白の日にて… @
 

少しばかり膝を開いた座り方をして、
その片方の腿に抱えると、小さな彼との視線の差が随分と縮まる。
腿の分だけ程よい高さが加わるせいだろう。
そうと気づいたのはあの日のこと…。




          



 3月に入った途端、寒の戻りとやらで4、5日ほど底冷えしていたのが嘘のように、ここ数日は暖かな上天気が続いている。ほこほこと良い日和の中を、自宅の板塀を横手に、軽快な足取りでさくさくと歩む。走るほどではない。というより、そうまでして駆けつけては、却って彼を恐縮させ萎縮させかねないのだとこれまでに学習した。
"………。"
 本当は気が逸って、一刻も早くと感じられて仕方がないのだが、これも試練と我慢する彼こそは、
「…あっ、あれっ? 進?」
 板塀が途切れた最初の曲がり角にて鉢合わせした相手がぎょっとして、ついつい名前を呼ばわった、進清十郎くん。そうは見えない立派な体躯だが、なかなか重厚な 17歳の高校生である。



 弥生の声を聞いて半月も経てば、春もその足取りを軽やかにするようで。どちらかと言えば…旧家の屋根瓦や石垣、見事な庭木なぞが目立つ、由緒正しき歴史のあるこの町では、まだまだ色濃い自然の香り、このところの良い日和に温められた土の匂いが仄かにするほどだ。
「どっか出掛けるのか?」
 鉢合わせをした相手は、ほんの1時間ほど前の帰宅途中に駅前で別れたチームメイトの桜庭春人くんで、ちなみに彼はこれからお買い物だとか。午前中は練習があったが、芸能人としては活動のない貴重なオフ日とあって、年齢相応の骨休めをしたいらしい。駅までの連れが生じたことで、逸る気持ちを苦もなく抑えることが出来、進はこっそり吐息をついた。そうして、
「迎えに。」
 短い一言を返す。別にわざわざ言うまでもないことだったが、穏やかそうな顔を向けられると、気の置けない間柄、ついつい言葉が零れたというところであろうか。それへと、
「…ああ、セナくんか。」
 にこぉっと笑ってくれるだけの察しの良さと理解がある相手。人との"お付き合い"という不慣れなジャンルにおいて、慣れがなさ過ぎて何かと…言葉が足りなかったり洞察が追いつかなかったりすることの多い自分へ、時々は余計なお世話もありながら、それでも適切な助言をくれる彼であり、思えば有り難い友人だ。問題は、
「じゃあ走ってけば良いだろうに。息を切らせて駆けつければ、こんなに思っているんだよってアピールにもなるし。」
 どこまでが善意からでどこからが冗談なのか、分かりにくい助言をたまにするところかと。今回の場合は、さすがに気づいたらしく、
「………。」
「ごめん。冗談だ。」
 切れ長の冴えた眼差しにて。ちょろっと横目で睨まれて、素直に謝る春人くんだ。叱られるのが怖かったのではなく、駆け出したら常人にはまずは止められない男なだけに、冗談への"なんちゃって"という付け足しが間に合わない"後の祭り"にならなくて本当に良かったと、ひたすら安堵した彼だったりしたのだが。
(笑) まま、そういう仲の良いお友達同士の冗談口のやりとりはともかくとして。
「なあ、進。」
 柔らかな昼下がりの陽射しに温められた頼もしい肩。トレーナーと薄手のブルゾンという軽装でいるのに、アメフト用の装具は身につけていないのに…自分と変わらない上背ながら、体の幅は一回りは優にごついチームメイトに、桜庭は歩調は変えぬまま、ちょいと改まったような声をかけた。どこか神妙そうな気色を声に感じて、
「?」
 目顔で先を促すと、
「あのさ、そのセナくんなんだけどな。」
 ほんの少し。歯切れの悪い口調なのへ、
「???」
 進が怪訝そうにかすかながら目許を眇める。日頃からも温厚というのか、言葉を選んで口にする慎重な彼だからこその、逡巡からくる歯切れの悪さなのかなと思いはしたが、それにしては…話題に上らせようとしている対象が対象だ。何だと促すように少し強い視線で見つめると、彼はおもむろに…続きを一気に口にした。


  「ウチに…王城に引き抜くとか、考えたことはないのか?」

  「………。」


 随分と省略された言い回しだったが、意味が分からない進ではなくて。その証拠のように、冴えた深色の眸が仄かに揺らいだ。即答がなかったことをどう解釈したのか、桜庭は彼なりの見解を続ける。
「セナくんて、蛭魔くんに言われてチーム内でもその正体を隠してるって言うじゃないか。大方、アメフト部が他からの素人助っ人で成り立ってるよな台所事情だから、その見返りにって他部への応援に呼ばれて、酷使されてしまうのを恐れてのことだろうけれど。」
 おおお、鋭い。
「ウチに来ればそんな心配をする必要もなくなるんじゃないのかな? 大手を振って、ランニングバッカーとして活躍出来る。あの実力だもの、すぐにもレギュラー入り出来るってもんだろ? そうなれば、守備ではお前、そして攻撃では、アイシールドも要らない素顔での小早川瀬那くんっていう二枚看板が立つことになる。」
 何しろ…彗星のように突然現れて、その素性は今もって謎のままながら、その俊足と素早くも鮮やかなカットを絶賛されている注目のランニング・バック"アイシールド21"だ。そんなセナくんの素性を知れば、監督だって一も二もなく賛成してくれると思うし、正司監督からの推薦付きなら、所謂"スポーツ奨学生"待遇で学校へも受け入れてもらえるだろうから、通うのが遠いっていうのなら寮や下宿だって世話してくれる筈だしさ…と、それはそれは理に適った御説を並べた桜庭くんであり、
「………。」
 これがあの少年のことでなかったならば、関心の沸かない範囲のこと、答えたとしても"決めるのは当事者だろう"とか何とか、素っ気ない即答を返していたところだが、
「…それだと。」
 わざわざ足を止め、しばし考え込んでから。進はゆっくりと応じた。


  「勝負が出来なくなるからな。」

  「………☆」


 言葉の意味を把握した途端、桜庭はちょっと意外で眸を見張った。あんなにも大切にしている少年なのに。アメフト以外の何にも心を動かさず、誰にも関心を持たなかった、ただひたすらに克己心の塊だったこの男が、唯一初めて"関心"というものを覚え、わざわざ足を運んで通い詰め、やはり初めての"執着"というものを感じ、自分から手を伸ばして掴まえた対象。その存在を知った切っ掛けはともかく、こうまでの執着の色合いは、もはや好敵手としての把握からのものではない筈だと思っていたのに。この男の思考の中で、あの小柄な少年は…ただただ可愛い"愛しの君"なだけではないらしい。
「小早川があの"アイシールド21"だと判ったのが、知り合った後からだったのなら、危ないことだから辞めろと言ったかもしれない。」
 でも、現実の"コトの順番"はそうではなかったし、どう見たってアメフトには関係なさそうな小柄な少年と先に出会っていたとしても、恐らくは眼中にさえ留まらなかっただろうから。これはもう仕方がないことだと、そうと言いたい進であるらしく。
"…ふ〜ん。"
 だがまあ、判らんでもないかと、桜庭も思う。だだ甘いだけな関係は苦手な彼だろうし、あの小さな少年の数ある"尊敬すべき点"の中、自分のディフェンスに見事に風穴を空けたという事実はやはり、動かしがたい大きなポイントなのだろう。愛しいその上に、倒したいと思ってやまない好敵手でもあるだなんて、
"間違いなく、どっぷり首っ丈ってやつだよな、こりゃあ。"
 寝ても覚めてもセナくんのことをばかり、考えている彼であるのかも?
"いや、それはなかろうけれど…。"
 自分の思いつきに自分でぷくくと吹き出して、その間に、
「先、行くぞ。」
 既に数メートルほども歩みを運び始めていた友人へ、
「あ、悪い悪い。」
 慌てて駆け出し、追いつく桜庭だった。




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 *ちょっと早いですが、ホワイトデイのお話でございます。
  相変わらずに甘いお話になりそうですが、
  どうか引かずにお付き合いくださいませですvv
おいおい