紫陽花と虹の橋
 

 

          



 くす玉みたいに丸いので"瓊
たま花"なんて異名もあって。曇天の中、こぬか雨に濡れても花開く可憐な色彩は紫をベースに、代表的なものとして赤と青。これは土の酸性・アルカリ性という"ph"の差が現れてのものだというのが定説で。近年は品種改良が進んで、そういうのに関係なく望みの色の花が咲くものもあるのだそうだが、それでもそんな風変わりな性質はあまりに特異なものだから、古今のミステリー小説にも鍵としてよく出て来る。

  【去年と今年と、庭先の紫陽花の花の色が違うのは、
   根元に何かを埋めたことで土の成分が変わったからだ。】
  【何かって?】

 凶器の包丁だったり死体だったりが根元に埋まったことで、土のphバランスが変わって花の色が変わり、犯罪が露見するなんてストーリーが、そういえば2時間サスペンスなんかにもよくありましたよね…と持ち出せば。愛しい愛しい彼
の人は、自分はあまりテレビは観ないが、そうかそんな知識が得られるのだなと妙に感心してくれて。窓のすぐ外、小さな茂みに咲いていた紫陽花の花から想起された、つい最近のそんな会話をほわんと思い出していると、


   「…くぅおら。」


 こつこつ、と。本当にすぐ間近で硬質的な音がして。しかもしかも頭上から、陰に響いて妖しげな、猛禽類の放つ猫撫で声のような甘ぁいお声が降って来たから…ハッとする。

  「あ…。」
  「補習の途中でよそ見とは また、い〜い度胸だな。」

 こつこつという音を立てたのは、机の上をとんとんとつついて見せた綺麗な手の人差し指で。まずは やんわりと甘ぁい声を掛けられたのは、いわゆる"助走"。もしくは、嵐の前の何とやら。あややと小さな肩をすぼめた瀬那くんのお顔に高さを合わせて屈んで下さったのは、歴史が浅いためまだそんなに数のいないOBの一人、蛭魔妖一さんという方で。もう卒業なさった身だからと、黒っぽい私服で決めていらっしゃる、金髪痩躯、妖冶にして綺羅々々しいお姿のこのお方。揮発性の高そうなところも相変わらずで、

  「花なんぞ眺めてる余裕があんのか? とっとと課題を仕上げやがれ。」

 今のところは まだ口調は穏やかながらも、その…細いがしっかりした肩から脇へと提げられてあったライフルの、チェンバー部から突き出したスライドバーをしゃこんと引いて見せたから、

  「あっあっ、す、すいませんっ!」

 慌てふためきながら、机の上へと広げてあったコピー用紙にプリントされた数学の例題集を解きにかかった、受験生の小早川瀬那くん、である。





            ◇



 季節は春から初夏へと移行して六月へ。その次の季節が来る前の節目とでもいうのか、日本の雨季とも呼ばれている"梅雨"へと突入。泥門高校アメフト部は、新規レギュラーへの最終的な移行を兼ねての様子見をしていた春季・都大会にて、惜しくも準決勝にて敗退し、三年生たちはそこでキリよく"引退"という運びとなったため、

  『よ〜し、手前らもご苦労さんだったな。』

 そこから次に控えしは。進学組に狙いを定めた、某先輩さんからの進学用ゼミナールへのご招待だったりする。
『…地獄の招待状だったよな。』
 要らんことを言って、一番最初に久々のマシンガンの雨を浴びたのは、雷門くんだったか十文字くんだったか。相も変わらずパワフルで行動力のある蛭魔さん。進学した大学にて独力にて立ち上げた自分のチームへ、自分が育てたも同様な彼ら頼もしき"デビルバッツ・第一期生"たちをそのまま引き込む構えでいるらしい。これ以上はないツーカーの仲。まだ続けたいとする面々にはある意味で願ったり叶ったりの招聘でもあったけれど、そうは言っても一応は"入学試験"という関所がある。監督ならともかくも、一学生の招聘だけでそのまま"奨学生"扱いに持っていくのは至難の業で…出来んことはないらしいがそれは最後の手段に取って置き。
おいおい とりあえず、毎週水曜の放課後に先輩謹製のプリントを受験教科分だけ消化するという補習を受けることに相成った彼らであり。

  『ホントだったら"火・水・木"と がっつりしごいてやりたいとこなんだがな。』

 あいにくとこっちも忙しい身なんでなと、自主トレ代わりにどっさりプリントを渡して解散し。直接顔を合わせる水曜に、ちゃんと吸収出来ているのかを確認する小テストがあって、その答え合わせをしながら質問を受け付けて下さるというシステムになっている。理数系とネイティヴ・イングリッシュが得意な蛭魔だけでは補えない古文や英文法には、特別講師として…なんと まもりも引っ張り出されることがあり、

  『地獄に仏だなぁ…vv

 菩薩様に逢ったかのようなお顔になったモン太くんには至福のゼミになったらしいが、他の面々には…やっぱりお堅い補習授業には違いなく。学校の授業の中での進学コースに課せられた課題の数々の方がまだお優しいほどだとぶつくさ言いつつも、模試や実力テストで着実に席次が上がっている"結果"を見ると、反感からだけで無視することもボイコットも出来ず。

  "…そもそも、そんな度胸がある人っていないと思いますけれど。"

 そだったね、セナくん。
(苦笑) この、一見モデルさんみたいに匂い立つほど美麗なお顔をした先輩さんが、実はどれほど恐ろしい人なのかは、此処にいる全員が色々な形にて知り尽くしている。肩にライフル(のモデルガン)を立て掛けたまま、窓枠に腰から凭れて外を見やるその横顔は。黙ってお澄まししていれば…透くように白い肌や淡い灰色の瞳に、金色に染められた派手な髪さえ同化した、それはそれは線の細い、端正な造作の面差しが玲瓏なまでに美しく。均整の取れた締まった痩躯の撓やかさと、さりげない所作の端々に滲む品の良さ。機能的で機敏な、いかにも若々しい動作動線の見せる鮮烈なまでに鋭利な印象と、例えば切れ長な瞳の浮かべる妖冶な雰囲気とが、一種独特の危ういバランスにて挑発的な蠱惑の魅力を醸し出す。

  ………というよな、麗人であるにも関わらず。

 こんな段取り、どっから持って来たのやらと。呆れるほどの手配・采配の手際の良さやら、底の知れない行動力と凄まじいまでの"はったり"は、協会関係者や本場アメリカのハイスクールチームの監督、果ては…予断を許さぬ状況下でも世界一の鉄面皮の陰にて頭の冴えを要求されるよなベガスのディーラーたちを向こうに回してさえも、決して揺るがぬ強靭な自負により支えられてた筋金入りで。誰も助けてはくれないと思えと、孤高の中に肩をそびやかしていた頃よりも…幾分かは間口を広げて奥行きが深くなった彼だそうなので、その原因となった某美丈夫さんが言うにはこれでも人当たりは良くなった方だそうだが、

  "マシンガンの乱射も、教室使用許可を適当に取っちゃったトコも。
   賊学の葉柱さんをタクシー代わりに顎で使ってるトコも、
   全然変わってないもんな。"

 ………まだ隷属関係は続いているのね。500万って大きいなぁ。それともそういうのを越えた"友情"か何かが芽生えでもしたのかなぁ。
う〜ん

  "………。"

 曇天なながらも今は雨も上がっていて、湿った空気のまったりと満ちた中。淑
しめやかな表情をたたえたままに、何へ気を逸らしてか少々ぼんやりとしている横顔の、どこか脆そうな線がそれはもう繊細で。

  "大学に上がられてから、蛭魔さん、ますますと綺麗になったよな。"

 口に出して言ったなら、間違いなく容赦もなくライフルの標的にされるだろうから、口が裂けてもご本人へなんて言えないことだけど、でも。重く分厚い鎧のような、馬力を蓄えた肉を付けるより、切れのある瞬発力を求めて柔軟に鍛えたその成果か、その肢体は撓やかさがより一層際立って来たし。滅多に拝めないものながら、今のようにどこへか意識を泳がせている時の…無心な表情にも微妙な奥深さが随分と増していて。その視線が泳ぎつかんとしている先には一体何があるんだろうかと、夢見るような、ちょっぴり切なげなお顔に、こちらもうっとり見惚れてしまうほど。

  "疲れててっていうんじゃないものね。"

 疲弊の齎す憔悴や、気怠げな陰鬱ではない。何かへ想いを馳せていて、それへとにじり寄りたいという気持ちの切なさとか、まだ遠い先のどこかにあるものへと ついつい気が急くのを宥めているのだろう、甘い擽ったさだとか。そういったものをじんわりと舐めているかのような、穏やかそうなお顔だったから、

  "お忙しくても充実してるんだろうな。"

 溌剌とお元気なことが、自分のことみたいにセナにも嬉しい。最初はあんなにも怖かった先輩さんだったのにね。すぐにも銃を構えるわ、怖い怖い脅しの文句もそれは一杯持ち出すわっていう無茶苦茶な人だったし。そんな風に狡いけど怖い人だったから逆らえなかったものが、強くて頼もしい人だって少しずつ判って来て。自信なんか欠片ほどだってなかった筈のボクが、他チームの強い強い人たちと真っ向から立ち向かえるよになったのも、今にして思えば…蛭魔さんが、何の不安もないようにと、全力を出して飛び出したり突っ込めるようにって、最善の作戦を構えてくれたからなんだしね。ボクのためじゃあなく、あくまでも蛭魔さん自身が勝利へ辿り着くための指揮や作戦だったのだろうけど。フィールドを離れても何かと手を伸べてくれた、ホントはね、昔から優しかった人。そうと判っちゃったから。もうセナには威嚇なんて効かない。少なくとも、

  "桜庭さんとは上手く行ってるんだな。"

 これへ関しての思い入れだけは誤魔化されなくなったセナであり、

  「…っ☆」

 はっと我に返った金髪の悪魔さんが、決まり悪そうに視線を巡らせたのへ取っ捕まらないようにと。こちらも慌てて、まだ途中だった二次方程式の例題に立ち戻って。


  ――― 言ったらきっと叱られちゃうだろけど。幸せそうなお顔してるものvv


 ついついほころびそうになるお顔を何とか引き締めて、xやyとの睨めっこに集中し直すセナだったりするのである。





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  *そんなに大層なお話ではありませんで、
   セナくんたち、受験生なんだよなと思い出してみつつも、
   相変わらずの ひねもすのたりな甘甘シチュエーションものです。
   続きもすぐに書きますね?