浴 衣 @

 
          




   ――― 図られたなと気づいた時にはもう遅かった。


  「清ちゃん、ちょっと、棚の上の平桶、取ってくれる?」

 そろそろ待ち合わせの時間だから出ようかと玄関に向かいかけたところへ、台所にいた母からの声がかかった。おっとりと見える外見に反した相当なる しっかり者で、家事全般いつだって抜かりない母だが、今日は朝早くからパタパタと忙しそうで、その物音で目が覚めたくらいだ。というのが、八月に入ったばかりの今週初めから、ここいらの鎮守である神社のお祭りが始まっていて、それに合わせた料理やら何やらの支度に忙しいらしい。ここいらは古くて歴史のある町だから、そういった行事もしっかり健在。何となればご町内全体が浮かれた空気に満ちてもいる。氏子の代表にあたる"年寄"格である祖父なぞは、道場の門弟さんたちと共に山車や何やの手配を担当しているため、祭りの初日から社務所の方へ詰めっきり。関係者たちの禊
みそぎや何やという神社側の儀式も順当に終えていて、本宮の今夜こそ大切な奉納の式が色々とあるのだが、一般の子供たちにはそれ以上にお楽しみなのが、神社の境内や参道に夜店が沢山連なること。途中の公園ではステージが設けられ、地元のFM局が主催する小さなコンサートもあるのだそうで。しかもその上、川向こうの隣り町での花火大会と重なって、毎年なかなか賑やかなお祭りとなるのだが、そういえば。中学に上がった頃からは…昼間の山車を引く方の人手には加わっても、夜の方の賑わいにはあまり足を運ばなくなった。ちょっとだけ大人になったと同時に関心が薄れ、さほど楽しみな催しだとも思えなくなったせいだろう。だから、

  『そうだ、瀬那くんを誘いなよ。』

 そんな話を持ち出したのは、母に仕立ててもらった新しい浴衣を試しに着てみていた姉のたまきで、
『夏休みに入ったら きっと一杯遊びに来てくれるものと思ってたのに、ちっとも顔を見てないんだもん。』
 だからね、清ちゃん、セナくんのこと呼んでよ、と。随分と身勝手な言いようをされてしまい、

  『お祭りですか? 花火も観られるんですか? わあ、行きたいですvv』

 例の合宿が終わり、それぞれの家へと別れて帰ってからの初めてにあたる電話でその話を持ち出すと、舌っ足らずな愛しいお声が嬉しそうに弾んで了解を示してくれたくれたものだから。それじゃあ一緒に見に行こうと、こちらの駅前で落ち合う約束をしたのが一昨日の晩。花火見物の方をメインにしたので、陽が落ちかかった頃合いという時間の待ち合わせになってしまい。誰もいないところに待たせている訳ではないものの、祭りへの賑わいから人の行き来が多い場にぽつんと待たせるのも却って心細かろうと、この青年にしては物凄く気を回していて。早く行ってやらねばと…顔には出ていないながらも内心で少々焦っていた清十郎くんから、ちらし寿司を盛り付けるという、輪島塗りの大きな平桶を手渡された母上は。
「あ、そうそう。」
 唐突に何事か思い出したらしく、割烹着のお袖から伸びた白い両手を胸の前で合わせてポンと叩き、
「あのね、清ちゃん。セナくん、好き嫌いあるのかしら。」
「………?」
 こんな時に唐突に一体何を聞くのだろうかと、あまりの脈絡のなさに…清十郎くんの眸が世にも珍しい点目になりかかる。
「…ない、と、思う。」
「そう? じゃあ、鱧
ハモの湯びきとか鯉のあらいとか、鮎の塩焼きとかも大丈夫なの?」
 夏の祭りの特別メニュー。川魚の涼しいところを並べる母に、ああ大丈夫と頷首する長男坊だったが、
「あ、そうそう。もう一つだけ。」
「………。」
 今夜のお母様、何だかどこぞの映画の刑事さんみたいに用件を小出しにして、長男坊を引き留める引き留める。
「ミネラルウォーターを運んで来てほしいの。そう、お勝手用の方の蔵に置いてるのを1箱。」
 お爺様が若衆の皆さんを連れてってしまったでしょ? だから重たいもの運ぶのが大変で、と。屈託のないお顔で言う母に、やれやれと小さく息をつきつつも言われるままに勝手口の外へと足を運ぶ。進家の裏庭には、門弟さんたちの食事も賄う関係で設置した、常温保存可能な食材用の倉庫がある。ちょっとした事務所用のプレハブで、古い機種の大型冷蔵庫が2つほど並び、ジャガ芋やタマネギの入った段ボール箱、缶詰や瓶詰、調味料や酒、箱で買ったミネラルウォーターなどを備蓄してある。重いからと言うよりも、手が離せない忙しさから頼んだ母であろうけれど、
"………。"
 普段ならこういう手筈さえきちんと段取りを組んでいて、あまり人の手を煩わせる人ではないのだが…と、何だか妙だなと感じ始めたその時だ。

  「キャーっvv セナくん、いらっしゃいvv

 姉の声が玄関の方から聞こえ、その言いようへ"あっ"と、今になってようやく女性陣たちの企みに気がついた清十郎さんである。
"…まったく。"
 2リットルボトル6本入りの箱を台所まで運び入れた息子の表情に、事の露見を悟ってか、
「あらあら、気がついちゃったの?」
 ごめんなさいねと優しい眉を下げて見せる母上だったが、そこは長男坊も心得たもの。
「姉さんだろう?」
 首謀者は…と、洞察の片鱗を告げてから、おもむろに廊下へと出て、
「あ、えと、あの…っ。」
 玄関の方から進んで来た2組の足音の方を見やった。胸元に小さなロゴがプリントされたTシャツに木綿のストレートパンツという、自分と似たような夏向きのいで立ちをした少年が、姉のたまきに両肩を押されるようにしてこちらへとやって来るところで、
「あ、進さん…。」
 立ち止まり"こんばんは"と頭を下げるのへ、こちらも目顔で会釈する。一週間ぶりに会う彼は、だが、その前の一週間をずっと一緒だったせいか、何だかもっと久々に会ったような気がして。………で。
「姉さん。」
「あら、だって。」
 こちらに皆まで言わせずに、
「駅前なんてトコで待たせとくの、かわいそうじゃない。清ちゃん、手が塞がってたから、代わりに呼んであげたのvv」
 いけしゃあしゃあとそんな風に言ってから。あ、これは返しとくわねと、一体いつの間に掠め取ったのか、弟の携帯電話を差し出して、

  「さ、浴衣に着替えましょうね♪」
  「…はい?」

 ああ、やはりなと。既に先を読んでいた弟は、頭痛がして来たと言わんばかりの顔をする。
「姉さん、無理強いは…。」
「あらあら、無理強いなんかじゃないわよ? さっきちゃんと着ても良いって約束してもらったんだもの。」
 その段階で既に無理強いをしとるのではなかろうかと、そうと言い足しかかった進だったが、
「あ、あの。」
 二人の狭間にて小さなお声が上がって、
「約束しました。だから、その…。」
 どうせ一方的に押し付けられたに違いなかろうに、善意を踏みにじるのは気が引けるし、その上に兄弟喧嘩までが始まっては剣呑だと思ったのだろう。自分からそんなことを言い出して、他人の気持ちばかりに気を遣う、本当に優しい子。そんな彼の気遣いまで ふいにする訳にも行かず、
「………。」
 しようがないなと苦笑して、その代わり…と振り返ると、そこはこちらも心得ていたらしく、
「じゃあ、セナくんのお着替えは私が手伝いますね。たまきちゃんはその間、台所でお寿司の具を煮てるの見張っててちょうだい。」
 お母様がにっこりと笑って見せる。途端に、
「え〜〜〜?」
 たまきお姉様が不平そうなお声を上げたが、
「え〜?じゃないでしょう。セナくんは男の子ですよ? あなた…まさか、男の子の着替えが見たいの?」
 お母様からぴしりと言われると、
「あ、ううん。そういう訳じゃあないけど…。」
 言い淀むところは、案外と素直かも。
(笑) 可愛いセナくんだからと、あれやこれや余計なオプションまでつけて飾るつもりだったらしいが、さすがに…そこまでの無理強いをさせる訳にはいかない。その辺りをきちんと読んでたところは、さすがは清十郎さんであり、そんな長男坊の意向を、こちらも何も聞かないままに酌み取ったお母様でもあるというところか。これで姉弟両方の意向を聞いてやったことになり、
「じゃあ、清ちゃんも、居間に浴衣を出してあるから自分で着なさいね。」
 はんなりしつつも実は手ごわい。しっかり者のお母様のお言葉で、この場はきっちりと締められた。




            ◇



 よくよく考えてみたらば、当の瀬那本人の意向というものが一番後回しにされているような気もした"事の運び"だった。遅ればせながらそれに気づいて、全くもって申し訳ないと、まずは謝るつもりだったのに。とたとたと、廊下の板張りを鳴らして居間までやって来た小さな少年は、
「浴衣着るのって久し振りですvv」
 濃紺の地に白い型抜きの紋文様が散った柄模様の、進には重々見覚えのある浴衣に細い肢体を包まれていて。堅い生地のへこ帯を、きちんとした結び方にされているものの、やはりどこかしら幼い雰囲気は抜けず。袖やら裾やらから覗く細っこい手首や小さな足元が何とも可憐で、
「………。」
 それへと感じ入った何かが、進の常の寡黙さを易々と飛び越えて。その口から出るべき言葉を封じてしまったほどである。座敷の向こう、縁側の板張りに座したままにて、こちらを向いたそのまま…唖然としてさえ見えるお顔をしたままになった、そんな進さんへ、
「あの…。/////
 すぐ傍らの板張りにチョコンと正座して。そんなに似合ってませんか?と、こちらもこちらで見当違いなことを言い出すのへ、はっと我に返って、
「いや…。」
 こういう時は何と言ったものだろうかと。………皆さんも今頃はPCのモニター前で"おいおい"と突っ込むか、若しくはコケてらっしゃるような言いよう、その分厚い胸板の奥で呟きつつ、在庫のない語彙を引っ掻き回していた彼だったのだが、
「…その。」
 出もしない咳を隠すように、大きな拳を口許に添え、それから…あらためて、

   「似合っている。見違えた。」

 柔らかな口調でそうと一言。こういう時の正しい一言、見たまま感じたままをちゃんと告げた。あくまでも男性用の着付けであって、帯を胸高に絞めている訳でもなく。なればこそ、彼の薄い胸や細い肩が一層可憐に強調されている。浴衣の濃色がまた、あまり陽に焼けてはいない首条や鎖骨の、合わせ辺りにちらりと覗くやわらかそうな肌目を白々と浮き上がらせていて。見様によってはそれなりに色っぽいかもしれない、一種、罪作りな姿であり、
「あ、えと…。」
 だがだが、それを言うなら進の方も大したもので。いつ見ても惚れ惚れする屈強な体躯を、今夜は…濃藍色の織りの濃淡だけが微妙な縦縞の模様になっている、シックな浴衣をまとうことで、それはきりりと引き絞られていて。和装の不思議とでも言うのだろうか、ゆったりとした着付けなのに何故かしら、広い背中を貫く背条や、がっちりしている筈な肩の線などに、引き締まったものを感じさせる。それと…。
"えと…。/////"
 いつぞやに一度だけ見た道着姿とはまた違って、凛とした精悍さや清冽なる冴えとは別にもう一つ。頼もしくも大人びた余裕を、無言のまま、その存在感の中に滲ませている。久方ぶりに逢ったばかりの彼だのに。それだけだって十分にドキドキする要素だというのに、こんなに素敵で魅力的ないで立ちをされてしまっては。
"ドキドキしちゃうよう。/////"
 いつだって慣れるのに時間が掛かってしまう、素敵な人。頬を染めてうつむきかかった小さなお顔の、細い顎へと、いつものように大きな手のひらがすべり込む。
「うつむいてはいけないだろう。」
「あ、はいです。」
 萎縮してしまうと出る、いけない癖。それをいつも優しく正してくれる進さんの大きな手。いつもと同じく、温かくて乾いたその感触に…何だか不思議と落ち着けて、
「えと…。/////
 はにゃんvvと小さく微笑ったセナに、
"………。/////"
 今度はこちらが不意を突かれて。涼しげな眸、ほんの刹那だけ揺らいでしまった、高校最強の鬼神様であったりする。真夏のお祭りはこれからですのに、その入り口にて…既にこうまでときめき合っている、相変わらずに可愛い方々だったりするのであった。
(笑)




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 *真夏のお話、今度はバケーション篇ですvv
  そんなに大層なお話にはなりませんのでご安心を。
  のんびりと進めますね。