ、

  「夏休みの話は聞いてる?」

 桜庭が言葉を重ねた。自分たちはとうに講義のない"夏休み"に入っているが、まだ高校生のセナは…今頃は期末考査の最中ではなかろうか。試験勉強に忙しかろうからと、メールでも当たり障りのないことしか話題にして来ない彼なのへも不審を抱かずにいた進であり、当然のこと、その先の話もまだ交わしてはいない。
「…?」
 突然何を言い出すかなと、少々キョトンとしてしまった進へ、
「妖一が主催してる受験用のゼミでね、夏休み合宿を張る予定なんだってよ?」
 何たって、ただ合格すりゃあ良いってもんじゃない。入学したら即戦力になって大いに働いてもらわなきゃ意味がないからってんで、日頃からもトレーニングメニューをこなすようにって言ってあるらしいんだけどもサ、夏場は暑いから体調管理とか難しいでしょ? 学校に来なくなるから監視の目もないってことで、ついついサボっちゃうって運びにもなりかねないし。それで、妖一んチの箱根だか軽井沢だかにある別荘を使って、R大学の部員たちと合同で、勉強と体力維持のトレーニングとの両方をきっちり調整する合宿ってのをする予定なんだって、と。サラサラすらすら、説明してのけた桜庭くんに、

  「………え?」

 表情が常以上に固まった進であり、

  「ほら、知らなかったんだろ?」

 全くお前たちってばサと、どこかしら行き届かないところが手のかかる、相変わらず晩生
おくてな恋人さんたちへ"やれやれ"とゆっくりかぶりを振って見せた桜庭くんであり。まあ夏休み中ずっとって訳じゃないらしいし…と、付け足してから、

  「だからさ、逢えるうちに"浴衣でデート"ってのはどうよ。」

 八月に入ると、自分も連続して仕事が入ってるし、進の方だって秋の本番に向けたいよいよの集中合宿が始まろう。そうなる前に、これっていう思い出に残るよな逢瀬をしておこうよと、それを口説きに来たアイドルさんであったらしくって。身振り手振りも織り交ぜて、それは熱心に掻き口説く彼に、この途轍もない情熱と根気をどうしてアメフトに振り向けられないのだろうかと、まだ冷静な部分でふと思った清十郎さんだったらしいのは、ここだけの秘密である。
(笑)




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