浴 衣 A
 

 
          



 昔から地元の方々に親しまれている神社の夏祭り。今日ばかりは人通りを見越して遅くまで開いているお店も多い大通りから、ゆるやかな坂道を登る神社まで続く参道へ。浴衣に下駄という涼しげな姿の人々の波が、それは楽しげに笑いさざめき合いながら、同じ方向へと吸い寄せられるかのように向かっている真っ最中。隣り町の花火大会がよく見えるのもまた、少しほど高台にある神社の境内付近だとあって、それをよく知る人たちが見晴らしの良いところへと、こぞって足を運んでいるからだろう。ミニコンサートが開かれている公園からの、ジャズやら童謡・唱歌やらといった静かな音楽もかすかに聞こえていて、町中がどことなく浮かれているようなお祭りムードで一杯で。

  ――― されど…このお話の主人公さんたちはというと。

 まだ大通りにまでも至ってはいなくて。進家の大きな門から出て来て、道沿いに板塀の続く小道をカラコロと下駄を鳴らしながら歩き始めているところ。陽が落ちてまださほどには経っていないせいでか、街灯が点いていることに気づかなかったくらい、まだ少し明るい、所謂"薄暮"の中。大きな背中と小さな背中が並んでゆっくりと小道をゆく。片貝結びにされた帯のその結び目の下へ水色の団扇を挟んだ小さな少年の方が、着ている浴衣の袖口の片方、指先で手のひらへ留めもって片袖全体をピンと張って見せ、
「この浴衣って、もしかして進さんが着てたのじゃないんですか?」
 手入れが良いからそんなにも古いものには見えないし、和服の寸法は洋服のサイズほど小刻みなそれではないものの、それでも…今の清十郎さんの体格から慮
かんがみるに、随分と幼い頃のものであることは確か。その身にまとった浴衣の胸元を見回し、
「小学生くらいの時のですか?」
 いやに限定してセナが訊いたのへ、
「あ、ああ、まあ…。」
 語尾が曖昧になって言い淀んだ進だったのは。高校生であるセナが丁度いいサイズとして着ているものへ、そうとストレートに肯定しても良いものだろうかと、珍しくも躊躇してくれたから。この、体の大きさに合わせて大雑把で、どこか朴訥で朴念仁の青年が、それでも彼なりに頑張ってセナにだけ構えてくれる思いやりをそこへと感じて、
"………。/////"
 そんな"特別"を差し向けてくれる人なことへ、訳もなく嬉しくなってしまう。足元には桐の下駄。こちらも彼が小さかった頃に履いていたものを出していただいた借り物で、
『サンダルの方が良いのではないか?』
 浴衣を久し振りだと言っていたくらいだから、下駄なんてどのくらい履いていないセナなのやら。ただでさえ足元の不安な宵の外出、転んだりしないかと案じて言ってくれた進であったが、
『大丈夫だって。』
 セナ本人よりも先に たまきさんが口を挟んで来て、
『疲れちゃったら清ちゃんに おんぶしてもらえば良いからね?』
 セナくんのやわらかな髪に鹿ノ子の紅絹
もみのおリボン…くらいのお茶目がしたかったらしいのに却下妨害されたその意趣返しか、そんなとんでもないことを言ってから。自分も友達と待ち合わせの約束をしているからと、青みの強い藤色の浴衣姿に…こちらはピンヒールのミュールという今時風な足元にて、籐底の巾着袋を振り振り、彼らより先に出掛けて行ってしまったお姉様。
"ふふ…vv"
 進さんのお姉さんだとは思えないくらいに、いつも何だか強引な たまきさんだけれど。セナみたいにおどおどした子が相手なら、いっそそのくらい積極的に身を乗り出してくれた方が馴染むのも早い。チャキチャキと仕切って話を進めてくれる人がいた方が、臆病で優柔不断なところがある自分には、むしろ頼もしくて助かるな…なんて、
"狡いかもだな、こう思っちゃうのは。"
 そんなこんなと余計なことを考えていたからか。さっそくコツンと何かにつまづいて、
「あ…っ。」
 セナくん、たたらを踏みかけた。何しろ浴衣…和装である。ズボンと違い、筒状になった着物に両脚をまとめてくるまれているようなものなので、咄嗟に大股開きになるということがこなせず、もう一方の脚を踏み出して…という反射が利かない。
"わぁっ!"
 そのまま真っ直ぐ、倒れ込むように転んでしまうっと感じたその瞬間、

   ――― するりと。

 上から背中を回って向こうの脇へ、大きな手を伸ばしてがっちりと。つんのめってしまった小さな体が浮くほど、半ば抱え上げるようにして。傍らにいた進さんが、あっと言う間に…いつもの如く、それは手際よく掴まえて支えてくれたから難を逃れることが出来た。さすがは高校最速で、どんな攻勢へも素早い対応が利く反射神経もまた素晴らしいとの定評も、伊達ではないというところか。
(おいおい/笑)
「あ、えと…。/////」
 そのまま引き寄せるように抱えてくれた進さんの、浴衣の藍が鮮やかな頼もしい胸元へと掴まって。足元・体勢を何とか直したセナくんが、すみませんと、小さな声で謝ると、
「いや…。」
 やさしいお顔で見下ろしてくれる。もう随分と陽も暮れて、街灯の明るさが段々と自己主張し始めて来た小道。だのに、進さんのお顔はよく見て取れて、
"えと…。/////"
 まだまだ真ん丸い輪郭やパーツで構成された"童顔"のセナと違い、頬骨の少し立った、彫りの深い、大人びた精悍な面立ち。少し伸びた額髪の下から覗く、すっきりと冴えた双眸は、これが試合中であるのなら凍るような射通すような鋭い光を帯びているところ。だが、今は。そんな目許に、穏やかな落ち着いた表情をたたえて、それはやさしく見守ってくれるのが、セナには何とも言えず面映ゆくて。
"そんなに見ないで下さいよう…。/////"
 あの合宿の間に、少しは慣れるかと思っていたのに。進さんがカッコいいのへ、そんなの当たり前のことじゃないかっていう感覚が身につくかと、そんな風に思っていたのに。結果は逆で、もっともっと奥行き深くて素敵な人だと色々いっぱい気づいてしまって。そんな人から見つめられたら、却ってドキドキが止まらなくなる。
「小早川?」
 どうしたんだ?と。大きな手がふわって髪を撫でてくれて。その手がそのまま横へ、耳元へと流れて頬に添えられた。温かくて大好きな手。撫でてもらうことが、ご褒美みたいに思えてしまう、頼もしくて愛しい手。でも、


   「…何か、嫌だったのか?」

   "………え?"


 はっとして顔を上げる。少しほど案じるようなお顔になった進さんだと気がついて、
「違いますっ。」
 思わずのこと、大きな声で答えていたセナだった。含羞
はにかんでいたのを何事か…思わぬ衣装替えになった運びだとか、慣れない足元だとか、やはり無理から我慢しているのではないかと、そうと誤解されたらしくて、
「そうじゃないですっ。あの、ボク、ボクはただ…っ。」
 小道に人影は少なかったけれど、丁度通りかかってた人がぎょっとしてこっちを向いたから。あ、いけないと、声の大きさを落として。
「違います。ボク、進さんのこと、あの。」
 懸命に言いつのろうとするセナくんの髪、もう一度ぽふぽふと優しく撫でてくれて、
「すまん。」
 進さんが先に謝った。小早川はいつも人の気持ちを優先する優しい子なのに、困らせるような訊き方になってごめん。自分は何も気にしてないからと小さく笑って、先に歩き始めた進さんだったけれど、

  「あ…。」

 違うのに、と。進さんに思い違いを抱えさせたことが、うまく言えなくて伝わらなかったことが、胸に充満して重い。他愛ない例え話や説明が通じなかったくらいならともかくも、気持ちが擦れ違ったままなのはそのままになんかしておけない。もどかしさに喉がきゅうって締めつけられて苦しい。表情が乏しくて無愛想に見える進さんの方がよほど、自分なんかよりも手篤
あつく気を回す人だと思うのはこんな時。気まずくなったり相手が困るのを避けるため、気が利かないって誤解されても良いからと…言葉少なく自分が何でも引き取ってしまう、懐ろの深い優しい人。でもね、
"ただ優柔不断なだけじゃいけないって、今さっき思ったところなのに。"
 勇気や度胸のない自分だから、如才のない機転をすぐさま利かせられるほど賢さが足りないから、すぐにもどうにか直せるものではないかも知れないけれど。他の人にはどうでも良い。進さんにだけは、いつまでもそんな自分でいるの、やっぱり嫌だから。

   ――― …っ。

 数歩ほど進みかかっていた大きな背中。急いで追いついて、降ろされていた腕の袖へ、後ろからきゅうってしがみついたセナくんで。
「?」
 さすがに気づいて振り返ってくれた進さんへ、えとえと、あの…。
「あの、あの…。」
 恥ずかしいけど言わなくちゃ。

  「ボク、進さんのこと、大好きなんです。」

 周囲に誰もいないの、確かめる余裕まではなくて。でも何か、今を逃しちゃダメなんだって思い詰めてて。
「変ですよね。前からもずっと好きなのに。なのに、この頃、合宿の頃から、もっと"好き"が大きくなってて。」
 これ以上の"好き"なんてないって、いつも思うのに。そんなのあっさり振り切って、逢うごとに話すごとに、もっともっと好きになってしまう素敵な人。穏やかに微笑ってくれるようになり、いつだって落ち着いていて、余裕で対してくれる頼もしい人。
「全然、慣れることが出来なくて。舞い上がり過ぎて…緊張しちゃって。」
 それで、あのあの。こくんと息を呑んでから、
「進さんのこと、いっぱい判れば判るほど、もっと好きになってしまって…。」
 さっきから握ってた進さんの浴衣の袖、もっときゅうって掴んで、
「ドキドキが止まらなくなって、どうしたら良いのか分からなくなってしまうんです。」
 だからつい。さっきみたいに何だか もじもじしちゃって。あのあの、勘違いさせてしまって ごめんなさいです…と。ちょっと早口になったけれど、ちゃんと言えたのに。でも、
"…えと。/////"
 進さんのお顔、怖くて見上げられない。熱が出たみたいに顔が熱い。何をまた訳の分からないことを言っているのだかと、呆れられたりしないだろうか。これって…わざわざ言葉で言うことではなくて、何か態度で示すべきことだったのかな?

  「…小早川。」

 響きの良い声がして、
「…っ。」
 何だか叱られるのを覚悟してるみたいにぎゅうって眸を瞑ってしまってた。そしたらね、進さんが体の向きを変える気配がして、大きな手、いつもと同じに顎の下にすべり込んで来た。
"…えと。"
 そぉっと、顔を上げさせてくれる手。恐る恐る見上げた進さんの陽灼けしたお顔は…何故だか少し赤くなっていて、

   「???」

 あれあれ?って。なんで赤くなってるの?って不思議に思ったセナくんだったらしいけれど。………そりゃあ、ねぇ? 進さん。
(苦笑)

   「………。」

 落ち着きなさいと声を掛けはしたが、それから…何を言えば良いのやら。
"また、だな。"
 思えば、バレンタインデーでも先を越された。ガーベラのお花を用意して、進さんが大好きだからと…二人の間柄における"好き"という具体的な言葉を先に提示してくれた。日頃からだって"大好きですよ"と、含羞
はにかみながらも精一杯に、ちゃんと態度で示してくれているセナなのに。繊細で愛らしいだけでなく、誰かを傷つけたくはないとそれはそれは気を遣い、時には日頃の臆病さや奥ゆかしさを相殺するほどの大胆さや思い切りの良さで、こんな風に頑張って踏み込んで来てもくれる一途な子。

  "…とりあえず。"

 人通りがないタイミングで良かった、我に返ったらそれでまた気に病むような子だからと胸を撫で下ろしてから、

  「俺も、小早川が好きだ。」

 どうでも良くはないこと。揺るがせに出来ない真実をまずは伝えて。
「…。/////」
 自分へ向けられるとそれは分かりやすくも反応して見せるこのフレーズを、先程どれほど熱く想いを込めて告げてくれた彼だったのか、果たしてちゃんと分かっているセナなのだろうかと。宵闇の中でも分かるほど真っ赤になった幼
いとけないお顔を見ていると…何と言うのか ほこりと優しい気持ちが浮かんでくる進であり。そんな微笑ましさにより、気持ちがふわりと和んだせいか、随分と落ち着くことが出来たから。
「だから。俺を好きになることで、小早川が苦しくなるのは困るな。」
 少ぉし狡いかとも思ったが、こういう言い方が彼には一番効果があるから。ともかく落ち着かせねば、熱を下げねばと、即効性を優先してこんな言い方をしてみれば、
「あ…。」
 途端に。真っ赤に熟れていたお顔が、進の大きな手のひらの上でハッとする。それまでは感情とその熱に振り回されていたものが、懸命に理屈を咀嚼しようとしているお顔に変わって、
「まだ。ドキドキするか?」
 小さく微笑い、やわらかく眸を細めて訊いてみると、
「…あ、あれ?」
 大きな瞳、きょときょとと動かして。それから…ふりふりと首を横に振る。手の上から顎を浮かせて、
「だいじょぶ、みたいです。/////」
 興奮が収まったらしいところへ、
「久し振りに逢ったから、ちょっと興奮していただけだ。」
 きっとそうだと、何しろ自分も落ち着けなかったのだしと。だからさっきも的外れなこと、訊いてしまった。
「何しろ1週間振りなんだからな。」
 やわらかな髪、梳き上げてやりながら そっと告げれば、
「…そですね。/////」
 今度こそ落ち着いた声で相槌を打つ。だのに、大仰に慌ててしまってごめんなさいと。ぺこりと頭を下げたのを最後にさせるべく、
「行こうか。」
 こちらから手を差し伸べて、
「…はい。」
 そこへと載せられた小さな宝物、そっと押しいただく騎士様で。………こんなところで何を今更 惚気
のろけ合っているのだか。傍から見る分にはそうとしか解釈出来ないやり取りの末に、一週間振りというブランクの温度差、やっと均すことが出来たお二人であったらしい。………ただでさえ暑くて寝苦しい熱帯夜が続いているってのに、ねぇ。(笑)



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 *大好きという感情や感覚にも色々あって。
  幼くておドジなところが可愛くて大好きだとか、
  凛々しくて頼もしいから大好きだとか。
  そんな風に丸きり正反対な、対照的なもの同士が噛み合ってるばかりでもなく。
  その風情は"守って上げたい"とついつい思うほどに頼りないけれど、
  いざという時に芯は強くて、なにより"もう逃げない"セナくんであり。
  いかにも雄々しくて、頼り甲斐も行動力もありまくりな偉丈夫だけれど、
  実は不器用で、気持ちを押しつけて相手の負担にするよりはと
  無言のまま、手さえ触れないでいるようなこともしちゃうかも…な、進さんだと。
  そういう二人だって事、ちゃんと書けているかが心配な筆者でございます。