白の日にて… C
 



          



 進が"休もうか"とセナを促して足を運んだのは、ほんのご近所にある彼の自宅である。何度か訪問したそのせいで、もう随分と見慣れて来た、瓦屋根の載った立派で大きな門をくぐると、
「…あら。瀬那くんvv」
 そんな明るいお声が掛けられた。そちらへと眸を向けると"は〜いvv"と顔のそばで白い手を振って笑い掛けてくれる女性が、格式ある玄関のガラス格子の引き戸前に立っている。古風で大きな日本家屋を背景にしているが、それに負けじと気張ったか、一応はショートコート丈のジャケットを羽織っているものの、ボトムはマイクロミニという大胆さ。
「たまきさん、こんにちはです。」
「はい、こんにちは。」
 大柄で寡黙な進と血がつながっているとは思えないほど、小柄で気さくなお姉さんは、弟の新しいお友達がいたく気に入っていらっさるようで。
「なんだ、セナくんが来るって分かってたら、日をずらしたのにな。」
 彼女に話していなかったらしい清十郎くんをちろんと睨み、
「これから友達と映画観に行くのよ。あ、そうだ。セナくんも来ない? 映画はアクションものだし、あと、ご飯とかいっぱい奢っちゃうから。ね?」
 我ながら良い思いつきだとはしゃいで、事の成り行きに唖然としている小さな少年の腕を取ろうとしたお姉様だったが、
「…。」
 そこは素早い、さすが高校最速の男。二人の間に割り込むように長い腕を伸ばして来て、たまきの背後、ガラス格子の引き戸へと手を掛ける進であり。それからおもむろに、姉へと一言。
「出掛けるんだろう?」
 短くて素っ気ない、されど、だからこそ取り付く島のない言いようへ、
「…判ったわよ、お邪魔様。」
 ふ〜んだと唇を尖らせたのもご愛嬌。ヤな奴でしょう?と、ちょっとおどけた目配せをセナにだけ見せてから、だがだがすぐににっこり笑い、
「じゃねvv」
 も一度軽く手を振って、ブーツの踵をコツコツと小気味よく鳴らしつつ門の方へと向かって行った。



            ◇



 そのまま玄関へと入り、やはり慣れたもので進に続いて二階へ上がる。お母さんには言ってあったのか、それとも気配で察してか。上着を脱いでいると、お茶とお菓子をお盆に載せて、割烹着姿も優しげな母上がご挨拶に現れる。寒かったでしょう、でも良いお天気でよかったこと、そうなの、妙寿院さんに行って来たのね、梅が綺麗だったでしょう、あすこは桜もツツジも紫陽花も、そう、一年中何かしらが満開で綺麗なのよ…と。口数の少ない息子には見向きもしないで、小さなお客様へばかり軽やかに語る母君には、だが、進も姉へと示した挑発的なところは欠片も見せず、和んだ眸のまま、セナの微笑ましい相槌を黙って聞いている。そんなに長居をするつもりはなかったらしき母君は、
『じゃあ、ゆっくりして行ってね?』
 お買い物に行かなくちゃと手早くお話を切り上げて、長男坊のお部屋を後にした。襖の向こう、板張りの廊下を"とたとた…"と遠ざかる静かな足音。それと入れ替わるように部屋の中に静謐
しじまが満ちる。大きめの腰高窓から見える雲の少ない青空は、ムラが出ないようにと丁寧に染め上げた浅い青絹みたいで。その窓からの暖かな陽光が畳に落ちて、細く斜めに…ひしゃげたひし形みたいになった黄金色の陽溜まりを作っている。

  「………。」
  「………。」

 ふと。気を合わせたかのように同時に顔を見合わせ合って、少年の方が先に、小さな肩を縮めるような仕草で微笑って見せて。
「ホントに綺麗でしたよね。」
 堪能したお花のことをしみじみと思い出す。春が近いんだなって実感出来ました、ホント、暖かくなったんですね。童顔をふんわりと…それこそお花のようにほころばせて微笑って。気の利いた返事ひとつ出来ない男へ、優しい話題をさりげなく投げかけてくれる愛しい子。そんな彼へ、

  「足を…。」
  「はい?」

 不意に、響きのいい声がかけられて。小首を傾げる小さなセナへ、
「足を崩した方が良い。」
 長く歩き回って疲れたろうからと。お座布団の上へ四角く座っている膝を視線で示す進さんで。
「え、でも。」
 大丈夫ですようと微笑うと、自分もきっちりと正座をしていたその脚を機敏に起こして。立ち上がったかと思った次の間合いにはもう、セナの片尋
ひろほども離れていた筈が、すぐ傍らに屈み込んでいた彼であり。
「…え?」
 真ん前に片膝をついた恰好で屈んだ進だと、認視したと同時、温みと匂いが急接近して来て………、

  "えとえっと…。/////"

 正直な話、何をどうされたのか、よく判らない。するりと伸びて来た長い腕が引き寄せるまま、大好きな匂いの中へとひょいっと抱えられていて。気がつけば…立ち上がっていた彼の、その頼もしい胸元へ、軽々と抱き上げられた形になって頬を寄せていたからだ。
"えっと…。/////"
 温かいし大好きな匂いがする、進さんの懐ろ。辺りに人の目がないとはいえ、ちょっと大胆かも…とドキドキする。もっと寒かった頃の外であったならば、あの長い真っ黒なコートの中にもぐり込んだ身をすっぽりと匿ってもらえたが、今はただトレーナー姿の彼なので、寄り添い合っているのがどこからも丸見えで。軽く抱え込まれた形になったそのまま、ソファー代わりにと思ってか、カバーの掛かったベッドの縁へぼそんと腰を下ろした彼の懐ろの中、
"………。/////"
 どんどん熱くなってくる頬を自覚しながら、けれどでも、
"…あ。少しだけ梅の香りがするやvv"
 その身にまといついていた残り香に気づいた辺りは余裕かも。そういえば。もう数え切れないくらいに、この頼もしい腕に抱えられている。あの…初対面の場になった去年の試合での"あれやこれや"は例外とするにしても
(当然である)、街歩きの最中に段差に躓つまづきそうになった時に始まり、我を忘れて怒ってしまい、しゃにむにしがみついたあの雨の日も、風邪で寝込んだあの時も、こちら様に初めてお邪魔した時も…と、
"う〜ん。/////"
 所謂"枚挙の暇がない"ってやつですな。
(笑) 勿論、軽んじられているのではなく、また、勢いや力に任せて強引に扱われている訳でもないと、ちゃんと分かる。まるで淑女が相手でもあるかのように…というような丁寧さや繊細さはさすがにないが。時には一陣の疾風に軽やかに鮮やかに攫われたようなその後で。もしくは、何も言わないままに盾になってくれながら。宝物のように、掛け替えのない何かのように、頼もしい腕と奥行き深い懐ろとに しっかと守られたまま取り込まれていて。機敏なだけでない、何とも頼りになる極めつけに重厚な存在が、この身へだけへ注意を払ってくれる。こんなにも大切だよと、言外にありありと示されているその至福。
"慣れちゃうなんて勿体ないよね。/////"
 いつもいつもドキドキして。でも、それだけ素敵な人なんだから、これはもう仕方がない。肩をすぼめながらも"そろぉ〜っ"と胸板に凭れれば、大きな手のひらが頭へ乗っかり、そのまま髪をそっと撫でてくれる。何だか背中がちりちりちりって擽
くすぐったくなって、
"………vv /////"
 ホントの仔猫になったような心持ちにてうっとりしていると、その手の持ち主さんが、ぽそっと。………とんでもない一言を呟いた。


  「俺は非力だなと思ってな。」

   …………………………はい?


"そ、そうなんでしょうか?"
 あまりに唐突なお言いように、思わず…背条を凍らせつつ口ごもってしまったセナくんだが。………だよねぇ。小柄だとはいえ一応は高校生の自分を片腕でひょいと抱えられ、ベンチプレス140キロも上げられる人が"非力"なんて言い出した日にゃあ…。
(笑)

  "………。"

 あ、何だか真剣なお話みたいだから、冗談口は辞めときましょうね。

  "………。"

 少しばかり膝を開いた座り方をして、その片方の腿の上に抱えると、小さなセナとの視線の高さの差が縮まる。腿の分だけ程よい高さが加わるせいだろう。彼は本当に小さくて。うっかりすると何かしら、その身のみならず心まで、簡単に傷つけてしまうかもと。アメフトに関わること以外には、限りなく大雑把で粗忽な人間だという自覚が重々とある進にとって、当初はそれが一番の心配であった。

  "…考え過ぎではあったがな。"

 互いを深く知れば知るほど、彼の懐ろの深さを感じる。もう逃げたりしないんだと頑張る芯の強さや、一途さ、ひたむきさ。健気なんて可愛いもんじゃない。叩
はたかれても打たれても倒れ伏しても、何度でも何とか起き上がってくる頑張りは、どうしてどうして大したものだったし。

  "………。"

 フィールドを離れても、いつもいつも懸命な、それでいて懐ろ深く優しい存在。寂しさだとか孤独だとか、その小さな体で重々知っていればこそ身についた、奥行きのある優しさは、幼(いとけ)ない健気さと真摯さを含んで眩しいほどに、心癒される笑顔と屈託のない声とに惜しみなく滲み出す。

  "………。"

 どんな壁に立ち塞がられても屈しない。向上心に溢れて、それは生き生きとしている彼に比べて。では。自分は一体どうだったろうか。

  "………。"

 最初は、良く言って孤高の存在。だがだが、もしかして…暗中模索。驕
おごっていたつもりはなかったが、克己心ばかり強くて、誰もその視野の中にはいなかった。だから。誰の姿もなかった視野に唐突に飛び込んで来て、その小さな背を追えなかった初めての存在に、自然な成り行きとして初めての"関心"というものが涌いた。チームは勝ったが何とも納得がいかず、ただただ無性に逢いたくなったのだ。そして。フィールドを離れた場所で出会った彼は、何とも小さな少年で。本人を見極めた興奮が冷めやると…その意外性に眉を顰めたものである。

  "………。"

 ずっと怖がられていたのがひどく切なくて。だが、実は…自分の気持ちがよく分かっていなかったがため、こちらからも何とももどかしかった。どうしてこんなにも、この彼に関心が向いてしまうのか。何とも幼
いとけなくて、少しばかり臆病そうな少年。フィールドで見せた光速の疾走ランの、瞬間的なものなればこその潔いまでの鋭さと閃光のような鮮やかさ。それらに魅せられ、捕まえたいと心から思った。相手に触れることが出来なければ、力なぞどんなに積み上げたって何の役にも立ちはしない。互いの存在を見据え合い、一瞬の間合いにて繰り広げられるスリリングな駆け引き。それを鮮やかに振り切られた体験は、今も強烈に身に染みている。あの、一種の快楽にも似たピンと張り詰めた緊張感。これまでは意識するまでもない自然な"反射"で対処出来ていたものが、それでは間に合わないのだと。真摯に睨み合い、気迫をぶつけてねじ伏せなければ止められない手ごわい相手へと、初心者レベルからあっと言う間に成長してしまった彼にまんまと魅せられた。

  "あれもまた、この小早川なのだがな。"

 泥門デビルバッツのランニングバック。プレイヤーとしての高揚感をこれまでになく感じる相手。

  『ウチに…王城に引き抜くとか、考えたことはないのか?』

 桜庭が言ったような選択は、不思議と一度も浮かばなかった。愛しくて、いつだってその傍らにいたい人。けれど、ただ"守りたい"とか"独占していたい"とか、そういう種の甘い想いだけしか持たなかったのではない。彼の全てを彼として感じていたい。今の彼のままに居てほしい。あくまでも対等な、小さなこの体に不敵なまでの深みを持った、そんな彼のままでもあってほしい。

  "人の欲とはこうも深いものなのだな。"

 こうやって腕の中に抱いているのも至福。だが、対等な好敵手として、真っ向から挑み合うあの高揚感もまた、例えようのない至福。どちらかを選ぶなぞ、今の自分にはもう出来ない。鋼の精神力が聞いて呆れる。今やこんなにも欲に左右され、身に染まった幸いへの執着にまみれている。

  "………。"

 そんな思考を巡らせている彼の懐ろから、

  「あの………。」

 セナが小さな声をかけた。そのお膝へといきなり抱え上げたくせに、何だかとんでもないことをぽつりと呟いたまま。やはり…何も言わないままな進さんへ。寡黙な人だということは重々知っていたが、いつにも増しての沈思黙考に、物問いたげなお顔になって"きゅう〜ん"とこちらからも見つめ返していると。

  「………あ。」

 最初は軽く、頬と頬。ふわりと触れた温かい感触。こんなにも。間近に間近に。鼓動が1つになるほどに、匂いや温みが溶け合うんじゃないかというほどに抱きしめられたのは初めてで。そして、

   ――― ……………。

 重なった唇はたいそう頼りなく柔らかで。この人の頑丈な体に、こんな部分があるなんてひどく意外で。

   ……………………。

 そのまましゃにむに…どこか密閉されるみたいに、ぎゅうと抱きしめられて苦しくて。

  「…進さん…苦し…。」

 つい、声が出た。途端に。はっとして手を放されたその落差が大きくて。宙に放り出されたような感覚があって。

  「あ…。」

 怖くなって、こちらから手を伸ばした。すがりついて、きゅうとしがみついた。何だかなんだか、夢の中に居るみたいだったから。

  「あのあの…。これって、夢じゃあないですよね?」

 まだお顔は見れなくて。だけど、大好きな温みからは離れたくなくて。そうと訊きながらセーターのお胸をきゅうって掴んでたら、

  「………。」

 今度はそっと、少しずつ包まれる腕の中。もう少し…強くても平気だと伝えるみたいに、こちらからもしがみついて。はうと安堵の息をつく。いくら何でも、手加減を知らない人ではなかろう。それがあんなに…我を忘れて抱きすくめてきた、そのもどかしげな切なさが何だか嬉しい。そしてそして、

  "………キスって凄い。"

 温みも想いもこの腕に抱えたまま、彼の側の温みの中へ、やわらかく取り込まれてしまいそうな気がして。前にテレビか何かで見た、金色も豪奢で幻想的な、クリムトという人の絵のように。溶け合うように一つになれるのだと、初めて知った。離れるのが怖いと、本能的に感じたほどに、相手の一部になれる。それが、キス。

  "………。"

 頼もしい胸、温かな懐ろに抱かれて。ただただほやんと…初めてのキスの甘い余韻に耽っていたセナだったが、

  "………でも。進さん、ボクがお相手で良かったのかな?"

 も、もしもし? セナくん?





            ◇



「大会が始まったら…。」
 しばらくは逢えなくなるなという続きを呑み込んだ。秋季大会の時もそうだった。そんなにピリピリしなくても良いのだろうけれど、自然と練習だって厳しくなるし、それより何より気持ちの上での"けじめ"はきっちりつけたい二人でもある。
「そうですね。」
 セナにも異論不服はないらしい。それどころか、
「決勝戦が終わるまでは逢えませんね。」
 やわらかに微笑いつつ、さりげに強気なことを言うほどで。ああこれだからとほんの少しばかり擽ったいものを胸に感じつつ、じゃあと改札口へ入ってゆく彼を見送った。小さいけれど、ピンと背条を張った少年。まだ時々は怖いもの相手に萎縮したりもするらしいけれど、おどおどと逃げたりしないで立ち向かえるほど、随分強くなったという。強
したたかに頼もしいのが嬉しくて、だがだが、幼いとけないままでも居てほしい。こんなに充足を与えてくれる彼へ、なのに更なる欲が出てしまう自分へと、呆れたように苦笑して、ホームが見える柵の方へと歩みを運ぶ。小さな影を間違いなく見つけて、時刻表通りにやって来た、無粋な快速に乗り込む彼を見やって。ああ、次に逢う日を約束し忘れたなと、遠ざかる列車を見送りながら思い出す。それを手落ちと痛く数えずに、メールを送る理由が出来たぞと仄かに笑えるようになった進であり、ゆっくりと踵を返す彼の大きな背中を見送って、

  「ホントに、変われば変わるもんですよね。」
  「でしょ?でしょ?でしょ? 桜庭くんだってそう思うでしょ?」

 たまたま同じ快速にて帰って来たとある男女が、片やはチームメイトを、片やは実弟を、そんな風に評してこそこそと見やっていたのだったりする。

  「春ですよね。」
  「清十郎には去年からずっと続いてる"春"だけれどもね。」
  「…っ☆」

  たまきちゃんてば、辛辣〜〜〜。
(笑)



   〜Fine〜  03.3.3.〜3.14.


   *あははのはvv
    何だか後半は理屈ばっかり捏ねてしまいましたね。
    あんまり寒かったので、ぶつ切りで書いてたせいもありますが、
    やはり…2巻を入手してしまった、
    熟読してしまったという影響もあったような。
    進さんの魅力が満載で、ああこんなにも凄い人なのねと、
    これを全く知らないままに勝手な話を書き散らかしてごめんなさいと、
    そういうプレッシャーみたいなものも多分に出たせいだと思います。
    でも。
    甘いお話はやっぱり書き続ける事と思います。
    どうか呆れず、お付き合いくださると幸いです。
 

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