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それはそれは見事な枝下しだれ梅が、風に枝々をそよがせたり、陽射しの強弱につられて様々な陰影がついて趣きを変えたりする様に、身を寄せ合ったまま見入っていて。進の方は、その二の腕にそっと凭れた小さな存在へ柔らかに眼差しをゆるめ、セナはセナで、すぐ目の前に…頬が触れるほど傍らにある頼もしい胸板の温みにやはりうっとりと耽り。そうやって、しばしの間、甘やかな時を満喫しつつ過ごしていた二人だったが、
"………あ。"
ふと、思い出したことがあって。
"そうだ、写真を撮らなくちゃ。"
ごそごそとバッグからカメラを取り出したセナである。高校への入学祝いにと、父方の祖父に買ってもらった最新式のデジタル・カメラだったが、この一年というもの…妙な形で忙しかったがためにあまり使ったことはなく。(笑) 言わば、今日が"使い初め"のようなもの。
「えっと…。」
設定を色々と確かめてから、傍らの連れへ"ふふっ"と微笑って。まずはと枝下梅を何枚か撮る。近寄ったり離れたり、ズームで寄せたりと、構図を変えて撮ってから。じゃあコースを戻ろうか、さっきの石段を降りての移動。そこからも、綺麗な梅は勿論のこと、こんな機会はそうとないからと、進の顔や姿へもへもレンズを向けるセナであり。自分へはいつもこういう優しいお顔をしてくれる進さんなものだから………随分と撮ってから"それ"に気がついた。
"? あれ?"
何かが訝おかしい。いつもと変わらない、双方ともにお行儀の良いままに過ごす、静かに楽しいひとときで。無口で優しい進さんは、時々どこか眩しそうな眸をしてこちらを見やってくれていて。だのに…何か。引っ掛かることがあるのに気がついた。不意に鼻先を掠めていった、仄かな、されど鮮烈な香りのような、形の無い何か。輪郭の残像だけを置いて立ち去った感触を、うんうんと頑張って思い出してみて、
"…あ。"
………そう。進が穏やかそうな自然体の顔のままでいるのが、失礼ながらもちょっと妙だと、セナくん、やっと気がついた。えっとえっと、何がどう、変なのかな?
『清十郎って写真撮られるのが苦手でね。』
カメラを構えて"撮るよ"って声をかけると、真っ正面を向いた証明写真みたいなのしか撮れない…と、確か彼の姉のたまきさんがそんな風に言ってはいなかったかな? ご挨拶などとしての"礼儀"以上の愛想は知らない。よって、愛想笑いや写真用の会釈、そういうものが、苦手…というか、さして必要だとは思わない性分だったらしくって。そういえば、真っ直ぐに相手の眸を見つめての、礼儀正しい目礼とか会釈とかはきちんきちんとこなす人だが、目に見えての愛想は相変わらずに振り撒かない人で。
"………。"
だのに、こちらを見やるお顔の何と穏やかそうなことか。いつもいつもセナへと向けてくれる、自然で優しいお顔のままだと気がついた。穏やかそうな眼差しには、
"…えと。"
覚えがある。自販機で買った温かいココアのプルトップに悪戦苦闘している時や、難しい数学の宿題を解いているセナを向かい側から見やる時なぞのお顔。微笑ましいことだなと言いたげな、優しくて頼もしくてそれは大人びたお顔だと思い出し、
"………あ、そかvv"
もしかして。進にはこの小さなデジタルカメラが"カメラ"なのだと判っていないのかも。セナが何か、自分は知らない流行の玩具を振り回して、幼い子供のように"ごっこ"っぽく遊んで見せているのだなと、そう解釈しているのかも。
"…そういえば。"
セナの母もこれを初めて見せた時には、何とも素朴なことを言っていたっけ。目許近くに構えて覗かなくても撮れるのかとか、フィルムの厚さもないなんて何だか不思議よねとか。揚げ句、子供の玩具みたいよねとか。
"もしかして…。"
そうなのだとしたら…。
"じゃあ…♪"
じゃ、じゃあ?(♪ってのは何?)
"もしかしてこれって、進さんの写真をたくさん撮れるチャンスかもvv"
………おいおい。呆れるのではなく、そうと感じたセナくんらしく。随分と馴染んだもんだねぇ、本誌9号で素顔がバレるまではあんな怖がってた人に。(笑)
“よぉし、頑張るぞっ o(><)o ”
急にニコニコと加速がついたようにご機嫌になった少年へ、何がそんなに嬉しいのかは判らないままながらも、愛らしい笑顔を見るのはこちらも嬉しいからと、尚のこと和んだお顔になる進さんであり。男臭くも重厚なまま、されど、それはそれは温かくも優しいお顔のスナップが思う存分に撮れたので。それをプリントアウトしてお部屋に飾ったセナくんだったというのは………後日のお話でございますが。
「…小早川。」
写真を撮るからには必要になるものがある。カメラ、被写体、明かりとフィルムかメモリーチップ。そしてそして、
「はい?」
あやや、とうとうバレたかな、と。こんな間近に居ながら、進さんへのちょっとした悪戯めいた"秘密"をその小さな手の中にしていた少年が、掛けられたお声へ応じて見せる。あまり動かない表情は、そういえばちょっとばかり…先程ほどには穏やかでない。怒られちゃうかな。このところ、図に乗って甘えてばかりいるものなと、問題のカメラを降ろしてその場に立ち尽くすと、
「………。」
呼びかけたご本人も、何故だか言葉を続けない。
「???」
あれれ? 怒ってる訳じゃあないらしい。じゃあ何なのかなぁ。じ〜〜〜っと見やったのは、自分の視線からは結構高い位置にある、彫りの深い彼の顔立ち。鋭角的で男臭くて、無表情だと凄みさえあって。けれど、鼻梁は案外細くて、それに口許が…そこだけ見てるとそりゃあ整ってて綺麗なの、どれだけの人が知ってるかなと、ついつい"ぽやんvv"となりかかり、
"…じゃなくって。/////"
トリップ先から戻って来てくれてありがとう。(笑) えっとえっと、少しだけ間を空けて立ち尽くし合う二人連れに、後からやって来たゆっくり歩調の老夫婦がどこか怪訝そうな顔をする。
「お兄さんたち、喧嘩かね。」
「仲良うせんとな。ボク、おイタは いかんよ。」
どうやら、何か悪戯をした小さな弟がお兄さんに咎められている図に見えたらしい。今度は"あわわ"と苦笑が洩れたセナだったが、
"………あ、そか。"
やっと気がついて、カメラは鞄へ。そして"ぱたぱたた…"と小走りになって、進のすぐ傍らへ戻っていった。
「ごめんなさいです。」
「いや…。」
写真を撮るにはどうしたって、多少の"間隔"が必要になる。進ほどにも上背がある相手を撮るには尚のこと、何歩分かは離れる必要が出てくる。梅の樹に下がっていた木札を読みにとちょこまか離れていたよりずっと、自分の傍らから離れっ放しのセナに、進さん、少々詰まらなくなったらしくって。それを汲んで傍へと戻って来た少年の、小さな背中に触れたのは…大きな手のひら。掴んでおくのは大仰だけれど、でも放したくはないという、もしかしてそんな気持ちの表れだったら、
"ちょっと、ううん、たくさん嬉しいかもだな。/////"
後で楽しめる写真も良いけど、今という"ひととき"もきちんと楽しんでおかなきゃなと、セナくん、ちょっと反省した様子でございます。………どっちにしたって甘い話で、アテられた皆さんには申し訳ございませんけれど。(笑)
◇
そんなこんなで。目的の枝下しだれ梅を始めとする様々に見事な梅の花と、大好きな人と過ごす静かな散策をひとしきり堪能しつつ、2時間ほども歩き回っただろうか。いくら真冬に比べると陽射しが暖かくなったとはいえ、それでもお彼岸前の外気はまだほのかに素っ気ない。楽しそうな笑顔ではしゃいでいつつも、頬を赤くしているセナだと気がついて、
「………。」
進は"す…っ"と静かに大きな手を伸ばし、その指先で触れてみる。
「?」
指先どころか手のひらまでも、頬から耳元近くという深みにまで無造作にすべり込んで来ても、ぴくりともしない相変わらずの無警戒。強いて言えば、
『何ですか?』
とか何とか"にこにこ…"と微笑みながら訊いているような眸を上げてくる少年であり。こんなにも純粋に、こんなにも懐ろを開いて信頼されていることへ、しみじみとした幸いを感じながら、だが同時に、
"よもや、誰にでもこの無防備な反応を示しているのではなかろうな。"
そんな杞憂を抱いてしまうこともある今日このごろな、進清十郎さんだったりする。随分と人間臭くなって来たことよ。…いや、正真正銘、彼は"人間"なんですがね。(笑) 冗談はともかく。そっと包み込むように触れたやわらかな頬は、やはりすっかり冷えていて、
「………休みに帰るか。」
静かな声が、至極当たり前のことのように言う。
「???」
あまりの省略ぶりに、実のところは…意味が掴みかねていたセナだったものの、頬に触れてくれた暖かな手が、そのまま"さわさわ"とやさしく撫でてくれたのが嬉しくて。小首を傾げたままながら、何も訊き返すことはなく。ふっと離れてから改めて差し出されたその手に"きゅう…"と掴まって、進の少し後ろからついてゆく。
"…なんかもう、進さんの思い通りなボクなのかも。"
沢山好きになった方が負けなんだなぁと。それにしては幸せそうに、ほてほてと。頼もしい大きな背中についてゆく、小さな小さなセナくんである。
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