白の日にて… A
 



          



 辿り着いた駅前は、早い春の陽気の中に昼下がりのどこか閑散とした雰囲気を伺わせている。通勤・通学の人出もなく、買い物客も一段落した時間帯だからだろう。どこからか…店内に流しているらしき音楽やら、スクーターの走行音、駅からの構内放送などが聞こえるし、人の声だってするのだが、ぽっかりと此処の通りだけが無人になって見通せるというところか。その見通しの良い視野の中、
「…お。」
 駅舎の一部のように隣接した、簡素な受付のみの自転車置き場のすぐ手前、タクシー乗り場の粗末なベンチに腰掛けている人物に気づいて、進も桜庭も…その表情を思わず和ませた。
「そいでね、お母さんに"まおのおやつ、みぃみに あげちゃダメ"って言われたの。」
「そっか。でもね、ネコはほら、自分で歯を磨けないだろう? 甘いものばっかりあげて、虫歯になったら可哀想じゃないか。」
「あ、そか。」
 ここの近所の子だろうか、前髪を束ねて水色のモヘアのぼんぼりさんで結った、淡いピンクのカーディガン姿の小さな女の子と向かい合い、何やら話し込んでいる小柄な少年がいる。春向きのクリーム色のスタジアムジャンパーの中にはネルのシャツとオフホワイトのトレーナー。ボトムは焦げ茶色のワークパンツという、どこか愛らしい配色のいで立ちで。お膝にはキジ柄のやはり小さな仔猫を抱いていて、大事そうに両手で包み込んで女の子の手元へ返しかかったタイミングに、こちらに気づいて"あっ"と顔をほころばせた。
「お兄ちゃん、お友達が来ちゃったから、もう行くね?」
「うんvv」
 バイバイねと手を振りながら立ち上がり、細いとは言え一応は道路の左右を確認してから、こちら側へと渡って来る小さな少年。春の陽射しに柔らかな髪を温めて、何ともやさしい印象を満たした愛らしい存在。
「こんにちは、進さん、桜庭さん。」
 優に30センチは身長差のある大柄な二人の傍らに寄ると、首がどうかするんじゃないかと心配になるほど…顎を反っくり返らせてしまう小さな小さな少年。彼こそが小早川瀬那くんといって、先の春にひょんなことから知り合いになった、泥門高校に通う小さな小さなお友達である。
「妙寿院に行くんだってね。」
「はいvv」
 桜庭が気さくそうに声をかけ、いい天気で良かったね、あすこの枝下
しだれ梅は本当に見事だからね、楽しんどいでねと、さらりと言って、
「じゃあ、僕はここまでだから。」
と、軽く手を挙げて会釈とし、駅舎の方へ向かってしまった。一緒に行動するとは進からも聞いてはいなかったから、セナの方でも心得たもの。何の説明がなくとも、彼とは此処までの同行だったのだなと把握していて、
『あれあれ? 桜庭さんはご一緒しないんですか?』
なんて、惚けたことを訊いたりはしない呼吸が既に培われている。やはり無言のそのまま、当然顔で"じゃあ行こうか"と歩き出す進の傍ら、ぱたた…と少し速足になって雛鳥のようについてゆく小さな少年。これもまた春めいて陽が高くなった証拠だろう、随分短くなった2つの陰が、少しばかり古びたアスファルトの上、片やは時々跳ねながら、つかず離れずさくさくと進む。日頃から"アメリカン・フットボール"という激しいスポーツをたしなんでいる彼らであり、体を動かすのは双方ともに苦ではない。それでも………ストライドの差は進の方でも早さを緩めることで加減していて。これは進の側が身につけた、セナへだけ働く"気遣い"。そうやって歩きつつ、傍らから見上げて来る気配に気づき、少年の幼
いとけない笑顔を見下ろせば、
「何だか遠足みたいで嬉しいですvv」
 春めいた陽射しの温かさにも負けないくらい、それはそれは眩しい笑顔がこちらを見つめ返してくれる。手から提げていたのは、女の子のハンドバッグを思わせるようなサイズながら、だがデザインは楕円形を半分にした一丁前なスポーツバッグ。どこかのメーカーの景品グッズであるらしいそんな鞄から、彼がごそごそと掴み出したのは、
「ほら、カメラも持って来ちゃいました♪」
 ちょっとしたチョコレートの箱を思わせるほどに薄くて小さな、世に言う"デジカメ"というやつだったのだが、
「…カメラ?」
 あまりに薄く、セナの小さな手と比べてさえ、その中に隠し切ってしまえそうなほど小さかったものだから。
"流行の玩具だろうか。"
 レンズつきフィルム…写ルンです、までしか把握出来ていなかった進の目が、点になりかかったのは言うまでもなかったのであった。………くれぐれも壊されないように気をつけなよ? セナくん。
(笑)



            ◇



 冗談はさておいて。本日の彼らのおデートは、進の住まう町の、少しばかり奥まった高台にあるお寺がお目当て。檀家や地元住民たちから"妙寿院さん"と呼ばれて親しまれている浄土真宗の小さなお寺だが、その境内には多くの庭木が四季折々に見事な花を咲かせていて。殊にこの季節は梅の数々が薫り高く咲き誇り、中でも一番奥まった庭に植わった大きな枝下梅の見事さは、県下随一と誉れも高い絶品なのだそうな。カメラ片手だとか、イーゼルまで立ててのスケッチになどという、市外からの客人たちも足を運ぶほど有名な梅であるらしい。
「わぁ〜〜〜っvv」
 小さいと言ってもそれは"全国レベルで有名な観光地ほどではない"という意味で。石段や飛び石を巡らせてつながった、それぞれに趣向を凝らされた庭が幾つかある、結構な風格風情のあるお寺。何でも昔々には、此処いらを統べていた豪族や貴族たちから手厚い保護を受けていたとかで。その時々なりの贅や粋を尽くした寄進により、代々のご住職やら僧侶たちやらも何の不自由のないままに、修行の傍ら、花木の手入れなぞに没頭出来たということなのであろう。それを事実と示すものとして、此処から出たというツツジや椿などなどの新種も少なくはないのだとか。門前には桜の並木、庫裏の周囲にはアジサイの茂みが静かに佇み、遊歩道のそこここにはカエデに木蓮。そして…少しばかり奥まった土手には、手入れの行き届いた陽あたりの良い斜面に、色々な種類の紅白艶やかな梅たちが、艶
あでやかな香りもゆかしく馥郁ふくいくと、ちょうど満開の正に見ごろと咲き誇っている。平日とはいえ春休み間近な時期だということもあってか、温かな昼下がりの見物の人出もまずまずで、
「あ、お名前が下がってるんですね。」
 さすがは名所だからか、自慢の梅たちだからか、紅白緋色、それぞれの樹にはご住職の筆によるものだろう、小さな木札が下がっていて、
「雲龍梅、金獅子梅、月宮殿…に、茶筅
ちゃせん梅…?」
 桜にも八重とか山桜とか枝下
しだれとかいう種類別以外にも"花手鞠"とかいったような様々な名前の付いた品種があるように、梅にだって、色や花びらの数、咲き方以外の区別がある、色々な名前の付けられた沢山の品種があるのだそうだ。(太宰府天満宮のHPにも、イラストつきで沢山紹介されてますよvv)
「梅にも"八重"のがあるんですね。」
 清楚にして可憐だったり、端正にして典雅だったり。それぞれに趣きのある花々の一つ一つに、大きな琥珀色の眸を更に大きくして見入っているセナの様子の方が、進にとっては眸の保養になっているらしい。
「黄色い梅もあるんですね。」
 こちらへ向いて"ふふ…vv"と微笑って見せてから、樹の前を離れて傍らへと戻って来るセナに、
"まるで手乗りの小鳥でも連れて来たみたいだな。"
 梅なんて、一つ一つの名前や品種どころか、桜や桃との区別もつかない自分。よほど撓
たわわに、視野を埋めるほどまで咲き乱れている桜や、分かりやすい形のチューリップ、朝顔、ヒマワリなぞなら、何とか…そのものを目の前に示されれば判りはするが、それ以外はまず関心さえ向かない代物だったのに。沈丁花や金木犀、ガーベラにフリージアに金魚草などなどと、お花に詳しいセナだと知って、
『じゃあさ、妙寿院さんの梅を見せてあげなよ』
 進言してくれたのは姉である。
『きっと喜ぶよ? 特にあの枝下
しだれ梅。名古屋の方だったかに有名なのがあるそうだけど、それにだって負けてないしさ』
 たまきさんが挙げたのは、津市の結城神社の枝下梅。これはかなり有名だそうで、紹介するHPもあるほどで。いつもいつも朴念仁な弟を調子良くからかってくれる姉君だったが、今回の進言だけは"成程な"とすんなり飲み込めて。いつもなら覚えてさえいない彼女の言を、セナと逢った時にタイミングよく思い出せたのもそんなせい。それで誘った梅見のおデートなのだが、


  「………あ。」


 萩の茂みが両側に沿った、少し擦り切れた石段を上り詰めた一番の奥向き。そこに、この季節のこの寺の"主役"がいる。整地された広場のようになった空間に、ぽつんと鐘撞き堂があるだけの場所なのだが、その広場の奥の縁、斜面になった一角を独占する格好で枝を広げた1本の樹の存在感が…石段を上がって来た者の視線を易々と奪ってしまう。ほのかに緋がかった練絹の白というところだろうか。ふっくらと開いた大輪の花たちを隙間なく連ねた幾条もの枝が、空間を埋め尽くす勢いで沢山々々下がっていて。その奥行きある花の重なりに、見るなり意識ごと奪われてしまう。
「…小早川?」
 丁度、堪能し切った先客たちが"さて帰ろうか"と踵を返してこちらへ向かって来た道筋の、その真ん中にぽやんと立ち尽くす少年だと気がついて………そこからは速かった。少しばかり体を傾けて、傍らの小さな背中に添わせて向こう側の腰へと腕を回し、ひょいっと抱えたそのまま脇へすたすたと移動。ものの数秒という一連の動作にて、実に機敏に道を譲る進である。そして、
「え? あっ、あやや…。/////
 さすがにこうまでされれば我に返る。すとんと降ろされたその場であわあわ慌て、
「ご、ごめんなさいですっ。」
 真っ赤になって見上げて来たセナに、進はくすくすと微笑い、
「そんなに綺麗か?」
 少年の柔らかな髪も温かな、小さな頭の天辺へと大きな手を載せた。日頃なら進がこんなことをする以前、自分ではっと気がついてお邪魔しないようにと真っ先に避ける筈。そんないつもの注意力をあっさり奪ってしまったほどに、彼から我を忘れさせた、それは見事な枝下(しだれ)梅。またまた手を焼かせちゃったと、恐縮したまま俯いてしまった少年だったが、
「はいっ。こんな大きいとは思ってなかったです。」
 訊かれた途端に、パッと顔を上げての即答が返って来た。それへと眸を和らげた進だと察してから、細かい砂利が一面に敷かれた広場を、先に"たたた…っ"と駆けてゆき。大きな樹下のその間際に近づきながら、段々と歩調を落としてゆく。遠近感が少々狂うほどその梅樹は大きくて、傍らに孤然と晒されているところの、鐘撞きのお堂と同じくらいもあるだろうか。小さなセナには見上げても頂上が視野に収まらないほどに高さもあって。幹を隠してふわりさらりと四方へ広げられた枝々に、みっちりと宿したふくよかな花たちの、一つ一つの濃密な白が重なることで空間の奥行きの深さを展開する様は圧巻で。時折、やわく吹く風に枝垂
しなだれた花暖簾がさわざわと揺れる様は、もうもう幻想的としか言いようがない。

  「………ふわ〜〜〜っ。」

 真っ白な、そう、まるで降りしきるぼたん雪のような、厚みある花々の房に埋め尽くされた、それは荘厳な背景へと向かい合う小さな背中。進の位置からはそう見えて。大きめのスタジアムジャンパーに包まれた小さな小さな姿が、いつも以上に頼りなく見え、何だかそのまま…梅の花房の白い陣幕の中に取り込まれてしまうのではなかろうかと、そんな気がして………。

  「……………。」

 ついつい足を速めてしまい、
「…?」
 その気配に振り返りかけた少年の上体を、包み込むように抱き締めた。

  「…っ、進さん?」
  「………。」

 突然のこと、脈絡のないこと。進さんも早く此処から見て下さいようと笑顔で振り返りかけていたセナの、小さくてやわらかな体が。頼もしくも雄々しい腕の中に囲われて…少し遅れた反応にて肩をすぼめたが、
「………済まない。」
 実際の時間にしてほんの数秒ほど。長くも感じ、一瞬のようにも感じた突然の抱擁は、耳元での深みのあるお声の囁きによってさらりと解き放たれた。
「…えと。」
 ふわりと。包み込んでくれた温みが、胸の前から開いて背中からも離れかかる。どんな衝動からの行為なのかはセナには一向に判らなかったが、身を離そうとしている大きな体なのだと気がついて。そこからは…こちらも速かった。
「…っ?」
 するりと背後へ引っ込みかけた腕をしっかと掴む。力で敵う相手ではないからと思ったか、両手で右腕を…ジャケットの袖をぎゅううっと掴んでいて。勢いに引かれて一緒に振り返りながらも、離そうとしないセナであり、
「小早川?」
 自分の腕の輪の中で、くりんと回る格好にてこっちを向いた少年へ、意外そうに声をかける進へ、

  「…何処にも行きませんから。」

 セナは、少しばかり細い声でそんなことを言う。小さな両の手でしっかりと、進のジャケットの袖を掴んでいて。傍から見たなら彼の方が取りすがっている態勢でしかなかったのに、

  「………。」

 進は…ぎくりとして、少年の眸を見返していた。………何故、気づいたのだと。枝下梅の練白に、甘い香りの立ち込めるこの空間に、セナのこの小さな姿がそのまますうっと呑まれていってしまいそうな気がして。そんな埒もないことに弾かれて、衝動的に抱きすくめてしまったと。何故に彼には判ったのだろうか。

  「……………。」

 しばしの見つめ合いになってしまい、
「…あ、と。ごめんなさいです。/////
 はっと我に返ったのは、セナの方が早くって。
「あのあの、勝手に変なこと言ってすみません。何か、あのあの…。」
 あわあわと慌てながらパッと手を放して。だが、ジャケットの袖に掴みジワがついたと気づいて。やはり慌てて、少しでも伸ばそうとごしごしと擦り始める。そんな動作とほぼ同時、
「なんだか、あの。さっきの進さん、抱っこされてたいようってしがみ着いて来た仔猫に似てたんです。」
「…仔猫?」
 擦っている袖ばかりを見つめている少年の、ほわほわとやわらかな頬にそっと手のひらをあてがう。失態を見せちゃった、ご迷惑をかけちゃったと早合点してしまい、ついつい俯くことの多い彼へ、そんなことないからこっち見ないかという、やさしい合図のようなもの。逆らうことなくお顔を上げた少年は、
「はい、あの…駅前で遊んでた女の子の………。」
 そんな風に言い足すものだから、ああと進も思い出した。たいそう小さな、生まれてまだ間が無さそうだった仔猫。学齢前くらいの女の子が抱えていた、キジ柄の和猫。
「まだ抱き方が慣れてない子だったのか、あの子の手よりこっちの手に来たがって。」
 成程、いくら小さいとはいえ、あの女の子に比べたらセナの手や抱え方の方が、安定感もあって安心出来よう。そんな仔猫の"抱っこされてたいよう"な雰囲気と、今さっきの進の抱き締め方と、何だか似ていたとその肌身で感じたセナだったらしい。
「ごめんなさい。何か、ボク、失礼ですよね、そんなこと…。/////
 こんな大男を掴まえて、何処にも行かないから大丈夫だよと宥めたくなったセナ。高校最強と誰からも認められていて、顔も知らないような見ず知らずな人たちから"ライバル"だとか"目標"だとか、絶対倒すぞ、打ち負かすぞっていう闘志を一方的に燃やされてる人。それは雄々しくて、こちらからこそ甘えかかるほどに頼もしい人だのに。小さな仔猫に似ていたと、そうと感じたと言ってのける。後からこんなに慌てるくらいなら、わざわざ言わなきゃ良いのにと、そんなところが微笑ましくって、ついつい苦笑が洩れてしまう可愛い子。心やさしい、愛しい人。そして…油断出来ないほど、豊かで鋭敏な感受性を持っている少年。
「………あの。」
 どこかおどおどと、大きな瞳を揺らして見上げてくる彼へ、
「…良く判ったな。」
 進はそうと素直に答えた。見つめ返す眸の色がふわりと和む。そのまま、
「あの梅にな、奪られると思った。」
 顎をしゃくって、見事なまでに咲き誇る大樹を指し、
「それが癪だったから、引き留めたくなった。」
 にこりと笑うこともなく、真摯な顔のままで言う。彼の側もまた、わざわざ言わなくたって良いことだろうに。こらこらと苦笑しながらちょちょいとセナの頬でもつついて。一笑に付してしまえば良いところだのに、
"ボクが気に病まないようにって、そう思ってわざわざ言ってくれたんだ。"
 お愛想が出来ない不器用な彼。何にだって真摯で、真っ直ぐで。懐ろ深い、男らしい優しさというのを体言している人。そんな進の横顔の凛々しさが、また、鋭利にして頼もしく、

  "ふや〜〜〜。/////"

 カッコいいなと、やはり惚れ惚れと見とれてしまうセナである。春の陽気に照らされた、静かな境内に立ち込めるは甘くて切ない梅花の香り。艶やかで華やかでほんの少し甘酸っぱい、そんな甘露な風の薫り立つ中に、大きな背中と小さな背中は何にも言わないままで寄り添い合って。同じものを見、同じ空気を感じていることへ、しばしの間、うっとりと耽っていたのであった。………いやぁ、春ですねぇ♪






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  *少しは暖かくなって来たからと選んだ題材だってのに、
   書き始めた途端のこの寒の戻りは何なのか。
   おかげさまで、いきおい筆が鈍っておりますです。
(泣)
   まま、ホワイト・デイまでには日があるし、
   そういう意味では、早めに書き始めてて良かったかな?