浴 衣 D
 

 
          



  ――― 朝
あした浜辺をさまよえば 昔の人ぞ 偲ばるる…


 通りかかったのは児童公園の出入り口。街灯に照らし出されたフェンスの向こうでは、まだちょっとばかり、宵の祭りが続いているらしくって。通りからそちらへと道を折れてゆく人も結構いる様子。人いきれに生暖かい空気が満ちていた道筋も、夜陰に少しばかり冷まされてか夜風が仄かに涼しくて。帰途につくのだろう人々の、ざわざわと聞こえてくる雑踏の声も、宵に比べると何となく…花火の終わった後の独特な寂寥感に満ちていたりするのだが。その中を縫うように流れて来た、静かに静かに演奏されているやさしい唱歌に聞き覚えがあって。
"ふにゃん…。"
 頼もしい背中はとっても安定感があって。ゆったりとした歩調がまるで揺り籠みたいで。大きくてちょっと堅い、温かな肩に頬をくっつけたまま。小さな瀬那くん、うとうとと夢心地…。



            



   『ごめんね、履き慣れない下駄で足を痛めてしまったのね。』


 何年振りかに履いた慣れない下駄。時々ちょこちょこと躓
つまづきかけていたのは、これでも足首・足さばきを鍛えている身なので さして堪こたえていないのだが。それよりも…少しきつかった鼻緒で揩こすれて、甲のところを少しだけ擦りむいていた瀬那であり。此処に来る途中の走り方…足の運び方から、何か様子が訝おかしいなと気づいていたらしき進さんは、花火の打ち揚げが済むと先に石垣からひょいと降り立ち、
「ああ、待て。」
 後に続きかかったセナを"まだ そのまま座ってなさい"と、胸元へ大きな手をかざすようにして制して。浴衣の懐ろから取り出した紳士用の大きなハンカチに、まだ冷たかったペットボトルの麦茶を染ませて濡らすと、
「あやや…。/////」
 セナの小さな足から下駄をそっと脱がせてくれて、赤くなって擦りむけた傷にハンカチを当てて、じっくりと冷やしてくれたのだ。
「えと…。/////」
 傍らには随分と古い型の常夜灯が1本だけ立っていて、傘の下、白熱灯みたいな形の電球が灯っている。そんなせいで、まるきりの暗がりではないのだが、遠くの人声や、不意に耳に届いた…梢の先や草むらが風にさわさわと撫でられている音とかが、周囲の静けさを強調していて。ああ此処には二人っきりなんだなっていうの、あらためて感じ入る。
「滲
みないか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
 ひんやり冷たくて気持ちがいい。でも、でもね。ただでさえ、自分の眼下に進さんのお顔があるという位置関係は滅多にないこと。しかもその上、自分の足なんかを…砂とか埃で汚れているだろうに、その手のひらの中にそっと包み込んで、そぉっとそぉっと いたわってくれているだなんて。
"なんか恥ずかしいですよう。/////"
 ボールをキャッチしたりインターセプトしたり。あの"鬼神の槍(スピア・タックル)"を繰り出して、相手チームの矢のような進撃を取っ捕まえて妨げたり。アメフト選手として、足腰同様に大事にしている手な筈なのにと思うと、勿体ないやら…畏れ多いやら。いつもお顔とか髪を撫でてもらったり、手をつないでもらうのには慣れたけれど、選りにも選って足なんか。

  "ふみみ…。/////"

 そんな風に向かい合ってた二人に気づいて、最初こそ何にか微笑ましげな表情でゆっくりと戻って来ていた たまきさん。だが、
「………え?」
 不意にハッとすると、小走りに石段を駆け上がって来て。接近したことで弟の手元が見えて。それで…何が起こったのかに気がついたらしい。

  「ごめんね、履き慣れない下駄で足を痛めてしまったのね。」

 あんまりはしゃぎすぎちゃったねと、ここに来て大反省をして見せる。愛らしい容姿だけでなく、あまりにも素直で可愛いセナくんだから。ついつい弟みたいに、いやいや妹みたいに
おいおい 好き勝手に構いたくなってしまって…調子に乗り過ぎたが故のこの結果。怪我をさせてしまったことへ、しょぼんと肩を落として反省する彼女であり、
「サンダルか何か、借りて来ようか。」
 目と鼻の先、社務所を指差す たまきだったが、
「いや、それでも痛いだろう。」
 進が短くそうと応じた。確かに、擦りむいたところに甲を覆う部分が当たることには変わりなく、薄皮が剥がれたばかりの今、それではあまり意味がない。そうかと言って、人込みの中を例の"子供抱き"で通過するというのはさすがに恥ずかしかろう。ハンカチを広げて包帯代わり、小さな足にくるくるっと結んでやって、さて。
「…うん。」
 相変わらずに淡々とした表情のままながら、それでも何事か思いついたらしい。おもむろに腕を伸ばしてきた清十郎さんは、セナの細い体の両脇に手を入れて軽々と石垣から抱き降ろし、それから…彼の眼前、背を向けてするすると屈み込む。

  「乗っかると良い。」
  「…え?」

 確か出掛けにも たまきさんが"疲れたら清ちゃんにおぶってもらえば良い"と言ってはいたが、そんなの当然"冗談"だと思っていたものだから、
「いえ、そんな…。」
 そんなこと出来ませんようと、セナは当然のこととして尻込みして見せた。だがだが、
「大丈夫よ。脚に浴衣を絡み付けとけば、足元全開なんてことにはならないから。」
 浴衣の前合わせがはだけるのが恥ずかしいから遠慮したらしきセナだと、たまきさんからも何だか誤解されているようで。………ああそうか、和服っておんぶしにくいのか。普段、縁がないから気がつかなかったな。
(おいおい、自分。/笑)
「あ、そうだ。」
 動き惜しみをしないところは、彼女も合気道の有段者だからか。何を思いついたか"ぽんっ"と手を叩いた たまきは、今さっき登って来たばかりな石段を軽快に駆け降りて行って社務所へと飛び込み、ほぼすぐさま取って返したと思われるタイミングで飛び出して来て。
「ほら、これ履けば大丈夫よ。」
 これを取りに行ったらしき紙袋から彼女が滑り出させたのは…いかにも"体操服"という趣きのトレーニングパンツ。今宵のお祭りに待ち合わせてたお友達が"借りてたの返すね"と持って来たらしく、こんな場で持って歩く訳にも行かないからと社務所に預けていたらしい。
「あたしのだけど、洗ってあるから気にしないでねvv」
 そうと言って、見てないからねとくるりと背中を向けられては。こうまで気を使ってもらったこと、無にする訳にも行かなくて。
「………。」
 成り行きを見てか、傍らに立ち上がっていた進さんに"ぽふぽふ"と髪を撫でられて、こくんと頷くと、さっそく足を上げて紺色のトレパンを浴衣の下に履くことにして。……………さて。





            ◇



  "えと…。/////"


 腕同士が触れた時はあんなにドキドキしたのに、今はね、もう平気。藍色に染まった進さんの広い広い背中に、浴衣越し、胸からお腹からお顔から ぴっとりとくっついているのに、
"温ったかいなぁvv"
 襟の上、頬が掠めた首条の肌だけは少しほどひんやりしていて。でもね、背中の方も浴衣の生地がさらっとしていて気持ちいい。ただただ嬉しいばかりで、困るほどのドキドキはもう感じない。
「ちゃんと掴まっていろ?」
「あ、はい。」
 大きな肩の近く、浴衣の生地をちょっとだけ掴もうとしたけれど、
「それだと、清ちゃんの浴衣が肌脱ぎになっちゃうわよ?」
 クスクスと楽しそうに笑った たまきさんが、セナの腕をもっと前へと導くように引っ張った。ちょうど進さんの首回りの前へと突き出させ、
「そうやって腕ごとで首っ玉にしがみついてなさい。」
 お顔を全部、肩の上へ出すほど乗り上がった格好になると、お尻が帯の上に落ち着いて、進にも抱え上げやすいらしくて、
「よし。」
 セナからの返事も待たずに、ひょいっと立ち上がった彼であり。
「あやや…。」
 いきなり得た高さにセナは少々どぎまぎした。
"…うわぁ〜〜〜。"
 進の目線から見下ろす世界。たまきさんのお顔が眼下になり、植え込みや木立ちの高さもさっきとは全然違う。
「怖くはないか?」
「あ、いえ。」
 ぶんぶんと首を横に振ったセナに、たまきがクスクスと笑って見せ、
「気分爽快らしいわよ。」
 弟に伝えて、その手にはさっきまでセナが履いていた下駄を下げ、それと…セナにと獲得した例のリンゴの置物も預けられたのを、大事そうに胸元へ抱え込み、
「じゃあ、先に行くわね。」
 短い石段を軽快に降りてゆく。それを見送ってから、
「行くぞ。」
「はいvv」
 ゆっくりと歩み始めた進さんだった。

  "………なんか、すごく気持ちいいな。"

 日々の鍛練を怠らず、ベンチプレス135キロを誇るほど屈強な進にしてみれば、小さな小さなセナの重みくらい、何するほどのものでもない負荷だろうに、随分とのんびりとした歩調で歩いてくれていて。やはり帰途につく他の人たちの群れにも、なかなか近づかない様子。人目につくとセナが恥ずかしがるのではなかろうか…と。そう考えて気を遣ってくれている進さんなのかなと、そうと思うと知らず頬が染まるくらい ほわりと嬉しい。
"おんぶなんて、どのくらい振りだろうな"
 確か幼稚園生くらいの頃にお母さんにおぶってもらったのが最後だったかな? 小学校に上がった頃は、お母さんももうお仕事に出ていたから…そうだよな、それが最後かな? …あ、いやいや。去年の王城戦で、進さんのこと振り切って、タッチダウンした後にたおれちゃったんで栗田さんがおぶってくれたっけ。それ以外っていうと…う〜んと。あ、中学に上がったばかりの年の体育祭の競走の中に、二人一組の障害物走でこういう駆けっこがあったっけ。二人三脚は危ないからとか言って、ただ手をつないで走る競技で。その代わり、ずっとずっと手をつないだままで、平均台を渡ったり、マットを盛り上げて作った小山を乗り越えたりしなくちゃならなくって。その途中で相手をおんぶして走るエリアがあって。両方が不公平なしに交替でおんぶするんだけれど、小さい子供ならともかく、同い年のクラスメートは結構重い。体格に差が出ないようにと、身長順で組まされたペアばかりな筈なのに、大概のペアがどっちがおぶってもガクンとスピードが落ちて、どの組もよろよろと往生していた。その滑稽さがまた、レースを盛り上げもしていた…のだけれど。
"…ふふvv"
 当然のことながら、進さんはすっかり余裕でいる様子。位置がずれたり疲れて来たりと、大人であってもついつい…途中で何度か、おぶっている子を揺すり上げるものだが、そんな素振りの気配さえなく。セナが朧げに覚えている母の背中のように甘い匂いもしないし、栗田さんの背中みたいにふわふわと柔らかでもないけれど。もう高校生になったセナなのに、一人では余るほどに広々とした背中はただただ頼もしく。温かくて大好きな匂いがして、すこぶると居心地がいい。
"あ、でも。進さんの側は暑いかもしれないな。"
 それほど昔でもない時期に、

  『セナって体温高い方だよね。』

 そんな風に まもりに言われたことがある。昔っから冬場はやたらと"ぎゅう〜っ"て抱え込まれて構われてたし、本旨は迷子にならないようにってことからだったんだろうけど、出掛ける時はたいがい手をつないでたから…そうと知ってた まもりだったんだろうなと、そんなこんなを思い出したら、
"………えと。/////"
 何かの拍子にそれを進さんに話したら、今でもそういう構われ方をしているのか?と、すかさず聞き返されたのまで思い出しちゃって赤くなる。
"あれって…。"
 訊かれた時は。言葉そのものの意味しか考えず、今ではそんなこと滅多にないですようと軽く応じたのだが。今にして思えば…、
"あれって、もしかして。"
 もしかして。

  "………進さん、まもりお姉ちゃんに妬いてくれたのかな?"

 さあ、どうなんでしょうかねvv
(笑)









 毎年結構な人数が集まる夏祭り。夜店屋台やらミニコンサートやらへも相変わらずに賑わいは見られるものの、花火を観に来たのだけが目的だった大半の客たちは、それを堪能したとあって、宵のそぞろ歩きを楽しみながら三々五々帰途につく模様。そんな人たちの流れから少し遅れる格好で、のんびりゆっくりと歩みを進めていた進だったのは、わざわざ雑踏に混ざり込む気になれなかったからだが、歩調がついついゆっくりになるのには、もう一つほど理由があって。

  "………。"

 背に負った小さな重みが、実は…妙に気になってしようがない。薄手の浴衣越し、温みも感触もちゃんと背中に伝わって来るというのに。他でもない自分の手で、両脇にその細い両脚を抱えてやっているのだし、首条にはふわふわの猫っ毛が触れているし。最初に首っ玉にしがみつかせた細っこい腕と小さな手が、顎を引けば眼下に間違いなく見えるというのに。

  ――― 本当にそこにいるのだろうかと、

 馬鹿馬鹿しくも、だが、切実に。そんな気がして落ち着けない。冗談みたいだがホントの話、腕力があり過ぎる進にしてみれば、そうまでも…不安になるくらいにセナが"軽い"せいだ。さっき石垣の上へ抱え上げたり降ろしたりした時にもその重さは実感した筈なのだが、向かい合っていたからこうまでは思わなかったものが。姿が、お顔が、見えないというだけでこんな気分になろうとは。
「………。」
 何か一声、話しかけてみれば済むのかもしれないが、いかんせん、話題を何にも思いつけない武骨者。まさかに"そこにいるのか?"と訊くのも妙だし、さりとて名前だけ呼んで後が続かなくては…と、そう思うと口も重くなるらしくて。

  "………。"

 誰の目もないなら懐ろへと抱えたものを。輪投げの夜店で射止めたクリスタルのリンゴ。慎重に扱わねば、簡単に壊れてしまう繊細なガラス細工。丁度あれと同じように、足元の注意が疎かになるほど、腕の中の彼をばかり見守りつつ抱えて運んだものをと…思わんでもないくらいだ。
おいおい だがだが、それって…もしかして。
"………。"
 彼の顔を姿を少しでもたくさん見ていたいからという、不安というよりも…もっと単純な"欲求"という想いなのかも?
"………。"
 とはいえ。実際にそうするのは…腕に抱えるのは少々憚られた進である。自分の側は相変わらず、誰に見られようとどう思われようと知ったことではなく、何ら構いはしなかったのだが。この繊細な少年にしてみれば…きっと落ち着けないことだろうと、そんなところへ想いが及んだから。そして、そんな気性であることを尊重してやりたいと自然と思ったからだ。これまでならば…治療してやりたいとかゆっくり休ませたいとか、恐らくはそちらを優先して、しかもそういった胸中の思いを一言も説明せぬままに、とっとと事を運んでいたと思う。有無をも言わせず強引に、さっさと帰り着けば良いだけのことだと効率ばかりを考えて。そんなところを無粋だのデリカシーがないだのと誹謗されて来もしたが、それこそ自分の身に引き取っても苦にさえならない武骨男であったから、これまでずっと、それで通してこれたのだが、

  『さっきまでは仔猫がいたから…。
   だから、急に立ち上がって怖がらせちゃいけないって、
   ずっと屈んだままでいたんですね?』

  『ボク、進さんのこと、大好きなんです。』
  『ドキドキが止まらなくなって、
   どうしたら良いのか分からなくなってしまうんです。』

 不器用で感情表現が下手な自分を、頑張って頑張って理解しようとしてくれる、懐ろの深い、やさしい子。愛らしくも目映く笑ってくれるだけで十分伝わっているものを、そこへなお。恥ずかしいことだろうに、言葉惜しみをしないで、

  《 あなたが好きだから 》

 わざわざ告げてくれる愛しい人。臆病そうに見えて、だが、結構果敢で芯の強い子だと思う。切っ掛けこそ"アメフト選手としての関心"からだったものが、あまりに幼
いとけない愛らしさに少しずつ少しずつ惹かれていって今に至るのだけれども。その小さな体に目いっぱいの勇気を詰め込んで。こんな自分には勿体ないほど、色々なこと、いっぱい頑張ってくれるのがしみじみと嬉しい。

  "…ま・いっか。"

 不慣れな方向での情熱は、これまで寡欲が過ぎた反動からか、時に制御が難しく。今のところは突拍子もない"物言い"程度で済んでいるが、下手に力があるがため、そのうち…彼を彼の意志さえ黙らせて"欲しい"と思うようにまでなるのかも知れない。だが、彼を困らせたくはないと、それを思い出せるなら大丈夫。小さくて健気で一生懸命なセナが愛惜しいと、だから大切にしたいのだという順番を間違えなければ大丈夫。そうと噛みしめつつ、背中の温みに こそりと口許をほころばせ、のんびりと家路を辿るラインバッカーさんなのだった。







  aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif

   実は実は熟睡していたセナくんであり、
   あんまり寝顔が可愛くて、誰にも起こすことが出来ず、
   そのまま…進さんのお家に2回目のお泊まりとなってしまったのであったりした。



   〜Fine〜  03.8.7.〜8.22.


  *夏休みのお話、お祭り篇でした。
   合宿もある意味"お祭り"みたいな騒ぎでしたが、
   こちらはもっとプライベートに純粋に、
   雰囲気を味わってもらおうと構えてみたのですが。
   ………何だか日頃とあまり変わらない人たちであったような。
(笑)

  *今年はこれからが夏みたいな、これから暑さ本番という妙な気候ですが、
   さてさて、この人たちの秋はどんな風に展開するのやら。
   (本誌ではやっと、最初の年の6月末だもんな。とほほん。)
   相も変わらずの捏造話を、のんびりと進めて参りますので、
   よろしかったならお付き合いくださいませですvv

  *すみません。
   文中に度忘れしていた箇所がありましたので、
   23日、訂正加筆いたしました。
   そうよ、栗田さんにおぶってもらってるじゃないよ、セナくんたら。


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